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特 選 情 報


仏像、文化財に関わるニュースの内、興味深いものを特選情報としてお知らせします。


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●小浜市・福井県立若狭歴博で曹福寺・阿弥陀如来像が特別公開(4/13〜6/2)  (2019年4月13日)


福井県小浜市の福井県立若狭歴史博物館で、若狭町神谷(こうだん)にある曹福寺の阿弥陀如来像が特別公開されます。


    
特別公開される若狭町曹福寺・阿弥陀如来像


特別公開期間は、2019年4月13日(土) 〜2019年6月 2日(日)です。
詳しくは、
若狭歴史博物館HP特別公開ページをご覧ください。

曹福寺・阿弥陀如来像は、像高82.7cm、ヒノキの寄木造で、平安後期の作とみられ、若狭町指定文化財となっています。

ご担当からの連絡情報によりますと、確認できる限りで「初公開」となる仏像とのことです。






●京都山科区・安祥寺の十一面観音像が特別公開(4/26〜5/10)  (2019年4月6日)


京都市山科区の安祥寺・十一面観音像が、「春の京都非公開文化財特別公開」において公開されます。

公開期間は2019年4月26日(金)〜5月10日(土)です。
詳しくは、京都古文化保存会HP・
非公開文化財特別公開ページ 並びに 開催概要ページをご覧ください。
毎年、春秋に開催される「京都非公開文化財特別公開」は、1965年に始まり今年で通算75回目になり、今春は20ヶ所で特別公開が行われます。

今回の一番の話題といってよいのは、普段は拝することが難しかった、山科区の安祥寺の本尊・十一面観音像(奈良時代・重要文化財)が公開されることです。

この十一面観音像は、2005〜7年の安祥寺の調査で、奈良時代に遡る一木彫像であることが明らかにされ、大注目を浴びた仏像です。
像高252pの半丈六立像で、天平彫刻の造形を彷彿とさせる、堂々たる「奈良風一木彫像」で、その凛とした姿には見とれてしまいます。


      
安祥寺・十一面観音像(奈良時代・重要文化財)



本像は、2010年春、奈良博で開催された「大遣唐使展」に一度だけ出展されました。
それ以降は展覧会に出展されることもなく、お寺でも長らく非公開にされていて、拝観することがなかなか叶わなかった仏像です。

今回の特別公開は、この堂々たる奈良時代の一木彫像を眼近に拝することができる、なかなかないチャンスだと思います。
まだ拝されたことがない方には、是非ともお出かけになってみることをお薦めします。

本像については、観仏日々帖「山科区御陵平林町・安祥寺の十一面観音像」京のかくれ仏探訪G」で、ご紹介していますので、ご覧いただければと思います。






●平成31年の新指定・国宝重要文化財が発表〜彫刻は10件(3/18)  (2019年3月23日)


平成31年の新指定、国宝・重要文化財について、文化審議会により答申され、新たに3件が国宝に、41件が重要文化財に指定されることとなりました。

新聞報道などでは、キトラ古墳壁画が国宝に指定されることが、大きな記事で採り上げられています。

彫刻の方では、安祥寺の五智如来像(5躯)と、唐招提寺旧講堂安置木彫群6躯の2件が新国宝に指定されることになりました。
重要文化財指定となったのは、11件・13躯です。


新指定となる国宝・重要文化財のうち、仏像(彫刻)の一覧リストは、次の通りです。

  


詳しい答申内容は、文化庁HP・報道発表
「文化審議会答申〜国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定について」ならびに、 答申内容ページ解説ページをご覧ください。
詳しい指定事由解説と写真図版が掲載されています。


今回の国宝指定2件については、個人的には、それなりに納得という処です。

安祥寺・五智如来像は、長きにわたって「京都国立博物館の仏像展示の顔」ともいうべきものとして、展示されていますので、皆さんお馴染のことと思います。
真言宗の入唐僧、恵運が仁明天皇の女御、藤原順子を檀越(施主)として開いた安祥寺に伝わる金剛界五智如来像で、仁寿元年(851)から貞観元年(859)までの間に造られたとみられています。
ちょっと茫洋とした造形で、魅力や人気ということでは、今一歩なのかもしれませんが、造立来歴が明らかな初期密教彫刻の堂々たる作例で、美術史上の重要性からすれば、国宝指定も納得です。

  
安祥寺・五智如来像のうちの3躯



唐招提寺の旧講堂安置木彫群5躯の国宝一括指定は、
「そういえば、これらの仏像は、まだ国宝になっていなかったのだ。」
と、思ってしまいました。
近年、初期一木彫像の迫力、緊張感ある造形が、益々高く評価されるようになり、それら一木彫像発生の起点と位置付けられる唐招提寺諸像の、美術史上の重要性や造形的魅力を鑑みると、当然の納得という処でしょうか。

現在「近代仏像評価の変遷をたどって」を当HPで連載させていただいていますが、今回の唐招提寺木彫群の国宝指定は、明治以来の近代の仏像評価が変遷していくなかでの、「美のモノサシ」「時代の流れ」の変化の潮流というものを、今更ながらに感じさせるものでした。

  
国宝指定となった唐招提寺旧講堂木彫像6躯



重文指定の仏像のなかでは、次の2件が、来歴、造立経緯が興味深いものです。


兵庫加東市の朝光寺・千手観音像は、2体の秘仏本尊の1体として祀られていますが、元々は、京都三十三間堂の千体千手観音の1体として祀られていた像です。
足ホゾに遺された墨書から鎌倉期(建長3年〜文永3年・1251〜1266)の再興像のうちの1体であることが明らかになっています。
本像が、どうして播磨のお寺にあるのか経緯は明らかでは無いのですが、三十三間堂では室町期に像が1体補充されていることなどから、この時に播磨に移されたのではないかとみられています。

  
朝光寺・千手観音像



新薬師寺の地蔵菩薩像(2躯)は、普通の地蔵菩薩像の姿のなかに、もう1躯裸形像が籠められていたという珍しい仏像です。
この像は、昭和時代までは、「景清地蔵」と名付けられ、普通の地蔵菩薩像として知られていました。
景清地蔵の名の由来は、平家物語の登場人物、悪七兵衛景清ゆかりの像との伝承によるものです。

ところが1988〜89年(昭和63〜平成元年)に解体修理が行われたところ、着衣の地蔵像のからだの中から、素っ裸のもう一つの像が出現したのでした。
なんと、裸形像の上から木製の衣を貼り付けて、着衣の地蔵像に改造されたものであることが判明したのです。
裸形像は、嘉禎4年(1238)の納入願文より、興福寺僧尊遍が師である実尊の菩提を弔うために造立したことがわかりました。
著衣像への改造は13世紀後半に行われたとみられ、尊遍が晩年に自らが死んで像に奉仕する者がいなくなることを案じて、裸形像から着衣像への改造を行ったのではないかとの想像がされています。

裸形像は「おたま地蔵」と呼ばれ、安産、健康にご利益がある仏様として信仰を集めています。
なお、「おたま地蔵」の呼び名は、その股間にまるまるとした蓮の花のつぼみを象った「おたま」をつけているからです。

  
新薬師寺・地蔵菩薩像〜(左)景清地蔵と呼ばれた着衣像、(右)おたま地蔵と呼ばれる裸形像



恒例の東京国立博物館での「2019年新指定国宝・重要文化財展」は、2019年4月16日(火)から5月6日(月)に開催されます。
今回の新指定、国宝・重要文化財のうち、どれだけの仏像が展示されるのか、愉しみなところです。

出展仏像が決定しましたら、あらためて本HP「展示会」でお知らせいたします。






●大正大学所蔵の阿弥陀如来像(平安後期〜鎌倉・重文)が東京国立博物館に展示(3/12〜)  (2019年3月9日)


大正大学蔵・阿弥陀如来像
(平安後期~鎌倉・重文)厳島光明院伝来

東京都豊島区の大正大学が所蔵する阿弥陀如来像(平安後期〜鎌倉・重要文化財)が、東京国立博物館に展示されます。

現在予定されている展示期間は、2019年3月12日〜4月14日、2019年5月8日〜6月9日です。
東京国立博物館・本館1階の11室(彫刻)に展示されます。
(東京国立博物館HP・
日本美術ジャンル別展示〜彫刻ページ、ご参照ください)

