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特 選 情 報  2016年



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●発見された新薬師寺・香薬師像の右手、奈良博で公開展示(12/27〜)(2016年12月29日)


行方不明になっている新薬師寺・香薬師像
長らく行方不明になっており、今年、発見が報じられた、新薬師寺・香薬師像の右手が、奈良国立博物館で公開展示されることになりました。

新薬師寺・香薬師像は、「白鳳の傑作美仏」といわれますが、昭和18年(1942)の三度目の盗難以来、行方不明となっています。
その時同時に盗難にあったと思われていた、香薬師像の右手先が、実は盗難から免れ、その後寺外に出て、長らく別に保管されていることが発見されました。
この発見物語については、先に「観仏日々帖」でご紹介した通りです。
発見に至ったいきさつ、ドキュメントについては、
「観仏日々帖:新刊案内〜「香薬師像の右手〜失われたみほとけの行方」貴田正子著」
を、ご覧ください。

劇的な発見物語の結果、新薬師寺に返還された、香薬師像の右手先ですが、
このたび、12月27日から、奈良国立博物館に寄託され、奈良仏像館で展示されることになりました。
公開展示の詳しい内容については、奈良国立博物館・プレスリリース「仏手(新薬師寺所蔵)の公開について」をご覧ください。
奈良博プレスリリースの解説には、次のように、述べられています。

「香薬師」の名で知られる白鳳彫刻の名品、新薬師寺・銅造薬師如来立像(重要文化財)の、右手首先と思われる。
・・・・・・・・
爪先に向かって細まりつつ繊細な反りを示す指、金属とは思えないやわらかさを感じさせる掌など、小品とはいえ、その造形は魅力に満ちている。
全体から受ける印象にくわえ、手相や関節の表現にいたるまで、法隆寺・銅造観音菩薩立像(夢違観音・国宝)の右手に酷似し、両像が同じ作者の手になることを示している。

今回の公開が、像本体の再発見のための一助となることを願ってやまない。」

       
奈良博に展示されることになった、発見された香薬師像・右手先と、法隆寺・夢違観音


白鳳時代を代表する美仏、名品といわれる、新薬師寺・香薬師像。
「右手先だけ」とはいうものの、是非一度は、眼近に観てみたいものです。




●薬師寺東塔、年輪年代測定で平城京新築で決着(12/19)(2016年12月29日)


現在解体修理が進行中の薬師寺・東塔ですが、奈良文化財研究所が年輪年代測定を行った中間結果が発表されました。

       
薬師寺東塔と、719年以降に伐採されたことが判明した心柱


測定結果によると、平城遷都(710)以降に伐採された用材を用いて建築された可能性が高いことが明らかになりました。
新聞各紙は、「移建説否定」「新築?移築?論争決着へ」などという見出しで、報じています。

朝日新聞、2016.12.20付け記事は、このように報じています。

「『凍れる音楽』と称される奈良・薬師寺の東塔(国宝、高さ約34メートル)が、奈良時代の730年ごろに建てられたことが分かった。
・・・・・・・
東塔では、2009年から約110年ぶりの解体修理が進行中。
奈文研は取り外された初層(1階)の天井板2点に対し年輪年代測定を実施し、伐採年が729年と730年と判明。
塔中央の心柱についても測定し、最も外側の年輪が719年を示し、720年代に伐採された可能性が高まった。
伐採年が710年の平城遷都前の飛鳥時代までさかのぼる結果は、確認されていない。
・・・・・・・」

       
朝日新聞・12.26付記事


薬師寺伽藍の藤原京薬師寺からの移建、非移建論争は、かつては火花を散らした大論争でしたが、近年では、「非移建、平城京新築」が、一般的な定説になっていたと思います。
今回の年輪年代測定の結果は、近年の定説を実証、裏付けた、科学的研究の結果と云えるのでしょう。

薬師寺・金堂三尊の、「本薬師寺からの移坐、平城京での新造論争」の方は、未だに決着を観ていないようです。
この大問題の決着がつくときは、いつの日か、来るのでしょうか?




