特選情報2009
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●    山梨・慈眼寺を修復(2009年12月31日)
 山梨県笛吹市一宮町末木の慈眼寺で本堂(重文)などの修復作業を行っている。
 同寺は12世紀、武田氏の祖とされる武田信義が再興した真言宗の古刹。戦火で焼失し、慶安3(1650)年に再建されたが、長い年月を経て傷みが目立つようになっていた。
 修復作業は、国などの補助を受けて実施。本堂と寺入り口の鐘楼門を柱のみに近い状態にした上で、腐朽した部分の補修や耐震化工事を行う。庫裏のかやぶき屋根も一新する。
 本格的な修復は江戸時代に再建されて以降では初めてで、2013年3月に終了する予定。

● 奈良大和路ポスター奈良市観光協会などで販売(2009年12月30日)
 2010年の「奈良大和路仏像ポスター」が完成した。
  ポスターは、奈良県、奈良市、JR西日本、近鉄、奈良交通の5者が1954年から共同製作しており、今回で89作目。今年11月に落慶を迎えた唐招提寺金 堂の国宝・千手観音立像を写したもので、JR西日本、JR東海、近鉄の主要駅などに掲示するが、希望者に450枚限定で奈良市観光協会と県ビジターズ ビューローで販売する。

● 滋賀・玉桂寺の阿弥陀如来像が知恩院へ(2009年12月26日)
 滋賀県甲賀市の高野山真言宗・玉桂寺が所蔵する阿弥陀如来立像(重文)が、2011年の法然八百年大遠忌を前に、浄土宗知恩院に戻されることになった。
  阿弥陀如来像像高98cmの優美な像で、1974年の調査では、精巧な衣紋などが仏師・快慶の作風に近いとされ、快慶の弟子の作とも言われる。また、像内 にあった建暦2年(1212)12月24日付の願文には、法然一周忌に際し、弟子の源智が全国に呼びかけて作ったとあり、結縁のため、源頼朝ら4万人超の 名を記した文書もあった。
 浄土宗の宗祖・法然の一周忌供養で作られた像が、他宗寺院にある経緯は不明だが、浄土宗は2011年の法然八百年大遠忌を前に、「宗派草創期の仏像で重要」として玉桂寺と交渉、有償で譲り受けることになった。
 浄土宗は当面、佛教大宗教文化ミュージアム(京都市)に収蔵し、2011年に知恩院に移す予定。
 重文の仏像が他の寺に移されるのは異例だが、文化庁は保存、公開の観点から認めたという。

● 阿修羅像の素材判明(2009年12月24日)
 奈良市興福寺の国宝・阿修羅像が、地元産のニレの樹皮を混ぜた木屎漆で造られた可能性があることがわかった。
  阿修羅像は像高153.4cmで、麻布を漆で何層も塗り固め、樹皮と漆を混ぜた木屎漆で成形する脱活乾漆造という技法で造られている。これまで木屎漆に は、線香の素材に使われてきたタブノキの樹皮の粉が使われてきたと考えられていたが、乾燥後に割れやすいことなどが欠点だった。 愛知県立芸術大の山崎隆 之名誉教授らは今年3〜9月に東京、福岡で催された「国宝 阿修羅展」に合わせ、2008年から5カ月間かけて、ほぼ実物大の上半身模型を制作した。
 その際、唐招提寺の金堂の本尊で、同じ脱活乾漆造で造られた盧舎那仏坐像(8世紀、国宝)から剥落した木屎漆の断片を顕微鏡観察で調査した結果、木屎漆の中に方解石の結晶を確認され、ニレ科の落葉樹の内部に特有のものとわかった。
 山崎名誉教授らは、ニレの樹皮と水、漆を混ぜたニレ木屎を調合し、阿修羅の模型を制作すると、乾きやすい難点はあったが、粘り気があって自由な成形ができ、天平時代の乾漆像と同じ赤っぽい発色になったという。
 ニレは奈良時代に紙すきの粘着材や食材として用いられたことが知られており、奈良では現在も興福寺のある奈良公園などに見られることから、興福寺の八部衆・十大弟子像も唐招提寺の盧舎那仏と同じ材料を用いた可能性は高いという。

●  静岡・願成就院耐震工事完了(2009年12月22日)
 静岡県伊豆の国市の願成就院で、国重要文化財に指定された運慶作の仏像5体を安置する大御堂の耐震工事が終了した。
 大御堂は1961年に建てられた鉄筋コンクリート製で、運慶作の阿弥陀如来坐像や毘沙門天像などが安置されているが、耐震性が不十分で、地震の建物倒壊による仏像への被害が懸念されていた。
 耐震工事は今年4月から開始。仏像安置部分に鉄骨と鉄板で作った枠を設け、仏像の三方と天井を頑強に囲った。鉄骨や鉄板は木材で覆い、寺の雰囲気を損なわないよう配慮した。さらに、仏像の台座には地震の揺れを7分の1に軽減する免震装置も取り付けた。
 専門家の立ち会いの下、工事期間中保管していた宝物館から仏像を運び出し、大御堂に慎重に移した。
● 奈良・桜井市立埋文センター「大桜井展」(2009年12月22日)
 奈良県桜井市の桜井市立埋文センターで、纒向(まきむく)遺跡などの出土品(旧石器時代〜平安時代)を集めた「大桜井展」が開かれている。
  女王・卑弥呼(248年ごろ没)と同時代の大型建物跡が発見され、全国的に注目を集めた纒向遺跡では、全国各地から持ち込まれた土器が見つかっている。こ れらの土器を一堂に展示しているほか、大型建物跡の西側で見つかった祭祀(さいし)遺構からの出土した鶏形埴輪(4世紀)など、国内最古の出土品も約10 点含まれている。
 また、同市南西部・磐余地区の小立古墳(5世紀)の墳丘や周濠から見つかった珍しい大型木製埴輪11点や、土製の円筒埴輪も展示。
 2009年12月11日から2010年6月20日まで。

● 京都・浄瑠璃寺アライグマ被害の薬師如来坐像復活(2009年12月18日)
 京都府木津川市加茂町の浄瑠璃寺で昨年、野生化したアライグマに傷つけられた薬師如来坐像(重文)が半年間の修理を終え公開された。
 薬師如来坐像は平安時代の作とされ、像高86.4cm。ヒノキの一木造で、金や朱の彩色が施されている。
  浄瑠璃寺では2006年から境内の三重塔(国宝)や本堂(同)で、アライグマが柱をつめでひっかく被害が頻発。昨年10月には、三重塔内部の壁画や安置し てあった同像など被害が発見され、薬師如来坐像は、左右両肩と左ひざに最大3cmほどの無数のつめ跡が見つかり、台座にも割れ目ができていることが判明し た。
 ことし6月から美術院(京都市東山区)で修復をはじめ、つめ跡を剥落防止剤で補強、色づけするなどして元の姿に戻した。
 三重塔は10年度末まで修復工事が続くため、当面は本堂に仮安置し、12月19、20日と2010年1月1日〜3日に一般公開される。

● 奈良・平城宮の朱雀門、平屋単層だった(2009年12月13日)
 奈良市平城宮跡に重層門として復元された朱雀門は平屋の単層だったとする新説を、奈良文化財研究所の清水重敦景観研究室長が発表した。
  清水さんは今回の発表で、発掘調査の結果から再検討。基壇について、外装が見つからなかったのに、礎石を置いた穴がよく残っていたことなどから、重層より も単層にふさわしい高さ75cm程度の低い基壇だったと想定。さらに、奥行きの柱間が2間しかなかったことに注目。奈良時代前半以前の重層の門は奥行きが 柱間3間が普通で、2間では構造的に不安定だとし、屋根が単層構造だったと結論づけた。
 朱雀門は、皇居・平城宮の南端中央に置かれた最も重要な正門で、外国使節の歓迎や、天皇を迎えて催された正月行事の舞台となった。
  朱雀門は発掘調査の成果や法隆寺の中門など、現存する奈良時代以前の建築物、絵巻物に残る平安京の朱雀門を参考に重層と結論づけ、文化庁が1998年に復 元したが、復元建物の完成から10年以上がたち、奈良のシンボルの一つになっている朱雀門のイメージを揺るがす説で、議論を呼びそうだ。

●   京都・法住寺で後水尾天皇形見の仏像発見(2009年12月13日)
 京都市東山区三十三間堂廻り町の法住寺で、仏像を収めた厨子に「後水尾法皇の御念持仏」との由来が記されていたことが分かった。
  仏像は像高50cmの如来像で、阿弥陀堂の須弥壇西端付近の厨子に収められていた。書院の修理に合わせ、新しく完成する仏間の本尊にするため、併せて修理 していた。金箔を張った厨子の内面に墨か漆のようなもので記され、赤外線を当てると「この釈尊は後水尾法皇の御念持仏なり」の文が浮かび上がった。また天 皇の第十皇子の堯恕(ぎょうじょ)法親王が形見としてもらった、とのいきさつが記されていた。
 仏像は、丁寧に造られており、鎌倉時代の様式を取り入れた江戸初期の仏像の可能性があるという。また厨子の飾り金具に、雨露を模した文様や点線で描いた唐草文様など17世紀前半の特徴がみられ、天皇の時代と重なるという。
 仏像は書院・庫裏の落慶式に合わせ、12月20日から28日まで一般公開される。

● 興福寺南大門跡で地鎮の銅銭・ガラス玉出土(2009年12月11日)
 奈良市の興福寺南大門跡で、創建時の奈良時代初めに、土地の神にささげた銭貨・和同開珎とガラス製とみられる玉の鎮壇具が出土た。
鎮壇具が興福寺で見つかったのは中金堂などに続き7例目。奈良時代の寺院の門からは初めてという。
 鎮壇具は、須恵器のつぼ(口径約19cm、高さ約16cm)に納められ、南大門基壇中心から北の穴に埋められていた。中に土が入っていたが、X線透過撮影などにより、つぼの底で和同開珎5枚と、ガラスとみられる小玉(直径約6mm、厚さ約3m)13点が確認された。
 興福寺では明治時代、中金堂の基壇から水晶や金など鎮壇具約1500点が出土して国宝に指定され、2001年にも約300点を発見。南円堂などでも奈良 江戸時代の銅銭などが確認された。

● 長野・中条の仏像・神像を紹介(2009年12月10日)
 長野県中条村教委は、村内の仏像や神社などをまとめた冊子「中条村の神さま仏さま」を発行した。
 来年1月1日の長野市への合併を前に、仏像を中心にした身近な文化遺産を後世に伝える目的で、村民でつくる「村仏像等調査委員会」が調査し執筆した。
 村内に五つある大字ごとにまとめ、10月に県宝に指定された正法寺にある聖観世音菩立像と四天王立像や、個人所有の仏像、道端にある小さな祠なども網羅した。
 冊子はB5判で225ページ。写真も掲載し、仏像は制作年代や大きさ、材質なども記録した。
 冊子は非売品で、村内全964世帯に無料で配る。

● 後白河上皇「法住寺殿」、院政拠点の遺構出土(2009年12月9日)
 京都市東山区の京都国立博物館敷地内で、平安時代末期に権勢を誇った後白河上皇(1127〜92)が政務を執った法住寺殿の一部とみられる門や道路跡の遺構が見つかった。
 遺跡は80cm四方の柱穴跡が約4.2mの間隔で二つ出土し、その約2m東側に南北に走る幅約5.5mの道の跡が長さ約14mにわたって、確認された。
遺跡は平安後期のもので、文献などから、この場所にあった法住寺殿に関連する可能性が高く、また周囲に建物跡が見つからないため、柱穴跡は門の遺構とみられる。
 法住寺殿は、後白河上皇が院政の拠点として造営した。平安後期の日記「山槐(さんかい)記」の1161年4月13日に「境域は十余町に及び、大小約80の建物を取り壊して造られ、恨みを抱く人々も少なくない」との記述が残されている。
 広大な敷地にいくつかの院御所や寺院が建てられたとされるが、1183年、木曽義仲が襲撃した「法住寺合戦」で焼失した。
近くには上皇が創建した「三十三間堂」(蓮華王院)があるが、後に豊臣秀吉がこの付近で方広寺を整備したため、これまで法住寺殿の遺構が出土した例は少なかった。

● 国宝修復費 16府県で減額、大阪府はゼロ(2009年12月6日)
 国と都道府県、市町村、所有者が負担している国宝・重要文化財の修復事業について、全国の16府県が2005年度以降、財政難などを理由に補助予算を縮小していることがわかった。
 補助率引き下げや補助額の上限設定などによって見直しを進めており、大阪府と長野県は補助額をゼロにしており、福島県は2009年度に補助制度そのものを廃止した。
 奈良、新潟、福井、大分各県は2008年度以前に下方修正しており、先月完成した奈良市の唐招提寺の金堂修理では、奈良県が事業の途中で補助率を5%から3%に下げた。
 栃木、茨城、熊本、沖縄各県も2009年度から補助割合を下げた他、補助額の上限を新たに設けるところも出てきている。
 国指定文化財の保存事業は、国が規模などに応じて50〜85%を補助するが、都道府県が補助を削減した場合、市町村や所有者の負担が増え、修理に着手できない場合もある。
 滋賀県大津市の石山寺では、ムササビに穴を開けられた御影堂(重文)の檜皮葺きの屋根を鉄板で覆うなどの応急措置をしている。
 檜皮葺きは30〜40年で葺き替える必要があるが、葺き替えから40年を超えた国宝・重文の建造物が滋賀県内だけでも10棟を数えるという。 これらの文化財も予算を確保が出来ないため、順番待ちになっているという。
 このままでは、寺の財産を処分せざるを得ないケースが出て来る可能性もあると心配する声もある。

● 平山郁夫氏死去(2009年12月2日)
 文化勲章受章者、平山郁夫さんが2日、脳梗塞のために死去した。79歳。
 現代を代表する日本画家で、仏教やシルクロードに題材をとった作品を数多く描き、世界各地の文化財保護活動にも尽力した。
 広島県の生口(いくち)島(現・尾道市瀬戸田町)生まれ。1949年に焼失した奈良・法隆寺金堂壁画を再現する画家に選ばれ、3号壁の観音菩薩像などをよみがえらせた。
 火災によって失われた法隆寺金堂壁画の再現を機に、仏教を主題に描き始め、1959年には転機となった「仏教伝来」を発表した。その後シルクロードをくまなく旅し、2000年暮れには奈良・薬師寺にある玄奘三蔵院の大壁画「大唐西域壁画」を完成させた。
 中国・敦煌の石窟寺院や北朝鮮の高句麗壁画古墳、アフガニスタンのバーミヤン遺跡など、世界各地の仏教遺跡を中心とした文化財保護活動にも尽力した。
 1973年に東京芸大教授。1989〜1995年、2001〜2005年に学長を務めた。96年、日本美術院理事長。文化勲章やフランスのレジオン・ドヌール勲章をはじめ、世界各国から文化交流の実績をたたえられた。

● 奈良・高松塚古墳白虎覆う膜は漆喰成分(2009年12月1日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の極彩色壁画のうち、「白虎」が発見当時に比べて、描線がほとんど見えなくなっている問題で、漆喰に含まれる炭酸カルシウムが溶け出して再結晶化した白い物質が、白虎の上から覆っているのが原因、とする調査結果を明らかになった。
  余白部分の漆喰片の断面などを調査した結果、漆喰の表面が厚さ0.1〜0.2mmの炭酸カルシウムの白い層で覆われていることが判明。石室内は高湿度だっ たため、結露などで漆喰が溶けたとみられる。また、カビを除去するためにクリーニングで使用した薬品で溶けた可能性もあるという。
 しかし、除去するのは顔料が落ちてしまうので難しいという。


● グーグルがイラク文化財をネット公開(2009年11月25日)
 米インターネット検索最大手グーグルが、イラク国立博物館に収蔵されている古代メソポタミアの遺物などの写真約14,000点を、来年初めからインターネット上で公開することを明らかにした。
   文明発祥の地とされる古代メソポタミア地域にあるイラクの国立博物館には、優れた文化財が数多く残されていたが、イラク戦争の混乱で略奪が横行。イラク 戦争でバグダッドが陥落した直後の2003年4月に約15,000点の文化財が同博物館から略奪されたといわれ、返還されたのは世界各地で見つかった 6,000点ほどにとどまっている。博物館はことし2月、約6年ぶりに再開している。
 イラクの文化財をめぐっては、博物館や古代遺跡からの略奪を防げなかったとして、駐留米軍が国際社会から非難を浴びていた。

● 奈良・石上神宮で「七支刀」6年ぶり公開(2009年11月25日)
 奈良県天理市布留町の石上神宮に伝わる国宝「七支刀」が、平城遷都1300年記念の社寺特別開帳で、6年ぶりに公開される。
七支刀は全長約75cm剣で、象嵌(ぞうがん)された銘文から、朝鮮半島の百済が国交成立を記念して4世紀の倭国に贈ったとみられている。
 公開は来年5月17日から6月11日までの平日20日間で、平成16年に奈良国立博物館で開かれた特別陳列以来となる。
 公開は1日3回、各回50人を上限とし、申し込み方法は来春発表、多数の場合は抽選となる。事前に同神宮を正式参拝する。

● ガンダーラの仏教美術をタリバンが破壊、博物館にも脅威(2009年11月23日)
 パキスタン北西部でイスラム原理主義組織タリバンの脅威が高まる中、世界遺産でもある古代王国ガンダーラの遺跡がタリバンに破壊されている。




  タリバンは音楽、美術、舞踊、女子教育、偶像崇拝を否定しており、2001年3月にはアフガニスタンのバーミヤン遺跡の石仏を爆破した。以来、考古学者 はパキスタンの仏教遺跡もタリバンの標的となると懸念。2008年9月には、北西辺境州のスワト渓谷で7世紀の仏像が、タリバンによって2回にわたって爆 破、破壊された。

スワト渓谷では、1956年からイタリアの考古学チームが発掘を続けていたが、2007年に活動を中止し、再開の見込みは立っていな い。 
 スワト地区の中心都市ミンゴラ博物館ではタリバンの脅威を感じて博物館を閉鎖、ほとんどの収蔵品を避難させた。この他、仏教の歴史の中心 地タキシラやペシャワルでも博物館に対する脅威が高まっており、博物館の入り口にバリケードを作ったり入場規制をかけるなど、警備体制が強化されている が、外国人観光客の足も1年以上途絶えているという。

● 栃木・足利の文化財一斉公開2009(2009年11月21日)
 足利市内で21日から、市内の神寺など50カ所が所有する文化財の一斉公開を行う。通常公開していない文化財もあり、今年は5カ所の寺院などで初公開されるものも含まれる。
 初公開は福厳寺(緑町1)の「木造釈迦如来坐像、善光寺(松田町)の「山門附仁王像」など。
 公開は、平成21年11月21日(土)〜23日(月・祝)

● 栃木・「足利の絵馬と神仏たち」(2009年11月18日)
 足利市内に残る「祈り」が込められた文化財を集めた企画展「祈り−足利の絵馬と伝説の神仏たち」が、足利市立美術館で開かれている。
 利性院(同市井草町)に安置されている閻魔大王坐像を初公開しているほか、大小の絵馬や市内の遺跡からの出土品など計約200点を展示している。
 歴史的に信仰が厚い足利には現在も三百近い社寺が点在し、貴重な神仏像が多数残されている。江戸時代以降は織物で栄え、江戸の絵師が描いた優美な大絵馬や織工などが奉納した小絵馬も多い。
 絵馬の展示は、「足利絵馬の会」が協力。江戸時代に活躍した狩野派の浮世絵師・竹田春信が描いたとされる「神楽図」や足利を代表する文人画家・田崎草雲の「雲龍図」などの大作のほか、病気の治癒など個人的な願いを絵で表現したユニークな物もある。

● 茨城・桜川市妙法寺の阿弥陀如来坐像など県指定文化財に(2009年11月18日)
 茨城県教育委員会は、桜川市本郷の妙法寺所蔵の阿弥陀如来坐像など7体の木像と、ひたちなか市の東中根遺跡群から出土した土器など18点の計2件を、県指定有形文化財に指定した。
 指定されたのは、妙法寺の阿弥陀如来坐像及菩薩立像(伝観音菩薩)・天部立像(伝虚空蔵菩薩)と木造四天王立像の7体で、像高さ136〜153cm。
 政治や宗教で地域の中心だった新治廃寺が弘仁8年(817)に焼失した後、妙法寺がその役割を引き継いだとされ、阿弥陀如来坐像などは平安時代9世紀末、四天王像は10世紀初頭の制作とみられ、県内の木造彫刻では最古級とされる。

● 千葉・睦沢町立歴史民俗資料館で「曼荼羅」(2009年11月17日)
  千葉・睦沢町立歴史民俗資料館で「曼荼羅」展が開催されている。
 慶応元年(1865)作の「日運上人曼荼羅」(大多喜町・妙光寺所蔵)をはじめ、寛平2年(890)年開基とされる香取市の観福寺所蔵「常光明会曼荼羅」など、寺や神社、個人所蔵のものまで計32点を展示している。
 古いものでは鎌倉時代の「絹本著色法華曼荼羅」、室町時代作の「絹本著色両界曼荼羅」(ともにいすみ市の行元寺所蔵)。
 また、同時開催の仏像展では、平安時代の作とみられる「木造不動明王立像」(睦沢町の弘行寺)が修復され一般公開されている。
 12月20日まで。

● 滋賀・安養寺で仏画の頭部に人の髪織り込む(2009年11月15日)
 大津市の安養寺で、秘仏の仏画、阿弥陀如来来迎図(室町時代)の頭部にも人の髪が織り込まれていることが分かった。
 来迎図は縦95.5cm、幅36.5cmで、絹地に正面を向いて立つ阿弥陀如来が描かれている。頭部には数本束ねた人の髪で直径約1cmの螺髪が刺繍で施されている。
 安養寺の本尊阿弥陀如来立像(鎌倉中期)の胎内からはすでに7本の歯や髪などが見つかっている。
 言い伝えでは、平安時代の僧恵心僧都が母の髪を束ねて筆にして阿弥陀如来を描き、その頭に母の髪を織り込んだと伝えられており、地元では「植髪さん」と呼ばれ、33年に1度だけ開帳される。

● 奈良・纒向遺跡で建物跡卑弥呼の宮殿か(2009年11月10日)
 奈良県桜井市の纒向遺跡で、3世紀前半としては国内最大の建物跡が見つかった。
 確認された建物跡は南北19.2m、東西6.2m以上。柱穴はさらに西側に続いているとみられ、市教委は建築構造から東西12.4mとした。
 床面積約238平方mの高床式建物と推定。九州説の候補地の一つ、吉野ケ里遺跡(佐賀県)で出土した建物跡(約156平方m)をしのぐ規模。
 既に見つかっていた3棟と合わせ、計4棟が東西方向に一列に整然と並んでおり、女王卑弥呼(生年不明〜248年ごろ)の時代と重なることから、卑弥呼の宮殿と指摘する専門家もおり、畿内説を後押しする有力史料で、九州との間で続く所在地論争に大きな影響を与えそうだ。