この阿弥陀如来像は、それほど知られていない仏像だと思いますが、なかなか出来の良い優れた仏像です。
私も、これまで写真でしか見たことは無いのですが、、一度は拝したいと思っていた像です。

像高86.2cm、割矧造りで、いわゆる藤末鎌初の作風です。
いわゆる定朝様を残しながらも、頭部の奥行は深く、肉付きある表現、衣文にも抑揚感が出てきているように思えます。


この阿弥陀如来像は、大正大学の本尊像で、普段は大学礼拝堂に安置されており、入学式などの主要な式典は、この本尊の前で行われるということです。
礼拝堂の校舎の解体立替工事にともない、昨年、東京国立博物館2年間の予定で寄託され、今回の陳列となったようです。

本像は、像内から寛文12年(1672)の修理木札が発見されており、その頃には広島厳島大明神の御守弥陀像とされていたことが知られています。
明治29年(1896)に、厳島の光明院から大正大学の前身校の一つである浄土宗本校に寄付され、現在に至っているものです。

普段は非公開で、一般には拝しにくい像だと思いますので、この機会に観ておきたいものです。






●埼玉県熊谷市・東善寺で、快慶作の可能性有力な阿弥陀如来像、新発見(2/25)  (2019年3月2日)


新発見の快慶作かとみられる
東善寺・阿弥陀如来像

埼玉県熊谷市内の東善寺で、快慶作である可能性が有力とみられる阿弥陀如来立像が発見されたことが、2月25日、市教育委員会から発表されました。

この仏像は、平成29年(2017)11月に、市史編纂のための仏像悉皆調査中に存在を確認。
東京国立博物館や山本勉氏による調査やX線撮影などの結果、快慶作である特徴が複数みられることなどから、快慶もしくは工房作品である可能性が高いことが明らかになったということです。
阿弥陀如来像は像高:69cm、針葉樹の一木割矧造りで、CT撮影などによると、像内に古文書、髪の毛らしきものなどが納入されているということです。

木造阿弥陀如来立像は3月16日から
県立歴史と民族の博物館(さいたま市大宮区)で開催される特別展「東国の地獄極楽」(5月6日まで)で展示される予定です。


新聞各紙は、次のような見出しで、この発見を報じています。

快慶の阿弥陀如来立像か 埼玉・熊谷の東善寺で発見  (産経新聞2019.2.26)

「快慶」作か 特徴ある作風、複数確認 埼玉・熊谷の阿弥陀如来像 (毎日新聞2019.2.26)

県内初の快慶作の仏像か…熊谷・東善寺の阿弥陀如来立像、市が背景解明へ 年代や大きさなど謎多く (埼玉新聞2019.2.26)

木造仏 作者は快慶? 熊谷・東善寺の阿弥陀立像 (東京新聞2019.2.27)


見出しをクリックしていただくと、各紙の記事にリンクしますので、詳しい報道をご覧いただけます。

本像が、本当に快慶作なのかどうかは、もし今後、納入物を取り出すなどの調査がされることになれば、明らかになるものと思われます。

関東に遺される快慶作例は数が少なく、新聞報道によると、栃木県の2例が知られると報じられています。
1例は足利市、真教寺・阿弥陀如来立像(像内に快慶作〜アンアミダブツ〜の墨書銘)、もう1例は益子町、地蔵院の観音・勢至菩薩像(作風から快慶作とみる見解あり)です。

今回の新発見仏像、関東で珍しい「快慶真作の発見」となるのかどうか、興味深い処ですが、新聞報道によると、

「今後、解体も含めた精査の方法を国や県と検討する。
・・・・・・・
内部には快慶の墨書がある可能性もあるというが、仏像の解体には専門知識や多額の費用を要するため、市教委は国や県などと調査方法を検討。
快慶作と判明すれば、国の重要文化財の指定も目指すとしている。」
(東京新聞記事2019.2.27)

とされていますので、いずれははっきりすることと思われます。






●小浜市・福井県立若狭歴史博物館で高成寺・常高寺の韋駄天像が特別公開(1/24〜2/24)  (2019年1月20日)


福井県小浜市の福井県立若狭歴史博物館で小浜市内の高成寺と常高寺の韋駄天像が特別公開されます。

公開期間は2019年1月24日(木) 〜 2019年2月24日(日)です。
詳しくは、
若狭歴史博物館HP特別公開ページをご覧ください。

  
  
若狭歴史博物館・韋駄天像特別公開チラシ〜(左)高成寺像、(右)常高寺像



今回の特別公開はNHKの大河ドラマ「いだてん〜東京オリムピック噺」にちなんで、小浜市内の2寺の韋駄天像が期間限定で展示されるということです。
博物館ご担当から展示情報連絡を頂戴しましたので、ご紹介させていただきました。

韋駄天像はもともとバラモン教の神で、仏法、伽藍を守る護法神とされ、走るのが早いことから「韋駄天走り」などと例えられています。
主に、禅宗寺院の庫裏や僧坊に安置されることが多い仏像です。
古い作例は少ないようで、重要文化財に指定されている仏像は、岐阜・乙津寺像(鎌倉時代)と岐阜・長瀧寺像(中国南宋時代)の2像しかありません。
韋駄天像で、割合に知られている像といえば、江戸時代の作で文化財指定されていませんが、宇治の黄檗宗大本山萬福寺の韋駄天像でしょうか。

今回展示の高成寺・常高寺の韋駄天像も、文化財指定はされていないようで、写真をみる限りでは、時代が下る像のように思えますが、ちょっと趣向の変わった、珍しい韋駄天像の特別公開です。






●品川区文化財一般公開で区内最古仏像、海蔵寺・菩薩像が特別公開(11/3)  (2018年10月27日)



毎秋恒例の東京都品川区「文化財一般公開」において、品川区内最古の仏像とみられる、南品川 海蔵寺・菩薩坐像が特別公開されます。
海蔵寺・菩薩坐像は平安中期頃の制作とみられる古仏で、今回が、初公開となるものです。

特別公開日は、11月3日(土) 一日限りとなっています。
詳しくは、しながわ観光協会HP・
品川区文化財特別公開ページをご覧ください。

今回の海蔵寺・菩薩像の特別公開は、本年9月に品川区と清泉女子大学の包括連携協定により、同大教授・山本勉氏と同学生の手で、本像の仏像調査が実施され、その成果を踏まえて一般公開となったものということです。
(「わ!しながわ巡り」HP・海蔵寺調査紹介ページ 参照)

「わ!しながわ巡り」HP・文化財一般公開見どころページによると、「11世紀前半に京都周辺で造られた仏像」とみられているようです。


本像について、資料等を調べてみたところ、1992年に刊行された
「品川の仏像(品川区仏像調査報告書)」品川区教育委員会刊
に、写真と解説が、掲載されていました。
解説は「品川の仏像」と題する久野健氏の執筆で、このように述べられています。

「品川区にある仏像中、最も古い様式を示しているのは、海蔵寺の菩薩像である。
・・・・・・・
これらの諸特徴は、本像が藤原中期を下らない頃の作であることを物語っている。
像高66.2センチ、表面は古色をあらわす。
ただ、本像は、古くから海蔵寺に伝来した像ではなく、昭和の初めに信者より寄進されたものという。」

無指定の仏像で、私も、この仏像のことは全く知りませんでした。
写真を見ると、なかなか興味深い平安中〜後期の古仏のようです。

  
       
東京品川区 海蔵寺・菩薩坐像



良い機会なので、特別公開には、出かけてみようかと思っています。






●小浜市・福井県立若狭歴史博物館で松福寺・聖観音菩薩立像が特別公開(10/13〜11/18)  (2018年10月12日)


福井県小浜市の福井県立若狭歴史博物館で松福寺・聖観音菩薩立像が特別公開されます。

公開期間は2018年10月13日(土) ~ 2018年11月18日(日)です。
詳しくは、
若狭歴史博物館HP特別公開ページをご覧ください。

若狭歴史博物館では、若狭地域の仏像を広く紹介するため、定期的に仏像の特別公開が行われています。
今回は、松福寺(小浜市新小松原)の秘仏・木造聖観音菩薩立像(市指定文化財)が、期間限定で特別公開されます。

  
       
松福寺・聖観音菩薩立像(平安・市指定文化財)