●鳥取地震で大山寺の重文・小金銅仏の首が折損(10/21)(2016年10月29日)


10月21日、鳥取中部で震度6の地震が発生しましたが、伯耆富士・大仙の山腹にある大山寺の、宝物館・霊宝閣に保管されている、重要文化財の銅造・観音菩薩立像(像高36.9cm)が、地震で後ろに倒れ、頚に部分が折れた状態で見つかりました。

新聞各紙は、次のように報じています。

〜地震で国重文仏像倒れ首折れる…「身代わりに」〜

「鳥取県大山町の大山寺にある宝物館『霊宝閣』で展示されている国重要文化財『銅造観世音 菩薩立像』(高さ36.9センチ)が地震後、首の部分が折れた状態で倒れているのが見つかった。
同町では震度4を記録。
同館にある他の重文の仏像3体は無事だった。
破損した仏像は、10〜12世紀に中国でつくられたとされる。
同館を管理する大山寺の支院・円流院の大館宏雄住職(56)は
『倒れているのを見たときは非常にショックだった。観音様が身代わりになって、寺を守ってくれたのかもしれない』
と話していた。
・・・・・・・・」(2016.10.22 読売新聞オンライン)

この観音菩薩像は、顔立ちや太造りの体貌、宝冠をはじめとする華やかな装身具をつける特色から、宋時代(北宋あるいは遼)制作の請来仏とされています。
大山寺では、「できるだけ早く修復したい」と考えているということです。

       
地震で頚が折損した観音菩薩立像(左)と大山寺・観音菩薩立像〜宋時代・重要文化財(右)





●新発見の滋賀・高尾地蔵堂の毘沙門天像、奈良博・募金で修理実現(2016年7月9日)


滋賀県甲賀市の高尾地蔵堂の安置されていた毘沙門天像(平安後期・12C)が、奈良博の文化財保存への募金を活用して、保存修理が実現し、奈良国立博物館において初公開されました。

この毘沙門天像は、甲賀市の無人のお堂・高尾地蔵堂に祀られていたものですが、岩田茂樹・奈良博上席研究員らが2010年、甲賀市史の編集に伴う事前調査をした際に、発見されたということです。
発見時には表面が分厚い後補の彩色で覆われていましたが、様式などから12世紀の仏像と確認され、着衣の繊細な表現などから、円派や院派に属する仏師の作品と推測されています。

盗難の恐れもあることから、2013年に奈良博に寄託されましたが、昨年から1年かけて、美術院国宝修理所の手で解体修理が行われました。
江戸時代以降に塗られたとみられる極彩色が除去され、当初の顔などを彩っていた淡紅色を復活するなと、面目を一新しました。

修復された毘沙門天像は、奈良仏像館において6/28〜9/19に展示されます。
本像の詳しい修理解説等は、奈良博HP・
プレスリリース展示解説ページをご覧ください。

    
修復前、後世の極彩色に塗られた、高尾地蔵堂・毘沙門天像(左)と修復完成後の毘沙門天像(右)



ところで、この仏像の修復費用は、全額、同博物館の募金箱に託された浄財で賄われました。
修復費用は、約400万円ということです。

奈良国立博物館に設置されている
文化財の保存修復への募金箱

奈良国立博物館では、平成24年(2012)から、文化財の修理修復のための募金箱を館内に設置して、来館者からの浄財を募ってきています。
奈良博HP・「募金、文化財修理保存基金へのお礼」(2016.01.14)によると、

「募金は、平成24年4月より開始し、皆様のご厚志、ご支援により24年度分が2,703,218円でございました。
これは、25年度に当館所蔵の重要文化財「絹本著色安東円恵(あんどうえんえ)像」の修理費用の一部として活用させていただきました。
・・・・・・・
 また、平成25・26年度分につきましては、併せて5,157,540円でございました。
そして25年度からの文化財修理保存基金への寄附金につきましては、併せて27,003円で、総額5,184,543円ございました。
これは本年度に、当館に永くご寄託いただいている「木造毘沙門天立像」の修理費用として活用させていただき、平成28年度中には修理完成後のお披露目展示をさせていただきます。」

