特選情報2010
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● 京都・平等院のガラス玉、正倉院宝物と同じ工房製か(2010年12月24日)
 京都府宇治市の平等院は、鳳凰堂の阿弥陀如来坐像の台座から発見されたガラス玉の化学組成を調査したところ、一部が奈良時代の正倉院宝物と同じ工房で作られた可能性が高いことが分かった。
 ガラス玉は2004年の平成大修理の際、単体や装飾片などで透明感のある青や緑、黄色など約450個発見された。うち186個を東京理科大の中井泉教授 が蛍光X線分析などで化学組成を調査した結果、すべて中国で発明された鉛ガラスで、宋から平安時代に新技法として伝来したガラス玉が多数だったが、鉛やカ リウムの組成が正倉院宝物と非常に近いガラス玉19個が見つかった。
 奈良時代のガラス玉のうち3個は、深緑に白のラインが入ったトンボ玉などで正倉院宝物に様式も酷似し、官立の同じ工房で製作されたと可能性が高いという。
ガラス玉は1053年の鳳凰堂創建時の装飾とみられるが、正倉院に宝物を納めた藤原不比等の娘、光明皇后の遺品の可能性もあり、平安時代製のガラス玉とともに、きらびやかに浄土を演出したと考えられるという。
 ガラス玉は、1月25日から境内のミュージアム鳳翔館で常設展示される。


● 京都・浄瑠璃寺薬師如来坐像を三重塔内に戻す(2010年12月29日)
 木津川市加茂町西小の浄瑠璃寺で、このほど修復工事が完了した国宝・三重塔に、本尊の重要文化財・薬師如来坐像を戻す作業が行われ、約1年半ぶりに塔内に本尊が戻った。
 三重塔は、2006年ごろにアライグマによるものとみられる穴が天井に開いているのが見つかり、その後の調査で、薬師如来像にも爪痕を発見。ほかに天井や檜皮の傷みもあり、昨年末から約1年かけて檜皮の葺き替えや天井部分の修理を行った。
 先に修復を終えた薬師如来坐像は昨年12月、寺に戻ったが、塔の工事が終わるまで、本堂(九体阿弥陀堂)に安置されていた。


● 京都・平等院本尊から正倉院と同種のガラス玉(2010年12月24日)
 京都府宇治市の平等院鳳凰堂の本尊・阿弥陀如来坐像(国宝、平安時代)の台座の中から、聖武天皇の遺品を納めた正倉院の宝物(奈良時代)と同じタイプのガラス玉3個が見つかった。
聖武天皇の妻は平等院鳳凰堂とゆかりの深い藤原氏出身の光明皇后で、これらのガラス玉は光明皇后の遺品の可能性もあるという。
 同じタイプとみられるガラス玉は、花弁形で緑色の2個と、球状で黒っぽい色の1個。いずれも直径1.5cm前後で中央に穴があいている。蛍光X線などで 調査した結果、酸化鉛を70%以上含み、正倉院に納められた奈良時代の国産ガラス玉と同じ成分組成を持つことが判明した。
 大きさも正倉院のガラス球とほぼ同じで、平等院は奈良時代に正倉院のガラス玉と同じ官営工房でつくられた可能性があるとみている。
 見つかったガラス玉は25日から平等院ミュージアムで公開される。


● 京都・壬生寺の水掛地蔵、修理終え開眼法要(2010年12月24日)
 京都市中京区の壬生寺で、約360年前につくられた「水掛地蔵」が初の大修理を終えて境内に戻り、開眼法要が営まれた。
 過去の地震などの影響で体の中央を貫く割れ目ができ、倒壊の恐れがあった。このため、寺の中興の祖・円覚上人の700回御遠忌を記念して、初めて境内を出て亀裂の補修などを施した。

● 石川・妙観院の阿弥陀如来坐像などを県指定文化財に(2010年12月23日)
 石川県文化財保護審議会、七尾市の妙観院の阿弥陀如来坐像と、金沢市の東大寺領横江荘遺跡上荒屋遺跡の出土品1131点について、県指定文化財に登録するよう県教委に答申した。   
 阿弥陀如来坐像は、妙観院の本尊で鎌倉時代前期の作とされ、像高69.2cm。伏し目で、ほおが緩やかに膨らんだ柔和な顔立ちをしており、玉眼・寄木造で、表面に漆を塗り、その上から金箔を施したとみられており、額や首の一部に金箔の跡が残っている。
 保存状態が良好な上、鎌倉時代前期の写実性と装飾性を兼ね備え、この年代の阿弥陀如来像の基準ともいえる貴重な存在だという。

● 奈良・薬師寺東塔初層の内部、初公開へ(2010年12月22日)
 奈良市の薬師寺は、優美な姿が「凍れる音楽」とも称される国宝の三重塔「東塔」の1階部分に当たる初層の内部を来年3月1〜21日、奈良時代の創建以来初めて一般公開すると発表した。
 東塔は心柱が空洞化するなど損傷が激しく、来年春から約110年ぶりの解体修理が始まる。修理中は素屋根に覆われるため約8年間、外観を見ることができ なくなるため、その前に一般公開することにした。創建当初の心柱を間近に見られるほか、天井を飾る想像上の花「宝相華」などに触れることができる。

● 奈良・安倍文殊院 文殊菩薩像公開を延長(2010年12月21日‎)
 桜井市の安倍文殊院は、本尊・騎獅子(きしし)文殊菩薩像(国重要文化財)の保存修理と平城遷都1300年祭を記念した「獅子から降りた文殊さま」特別公開を、来年1月25日まで延長することを決めた。
 菩薩像は建仁3(1203)年、仏師の快慶作。像高約2mの木造で、獅子の台座にまたがった状態では総高約7mある。傷みがひどいため、昨年9月から、県財団法人「美術院」(京都市)が修理していた。
 これに伴い、本堂内で獅子の台座から降ろした菩薩像を特別公開していた。獅子から降りた菩薩像の一般公開は初めて。

● 奈良・春日大社東塔の雨落溝発見(2010年12月17日)
 奈良市の奈良国立博物館の敷地内で、平安〜室町時代にあった春日大社の東塔を囲む塀の雨落溝が見つかった。
 1965年の発掘調査で東西両塔の基壇などを確認しており、今回は史跡指定などに向けた基礎データを得るため、東塔跡219平方mを発掘した。調査では塀の北東隅の位置を確認し、塀が東西約70m、南北約80mの規模だったことが確定した。
 また、溝は逆L字形で幅約65cm、東西約7m、南北約7.5m。溝からは多数の瓦も出土しており、東塔を囲って「院」を形成していた築地塀などの屋根に葺かれていたとみられる。
 春日大社では西塔が1116年、東塔が1140年に建立された。1180年に平重衡の焼き打ちで燃えたが再建されたが、1411年に落雷で焼失した。