若狭歴史博物館・特別公開ページ解説によると、
「像高は99.6cm、ヒノキの一木造で、内刳りは行われていません。
量感のある体つきや衣文の彫法は古さを感じさせますが、下ぶくれの顔に起伏の少ない目鼻立ちなどから、制作は平安時代後期(10世紀後半〜11世紀前半)と考えられます。
秘仏であり、御開帳時以外の公開は行われていませんが、今回、松福寺の御協力のもと特別に公開いたします。」
ということです。


この聖観音像、これまで公開されたことがあるのかよくわかりませんが、私は、その存在を初めて知りました。

「若狭小浜の文化財」(1968年初版・1995第10版〜小浜市刊)をみると、
「当寺は天文元年(1532)不睡法師の創建と伝える名刹で、当寺の本堂左側に連なる観音堂の本尊が、厳重な秘仏として伝世された聖観音菩薩である。
・・・・・・
若狭国守京極高次の守り本尊であったと伝えるが、この尊像が当寺に安置されるにいたった経緯はさだかでない。」
と記されています。

普段は、なかなか拝観が叶わない秘仏のようです。
一木彫成像の古式の技法を踏襲した、平安後期の地方的作風を漂わせる観音像のように見受けますが、なかなか見どころのある古仏のようです。






●醍醐寺の新出・水晶宝龕入り阿弥陀立像、快慶作か?霊宝館で初公開(10/15〜12/10)  (2018年9月22日)


京都市伏見区の醍醐寺では、2002年に新発見となった「水晶宝龕入り木造阿弥陀如来立像」を、醍醐寺霊宝館で、10/15〜12/10に初公開すると発表しました。(2018.9.13発表)

この水晶宝龕入り阿弥陀像は、仏師・快慶の作品である可能性が強いということです。

  
       
快慶作品の可能性が強いという「水晶宝龕入り木造阿弥陀如来立像」



新聞各紙は、 「水晶内に5センチの阿弥陀如来 京都・醍醐寺、快慶作か」 といった見出しで、この発表を報じました。


産経新聞WESTは、このように報じています。

「京都市伏見区の醍醐寺は13日、高さ約5.5センチの阿弥陀如来像を水晶に納めた『水晶宝龕入り木造阿弥陀如来立像』を初公開すると発表した。
同様の仏像は珍しく、鎌倉前期に仏師快慶が作った可能性があるという。
平成14年に同寺霊宝館で見つかっていた。
醍醐寺によると、仏像はハスの花のつぼみの形をした透明な水晶の中に入っている。
顔の作りや衣の着方などが、快慶作の他の仏像の特徴と似ている。
担当者は『水晶を通すことで、実際よりも一回り以上引き締まった姿に見えるよう計算して作られている』と説明している。
同館で10月15日〜12月10日に公開される。」
(2018.09.13付け産経新聞WEST)

この像は、16年も前の2002年に発見されていたそうですが、新発見仏像の話も、快慶作品の可能性が強いという話も、マスコミ報道はされていないようで、私も、今回初めて新聞記事で知りました。


詳しい資料等がないか確認してみましたところ、本年(2018年)2月に刊行された、

醍醐寺叢書 研究篇「醍醐寺の仏像 第1巻 如来」 (総本山醍醐寺監修/副島弘道編) 勉誠出版刊

に、本像の調査記録、解説が掲載されており、作者を示す銘記や記録はないものの、快慶作品の可能性が高いと考えられることが、詳しく記されていました。

本書解説によると、

この像は、2002年5月の調査時に霊宝館の南側に建つ倉庫内で発見されたのだそうです。
このような、透明な水晶と思われる蓮華に仏像を納めた本像のような例は、ほかにほとんど無いようです。

また、本像が、快慶作の可能性が強いとみられる事由については、

・快慶は、現存の後白河法皇追善の弥勒菩薩像(建久3年・1192)、不動明王坐像(建仁3年・1203)のほか、焔魔堂本尊像他諸像(現存せず)を造立するなど、醍醐寺との関係が深かったこと。
・本像の、柄衣を左胸で紐で吊り、縁を大きく裏返して左腕にかける特徴的な衣の着かたは、快慶作・奈良県西方寺阿弥陀如来立像など、少数の像にしか例がないこと。
・快慶作の立像は、裙の裾を通例の像のように正面では打ち合わせずに、左足後方で打ち合わせる特徴があるが、本像の裾の打合せの位置も左足後方であること。

などの諸点と、すぐれた表現および技法から、快慶作である可能性が高いとしています。

  
       
(左)醍醐寺・水晶宝龕入り木造阿弥陀如来立像       (右)快慶作〜奈良県 西方寺・阿弥陀如来像(重文)



そして、
「本像は具体的な造立年代は未詳であるが、鎌倉時代初めに仏師快慶によってつくられた可能性がきわめて高い、類例のない姿に荘厳された極小の阿弥陀如来像である。」
と、結論付けられています。


銘記等がありませんので、快慶作品であると断定することは、なかなか難しいのではないかと思われますが、類例のない「水晶宝龕入り阿弥陀如来像」を快慶が作ったのではないかというのは、大変に興味津々の話です。

写真でしか見ておりませんが、極小像としては、なかなかの造形力の仏像のようで、今後の議論、研究が愉しみです。






●小浜市・福井県立若狭歴史博物館で青蓮寺・観音菩薩立像が特別公開(9/11〜10/8)  (2018年9月10日)


福井県小浜市の県立若狭歴史博物館で、美浜町佐柿の青蓮寺・観音菩薩立像が特別公開されます。

公開期間は、2018年9月11日(火) 〜 2018年10月 8日(月)です。
詳しくは、
若狭歴史博物館HP特別公開ページをご覧ください。

青蓮寺・観音菩薩像は、像高53.4p、10世紀初めころの制作とされています。
かつてはあまり知られていなかった仏像で、平成24年(2012)に福井県指定文化財に指定された後、翌平成25年(2013)に国の重要文化財に指定され、注目を浴びました。

  
       
青蓮寺・観音菩薩像(重文・平安時代)



この仏像は、一見、檀像を思わせるような造形で、精緻な美しさが目を惹く像です。
しかしこの像は、素木ではなく、漆箔仕上げで、右腕部に乾漆を用いた形状修正があることや、蓮肉まで一木ではなく足ホゾで立たせていることなどから、純粋な檀像とは異にしています。

重文指定時の文化庁の解説では、

(右上膊天衣の旋転文は)醍醐寺薬師如来左脇侍像(国宝、延喜13年・913完成)よりも法華寺十一面観音像(国宝、9世紀前半)に近い。
こうした点より製作年代は醍醐寺像よりは降らず、9世紀末から10世紀初めころにおいて大過ないであろう。
彫り口の切れ味のよい美しさをみせる造形は承平4年(934)ころの作とみられる法性寺千手観音像(国宝)に繋がっていくととらえられる。
この時期の彫像の中で、できばえにおいてこれを代表する水準を示す一作として注目される。」
(月間文化財2013.6月号)

と述べられており、9C末〜10C初の優品像との評価がされています。


現在、福井県立若狭歴史博物館に寄託されていますが、通常は公開されていないようです。
私は、重文指定時に東京国立博物館に出展されたときと、若狭歴史博物館にて、本像を観たことがあります。

青蓮寺のある美方郡美浜町というのは、小浜と敦賀の中間、三方五湖の近くで、こうした処に美麗な都ぶりの檀像風観音像が残されているのに、今更ながらに、若狭の古代文化の奥深さを感じました。






●「大阪の歴史再発見」非公開文化財特別公開で「専念寺仏像群」が公開(9/1〜3)  (2018年8月10日)


「大阪の歴史再発見」非公開文化財の特別公開では、折々、大阪市内所在の古仏像が特別公開されていますが、今回は、東淀川区、専念寺の仏像群が特別公開となります。

特別公開期間は、2018年9月1日(土)〜9月3日(月)です。
詳しくは、大阪市HP・
『大阪の歴史再発見』非公開文化財「専念寺仏像群」の特別公開ページをご覧ください。

特別公開では、専念寺の十一面観音菩薩立像、阿弥陀如来坐像、大日如来坐像(いずれも平安時代・大阪市指定文化財)が公開されます。

私の注目は、十一面観音像です。
像高:180.1p、ヒノキ材の一木彫像です。
全体的には太造りのなかにも穏やかさが伺える造形表現で、平安中後期頃の制作のような印象を受けますが、造形構造の技法が古様であることが注目点です。
本体体躯と蓮肉までを一材から彫成するという古様な構造で、背面調査が行われていませんが内刳りも無いようです。