ということです。

恥ずかしながら、奈良博に文化財修理修復への「募金箱」が設置されていたことに、このニュースに接するまで、私は気が付いていませんでした。
大変、良き趣旨の募金であるとともに、また、募金箱だけなのに年間250万円以上集まっているということに少々驚きました。
今度、奈良博に行った時には、わずかばかりでも募金をせねばと思った次第です。




●イタリア・ローマで文化庁主催「日本仏像展」を開催(7/29〜9/4)(2016年7月2日)


イタリア・ローマで、日本の傑作仏像が多数展示される「日本仏像展」が開催されます。
平成28年(2016)が、日伊外交関係開設150周年にあたることから、文化交流事業の一環として文化庁主催で開催されるということです。

飛鳥時代から鎌倉時代までの、傑作仏像21件(35点)が展示されます。 元興寺・薬師如来立像(国宝・平安時代)、深大寺・釈迦如来倚像(重文・白鳳時代)、秋篠寺・梵天立像(重文・奈良時代)、雪蹊寺・毘沙門天立像(重文・鎌倉時代)など、よく知られた名作仏像が出品されるということです。

        
元興寺・薬師如来立像              深大寺・釈迦如来倚像            雪蹊寺・毘沙門天立像


平成28年7月から9月にかけて,イタリア・ローマ市のクイリナーレ宮美術館において開催されるということですが、古代彫刻の本家本元ともいえるローマの地で、この「日本仏像展」は、どのような注目を浴びるのでしょうか?

わざわざ、ローマでこの「日本仏像展」をご覧になろうという方は、いらっしゃらないと思いますが、日本の仏像が、多数、ヨーロッパで展観されるというめずらしいニュースですので、お知らせしました。

詳しくは、文化庁HP・
文化庁主催海外展「日本仏像展」の開催ページをご覧ください。
出展される仏像リストは、「日本仏像展出品作品一覧」をご覧ください。




●改修休館中の奈良博「なら仏像館」がリニューアルオープン(4/29〜)(2016年4月22日)


奈良博「なら仏像館」〜片山東熊設計・奈良帝国博物館本館(重文)
2014年9月から改修のため休館していた、奈良国立博物館「なら仏像館」は、改修が完了し、約1年半ぶりにリニューアルオープンすることとなりました。
オープン日は、2016年4月29日(金・祝)です。

ご存じのとおり、奈良博「なら仏像館」は、明治28年(1895)に開館した奈良帝国博物館・本館の建物です。
片山東熊の設計による明治期洋風建築の代表例として、国の重要文化財に指定されています。
この名建築を次代に伝えつつ、陳列館として良好な室内環境、展示環境のもとに活用していくため、改修が実施されたものです。

奈良へ出かけると、まずは「なら仏像館」にて、名品仏像を鑑賞するのが通例となっておられる仏像愛好の方も多いものと思われ、今回のリニューアルオープンを心待ちにされていたのではないでしょうか。
従来以上に、良き展示環境、明るい照明の下で、仏像鑑賞できるものと、私も楽しみにしています。


リニューアルオープンに際した、名品展「珠玉の仏たち」に展示される、主な仏像などについては、報道発表資料
「なら仏像館リニューアルオープンについて」をご覧ください。
また、全出陳目録については、奈良博HP出陳一覧をご参照ください。
展示期間は、2016年4月29日(金・祝)〜6月26日(日)となっています。

出陳仏像は、それぞれ見どころのある仏像が105件も出展されますので、ご紹介のしようもありませんが、国宝仏像としては、奈良博・薬師如来坐像、元興寺・薬師如来立像、長谷寺・法華説相図板、薬師寺・八幡三神坐像が展示されます。