● 高松塚壁画見学者 申し込みの約半分(2009年11月9日)
 文化庁は、奈良県明日香村の高松塚古墳の石室解体によって搬出された極彩色壁画(国宝)の4回目の一般公開(10月31日〜11月8日)の見学者数が事前に申し込んだ3226人のほぼ半数1625人だったことを明らかにした。
 春に行われた前回の一般公開で見学希望者が定員割れしたため、今回からインターネットで応募を受け付けた。その結果、希望者は前回より約500人増加したが、実際の参加率は前回の約75%から約50%に大幅ダウンした。

● 滋賀・若王寺仏像胎内から平安後期の墨書銘(2009年11月5日)
 滋賀県大津市大石中の若王寺の本尊大日如来坐像の内部から、仏像が造られた年代を示す平安時代後期の墨書銘が見つかった。
 大日如来坐像は像高さ92.3cmのヒノキ製。一本の木を割って内部をくりぬき、彫刻後に接合する一木割矧ぎ造。
表 面と内部はすすで覆われていたが、背面材内部を赤外線カメラで撮影したところ、「承暦肆(四)年庚申歳十一月二日」の銘が見つかり、承暦4年(1080) に造立されたことがわかった。他に「奉造立□金色大日如来」「為平癒(ゆ)」「奉安置」ともあり、当初は仏像の表面に金箔(きんぱく)が張られていた可能 性があり、病が治ることを願って奉納された経緯がうかがえる。
 墨書がある平安期の仏像は全国的には珍しく、滋賀県では制作年などが記された仏像は、993年の善水寺(湖南市)の薬師如来坐像(重文)が県内で最古で、本像は滋賀県内では5番目、市内では園城寺(三井寺)の木造不動明王長和3年(1014 重文)に次ぐという。
 若王寺は奈良時代の創建と伝わり、如来立像(重文、琵琶湖文化館寄託)や四天王像など、平安期の仏像が伝わっている。
 本像は8日から23日まで大津市歴史博物館に出品される。

 

● 奈良・唐招提寺金堂の一般拝観を再開(2009年11月4日)
 奈良市の唐招提寺金堂(国宝)が、「平成の大修理」を終え、一般拝観が始まった。
 金堂の解体修理は2000年にスタート。「天平の甍(いらか)」として知られる大屋根の瓦のふき替えや鴟尾(しび)の新調、部材の取り換え、仏像の修復などが行われた。

● 京都・平等院鳳凰堂阿弥陀像内側に赤色彩色(2009年11月4日)
 京都府宇治市の平等院鳳凰堂の本尊で国宝阿弥陀如来坐像(像高約2.8m)の内側が、赤色顔料のベンガラで全面的に彩色されていたことが分かった。
 阿弥陀如来坐像は平安時代中期の1053年、仏師定朝が制作した像で、
 2004年1月〜2007年9月、修理に伴う調査で、内側が真っ赤に塗られていたことが確認され、東京文化財研究所が木材に付着する成分を蛍光エックス線で分析した結果、ベンガラと判明した。
平安初期の京都・東寺の大威徳明王像(国宝)の内側も赤く彩色されているが、鉛を主成分とする鉛丹が使われている。
 ベンガラは鉛丹よりも濃い赤色で、邪悪なものをはらうために、より深い赤のベンガラが塗られた可能性があるという。

● 奈良・法隆寺
法隆寺百万塔、奈良時代の製作確認(2009年11月3日)
 称徳天皇が国家安泰を願って作らせ、法隆寺に安置していた木製の小塔「法隆寺百万塔」(高さ約21cm、底の直径約10cm)の内、奈良女子大が所有するものが、奈良時代のものと確認された。
 百万塔は、日本最古の印刷物である経典「陀羅尼経(だらにきょう)」を納めた木製の小塔。称徳天皇が764年の藤原仲麻呂の乱後に作らせ、100万基を法隆寺や薬師寺など10の寺院に分けて安置。法隆寺に4万5755が現存し、うち100基が重文に指定されている。
 しかし、1908年以降、法隆寺が伽藍整備などの資金を得るため、1000基以上を民間に譲渡しており、京都国立博物館や横浜市歴史博物館なども所蔵している。
  奈良女子大が所有するものは、明治時代に同大学の前身・奈良女子高等師範学校が購入したもので、赤外線カメラで「三年三月廿七日 珎池守(ちぬのいけも り)」の文字を確認。天平神護3年(767)に珎池守が製作したことを示している。法隆寺所蔵の百万塔にも珎池守が製作したものが残っているが、内部に 「陀羅尼経」はなかった。

● 京都国宝・重文の保存、修理上賀茂神など24件に補助(2009年11月2日)
 京都府教育委員会は、国宝と重要文化財の保存修理や耐震対策への本年度国庫補助事業内定分の24件を発表した。事業総額は4億2700万円。
 内定分は下記の通り。
 【建造物保存修理】
▽浄瑠璃寺三重塔、本堂(木津川市)
▽上賀茂神社本殿(国宝、京都市北区)
▽下鴨神社預り屋ほか19棟(左京区)
▽東寺東大門(重文、南区)
▽萬福寺大雄宝殿ほか3棟(宇治市)
▽伏見稲荷大社御茶屋(伏見区)
▽興臨院本堂ほか2棟(北区)
 【建造物防災施設】
▽大徳寺唐門ほか13棟(北区)
▽東福寺三門ほか17棟(東山区)
▽東寺金堂ほか12棟(南区)
▽西本願寺書院ほか3棟(下京区)
▽海住山寺五重塔ほか1棟(木津川市)
▽宇治上神社本殿ほか2棟(宇治市)
▽冷泉家住宅(上京区)
▽六波羅蜜寺本堂(東山区)
 【耐震診断・緊急防災性能強化】
▽大徳寺方丈。玄関(北区)
▽同志社ハリス理化学館(上京区)
 【美術工芸品保存修理・防災施設・保存活用整備】
▽石像寺・石造阿弥陀如来、両脇侍像(上京区)
▽上賀茂神社・上賀茂神社文書(北区)
▽永観堂禅林寺・木造阿弥陀如来立像1体(左京区)
▽現光寺・木造十一面観音坐像(木津川市)
▽大徳寺・絹本著色大燈国師像1幅など(北区)
▽福徳寺・木造薬師如来坐像1体など(右京区)
    【無形・民俗文化財】
▽祇園祭鶏鉾(下京区)

● 奈良・唐招提寺金堂の大修理完了(2009年11月1日)
 奈良市五条町の唐招提寺で2000年から約10年にわたって行われてきた金堂(国宝)の大修理が完了し1日、落慶法要が行われた。
 この日の法要では、金堂の扉を開け、本尊の廬舎那仏坐像(国宝)に目を入れる「開扉開眼の儀」や献香、献茶、舞楽奉納などが行われた。
 2日にはふだん御影堂に安置されている国宝の鑑真和上坐像が法要に参列する予定で、像を運搬する行列が南大門から金堂までを約50年ぶりに練り歩く。
 金堂が完成したのは8世紀末。大規模な解体修理は明治時代以来およそ100年ぶりで、本尊や千手観音立像など、堂内の国宝の仏像9体も並行して修理された。
 落慶法要は3日までで、一般の参拝客が金堂を参観できるのは4日以降となる。

● 大阪・金剛寺で多宝塔内部初公開(2009年10月14日)
 大阪府河内長野市天野町の天野山金剛寺の多宝塔(重要文化財)内部に描かれた壁画が11月1〜3日、100人限定で一般公開される(受付終了)。
 これらの仏画は慶長11(1606)年と元禄13(1700)年に描かれたとみられ、現在も鮮やかな彩色が残っている。今年度から9年間かけ、多宝塔や金堂などを修理するにあたり、その文化遺産としての価値を理解してもらうため、初の一般公開が決まった。
 金剛寺は奈良時代に聖武天皇の勅命を受けた行基によって開かれ、多宝塔は平安時代に建てられたとされる。内部の板壁や柱、扉などには十二天像や飛天像、飛龍像、菩薩像などが描かれており、極彩色の仏画が、これほど美しい状態で残っているのは珍しいという。

● 奈良・高松塚古墳の復元工事終了(2009年10月24日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)の墳丘復元工事が終了し、24日から一般公開された。
 一般公開に先立ち、完成記念式典が行われ、関村長のほか、荒井知事らがテープカットした。
  同古墳は、1972年に発掘調査が行われ石室内で極彩色壁画が見つかり、1974年に壁画が国宝に指定された。1976年には、石室内で壁画を保存するた めのコンクリート製の施設が墳丘に取り付けられた。しかし、壁画の劣化が判明し、2007年には石室を解体して壁画が取り出された。

● 奈良・桜井茶臼山古墳で石室全面に赤色顔料(2009年10月22日)
 奈良県桜井市の大型前方後円墳、桜井茶臼山古墳(3世紀末〜4世紀前半、全長200m)で、石室が約60年ぶりに確認され公開された。
 石室内の調査は1949〜50年に発掘調査で見つかっていたが、石室の構造などを解明しようと、今年8月から60年ぶり再調査していた。大王クラスの墓は大半が宮内庁管理の陵墓に指定され発掘例が少なく、中心部が明らかになっているものはほとんどない。
  石室は、内寸で長さ6.75m、幅約1.2m、高さ約1.7m。壁は幅30〜40cmの板状の石を垂直に積んで壁を作り、その上に大型の石(最大1.5ト ン)を12枚乗せて天井にしている。石は見えるだけで1000個以上あり、壁や天井の石はそれぞれすべての面に水銀朱が塗られていた。 水銀朱は魔よけや 防腐のためで、使用量は国内の古墳で最大となる約200kgと推定され、荘厳な葬送儀礼が行われたとみられる。
 また、石室内の天井に、「S」と 書いた2文字と「福田」と読める漢字があり、蛍光エックス線での分析で、成分は炭素とわかった。同古墳での調査は60年前に二回に分けて行われているが、 その間、石室が開いていた時期があったといい、石室内に侵入した者が、ロウソクのすすなどで、いたずら書きしたとみられる。
 文字を消すと水銀朱も消える可能性があるため、調査終了後、そのまま埋め戻す選択肢もあるという。
 中に納められていた木棺は底の部分(長さ約4.9m、幅約0.7m、厚さ最大約0.3m)だけが残っていた。コウヤマキ製で全面朱塗りだった
とみられるが、傷みが激しく、保存処理のために取り出された。
 場所はJR・近鉄桜井駅の東約1kmで、現地見学会は29〜31日に行われる。

● 薬師寺東塔調査用覆い屋の建設作業開始(2009年10月22日)
 奈良市西ノ京町の薬師寺で、国宝・東塔の解体修理に向けた調査のため、覆い屋の建設作業が始まった。
 東塔は中心部の心柱が腐り内部に空洞ができるなど老朽化が進んでおり、約110年ぶりに大規模改修。2011年夏頃から解体が始まり、2018年まで約10年がかりとなる予定。
 来月末から、足場が一時的に撤去される来春までは、幅、奥行きとも約22mのピラミッド形の足場を建設し、高さ34mの塔はシートですっぽりと包み込まれる。
 参拝客が解体作業中の様子を見学できるよう、本格的な作業が始まる来秋から組み直す足場に、エレベーターを設置することを検討しており、工夫を凝らして見せる工事にしたいという。

● 滋賀・慈眼寺薬師如来像修理完了(2009年10月16日)
 滋賀県守山市吉身1丁目の慈眼寺の薬師如来坐像が、約2年がかりの修理を完了し寺に戻った。
 慈眼寺では本堂の改修工事に伴い、薬師如来坐像と日光・月光菩薩立像の3体の仏像を3年前に琵琶湖文化館(大津市)に預け修復した。
 修復の際、像を覆っていた漆や金箔の下から、墨で眉やひげを描き、唇を朱色で彩色したいにしえの姿が現れ、平安時代の造立当時の姿によみがえった。日光・月光菩薩立像は鎌倉期に作られたと考えられていたが、今回の調査で江戸期に作られたことが判明した。


● 迎賓館赤坂離宮明治以降の文化財で初国宝に(2009年10月16日)
  文化審議会は、皇太子時代の大正天皇の住居として建設され、現在は迎賓館赤坂離宮として知られる旧東宮御所(東京都港区)を国宝に、伊勢神宮に倣った神明 造(しんめいづくり)を採用した内外大神宮(ないげだいじんぐう)(茨城県筑西市)など8件の建造物を重要文化財に指定するよう文部科学相に答申した。        
 旧東宮御所は宮内省内匠寮技師の片山東熊らにより、1909年に竣工した。フランスの宮殿にならったネオ・バロック様式で、高い水準の室内装飾もあわせて、明治期の日本人建築家の総力を結集した洋風建築とされる。
  明治期以降の文化財では初の国宝指定。洋風建築としては、大浦天主堂(長崎市、1864年完成)に次いで2例目となる。旧東宮御所は1974年以降、国の 迎賓館として使用されており、警備上の理由などから文化財とする手続きをとっていなかった。そのため、今回は国宝指定の前提である重文指定の答申も同時に 受けている。
 また、重文指定の答申を受けた内外大神宮は、神明造の内宮本殿と外宮本殿が並立する珍しい社殿形式を取り入れている。

国宝・重文の答申は次の通り。
(国宝)
▽旧東宮御所(東京都港区)
(重文)
▽内外大神宮(ないげだいじんぐう)(茨城県筑西市)
▽旧大湊水源地水道施設(青森県むつ市)
▽旧鶴岡警察署庁舎(山形県鶴岡市)
▽旧西尾家住宅(大阪府吹田市)
▽石谷家住宅(鳥取県智頭町(ちづちょう))
▽旧志免(しめ)鉱業所竪坑櫓(たてこうやぐら)(福岡県志免町)
▽草野家住宅(大分県日田市)


● 茨城・常陸太田市で文化財一斉公開(2009年10月16日)
  常陸太田市内の文化財を一般公開する指定文化財集中曝涼が17、18日に行われた。
 虫干しを意味する曝涼は元々、県指定7件、市指定19件の文化財を所蔵する正宗寺(増井町)で毎年10月の第3土、日曜日に行われていた恒例行事。市は2007年、同じ2日間を「集中曝涼の日」と定め、ほかの文化財にも広げた。
  今年は、西光寺(下利員町)の木造薬師如来坐像(国指定重要文化財)をはじめ、県立太田一高(栄町)内にある「旧県立太田中学校講堂」(国指定重要文化 財)(14〜18日)、菊連寺(上宮河内町)の木造千手観音立像(県指定文化財)など、計10か所の寺や学校で行われた。
 文化財や市の歴史などをまとめた「文化財ガイドブック」も3月に発行され、郷土資料館(西二町)や市役所で購入できる。


● 京都・神護寺金堂 初のライトアップ(2009年10月14日)
 京都府右京区梅ヶ畑高雄町の神護寺で、弘法大師・空海が神護寺(京都府右京区梅ヶ畑高雄町)に入山して1200周年になるのを記念し、同寺は今秋、境内のライトアップや秘仏の特別公開などに取り組む。
 ライトアップは11月1日から30日まで。
 唐から帰国した空海は809年、神護寺の前身・高雄山寺に入山。14年間とどまり、真言密教を広める基礎を築いた。同寺は824年、神願寺と合併し、空海により神護寺と命名された。
 今回、紅葉のシーズンに合わせ、午後5〜7時本堂である金堂を初めてライトアップする。また、2005年から続く参道のライトアップ(午後8時まで)も併せて行う。
 また同月1〜15日は、壮年期の空海を板彫りした国の重要文化財・弘法大師像(1302年)が特別公開される。これまで秘仏とされてきたが、昨年に続き、公開する。

● 鳥取・大山寺で15世紀の僧坊跡(2009年10月14日)
 鳥取県大山町大山の大山寺に近い寂静山地区で、15世紀に建てられた僧坊跡が初めて確認された。
  大山寺には、中世僧坊が、寺の1km四方に160か所あったとされる。調査したのは標高約900mにある寂静山地区(約40僧坊跡)の1か所(1100平 方m)。斜面を削った縦37m、横29mの平たん地に、礎石15個が並び、かなり大規模な僧坊があったらしい。地表から約80cm下には、地盤を強化する ために造られた全国的に珍しい埋め殺し石垣が見つかった。
 本堂とみられる建物は最大113平方mで、計3回、建て替えられた跡があった。また、 北角からは半地下式の石組みのトイレ跡がみつかった。石組みの囲いの中に2個1対の踏み石が2基設置されており、1度に2人が使えたらしい。時代が近いト イレ跡としては11〜13世紀中ごろの光明山寺(京都府)、1590年代の名護屋城陣屋跡(佐賀県)以外にはないという。
 僧坊跡から中国明時代の銅銭23点や李朝時代の朝鮮の青磁数点などが出土。ほかに瀬戸焼、美濃焼、短刀(長さ約30cm)や武具の一部、護摩法要に使う青銅製のさじが見つかった。中世に隆盛を誇った大山寺において国内外の交易が盛んだったことを裏付けているという。

● 奈良・唐招提寺金堂堂内構成部材のほとんどが創建当初材(2009年10月14日)
 奈良市の唐招提寺金堂(国宝)で、国宝の仏像が安置されている堂内(組物と天井部分)を構成する部材は94%が奈良時代末の創建当初のものであることが分かった。
  盧舎那仏(るしゃなぶつ)坐像、千手観音立像、薬師如来立像の国宝三尊などが安置されている堂内身舎部分では、天井や上部を支える組物部材など計1284 点が当初材で、全体の94%にのぼった。創建以降、数回の修理が行われながら、仏像周囲の空間は構造的にも当初の姿をとどめていると推測されるという。
 身舎外部の庇(ひさし)などの組物部材では当初材は全体の61%で、残りは明治や江戸時代などの改修時に使われた材だった。部材が傷みやすく、取り換えられたと考えられるという。
 唐招提寺は中国・唐から苦難の末に来日した高僧、鑑真が創建。金堂は鑑真の死後に建てられたとされ、奈良時代の代表的建築として知られる。今回の解体修理では構造補強材が加えられるなどし元通りに復元された。

● 奈良・自作寺不動明王像は元禄時代の作(2009年10月8日)
 奈良県山添村の自作寺の不動明王像(像高約60cm)の内部から、制作者とみられる人名などが記されたヒノキの木片(縦約8cm、横約4cm)が発見された。
 不動明王像は、先日他の3体の仏像とともに盗難に遭い、犯人宅から押収され寺に返却されたもので、ひび割れなどがあったため修繕作業を行ったところ、胎内から両面に「元禄五年(1692)」「大佛師新八心 申十二月七日」と書かれた木片が見つかった。
 木片は仏像と同様にヒノキ製であることから、仏像を彫ったのと同じ木に墨書したものとみられるという。
 不動明王像は、江戸時代から村にあったと住民らが代々伝え聞いている話とも合致し、盗難事件が、地元の言い伝えを証明するという意外な結果をもたらした。

● 滋賀・安養寺阿弥陀如来立像から歯と毛髪(2009年10月6日)
 滋賀県大津市の安養寺の木造阿弥陀如来立像の中から、人の歯と毛髪などが見つかった。
  像はヒノキ製で像高98cm。鎌倉時代中期に作られたとみられる。内側には漆の上に金箔が張られ、和紙の包みが三つ入っていた。中にはそれぞれ、7本の歯 と腕とみられる炭化した骨、輪状に束ねた頭髪、棒状に束ねた頭髪が入っており、包みの一つには「源氏女」と書かれていた。
 出自が源氏である女性を示す「源氏女」という書き方は鎌倉期ごろに特有という。本尊は鎌倉期の作で大きな修復跡がないため、納入品を像の制作時から入れていたとみられる。
  寺について書かれた古文書には、慶安年間(1648〜1651)に像を修復した際、像内から「安養尼」と書かれた紙に白骨と剃髪が包んであった、との記述 があるが、安養尼は平安中期の天台宗の高僧、恵心僧都源信の姉か妹とされ、納入品が安養尼の遺品である可能性は低いとみられる。
仏像に遺物を納入する例は、鎌倉時代に源頼朝が関連する像では数例見られる。
 本尊と納入品は、大津市歴史博物館で開かれる「湖都大津社寺の名宝」展で展示される。10日〜11月23日まで。

● 奈良薬師寺:東院堂発掘調査(2009年10月4日)
 奈良市西ノ京町薬師寺東院堂の発掘調査で、奈良時代の遺構が発見された。
 現在は西向きの東院堂が、創建当初は南向きだったことが明らかになった。東院堂は、江戸時代の絵図にも金堂などと同様に南向きの姿が描かれている。
 今回確認された基壇跡は、周辺は地表面を掘り込み、その上に土の層を突き固めて地盤を強固にする「掘込地業(ほりこみちぎょう)」という方法で整備されていた。寺内では他に例のない丁寧な工事をしており、特別な意味を持った区画だった可能性もあるという。

● 山梨・栖雲寺菩薩画はキリスト教聖人(2009年10月3日)
 山梨県甲州市の栖雲寺(せいうんじ)に伝わる虚空蔵菩薩画像の掛け軸が、元王朝時代の中国に信者がいた景教(キリスト教ネストリウス派)の聖人を描いた宗教画の可能性が高まった。
 栖雲寺に伝わる虚空蔵菩薩画像は、甲州市の重要文化財として同寺の収蔵庫に保管されているもので、縦150cm、横60cm。絹布の上に虚空蔵菩薩坐像とされる像が顔料で描かれ、紙の台紙に貼られている。
 ゆったりとした法衣を着て蓮の台座に座る「虚空蔵菩薩」が左手に十字架を持っているのが特徴。このため江戸時代初期に甲斐の国に流罪となって斬殺されたキリシタン大名・有馬晴信をモデルに描いたものとされてきた。
 しかし、東北大学の泉武夫教授が、左手に持つ十字架が蓮の台座に乗せられているなど、中国風の特徴を持つことに注目、「虚空蔵菩薩」は元王朝時代の中国で描かれた景教の聖人の可能性が高いとする新説を発表した。
  景教はキリスト教のネストリウス派がシルクロードを経て中国へと伝わった教えで、中国では7世紀から10世紀に栄え、元王朝下でも信者がいた。現在では景 教に関する史料や美術品はほとんど残っていないため、栖雲寺の虚空蔵菩薩像が景教ゆかりの宗教画と断定されれば歴史的な再発見となる。
来年9月から米メトロポリタン美術館で開催される企画展「フビライ・ハン時代の美術」に展示されることになった。

● 岡山餘慶寺千手観音立像から五穀や銅銭(2009年10月3日)
 瀬戸内市邑久町北島の餘慶(よけい)寺で、解体修(2009年10月3日)理中の本尊・木造千手観音立像(秘仏、像高さ111.5cm)の胎内から、米籾やゴマなどの五穀や銅銭などが見つかった。
 像内部の銘文や地域の文献から寛永2年(1625)に修理された際に納められたとみられ、当時の地域の農業状況を知る手がかりになる。
 頭部に米籾、麦、大豆、小豆、ゴマの五穀(計約5000粒)のほか、「永楽通宝」などの銅銭33枚、護符などが和紙に包まれて納入され、体部の銘文には「寛永2年に、岡山に住んでいた、大阪府堺市出身の仏師が修復した」との趣旨の記述があった。
  仏像の胎内に経典などを納める例は奈良時代からあり、平安中期からは頭髪やくしなど多様な品に広がった。穀物が見つかった例は、井原市の高山寺「地蔵菩薩 立像」や、滋賀県湖南市の善水寺「薬師如来坐像」など十数件あるが、納入年代や栽培地域が特定できるケースは珍しいという。
 また、この像は面長であるなどの外観から、室町時代に制作されたと考えられてきたが、平安後期頃の制作であるが分かった。
 納入物は18日に行う寺宝展で一般公開する。