● 福井・大谷寺が重文木像売り借金返済(2010年12月17日)
 福井県越前町大谷寺の越知山大谷寺(おおたんじ)で、所蔵していた国指定の重要文化財である泰澄及二行者坐像と不動明王立像(室堂安置)の2件が約2年前に文化庁に売却されていたことが分かった。
 泰澄坐像は、白山を開いたとされる泰澄大師と、その弟子「清定(きよさだ)行者」「臥(ふせ)行者」の像。泰澄は像高44cm。1493年に作られたとされ、泰澄の入寂地に伝来した根本像として貴重であり、泰澄大師像を代表する作例であり、2003年に重文に指定された
 また、不動明王立像は頭部を小さめにした腰高の一木造で、像高93.6cm。優美な作風を示し、平安時代後期の典型的な不動明王像であるが、構造は古式で、あまり類例がなく、1941年重文に指定された。
 大谷寺では、1998年に始めた霊園開発に伴う借金が嵩み、文化庁に同坐像の売却を相談し、同寺の役員会や宗教法人天台宗(滋賀)の承認を得て譲渡することにしたという。
 
 文化庁は「国宝・重要文化財等買い上げ制度」で購入。同庁ホームページに2008年度購入文化財一覧に、この2件が購入額とともに掲載されている。

● 著作物利用に関する「権利制限の一般規定」導入を了承(2010年12月14日)
 文化庁の文化審議会著作権分科会は、著作権者の利益を不当に害しない一定の範囲内で著作物の公正な利用を包括的に許容しうる「権利制限の一般規定」(いわゆる日本版フェアユース規定)の導入を求めた法制問題小委員会の最終報告を大筋で了承した。
 法制問題小委員会では、インターネット普及などIT化の進展で、現行著作権法の、私的利用などの「個別権利制限規定の限定列挙方式」では、新規ビジネス などに萎縮効果があり、また個別規定を改正・創設するのでは、技術の急速な進歩に追い付かないなどとして、著作物の多様な利用実態に合わせて、「権利制限 の一般規定」の導入が検討されてきた。
 最終報告では、無許諾で利用ができるケースとして、(1)(写真の背景への写りこみなど)著作物の利用が主目的でなく利用程度が軽微、(2)(CD制作 の中間過程での複製など)適法な著作物利用の過程で合理的に必要な軽微なもの、(3)(技術の開発や検証での素材としての利用など)著作物の表現を視聴す ることを目的としないもの、の3類型が提示されている。

● 奈良・子嶋寺に伝来の両界曼荼羅公開(2010年12月14日)
 奈良市の奈良国立博物館で開催中の名品展「珠玉の仏教美術」で、子嶋寺(高取 町)に伝来した国宝「両界曼荼羅(子島曼荼羅)」が一対並べて初公開されている。10月に高さ約6.5mの展示ケースを導入し、約4m四方の「金剛界」と 「胎蔵界」の一対を展示できるようになった。1月16日まで。
 子島曼荼羅は11世紀のもので、紺色の絹の綾織り地に金銀泥だけで曼荼羅が描かれている。同寺中興の祖、真興が一条天皇から賜ったとされ、今も金色に輝く。
 このほか、奈良豆比古(ならづひこ)神社(奈良市奈良阪町)で毎年10月に奉納される「翁舞」(国重要無形民俗文化財)で、昭和初期まで使われていた「黒紫地蓮(はす)唐草文狩衣(かりぎぬ)」も展示。ボロボロだったのが2005、6年に修理されて以来、初公開となる。

● 神奈川・明王院観音菩薩像を重要文化財に指定(2010年12月13日)
 平塚市教育委員会は、平塚市徳延の明王院が所有する室町時代に作られた白衣観音菩薩坐像を市指定重要文化財に指定した。
 同像は頭部に宝髻を結い上げ、上半身に大衣などを着け、下半身に裳をまとう。着衣の袖や裾が正面と両側に大きく垂れる法衣垂下(ほうえすいか)形式を とっている。鎌倉地方で南北朝から室町時代初期にかけて流行した、中国宋時代などの仏像の影響を受けており、宋風の法衣垂下形式像の佳作とされる。制作は 14世紀末か15世紀初期で高さ約21cmと小ぶりだが、表情は引き締まり、動きのある衣のさばきなどに作者の高度な技術がうかがえるという。保存状態も 悪くなく、当時の像容を十分に伝える。
 明王院の本尊で普段は秘仏だが、今回の指定を記念して12月21日から23日まで明王院で特別公開される。

●「斉明陵」隣に大田皇女墓? 越塚御門古墳(2010年12月10日)
 飛鳥時代の女帝・斉明天皇(594〜661年)とその娘、間人皇女(はしひとの ひめみこ)の合葬墓と事実上、特定された明日香村越の牽牛子塚(けんごしづか)古墳(7世紀後半)で、南東の墳丘すそから、同時期の古墳や石槨(せっか く)(石室)が見つかった。地名から「越塚御門(こしつかごもん)古墳」(7世紀後半)と名付けられた。日本書紀には「皇孫大田皇女(おおたのひめみこ) を、(斉明)陵の前の墓に葬す」とあり、遺跡の状況と一致したことから、大田皇女の墓と見られる。
 今年9月、牽牛子塚古墳が八角形墳であることを確認した後、範囲確認調査を続けたところ、10月中旬、同古墳の石室から約4m低い南東約20m地点か ら、別の石室の上部角を発見。石室は、石英閃緑岩の巨石で造られており、村の観光名所でもある石造物「鬼の雪隠(せっちん)」「鬼の俎(まないた)」を組 み合わせた姿に酷似していた。
 数カ月前から石の一部が見えていたが、当初は牽牛子塚古墳の地盤を補強するための土留め石と推定していた。越塚御門古墳の存在は伝承もなく、ここに別の石室があるのは完全に想定外だったという。
 天井石の内部はきれいに磨かれ、天井石と床石を組みあわせるくぼみの穴には、今も目止めの漆喰(しっくい)が残る。墓道の下には、幅40cmの排水溝ま で造られていた。ところが、その墓道(長さ4m、幅1m)は急こしらえだったためか、石室の真正面になく軸がずれて設置される雑なつくりだった。

● 兵庫・薬師堂で平安仏60体確認(2010年11月6日)
 兵庫県加東市中古瀬の薬師堂に伝わる60体の仏像が、平安時代(10〜12世紀)の作であることがわかった。
 今年の夏、早稲田大学奈良美術研究所が調査した所、像高40〜140cmの一木造りの像で、多くが破損仏であったという。
 加東市のある加古川中流域は古代に仏教が盛んだった場所で、色々な規模のお寺に安置されていたものが集められたと思われる。
 早大では、3年を掛けて保存・修理を行うという。