        
元興寺・薬師如来立像                 奈良博・薬師如来坐像            薬師寺・八幡三神像のうち神功皇后像


私の注目像は、室生寺・二天王像(無指定)です。

この二天王像は、昨年(2015)7月に、室生寺仁王門の2階内部から見つかった新発見仏像です。
昨年8月から、奈良博に仏像が移され、調査等が行われていました。

奈良博の解説文には、このように記されています。

「もとは四天王像を構成したうちの2躯が残されたものであり、伝持国天は本来増長天、伝増長天は広目天像であったのではないかと考える。
2躯とも腕を除いた像の中心部を針葉樹(カヤか)の一材から彫成して内刳しない堅固な構造である。
太造りで量感に富んだ塊量的な体系が印象的で、造立年代も9世紀末頃を中心に考えることが出来、今後注目を集める作例といえよう。」

    
室生寺仁王門から発見された二天王像(平安時代・9世紀末頃)〜(左)伝増長天像、(右)伝持国天像


是非とも、一度は観てみたい、平安前期の一木彫像ではないでしょうか。

この室生寺・二天像の発見については、以前に、特選情報「奈良・室生寺で、平安時代の四天王像2体発見」にて紹介させていただいておりますので、ご覧ください。




●東京・上野に「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」オープン(3/21)(2016年3月26日)


3/21にオープンした「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」
東京都台東区上野に、長浜市の都内における情報発信の新しい拠点「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」がオープンすることになりました。

所在地は、上野公園に隣接した上野の森ファーストビル1F(台東区上野2丁目14番27号)で、2016年3月21日にオープンしました。

長浜市のプレスリリースには、次のような解説主旨コメントがされています。

「琵琶湖の北東に位置する長浜市は、古くから観音信仰が篤く、人々の手によって守り継がれてきた観音像が、今も数多く点在する “観音の里”です。
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」は、そんな長浜市独自の歴史や文化を広く発信するため、“東京にある、長浜の観音堂”をコンセプトに、地方自治体の施設としては国内初の、「観音」がテーマの情報発信拠点として新設されます。

長浜産の檜材で造られた館内中央の「観音堂」には、長浜からお出ましいただく観音像1体を2か月交代で展示。
モノトーンの静謐な空間で、日常から離れ、ゆっくりと観音像と向き合うことができます。また、ギャラリースペースでは、長浜市の観音像についての史料や映像、市の観光情報などを展示します。」

開館時間など詳しくは、
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」HPを、ご覧ください。
湖北の仏像の公開情報などの最新ニュースを知ったり、映像を愉しむことが出来るのではないかと思います。

2ヶ月交代で、観音像が1体展示されるということですが、初回の展示は、竹生島宝厳寺の聖観音立像(平安後期・無指定)が展示されます。
無指定ですが、平安後期、いかにも藤原風の優美な仏像です。

東京国立博物館など上野へ行かれた時には、是非一度訪ねてみたいものです。


なお、関連情報ですが、7月からは、東京藝術大学で「観音の里の祈りとくらし展U」の開催も予定されています。
開催期間は、2016年7月5日(火)〜8月7日(日)です。

出展予定リストを見ると、黒田観音寺・伝千手観音像(平安前中期)、来現寺・聖観音像(平安前期)をはじめ、見どころある湖北の仏像が多数展示されるようです。
大注目は、黒田観音寺・伝千手観音像の出展で、この像はお堂を出て堂外に展示されるのは初めてのことではないかと思います。
お堂では、側面、後ろ側から拝することが出来ませんので、初の出展が大いに愉しみです。

展覧会の概要や、出展予定仏像については、「びわ湖長浜・観音の里」HP展覧会ページ出陳リストをご覧ください。

       
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」に2か月間展示される竹生島宝厳寺・聖観音立像        「観音の里の祈りとくらし展U」ポスター(黒田観音寺・観音像)





●ミホミュージアム地蔵像・胎内発見の「重源・快慶の名が遺る文書」が重文追加指定(3/12)(2016年3月26日)