● 香川・善通寺金堂・五重塔など129件、有形文化財に答申(2009年9月25日)
 文化審議会は、弘法大師(空海)生誕地に建てられた善通寺金堂・五重塔(香川県善通寺市)など19都府県にある129件(27か所)の建造物を有形文化財に登録するよう文部科学相に答申した。
 善通寺では、境内の金堂▽五重塔▽釈迦堂▽天神社▽龍王社▽鐘楼▽南大門(みなみだいもん)▽中門の8件の建造物が含まれる。
  金堂は元禄13(1700)年に建てられたとされる。軒下の組物(くみもの)の形式が詰組(つめぐみ)だったり、火灯窓(かとうまど)や波状の形をした弓 欄間が配されたりするなど、鎌倉時代に中国から入ってきた建築様式の特徴を持つ本格的な禅宗様の仏殿となっている点が、造形の規範として評価された。
 善通寺五重塔は明治時代に再建されたもので、高さ43m。

● 奈良・興福寺、南大門の基壇跡出土(2009年9月25日)
 奈良市の興福寺で、創建された8世紀前半のものとみられる南大門の基壇跡や、柱を支える礎石、階段などが出土した。
 基壇は東西31m、南北16.7m土を何層にもつき固める「版築(はんちく)」の工法で造られていた。柱穴は計15か所出土し、一部の穴では礎石も残っていた。
 南大門は東西23.4m、南北9m、高さは20m前後と推定され、平城宮の朱雀門に匹敵する規模だったことが裏付けられた。寺の歴史などを記した「興福寺流記」(平安時代末〜鎌倉時代初)の記述ともほぼ一致した。
 基壇の東西両端では火災で失われたとされる2体の「金剛力士像」が安置された台座の基礎も見つかった。像の高さは6〜7mだったとみられる。
 南大門は、平城京遷都(710年)直後の建立とされ、記録では7度の火災で焼失、6度再建されており、同じ基壇が使われていた。江戸時代の1717年に焼失した後は復興されなかった。

● 奈良・平城宮跡に威容現す大極殿(2009年9月25日)
 奈良市佐紀町の平城宮跡で、国が復元整備を進める第一次大極殿が威容を現した。工事用の覆屋は上半部の解体がほぼ終わり、11月末までに基礎のコンクリートを含めてすべて撤去される予定だ。
 第一次大極殿は棟までの高さが約27m、間口約44m。国が発掘成果などに基づき、復元整備を進めてきた。
 来年の平城遷都1300年祭で主会場となる南側の広場でも、回廊をイメージした塀の設置などが間もなく始まる。

● 東寺・宝物館で両界曼荼羅図、5年ぶり公開(2009年9月19日)
 京都市南区の東寺の宝物館で、秋期特別公開「東寺曼荼羅(まんだら)の美−マンダラワールド」が始まった。
 東寺には約30点の曼荼羅が伝わるが、彩色の残る曼荼羅としては現存最古の国宝「両界曼荼羅図」など逸品を展示する。5年ぶり
 ほかに、菩薩や明王などをダイナミックに描いた重文「仁王経五方(にんのうきょうごほう)諸尊図」、指で結ぶ印を説明した重文「蘇悉地儀軌契印図(そしっじぎきけいいんず)」など54点を紹介する。
 9月20日から11月25日まで。

● 広島・耕三寺が塔の内部など公開(2009年9月19日)
 広島県尾道市瀬戸田町の耕三寺では、9月19日から23日まで「再発見ウイーク」として、本堂や多宝塔の内部の公開を行う。
  京都府宇治市の平等院鳳凰堂を原型とし建立された本堂は正面の格子戸を開放。金箔の宮殿に本尊が安置され、天井には龍が描かれている。公開は四十数年ぶり という。大津市の石山寺多宝塔が原型の多宝塔は初めての公開。書院造りの銀龍閣では、手をたたくと響く「鳴き龍」を体験できる。大講堂内には補修作業の実 演場を設け、金箔張りの体験もしてもらう。

● 京都・法観寺白鳳期のせん仏が出土(2009年9月19日)
 京都市東山区の法観寺(通称・八坂の塔)境内の発掘調査で白鳳時代(7世紀後半)のせん仏が見つかった。
 せん仏は塔南側の整地層から出土し、破片は縦9cm、横5cm。仏の顔や衣が浮き彫りにされ、弥勒如来を中心に配した三尊の左脇侍とみられる。
 目鼻や光背が鮮明に残り、国内では最古級の出土例とみられる。表面には金箔も一部残っている。
 今回と同型のせん仏は9例出土しており、遣唐使に随行した僧道昭(629〜700)が持ち帰ったものを元にしたとみられ、身近に置いたり、タイルのようにして堂内の壁などに張ったりしたという。
 せん仏は、9月19日から10月4日まで京都市考古資料館(京都市上京区)で展示される。

● 福井・興道寺廃寺南門、講堂の建物跡確認(2009年9月18日)
 福井県美浜町興道寺の興道寺廃寺で、南門の跡や、講堂とみられる建物跡が新たに確認された。
南門跡は石積みが残った状態で見つかり、南北に約5m、東西に約6mの規模とみられる。
 また、南門跡の北約60mでの発掘調査では、講堂跡と推定される東西約16mにわたる建物の基壇となる土の盛り上がりが確認された。
 興道寺廃寺は若狭地方最古級の寺院跡とされ、これまでの調査で、金堂(本堂)、中門、塔の三つの建物の基壇跡を確認しており、本格的な寺院だった可能性が高まったという。

● 奈良・箸墓古墳で二重の周濠が確実に(2009年9月15日)
 奈良県桜井市箸中の前方後円墳、箸墓(はしはか)古墳(3世紀後半、全長280メートル)で、古墳南側から外濠の内側の堤と、外側の縁が整地された跡が見つかった。
 箸墓古墳は、7世紀まで全国で築造された前方後円墳の原型とされ、邪馬台国の女王・卑弥呼の墓との説がある。
 墳丘の南端から約20mの地点で幅約6m、高さ約1.5mの堤が見つかり、さらに南側に約50mにわたって深さ1.2〜1.6mの掘り込みを確認。これが外濠とみられ、外濠の縁は盛り土が約1m積み上げられていた。
 平成7年の調査で、同様の遺構がほぼ対称の位置で確認されており、邪馬台国の女王・卑弥呼の威信を示すかのように、幅10mあまりの内濠と幅50m以上の外濠の二重周濠(しゅうごう)に取り囲まれていたことが確定的となった。

● 京都・青蓮院で青不動一般公開へ(2009年09月15日)
 京都市東山区の青蓮(しょうれん)院で、現存する平安時代の仏画の最高傑作とされる国宝秘仏「不動明王二童子像」(青不動)が18日〜12月20日の間、境内で初公開される。
 青不動は縦203.2、横148.5cmの絹地に描かれた画像で、平安中期の作。燃えさかる炎を背景に、青を基調とした不動明王が、迦楼羅(かるら)と呼ばれる火の鳥や、脇侍の2体の童子などとともに豊かな表現技法で描かれている。
 1970年の大阪万博などこれまで3回の展覧会で展示されてたが、青蓮院での一般公開は平安時代の創建以来初めて。

● 奈良・安倍文殊院で快慶菩薩像の修理を公開(2009年9月11日)
 奈良県桜井市阿部の安倍文殊院で、本尊の木造騎獅文殊菩薩像など、鎌倉時代・快慶作とされる文殊菩薩群像4体(いずれも重文)の修理作業が始まり、菩薩像が台座の獅子の背から降ろされた状態で公開された。
 文殊菩薩像の修理が終わる来月初めまで、参拝者も修理の様子を見学でき、来年11月末までは獅子を降りた姿を見ることができる。
  像は説法の旅に出た文殊菩薩が雲海を渡っている姿を表し、獅子や光背を含めた総高は約7m(文殊菩薩像は約2m)と国内最大の文殊菩薩像。頭部内で確認さ れた墨書から、脇侍の優填王、善財童子、仏陀波利三蔵の各像とともに建仁3(1203)年に快慶が制作したことが知られている。獅子像などは16世紀に焼 失し新たに造られた。
 平城遷都1300年祭を記念して、修理後も来年11月末までそのままの状態で公開するという。

● 長野県文化財に安養寺の法燈国師坐像など3件指定(2009年9月11日)
  長野県教育委員会は、東筑摩郡朝日村の光輪寺薬師堂、佐久市の安養寺にある法燈国師坐像(ほっとうこくしざぞう)、下伊那郡下条村の龍嶽(りょうがく)寺 にある紙本墨画淡彩隻履(しほんぼくがたんさいせきり)達磨図の3件の県文化財に指定するよう、県文化財保護審議会に諮問した。
 法燈国師坐像は、安養寺の開祖、臨済宗の高僧無本覚心(むほんかくしん)(1206〜98年)の肖像と伝えられ、高さ85センチ。南北朝時代後期の作とみられる。ヒノキ材の寄せ木造りで、表面は彩色仕上げされている。

指定されたのは次の通り。
 光輪寺薬師堂 光輪寺東筑摩郡朝日村
 法燈国師坐像 安養寺 佐久市
 紙本墨画淡彩隻履達磨図 龍嶽寺 下伊那郡下条村 

● 静岡・遠江国分寺跡で塔本塑像の頭部出土(2009年9月11日)
 静岡県磐田市見付・中泉の遠江国分寺跡で七重塔跡近くから、塔の1階部分に安置されたと見られる塔本塑像の一部が出土した。塔本塑像の出土は、全国の国分寺跡で2例目となる。
  塑像の一部は七重塔跡の北側の深さ20cmの地中から、多量の瓦とともに出土し、高さ7.8cm、幅5.3cm、厚さ6cmで、坐像なら像高40cm前後 の如来像か菩薩像の頭部の一部と推定される。髪の生え際や鼻、耳の形が残っており、頭髪や顔面の一部に顔料が残っていることから、彩色が施されていたとみ られる。
 塔本塑像は、塑像群で釈迦の生涯をジオラマのように表現したもので、奈良・法隆寺五重塔の「塔本四面具」が現存している。国分寺においても塔の内部が美しく彩色された仏像群で彩られていたと推測できるという。
 また、塑像は高熱を受けて素焼きの陶器のような状態で見つかったことから、今回の発見は、歴史書「類聚国史」に記述のある819年の火災で七重塔が金堂、回廊とともに焼失したことが新たに裏付けられた。

● 阿修羅像の原型の粘土像をCTスキャンで再現(2009年9月8日)
 奈良・興福寺の阿修羅像(国宝)をX線CTスキャン調査を行い、復元した粘土原型像の3次元(3D)画像が公開された。
 阿修羅像は天平6年(734)の制作で、原型像に麻布と漆を塗り重ねた後、背面に穴を開けて土を除き、表面を整形、彩色する脱活乾漆像。
 今回、スキャン装置を用いて、内部の空洞を立体画像化することで、原型像を復元した。
 復元された原型像正面の顔は細面で、目はきつくつり上がり、完成像のふっくらとした顔や「涙目」といわれるイメージと異なっていた。
 また、芯木に虫食い跡が見られないなど、内部の保存状態が良好なことも明らかになった。

● 島根・浜田市教委所蔵の仏像 国内最古の国分寺本尊か(2009年9月7日)
 浜田市教育委員会が所蔵する仏像の頭部が、奈良時代に建てられた「石見国分寺」(同市国分町、焼失)の本尊、薬師如来像の一部で、創建期の8世紀ごろに造られたものである可能性が高いことが分かった。
 頭部は木造で、高さ69.2cm、幅26.6cm。火災で損傷し、全体が黒く焦げている。仏像は坐像で、像高は120cm程度だったとみられる。
 首部に微量の塑土(そど)が付着するなど、同時代に全盛だった一本の木を彫り抜いた土台に粘土などで肉付けする木心塑像の特徴を示しているという。
 江戸時代の文献によると、仏像は荒廃した国分寺から農民の手に渡り、その後別の寺に移されていたが、仏像があった建物が火災に遭ったという。
 2005年に国分寺の跡地近くの寺に保管されているのが見つかり、同美術館が学術調査を進めていた。
 全国にある国分寺の本尊では最古例とみられ、聖武天皇が全国に建立を命じた官寺の実像や、当時の本尊の造形を知る貴重な資料となりそうだ。
 仏頭は9月18日から11月16日まで、島根県立石見美術館(益田市有明町)の企画展「千年の祈り−石見の仏像−」で一般公開される。
 

● 東寺創建時緑釉瓦、旧境内で出土(2009年9月3日)
 京都市南区の東寺(教王護国寺)旧境内で、平安前期(9世紀)の緑釉(りょくゆう)瓦が3日までに出土した。
 調査地は、東寺の金堂から100mほど北東で、職人らが住んだとみられる賤院(せんいん)の一角。平安後期の東西方向の溝(幅4m、深さ50cm)から緑釉瓦が8点出土した。丸瓦のほか、軒先を飾った軒丸瓦や軒平瓦、棟に積み上げた熨斗(のし)瓦があった。
 緑釉瓦は平安宮の中でも大極殿や豊楽殿など中心的な建物にしか使われない国家権力の象徴。
 東寺跡や同じ官立寺院の西寺跡でも出土例はあるが、これほどまとまって出土したのは初めて。平城京の寺では見つかっていない。

● 法隆寺西円堂「峰の薬師」100年振り修理(2009年8月27日)
 奈良市斑鳩町の法隆寺西円堂本尊・薬師如来坐像(国宝)の修理が進められている。
 薬師如来坐像は奈良時代末期の脱活乾漆造で、総高250cm。無病息災や延命長寿の霊験があるとされ、「峰の薬師」と呼ばれ、中世以前から広く信仰を集めたことが知られる。
 修理は明治40〜41年以来約100年振りで、作業は8月末に終わるという。

● 四川省眉山市ダムの底から唐代の仏像40年振りに姿現す(2009年8月27日)
 中国四川省眉山市のダムから岩壁一面に1000体もの仏像が彫られた「千仏岩」が、40年振りに姿を現した。
 「千仏岩」は、1963年のダム建設で水底に沈んだが、昨年5月の四川大地震で水位が下がり、姿を現したという。岩壁には30cm前後の仏像がびっしり彫られており、唐代のもので地元の指定文化財になっているという。

● 石川・専長寺本堂など金沢市の指定文化財に(2009年8月25日)
 金沢市文化財保護審議会は、金石西の専長寺本堂(附棟札一枚)、旧鬼瓦一対、松帆しゃ(しゃは木偏に射)及び山門など二点を市指定文化財にすることを市教育委員会に答申した。
 専長寺の本堂は寛政9年(1797)、元は加賀八家の横山家の屋敷跡であった現在地に建築されたもので、高い技術で造られた浄土真宗の本堂の典型という。

● 滋賀・円満院の重文建物など競売で、宗教法人に所有権移転(2009年8月24日)
 大津市園城寺町の円満院で、国の重要文化財宸殿などの建物と名勝史跡の庭園などが競売にかけられ、甲賀市の宗教法人大岡寺が落札した。
 円満院は、平安時代の創建とされるが、競売にかけられたのは宸殿など9棟と、庭園などの敷地約14,000平方メートルで、円満院の所有権は大岡寺に移転した。
競売で重文の所有者が変わったのは異例という。
 円満院は、寺の運営に影響はなく、重文はこのまま維持・管理する方向で協議したいとしている。

● 栃木・満願寺で台座蓮弁24枚発見(2009年8月22日)
 栃木県河内郡上三川の満願寺で、平安時代末期に造られた阿弥陀如来坐像(県指定文化財)の台座装飾の一部が同寺楼門で見つかった。
 台座装飾はハスの花弁をかたどった蓮弁で、破損したものも含め24枚発見された。大きなものは縦、横ともに約20cm。部分的に漆箔が張られ、台座に取り付ける際に使われたとみられる木くぎが残った部分もあり、保存状態は良いという。

● パラミタミュージアムで「アンコールワット展」開催(2009年8月22日)
 パラミタミュージアム(三重県菰野町大羽根園)で、上智大の調査団が8年前にアンコール遺跡群で発見した仏像11点が国内で初めて公開される。
 調査団はアンコールワットの東北にあるバンテアイ・クデイ遺跡で、頭部と胴体が切断されて埋められた約800年前の仏像274点を発掘した。展示した神仏の像と絵画は全67点。国内初公開の「ヤマ天像」などもある。
 8月21日から9月30日まで。

● 滋賀県立琵琶湖文化館開館50周年記念「湖の国の名宝展」(2009年8月15日)
 2010年6月11日から9月5日まで、九州国立博物館で、滋賀県立琵琶湖文化館開館50周年記念「湖の国の名宝展」が開催される。
既に閉館している琵琶湖文化館には現在、国宝17点・重要文化財198点を含む文化財が5000点収蔵されているが、これらの所有品及び寄託品のうちから、国宝・重要文化財を中心に展示する。
展示品の詳細は未定だが、下記の像などが出展されると思われる。
 地蔵菩薩立像 東南寺 安土町
 銀造阿弥陀如来立像 浄厳院 安土町
 聖観音立像 櫟野寺 甲賀市
 薬師如来立像 長谷寺 高島市
 阿弥陀如来立像 観音寺 草津市
 普賢菩薩立像 志那神社 草津市
 帝釈天立像 正法寺 大津市
 阿弥陀如来立像 長福寺 日野市
 十一面観音立像 長福寺 日野市
 銅造薬師如来立像 聖衆来迎寺 大津市
 薬師如来坐像 大日寺 甲賀市
 薬師如来坐像 慈眼寺 守山市

● 静岡地震文化財国指定10件、県2件など被害(2009年8月14日)
 静岡で起こった震度で被害を受けた指定文化財、登録文化財、埋蔵文化財は、国指定10件、県2件などを含め少なくとも28件に上ることが分かった。
 石造宝塔として県内最古とされる県指定文化財(建造物)の「平田寺多宝塔」(牧之原市)は、高さ計約2mの5つの石材のうち、4つが割れた。
 また、埋蔵文化財に指定されている駿府城跡(静岡市葵区)の石垣は、内堀が1カ所、外堀が2カ所が最大幅30mにわたって崩落した。

● 奈良・海龍王寺の五重小塔の柱に、希少な朱顔料使用‎(2009年8月12日‎)
 奈良市法華寺町の海龍王寺で五重小塔(国宝、奈良時代)の柱に、希少な朱(しゅ)顔料が使われていたことが分かった。
 朱色は古代から宮殿や寺院に施されているが、多くは鮮やかさの落ちるベンガラが使用されており、貴重な朱顔料が古代の木造建造物で確認された例は少ない。今までの確認例は平等院鳳凰堂(京都府宇治市)や唐招提寺金堂(奈良市)などわずかで、今回の例が最古級という。

● 兵庫県有形文化財新温泉町の相應峯寺圓通殿を登録(2009年8月8日)
 兵庫県教育委員会は、太子町鵤の旧尾野家住宅の主屋(しゅおく)(母屋)と土蔵、新温泉町清富の相應峯寺圓通殿を県有形文化財(建造物)に登録した。
 相應峯寺圓通殿は、棟札から天保(1832)年の建立とされる天台宗の仏堂で、観音山山頂にある。木造平屋建て、寄棟造りの三間堂で、唐様の簡素な建築。内部は礼堂、脇陣、内陣からなる中世仏堂形式で、内陣には唐様の須弥壇の上に彩色を施した厨子が安置されている。

● 大分県有形文化財に木原自治会の木造聖観音立像などを指定(2009年8月8日)
 大分県教育委員会は、県有形文化財に竹田市・健男霜凝日子(たけおしもこりひこ)神社所有の神坐像(男女3体)と同市木原自治会所有の木造聖観音立像の彫刻計2件・4体を指定した。

 神坐像は室町時代(南北朝時代)の作で、高さはそれぞれ55.3〜80.3cm。ヒノキの一木造。
聖観音立像は平安時代前期の作で、像高92.3cm。保存状況もよく、同時代の特徴である翻波(ほんば)式衣文が見られる。


● 奈良文化財研究所「ガイダンスコーナー」オープン(2009年8月6日)
 奈良文化財研究所(奈良市二条町2)は、研究成果を発信する「ガイダンスコーナー」を庁舎内にオープンさせた。
 平城宮跡の情報発信拠点である「平城宮跡資料館」が今年6月からリニューアル工事で閉館しているため、庁舎内に代替施設として設けた。
 海外での国際学術協力の概要を調べたり、コンピューターを使った情報検索、刊行物の入手もできる。入場無料。

● 滋賀・長命寺で、十界曼荼羅2点発見(2009年8月6日)
 滋賀県近江八幡市長命寺町にある長命寺の塔頭、穀屋寺で熊野観心十界曼荼羅(まんだら)2点と長命寺参詣曼荼羅3点が見つかった。
  十界曼荼羅は縦約141cm、横約110cm。上部に人の一生、中下部に仏界や地獄道など人の心にある「十界」を表現している。中央上部の仏を3体描いて いる点が特徴。人物の服装や髪形から戦国時代末期と江戸時代後期の作とみられ、戦国時代末期のものは全国で確認された十界曼荼羅約60点で最古級という。
 参詣曼荼羅は縦約154〜161cm、横約159〜180cm。長命寺の境内を上から眺めた視点で描いている。3点はそれぞれ戦国時代末期、江戸時代中期、同後期の作と見られる。

● 新薬師寺金堂前に奈良時代、八角形の柱発見(2009年8月4日)
 奈良市の奈良教育大構内にある新薬師寺旧境内の金堂跡の前で、8世紀(奈良時代)の橋脚とみられる八角形の掘っ立て柱2本が見つかった。
  柱が出土したのは金堂跡の約60メートル南。金堂の中軸線を挟み、3メートル離れて東西に並んで見つかった。直径約30センチのヒノキ材で、東側の柱は約 80センチ分、西側は約20センチ分が残存。工具の加工痕が残っていた。柱穴は約90センチ角の方形で、15〜30センチ大の石を底に敷いていた。
 金堂正面に庭園や池があり、八角形の脚材を持つ橋が架かっていた可能性があるが、類例が無いという。当時八角形の掘立柱を寺院に用いたり、仏堂の正面に庭園や池を設けた類例はないという。

● 新薬師寺旧境内で奈良三彩の容器片出土(2009年8月3日)
 奈良市高畑町の奈良教育大新薬師寺旧境内で、緑色の釉薬(ゆうやく)が美しく残る奈良三彩の容器片が、奈良教育大学の調査で出土した。
 確認された破片は7点で、最も大きな破片は約8.5cmで、平安時代に埋まった幅約2.5mの溝で見つかった。濃い緑色の釉薬がかかっており、鉢などの容器とみられる。
 同寺が創建された奈良時代中ごろ―後半の遺物という。
 奈良三彩は中国・唐の三彩をまねて作られ、緑や茶色の釉薬でまだら状の文様を表現。寺院や貴族の屋敷跡で見つかる高級品で、新薬師寺でも法要に使ったとみられる。