● 東京・多摩美大美術館唐招提寺「金堂」の天井部材魅力展示(2010年12月6日)
 東京都多摩市落合の多摩美術大学美術館で、企画展「唐招提寺 金堂荘厳展」が開かれている。
 同大学の創立75周年と同美術館の移転開館10周年を記念した企画で、同寺に保管されている創建当時の天井の一部など約100点が展示されている。   
 唐招提寺金堂の修復は2000年に始まり、昨年11月に落慶法要が行われた。天井には様々な絵が描かれていたが、大部分は風化して消えていた。今回の修 復でいったん取り外した部材の一部を彩色の跡をもとに調査した結果、白や青色などの顔料で、ボタンやザクロなどを組み合わせた空想上の花や、天界にいる 「天人」などが描かれていたことがわかった。
 会場には、天井の部材などの他、彩色が復元されたレプリカが展示されている。
来年1月30日まで。

● 紅葉の三溪園で「仏堂建築」の重要文化財3棟公開(2010年12月2日)
 横浜市中区本牧三之谷58の三溪園で、仏堂建築を紹介する「紅葉の古建築公開」 が行われている。今年は、同園の創始者 原三溪によって移築された「仏堂建築」というテーマのもと、歴史的建造物の重要文化財3棟「天授院」(1651年築)、「旧天瑞寺寿塔覆堂」(1591年 築)、「旧東慶寺仏殿」(江戸時代初期)が公開されている。
 会期中は、聴秋閣沿いの渓谷遊歩道も開放され、モミジやカエデ、イチョウなどが鮮やかに色づいた園内で、古建築と散策を楽しむことができる。
 「天授院」は、鎌倉 建長寺付近にあった心平寺(廃寺)の地蔵堂であったと伝えられており、1916年に同園に移築。禅宗様を主体とする建築様式で、同園では原家の持仏堂とされていた。
 「旧天瑞寺寿塔覆堂」は、豊臣秀吉が母・大政所のために建てた寿塔(生前墓)を覆う建物。京都 大徳寺の塔頭・天瑞寺(廃寺)にあったが、1902年に同園に移築。極楽の空を舞う半女人半鳥の姿をした想像上の生物「迦陵頻迦(かりょうびんが)」や蓮 の花の装飾が施されており、そりあがった屋根が特徴。
 「旧東慶寺仏殿」は、鎌倉 東慶寺にあった禅宗様の仏殿。1907年に同園に移築した縁切り寺・駆け込み寺として知られている。
 11月27日より12月12日まで。

● 奈良・東大寺法華堂の本尊を搬出(2010年12月1日)
 奈良市の東大寺法華堂(国宝)で、仏像を安置する須弥壇の修理のため、本尊の不空羂索観音立像(国宝)が搬出され、奈良国立博物館の文化財保存修理所に運ばれた。
寺によると、本尊が堂外に出るのは奈良時代の創建以来初めて。修理は13年3月までに完了する予定。
 法華堂には仏像16体が安置されていたが、これまでに金剛力士立像、四天王立像(いずれも国宝)の6体が搬出された。現在は日光、月光両菩薩像、梵天像、帝釈天像(いずれも国宝)、弁財天像、地蔵菩薩像、不動明王像(いずれも重要文化財)を見ることができる。
 不空羂索観音立像は像高約3.6mメートルの乾漆像で、はく落止めなどの修理をする。

● 奈良・唐招提寺でアライグマ被害(2010年12月1日)
 奈良市唐招提寺で、国宝や重要文化財の建物にアライグマによる被害が出ていたことが分かった。
奈良県教育委員会によると東大寺、正倉院、法隆寺などでも3 4年前から被害が発生しており、他府県と連携して対策を考える必要があるという。
 唐招提寺によると、鼓楼(国宝、鎌倉時代)で9月に、国宝の鑑真和上坐像を安置する御影堂(重文、江戸時代)では10月に、それぞれアライグマの爪痕のような引っかき傷が柱に見つかった。同じ時期、境内の防犯ビデオに親子らしき3匹のアライグマが写っていた。
 寺は奈良市から借りたおりを御影堂の裏に設置し、縁側にはアライグマが登れないように板を斜めに立て掛けて並べた。その後、被害は出ていないが、寺ではこれ以上はどうしようもないとお手上げの状態。

● 奈良・金剛蔵王権現の特別開帳に10万人(2010年11月30日) 
 金峯山寺で9月1日から行われている秘仏、金剛蔵王権現立像の特別開帳の拝観者が29日、目標としていた10万人を達成した。特別開帳は12月9日まで。
 金剛蔵王権現立像は3体から成り、最大の中央の像は像高7.3m。怒りに満ちた迫力ある姿をしている。6年ぶりの長期開帳で順調に拝観者が訪れた。

● 岡山・安養寺観音様    修理終え公開(2010年11月30日)
 岡山県笠岡市新賀の安養寺で銅造観音立像が修理を終え、1年ぶりに寺に戻った。
 像高は49cm。体は腰を少し突き出した細身の姿で、技巧的な首飾りや大ぶりの衣文などが飛鳥時代の特色を示す。頭部は当初のものが失われ、平安時代中期(11世紀)の木造が付く。寺伝などには1686年に近くの人が寄進。それ以前に近畿地方から運ばれてきたとされる。
 頭部がはずれかかり、体が傾くなどしたため、樹脂を使うなどして修理された。

●    奈良・キトラ古墳、壁画のはぎ取り終了(2010年11月25日)
 奈良県明日香村の特別史跡・キトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)で、保存のため2004年から進めてきた壁画のはぎ取り作業がすべての作業を終えた。
 キトラ古墳では一部の壁画が下地のしっくいごとはがれ落ちる危険性が高まり、2004年8月からはぎ取り作業を開始。その後、湿度が高い石室内でのカビの発生に対処するため、すべてをはがすことになった。
 壁画は2006年以降、保存処置が済んだものから順次公開され、ことし5月には極彩色の四神図が一堂にそろい、多くの考古学ファンが見学に詰め掛けた。
 10〜11月には十二支図の「申」などが描かれている可能性がある部分をはぎ取った。肉眼や赤外線調査では図柄を確認できず、12月上旬にエックス線撮影で確認する。
 壁画は明日香村の国営飛鳥歴史公園にあるキトラ古墳周辺地区(整備中)での保存、展示が決まっている。