私も、5年ほど前に専念寺を訪ねて拝したことがありますが、膝下足元までの衣文表現の彫り口が結構深く抉られた翻波式衣文がとどめられていることが印象に残りました。

  
    
専念寺の十一面観音菩薩立像(平安時代・大阪市指定文化財)



「大阪市文化財調査報告書21・専念寺の仏像について」(2000年・大阪市教育委員会刊)には、
「専念寺像の顔は充実して定朝様に近いことを勘案すれば、専念寺像の制作時期は11世紀前半の第二四半期と推定することが出来る。 技法的には古式を示し、様式的には時代の特色を素直に反映した作風であり、市内に残る優れた平安彫刻の一つである。」
と解説されています。

私には、プレ定朝様の平安中期、古様な技法を留める像のように感じましたが如何でしょうか。

大阪市指定文化財HP・木造十一面観音菩薩立像(専念寺)ページにも、詳しい解説が掲載されていますのでご参照ください。

一度は拝してみたい、ちょっと興味深い平安古仏だと思います。


  
        
同時に公開される専念寺・阿弥陀如来像、大日如来像(共に平安時代・大阪市指定文化財)






●神奈川県立金沢文庫で関東最古級木彫「勝林寺・釈迦如来像」が初の特別公開(7/20〜9/17)  (2018年8月7日)


神奈川県横浜市金沢区の県立金沢文庫で、関東最古級木彫といわれる勝林寺・釈迦如来坐像が、期間限定で初の特別公開がされています。

  
        
東京都豊島区 勝林寺・釈迦如来像(平安前期・区指定文化財)



特別公開期間は、2018年7月20日(金)〜2018年9月17日(月・祝)です。
詳しくは、
県立金沢文庫HP特別公開紹介ページをご覧ください。

勝林寺は、東京都豊島区駒込にある臨済宗妙心寺派のお寺です。
勝林寺・釈迦如来像は、平安前期、9世紀に遡る関東最古級の木彫像とみられている像です。
お寺では、普段、公開されておらず、拝観が叶いませんので、あまり知られていない平安前期一木彫像ではないかと思います。
今回の金沢文庫での展示が、初公開になるものです。

像高50.5p、内刳りのない一木彫像です。
1993年に、豊島区の区指定文化財に指定されています。

金沢文庫の特別公開紹介ページには、次のように解説されています。

「勝林寺の本尊釈迦如来坐像は、平安時代前期(9世紀前半)に遡る関東最古級の木彫像である。
重厚な表情をみせる大きな頭部、力強い厚みのある体躯、膝前などの翻波式の深い衣文は、平安時代初期彫刻としての特徴と魅力を存分にうかがえる。
これは平安時代初期彫刻の名品として著名な国宝元興寺薬師如来立像を縮小し、坐像に改変したような姿ともいえる。
おおよそ製作環境も元興寺像と近く、本来は畿内に存在した奈良時代以来の官営工房の系譜と伝統を引き継ぐ工房で製作され、近世以前に勝林寺にもたらされて本尊とされたものとみられる。」

関東では、箱根神社・万巻上人像が平安木彫の最古の像(9C)といわれています。
勝林寺像は、元々、畿内制作の移入像とみられるものの、万巻像に並ぶ平安前期制作像ということです。

また、像容で注目されるのは、左足先まですっぽりと衲衣で包む形式です。
このスタイルは、唐の影響を受けた天平後期の形式を継承しているとみられています。
天平期〜平安前期の如来像では、唐招提寺・廬舎那仏像、京都和束町薬師寺・薬師如来像、蟹満寺・阿弥陀如来像、大阪獅子窟寺・薬師如来像が、すっぽりと衣で足先を包んだ像として知られています。
このスタイルを見ても、奈良様を継承する平安前期の古像であることが知られるのではないかと思います。

  
   
左足先まですっぽり衲衣で包む形式の如来像〜(左から)唐招提寺・廬舎那仏像、京都和束町薬師寺・薬師如来像、蟹満寺・阿弥陀如来像、大阪獅子窟寺・薬師如来像



今回の金沢文庫での初公開写真をみて、ちょっとびっくりしたのは、以前に写真で見た、勝林寺・釈迦如来像の写真と、見た目が随分と違ったことです。
以前の写真(「豊島区の仏像」2000年刊掲載写真)は、顔部、肉身部がべったりと漆箔で覆われていたのですが、今回の公開写真では、その部分が素地の古色に変わっています。
その分、ちょっと鈍さを感じた造形だったのが、シャープな厳しさが前面に出て、平安前期彫刻の魅力が大幅に増したように思います。
2016年度に、豊島区から保存修理事業の補助金が交付されていますので、この時に、修理修復が行われて、後世の漆箔がはがされたのではないかと思います。

  
        
(左)修理修復前の勝林寺・釈迦如来像〜肉身部が漆箔されている   (右)今回展示の像〜肉身部が素地古色となっている



この勝林寺・釈迦如来像、私は、未だに拝したことがありません。
「豊島区仏像彫刻調査報告書〜豊島区の仏像」(2000年刊)で、注目の9世紀像として詳しく紹介されており、一度、拝してみたい、懸案の仏像だったのですが、これまで拝観チャンスがありませんでした。

今回の、金沢文庫での初の特別公開は、見逃すことが出来ません。
じっくり、眼近に観ることが出来るのを、愉しみにしています。






●小浜市・福井県立若狭歴史博物館で、谷田部区・薬師如来像が特別公開(8/1〜9/2)  (2018年8月4日)


福井県小浜市の若狭歴史博物館で、小浜市谷田部区蔵の薬師如来坐像(平安後期・県指定文化財)が、期間限定で特別公開されています。

この薬師如来像が、博物館で一般公開されるのは、 「今回が初めて」 ということです。

特別公開期間は、2018年8月 1日(水)〜2018年9月 2日(日)です。
詳しくは、
若狭歴史博物館HP特別公開展示紹介ページをご覧ください。

この薬師如来像は、谷田部区蔵となっていますが、同地の若宮八幡神社の薬師堂本尊として祀られているものです。
平安後期(12C)の制作、像高142pの大型像で、正中前後の竪4材矧の寄木造、県指定文化財に指定されています。
いかにも平安後期、藤原風の薬師坐像です。

  
        
矢田部区蔵・薬師如来坐像(平安後期・県指定文化財)   と   薬師像が祀られる若宮八幡神社(薬師堂)



福井県史(資料編14・1989刊)によると
「像容全体の形には、肥瘠(ひせき)の感がなく、肉付きも中庸を得ていて、法量の割合に軽やかな感じを与える。
・・・・・・・・・
本像はローカル性豊かな地方作像であるが、その彫成の手法等から見て、平安時代後期のものとみられる。」
と、解説されています。
若狭小浜デジタル文化財HPにも、薬師像の解説ページがありますので、ご参照ください。

若狭歴史博物館では、若狭地域の仏像を広く紹介するため、定期的に特別公開の仏像展示が行われています。
今回公開された谷田部区・薬師如来像は、毎年秋に開催される「みほとけの里〜若狭の秘仏/文化財特別公開」の時にも公開されることもあるようですが、今回は博物館での展示ということで、じっくりと眼近に観ることが出来る機会ではないかと思います。






●長野・瑠璃光寺 薬師如来像、13世紀中頃「慶派」作か〜調査で判明(5/8)  (2018年5月19日)


長野市稲葉にある瑠璃光寺薬師堂の薬師如来坐像が、鎌倉時代の「慶派」によって13世紀中ごろに作られたとみられることが、長野市立博物館の調査で判明したということです。

本像は、像底が「上げ底式内刳り」で造られており、運慶一門の作風を連想させるものがありす。
X線調査によると、頭部には、銘文が書かれているとみられる四角形の影があったことも判明したとのことです。
慶派の仏像は、長野県内では数件しか確認されていません。

  
        