● 大雨・突風 萬福寺も被害(2009年8月2日)
 京都府宇治市の萬福寺(まんぷくじ)で、本堂(国重文)の瓦が飛ばされるなどの被害が出ていたことがわかった。
 1日に京都府や兵庫県などを襲った強い風雨により、約350年前に建立された萬福寺の「大雄宝(だいゆうほう)殿」(本堂)の瓦2、3枚が落ち、別に瓦約20枚がずれたうえ、障子4枚が吹き飛んだ。僧侶らが障子を押さえたが、抗しきれなかったという。

● 鳥取県県文化財に上淀廃寺跡出土の彩色壁画と塑像など指定
 鳥取県文化財保護審議会は、米子市淀江町福岡の国史跡・上淀廃寺跡から出土した「神将」などの彩色壁画と塑像173点と、三朝町三徳の三徳山・三仏寺に伝わる木造狛犬1体を県指定保護文化財にするよう県教育委員会に答申した。
 彩色壁画42点は、いずれも1〜5cmセンチの破片で、赤や群青など12種類の彩色が施され、数個を接合すると「神将」や「菩薩」などに復元できる。国内最古級の仏教壁画で、仏陀の生涯を物語として描き、金堂壁面の装飾にしたらしい。
 塑像は、金堂本尊の如来坐像と脇侍菩薩立像、四天王像の一部で、髪の毛である螺髪や胴体の衣装部分など115点。
 木造狛犬は、高さ77.7cmで、平安時代後期に当たる12世紀前半の制作。顔の部分が欠けているが、平安時代の木造狛犬は、全国では薬師寺(奈良市)など十数例があるだけで貴重。
 
● 山口豪雨で阿弥陀寺石風呂など文化財7件被害(2009年7月30日)
 山口県の豪雨災害で防府市の阿弥陀寺にある国指定重要有形民俗文化財の「湯屋」に土砂が流れ込んだりするなど、少なくとも県内の文化財が7件8か所で深刻な被害を受けていることがわかった。
 確認された被害は国指定5件6か所、県指定2件2か所。このうち阿弥陀寺では豪雨で裏山が崩れ、土石流が発生。入浴施設の湯屋(木造平屋約30平方m)内に高さ約20cmの土砂が積もり、柱1本が流失。浸水により脱衣所の板間がたわみ、土壁の一部もはがれた。
  湯屋は鎌倉時代に東大寺を再興した重源上人が、当地で用材を確保するのに当たり、材木を切り出す人夫のためにつくったものといわれ、国の重要有形民俗文化 財に指定されている。鉄の湯釜や石の湯船、石敷きの洗い場などが残っている。また重源の湯屋の伝統を継ぐ石の湯船を再現した石風呂も現在も体験入浴が行わ れているが、修復が終わるまで使用を見合わせるという。

● キトラ古墳壁画現地保存を断念へ(2009年7月30日)
 明日香村阿部山のキトラ古墳からはぎ取った極彩色壁画について、文化庁の古墳壁画保存活用検討会の作業部会は「石室へ戻すことは技術的に不可能」とする意見で一致した。
石室を解体して修復中の高松塚古墳(明日香村平田)の国宝壁画の保存方法にも影響を与えそうだ。
  キトラ古墳の壁画は、下地のしっくいがはがれ落ちる危険があり、カビも広がっていたことから、平成16年に朱雀などの四神図や十二支図、天文図を剥ぎ取っ て修復していた。しかし、今後石室に戻した場合、湿度が高いためカビの発生が避けられず、技術的に壁画の劣化が防げないことから断念せざるをえないとい う。

● 神奈川・中沼薬師堂の薬師如来坐像修理完了(2009年7月29日)
 南足柄市の中沼薬師堂(平安時代─1011年建立)に納められている、市指定重要文化財の中沼薬師如来坐像の修復が完了した。
 薬師如来坐像はかやの木の一木造りで、像高91.5cm。12年毎の寅年にご開扉が行われているが、来年が寅年で、同時に建立1000年を迎える節目の年になる。
 2年前に調査を行ったところ、痛みが激しく、腰から膝の部分などが作り直されていることが分かったことから、右手指の欠損や背面などを修復し、膝部を造り直すなど当初の姿に戻したという。
 
修理前                 修理後

● 防府市豪雨災害避難時に仏像破損(2009年7月27日)
 山口豪雨災害で、防府市指定の有形文化財などの仏像5体を市教委が避難させる際、数カ所が破損していたことが分かった。
5体とも平安後期の作とみられ、このうち薬師如来坐像が市有形文化財。いずれも同市中山の薬師堂に納められていた。
 豪雨で薬師堂の裏山の斜面が崩れ、大量の土砂が建物を直撃し、住民の連絡で市教委文化財課の職員が現地を訪れた。
 ブルーシート以外に仏像を保護する材料を持参しておらず、住民たちがタオルや毛布を提供。課員が運んだ際、薬師如来坐像の左手や腰から下の部分が外れた。別の仏像は台座の飾り数枚が外れたという。

● 京都・泉涌寺楊貴妃観音内胎内に五輪塔(2009年7月25日)
 京都市東山区泉涌寺の「楊貴妃観音」として知られる観音菩薩坐像(重要文化財)の胸部に、舎利(遺骨)3粒が入った高さ約3.6cmの五輪塔とみられる納入品がエックス線撮影で確認された。
 像は木造で像高115cm。面長で豪華な宝冠などが宋代の装飾趣味を伝える。鎌倉時代、泉涌寺の湛海が宋から帰朝する際に持ち込んだ可能性が高い。
 五輪塔は、本像が南宋時代(13世紀)の中国で制作された際に納められたとみられが、五輪塔を胎内に納入する例は国内では12世紀から作例があるが、国内以外では確認されておらず、湛海が中国で工人に観音像の制作を頼んだ際、五輪塔納入を指示した可能性もあるという。

● 京都・清凉寺に収蔵されている扉絵旧厨子のものと判明(2009年7月24日)
 京都・清凉寺に収蔵されている扉絵が、「三国伝来の釈迦」として知られる同寺の本尊、釈迦如来立像(国宝)を安置した旧厨子のものと見られることがわかった。
 扉絵は4面あり、縦168cm、横44〜50cm。金光明経が説く四天王や吉祥天など12体の神々が描かれている。
 扉絵は描き方などから鎌倉時代後期に描かれたと見られるが、大きさや形状が江戸期に作り直された現在の厨子と扉の大きさや一致したことから判明した。
 宋では、金光明経の神々を描いた図像を掲げ、国家鎮護を祈る法「金光明懺(せんぽう)法」が営まれていた。扉絵はこの図像に似ており、像と一緒に法会も伝えられ、ある時期まで清凉寺でも営まれていた可能性が高いという。
扉絵は、奈良国立博物館で8月30日まで開かれている特別展「聖地寧波」で、釈迦如来立像(7月30日まで)と共に寺外初公開されている。

● 日本伝統建築技術保存会を選定保存技術保存団体に認定(2009年7月18日)
 文化財修理などを手がける全国の大工らでつくる特定非営利活動法人(NPO)「日本伝統建築技術保存会」が、国の文化審議会で、「選定保存技術保存団体」に認定するよう文部科学省に答申された。
 同保存会は国宝や国の重要文化財の修理を手がける大工や工務店経営者が日本古来の「建造物木工」技術の継承と伝承者育成を目的に2000年に設立。2004年にNPO法人化した。正会員を中心に賛助、特別会員らを合わせると総会員439人。
 任意団体として発足以来、文化財建造物修理の理念や知識、基本的な木工技能の習得を目指して、技能者養成研修や講演会、研究会を開き、技術伝承者の育成及び普及啓発活動に尽力してきた。

● 奈良・8寺院が十一面観音像のホームページを立ち上げ(2009年7月15日)
 十一面観音像を安置する県内の8寺院が、それぞれの仏像と寺を紹介するホームページを立ち上げた。
 十一面観音は古くから多くの信仰を集めており、8体を巡って88の顔を拝観すると「子供の13歳、女性の33歳、男性の42歳」とされる厄年の合計88と同じ数になり、人生におけるすべての厄災から救われるという。
  奈良県内には多くの十一面観音像があるが、巡礼する定番コースはなかったことから、海龍王寺が昨年提案し、来年の平城遷都1300年祭を前に、法華寺(奈 良市)▽大安寺(同)▽西大寺(同)▽海龍王寺(同)▽聖林寺(桜井市)▽長谷寺(同)▽室生寺(宇陀市)▽法輪寺(斑鳩町)が「大和路 秀麗 八十八面 観音巡礼」(http://www.kairyuouji.jp/kannon.html)を立ち上げた。HPではそれぞれの仏像の解説があり、各寺の HPも紹介されている。

● 阿修羅像をCTスキャンで撮影(2009年7月11日)
 九州国立博物館(福岡県太宰府市)で奈良・興福寺の阿修羅像が7日午前、九博のCTスキャン装置で調査された。
 CTスキャン装置は、対象物に触れずにX線であらゆる角度から透視し、いくつもの断面映像を写し撮ることができる。それらのデータを元に、内部構造の3次元的な把握が可能となる。
  阿修羅像は麻布を何枚も漆で張り合わせた脱活乾漆という技法が使われており、内部にはいくつもの木組みが入っている。九博は、木組みがどのように組み合わ されているのかなど、阿修羅像の制作技法を詳しく分析する予定。天平の造形の謎に、科学的に迫る手がかりになりそうだ。

● 神奈川・中沼薬師堂の薬師如来坐像が修復を終え里帰(2009年7月11日)
 神奈川県南足柄市中沼の中沼薬師堂の薬師如来坐像(市指定文化財)が、1年にわたる修復を終えて薬師堂に戻された。
 薬師如来坐像はカヤの一木造で、像高90cm。薬師堂が建立された1011年ごろの制作と考えられている。
 2010 年に建立1000年の記念祭を開くため、調査したところ、右手中指と薬指が欠損し、背中やひざに粗雑な修復が施されていたほか、後光を表す光背と台座の傷 みが激しいことから、修復を行っていた。色あせていた塗装や、緩んでいた部材のつなぎ目が修繕され、姿がよみがえった。



 

● 興福寺三重塔の弁才天像七夕の日に公開(2009年7月8日)
 奈良市の興福寺で7日、国宝・三重塔の初層に安置されている弁才天像に祈りをささげる恒例の「弁才天供(く)」があった。
 弁才天像は像高38.5cm、窪(くぼ)弁才天と呼ばれ、江戸時代初期の制作。年に一度、七夕の日だけ公開される。
 三重塔は鎌倉時代初めの建築で、北円堂(国宝)と並び、寺内で最古の建造物。参拝者にも内三重塔の内部が公開された。

● 奈良・吉野山南部遺跡群に石蔵寺宝塔院跡(2009年7月8日)
 奈良県吉野町吉野山南部遺跡群山中に残る平地で、白河天皇(1053〜1129年)が営んだ石蔵寺宝塔院跡が見つかった。
  吉野水分神社から金峯神社に続く尾根沿い一帯を測量した結果、宝塔院跡とされる上岩倉地区最大の平地は2070平方m、金照坊地区の平地も1200平方m 以上と分かった。周辺の斜面には11世紀後半〜12世紀前半の形式の大量の土器が落ちており、上岩倉地区には基壇状の高まりもあり、石蔵寺宝塔院跡とみて ほぼ間違いないという。
 白河天皇は11世紀後半に宝塔の建立を発願し、自らも行幸。藤原道長(966〜1027年)が「その寺はなはだ美なり」と書き残した金照坊も石蔵寺子院の一つとみられている。

● 茨城・菖蒲沢薬師堂の薬師如来坐像修復完了(2009年7月6日)
 石岡市の桑柄山中腹にある菖蒲沢薬師堂の薬師如来坐像(市指定文化財)が、1年以上かけた修復工事を終えた。
 薬師如来坐像は像高1.6mで、漆箔仕上げ。これまで室町時代の作と見られてきたが、今回の修復作業中、1687年に京都の仏師が制作したという趣旨の墨書銘が見つかり、江戸時代の制作と確認された。

● 西大寺旧境内で最古のイスラム陶器出土(2009年7月3日)
 奈良市西大寺新田町西大寺旧境内で、西アジアのイスラム帝国、アッバース朝(750年成立)で生産された8世紀後半とみられるイスラム陶器のつぼの破片が見つかった。
 破片は19個で、旧境内を区画した溝から出土。外側は青緑色、内側は暗緑色で、ガラス質のうわぐすりが厚く塗られていた。「神護景雲二年」(768)と記された木簡と一緒に見つかり、年代が分かった。
 つぼは復元すると高さ50cmチ以上、底の直径11〜12cmもある大型で、イスラム商人が西域特産の「乳香」「バラ水」といった香料やナツメヤシの実を入れて運んだ容器だったとみられる。
 当時、奈良時代の東西交易といえば陸のシルクロードが中心であったが、シルクロードで伝来した宝物が数多く納められている正倉院にも、イスラム陶器はない。
 イスラム陶器は、国内では海外の窓口だった鴻臚館(こうろかん)跡(福岡市)や大宰府跡(福岡県太宰府市)などで出土しているが、小片が多く、いずれも9世紀後半以降のものだった。
  大型の壺は重く、割れやすいことから、航海技術が向上した8世紀後半ごろから、東西アジア間で船に乗せて運ばれるようになった。今回見つかったようなつぼ は、そのルートの途中にあたるインド洋の沿岸地域にある港町の遺跡やマレー半島で多く見つかっているが、東西アジアをつなぐ『海のシルクロード』が平城京 まで続いていたことを示す第一級の史料と考えられる。

 
 出土したイスラム陶器の破片   バーレーンで出土した同種とみられるつぼ

● 京都・妙満寺で13世紀の高麗仏画発見(2009年7月1日)
 京都市左京区の妙満寺で、朝鮮半島・高麗王朝時代の仏画(高麗仏画)が見つかった。
  見つかったのは、菩提樹の下で成仏した弥勒如来が、父母のいる宮殿に戻り、多くの人々を前に説法をする姿を描いた「弥勒大成仏経変相図」。縦約2.3m、 横約1.3mの大作で、金泥を使った衣の細やかな文様や、中央に座る弥勒如来の顔や胸元をぼかしを使って描く輪郭線の優雅な筆致が特徴だ。
 制作年は13世紀末と、これまで年代が判明している高麗仏画では世界で3番目に古いという。

● 奈良唐招提寺金堂解体修理完了(2009年6月30日)
 奈良市五条町の唐招提寺で金堂(国宝)の解体修理工事が完了し、金堂周辺に砂利を敷き直す作業も終わり、金堂を取り囲んでいたフェンスが撤去された。
 正面の石燈籠は笠の欠けた部分を後ろに回して目立ちにくくして元通りに設置されたほか、手水用の吐水盤も元に戻され、天平時代の威容を取り戻した。
  唐招提寺は唐の高僧、鑑真が創建した寺で、金堂は奈良時代のものとしては現存唯一の貴重な建築で、「天平の甍(いらか)」として知られたが、柱が傾くなど 老朽化が進み、奈良県文化財保存事務所が1998年から調査と解体修理に着手していた。内部に安置されている本尊の盧舎那仏坐像(国宝)などの仏像の組み 立て作業は今後も続くため、11月に行われる予定の落慶法要まで、堂内は拝観できない。

● 兵庫・糸田自治会所有の16体 書写山円教寺で公開(2009年6月14日)
 兵庫県旧夢前町糸田大日堂に安置されていた仏像16体が、姫路市書写の書写山円教寺食堂で公開されている。
 糸田自治会が所有する仏像群「糸田大日堂木仏」で、像高は約0.5〜1m、16体中10体はヒノキの一木造り。体の向きや顔の凹凸などから大日如来や地蔵菩薩像などとされている。
  仏像群は江戸時代以前は糸田地区の旧大日堂が所有していたが、明治の廃仏毀釈の際、打ち壊しを免れるため、旧糸田村が所有する形にし、2000年からは町 内にある円教寺ゆかりの法界寺に移された。更に旧夢前町が2006年3月に姫路市と合併したことから円教寺に移されたという。
 流転の歴史を物語るように顔も判別できなくなっている像ばかりだが、10〜11世紀の制作と見られるという。

● 京都・泉涌寺悲田院の宝冠阿弥陀如来坐像が快慶作と確認(2009年6月14日)
 京都市東山区の泉涌寺の塔頭・悲田院が所蔵する宝冠阿弥陀如来坐像が、鎌倉時代前期の仏師・快慶の作であることが、分かった。
 阿弥陀如来坐像はヒノキ材で像高72cm、理知的な眼や表情など、快慶の特徴的な作風が見られ、同院では古くから「快慶作」との伝承が残っていた。
  大津市歴史博物館が特別展「湖都(こと)大津社寺の名宝」で展示するため、調査を実施し、ファイバースコープで胎内を撮影したところ、頭の内部に快慶の銘 文を示す「アン(梵字)アミタ佛」と墨書されているのが確認され、弟子とみられる「忍アミタ佛」「円アミタ佛」「金アミタ佛」らの名もあった。
 宝冠をいただく阿弥陀如来像は天台宗独特で、高僧・円仁が伝えたとされ、全国に十数体残されており、快慶作としては、広島県尾道市の耕三寺所蔵の同坐像(重要文化財)が著名。
 特別展は10月10日から11月23日まで行われる。阿弥陀如来坐像は10月25日まで展示される。

●    京都・宝寿院の阿弥陀如来立像に「定慶」作の墨書(2009年6月6日)
 京都府八幡市美濃山の宝寿院の本尊、阿弥陀如来立像の内部から、鎌倉時代の文暦2年(1235)に「泉州別当定慶」が制作したとの墨書銘が見つかった。
 像はヒノキ材で、像高77.8cm。
  定慶を名乗る仏師は興福寺東金堂維摩居士像(国宝)などを造った春日定慶ら3人の仏師が知られているが、理知的な表情や着衣の表現など、快慶が確立した安 阿弥様(あんなみよう)を受け継いでおり、同時期に活躍した肥後別当定慶とは作風が異なるため、第4の定慶がいたとみられるという。
 また、仏像が壊れているのを見た者は、修理すれば浄土に行けるだろうとの内容の墨書銘もあった。
 阿弥陀如来立像は、現在京都府立山城郷土資料館(津川市山城町)に寄託、公開されている。

● 興福寺・天平伽藍復興へ中金堂基壇復元(2009年6月3日)
 奈良市の興福寺で、江戸時代に焼失した中金堂の基壇部分が復元された。
 11月には、明治時代の発掘調査で出土した金銀などの豪華な鎮壇具(国宝)を再現し、基壇に埋納する。
 再建される中金堂は幅約37m、奥行き約23m、高さ約20mで、二重屋根の天平様式。基壇には凝灰岩が組まれ、壮大な階段も復元された。南側の中門や東西回廊の基壇もすでに大半が復元されている。
 中金堂は奈良時代初めに同寺の中核建物として建立されたが、平安時代以降7度焼失。再建が繰り返され、享保2年(1717)に焼けた後は本格復興はされなかった。
 創建1300年となる来年の10月に立柱式を行い、平成29年ごろの完成を目指す。

● 滋賀・円満院の重文建物、宗教法人が落札(2009年5月31日)
 滋賀県大津市の平安時代創建の門跡寺院「円満院」の重要文化財・宸殿(しんでん)など建物9棟と、国名勝庭園など土地約14,000平方mが競売にかけられ、滋賀県甲賀市の宗教法人が落札していたことがわかった。
  円満院は、葬祭事業や仏像販売などを手掛けて多額の負債を抱え、境内地が1983年から金融機関に根抵当権を設定されるなどしており、 1967 88年には、円山応挙の「絹本著色孔雀牡丹画(けんぽんちゃくしょくくじゃくぼたんが)」など重文9点を売却。1997年には、狩野 派の絵師が描いた宸殿のふすま絵などが競売されて所有者が移転。99年それ以後も宸殿や土地が断続的に競売公告されていた。
 文化財保護法では、文化財の所有者が変更された際の届け出を義務づけているが、競売による所有権移転は規制しておらず、文化庁は「想定外のケース」としている。

● 奈良・箸墓古墳の築造は卑弥呼死亡時期と一致(2009年05月29日)
 奈良県桜井市箸墓古墳の築造時期について、国立歴史民俗博物館が出土した土器に付着した炭化物などを放射性炭素(C14)年代測定した結果、240 260年とする調査結果をまとめた
  箸墓古墳は全長280mで、最初に築かれた巨大前方後円墳。邪馬台国論争の鍵を握る古墳として注目されている。中国の歴史書「魏志倭人伝」によると、卑弥 呼は239年、魏の皇帝に使者を送り、「親魏倭王」の称号と銅鏡を贈られたとされ、「卑弥呼以て死す、大いに冢(つか)を作る」と記載された247年頃と 築造時期が一致し、箸墓古墳が卑弥呼の墓であることは可能性が高くなった。

● 名古屋・天恩寺で地蔵菩薩像頭部から仏舎利、経文など発見(2009年5月27日)
 愛知県岡崎市片寄町の臨済宗天恩寺の本尊、延命地蔵菩薩像の頭部から、630年以上前の創建の経緯が示された文書などが見つかった。
 地蔵菩薩像は像高約45cmで、見つかったのは、最大2mにも及ぶ経文や文書、仏舎利、人間の毛髪、つめなど約20点で、長さ約10cm、直径3cmの漆塗りの紙の筒に入れられた状態で保存され、開眼供養時に納められたとみられる。
  天恩寺は、室町時代に足利将軍家の武将から領地の寄進を受けて、滋賀県東近江市の臨済宗永源寺の高僧弥天永釈(みてんえいしゃく)が1363年に創建した と伝えるが、文書には、1370年を示す年号や弥天永釈など、足利氏と関係が深い人物名があり、寺伝が裏付けられたという。

●    「高田コレクション」帝塚山大に寄贈(2009年5月23日)
 古文化財の研究者としても知られる奈良県斑鳩町、法隆寺の高田良信長老が、半世紀にわたって収集した中国の古瓦や青銅器などを奈良市の帝塚山大学に寄贈した。
 寄贈されたのは、中国・戦国時代から清代の瓦や瓦質タイルのせんなど約80点のほか、中国の青銅器や高松塚古墳出土品に似た海獣葡萄鏡(唐代)、仏、馬具、ガラス玉、モンゴル出土の泥塔などで200点を超える。
 高田長老は小学生時代、兵庫県西宮市の黒川古文化研究所で新羅の宝相華文のの美しさに魅了され、瓦に興味を持った。法隆寺の古瓦も収集し、法隆寺の宝物調査「昭和資財帳づくり」では瓦を寺に戻し、同寺の瓦の基礎資料となった。
 高田長老は「散逸を避けたかった。少しでも社会の役に立つよう活用してほしい」と話しており、同大学では、秋には付属博物館で特別展を開催する。

● 高松塚古墳高精細写真の石室内 資料集とBDセット販売(2009年5月21日)
 奈良文化財研究所は、奈良県明日香村の高松塚古墳の解体直前の2006年に、石室内をデジタルカメラで撮影した高精細写真を掲載した資料集と、ブルーレイディスク(BD)をセットにした冊子を作成した。
 資料集には、髪の毛1本まで見て取れる原寸大の飛鳥美人など41点の写真が掲載され、BDには、1秒間に30枚の写真を使った動画も10分間収録されている。
 6月1日から、橿原市木之本町の奈文研藤原宮跡資料室で200冊を3200円で販売するほか、電話で申し込みを受け付ける。