地蔵像胎内に納入された印仏
重源や快慶と思われる僧侶も結縁名に名をを連ねている

ミホミュージアムの重要文化財・地蔵菩薩像(鎌倉時代)の体内から発見された「印仏などの像内納入品」が重要文化財に追加指定されることになりました。

胎内から発見された菩薩印仏に、建久8年(1197)の文字が見つかり、紙背には、重源、快慶の仏号が書き残されていたことから、大注目となっているものです。

この地蔵菩薩像(像高52.5p)は、13世紀後半の制作とみられる像で、1972年に重要文化財の指定を受けています。
1994年にミホミュージアム所蔵となりましたが、2014年の修理の際に、胎内から菩薩の印を押した紙や札が見つかったものです。
そこには、東大寺を鎌倉時代に再興した重源、仏師快慶、そして奈良の新薬師寺との関係をうかがわせる記述が含まれていました。
納入印仏に残される年紀、建久8年(1197)と、地蔵像の13C後半という制作年代が合わないことから、2代目像の可能性もあるとのことです。

2016.3.22付・京都新聞は、

「謎の仏像内から重源・快慶の名 滋賀、発見に関係者興奮」

という見出しで、地蔵像の重要文化財追加指定と、胎内納入品発見情報について、このように報じています。

「鎌倉時代の作とだけ伝わっていたMIHO MUSEUM(滋賀県甲賀市)所蔵の木造地蔵菩薩立像(重要文化財)の正体が明らかになってきた。
1年半前の修理で、胎内から菩薩の印を押した紙や札が見つかった。
東大寺を鎌倉時代に再興した重源(ちょうげん)と当代随一の仏師快慶、奈良の新薬師寺との関係をうかがわせる記述が含まれ、国も重文の追加指定に踏み切った。意外な「発見」に県内の文化財関係者は興奮している。
・・・・・・・・・・・・・・・
像の表面の虫食いや塗りが剥げ落ちるなど傷みが目立ち台座が不安定だったため、2014年から国の補助を受け保存修理に取りかかった。
動いても中から音はなく、ずっと空洞と思われていたが、開けてびっくり。朽ちた紙や札がびっしり詰まっていた。
貴重なものとみて国は史料の読み込み調査をした。
この結果、地蔵菩薩の姿をはんこで押し並べた「印仏(いんぶつ)」の紙に建久8(1197)年の文字が見つかり、像の制作時期と合わないことからこの像は2代目の可能性が出てきた。
紙の裏には像を造る際に協力した僧侶らの名簿(結縁交名(けちえんきょうみょう))が記され、重源を指す「南無阿弥陀仏」や快慶を意味するという「アン(梵字)弥陀仏」の仏号が見つかった。
・・・・・・・・・・・・
印仏の紙の間に供養札も挟まれており、「新薬師寺」の文字があった。地蔵菩薩立像との関連は不明だが、古川主査は「この像はもともと奈良にあった可能性が高い」と推論する。
印仏や供養札を含む一連の納入品は、11日に重文の追加指定答申を受けた。
同ミュージアムの片山寛明学芸部長は
「中に文書が入っているとは夢にも思わなかった。
作者まで分かれば良かったが、逆にまた謎が出てきて興味深い」
とロマンを感じている。」


    
ミホミュージアム・地蔵菩薩像(鎌倉時代・重要文化財)





●平成28年新指定・国宝重要文化財答申〜彫刻は11件(3/12)(2016年3月20日)


文部大臣、文化庁長官の諮問機関である文化審議会は、2016年3月11日、4件の国宝指定と、46件の重要文化財指定の答申を行いました。

彫刻(仏像)では、西大寺・木造叡尊坐像、像内納入品(鎌倉時代)が、国宝に指定されることになりました。
重文指定となったのは、10件(仏像8件、伎楽面1件、獅子頭1件)です。

新指定となる国宝・重要文化財のうち、仏像(彫刻)の一覧リストは、次の通りです。




詳しい答申内容は、文化庁HP・
文化審議会答申〜国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定について〜解説ページをご覧ください。
詳しい指定事由解説と写真図版が掲載されています。

今回の美術工芸品の「国宝指定」は4件で、絵画、彫刻、工芸、書籍典籍がそれぞれ1件ずつとなりました。
岩佐又兵衛の傑作として知られる舟木本・洛中洛外図(東京国立博物館)も、国宝指定となりました。