瑠璃光寺薬師堂・薬師如来坐像 と 「上げ底式内刳り」がされている同像の底部



産経新聞は、このニュースを

「瑠璃光寺薬師如来座像、13世紀中頃「慶派」作か 貴重な文化財、一般公開を検討」

という見出しで、以下のように報じています。

「同連絡会(注記:地元住民組織「千田連絡会」)は平成28年、「御前立」と呼ばれるこの座像の来歴が不明なため、「学術的なことを知りたい」と、同博物館に調査を依頼した。

調査の結果、座像は、端正な顔立ちで目が切れ長なうえ、衣のひだの波が穏やかなことが分かり、「慶派の可能性が高く、13世紀中頃に作られた可能性が高い」(同博物館)という。底面が削り込まれていたことも、慶派の特徴的な作風とみられる。
同時に実施したX線調査では、眉間近くにくぎのような円錐(えんすい)形の影と四角形の影が確認された。
四角形の影は札銘で座像の作者を記した銘文が入っていることも考えられるとしている。

県内で確認された慶派の仏像は、諏訪湖周辺の数例しかなく、同博物館の竹下多美研究員は「長野市にとって貴重な文化財だ」と指摘する。」
(2018.5.9付 産経新聞WEBニュース)

寺を管理・運営する地元住民組織は今後、一般公開を検討しているということです。






●CTスキャナ調査で、法華寺・文殊菩薩像(鎌倉)内部に大量納入品を確認(5/8)  (2018年5月13日)


奈良市法華寺町・法華寺の、鎌倉時代(13C)作の文殊菩薩坐像の内部に、舎利容器や巻物類など180点にも及ぶ大量の納入品が納められていることが、奈良国立博物館によるX線CTスキャナを用いた調査で明らかになりました。

奈良国立博物館は、2018年5月7日、その概要についてのプレスリリースを行いました。
法華寺・文殊菩薩像は、鎌倉時代の制作で、本堂内東端の脇の間に安置されている騎獅像です。
平成24年〜27年(2012〜2017)に実施された、ファイバースコープ、X線投下撮影などの調査で、大量の像内納入品が存在することは判明していましたが、本年2月、最新導入のCTスキャナ調査が実施され、納入品の形状や納入状況が、映像で明らかになったということです。
調査、判明内容の概要については、奈良国立博物館・
報道発表資料「文殊菩薩坐像(法華寺蔵)の特別公開について」をご覧ください。
納入品状況が判るCTスキャン画像が、いくつか掲載されています。

  
        
法華寺・文殊菩薩坐像(鎌倉時代) と CTスキャン画像〜舎利容器や巻物などの納入品の状況が判る



新聞各紙は、

「法華寺の菩薩像、内部に巻物や紙の束が180点」とか「納入品ぎっしり180個 - 法華寺・文殊菩薩坐像」

といった見出しで、このニュースを報じています。

読売新聞は、このニュースをこのように報じています。

「像は木造で高さ73センチ。
頭部に仏陀の舎利(遺骨)を納めたとされる舎利容器や巻物など約30点、胴部には約150点の巻物や紙の束などがあった。
取り出された形跡はなく、制作時に納められたとみられる。
こうした像内納入品は平安末期以降に多く見られ、他の例から紙の束には制作に関わった人々の名前などが書かれている可能性がある。
法華寺は奈良時代に光明皇后(701〜760年)が創建、鎌倉時代に高僧・叡尊(1201〜90年)が再建した。
同寺は当面、納入品を取り出す予定はないといい、樋口教香(きょうこう)住職は「大切に後世に伝えたい」と話している。
文殊菩薩坐像と内部の画像は8〜27日、同博物館・なら仏像館で特別公開されている。」
(2018.05.08読売オンラインニュース)

この新聞報道にもあるように、この法華寺・文殊菩薩像は、奈良国立博物館・なら仏像館で、期間限定で特別公開され、CTスキャン画像なども展示されるということです。

特別公開期間は、5月8日(火)〜5月27日(日)です。

近年は、従来のX線透過撮影による解析だけではなく、CTスキャン調査が折々に実施されるようになり、仏像の内部・胎内の状況や、納入物の形状などが、飛躍的に詳細かつ明確に確認されるようになってきました。
運慶作といわれる、光得寺大日如来像や真如苑・大日如来像のCTスキャン画像は、皆さん良くご覧になったことがあると思いますし、昨秋の運慶展に際しては、六波羅蜜寺・地蔵菩薩像や、興福寺・無著世親像、南円堂・四天王像のCTスキャン調査が行われ、納入物の状況や、内部構造などの詳細が判明しました。
また、興福寺・阿修羅像のCTスキャン調査の結果の、いくつかの驚きの新事実判明も記憶に新しいところです。

これからも、CT調査の実施によって、ビックリの新事実が続々判明しそうな気がします。






●半蔵門ミュージアムがオープン・運慶作大日如来像を展示(4/19)  (2018年4月21日)



真如苑(東京・立川市)所蔵の仏教美術を一般に公開することを目的とした文化施設「半蔵門ミュージアム」が4月19日、新たにオープンしました。

ミュージアムの概要や、利用案内については、
半蔵門ミュージアムHPをご覧ください。

皆さん大変よくご存知の、運慶作と推定されている真如苑蔵・大日如来像(重要文化財)が、展示されます。
そのほかの仏像としては、不動明王坐像(鎌倉時代・重要文化財)、ガンダーラ仏伝図浮彫などが展示されているようです。

今更ご紹介するまでもなく、真如苑蔵の大日如来像は、2006年に山本勉氏の調査等により運慶作品と推定されることが発見され、その後、個人の所蔵者が、この像をニューヨークでオークションに出品、12億8千万円という巨額で落札されて、世間の注目を集めた像です。

これまでも、折々、東京国立博物館などに出展されていましたが、これからは、半蔵門ミュージアムで、常時、観ることができるようになるようです。

  
        
(左)真如苑蔵・大日如来像(鎌倉・重文)〜推定運慶作            真如苑蔵・不動明王像(12〜13C・重文)     .



比較的小規模のミュージアムのようですが、入館無料で一般公開され、シアターも併設されています。
(現在は、「大日如来坐像と運慶 祈りと美、そしてかたち」を上映中)






●平成30年の新指定・国宝重要文化財が発表〜彫刻は13件(3/9)  (2018年3月17日)


平成30年の新指定、国宝・重要文化財について、文化審議会により答申され、新たに5件が国宝に、50件が重要文化財に指定されることとなりました。

彫刻では、三十三間堂・蓮華王院の千手観音像1001躯と、興福寺の四天王像(南円堂原所在・康慶作)の2件が、新国宝指定となりました。
重要文化財指定となったのは11件です。

新指定となる国宝・重要文化財のうち、仏像(彫刻)の一覧リストは、次の通りです。

 



詳しい答申内容は、文化庁HP・
文化審議会答申〜国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定について〜ならびに解説ページをご覧ください。
詳しい指定事由解説と写真図版が掲載されています。

「蓮華王院・千手観音像1001躯」の国宝指定は、指定事由解説によると、
「45年に及ぶ保存修理が終了したのを契機として国宝に指定する。」
ということです。
三十三間堂ご本尊の湛慶作・千手観音座像、風神雷神像、二十八部衆像(ともに鎌倉時代)は、すでに国宝に指定されています。
これで堂内の主要仏像は、全部、国宝に指定されたことになります。

  

蓮華王院三十三間堂・千手観音像



興福寺の四天王像の国宝指定は、
「やはり、国宝に指定されたのか。予想通りという処か。」
というのが、率直な感想です。
指定事由解説によると、
「この像は本来安置されていた南円堂に再び戻ることとなった。それを一つの契機としてこのたび,南円堂の仏像の中で唯一国宝となっていないこの像を国宝に指定する。」
ということです。
ご存知の通り、近年の研究により、この四天王像は、康慶作で南円堂原所在像であることが明らかにされていますが、この2月に仮金堂から原所在の南円堂に移されたことを機に、国宝指定されたようです。

  

興福寺南円堂・康慶作四天王像(2月までは仮講堂に安置)



重要文化財への新指定については、11件が幅広く指定されています。
なかでも、興味深く特筆される新指定重要文化財は、教王護国寺の四天王像の再指定です。

この四天王像は、東寺の食堂に千手観音像とともに安置され、(旧)国宝の指定を受けていましたが、昭和5年(1930)12月に、食堂が火災にあい、激しく焼損したため、国宝指定が解除されました。
(千手観音像の方は損傷程度が軽かったため、その後修復され、現在、重要文化財となって言います。)