● 平安神宮、鮮やか構想図伊東忠太の直筆発見(2009年5月21日)
 京都市左京区岡崎の平安神宮の基本設計図とみられる彩色図面9枚が倉庫から見つかった。
  見つかったのは、大判の紙に大極殿や応天門、蒼龍(そうりゅう)・白虎両楼などを20分の1の縮尺で描いた立面図や断面図など9枚。署名は当時の宮内省内 匠(たくみ)寮技師の木子と伊東の連名だが、図面に描き込まれたモダンな人物像が伊東の他の図面にも見られることなどから伊東の自筆と見られる。      
 平安神宮は、明治28(1895)に建てられたもので、日本建築史学の開拓者で近代建築に日本的要素を本格的に取り入れた伊東忠太(1867〜1954)の建築家デビュー作。これまで実施設計図の存在は知られていたが、構想段階の図面が確認されたのは初めてという。

● 奈良・報恩寺の阿弥陀如来坐像修理へ(2009年5月20日)
 奈良県桜井市外山の報恩寺に伝わる平安時代後期の阿弥陀如来坐像が、県の文化財指定を契機に修理されることになった。
 阿弥陀如来坐像は像高約2.1メートルで、来歴は不明だが、廃寺になった粟原寺(同市粟原)の旧仏と伝承されてきた。ヒノキの寄木造で漆箔仕上げ。見開きの大きい目に定朝様式の初期の特色があり、制作は11世紀中ごろにさかのぼるという。
 奈良国立博物館にある財団法人美術院の工房で解体修理が予定されており、2年ほどかかる見込み。

● 当麻寺中之坊本尊を光背亀裂修復(2009年5月16日)
 奈良県葛城市当麻の当麻寺中之坊の十一面観音立像が修復される。
 十一面観音立像は、像高さは83cmで、平安時代(10世紀)の作とされ、重要美術品認定を受けている。都から中将姫を当麻寺へ導いた観音様とされ、特に女性の守り本尊として信仰が厚い。
 様式が合っていなかった光背については、昭和32年からの解体修理で当麻寺本堂から見つかった板光背40面や室生寺仏像の板光背を参考にしながら平安初期の彩色豊かな板光背を再現するという。

● 栃木・光明寺不動明王坐像の修復完了(2009年5月14日)
 栃木県さくら市氏家の光明寺の青銅造不動明王坐像(県文)が、鋳造250年の節目に当たる今年の二年間にわたる修復工事が完了し、5月23日落慶式が行われる。
 不動明王坐像は像高3mで、この大きさで、屋外に安置された青銅の不動明王坐像は珍しいという。


● 平城宮東院庭園(奈良市)などを国史跡に(2009年5月16日)
 文化審議会は、平城宮東院庭園(奈良市)など4件を名勝に、10件を史跡に、2件を登録記念物(名勝地)に登録するよう文部科学相に答申した。
 指定は次の通り。

【名勝】
 ▽別府の地獄(大分県別府市)
 ▽首里城書院・鎖之間(さすのま)庭園(那覇市)
 ▽アイヌの景勝地「ピリカノカ クトゥンヌプリ、ピンネタイオルシペ」(北海道名寄市、石狩市)
 ▽平城宮東院庭園(奈良市)
【史跡】
 ▽宇治川太閤堤(たいこうづつみ)」(京都府宇治市)
 ▽会津新宮城跡(福島県喜多方市)
 ▽高山社跡(群馬県藤岡市)
 ▽武蔵国府跡(東京都府中市)
 ▽増山城跡(富山県砺波市)
 ▽伊賀国庁跡(三重県伊賀市)
 ▽二子塚古墳(広島県福山市)
 ▽隈部(くまべ)氏館跡(熊本県山鹿市)
 ▽棚底(たなそこ)城跡(同県天草市)
 ▽宇江城城(うえぐすくじょう)跡(沖縄県久米島町)
【登録記念物】(名勝地)
 ▽国立西洋美術館園地(東京都台東区)
 ▽鶴舞(つるま)公園(名古屋市)

● 熊本県重要文化財に八代市大門観音堂と薬師堂の鰐口指定へ(2009年5月15日)
 熊本県教委は、八代市坂本町葉木の大門観音堂にある県内最古の「鰐口(わにぐち)」など2件を県指定重要文化財に指定する。
 指定されるのは、地元大門地区自治会が管理する大門観音堂と大門薬師堂の鰐口2点。神社の社殿などに掛ける銅製の音響具で、南北朝時代に作られた。現在も使われており、観音堂のものは県内最古、薬師堂のものは4番目に古いという。

● 奈良・「日吉館」老朽化で取り壊しへ(2009年5月14日)
 奈良市登大路町の旅館日吉館が、老朽化のため取り壊されることになった。
  日吉館は奈良国立博物館北側にあり、1914年の創業で、建物は木造2階建て。NHKドラマ「あおによし」のモデルにもなった女将(おかみ)田村キヨノさ ん(1998年に88歳で死去)が、格安な料金で経営していた。 作家の志賀直哉や歌人で早稲田大学教授だった会津八一、「古寺巡礼」を著した哲学者・和 辻哲郎、評論家の小林秀雄ら多くの文化人が定宿としたが、1995年、田村さんの高齢化などで約80年の歴史に幕を閉じた。
一時はセミナーハウスとして活用する計画もあったが、立ち消えとなっていた。
 所有者は、店舗付き住宅を建設する計画で、文化庁や奈良県は「歴史を物語るシンボルとして今の外観に近い形を残すこと」などをお願いしたいとして話し合いを進めている。

  (所感)学生時代、個人旅行や、合宿などでよく利用させてもらった。ミーティングで、全員二階に上がろうとしたら、田村さんが「床が抜けるからやめて!」 と怒られたことを今でも思い出す。お決まりのお肉一杯のすき焼きの後は、田村さんのお宝だった、会津八一が書いた日吉館の看板の書や手紙などを恐る恐る拝 見するのも楽しみだった。

● 長崎県文化財に晧台寺の山門など指定(2009年5月9日)
 長崎県教委はこのほど、長崎市寺町の晧台寺(こうたいじ)の山門、仁王門、大仏殿を県の有形文化財に、波佐見焼の伝統工芸士、中村平三さんを県の無形文化財に、それぞれ指定した。
 晧台寺は1608年創建の曹洞宗の寺で、山門は1837年、仁王門は1680年、大仏殿は1768年の建築と伝わる。それぞれ建築当初の構造をとどめており貴重な建築物と評価された。仁王門は県内の社寺の門で現存最古とみられる。

● キトラ「朱雀」公開へ-四神そろい踏み  (2009年4月28日)
 明日香村阿部山のキトラ古墳(7世紀末―8世紀初め)の石室からはぎ取られた極彩色壁画の四神図「朱雀(すざく)」を2010年5月15日から6月13日、同村の奈良文化財研究所飛鳥資料館で初めて一般公開する。
 「青竜」「白虎」「玄武」も展示され、四神そろっての公開となる。
 朱雀図は平成19年にはぎ取り、明日香村にある修復施設で、カビと細菌の混合体の除去など保存処置が進んでいる。ただ、絵の表面を覆った泥が乾燥して白っぽくなり、鮮やかな朱色は見えにくくなっているという。   

● 静岡市文化財に最明寺の木造阿弥陀如来坐像など3件を指定(2009年5月2日)
 静岡市は、清水区由比町屋原の最明寺が所蔵する阿弥陀如来坐像、と同所、地持院の木造地蔵菩薩坐像、同区由比入山の摩利支天堂のタブノキの3件を新たに市文化財に指定した。
指定文化財は次の通り。
▽阿弥陀如来座像 像高59.7cm 最明寺 清水区由比町 十三世紀初頭
▽地蔵菩薩座像 像高42.7cm 地持院 清水区由比町 十三世紀初頭
▽タブノキ 高さ25m 摩利支天堂 清水区由比入山


● 奈良・石光寺で白鳳時代の塔跡出土(2009年5月2日)
 ボタンや中将姫伝説で知られる葛城市染野の石光寺の旧境内で、白鳳時代の塔跡とみられる基壇(土台)の遺構が見つかった。
  地盤を固めた基壇の一部(高さ約30cm、幅約2m)が見つかり、基壇の表面を飾る凝灰岩の化粧石断片や白鳳時代の瓦が多量に出土した。基壇は上面が削ら れ、礎石は見つからなかったが、同寺にはこの付近から出土したと伝える塔の心礎が残っていることから、塔跡と判断した。
 基壇は約8m四方、塔は約5m四方と推定、今の当麻寺の三重塔(国宝)より一回り小さい塔だったとみられる。
 石光寺境内からは1991年に、日本最古級の白鳳時代の石仏(高さ1.55mが出土しており、文献通り同寺が白鳳寺院だったことがわかった。弥勒堂は東が正面とみられるため、石光寺は正面から見て右が金堂、左が塔の法隆寺式伽藍配置と考えられる。
 16世紀の当麻寺の絵図にも「染野寺」の名前で本堂と三重塔が描かれていることから、石光寺は創建時から塔、金堂をもち、中世末まで続く大寺院だったことが裏付けられた。

● 大阪・大念佛寺で内部が空洞の阿弥陀如来像発見(2009年5月1日)
 大阪市平野区の大念佛寺阿弥陀如来像の内部が空洞になっており、胸が「卍」字形にくりぬかれていることがわかった。
 像高1.8mで、台座を外すと底板がなく高さ1.5m位置の卍形の胸の穴から外が見えるようになっていた。
 同寺の伝統行事「万部(まんぶ)おねり」で、僧侶がかぶるように身に着け、胸の穴をのぞき窓にして練り歩いたとみられる。

● 奈良・藤ノ木古墳5月2、3日に石室公開(2009年4月27日)
 斑鳩町教育委員会は5月2、3の両日、同町法隆寺西二丁目の国史跡・藤ノ木古墳(6世紀後半)の石室内を一般公開する。墳丘や石室内の整備完了後3回目の公開となる。
 両日とも、午前8時半から1時間ごとの整理券を配布。1時間に150人程度、1日に1000人程度の見学者を予定している。


● 京都・平等院で「後醍醐天皇特別展」(2009年4月25日)
 京都府宇治市宇治の平等院で、ゆかりの後醍醐天皇670回忌を記念した特別展が始まった。
 重要文化財の「絹本著色後醍醐天皇御像」が府内で初めて公開されているほか、「宇治川風俗屏風」や「一遍上人絵伝(国宝)」も展示さる。
 4月25日から5月31日まで。
 後醍醐天皇が元徳3年(1331)笠置山の戦いに敗れ、3種の神器を持って3日間、大書院に滞在したとされる浄土院大書院も初公開される。大書院の公開は、5月23日から31日までで予約制。

● 滋賀の博物館で吉野ケ里遺跡の重文のガラス管玉割る(2009年4月25日)
 滋賀県安土町の滋賀県立安土城考古博物館で、特別展示のために借りていた吉野ケ里遺跡(佐賀県)から出土した国の重要文化財のガラス管玉を誤って落とし、十数個が割れた。
  割れたのは首飾り状に6.8cm〜12cmのガラス管玉を糸でつないだ46個の一部。展示作業のためガラスケースから展示板に載せて取り出した際、約1m の高さからじゅうたんを敷いた床に落とし、ガラス管玉が同士がぶつかり、十数個が割れたり欠けたりした。25日からの特別展への出品は取りやめる。
 吉野ケ里遺跡は日本最大級の弥生時代の環濠集落跡。ガラス管玉は、弥生時代中期のもので、平成元年に出土した、同遺跡を代表する出土品。北墳丘墓から出土した14基の甕(かめ)棺の1つに79個入っていた。

● 京都・夜久野丹波漆林が「ふるさと文化財の森」に認定(2009年4月23日)
 国宝や重要文化財などを後世に伝え残していくために必要な資材を確保する「ふるさと文化財の森」に、福知山市夜久野町で整備が続けられている丹波漆林が選ばれた。
  国宝などの文化財建造物を維持、修理していくにはそれにふさわしい木材、檜皮(ひわだ)、茅(かや)、漆などの資材を確保し、関連する技能者を育成する必 要がある。そこで文化庁は、修理に必要な資材のモデル供給林や研修林となる「ふるさと文化財の森」を設定している。
制度が始まって3年目で、今年度は石 川県金沢市の茅場、福井県越前市の大瀧神社境内林(檜皮)、大阪府河内長野市の茅場、三重県の紀北町など3カ所のヒノキ林、そして夜久野の丹波漆林の計7 件が選ばれた。

●    福島県が国文化財補助全廃 市町村から懸念の声(2009年4月21日)
 福島県は本年度、国庫補助の対象となる国指定文化財と埋蔵文化財の補修、発掘調査に対する県の「かさ上げ補助」を廃止した。
 県文化財課は、補助金全体を見直す中、優先順位を付けると廃止せざるを得なかった。国の補助は出るので、文化財保護に大きな影響は出ないはずと説明する。
しかし、
  文化財へのかさ上げ補助について、東北地方では、宮城県は本年度、遺跡発掘調査事業について休止。秋田県は土地公有化事業などへの補助を打ち切っている。 岩手県は補助額が5年間で約3分の1に減少、青森県でも補助廃止が検討課題に挙がっている。山形県は苦しい中、前年度と変わらないようにしたとしている。
  財政難に伴い各県で補助は縮小されているが、全廃は東北で初めて。国の重要伝統的建造物群保存地区「大内宿」がある下郷町はかやぶき屋根の修理などに本年 度、約200万円の県補助を見込んでおり、このままでは、来年度以降は事業を縮小せざるを得ないなど、各市町村からは文化財保護への影響を心配する声も上 がっている。


● 奈良・室生寺本堂の修理終わる(2009年4月20日)
 「女人高野」として知られる奈良県宇陀市の室生寺で、国宝の本堂・灌頂堂(かんじょうどう)の約半世紀ぶりの修理が終了した。檜皮(ひわだ)ぶきの屋根がふき替えられ、美しい姿に生まれ変わった。
 本堂は延慶元年(1308)建立。幅13m、奥行き12.6mの入り母屋造りで、密教で重要な灌頂の儀式が行われる「灌頂堂」の純粋な形をとどめるとして国宝に指定されている。内部の厨子には如意輪観音坐像(重文)が安置されている。


● 兵庫・随願寺本堂、開山堂、鐘楼など8件を重要文化財に指定(2009年4月17日)
 文化審議会は兵庫県姫路市の随願寺本堂、開山堂、鐘楼など8件を重要文化財(建造物)に指定するよう文部科学相に答申した。
随願寺は奈良時代の創建とされる天台宗の寺院で、姫路藩主榊原家の菩提寺となった。1692年に建立された本堂は、近世密教では県内唯一となる七間堂。装飾的で力感があるのも特徴で、近世の大型密教系本堂として完成度が高い。
 同寺の中興の祖である行基の像を祭った開山堂や鐘楼なども江戸時代の建立。本堂と一体となって山中に厳かで大規模な伽藍を形作っている点が評価された。経堂は、撞木造りと呼ばれる珍しい構造で、礼堂と正堂の2棟がT字形に交差している。

重要文化財に答申されたのは次の通り。
 ▽高島屋東京店(東京都中央区)
 ▽白岩堰堤砂防施設(富山県富山市・立山町)
 ▽忠谷(ちゅうや)家住宅(石川県加賀市)
 ▽旧遠江国(とおとうみのくに)報徳社公会堂(静岡県掛川市)
 ▽随願寺本堂、開山堂、鐘楼(兵庫県姫路市)
 ▽旧魚梁瀬(やなせ)森林鉄道施設(高知県奈半利町・田野町・安田町・馬路村・北川村)
 ▽津嘉山(つかやま)酒造所施設(沖縄県名護市)
 ▽小野家住宅(長野県塩尻市)
重要伝統的建造物群保存地区
 ▽輪島市黒島地区(石川県)
 ▽黒木町黒木(福岡県)


● 横浜・称名寺の金堂壁画新断片発見(2009年4月16日)
 横浜市金沢区の称名寺金堂壁画の新たな断片が見つかった。(写真右端)
称名寺金堂壁画(縦244cm、横317cm)は本尊弥勒菩薩立像背後の壁板で、表側に弥勒菩薩来迎図、裏側に弥勒浄土図がそれぞれ彩色で描かれていた。表裏両面とも左右が切り詰められている。数少ない鎌倉時代末期の板絵とされている。
見つかった断片は縦270cm、横20cmで、裏側の弥勒浄土図の右端につながる絵柄で、四天王が持つ剣の先端などがはっきり見える。
今まではヒノキ板9枚をつなぎ合わせた作品とされていたが、右端の10枚目となる。
2003年の金堂修理の際、本尊を安置する須弥壇の下で発見され、その後取り出されて保存処理を進められていた。
神奈川県立金沢文庫で4月16日〜6月7日に開かれる特別展「称名寺の庭園と伽藍」で断片を初公開する他、弥勒浄土図の写真、復元模写も展示する。


● 三浦三十三観音が12年ぶり中開帳(2009年4月16日)
 三浦半島三市一町の「三浦三十三観音」が十八日から五月十八日までの一カ月間、十二年ぶりの中(なか)開帳を迎える。
  三浦三十三観音は、鎌倉時代初期に三浦半島一帯で起きた大飢饉の際、長井に住む源義経の家臣鈴木三郎重家が人々の救済を願い三浦半島の三十三カ所の霊場を 参拝し、飢饉から救われたことが起源とされる。霊場は三浦札所と定められ、うし年を中開帳、うま年を本開帳として一般公開されるようになった。




● 小田原市文化財に宝金剛寺の薬師如来坐像など3件指定(2009年4月14日)
 小田原市は国府津宝金剛寺の薬師如来坐像と紙本着色西洋童子像及び栄町本源寺の絹本着色 千手観音二十八部衆像の3件薬師如来坐像(=写真 上)」は、調査研究が進められ12世紀半ばに制作されたものとみられている。
指定されたのはつぎの通り。
薬師如来坐像 宝金剛寺 国府津
紙本着色 西洋童子像 宝金剛寺 国府津
絹本着色 千手観音二十八部衆像 本源寺 栄町


● 奈良・西大寺食堂院跡から刀子の帯執金具出土(2009年4月11日)
奈良市の西大寺食堂院跡で、正倉院宝物にもある装飾用小刀「刀子(とうす)」の鞘に付いている金具の一部が出土した。
 刀子は、位の高い貴族などが、ひもを通して腰につり下げていたとされる。
 出土した金具は長さ1.4cmの銅製で、表面に金が付着。ひもを通す輪を鞘に取り付ける部分とみられる。輪を取り付けるため、直径2mmの穴が開いていた。
 以前にも南東約2kmの平城宮跡付近で同様の金具が出土しており、宝物級の金属製品の生産工房が宮跡周辺にあって、正倉院の刀子も周辺で作られた可能性があるという。
 正倉院宝物の「犀角把白銀葛形鞘珠玉荘刀子」は、聖武天皇夫人の橘古那可智(たちばなのこなかち)が752年の東大寺大仏開眼会で献じたとされる。

● 栃木・男体山で「三鈷鐃」出土(2009年4月10日)
 栃木県日光市の男体山の山頂遺跡で、奈良時代のものとみられる密教法具「三鈷鐃(さんこにょう)」が見つかった。
 三鈷鐃は、柄に鈴をつけた形の法具で、読経の際に振り鳴らす。鈴の部分に花びらとチョウの模様が彫られている。ほぼ完全な形で、鈴子も残っており、振ると音が出る。一緒に古刀や土器破片なども見つかった。
 同遺跡では1938年、1959年に発掘調査が行われ、銅製5個、鉄製1個の三鈷鐃(いずれも重文)が見つかっているが、今回の三鈷鐃には、ほかの6点にはない精密な毛彫りの文様があり、保存状態も良く一級品という。
 同様のものは全国でも奈良・東大寺などに残るのみで極めて希少。
 男体山頂遺跡は、1877年に米人類学者エドワード・モースが確認。銅鏡や銅印など古墳時代から近世までの大量の祭祀(さいし)品などが出土し、「山の正倉院」とも呼ばれている。

● 京都・泉涌寺楊貴妃観音は1230 年伝来(2009年4月10日)
 京都市東山区の泉涌寺の楊貴妃観音として知られる楊柳観音菩薩坐(像(重文)が中国・南宋から伝来したのは、従来の説をややさかのぼる寛喜2年(1230)であることがわかった。
 本像は像高130.5cmの木像で、泉涌寺を開いた俊じょう(草冠に仍)の弟子湛海(たんかい)が中国から持ち帰ったとされ、楊貴妃観音堂に安置されている。端正な容姿で、唐の玄宗皇帝が楊貴妃をしのんでつくらせた、との伝承がある。
 伝来した年については、「泉涌寺要集」は寛喜2年としているが、その年に湛海の渡宋記録がないとして、これまでは寛元2年(1244)の誤写とみられていた。
 しかし、昨年の蔵の調査で湛海が寛喜2年持ち帰ったことを書いた額が見つかり、改めて文献などを調べると、湛海は1244年以前にも数回、渡宋しており、額や泉涌寺要集にある通りの1230年頃にも、宋へ行った可能性があることがわかったという。

● 当麻寺が初の東西両塔公開へ(2009年4月10日)
 奈良県葛城市の当麻寺で、来年開催の「平城遷都1300年祭」にあわせ、奈良〜平安時代前期に建立された東西両塔(いずれも国宝)の内部が史上初めて開帳されることがわかった。
 記念事業協会などが同祭の目玉の1つとして、県内の寺社約50カ所を目標に国宝、重要文化財級の建造物や仏像などの特別公開を計画しており、当麻寺が依頼に応じた。
 同寺の東塔(高さ約24m)は奈良時代、西塔(同約25m)は平安時代前期にそれぞれ建てられた三重塔で、東西両塔が創建時のままそろって残る国内唯一の例として知られる。
 東塔は大日如来坐像、西塔は阿弥陀如来坐像などが安置され、塔内の中心を貫き、信仰の対象になっていた心柱を拝観することもできる。両塔内部の公開は2010年5月20日から6月20日の1カ月間。
 1300年祭にあわせた奈良県内の寺社の特別公開は、興福寺の堂や元興寺の禅室(国宝)、春日大社の名宝、吉野町の金峯山寺・蔵王権現立像(重文)や高取町の壺阪寺・三重塔(同)、明日香村の岡寺・書院(同)などの名前が挙がっている。

● 福井県文化財調査報告書未刊行問題で執筆者が自費負担(2009年4月8日)
 福井県が、昭和50年度から平成12年度にかけて刊行予定だった報告書が放置され、19件の調査報告書を未刊行となっていた問題で、予算執行状況不明の13件は執筆者が自費負担する形で20年度内に刊行されることになった。
 報告書は1件につき約300冊を発行し、6件は印刷業者が負担、13件は執筆者の県埋蔵文化財調査センター職員、OB、専門家で負担したという。自費刊行分の費用は計約570万円にのぼり、最高額は吉河遺跡(敦賀市)分の約132万円。
 市民オンブズマン福井は、情報公開の結果と疑問点をまとめ、不明瞭な公金の流れや調査から33年を経過して刊行された報告書の信頼性にも言及し、文化庁へ適切な指導を求める要請文を送るという。