● 和歌山・県立博物館で文化財盗難展示(2010年11月25日)
 和歌山市吹上1の和歌山県立博物館で、各地で頻発している仏像などの盗難に警鐘を鳴らそうと、盗まれて一部が失われたり、破損したりした文化財を展示する企画展「文化財の基礎知識〜緊急アピール・文化財の盗難多発中!」を開催している。
 県内では今年に入って31件の文化財の盗難が発生。仏像など90点が盗まれた。8割が無住寺やほこらからで、盗難被害に長く気付かなかったケースも多いという。
 2008年6月には田辺市中辺路町の熊野古道沿いにあった、市指定文化財「牛馬童子像」の首から上が壊されて持ち去られる事件も発生し、危機感を強めた博物館が文化財被害をテーマにした企画展を初めて開いた。
 同展では、今年8月に発見された牛馬童子像の頭部のほか、9月に橋本市高野口町の千光寺で盗まれているのがわかった千手観音立像の盗難の際に壊されたとみられる仏像の一部や飾りなどを展示する。
 企画展は来年1月10日まで。

● 奈良・薬師寺国宝・吉祥天を公開(2010年11月22日‎)
 奈良市の薬師寺・大宝蔵殿で、平城遷都1300年を記念した特別公開「吉祥天女のすべて」が開かれている。
 毎年1月1〜15日に金堂で営まれる「吉祥悔過(けか)」の本尊で、国内現存最古の吉祥天の画像である国宝・吉祥天画像(奈良時代)を公開。麻布に右方向に進む吉祥天の姿が描かれたもので、寺の鎮守社である休ケ岡八幡宮に安置されてきた。
 明治時代以降に画家が模写した画像約10点や、平安時代の木造吉祥天立像(重文)のほか、1950年代の修理で取り外された古い木枠なども展示する。
 12月12日まで。

● 京都・清水寺子安塔定説より130年古かった(2010年11月20日)
 京都市東山区の清水寺の子安塔(重文)が、定説よりも130年ほど古い、室町時代後期の明応9(1500)年に再建されたことが分かった。
 建造年代が特定される清水寺の現存建造物では最古となる。
 子安塔は高さ13.4m、正面、奥行きともに2.5mの三重塔で、三重塔としては国内で最小クラス。現在解体修理中。1911(明治44)年に現在の境内南側に移築されるまで、寺の玄関に当たる仁王門(重文)近くにあった。
 これまでは外観などから寛永年間(1630年前後)に建てられたとされていた。今回の解体修理で、初層の軒を支える組み物に「明応九年 五月四日」の墨書があり、同年の建物と分かった。 室町後期の建造とされる仁王門とほぼ同じころに建てられたとみられる。

● 東京・会津八一論文の仏像確認(2010年11月19日)
 東京都港区根津美術館で、歌人で美術史家としても知られた会津八一が、昭和初期の論文で法隆寺の六観音像(飛鳥時代、重要文化財)と1組だった可能性を指摘し、その後、所在不明になっていた観音菩薩立像が所蔵されていることが分かった。
観音菩薩立像は像高76.7cmで、全面に金泊ぱくが残っている。
 会津八一は奈良市内の古美術店でこの仏像に出会い、昭和5年に発表した論文で六観音像との類似性を指摘した。六観音像は文殊菩薩立像など6体で、法隆寺の金堂に安置されていた。
 県立美術館で11月20日から行われる特別展「会津八一のうたにのせて」にあわせて調査し、論文に掲載された写真と根津美術館の所蔵品を比べたところ、全く同じものと分かった。
 六観音像は各像の特徴などから4体ずつの2組だったとみられており、米国のフリアー美術館にも類似の1体が伝わっている。
 特別展は12月19日まで。

● 足利の文化財一斉公開2010(2010年11月17日)
2010年11月20日(土)〜21日(日)
市内の社寺などが所有する文化財の一斉公開が行われる。
今年は新たに公開場所6カ所が加わり、計60カ所約150点の文化財を見学できる。当日は無料の巡回バスを運行する。

主な公開文化財
鑁阿寺 一切経堂見学
足利ハリストス正教会 聖画像
三宝院 釈迦十六羅漢図
郷土資料展示室 板絵著色 三十六歌仙図 (菅田稲荷神社蔵)
吉祥寺 聖観音菩薩坐像
名草大坂の庚申塔
金蔵院 石造鎧地蔵立像
千蔵院 閻魔王坐像
無量院無量院 板碑ほか文化財特別公開
永宝寺 円空仏

● 京都・平等院本尊台座から平安期の金糸織物片(2010年11月12日)
 京都府宇治市の平等院鳳凰堂の本尊阿弥陀如来坐像(国宝、11世紀)の台座から、当時の日本にはなかった技術で「金糸」を織った絹織物片12点が確認された。
 織物片は2004年解体修理していた台座のすきまから見つかり、最大で長さ8cm、幅1cm。紫色だったとみられる絹地に、紙の表裏に金箔を張って糸状 に裁断した「金糸」や、黄と緑、ベージュの色糸を織り込み、円に似た文様などが表されている。経文を入れる袋だった可能性があるという。
 正倉院宝物など奈良時代から伝わる「錦織」とは異なり、文様を表すための経糸がなく、平安中期に宋から伝わったとされる清凉寺(京都市右京区)所蔵の織物片(10世紀)と似ていることから、平安時代後期(10〜11世紀)に中国・宋で作られたとみられる。
 平安時代、舶来品に由来する豪華な織物は貴族の衣装などに用いられ、清少納言は「枕草子」の中で、「めでたき(素晴らしい)物」の一つとして「唐錦(唐織の錦)」を挙げているが、この時代の織物はほとんど残っていないという

● 京都・常楽院釈迦如来立像が借金の担保に(2010年11月10日)
 京都市北区西賀茂円峰の常楽院が所有していた釈迦如来立像が、東京都の美術商に渡り、寺と無関係の個人が6年間にわたり保管していることが分かった。
 釈迦如来立像は鎌倉時代の制作で、1938年に重文指定を受けた。1974年から京都国立博物館に寄託していたが、2004年11月、常楽院から「本堂に戻したい」と要望があった。
 常楽院の敷地内にはプレハブしかなかったため、文化庁は「重文の保管には適切ではない」と伝えたが、同院の強い意向で同年12月に移された。その後同庁が調査したところ、無関係の個人が保管していることが分かった。。
 住職は、借金の担保として預けているが、金が入る当てがあり、すぐに取り戻せる、と説明しているという。
 文化庁によると、全国に重文は10,388件あり、2005〜09年に第三者への譲渡申し出があったのは国宝を含め25件。譲渡先は博物館など環境面で適当な施設だったため、すべて認められた。
 文化財保護法では所在地を変更する場合は、変更届けが義務化されているが、何度も変更届の届け出を求めたのに従わなかった常楽院は特異な例という。
 しかし、ほかにも無届けで重文が転売された事例はあり、実際に行方不明の重文があるという。