平成6〜9年に、焼損状況のまま樹脂硬化の処置がなされて保存されていましたが、
「保存修理が行われて20年以上が経過し,現状が良好なことから今後の保存維持の見通しが立ったと判断し,重要文化財に指定する。」
ということです。
国の文化財指定の返り咲きという、大変珍しい事例となりました。
四天王像は、10世紀初頭の制作で、焼損状態の姿を見ても,なかなか立派で堂々たる像です。

  

東寺教王護国寺食堂・四天王像(現在の姿〜焼損後、修理保存)

  

東寺教王護国寺食堂・四天王像(昭和5年火災焼損前の撮影写真)



毎年、東京国立博物館で開催される「新指定国宝・重要文化財展」は、平成30年4月17日(火)から5月6日(日)となるようです。
出展仏像が決定しましたら、あらためて本HP「展示会」でお知らせいたします。






●安祥寺・五智如来像(京博寄託)が平成知新館名品ギャラリーに展示(1/2〜)  (2018年1月13日)


かつて京都国立博物館の仏像展示の顔ともいえる展示で知られていた安祥寺・五智如来像が、京都国立博物館・平成知新館の名品ギャラリーに1月から展示されることとなりました。

展示内容については、京都国立博物館HP・
名品ギャラリーページをご覧ください。

以前の京都国立博物館の旧平常展示館では、入ってすぐの正面に、安祥寺五智如来像が並んで展示され、「京博の顔」とでもいうべき存在であったことを覚えていらっしゃる方は、多いことと思います。
平成21年(2009)に旧平常展示館が建て替え工事に入ってからは、その姿を観ることが出来なくなっていました。

平成26年(2014)の平成知新館竣工後は、国宝になった大阪・金剛寺の大日如来像と不動明王像の二体の巨像が、彫刻展示室の正面にドーンと展示されていましたが、先般の「国宝展」を最後にお堂の修理を終えたお寺に戻りました。

これに替わって、修理を終えた安祥寺の五智如来像が、5体揃って彫刻展示室に展示されることとなりました。

安祥寺五智如来像は、山科安祥寺を開山した入唐僧・恵運(798-869)の造像で、いわゆる承和様式に連なる850年代の制作とされ、平安前期の彫刻史上、重要な位置を占める仏像です。
この仏像を再び見ることが出来るのは懐かしく、また嬉しいことです。

今後は、以前同様に京博の顔として、普段は彫刻室に展示されることでしょう。


  
        
かつての京都国立博物館・旧平常展示館に展示されていた頃の安祥寺・五智如来像(9C・重文)と、中尊像






●室生寺弥勒堂の釈迦如来坐像、弥勒菩薩立像が奈良博で展示中(10/3〜)  (2017年11月5日)


室生寺弥勒堂に安置されている、本尊・弥勒菩薩立像と客仏・釈迦如来坐像が、現在、奈良国立博物館の「なら仏像館」に展示されています。

室生寺弥勒堂は、2017年7月20日〜2019年3月末までの期間、全面改修工事を実施中ですが、その間、本尊・弥勒菩薩像と釈迦如来像は、奈良国立博物館に寄託されることとなっています。
現在「なら国宝館」に、寄託中の二像が展示されています。

2017年10月3日から展示中ですが、いつまで展示されるのかは未定のようです。
少なくとも、秋冬の展示期間(10/3〜1/8)は、間違いなく展示されると思います。
秋冬のなら仏像館展示仏像は、奈良博HP
「名品展・珠玉の仏たち〜出陳一覧」をご覧ください。

皆さんご存知のとおり、弥勒菩薩像(像高:94p)は、8〜9世紀制作の檀像様像で重要文化財、釈迦如来坐像(像高:106p)は、9世紀後半の優作で国宝に指定されています。
とりわけ、釈迦如来坐像は、土門拳をはじめ著名仏像写真家が、魅力的な写真を撮っており、大変人気の高い仏像ではないでしょうか。

  
    
室生寺・弥勒菩薩立像(8〜9C・重文)                              室生寺・釈迦如来坐像(9C・国宝)                    .



これら二像は、室生寺では、弥勒堂の外からの拝観となっていて眼近に拝することが出来ませんが、なら仏像館の展示では、ライティングされた中で、眼近にじっくり観ることが出来るとのことです。

現在、奈良仏像館では、このほかに、室生寺の十二神将像(鎌倉・重文)のうち辰・未神の二像、帝釈天坐像(9〜10C)、新発見の二天王像(9C)が展示されており、ちょっとしたミニ室生寺展のようになっているようです。






●福井越前「泰澄・白山信仰ゆかりの神仏」特別公開イベント開催 (10/21〜11/26)  (2017年10月21日)



福井県越前エリアでは、今年が、泰澄の白山開山から1300年の記念年となることから、泰澄・白山信仰に関連するイベントが開催されます。

「泰澄・白山信仰ゆかりの神仏」の諸社寺特別公開、各種バスツアーや、博物館の企画展など、興味深いイベントが盛りだくさんです。

具体的な開催プログラムは、福井県HP・
白山開山1300年「泰澄・白山信仰ゆかりの神仏」特別公開ページに、詳しく掲載されていますので、ご覧ください。


なかでも大変興味深いのは、

【「泰澄・白山信仰ゆかりの神仏」の諸社寺の神仏の特別公開】

です。

普段は拝することの難しい、越前の多くの古神仏が、期間中随時公開されます。
公開寺社の神仏像、公開期間はごらんのとおりです。

  



越前エリアのこれだけ沢山の古神仏が、一挙に特別公開されるというのは、今回が初めてのことではないかと思います。

詳しい公開内容、連絡先等は、HP掲載のこちらの【パンフレット】をご覧ください。


福井県の仏像については、小浜を中心とする「若狭地方の仏像」は、大変よく知られているとおりです。
羽賀寺、多田寺、明通寺、妙楽寺、加茂神社などなど、すぐに思い浮かばれることと思います。

同じ福井県でも、もう一つの「越前地方の仏像」については、知られていないのではないでしょうか?

白山信仰と共に造像された見どころある平安古仏等が、いろいろ残されているのですが、採り上げられることが少ないようです。
昨年(2016年)10〜11月に、福井市立郷土歴史博物館で、 特別展「福井の仏像〜白山を仰ぐ人々と仏たち〜」 が開催され、越前にのこる見どころある平安古仏の多くが一堂に会しました。
本展覧会開催で、愛好者の中で「越前の仏像」が、大いに注目されるようになったのではないかと思いますが、今回の「泰澄・白山信仰ゆかりの神仏」特別公開では、展覧会に出展されなかった見どころある神仏像が公開され、一見の価値あるものです。

私は、昨年「福井の仏像展」に合わせて、今回特別公開の仏像の中で、いくつかの越前の社寺の仏像を訪ねました。

そのなかで、とりわけ、印象深く、思い出深かった仏像は、
大谷寺・三所権現像、 朝日観音福通寺・聖観音像、 日野山十五社・大日阿弥陀二像、 樺八幡神社・諸像
でした。

  
        
.      大谷寺・三所権現像               朝日観音福通寺・聖観音像         日野山十五社・大日如来像


これらの社寺・仏像は、観仏日々帖「2016年・今年の観仏を振り返って〈その4〉」に、探訪記と仏像写真を掲載していますので、ご覧いただければと思います。

この機会に、「知られざる越前の仏像探訪」に出かけて観られるのは如何でしょうか。


この期間、関連の展覧会として、次のような特別展が、博物館各所で開催されています。

  



福井県立歴史博物館の特別展「泰澄〜白山信仰における意義を探る〜」には、平泉寺観音堂・聖観音像が出展されます。
比叡山横川中堂の聖観音像を思わせる、穏やかで気品漂う、平安後期の美しい仏像です。

  
       
                        平泉寺観音堂・聖観音像  


なお、若狭地方の「みほとけの里 若狭の秘仏/文化財特別公開」は、毎年恒例となっていますが、今年も、9月16日(土)〜11月26日(日)の期間、特別公開中です。
詳しくは、福井県HP・みほとけの里 若狭の秘仏/文化財特別公開ページをご覧ください。