● 奈良・中宮寺跡の金堂跡から柱の根石、創建時からの踏襲裏付け(2009年4月8日)
 斑鳩町法隆寺東聖徳太子ゆかりの中宮寺跡の発掘調査で、金堂跡から創建当初のものとみられる柱の根石が見つかった。
 中宮寺は7世紀前半の建立とされ、室町時代ごろに約500m西の現在地に移った。金堂跡は1963年と84年に発掘調査が行われ、後世に再建・改修されていたことが分かっていたが、さらに詳細な基礎資料を得るため、昨年8月から発掘調査していた。
  基壇の土は、創建時に粘土と砂の層を交互につき固めた版築で作られている。金堂は柱の間隔が約2.6m、基壇は東西17.2m、南北14.6m。基壇は当 初、切り石を積み上げる形だったが、平安〜鎌倉時代の再建時に瓦を積み上げる形に変化。さらに室町時代にかけ土を積み上げる形に変わった。焦土に加え、焦 げた石が新たに出土し、創建時の金堂は焼失した可能性が強まった。再建の際も柱位置は同じという。
 今回確認した18の柱跡は版築を上から掘り込む再建時の穴だったが、東南付近の穴から版築を作る途中で据え付けられたとみられる根石が一つ見つかった。以前の調査でも創建時から柱の位置が変わっていないとされていたが、それを補強する結果という。
 また、別の柱穴からは、焼けた凝灰岩の根石も見つかった。創建時の基壇から転用したとみられ、当初の金堂が火災で焼けた可能性が高まった。
 飛鳥時代前半の金堂で当初の柱の位置が分かる場所は少なく、残存状態の良い中宮寺跡の価値が改めて確認された。

● 善光寺の阿弥陀如来像は快慶か、弟子が制作(2009年3月31日)
 長野市善光寺所蔵の阿弥陀如来立像が、理知的で繊細な快慶様式の特徴を踏襲しており、快慶が存命中に、快慶の工房で作られたことがほぼ間違いないことがわかった。
 阿弥陀如来立像は像高98.5cmで、快慶の様式に似ていることから、昨年東京芸大に調査を依頼していた。
 快慶の真作とされる像の多くには、足や像内に作者名を示す「銘文」が残されており、仏像内部や外部を調べたが、作者を示す銘文は見つからず、快慶本人の作とは確認できなかった。
  しかし、胸元の衣のひだの形状などが一時期の快慶の作品と一致することや、一木から彫り出し、一旦前後に割って内刳を施した後再び合わせる、割矧(わりは ぎ)と呼ばれる構造などが快慶の中期の作風と酷似していることから、快慶の工房で作られたことがほぼ間違いないとする調査結果が発表された。
 ま た、立像内部に縦58cm、横31cmの紙が巻かれて入っており、多宝塔と五輪塔の絵と「南無阿弥陀仏 定快(じょうかい)」の文字が墨で書かれていた。 定快の銘がある仏像が東京都青梅市の寺にあるが、作風が全く異なっていることや、快慶の弟子で「定快」という人物は確認できなかったことから、絵を描いた 僧の名前ではないかという。
 阿弥陀如来立像はお前立の御開帳に合わせ4月1日から善光寺境内の史料館に展示される。

● 福島・慧日寺跡の中門復元工事終わる(2009年3月31日)
 福島県磐梯町の国史跡「慧日寺(えにちじ)跡」で進められていた中門の復元工事が終わり、落成式が行われた。
 中門は、幅5.85m、奥行き3.9m、高さ5.5m。1200年前の建築様式を再現し、板ぶきの一種、栩葺き(とちぶき) を採用した。
 慧日寺は、大同年間(809〜810)、僧侶徳一が磐梯山麓山開いた山岳寺院。長く会津の仏教文化の中心的な役割を果たした。明治初期の廃仏棄釈で廃寺となったが、発掘調査結果に基づき、昨年4月に金堂が復元された。

● 奈良県文化財に桜井市の報恩寺・阿弥陀如来坐像など7件を指定(2009年3月31日)
 奈良県教育委員会は大和郡山市材木町の薬園寺(やくおんじ)本堂(江戸時代)や桜井市外山の報恩寺・木造阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)(平安時代)など5件を有形文化財に、各1件を史跡と無形民俗文化財に指定する。
【有形文化財】
▽阿弥陀如来坐像 報恩寺 平安時代 桜井市外山
 報恩寺の木造阿弥陀如来坐像は、像高218.8cmでヒノキの寄木造。肩幅のある体と低く平らな足に安定感があるのが特徴で、11世紀に造られた作られたの大作は数少なく価値が高い。
▽薬園寺本堂 江戸時代 大和郡山市材木町
▽紙本著色競馬図(くらべうまず) 春日大社 室町時代 奈良市
▽舞楽装束「迦陵頻羽根(かりょうぴんはね)」「胡蝶羽根(こちょうはね)」 手向山八幡宮 平安時代 奈良市
▽県行政文書 6695点 明治〜大正時代
【史跡】
▽大和天神山古墳 古墳時代前期 天理市
【無形民俗文化財】
▽櫟原のオハキツキ 平群町櫟原(いちはら)

● 奈良市文化財に春日大社の絵画など3件を指定(2009年3月31日)
 奈良市教育委員会は、春日大社所有の絵画など2件と考古資料「三角縁吾作銘二神二獣鏡(さんかくぶちごさくめいにしんにじゅうきょう)」の計3件を新たに市指定文化財に指定した。
 指定されたのは次の通り。
▽絹本著色鹿島立神影図(けんぽんちゃくしょくかしまだちしんえいず) 春日大社 1383年
▽三角縁吾作銘二神二獣鏡 弥勒寺 中町 3世紀後半

● 神奈川・赤沢観音堂が全焼、仏像4体も焼く(2009年3月30日)
 神奈川県小田原市江之浦の赤沢観音堂から出火、木造平屋約50平方mを全焼し、内部にあった十一面観音像など仏像4体を焼いた。
 観音堂は1989年に建立されたもので、堂内には十一面観音像(像高160cm)など木像3体、石造の如来像(像高40cm)1体があったという。
 事件後、住所不定、無職の男が交番に「火をつけた」と自首したため、放火の疑いで逮捕した。

● 広島県文化財に三原市東禅寺の東禅寺文書など2件を指定(2009年3月29日)
 広島県文化財保護審議会は、三原市本郷町南方の東禅寺に伝わる東禅寺文書などを県指定文化財とするよう県教委に答申した。
 指定文化財は次の通り。
【県重要文化財】
▽東禅寺文書 東禅寺 鎌倉時代から戦国時代(三原市本郷町)
【県史跡】
▽辰の口古墳 4世紀後半(神石高原町) 

● 石川県文化財に北国街道倶利伽羅峠道など3件指定(2009年3月27日)
 石川県文化財保護審議会は二十六日、津幡町内に残る「北国街道倶利伽羅(くりから)峠道 」と羽咋市内にある「ホクリクサンショウウオ生息地」、能登町の「平等寺(びょうどう じ)のコウヤマキ」の3件を県指定文化財として指定するよう、県教委に答申した。
 指定文化財は次の通り。
▽北国街道倶利伽羅峠道(津幡町)
▽ホクリクサンショウウオ生息地(羽咋市千路町)
▽コウヤマキ 平等寺(能登町)

● 奈良・薬師寺の二天王立像、実は四天王だった(2009年3月24日)
 奈良市の薬師寺で保管されていた仏像の破片が、平安時代に造られた四天王立像(重要文化財)の1体と分かった。
 この仏像はヒノキ製で、平安時代の制作。持国天像(像高さ約110cm:写真)と多聞天像(像約113cm)の2体は形が整っており、四天王のうち2体を対でまつる二天王立像として重文指定されていたが、その他の破片も残る2体の可能性が高いとみられていた。
 これらの破片を詳しく調べたところ、首や両手を除く胸から下の部分(約91cm)に復元でき、さらに多聞天と持国天の破片も含まれるていることが分かった。
 また、多聞天像と持国天像は、明治時代の修理で補われた部分も本来の部材に戻された。
 昨年7月には1体が重要文化財に追加指定され、名称も「四天王立像」となったが、3体のいずれにも合わない腕が1本残っており、4体目の可能性が高いという。

● 福井県文化財に小浜高成寺の千手観音立像など4件指定(2009年3月25日)
 福井県教育委員会は、小浜市小浜神田、誓願寺の聖観音立像と、同市青井、高成(こうじょう)寺の千手観音立像など4件をを県文化財に指定した。
 指定されたのは次の通り。
【有形文化財】
▽千手観音立像 高成(こうじょう)寺 平安時代前期 小浜市青井
像高181cmで、全身がほぼ1本の木から彫り出されている。腹部をはじめ、腹部を前方にせり出した豊満な体形で、県内の指定文化財の千手観音立像11体中最も古い像と見られる。
▽聖観音立像 誓願寺 平安時代後期 小浜市小浜神田
像 高100.5cmで、頭部の幅と同じほどに細く絞られた腰やゆったりとした直立姿は奈良時代の様式に近いが、細長い目や衣文の彫りが浅い点から、平安時代 後期に制作されたと推定されている。本像は寺の記録には奈良時代の僧・行基の作と記されており、奈良時代から伝わる像が失われた後、後世に模して造られた 像とも考えられるという。
▽常宮神社拝所(はいしょ)と中門 敦賀市常宮
【無形民俗文化財】
海士坂の送り盆若狭町海士坂


● 奈良・纒向遺跡卑弥呼時代の建物群出土(2009年3月19日)
 奈良県桜井市纒向(まきむく)遺跡女王・卑弥呼と同時期の3世紀前半の建物群が見つかった。
 纒向遺跡は東西約2km、南北約1.5kmで、卑弥呼の墓との説がある箸墓(はしはか)古墳をはじめ、前方後円墳が誕生した場所。各地の土器が持ち込まれており、邪馬台国やヤマト政権との関係が注目されていた。
 1978年の調査で見つかった5m四方の建物跡を逆コの字状に囲む柵列が出土し、柵列は更に北、南、東の3方向に延び、柵内の建物跡の東に一回り大きい建物跡の一部が新たに見つかった。
 一帯は大規模に整地され、柵で複雑に区画。柱筋は東西方向にそろい、三つの建物が計画的に並んでいた。こうした特異な構造は同時期では例がなく、王権の中枢施設の一角の可能性があるという。

● 福岡県文化財に亀山上皇の木像など4件指定(2009年3月19日)
 福岡県教育委員会は18日、明治時代に建てられた銅像の亀山上皇立像(福岡市博多区東公園)の原型で、九州国立博物館(太宰府市)に保管されている木像や、江戸時代に建築された朝倉市の武家屋敷「安陪(あべ)家住宅」など計4件を、県文化財に指定することを決めた。
指定文化財は次の通り。
【有形文化財】
▽亀山上皇立像原型木像 九州国立博物館 明治時代(太宰府市)
▽安陪(あべ)家住宅江戸時代(朝倉市)
【史跡】
▽鹿部(ししぶ)田渕(たぶち)遺跡 (古賀市)
【天然記念物】
▽千手(せんず)川甌穴(おうけつ)群 (嘉麻市)

● 青森の合掌土偶を国宝指定(2009年3月19日)
  文化審議会は、合掌する人の姿をかたどった青森県八戸市の風張1遺跡出土の「土偶」(縄文時代)と、与謝蕪村の水墨画「紙本墨画淡彩夜色楼台図」(江戸時 代)を国宝に、運慶作とみられる「木造大日如来坐像」(鎌倉時代)などの美術工芸品38件を重要文化財、105件の建造物と美術工芸品1件を登録有形文化 財に指定するように答申した。
 答申した国宝、重要文化財は次の通り。
《国宝》
▽謝蕪村筆 紙本墨画淡彩夜色楼台図(個人)
▽青森県八戸市風張1遺跡出土 土偶(八戸市)
《重要文化財》
【絵画の部】 
▽紙本白描東大寺戒壇院扉絵図(奈良国立博物館、奈良市)
▽岩佐勝以筆 紙本墨画淡彩弄玉仙図(摘水軒記念文化振興財団、千葉県柏市)
▽藝愛筆 紙本墨画淡彩山水図(文化庁)
▽紙本白描時代不同歌合絵(東京国立博物館、東京都台東区)
▽伊藤若冲筆 絹本著色菜蟲譜(佐野市立吉沢記念美術館、栃木県佐野市)
▽紙本著色白衣観音図(東福寺、京都市)
【彫刻の部】
▽康勝作 銅造阿弥陀如来及脇侍像(法隆寺、奈良県斑鳩町)
▽ 銅造観音菩薩立像(源勝寺、盛岡市)金銅製で、像高27.3cm。一部切り落とされたり、焼けた跡が残るものの、保存状態は良好。大粒の宝飾をあしらった 胸飾りや腰帯など華やかな意匠で中国初唐から盛唐のごく初期かけての形式を受け継いでいる。日本では法隆寺金堂壁画に典型を見るとこができる。 
▽金春宗家伝来能面(東京国立博物館、東京都台東区)
▽無学祖元坐像(雲巌寺、栃木県大田原市)
▽高峰顕日坐像(同)
▽康音作 木造天海坐像(輪王寺、栃木県日光市)
▽康知作 銅造釈迦如来坐像(同)
▽大日如来坐像(真如苑、東京都立川市)
▽銅造菩薩立像(関山神社、新潟県妙高市)
▽毘沙門天坐像(清凉寺、京都市)
▽性空坐像(円教寺、兵庫県姫路市)
  
     合掌土偶                法隆寺金堂阿弥陀三尊像       源勝寺 観音菩薩立像
  
真如苑 大日如来坐像         関山神社 銅造菩薩立像       清凉寺 毘沙門天坐像

【工芸品の部】
▽濃茶麻地菊棕櫚文様帷子(京都国立博物館、京都市)▽菊蒔絵手箱(九州国立博物館、福岡県太宰府市)
▽光悦作 赤楽茶碗 乙御前(個人)
▽長次郎作 二彩獅子(楽美術館、京都市)
【書跡・典籍の部】
▽顕季集(大東急記念文庫、東京都世田谷区)
▽春日懐紙 紙背春日本万葉集(石川県立歴史博物館、金沢市)
▽平家重筆懐紙 ふねのうち(金沢市立中村記念美術館、金沢市)
▽藤原重輔筆懐紙 たちいつる(同)
▽新修本草巻第十五(武田科学振興財団、大阪市)
▽興風集(大阪青山歴史文学博物館、兵庫県川西市)
【古文書の部】 
▽越中国射水郡鳴戸村墾田図=麻布製(奈良国立博物館、奈良市)▽慈円自筆書状(専修寺、津市)
▽東寺文書 百七通(滋賀県立琵琶湖博物館、滋賀県草津市)
▽忽那家文書 百十三通(個人)
 【考古資料の部】 
▽秋田県胡桃館遺跡出土品(秋田県北秋田市)
▽福島県法正尻遺跡出土品(福島県文化財センター白河館、福島県白河市)
▽三重県斎宮跡出土品(斎宮歴史博物館、三重県明和町)
▽鹿児島県広田遺跡出土品(鹿児島県南種子町)
【歴史資料の部】 
▽映画フィルム「紅葉狩」(東京国立近代美術館フィルムセンター、東京都中央区)
▽埼玉県行政文書(埼玉県立文書館、さいたま市)
▽近代教科書関係資料(東京書籍付設教科書図書館東書文庫、東京都北区)       

● 兵庫県文化財高家寺本堂など5件指定(2009年3月18日)
 兵庫県教委は、明石市高家寺本堂など、計5件を文化財指定した。
 指定文化財は次の通り
【建造物】
▽高家寺本堂(明石市)
▽旧氷上高等小学校校舎 1885年(丹波市) 
【考古資料】
▽藤江別所遺跡出土品(明石市)、名勝
▽円明寺庭園(朝来市)
【無形民俗文化財】
▽秋季祭礼の行事「一ツ物」曽根天満宮高砂市

● 和歌山県文化財に熊野那智大社も女神坐像など11件を指定(2009年3月18日)
 和歌山県教育委員会は那智勝浦町熊野那智大社の女神坐像など11件を、新たに県指定文化財に決めた。
【建造物】
▽和歌祭仮面群 紀州東照宮 鎌倉末期〜江戸初期(和歌山市和歌浦西)
▽鬪鶏(とうけい)神社本殿、西殿、上殿など6棟 江戸時代(田辺市湊)
▽深専(じんせん)寺惣門など3棟(湯浅町湯浅)
【美術工芸品】
▽女神坐像 熊野那智大社(那智勝浦町那智山)
▽那智山経塚出土品一括(那智勝浦町那智山)
▽那智山経塚出土品の那智山 青岸渡寺所蔵分22点(同)
▽山田代銅鐸(どうたく)(田辺市)
【有形民俗文化財】
▽苅萱道心・石童丸関係信仰資料32点(橋本市学文路)
▽葛城山の凍豆腐製造用具21点(橋本市)
【史跡】
▽逆川王子(湯浅町吉川)
【無形民俗文化財】
▽顯國(けんこく)神社の三面獅子(湯浅町)

● 和歌山県文化財に「人魚」のミイラ指定(2009年3月18日)
 和歌山県教育委員会は橋本市の「学文路(かむろ)苅萱(かるかや)堂」に「人魚」として伝わるミイラを県有形民俗文化財に指定した。
 ミイラは全長65cm。外観から、動物の頭と魚の尾を組み合わせたとみられるが、制作された時代などは明確ではない。
 人魚は、全国各地で民間信仰の対象となっているが、都道府県の文化財に指定されたのは初めてという。

● 東京国立博物館で、重文の出土品調査中に折損(2009年3月17日)
 東京都台東区の東京国立博物館で、東大寺山古墳(奈良県天理市)出土の青銅製やじり(国重要文化財)1点が、天理大学と共同で調査していた際に折損したことが分かった。
  同古墳の出土品約200点について学術的報告書を作るため調査した際、。写真撮影終了後の移動中か、その後の取扱作業中に、何らかの負荷がかかって折れた 可能性が高いという。折れたのは、やじりを木などに差し込む部分の約3mmで、内部でさびが進行していたためと見られる。
 博物館では文化庁に報告し修理方法を検討している。

● 奈良・奈良国立博物館
文化財修理の現場公開(2009年3月17日)
 奈良市の奈良国立博物館で、文化財保存修理所の一般公開が初めて行われた。
 事前に申し込みのあった中から7選ばれた約50人が参加し、文化財修理の工程の説明や搬出や解体の流れ、漆器などの装飾で使われる螺鈿や古文書の修理について説明を受け、解体修理中の東大寺の泰山府君坐像(重文)の組み立て作業などを見学した。

● 山形県県指定文化財羽州川通絵図」など二点を指定(2009年3月16日)
  山形県文化財保護審議会は、いずれも最上川でかつて盛んだった舟運を知る貴重な歴史資料として、県立博物館(山形市)の「羽州川通絵図(うしゅうかわどお りえず)」と、宮坂考古館(米沢市)の「松川舟運図屏風(まつかわしゅううんずびょうぶ)」を県指定文化財とするよう、県教委に答申した。
▽羽州川通絵図 江戸時代中期 県立博物館(山形市)
▽松川舟運図屏風 江戸後期 宮坂考古館(米沢市)

● 福島県会津若松市で個人の仏像美術館開館2009年3月16日)
 福島県会津若松市磐梯町本寺地区に個人が趣味で集めた仏像や骨董品を展示する「会津仏像美術館」が開館した。
 美術館は2階建で1階に千手観音立像や不動明王立像をはじめ大小さまざまな仏像約50体、2階には和鏡や香炉、剥製などの骨董品が並んでいる。

● 京都・東福寺、泉涌寺で涅槃図特別公開(2009年3月14日)
 京都市東山区の東福寺と東山区の泉涌寺仏教の開祖・釈迦の命日(15日)に営まれる涅槃会に合わせ、釈迦が亡くなった様子を描いたとされる涅槃図の特別公開が行われた。
 東福寺の涅槃図は縦12m、横6m、泉涌寺の涅槃図は縦16m、横8mで国内最大とされる。

● 奈良・金峯山寺で創建時の平安の瓦出土(2009年3月13日)
 奈良県吉野町の金峯山寺本堂蔵王堂(国宝、16世紀)のそばから、建立当初の蔵王堂にふいたとみられる平安時代後半の瓦が大量に出土した。
 防災用水道管の改修工事のため、蔵王堂周辺の6カ所を調査。建物西側の軒下で幅1m、長さ5mの範囲から平瓦、丸瓦、軒平瓦の破片約200点が出土した。と特定した。
 現在の蔵王堂は檜皮(ひわだ)ぶきであるが、出土した瓦は型式や製法などから平安後期の創建時のものとみられる。
 現在の蔵王堂は1592年に再建されているが、創建時期は寺史などから11〜12世紀ごろと推測されており、今回見つかった瓦と時期が一致する。
 山で瓦をふくのは大変な労力で、当時は高野山や比叡山などでも檜皮ぶきだったことから、よほどの権力者が建立を支援したと考えられるという。
 文献には、1092年に白河上皇が金峯山に詣でたとの記述があり、白河上皇ら、よほどの権力者が建立を支援して蔵王堂が建てられたと考えられるという。

● 静岡県文化財に花岳院宝冠阿弥陀如来坐像など2件指定(2009年3月13日)
 静岡教育委員会は伊東市花岳院の宝冠阿弥陀如来坐像、富士市の旧稲垣家住宅の2件を県指定有形文化財に指定することを決めた。
 宝冠阿弥陀如来坐像は像高約60cm、頭上に宝髻を結い宝冠を被る像で、運慶の作風を引き継ぐ仏師による、鎌倉時代前期の作と推定されるという。
 黒漆塗りで白毫部分に水晶がはめ込まれている。
 指定されたのは次の2件
 ▽宝冠阿弥陀如来坐像 花岳院 鎌倉時代前期(伊東市宇佐美)
 ▽旧稲垣家住宅 明治時代(富士市伝法)

● 奈良・石上神宮で国宝拝殿火災(2009年3月13日)
 奈良県天理市布留町の石上神宮境内にある摂社・出雲建雄(いずもたけお)神社の拝殿(国宝)から出火し、格子戸や縁側、土壁などの表面約5.17平方メートルを焦がした。
 あわや国宝焼失の事態だったが、宿直の職員の素早い消火活動で被害を最小限に食い止めた。
拝殿の7カ所や拝殿東側の摂社・天神社の石の台座に油の跡が2カ所あり、付近には油が入っていたとみられる瓶とライターが見つかった。付近に火の気はないことから、放火の疑いがあるとみられている。
  石上神宮は飛鳥時代の豪族物部氏の総氏神で、拝殿(国宝)や本殿などがある。摂社出雲建雄神社拝殿はかつての内山永久寺(同市)の遺構を移築したもので、 中央の1間が馬道(めどう)と呼ばれる土間の通路で、屋根が優美な弓形の唐破風(からはふ)になっている。左右の2間は縁の付いた板張りの部屋で、格子戸 で仕切られている。