● 大阪・金剛寺の不動明王坐像に仏師行快の墨書銘発見(2010年11月10日)
 大阪府河内長野市の金剛寺で、金堂の不動明王坐像(重文 像高258cm)が、鎌倉時代の仏師快慶の一番弟子だった行快(ぎょうかい)の作であることが分かった。
 今年7月、経年劣化した仏像を修復するため寺から搬出した際に、背中側の胴体の内側に1m四方にわたり墨書銘が書かれており、制作日とみられる「天福2 年(1234)3月21日」の日付や、制作者を示す「造立大佛師法眼行快」など、制作にあたった仏師6人と制作を発願した僧や、仏像に色を塗った仏師の名 も記されていた。寺にいた僧7人の名前や、が記されていた。
  行快は快慶の一番弟子で、長谷寺(奈良県桜井市)の観音像の復興で快慶を補助して認められたとされる。専門家によると、行快が制作に携わったとされる 仏像はこれまで京都の大報恩寺釈迦如来像など7体が確認されているが、不動明王坐像は像高が他の7体より大きく、円熟期の作品と見られる。
 墨書を分析した大阪経済大学人間科学部の長田寛康教授(美術史)は「仏像は丸みを帯びた穏やかな表情で、師匠の快慶の影響を強く受けている」と話している。
 寺の金堂にはいずれも国の重要文化財の不動明王坐像と大日如来坐像、降三世(ごうさんぜ)明王坐像の3体の仏像が並んで安置され、いずれも運慶の作と見 られていた。修復のためほかの2体も運び出したが胎内には墨書はなかった。ただし、技法や様式が同じ降三世明王坐像は行快の作品と考えられるという。
 3体の仏像は修復を終えた平成23年から一般公開される予定。

 

● 岐阜・文化財第11集「可児の仏像」を発刊(2010年11月9日)
 可児市教育委員会は、東帷子薬王寺の仏像をはじめ、文化財に指定されている仏像46体の写真と関連情報を掲載した「可児の仏像」を発刊した。
 A4判、カラー印刷32ページ。仏像の分布マップや解説、仏像にまつわる昔話などを盛り込んだ楽しい構成になっている。


● 京都・笠置寺で本尊、デジタル画像開眼法要(2010年11月6日)
 京都府笠置町の笠置寺でほとんど見えなくなっている本尊・弥勒磨崖仏の姿がデジタル画像で復元され、画像復元を記念して開眼法要が営まれた。
 花こう岩に線で刻まれた磨崖仏は、高さ約15m。奈良時代の作とみられるが、鎌倉時代の元弘の変の戦火で、隣接する堂の火災や風化で摩滅が激しくなっていた。
 画像は年内、現在の場所に安置し、その後も正月堂に置く予定という。


● 京都・非公開文化財19カ所で特別公開始まる(2010年11月5日)
 財団法人京都古文化保存協会による第46回京都非公開文化財特別公開が11月3日に始まった。
▽公開されている主な文化財 (◎は初公開)
期間は11月3日から14日まで(期限を特記した寺院を除く)
【北区】
 上賀茂神社 本殿
 真珠庵   長谷川等伯襖絵
 聚光院   方丈
 大徳寺本坊 方丈
【上京区】
 慈受院   大織冠絵巻
 妙蓮寺   長谷川派筆「鉾杉図」
【左京区】
 下鴨神社  本殿
 大蓮寺   祇園社本地仏薬師如来像
 西方寺   本尊阿弥陀如来坐像
 法然院   本尊阿弥陀如来坐像、豊臣秀吉公坐像(7日まで)
【東山区】
 妙法院   本堂、庫裏
 知恩院   三門二層内部(7日まで)
【下京区】
 ◎平等寺(因幡堂) 本尊薬師如来立像、因幡堂縁起絵巻
 ◎大行寺  本尊阿弥陀如来立像
 西本願寺  飛雲閣、経蔵
 ◎仏光寺  聖徳太子立像
 ◎上徳寺  本尊阿弥陀如来像(13日まで) 
【南区】
 東寺    五重塔初層内部
【右京区】
 佛教大宗教文化ミュージアム 清浄華院特別展(6日まで)

● 山口・周防国分寺の金堂ライトアップ(2010年11月4日)
 山口県防府市の周防国分寺金堂(重文)がライトアップされ、高さ約18m荘厳な建物が浮かび上がった。
 金堂は奈良時代に建てられ、全国の国分寺で唯一、創建当初と同じ場所に金堂が建てられていることで知られている。現在の金堂は三代目で、1779年に建て替えられた。
 ライトアップは、6日の国分寺まつり(薬師大法要)に合わせた初の試みで5日まで行われた。

● 三重・鈴鹿市考古博物館で出土した仏像展(2010年11月4日)
 三重県鈴鹿市国分町の鈴鹿市考古博物館で、特別展「土の中に眠っていたほとけさま」が始まった。
 飛鳥から奈良時代に作られ、県内外の寺院跡などから出土した押出仏やせん仏などの仏像を集めたもので、展示されているのは、県内の寺院跡6カ所と奈良、静岡、愛知県の寺院跡7カ所から見つかった押出仏7点とせん仏102点、仏像の塑像片27点の計136点。
 奈良県桜井市の山田寺跡から出土した四尊連坐せん仏など国重要文化財の5種17点(国立奈良文化財研究所所蔵)の他、鈴鹿市の個人が所蔵している、桑名市の額田廃寺から出土したとされる小型独尊せん仏1点も初公開されている。
 11月3日〜12月12日まで。

● 京都・大徳寺・真珠庵で一休さん肖像画に穴(2010年11月3日)
 京都市北区の大徳寺の塔頭、真珠庵にある開祖・一休禅師の肖像画に、アライグマが開けたとみられる長さ約8cmの穴が見つかった。
 一休禅師の肖像画は、戦後、院展などで活躍した日本画家高橋玄輝の作品で、方丈の北側廊下に飾られている。縦2.5m、横1.8mの画面の上部、一休禅 師の顔のすぐそばに穴があり、周囲に残された足跡から、アライグマと確認された。国の重要文化財のふすま絵などに被害はなかった。 真珠庵は普段は非公開 で、年内は11月3〜14日に限り拝観できる。
 近畿の社寺など1千カ所の被害調査をしている専門家によると、絵画が破られる被害は前例がないといい、11月3日からの境内の特別公開を前に関係者はショックを受けている。


● 山梨・山梨県立博物館で重文・仏像の台座壊す(2010年10月30日)
 山梨県笛吹市山梨県立博物館開催中の特別展に展示されている韮崎市願成寺の阿弥陀如来及両脇侍像(重文)の台座部分が、寺から搬出する際、破損していたことが分かった。
 同像は中央の阿弥陀如来像と左右の菩薩像の3体からなり、願成寺のお堂に安置されているが、今回約50年ぶりに展示会への出品を決めた。
 運送業者5人が学芸員2人の立ち会いで台座を梱包用の箱に入れた際、台座の蓮弁の1枚に亀裂が入ったという。仏像は今展の目玉の一つで、12月6日の特別展閉幕まで展示し、その後に同館で修復して寺に返却するという。