●「大阪の歴史再発見」非公開文化財特別公開で「地蔵寺仏像群」が公開(10/8〜10)  (2017年9月23日)


地蔵寺
大阪市住吉区墨江の地蔵寺の仏像群が、特別公開されます。
仏像群中、本尊・地蔵菩薩像は、興味津々の平安古仏一木彫像のようです。

特別公開期間は、2017年10月8日(日)〜10月10日(火)です。
詳しくは、大阪市HP・『大阪の歴史再発見』 非公開文化財
「地蔵寺仏像群」の特別公開ページをご覧ください。

近年、大阪市教育委員会では「大阪市の歴史再発見」と題し、いろいろな文化財についての見学会、講演会が、精力的に開催されています。
昨年は、普段非公開の大阪市中央区の「三津寺仏像群」の古仏が特別公開され、話題を呼びました。
今年度も、いくつかの古寺の仏像の特別公開が「大阪の歴史再発見」事業で開催されています。

今回、公開される「地蔵寺仏像群」の地蔵菩薩立像は、注目すべき平安古仏であると思い、ご紹介させていただきました。
本像は、展覧会等で公開されたことは無いと思います。

この地蔵像、私も未見なのですが、写真で見ると、なかなか魅力的で興味深い平安古仏のように感じます。
10世紀末〜11世紀前半の制作とみられているようですが、彫り口も鋭いものもあり量感も豊かで、一見の価値がありそうです。

  
        
地蔵寺・地蔵菩薩像(平安時代・大阪市指定文化財)


この像は、大阪市文化財総合調査で調査確認され、平成11年度(1999)に大阪市指定文化財に指定されています。
詳しくは、大阪市指定文化財HP・木造地蔵菩薩立像(地蔵寺)ページをご覧ください。

ご関心のある方は、是非お出かけください。





●金沢西光寺で鳥取大山寺・小金銅仏観音像(重文)の兄弟仏発見(8/24)  (2017年9月2日)


金沢市暁町の西光寺が保管してきた小金銅仏観音像が、鳥取県大山町の大山寺所蔵の重要文化財「銅造十一面観音立像」と酷似することが判明しました。

帝塚山大(奈良市)の杉崎貴英准教授等の調査で判明したもので、杉崎氏によれば
「『兄弟仏』の可能性がある。まるで双子のようだ」
とのことのようです。

大山寺には、重要文化財の小金銅仏観音像が4躯残されていますが、西光寺像と兄弟仏かもしれないとされているのは、十一面観音像(像高28.7cm)で、白鳳期の制作とみられているものです。
この十一面観音像は、「文和元年(1352)に出土し、大山を御神体とする大神山神社の末社・下山神社の御神体とした」と伝えられる像です。

       
兄弟仏とみられる小金銅仏観音像〜(左)西光寺像、(右)大山寺像         大山寺・金銅「十一面観音像」(重文・白鳳時代)     .



兄弟仏像の発見を報じた「北陸中日新聞」記事は、「秘仏 重文の兄弟像か 金沢 西光寺で明治から保管」という見出しで、その来歴と発見経緯について、このように報じています。

西光寺金銅仏像の調査の様子
「もともとは富山県にあったもので、中條けん山住職(81)は
『祖母が明治25(1892)年に宮島村(現小矢部市)から嫁いできた際、実家から持ってきたと伝えられています』
と話す。
それ以外の来歴は、はっきりしないようだ。

立像が富山県に縁があることを知った富山考古学会が5月に調べ、その内容を親交のある杉崎氏に連絡したところ、外見が十一面観音立像に似ているという指摘を受けた。

杉崎氏は二十三日、西光寺を訪れ、3Dプリンターで製作した十一面観音立像と西光寺の立像とを比較した。
『巻きスカートの帯の先端が足よりも下に伸びているのも同じ。 腕の太さや胸飾りなど細かい違いはあるが、酷似している。
論文によれば、全国に兄弟仏は十数例あるとされるが、ここまで似ているのは珍しい』
と杉崎氏は驚きを隠せない様子だった。」

大変よく似た仏像や、一対の脇侍像が離れ離れになったりして、遠く離れたところに在るという例は、間々ありますが、今回の二つの金銅仏像も、もともとは同じところに在ったものなのでしょうか?


「兄弟仏」というのは、どのような場合にあてはまるのか、その定義が、勉強不足でよく判りません。
像容など酷似していれば、「兄弟仏」と呼ぶのでしょうか?
それとも「兄弟仏」とされるには、必要な要素、条件などがあるのでしょうか?





●静嘉堂文庫・十二神将像から運慶没後、安貞2年(1228)の体内銘発見(7/17)  (2017年7月29日)


近年、運慶作品ではないかと話題になっていた、旧浄瑠璃寺伝来の静嘉堂文庫・十二神将像の1躯から、運慶没後5年にあたる安貞2年(1228)とみられる、墨書きが発見されました。

平成28年度に修理調査した「亥神像」の、ファイバースコープによる像内合成映像の解析によると、像内頭部に「あんてい二ね・・」と判読できる墨書が残されていたということです。

この十二神将像については、近年(2012)、「体内に運慶銘があるのを発見した」とする明治年間の新聞記事が存在することが明らかにされ、俄然、「運慶作品の新発見か?」と、大きな話題になっていたものです。

静嘉堂文庫美術館所蔵の7躯は、平成25年度から、順次、修理調査が行われ、「運慶銘」が発見されるのではないかと、期待が膨らんでいました。
27年度までに修理された5躯からは、体内墨書銘は発見されませんでしたが、28年度修理の最後の2躯の一つから、「安貞2年銘」が発見されたということです。

運慶の没年は、貞応2年(1223)とされていますので、この墨書を信用すると、この十二神将像は、運慶が没した5年後に、運慶工房によって制作されたという見方になろうかと思われます。

   
像内頭部から墨書が発見された浄瑠璃寺伝来静嘉堂文庫蔵・十二神将像「亥神像」と、発見墨書の略図(静嘉堂作成)



7月12日付け産経新聞は、体内墨書発見を、

「重文『木造十二神将立像』、運慶作じゃなかった?」

という見出しで、このように報じています。

鎌倉時代の仏師、運慶の作品ではないかと仏像ファンらの間で話題になっていた国の重要文化財「木造十二神将立像」(全12体)の1体から、運慶の没後5年に当たる安貞2年(1228)とみられる墨書きの文字が見つかり、運慶作品と確定できなかったことが分かった。

所蔵する静嘉堂文庫美術館(東京都世田谷区)は、
「墨書は運慶没後のものだったが、この像が安貞2年ごろに制作された可能性が高まり、学術的に大変有意義な発見」
としている。

美術館によると、十二神将立像は同館が7体、東京国立博物館(台東区)が5体を所蔵。
運慶が棟梁を務めた「慶派」の優れた作品として知られていたが、運慶が関与したかは不明だった。

転機は平成24年。
12体のうちいずれかの像の内部に「上坊別当執筆、大仏師運慶」との銘文があったことを報じる明治35年の新聞記事を発見したとの論文が発表された。
以来、専門家や仏像ファンの間で、運慶本人の作品かもしれないと話題になっていたという。

そうした中、美術館は平成25年度から順次、所蔵する7体の損傷の修理に着手。
銘文の手がかりがないか、像内部の空洞にファイバースコープを入れて撮影するなどの調査も行った。
このうち28年度に修理・調査した「亥神像」の内部画像を合成、解析した結果、像内の頭部に「あんてい二ね八月」「あんてい二ね九月十七口(日)」と判読できる墨書が確認された。

墨書が制作年を示しているかなどの確実な情報がなく、運慶の関与も依然として判明しないが、論文を発表した神奈川県立歴史博物館の学芸員、神野祐太さん(32)は、
「制作年代の特定に近づく資料の一つで、彫刻史的に意義がある発見」
と評価する。

一方で、神野さんは
「(運慶の)銘文が出ればいいなと思っていた」
と残念さもにじませた。
新聞記事の銘文は、大正時代に国宝に指定された木造不動明王立像などの運慶の銘と書式が似ているといい、神野さんは、
「明治時代の記事は実物を見ていないと書けないのではないか。銘文が残りの中に入っている可能性を捨てたくない」
と話している。