彫刻で国宝となった、「西大寺・木造叡尊坐像、像内納入品(鎌倉時代・善春作)」の答申事由説明は、次の通りです。
新国宝〜西大寺・木造叡尊坐像
(2008.9.10)


「弘安3年(1280),真言律宗の宗祖である叡尊が80歳の時に,弟子達が造らせた肖像彫刻である。
作者である善春は興福寺所属の工房の仏師で,父善慶を継いで叡尊関係の造像を手掛けた。
その造形には当代の写実表現の追求の成果とともに,南都における古代以来の伝統の蓄積をうかがうことができ,鎌倉肖像彫刻の傑作と評価される。
納入品は叡尊伝の基本史料である『自誓受戒記』など種類の豊富さ,情報量の多さにおいて日本の像内納入品の遺例中,代表的な品である。」

西大寺・叡尊像は、西大寺の叡尊をはじめとする真言律宗関係の事績で知られる「善派・善春」の制作です。
鎌倉時代彫像は運慶・快慶作品を中心に、多数の国宝指定像がありますが、慶派以外の作品で国宝指定されたのは、この西大寺叡尊像が初めてということになるのではないでしょうか?
(京都蓮華王院千体観音像は、慶派・院派・円派の合作で、鎌倉高徳院大仏を慶派の原型作品だとして、ということですが・・・・・、また、善派も慶派の一傍流の可能性もあるとは言われてもいますが)

ただ、今回の国宝指定は、そういうことよりも、指定事由にあるように、鎌倉肖像彫刻の傑作であるということによるものなのでしょう。
また、多数の納入品により、戒律の復興に努め西大寺を再興した、「叡尊80歳時の寿像」であるという造像由来が明らかであることも、有力事由であろうかと思われます。
なお、この納入品は、1955年、小林剛氏を中心とする奈良国立文化財研究所の西大寺仏教美術総合調査の際に、発見されたものです。


重要文化財には、10件の彫刻が新指定となりました。

私の注目像は、浄山寺・地蔵菩薩像、法住寺・不動明王像、清泰寺・菩薩像(2躯)です。

浄山寺・地蔵菩薩像は、
長年秘仏であったこともあり、全く知られていなかった仏像なのですが、東日本大震災での破損修理の際、平安前期の制作ではないかと注目され、昨年、無指定から県指定文化財となり、本年重要文化財へとスピード出世した像です。
9世紀前半の制作に遡る可能性が考えられており、埼玉県最古の木彫像となりました。
私は、先月(2月)にこの地蔵像を拝観してきました。
いずれ、「観仏日々帖」の探訪記にて、ご紹介したいと思っています。

         
浄山寺・地蔵菩薩像(平安前期)



法住寺・不動明王像は、
高野山の麓にある天野社(丹生都比売神社)の護摩所本尊として伝来した像で、14世紀初め頃の作と見られています。
石川県珠洲市の法住寺には、明治24年(1891)以降に、移坐されたと伝えられます。
此の像の注目は、東寺西院の絶対秘仏・国宝不動明王像(9世紀)の模像とみられることです。
高野山金剛峰寺(奥の院護摩堂)には、同じく東寺西院・不動明王像を模した、玉歯をはめる特殊な技法の不動明王像(重文)が遺されています。
本像は、この奥の院護摩堂像の精密な模刻像かとみられていますが、近年、注目を浴びている像です。
珠洲市指定文化財から、一気に重要文化財となりました。

    
法住寺・不動明王像            金剛峰寺奥の院護摩堂・不動明王像            東寺西院・不動明王像



清泰寺・菩薩像(2躯)は、
小像ですが平安前期の制作とみられている像です。
私は、以前から大変気になっており、一度は拝したい平安古仏だったのですが、なかなか枚方市まで訪れる機会がなく、未見となっていたものです。
答申には、次のように解説されています。
「九世紀前半ないし半ば頃の製作とみられる。 面貌や身体構成は奈良国立博物館薬師如来像(国宝)に通じ,同系の作者の手になると推定される。平安前期彫像の優品である。」
本像も、枚方市指定文化財から、一気に重要文化財となりました。
「新指定国宝・重要文化財展」で、間近に実見できるのが楽しみです。