● 神奈川・光明寺の菩薩立像など仏像3件を市文化財に指定(2010年10月26日)
 横浜市は、平成22年度の市指定文化財として、新たに平安時代から鎌倉時代までの仏像3件を認定した。
 指定されたのは下記の通り。
▽ 菩薩立像 光明寺(横浜市南区) 
 一木造の像で、奥行きのある体の表現や、ゆったりした立ち姿の特徴から、平安時代(10世紀末)に中央で制作された可能性が高いという。
▽ 大日如来坐像 龍華寺(横浜市金沢区)
 龍華寺の本尊。一木から彫り出した後、前後に割って内刳を施した後、再び合わせる、割矧ぎ造りで、表面には金箔が施されている。
 平安時代末期から鎌倉時代初期にかけて活動した仏師、運慶の技法を受け継ぐ作風で制作されている。
▽ 阿弥陀如来及び両脇侍像 宝蔵院(横浜市金沢区)
 鎌倉時代初頭の作品とみられ、平安末期から鎌倉時代に移行する時期の作風を示しているという。

 いずれの仏像も普段は公開されていないが、指定文化財になったことを記念し、市歴史博物館(都筑区)で開催される「横浜市指定・登録文化財展」で、2010年12月11日から2011年1月10日まで一般公開される。

● 奈良・東大寺で不明1250年の幻の宝剣確認(2010年10月26日)
 明治時代に奈良・東大寺の大仏(盧舎那仏)のひざ下から出土した国宝の「金銀荘大刀(きんぎんそうのたち)」2本が、同寺を創建した聖武天皇の妻の光明皇后が献納し、1250年間行方が謎だった宝剣2本だったことが分かった。
 大刀は、大仏殿修理時の明治40年(1907〜08)に大仏の周りに掘った足場の穴3カ所から出土した「国宝東大寺金堂鎮壇具」の一部。
 エックス線調査から大刀の銘文が献納時の宝物目録と一致する事が分かった。2本の大刀は同型で刃の長さ約80cm。「陽劔(ようけん)」「陰劔(いんけ ん)」との銘文が柄付近の刀身に刻まれている。献納目録として正倉院に伝わる「国家珍宝帳」の大刀類の筆頭に記された「陽宝剣」「陰宝剣」に該当。装飾の 特徴などもほぼ一致した。これらの大刀名の上には目録からの除外を示す「除物(じょもつ)」の付せんがある。
 光明皇后は天平勝宝8(756)年、聖武天皇の49日忌に合わせて天皇の遺愛品を同寺に献納。 今回の大刀は自身が亡くなる半年前の天平宝字3年(759)12月に蔵から出した記録が残るが所在不明だった。
 皇后が献納しながらも宝物から外して埋納したとみられ、その意図をめぐり議論を呼びそうだ。
 鎮壇具は19件あり、ほかにも正倉院の大刀との共通点がある大刀もあることから、正倉院宝物が含まれる可能性が高まってきた。 

● 滋賀・三井寺の秘仏絵画閉館後に無料公開(2010年10月27日)
 国宝の企画展を開催中の大津市歴史博物館は29、30の両日、閉館後に三井寺(大津市)の秘仏絵画「絹本著色不動明王像」の無料拝観を実施した。
 ガラスケースに反射しないよう周囲の照明を消して本来の姿を見てもらう。
 同絵画は平安時代前期に描かれた世界最古の不動明王像とされ、1930年の初公開以来、数回しか公開されておらず撮影も許されない「秘仏中の秘仏」。県 内初公開となった今回は31日まで特別展示しているが、通常は照明がガラスケースに反射し、細部まではっきり見えない。しかし、閉館後に周囲の照明を消す と、瞳に施された金ぱくや細かい筋肉の表現が浮かび上がるという。
 通常、閉館時間は午後5時だが、両日は他の展示の照明がすべて消えた5時10分から1時間だけ無料開放した。

● 奈良・元興寺禅室で記録にない平安修理確認(2010年10月25日)
 奈良市中院町元興寺の禅室(国宝)で、現存する建築物では世界最古の建築部材が見つかった成果などについて発表された。
 調査では、
(1) 同寺前身の飛鳥寺から持ち込まれたらしい古材2点(586年以降、639年以降)
(2) 奈良時代に使用した木材2点(721年以降、677年以降)
(3) 平安時代の木材2点(1084年以降、1124年以降)
(4) 鎌倉時代の木材2点(1246年、1226年以降
を確認したと述べた。
 これにより、禅室は奈良時代になって飛鳥寺から移築され、飛鳥時代の古材と奈良時代の木材によって建てられたことがわかった。その後、平安、鎌倉時代に修理を受け、現代へ伝えられたという。
 平安時代の修理については記録がなく、欠けていた修理の歴史を明らかにすることができた。

● 奈良・興福寺北円堂で特別開扉(2010年10月24日)
 奈良市の興福寺で、北円堂(国宝)の特別開扉が始まった。
 北円堂は平城遷都の立役者、藤原不比等(659〜720)の一周忌に建てられた八角円堂で、2度の火災で焼けた後、鎌倉期の復興時に当時最高の仏師運慶 の工房が造仏にあたった。弥勒如来坐像(1212年、国宝)のほか、インドの兄弟高僧を写実的に表現した無著・世親両菩薩像(いずれも1212年、国宝) や四天王像(791年、国宝)などの傑作がそろう。
 特別開扉は、10月23日から11月7日まで。

● 奈良・当麻寺の仁王門 屋根葺き替えへ(2010年10月23日)
 葛城市の当麻寺仁王門(県文化財、江戸時代)が、今年度から全面的な葺き替え工事が行われる。
 当麻寺仁王門は境内東側の参道前に建ち、入母屋造りの楼門で、幅約9m、奥行き約5m、高さ約12m、両脇には仁王像が安置されている。楼門として規模が大きく、典型的な近世寺院建築として貴重という。
 しかし、屋根は瓦がずれるなど傷みが進んでおり、全面的な葺き替えが課題となっていた。
 修理は仁王門周囲に覆い屋を建設するため、しばらく仁王門の姿は隠れるが、内部に境内に抜ける通路を設ける。今年度は瓦を下ろして、来年度に葺き替える予定。