● 大阪・百済寺に造営工房跡(2009年3月12日)
 大阪府枚方市の百済寺跡で、寺の造営や修理を担った工房「修理院」とみられる跡が見つかった。
 寺の北東部分で、釣り鐘などの鋳造のために金属を溶かした炉の破片や、青銅や鉄のくずが出土した。
  百済寺は660年の百済滅亡の際、日本に亡命した王族の末裔、百済王敬福が建立したとされる。 奈良時代以前の寺院は僧侶が過ごし、金堂や講堂、食堂が置 かれた「伽藍地」と、寺の運営を支える職人が住み込みで働き、修理院などがある「付属院地」で構成。発掘調査で修理院の存在が確認されたのは、これまでに 奈良県明日香村の川原寺跡など数例しかない。百済寺跡では、両方の区画を分ける土塁の一部(幅約2m、高さ20cm)も見つかった。

● 京都府文化財に廬山寺兜跋毘沙門天立像など13件を指定(2009年3月12日)
 京都府教委は廬山寺兜跋毘沙門天立像、金戒光明寺絹本著色(けんぽんちゃくしょく)法然上人像など13件を府指定・登録文化財とすることを決めた。
【建造物】
▽石清水八幡宮摂社石清水社本殿、同神水舎、同鳥居、校倉(八幡市)
【美術工芸品】
▽兜跋毘沙門天立像(上京区・廬山寺)
 像の主要部を頭部から下の地天女まで一材から彫り上げ、内刳(うちぐり)を施さない古式の像。胸に刻まれた鬼が天衣を抱える図様は類例がなく表情も古様。10世紀後半〜11世紀前半
▽絹本著色法然上人像(京都市左京区・金戒光明寺)
 法然上人像は弟子の勝法房が描き、法然が鏡を見ながら手直ししたと伝わり、鏡御影(かがみのみえい)と言われる。13世紀後半の作とみられ、原図があったと考えられている。的確に人物の相貌をとらえた描線は鎌倉期肖像画の要素を随所に示す。
▽九条袈裟伝無関普門所用(左京区・天授庵)
▽古久保家文書(上京区・府立総合資料館保管)
▽白川金色院経塚遺物(宇治市)
【無形文化財】
▽絞り染(北区・市瀬史朗氏)
▽鋳込み硝子(左京区・石田亘氏)
▽切子硝子(西京区・渡邊明氏)
【記念物】
▽滝岡田古墳(与謝野町)
【建造物】
▽宝泉寺大師堂(南丹市)真言宗御室派。
【文化的景観】
▽井手町大正池とその水源かん用林景観(井手町)
▽綾部市グンゼの近代製糸産業景観(綾部市)


● 京都・平等院方蓋の塗料に高価な辰砂の粗粒や金銀を確認(2009年3月11日)
 京都府宇治市平等院鳳凰堂の本尊・阿弥陀如来坐像の頭上を飾る天蓋を構成する方蓋の枠組み部分に使われた漆の中に、高価な鉱石や琥珀(こはく)、金銀、孔雀(くじゃく)石が含まれていたことが分かった。
 天蓋は、四角い方蓋(幅4.3m、奥行き3.8m)と、円形の円蓋を組み合わせて構成され、「蛇骨子(じゃぼこ)」と呼ばれるヒノキの枠組みで囲まれている。平等院創建(1053年)当初に作られたとされる。
 調査は平成の大修理で取り外された際に骨組み部分からはがれた数mm四方の剥落片を蛍光X線や光学顕微鏡を使って約1年がかりで行われた。
 赤褐色の枠組みの顔料はこれまで、漆に混ぜてベンガラを用いたとみられていたが、今回の調査の結果、ベンガラより高価な鉱石「辰砂(しんしゃ)」が使われたことが判明。より赤を鮮明にするため、辰砂は0.05〜0.1mm程度の大きな粒子を選んで使われていた。
 さらに、琥珀や金銀、孔雀石も混ぜられたことも分かり、方蓋を作らせた藤原頼通の意向で七宝荘厳の世界を表現したのではないかと見られている。

● 埼玉県文化財に蓮馨寺の古文書「蓮馨寺日鑑」など5件指定(2009年3月11日)
 埼玉県教委は17日、県内の古文書や考古史料など5件を新たに県指定文化財に指定することを決めた。
 指定されるのは次の通り。 
【有形文化財】
▽蓮馨寺日鑑 蓮馨寺(れんけいじ)江戸時代 川越市連雀町
▽吉ケ谷遺跡竪穴住居跡出土品 弥生時代 東松山市大谷
【無形民俗文化財】
▽椋神社御田植祭 秩父市蒔田
▽秩父神社御田植祭 秩父市番場町 
【史跡】
▽宥勝寺裏埴輪窯跡(ゆうしょうじうらはにわかまあと) 本庄市北堀
▽靫型埴輪(ゆきがたはにわ) 本庄市北堀
【選択無形民俗文化財】
▽西久保観世音の鉦(かね)はり念仏 入間市宮寺 

● 新潟県文化財に遍照寺の銅造観音菩薩立像など6件を指定(2009年3月11日)
 新潟県文化財保護審議会、新潟市西蒲区の遍照寺の銅造観音菩薩立像など6件を県の文化財に指定するよう、県教育委員会に答申した。
 指定文化財は次の通り。
▽銅造観音菩薩立像 遍照寺 奈良時代(新潟市西蒲区)奈良時代
 高さ18・4センチ。柔らかな体つきが奈良時代の特徴を示している。県内では奈良時代の金銅仏は少ないという。1360年から同寺に安置され、1960年に旧巻町の文化財に指定された。


▽銅造観音菩薩立像 不動院 奈良時代(見附市)
 奈良時代の金銅仏。にぎやかな胸飾りなどに、中国の隋、初唐の影響を受けた飛鳥時代後期の彫刻の特徴がみられる。
▽伝畠山重宗夫妻坐像 蒲原神社 14世紀前半(新潟市中央区)
▽斎藤家所蔵文書 吉田東伍記念博物館 14―16世紀(阿賀野市)
▽青田遺跡出土品 県立歴史博物館 縄文時代(長岡市)
▽佐渡鉱床の金鉱石 ゴールデン佐渡(佐渡市)

● 奈良・キトラ古墳3年で漆喰すべて剥ぎ取り(2009年3月9日)
 奈良県明日香村のキトラ古墳で、石室に残る壁画の余白の漆喰がカビなどによる劣化が急速に進んでいるため、文化庁は当初の予定より2年早く、今後3年間ですべてはぎ取る方針を明らかにした。
 絵の周辺のしっくいを優先し、十二支図「辰」「巳」「申」が泥の下に隠れている可能性がある個所は2010年ごろに着手する。
 作業は今後、石室内の温度が低く、カビが発生しにくい5月と12月の年2回、それぞれ1カ月間に集中して実施する。

● 奈良市指定文化財に鹿島立神影図など3点を指定(2009年3月7日)
 奈良市教育委員会は春日大社(春日野町)に残る絹本著色鹿島立神影図(けんぽんちゃくしょくかしまだちしんえいず)2点など3点を新たに市指定文化財に指定した。
 指定されたのは次の通り。
▽絹本著色鹿島立神影図 2点 春日大社 永徳3年(1383)(春日野町)
▽三角縁神獣鏡 古墳時代


● 岡山・餘慶寺薬師如来坐像をデジタル調査(2009年3月7日)
 岡山県瀬戸内市邑久町北島の餘慶寺で、仏像調査では全国的にも珍しい最新の三次元デジタル計測器による本格調査が始まった。
 薬師如来坐像は像高180cmの針葉樹の一木造りで、平安時代前期の制作。
 今回の調査は9日までの4日間で、三次元デジタル計測により各部の法量や制作技術の基礎情報を集めるほか、エックス線撮影で仏像内部も探る。

● 兵庫県文化財に明石市の高家寺本堂など新たに5件(2009年3月7日)
 兵庫県教委は明石市の高家寺本堂など5件を県指定文化財にする。
 高家寺本堂は十七世紀前期に建立された明石最古の寺にあり、中世の仏堂形式を色濃く残す。
 指定されるのは次の通り。
県重要有形文化財
 ▽高家寺本堂(明石市)
 ▽藤江別所遺跡出土品(明石市)
 ▽旧氷上高等小学校校舎(丹波市)
県重要無形民俗文化財
 ▽祭事「一ツ物(ヒトツモノ)」曽根天満宮(高砂市)
県名勝
 ▽円明寺庭園(朝来市和田山町)

● 山形市文化財安養寺の不動明王像など仏像3点を指定(2009年3月4日)
 山形市文化財保護委員会は、同市上反田の安養寺の木造不動明王坐像など3点を有形文化財に指定するよう答申した。
 指定文化財は次の通り。
 ▽不動明王坐像 像高51.2cm  安養寺(上反田)京仏師・鈴木民部作 江戸時代中期
 ▽愛染明王坐像 像高51.8cm 安養寺(上反田)京仏師・鈴木民部作 江戸時代中期
 ▽銅造阿弥陀如来立像 像高47.5cm 源福寺(蔵王成沢)鎌倉時代後期

● 京都御所の3年半ぶり皇后宮常御殿など特別公開 (2009年3月4日)
 天皇皇后両陛下の結婚50年を記念して京都御所(京都市上京区)の特別公開が4月23日から29日まで実施される。
 公開期間は例年の春季一般公開より2日長い7日間で、御所北側の皇后宮常御殿(つねごてん)、飛香舎(ひぎょうしゃ)、若宮・姫宮(ひめみや)御殿が3年半ぶりに公開される。
 昭和34年(1959)の結婚パレードで天皇皇后両陛下を乗せた儀装馬車が初めて展示され、当時のパレードの映像も披露する。

● キトラ壁画はぎ取り後の石室公開(2009年3月2日)
 文化庁は、奈良県明日香村のキトラ古墳で、四神図「朱雀」などの極彩色壁画をはがし終えた石室の内部を報道陣に公開した。
 報道公開は2004年11月以来であったが、壁に塗られた漆喰は茶色く汚れ、カビとみられる数cm大の黒っぽい染みがにじむように広がり、赤い染みも見られるなど、当時撮影された写真と比べて明らかに状態が悪化しており、被害の深刻さが伺えるという。
 壁画のはぎ取り作業は2004年に始まり、昨年11月、天井の天文図を最後に終了した。

● 広島・磨崖和霊石地蔵に保護対策(2009年3月2日)
 広島県三原市佐木島の磨崖和霊石地蔵(まがいわれいし)の塩害による風化を食い止めるため、表面に樹脂を塗って保護する対策に乗り出す。
 和霊石地蔵は、島の南西に位置する向田港の波打際の高さ約3mの花崗岩に彫刻された磨崖式半肉彫の地蔵菩薩像で、左右に刻まれた願文により正安二年(1300)に造られたことが分かる。
 満潮時には地蔵の肩辺りまで海中に没し、干潮時にのみ全体像を見ることが出来る。しかし、長年の潮の干満で地蔵の鼻やあご、願文の一部がはがれ落ち、銘文は判読しにくくなっている。
 三原市は地蔵近くの岩に複数の樹脂を塗り、変色や浸水をチェックした後に最適の樹脂を地蔵に塗るという。



● 栃木・足利学校の孔子坐像防犯のため複製展示(2009年3月4日)
 栃木県足利市昌平町の国史跡足利学校の孔子廟に安置されている孔子坐像(県文)の公開を取りやめ、複製品が展示されることになった。
 孔子坐像は像高77cmの木造で、室町時代の天文四年(1535)の制作。
 一時期、本物に代わって複製が展示されていたが、市民への周知がなされていなかったことから、1992年からは再び本物が展示されていた。 
 本物は今後、国宝の典籍などとともに同学校内の収蔵庫に保管され、文化財一斉公開などのイベントで一般公開される。
 また方丈に安置されている歴代庠主(しょうしゅー校長)や徳川家歴代将軍の位牌などには盗難防止のアクリルケースがかぶせられた。

● 三重県文化財に多気町霊山寺の十一面観音菩薩立像など15件答申(2009年2月25日)
 三重県文化財保護審議会は、15件を県文化財に新たに指定するよう県教委に答申した。
 新指定文化財は次の通り。
▽近長谷寺本堂 近長谷寺 江戸中期 多気町長谷
▽十一面観音菩薩立像 2体 霊山寺観音堂 平安後期 多気町三疋田
▽聖観音菩薩立像 寂照寺 鎌倉時代 中之町
▽薬師如来坐像 心證寺 平安後期 伊勢市楠部町
▽絵画 蓮如・如光上人連坐像 本宗寺 室町時代 松阪市射和町
▽絵画 無外逸方(北畠政勝)寿像浄眼寺 室町時代 松阪市大阿坂町
▽黒漆塗観音浄土彩絵厨子 鎌倉末期から南北朝期 三田寺 伊賀市三田
▽津綟子肩衣(つもじかたぎぬ) 三重県 江戸後期
▽浄眼寺文書 室町時代 浄眼寺松 阪市大阿坂町
▽廰事類編(ちょうじるいへん)(藤堂采女家旧蔵本) 伊賀市
▽陶質土器 木造(こつくり)赤坂遺跡 三重県 古墳時代中期 津市
▽射和文庫並びに竹川竹斎関係資料 江戸後期から明治初期 竹川家 松阪市射和町
▽願之山(がんのやま)行事 陽夫多(やぶた)神社 伊賀市馬場
▽水車谷鉱山跡 江戸時代熊野市紀和町

● 兵庫・光久寺本堂を全焼(2009年2月23日)
 兵庫県姫路市安富町安志の光久寺から出火し、方形造りの本堂(護摩堂-市文)約150平方mを全焼し、更に住居部分を一部焼いた。
 焼失した本堂は江戸後期の1802年ごろに建立されたとみられる。建物の幅と奥行きが同じ「方形造り」で、1997年に市(当時は安富町)の重要有形文化財に指定された。
 本尊の不動明王立像は国の重要文化財だが、普段は本堂北側の文化財収蔵庫に保管されているため無事だった。


● 岡山県重要指定文化財に3件指定(2009年2月21日)
 岡山県教委は、平成21年度の県指定重要文化財等(建造物・史跡)に本源寺、宗形神社鳥居、勝負砂古墳の3件(計2棟11基)の指定を決めた。

指定文化財は次の通り。
▽本源寺霊屋(たまや)、表門、石灯篭 江戸時代(津山市小田中)
▽宗形神社鳥居 室町時代(赤磐市是里)
▽勝負砂古墳 古墳時代(倉敷市真備町下二万)

● 興福寺の波羅門立像の作者は宿院仏師源三郎(2009年2月17日)
 奈良市の興福寺が所蔵する「波羅門(ばらもん)立像」に作者の銘文が見つかり、奈良を拠点に活躍した宿院仏師の一人、源三郎(げんざぶろう)であることがわかった。
  修理のため頭部を横の切れ目に沿って外したところ、継ぎ目に4行にわたり縦書きで「□□シンヤ 源三郎 天正五年四月 三十日」と墨書きされ銘文が見つ かった。源三郎は16世紀の室町後期から安土桃山時代初期に活躍した大工系の仏師「宿院仏師」の三代目。宿院仏師は、
現在の奈良女子大南側の宿院町を拠 点に活動する仏師集団で、もとは工人だったが、仏像の制作や修理に従事するようになった。宿院仏師がかかわった仏像などは多く残されており、源三郎の作と しては奈良市池田町にある薬師如来像や川上村の徳蔵寺の阿弥陀如来像などがある。
 宿院仏師はほとんどの作品に銘文を入れるが、通常は体内などに書かれ、頭を割って書かれるのは極めて珍しい。
    


● 飛鳥寺 中金堂の礎石は葛城産(2009年2月16日)
 奈良県明日香村の飛鳥寺の創建当初の中金堂の礎石が、大阪・奈良府県境の葛城山付近に分布する石であることがわかった。
 礎石は直径約90cmで、現在の本堂の南側に三つ並んでいるが、それぞれの石の組成を調べたところ、いずれも「葛城石英閃緑岩(かつらぎせきえいせんりょくがん)」と判断された。
 飛鳥寺は、蘇我馬子の発願で6世紀末に建立された日本最古の本格的寺院であるが、講堂の礎石には飛鳥地方の石が使われており、周囲の川原寺や橘寺でも葛城石が確認された例はない。
 飛鳥寺発願した蘇我馬子がもともと葛城の地が蘇我氏の本拠地だと考えていたことから、本尊を安置する中金堂の礎石にわざわざ約15kmも離れた葛城の石を使ったと考えられるという。
 日本書紀には、624年に馬子が、もともと葛城の地が蘇我氏の本拠地だとして、領地の割譲を推古天皇に申し出たが拒否された、と記されている。

● 文化財保存修理所:奈良国立博物館、来月11日に初公開(2009年2月14日)
 奈良国立博物館は、文化財修理の意義についての理解を深めてもらうため、貴重な文化財の保存修理のために設置されている「文化財保存修理所」を3月11日に初めて公開する。
 文化財保存修理所は2002年にオープンし、彫刻や絵画などの分野ごとの専門の修理技術者が修理作業をしている。今回は、同館の研究員が修理の行程を解説した後、実際に修理所に行き、窓越しに作業を見学するが、工房への入室はできない。
 公開は午前10時、午後1時、午後3時の3回。定員は各20人。参加は無料だが、希望者は往復はがきで同館に事前に申し込み、希望者が多い場合は抽選となる。

● 岩手県県重文に掛け軸4幅 文化財保護審答申(2009年2月14日)
 岩手県文化財保護審議会は、「紙本著色たたら神図」と「紙本著色鍛冶神図」の掛け軸計4幅を有形文化財(絵画)に指定するよう県教育長に答申した。
  「たたら神図」(縦約1.82m、横約87cm)は、代々たたら製鉄の現場監督であるたたら大工を務めていた岩泉町の個人が所蔵。上半分には、山の神・木 花開耶(このはなのさくや)姫と火の神・三宝荒神が身を変えた如来荒神を、下半分には鞴(ふいご)で風を送ったり、炭を運ぶ人々が描かれており、当時のた たら神や鍛冶神の信仰を探る資料になるという。

 ▽たたら神図 江戸時代前期
 ▽鍛冶神図 3幅 江戸時代前期

● 佐賀県重文に天正18年銘瓦など5件 文化財保護審答申(2009年2月10日)   
 佐賀県文化財保護審議会は、名護屋城跡(唐津市鎮西町)で出土した天正18年銘の瓦、豊臣秀吉が正室おねにあてた自筆書状など5件を県重要文化財に指定するよう答申した。
 天正18年銘文字瓦は、城跡から出土した文字が記された瓦27例中、年号が特定される紀年銘のものはこの1点だけ。天正19(1591)年後半開始と考えられていた築城は、その1年余り前にさかのぼる可能性を示唆する貴重な資料となっている。
 豊臣秀吉自筆書状は、文禄の役の明国使節団との講和交渉直前の文禄2年(1593)5月22日付で正室おね(北政所)にあてたもので、現在確認されている名護屋在陣中の自筆書状12通のうち8通目。秀吉の戦況認識やおねへの思いをうかがい知ることができる。

 県重文に指定されるのは次の通り。
 ▽モルチール砲二門(佐賀城本丸歴史館所有)
 ▽名護屋城跡出土天正18年銘文字瓦(名護屋城博物館所有)
 ▽豊臣秀吉自筆書状一幅(名護屋城博物館所有)
 ▽戦場ヶ谷遺跡出土青銅製鋤先(県教委所有)
 ▽戦場古墳群出土銀象嵌刀装具(県教委所有)

● 東京都指定文化財に百段階段など4件 保護審議会答申(2009年2月11日)
 東京都文化財保護審議会は、都指定文化財候補四件を都教育委員会に答申した。
 有形文化財
 ▽目黒雅叙園 百段階段(昭和十年建築)
 ▽下宅部(しもやけべ)遺跡出土 漆工関連出土品58点 東村山市
 無形民俗文化財
 ▽小留浦(ことずら)の獅子舞 奥多摩町小留浦
 名勝
 ▽哲学堂公園 中野区松が丘

● 唐招提寺金堂立体復元品や図が完成(2009年2月13日)
 奈良市の唐招提寺金堂(国宝)の天井板などに施された彩色文様が風化して消失の危機にあることを受けて、約5年前から取り組んでいた復元図や現状記録図などの制作が完了した。
 金堂内には建立当初から天井付近の大虹梁や天井板、支輪板などに彩色文様が施されているが、残存状況はよくないことから、約5年前から復元を進めていたが、現状記録の白描図64点と彩色復元図24点など計約100点を制作した。
  また、復元図よりも発色を実物に近づけるため実物大のヒノキ板を用いて支輪板や天井板などの立体復元品約10点を制作した。「宝相華」と呼ばれる花文や天 人、菩薩像などの文様が施されていた支輪板(長さ約140cm、幅30cm)の復元では、赤や緑、青系の色で往時の鮮やかさを蘇らせた。現状記録図や復元 図は報告書に記載し、復元品は同寺で保存。一部は公開も検討するという。

● 兵庫・鶴林寺の国宝・壁画の復元模写完成(2009年2月12日)
 兵庫県加古川市の鶴林寺で国宝・太子堂壁画「涅槃図」の復元模写図が完成した。
 涅槃図は縦約170cm、横約190cm。劣化によって色や図柄がほとんど分からない状態だったが、残っていた顔料の分析やX線などによる調査の結果、創建当時の彩色の実物大の復元模写に成功した。

● ドイツの博物館に長野・善光寺前立本尊とそっくりの像(2009年2月10日)
 長野市善光寺の前立本尊の銅造阿弥陀三尊像立像がドイツ・リンデン民族学博物館所蔵の銅造阿弥陀三尊像立像と同じ鋳型で作られた可能性のあることが分かった。
  文化財保存修復学会が2002年に発行した調査報告でこの三尊像の存在が知られ、シュツットガルトにある同博物館で前立本尊の写真やデータと比較した。そ の結果、三尊像の方がそれぞれ数mmから1cm大きいが、袈裟の衣文や体つき、顔立ちが極めて似ており、同じ鋳型で作られたか、一方が他方を原型にして作 られた可能性もあるという。
 リンデン民族学博物館は三尊像を1984年、米国の著名な日本美術収集家ハリー・パッカード(1914〜91年)から購入したという。パッカードは第2次大戦後に滞日し古美術品を大量購入したことで知られている。


 同じ型ならば、鎌倉時代の金銅仏の中でも大変珍しく、同じ型でなくとも、同一の作者、同一の工房と分かるだけでも意味は大きいという。

 
  善光寺お前立三尊像     リンデン美術館阿弥陀三尊像

● 再建二月堂の設計図発見(2009年2月7日)
 江戸時代の火災で焼失した二月堂の再建設計図と見られる図面が同寺で確認された。
  図面は、東大寺図書館で木箱に収まっていた。南北方向を描いたもの(縦2.24m、横2.97m)と東西方向(縦2.25m、横3.4m)の2枚で、いず れも「寛文七年(1667)七月」と記されていた。桁行、梁行の記載が、現在の二月堂の寸法(桁行27.186m、梁行22.458m)と一致した。
 図の下には作成者「鈴木与次郎」の署名がある。与次郎は江戸幕府から派遣された大工「公方之大工」として同年の「東大寺年中行事記録」に登場する。
 二月堂は寛文七年(1667)の修二会中の火災で焼失したが、その前年に修理の予定で与次郎が現地調査をしており、修理の準備が進んでいたため再建もスムーズに進み、2年後の1669年には現在の姿に再建されたと考えられるという。
 東大寺二月堂の修二会(お水取り)を前に奈良国立博物館で始まる特別陳列「お水取り」(2月7日〜3月15日)で、再建設計図と見られる図面が初めて出展される。