この浄瑠璃寺伝来の十二神将像が、運慶作品ではないかという説が急浮上したいきさつや、神野雄太氏の発表論文の概略については、本HP、
「運慶仏発見物語【その9−10】」
に、簡単にまとめて掲載したことがありますので、そちらをご覧ください。

また、静嘉堂文庫美術館HP・「お知らせ」に、「重要文化財「木造十二神将立像」の像内墨書について」と、墨書発見に至った調査内容の概略が、発表されています。
修理調査の内容、墨書の解析映像、発見部分像内略図などが、大変詳しく掲載されています。


東京国立博物館に分蔵されている5躯については、未だ、体内の調査が行われていませんので、確たることは言えませんが、浄瑠璃寺伝来の十二神将像は、「運慶没後の早い時期の工房作品」ということで、落ち着きそうな感じです。

なお、この秋、東京国立博物館で開催される「運慶展」(9/26〜11/26)には、静嘉堂美術館所蔵像、東博所蔵像、合わせて12躯が勢ぞろいして展示されるということです。





●佐賀市・東光寺で県内最大級平安仏発見(6/11)  (2017年6月18日)


佐賀市本庄町の東光寺で、厨子内に秘仏として守られていた薬師如来像が、平安後期の制作の約170pの一木造りの像であることが、判明しました。
黒く焼け焦げ、欠失部もあるなど、かなり焼損しているようですが、佐賀県内最大級の平安古仏の発見だということです。

この発見を報じた佐賀新聞には、このように記事が掲載されています。

厨子の窓から姿が見える、東光寺・薬師如来像
「佐賀市本庄町の東光寺で、約千年前の平安時代後期に制作されたとみられる黒く焼け焦げた薬師如来像が厨子に保存されていたことが分かった。
高さが169.5pあり、同時代の仏像としては佐賀県内では最大級の大きさとなる。
佐賀藩藩祖・鍋島直茂(1538〜1618年)も戦勝祈願をしたという寺で、直茂の娘たちによる厨子の再建から400年の節目を迎え、18代住職の三浦祥善(しょうぜん)さん(68)が開帳し見つかった。

薬師如来像はケヤキを彫ったとみられる一木造り。鑑定した県立博物館の竹下正博学芸員は
『焼け落ちた腕なども当時の人々の手で保存してあることから、霊験あらたかな仏像として大切にされていたことが分かる』
と話す。
竹下学芸員によると、薬師如来像は頭があまり大きくなく、体つきのバランスが良くて薄いのが平安時代の流行と一致する。
木が湿気などでゆがみひび割れることを防ぐため、頭と背中に長方形の穴を開けて内部をくりぬく方法も平安の技術という。
焼損前は180センチの高さだったとみられ、巨大な一木造りが後年に作られる例は少ない。

・・・・・・・・

厨子は高さ約2m、約幅1.5m、奥行き約1m。
竹下学芸員と檀家の井上敏幸佐賀大名誉教授が小窓を開けて入り調べた。
内部には薬師如来像のほか、室町時代末から江戸時代ごろの日光菩薩像、月光菩薩像、十二神将像も見つかった。
三浦住職は
『こんなに大きな仏像だったとは驚いた。厨子の窓はお盆すぎまで開けて、皆さんに見てもらいたい』
と話している。」

新聞掲載の写真しか、この薬師像の写真がありません。
かなり焼損摩耗していて、当初の像容をはっきりつかむことが難しそうですが、十分に内刳りが施された平安後期の一木造りの像であろうかと見受けられます。





●春日井市・退休寺の阿弥陀像から久安2年(1146)造立の墨書発見(5/17)  (2017年5月27日)


愛知県春日井市大泉寺町にある退休寺の本尊、阿弥陀如来坐像から像内墨書が発見され、造立年が、平安時代末期の久安2年(1146)であることが判明しました。

       
退休寺・阿弥陀如来坐像と胎内から発見された墨書銘〜一番左に久安2年の墨書がある



本像の発見について、中日新聞は「阿弥陀像1146年造立、平安期県内最古級 春日井・退休寺」という見出しで、次のように報じています。

「春日井市大泉寺町の退休寺(牛田元昭住職)の本尊・木造阿弥陀如来坐像が、久安2(1146)年に、尾張国府があった「中嶋郡」(現在の一宮市など)で作られたことが、像内で見つかった銘から分かった。

現存する平安期の在銘像としては県内最古級。銘が残る上、衣紋などに地域色があり、県内の仏教美術史研究の貴重な発見だ。
 像は割矧ぎ造り(一本の木で彫った後、割って内部をくり抜き、継ぎ戻す手法)で、高さ約82センチ。
昨年からの本堂改修に伴う修理の際、像内部に墨書の銘が見つかった。
造像年のほか造立地「尾張国中嶋郡北条鴾嶋郷」(現在の一宮市時之島付近)、発願者「僧永澄」「賀茂氏愛子」などの名を記している。

 調査した小野佳代・東海学園大准教授によると、「永澄」は「東大寺文書」に名が残る東大寺僧の可能性がある。「賀茂氏愛子」は不明だが、隣接する美濃国の賀茂一族との関連が考えられる。
 像は、当時の中央仏師による定朝様式の如来像と比べ、正面の衣の垂れ方(U字型)が浅く、足の下に衣を挟み込んでいる点などに特徴がある。
同じ特徴は犬山市の薬師寺の本尊・薬師如来像(国重要文化財、平安)にもみられ、『地域在住の仏師による独自のアレンジだったのではないか』(同准教授)という。
・・・・・・・・・」(2017.5.17付、中日新聞)

ちょっと独特の風貌をした、いかにも藤末鎌初という感じの阿弥陀坐像です。
銘記に、仏像造立地とある「尾張国中嶋郡」は、現在の稲沢市一円の地域で、このあたりには、平安後期から鎌倉時代ごろの仏像が数多く残されています。
仁安2年(1167)頃造立で玉眼嵌入像として知られる、七ツ寺・観音勢至坐像(重要文化財)も、元稲沢にあったお寺です。
稲沢地区は、仏像好きには、興味深い地域と云えるでしょう。
稲沢の仏像については、椙山女学園大学文化情報学部による
「地域文化・仏像バーチャルミュージアム」という動画HPが開設されており、大変参考になります。

なお、本像の墨書銘発見等等々、その詳細については、「東京国立博物館研究誌・MUSEUM667号」(2017年4月刊)に、
「資料紹介 愛知県春日井市・退休寺の久安2年銘阿弥陀如来坐像」
という詳しい論考が、山本勉氏・小野佳代氏の共同執筆で掲載されています。
ご関心のある方は、こちらをご覧になってください。





●平成29年の新指定・国宝重要文化財が発表〜彫刻は7件(3/10)(2017年3月18日)


平成29年の新指定、国宝・重要文化財について、文化審議会により答申され、新たに7件が国宝に、37件が重要文化財に指定されることとなりました。

彫刻では、深大寺・釈迦如来倚像、法華寺・維摩居士坐像、天野山金剛寺・大日如来坐像、不動降三世明王坐像の3件が、新国宝指定となりました。
重要文化財指定となったのは4件です。

新指定となる国宝・重要文化財のうち、仏像(彫刻)の一覧リストは、次の通りです。


       


詳しい答申内容は、文化庁HP・
文化審議会答申〜国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定について〜ならびに解説ページをご覧ください。
詳しい指定事由解説と写真図版が掲載されています。

今回は、なんと仏像彫刻が一気に3件も国宝指定となり、ビックリしました。

深大寺釈迦如来像の国宝指定は、なるほどと納得という感じがしました。
その清明な造形は、白鳳彫刻の白眉といって良いものだと思います。

法華寺・維摩像と、金剛寺の大日如来、不動降三世明王像が国宝指定となったのは、私にはちょっと意外な感じがありましたが、文化庁の国宝指定解説で述べられているように、その造像由来や宗教的意義の重要性も含めて、国宝指定となったのだと思います。


       
深大寺釈迦如来像                      法華寺・維摩坐像


 
天野山金剛寺〜大日如来、不動明王・降三世明王像


重要文化財に指定された4件は、そのうち廬山寺・阿弥陀三尊像の他の3件は、近年新たに調査等で見出された、平安後期の仏像、神像だということです。
私も、蘆山寺の仏像以外は、その存在を全く知りませんでした。
各地の仏像は調べつくされているようで、まだまだ見知らぬ良き仏像が、何処かに眠っているようです。





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