● 滋賀・石山寺如意輪観音像(2010年10月23日)
 大津市の石山寺法輪院の如意輪観音像が、戦国時代の初代小谷城主、浅井亮政ゆかりの仏像だったことが分かった。
 本像は、長浜市湖北町山脇地区にあった弥勒寺の本尊だったが、昭和初期に廃寺後、行方不明になり、「幻の仏像」とされていた。像高23.8cmの6臂像で、蓮華ではなく、宝剣を持っているのが特徴。
 江戸時代中期の地誌「近江輿地志略」に「弥勒寺の本尊は亮政が通りがかりに境内の光る池から見つけた木造如意輪観音像」と記されている。
 1986年に岐阜県の郷土史家が岐阜県内の寺で仏像の台座裏の墨書きにあった「河毛」の文字を頼りに河毛地区訪ねてきたことをきっかけに、山脇、河毛地区の住民有志が調査を始め、仏像が亮政ゆかりのものとわかった。
 1994年に既に石山寺に寄贈されていた像を調べた所、台座裏に弥勒寺の由緒を伝える墨書きを確認した。
 石山寺では、10月30日から1カ月間、宝物を展示する豊浄殿で仏像を公開する予定。

● 奈良・キトラ古墳で西壁漆喰剥ぎ取りに成功 (2010年10月22日)
 奈良県明日香村の国特別史跡・キトラ古墳(7世紀末〜8世紀初め)で石室の壁を覆う泥の下に十二支の「申(さる)」像が残存する可能性がある西壁の漆喰の剥ぎ取りに成功した。
 赤外線撮影などで調査したが、壁画の有無は現時点では確認できなかった。今後、石室外に搬出してエックス線撮影で泥を透過し詳しく調べる。
 はぎ取ったのは「申」があるとみられる周辺のしっくいで縦41cm、幅26cm。西壁や東壁の余白部50片余りも取り外した。

● 奈良・元興寺で五重塔古材の仏像2体、180年ぶり並ぶ(2010年10月22日)
 奈良市の元興寺五重塔の木材を使った仏像2体が、同寺総合収蔵庫で開かれる秋季特別展「元興寺之七不思議」で展示される。
 元興寺五重塔は奈良時代に建てられ、史料では高さ約70mあったとされる。奈良の名所として親しまれたが、江戸時代末期の安政6年(1859)に焼失した。
その直前の19世紀初めごろから行われた本格的な修理の際、多額の寄進をした人に使わなくなった古材が配られたとみられる。
 1体のうち、一刀彫の大黒天像(像高11.6cm)は数年前に市内の骨とう店にあることが分かり、その後個人が所蔵。底面に元興寺の塔の古材を使って 1829年に造られたと書かれていた。もう1体は、2002年に市内の民家から見つかった阿弥陀如来坐像(像高9.5cm)で、同様の銘文がある。
 展示は10月24日から11月7日まで。
● 国宝に能山東照宮、重要文化財に池上本門寺宝塔など8件指定(2000年10月16日)
 文化審議会は、静岡市の久能山東照宮の本殿、石の間、拝殿を国宝に、東京都大田区の池上本門寺宝塔など8件を重要文化財にそれぞれ指定するように答申した。

国宝
▽久能山東照宮の本殿、石の間、拝殿 江戸時代(静岡市)

重要文化財(建築物)
▽清水寺本堂 江戸時代(長崎市鍛冶屋町)
▽平安神宮6棟 大極殿、東西歩廊2棟、蒼龍楼(そうりゅうろう)、白虎楼(びゃっころう)、應天門(おうてんもん)(表門) 明治時代 (京都市)
▽住吉大社9棟 幣殿、本殿につながる廊下「渡殿」など 鎌倉〜室町時代及び江戸時代初(大阪市住吉区)
○幣殿及び渡殿」4棟
○摂社大海神社の「幣殿及び渡殿」
○摂社大海神社西門
○南高蔵
○北高蔵
○末社招魂社本殿(旧護摩堂)
▽池上本門寺宝塔 江戸時代 (東京都大田区)
▽俳聖(はいせい)殿 昭和時代(三重県伊賀)
▽旧吉田家住宅8棟 長屋門、向蔵、主屋 江戸時代(千葉県柏市花野井)
▽河本家住宅5棟 江戸時代 (琴浦町箆津−のつ)
▽高室家住宅9棟 母屋 江戸時代(甲府市高室町)
重要伝統的建造物群保存地区
▽奈良県五條市の五條新町


● 奈良・唐招提寺で金堂内初公開(2010年10月12日)
 奈良市唐招提寺「平成の大修理」落慶1周年を記念し、来月3日に金堂内の特別拝観を実施する金堂の内部が公開されるのは初めて。
 金堂は昨年11月に約10年間の修理を終えた。堂内には本尊・盧舎那仏坐像(国宝)や薬師如来立像(同)、千手観音立像(同)などが安置され、特別拝観ではこれらの国宝が間近で鑑賞できるという。

● 岩手・沢口観音堂准胝観音坐像から巻物を取り出し(2010年 9月21日)
 岩手県紫波町准胝観音坐像を調査した、X線で胎内に巻物があることが判明し、胎内から取り出された。              
 准胝観音坐像は八臂の像で、台座を含めて63cm。制作年は貞享年間(1684〜88年)で、300年以上にわたって秘仏とされてきた。
  巻物は、長さ15.8cm、幅3cm、奥行き3.5cmの白木の箱に入れられ、観音像胎内の腰から首にかけての背部に納められていた。
  取り出された巻物は延長151.5cm、軸は木で上下の軸端は水晶で留められていた。
 中には、延宝8年(1680)に数え18歳で亡くなった八戸南部藩初代藩主の二男・直常公の供養のため観音堂を建立し准胝観音像1体を納めたことが記さ れていた。大正時代に発行された紫波郡誌に、名蹟誌の沢口観音堂の由来書として巻物と同じ文面が記載されているという。巻物は調査終了後、再び観音像の胎 内に戻される。

 
   准胝観音坐像      X線写真(左側に見える白いものが軸下端の水晶)


● 滋賀・福明寺二天王像が修復完了(2010年10月8日)
 滋賀県甲賀市甲賀町高嶺の福明寺に保存されていた二天王像が修復を終え、寺に戻った。
 ともに高さ約1mで、ヒノキの一木造。
 像の特徴から平安時代後期の12世紀ごろの制作と見られる。
 本堂に隣接する護摩堂に長年、保存されていたが、傷みがひどいため昨春、本堂改修に合わせて、1年間かけて修復された。欠けた足首などを補修したほか、漆を塗り直すなどした。
 11月7日の本堂落慶法要で披露されたが、一般公開はしないという。