    
.                   清泰寺・菩薩像(平安前期)                 奈良国立博物館・薬師如来像(平安前期・国宝)



今回の新指定、国宝重要文化財は、毎年恒例で、東京国立博物館で開催される「新指定国宝・重要文化財展」で、展示される予定です。
開催期間は、2016年年4月19日(金)〜5月7日(土)のようですが、詳細がはっきりしましたら、本HP「展示会」で、紹介させていただきます。




●仙台市・十八夜観世音堂の東北最古?菩薩像が、県指定文化財に(1/27)(2016年2月6日)


奈良時代末期の制作か?と注目されている、仙台市太白区の十八夜観世音堂の菩薩立像が、県指定文化財に指定されることになりました。
宮城県教育委員会は、1月26日、宮城県文化財保護審議会の答申により、本像を県指定文化財に指定すると発表しました。

               
十八夜観世音堂・菩薩立像(奈良末〜平安初期・県指定文化財)


十八夜観世音堂の菩薩立像は、近年、新たに確認された一木彫像です。
奈良時代末期〜平安初期の制作とみられ、東北地方最古の木彫像として、大注目を浴びている仏像ですので、ご紹介させていただきました。

菩薩像新発見を報じる河北新報
(2008.9.10)

この一木彫像が、研究者の実査によって発見されたのは、2007年のことでした。
像高138.5センチ、内刳り無しで、腹部が細い腰高のプロポーションや、頭部の球形の髻などが特徴です。
その造形表現、構造から、奈良末期の制作ではないかとみられるようになり、新聞紙上でも「奈良時代・東北最古の仏像発見」と大きく採り上げられたりしました。
本像の伝来は、文書では江戸時代までしか遡れませんが、伝承等を総合すると、古代陸奥国府に付属する山寺の仏像ではないかとみられています。

もう一つ、驚かされたのは、その後の科学調査で、本像の用材が「カヤ材」であることが特定されたことでした。
東北地方の古代一木彫像で、カヤ材で造られているのは、唯一、この菩薩像だけだと思います。
カヤの木は、福島県以南にしか自生していない樹木だからで、当地の古代木彫の多くは、ケヤキ材で造られています。
造立当初から当地に伝わった像だとすると、都で制作されたのか、わざわざカヤ材を持ち込んで制作したことになります。

いずれにせよ、
・東北最古と思われる、奈良末〜平安初期の一木彫像が新発見された
・初期一木彫の典型用材であるカヤ材を用いた仏像が、古代陸奥の地に遺されていた
ということで、大注目を浴びている木彫像です。

この仏像は、2008年に世田谷美術館で開催された「平泉〜みちのくの浄土展」をはじめ、地元開催のいくつかの展覧会に出展されていますので、ご覧になった方も多くいらっしゃるのではないかと思います。

2007年の発見後、2011年に仙台市指定文化財となりましたが、今般、県指定文化財となりました。
今後も、この菩薩像の研究が進められていくことが期待されます。




●鎌倉大仏、半世紀ぶり大規模修理へ〜約2ヶ月間(2016年1月8日)



神奈川県鎌倉市の鎌倉大仏(国宝銅造阿弥陀如来坐像)の全面補修が、2016年1月13日〜3月10日に行われます。

補修期間中は拝観できなくなります。

大規模補修は「昭和の大修理」以来、半世紀ぶりとなるそうです。
屋外にある露座仏のため、近年、潮風や酸性雨、鳥のフンで表面がさびるなど劣化が進み、文化財保存の国庫補助事業として補修することになりました。
作業を担当する東京文化財研究所では、周囲に広がる恐れのあるさびを超音波で削るとともに、昭和の大修理で設置した免震装置の効果を調べ、新たな地震対策の必要性を検討する予定とのことです。




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