● 文化財購入の評価委員名の公開など制度の透明化図る(2009年2月6日)
 文化庁と国立文化財機構は、文化財購入の際の評価額決定に関わる評価委員の氏名公表などを柱とする情報公開の改善策を検討する。
 九 州国立博物館(福岡県太宰府市)の文化財購入をめぐり、価格の基となる評価額決定の経緯に不自然な点があると、民主党議員が衆院予算委員会で指摘した問題 で、文化庁は今後は疑念を持たれないよう、買い取り制度の透明性確保策を検討する。現在は非公表としている評価委員の氏名を、購入決定の次年度に一括して 公表する方向で調整している。
 また、博物館が1700万円以上の文化財を購入した場合、現在は文化財の名称、購入金額、相手先を官報で公示する が、広く認知してもらうため、文化財の写真や解説なども添付し、ホームページ上で紹介することも検討。公開対象となる価格1700万円の引き下げも視野に 入れる。
 これらの情報公開策は、本年度内にも決定される見通しで、九州国立博物館のほか、東京、京都、奈良の各国立博物館でも適用するという。

● 貴重な文化財をデジタル再現(2009年2月6日)
 文部科学省は貴重な文化財や歴史的な建造物をコンピューターなどでリアルに再現して仮想体験する「デジタルミュージアム」の開発に来年度から乗り出す。
 デジタルミュージアムは高精細な映像や触感の再現技術を使って、現在は見たり触れたりできない貴重な文化財の感触を楽しめるよう工夫する。5年間かけて完成して全国の博物館や美術館に普及させ、文化鑑賞を身近にし、教育や日本文化の理解につなげる。
 修復保存のため一般公開されていないキトラ古墳(奈良県明日香村)の石室をドーム状のシアターに立体映像で再現して歩いたり、郷土館に残る写真や史料をもとに東京駅周辺の街並みの変遷を現場にいる感覚で体験できるという。

● 大津市指定文化財に平安期の観音菩薩立像など指定(2009年2月3日)
 大津市教育委員会は、延暦寺の里坊・松禅院(同市坂本本町)が所蔵する観音菩薩立像と地蔵菩薩立像などなど3件を市指定文化財に指定した。
 観音菩薩立像は像高99.3cmで、内刳を施さない古様な様式や、天衣や胸元の筋肉の表現から、8世紀末から9世紀初期の作とみられ、延暦寺の千手観音立像(重文)と並び、比叡山内で最古級の木彫像とみられる。
 地蔵菩薩は、流麗な衣文など、洗練された作風から、10世紀初頭の作とみられ、腹部のくびれを表す2本の彫り込みなど、天台系彫像の特徴が良好に残る。

指定文化財は次の通り。
 ▽観音菩薩立像 延暦寺松禅院 平安時代前期
 ▽地蔵菩薩立像 延暦寺松禅院 平安時代
 ▽和邇今宿自治会中世文書 永仁5年(1297)、弘治2年(1556)

● 京都・高麗寺講堂基壇、異例の3重構造(2009年2月3日)
 京都府木津川市の高麗寺跡で、講堂の基壇の外装が寺院建築では異例の三重構造だったことが分かった。
 講堂は東西約24m、南北約20mで、今回、北西側の基壇を調査したところ、高さ約60cmの瓦積み基壇の底部を確認し、その周囲で、外縁を石で囲った幅約75cmの土壇が巡っていたことが判明。さらにその外側も約15cm低く石が敷かれた三重構造だった。
 講堂の基壇に入念な外装が施された例は極めて珍しく、仏像を安置する金堂並みの高い格式があったとみられるという。
 高麗寺は、7世紀初めに渡来系の狛(こま)氏の氏寺として創建したとされるが、伽藍整備の直前に建立された国営寺院の川原寺(奈良県明日香村)の中金堂を意識して、格式が高いと見せようとした可能性が強いという。

● 奈良・薬師寺の東塔、解体修理へ(2009年1月27日)
 奈良市西の京の薬師寺の東塔(国宝)が7月から、10年間の解体修理に入る。
 東塔は高さ約34mで、各層に裳階(もこし)がつく優美な姿で知られる。建立年代については、天平2年(730)の新築説と、藤原京(694〜710年)からの移築説があり、修理で結論につながる証拠がみつかる可能性があるという。
 解体は明治31〜33年以来1世紀ぶりで、今夏から来春までは調査用の覆い屋が建てられ、来年2月までは解体に向けた調査を進め、その後本工事用の覆い屋を新たに建設して本格的な修理にかかる。このため、今年8月ごろから塔の姿を見ることができなくなる。

● 愛知で新たな円空仏見つかる(2009年01月27日)
 愛知県岡崎市の滝山東照宮で、江戸時代に多くの木彫り仏像を残した僧円空の新たな作品が見つかった。
  仏像は十一面観音菩薩(像高33.5cm)で、滝山東照宮本殿に収納されていた。 微笑をたたえた表情や、胸前で宝珠を持つ姿などから1677年頃の作品 と見られる。という。

円空作の仏像はユーモラスな表情や、粗削り荒削りで奔放な作風で知られ、愛好者も多い。全国で約5200体が発見され、十一面観 音菩薩像では68体目という。

● 奈良・室生寺で金堂内部特別拝観(2009年01月26日)
 奈良県宇陀市室生の室生寺で、金堂内部特別拝観が行われ、通常入堂できない金堂の外陣まで入って、本尊釈迦如来・十一面観音・十二神将他、国宝・重要文化財の諸仏を間近で拝観できる。
 特別拝観期間:平成21年1月10日(土)〜3月1日(日)

● 大分・長谷寺銅造観音菩薩立像 県歴史博物館へ(2009年01月26日)
 大分県中津市三光西秣長谷地区の長谷寺に伝わる銅造観音菩薩立像(県指定有形文化財)が、当分の間大分県歴史博物館に寄託されることになった。

 菩薩立像は総高約40cm(台座含む)で、台座の銘文から大宝二年(702)に周防(現山口県)で造られたことがわかり、奈良時代前期の特徴がある貴重な金銅仏という。
 最近では四月二十日の大祭の際に公開にしていたが、住職が病気になり管理が難しくなったことから、大分県歴史博物館(宇佐市)で当分の間保管することになった。
博物館では常設展示するという。


● 奈良・藤ノ木出土品展示施設起工(2009年01月26日)
 奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳(6世紀後半、国史跡)の出土品を展示する町文化財活用センター(仮称)の起工式が同町法隆寺西1丁目であった。
 斑鳩町文化財活用センターは、奈良地方法務局斑鳩出張所だった1500平方mの土地と建物を利用し、展示棟と管理棟を設け、藤ノ木古墳の出土品や石棺のレプリカを展示するほか、テーマごとに企画展を開いていくという。来年3月のオープン予定。

● 運慶像の胎内納入品画像で鮮明に(2009年1月23日)
 栃木県足利市菅田町の光得寺の大日如来像をCTスキャナーで撮影した3次元画像などが公表された。
  大日如来坐像は、現在佐賀県立美術館で開催中の特別展「運慶流」で公開されているが、事前に九州国立博物館で高性能X線CTスキャナーで撮影した結果、像 の胎内に「仏像の魂」として心臓部に納めたとされる水晶玉「心月輪」を「五輪塔」で固定した状況などがより詳細に分かった。
 大日如来像は像高約32cmと小さいが、堂々たる体格や力強い表情などは運慶ならではの特徴を持ち、昨年3月、米国のオークションで真如苑が落札した大日如来像)とともに鎌倉時代、足利氏の発注で作られた作品とみられている。
 佐賀県立美術館では1月24日から、特別展に合わせて3次元画像や、CTデータから制作された心月輪の樹脂製実物大模型などを公開する。

 
  光得寺・大日如来坐像       X写真     月輪の3次元画像

● 高知・湛慶作?の仏像県文化財に(2009年1月23日)
 高知県文化財保護審議会は、鎌倉時代の仏師、運慶の長男湛慶(1173〜1256)作と見られる大日如来坐像など、計5件を県指定文化財にするよう、県教委に答申した。
 大日如来坐像(像高49.3cm)はヒノキ材で、一木で彫った像を一旦割って内刳を施す割剥ぎ造で、仏像内に宝物を納入するための棚板がある構造など、運慶工房独特の手法が用いられており、運慶第2世代の優れた仏師の作と見られる、と評価された。
 本像は昨年9月、香美市立美術館で公開された。

 指定文化財は次の通り。
  ▽芝居絵屏風 23点 絵金蔵(香南市赤岡町)
  ▽大日如来坐像  鎌倉時代 湛慶作(須崎市上分)
 無形民俗文化財
  ▽市野々の神(こ)踊り(土佐市)
 県史跡
  ▽坂本遺跡窯跡(四万十市)
 県天然記念物
  ▽弘瀬の荒倉神社社叢(宿毛市)

(大日如来坐像については2008年9月26日の記事参照)

● 東大寺の総合文化センター免震室に、三月堂塑像安置(2009年1月23日)
 奈良県東大寺に建設予定の総合文化センターの免震室を設け、法華堂(三月堂)の日光・月光両菩薩立像(国宝)と弁才天・吉祥天両立像(重文)の4塑像を安置することが検討されている。
 日光・月光両菩薩は高さ約2mの長身で、法華堂の本尊・不空羂索観音像の左右に立つ。また、両像の後で厨子に収容されている弁才天像(像高2.19m)と吉祥天像(2.02m)は、顔や腕などの粘土が落ちている。
 4像がおさまる法華堂(8世紀)は寺内で最も古い建物で、これまで大きな地震被害を受けていないとされるが、約20体の仏像を支える須弥壇が年々弱体化しているとも言われ、仏像の地震対策が必要となっていた。
 塑像は乾漆や木彫の仏像よりはるかに地震に弱く、新薬師寺では、十二神将像(8世紀、11体が国宝)のひとつ波夷羅大将像(国指定名称は宮比羅大将像)が安政元年(1854)の地震によって倒壊している。
 東大寺では、やはり塑像の戒壇堂・四天王像(同、国宝)に免震台を導入するための調査も進んでおり、仏像の地震対策が本格化しそうだ。


● 静岡・遠江国分寺跡で七重の塔、間取り判明(2009年1月22日)
 静岡県磐田市見付の遠江国分寺跡で、七重の塔跡の中心の「心柱」の周りに4本あった「四天柱」のうち1本の位置が確認され、柱が17本あったとされる塔の基礎部分の間取りが判明した。
 塔は、心柱の礎石と建物外周南東の「側柱」の礎石が現存しているが、今回のちょうさで、四天柱の礎石の下に敷かれた根石が確認された。四天柱の礎石は持ち去られたとみられるという。
 塔跡ではこのほか、地面から2mの位置に土を交互に積んでたたき締める「版築」が厚さ2m近くにわたり行なわれており、塔が火災に遭った痕跡がないことも分かった。

● 京都・平等院の極楽浄土図の全容明らかに(2009年1月22日)
 京都府宇治市の平等院鳳凰堂の本尊背面壁に描かれた極楽浄土図の全容が明らかになった。
 鳳凰堂の壁画や扉絵計14面は、1972年に一括して国宝指定されたが、仏後壁画は本尊との距離がわずか約70cmと近接し、詳細に調査されていなかった。

  2003年から2005年まで、本尊の阿弥陀如来坐像(国宝)と天蓋を修理のため移したのに伴い、超高精細高密度カメラと近赤外線カメラによる撮影や顔 料調査などを実施して分析した。その結果、壁画は高さ3.4m、幅3.7mで、11枚のヒノキ板を組み合わせており、釈迦がインドの王子らに成仏を予言す る内容の仏教説話「阿闍世(あじゃせ)太子授記」の場面とみられることがわかったという。華やかな舞楽などの描写に、赤色の辰砂(しんしゃ)(硫化水銀) や緑色の亜鉛など当時の絵には珍しい顔料も使われていたほか、銀箔を何枚も重ねて花びらを表現するなど高い技術が使われていた。
 また、これまで 壁画は頼通の没後半世紀ほどたった12世紀初頭に、鳳凰堂の大改修の際に制作されたと伝えられてきたが、釈迦と対面する人物と、そのそばで冠をかぶり従者 を伴って歩く貴人など、創建者である当時の関白藤原頼通をモデルにしたとみられる人物の姿もあり、極楽往生を願い、1053年に鳳凰堂を建てた藤原頼通の 意向を強く反映して描かれた可能性が高いという。

● 愛知・金蓮寺の両脇侍像2体を県の文化財に指定(2009年1月22日)
 愛知県教育委員会は吉良町饗庭の金連寺阿弥陀如来坐像の両脇侍、観音菩薩立像と勢至菩薩立像などを県文化財に指定した。
  阿弥陀如来坐像は、鎌倉時代の作として1955年に県文化財に指定されたが、両脇侍像は江戸時代初期に付加されたものとして指定されていなかった。しか し、最近の研究で蓮の花弁をかたどった台座の形などが同じで、三体一組の形式と判明。後世の作としても優れていることから、今回の指定となった。
 指定文化財
 ▽観音菩薩立像と勢至菩薩立像 金蓮寺(吉良町饗庭)
 ▽牛久保の若葉祭 八幡社(豊川市牛久保町)


● 韓国・弥勒寺塔から金製の舎利器発見(2009年1月22日)
 韓国・全羅北道益山市の弥勒寺跡石塔金製の舎利器をはじめ重要な遺物が発見された。
 発見されたのは、金製の舍利の入った金製舍利壷とその履歴を金版に刻んだ金製舍利奉安記、銀で作った帽子の飾り銀製官飾、寺主名簿と金額を薄い金版に書いた金製小型版など約500点。
 弥勒寺跡石塔は百済第30代武王(在位600〜641)時に建立された現存する最古の石塔で、百済の舎利器は2007年に忠清南道扶余郡の王興寺木塔跡から発見された昌王時代(577年製)舎利器以来、二つ目の発見という。

● 清泉女子大学が「国宝 阿修羅展」の公開講座を開催(2009年1月20日)
 清泉女子大学では、「興福寺創建1300年記念 国宝 阿修羅展」が、東京国立博物館で3月から開催されるのに合わせ、この展覧会を鑑賞するための基礎知識が学べる公開講座を開催する。
 講師は、「仏像のひみつ」などの著者で知られる山本勉教授。
 日時:2009年2月14日13:30〜15:00
 講師:山本勉教授(「仏像のひみつ」「続仏像のひみつ」などの著者)
 申込先:清泉女子大学生涯学習センター


● 山口・龍福寺本堂で大内氏邸宅の存在裏付ける柱跡や食器見つかる(2009年1月16日)
 山口市大殿小路の龍福寺本堂で、周防国(山口県)を本拠とした守護大名大内氏の邸宅柱の跡とみられる穴や食器とみられる土器などが発見された。
  本堂の解体修理工事に合わせ発掘調査を行ったところ、現在の地層から約60cm下に、直径15〜30cmの穴が10個、約9mにわたり水平に並んでいるの が見つかった。形状から柱を打ち込んだ跡とみられ、同じ地層からは、16世紀のものとみられる京都風の茶色がかった素焼きの土器も出土した。
 これらは京文化に傾倒した大内義隆が当主の時代のものと見られ、16世紀半ばの大内氏滅亡まで約100年間、邸宅が存在したとする文献の史実を裏付けるものという。

● 金峯山寺・釈迦如来坐像と兵庫県・天部立像の作者が同一である可能性(2009年1月16日)
 奈良県吉野町の金峯山寺所蔵の釈迦如来坐像(県文)と兵庫県所蔵の天部立像(いずれも平安時代初期)の作者が同一である可能性が高いことがわかった。
 昨年、天部立像(像高169.5cm)を奈良国立博物館で美術院が修理した際、釈迦如来坐像(像高83.2cm)と、目が切れ長で鼻やあごが小さく、なで肩で背中が反っている、などの特徴が共通することが確認された。
 また、両像の底に木を削る範囲を決めるために描いた墨の線があり、手首から先などの一部を除き、丸太から像全体を彫り出す技法や、左右にわずかに傾くなどのゆがみもなどあり、作者の癖と思われる特徴も一致している。
 金峯山寺史によると、同寺には廃寺となった周囲の安禅寺や世尊寺などの本尊が安置され、釈迦如来坐像も実城寺の本尊だったとされる。明治の廃仏毀釈以前は一緒に安置されていたと考えられるという。
 両像は5月17日まで、奈良国立博物館本館で展示している。


● 京都・馬場南遺跡で文献に記録ない寺院跡発見(2009年1月14日)
 京都府木津川市の馬場南遺跡で、奈良時代中―後期(8世紀後半)の寺院跡出土した。
  見つかったのは本堂跡や礼堂跡など計4棟。本堂跡は南北4.5メートル、東西4.9メートルで、礎石は直径約30〜50cmで5基見つかった。内側には、 多数の瓦が方形に積み重なっており、付近からは髷(まげ)、甲冑(かっちゅう)を着た胴体部、邪鬼の一部など、塑像片が百数十点が出土した。そのうち目の 部分の破片は出土位置から、須弥山の北東に配置される四天王像の一つの多聞天の一部とみられる。須弥山の四方に等身大の四天王を安置していたとみられる。
  馬場南遺跡周辺では、仏教思想を表現する「須弥山」とみられる三彩陶器片が大量に出土。天皇や大臣クラスの人物を示す「大殿(おとど)」と書かれたり、 「神雄寺」と墨書されたりした土器が見つかっており、「神雄寺」という名の寺があったとみられているが、同名の寺の存在は当時の文献にも記録されていな い。
 約100mの川跡では昨年、万葉歌の「阿支波支乃之多波毛美智(あきはきのしたはもみち)」と書かれた木簡が出土。灯明をともした痕跡がある皿約8000枚も見つかっており、川跡の北側の広場で僧侶らが仏に灯明をささげる燃灯供養(ねんとうくよう)を行ったとみられる。
 須弥山を祭る小寺院だった可能性もあるが、三彩陶器や塑像は高度な芸術性を伴っており、特異な寺院見られる。


● 高松塚古墳の副葬品150点、収蔵庫から「発見」(2009年1月9日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳で壁画発見時の1972年に出土した副葬品のガラス玉や大刀の銀製飾り金具などが、県立橿原考古学研究所付属博物館に保管されていたことが分かった。
 見つかったのは、ガラス玉や大刀の銀製飾り金具の他、琥珀玉の破片や金箔、漆塗り木棺の破片や漆喰片など計数千点で、保管用コンテナ13箱に分けて収蔵庫に置かれていた。ガラス玉のうち、136点は直径2〜3mmの水色の粟玉で、過去に941個が見つかっている。
  高松塚古墳は橿考研所員だった網干善教・関西大名誉教授(故人)が発掘したが、発見から半月後に調査と管理が文化庁に移されており、橿考研で保管していた 出土品も1973年1月に文化庁に引き渡したという。同研究所は収蔵庫に残った理由について、引き渡し後、残っていた土などを精査して見つかり、そのまま になっていた可能性があるとしている。
同古墳の出土品は1千点以上が国の重要文化財に指定されているが、今回見つかった副葬品は指定から漏れており、文化庁は今後、重文の追加指定を検討する。
 今回見つかった副葬品は1月17日〜2月15日に同館で展示される。

● 奈良・興福寺で天平の七宝、再現へ(2009年1月8日)
 奈良市興福寺は、創建1300年を迎える2010年に立柱式をめざしている中金堂の再建事業で、天平時代の様式にのっとり、金銀や水晶の宝飾品の「鎮壇(ちんだん)具」を建物下部の基壇に納めることを決めた。
  興福寺中金堂は、710年に当時の権力者の藤原不比等が創建したが、明治期の発掘で仏像を安置する須弥壇部分の基壇から、金の薄板や銀板、水晶玉、琥珀 玉、真珠、銀製の器など約1500点が見つかり国宝に指定された。2001年の調査でも同様の出土物が約300点確認された。
 中金堂は同じ場所で今秋にも着工するが、建物の永続を願い、浄財を募って、「七宝」として金の薄板、銀、瑠璃(青金石)、玻璃(水晶)、しゃこ(シャコ貝)、珊瑚(赤真珠)、瑪瑙の7種と、米や麦などの穀物5種(五穀)を鎮壇具として埋納するという。

● 奈良新聞主催の寧楽-NARA-カレッジ開講
 奈良新聞社では「学ぶ・知る・楽しむ」をコンセプトに、下記のように文化講座『寧楽カレッジ』を開講する。

現地講座 各回とも午後1時開始
2008年11月27日(木) 「聖武天皇の願い」
東大寺長老 森本公誠師 場所:東大寺
2008年12月10日(水) 「春日大社と若宮おん祭」
春日大社宮司 花山院弘匡氏
場所:春日大社
2009年1月28日(水) 「陽気ぐらしへの道」
天理教表統領 飯降政彦氏
場所:天理教本部
2009年2月25日(水) 「聖徳太子の理想」
法隆寺管長 大野玄妙師
場所:法隆寺
2009年3月3日(火) 「三輪山と神まつり」
大神神社宮司 鈴木寛治氏
場所:大神神社
2009年4月14日(火) 「興福寺と唯識」
興福寺貫首 多川俊映師
場所:興福寺

講演会 場所:奈良新聞社本社 西館大ホール(第5回除く)
2008年12月12日(金) 「私のまほろば その一 平城山」
講師:千田稔氏(国際日本文化研究センター名誉教授 奈良県立図書情報館館長)
2008年12月26日(金) 「1300年の歴史が育んだ伝統の食巡礼」
講師:冨岡典子氏(近畿大学講師(非) なら食と農の県民会議委員)
2009年1月16日(金) 「祈りの都、平城京」
講師:千田稔氏(国際日本文化研究センター名誉教授 奈良県立図書情報館館長)
2009年1月30日(金) 「他界空間、古墳を旅する」
講師:辰巳和弘氏(同志社大学教授)
2009年2月13日(金) 「万葉のふるさと、飛鳥へ」
講師:上野誠氏(奈良大学教授 奈良県立万葉文化館万葉古代学研究所副所長)
2009年2月27日(金)  「国宝仏を巡礼する」
講師:西山厚氏(奈良国立博物館学芸部長)

● 京都・清水寺で田村麻呂像祭る堂、99年ぶり今春公開(2009年1月1日)
 京都市東山区の清水寺は、寺の創建にゆかりの深い征夷大将軍・坂上田村麻呂(758〜811)を祭る重文・田村堂(開山堂)内部を、今年3月1日から2カ月間、99年ぶりに公開する。
   田村麻呂は8世紀末、音羽の滝で修行中の僧侶と出会ったことから観音に帰依し、仏殿と観音像を寄進したと伝える。田村堂は檜皮ぶき入母屋造り、8m四方 の建物で、江戸初期の寛永年間に徳川家光の寄進で再建された。田村麻呂1100年遠忌の明治43(1910)年以降、非公開となっていたが、西国三十三所 観音霊場巡り本尊開帳の関連行事として、田村麻呂1200年遠忌の1年前に公開する。
 堂内に置かれた漆塗り唐様式の厨子(重文)には、ヒノキ材の寄木造で衣冠束帯の正装姿をした像高78cmの田村麻呂坐像を安置している。



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