● 京都・平等院創建時の本尊大日如来像木造の右手確認(2010年10月7日) 
 京都府宇治市の平等院で、創建時(1052年)の本尊だった木造大日如来像の一部とみられる右手が見つかった。
 見つかった右手はヒノキ作りで長さ27.2cm、幅14.8cm、厚さ9.8cm。表面に漆や金箔が一部残っている。敷地内にある塔頭の浄土院に保管されていたが、正体は不明だった。
 右手は大日如来特有の両手を上下に結ぶ智拳印の上の手の形をし、ふっくらした手のひらの造形などから平安時代の作と断定された。
 当時の文献「門葉記」によると、大日如来像は八尺と記され、見つかった右手の大きさから換算するとほぼ合致。かつて鳳凰堂の北東にあり、鎌倉初期までに焼失したとみられる本堂に安置されていたという。
 現在の本尊は、鳳凰堂の阿弥陀如来坐像(国宝)だが、大日如来像との関係は不明。
 大日如来像の遺物が確認されたのは初めてで、幻の当時の本尊に迫る貴重な手がかりとなりそうだ。
 来年1月14日まで開催中の特別展で公開されている。

● 兵庫・伽耶院で本尊の毘沙門天立像が公開(2010年10月7日‎)
 兵庫県三木市志染町大谷の伽耶院で、本尊の毘沙門天立像が公開された。
 毘沙門天立像は高さ十数cmの木像。普段は本堂の厨子に納められている。制作された時代や作者は分らないという。お前立の毘沙門天立像(平安後期)は国の重要文化財に指定されている。
 60年ごとに開帳する秘仏であり、庚寅(かのえとら)の年の「庚寅の日」に公開している。今年は8月8日に次いで2回目の公開で、12月6日にも公開される。

● 奈良・東大寺塔跡に巨大な回廊か(2010年10月7日)
 奈良県東大寺の 「七重塔」を取り囲む、巨大な「回廊」とみられる反応が、レーダーによる地下探査で見つかった。
 レーダーによる地下探査では、塔があったとされる場所を60m四方にわたって取り囲むように、幅10mほどの帯状の反応が見られた。研究所では、この反応は、地下に埋もれた瓦などによるもので、塔の周りにめぐらされた「回廊」の存在を示すものとみ見られるという。
 東大寺には、かつて、大仏殿の前方に東西1対の七重塔が並び、いずれも高さが100m近くに及んだという記録があるが、塔は室町時代までに焼失したとされ、現在は礎石が残る。

● 茨城・寿命寺で住職が釣り鐘を売却(2010年10月7日)
 茨城県寿命寺で、寺院が所有する釣り鐘を住職が無断で売却し、業務上横領の疑いで逮捕された。
 釣り鐘は、高さ約1m、直径約70cm、重量約100kgで、檀家の寄付で購入したものだった。

● 兵庫・篠山・歴史美術館仏教美術伝える名品展(2010年10月5日‎)
 兵庫県篠山市呉服町の歴史美術館で、丹波地域に伝わる仏教絵画などを展示する「仏教美術の粋を集めて」が始まった。
 篠山や丹波市の指定文化財の仏像や曼荼羅図、県指定文化財の金剛鈴など約40点が並ぶ。
展示は12月5日まで。

● 奈良・唐招提寺の講堂内部拝観を再開(2010年10月5日)
 奈良市の唐招提寺は、国宝・講堂の内部拝観を再開する。
 講堂は、平城宮の役人の待機場所だった「朝集殿を奈良時代後半に移築した建物で、鎌倉期の弥勒如来坐像(重文)などを安置している。解体修理をしていた金堂(国宝)の代わりに約10年間公開していたが、昨年11月に修理が終わり、拝観を停止していた。

● 三重・極楽寺で鎌倉時代の胎内仏2体開帳(2010年10月4日)
 三重県伊賀市甲野の大日殿極楽寺で、秘仏の「金胎両部大日如来」の胎内仏2体が3日、60年ぶりに開帳された。
 同寺の大日如来は、中央の不動明王像と左の「金剛界」(像高102cm)、右の「胎蔵界」(像高82cm)の3体からなり、寄木造りによる鎌倉時代の作とされる。秘仏は金剛界、胎蔵界の胎内仏とされ、7cmほどで金箔が施されている。
 前回の秘仏開帳は1950年だった。

● 山口・阿弥陀寺で新宝物館が完成(2010年10月4日)
 山口県防府市牟礼の東大寺別院阿弥陀寺で宝物館が完成し、完工式典が行われた。
 同館は、国宝の鉄宝塔と水晶五輪塔、国重要文化財の重源上人坐像など同寺が鎌倉時代から受け継いできた文化財8点を収蔵。旧館は1993年の土石流災害で屋根や天井、壁が傷み、手狭だったこともあり、2007年度から新館の建設を行っていた。
 新館は鉄筋コンクリート造り平屋建て。湿気を避けるため高床式とし、床の高さは地面から1.5m、床面積は旧館の約3倍の114平方m。調光可能なスポット照明などを備えている。

● 山口・龍福寺本堂で、桧皮葺きの技公開(2010年10月3日)
 山口県山口市の龍福寺で、全面解体修復事業が進められている本堂が10月2、3日特別公開された。
 龍福寺本堂は、もともと中世の文明11年(1479)に建てられた興隆寺本堂を、明治16年(1883)に現在の場所へ移築したもので、国重文に指定されているが傷みが激しく、平成17年度から保存修理が行われている。
 行程が終盤に入り、檜皮葺きの作業風景などが公開された。
本堂の修復完了は来年12月の見込み。

● 奈良・興福寺中金堂で立柱法要(2010年10月2日)
 奈良市興福寺で、約3000年ぶりの再建が進められている中金堂で、16日に立柱法要が営まれる。
 現在工事用足場の一部が外され、36本の巨大な柱が姿を現しているが、16日に行われる立柱法要の後再び足場が組まれるため、骨格の全容が見られるのは立柱法要までという。
 使用されている柱は、日本と気候が似たアフリカ・カメルーン産の直径80cmで長さ10mのケヤキを使用しており、今後は周囲の軒部分にさらに30本の 柱が立てられる。再建される中金堂は、創建当時と同じ東西37m、南北23m、高さ21mで、落慶法要は平成30年に予定している。

● 京都・平等院雲中供養菩薩像の両腕部分を復元(2010年10月2日)
 京都府宇治市の平等院で、鳳凰堂の壁面本尊の阿弥陀如来坐像を囲む四方の壁に掛けられた52体ある雲中供養菩薩像(国宝)の1体「金剛愛菩薩」の欠損していた両腕と持物が復元された。3次元の画像解析や腕の上膊部の形から、両腕で弓矢を射る格好だったと判断した。
 また、未敷蓮華(みぶれんげ)」を手に持つ「南17号」が、本来は死者の魂を浄土に運ぶ蓮台を持っていたと想定された。
 これらの復元された菩薩像は、来年1月14日まで境内の「ミュージアム鳳翔館」で展示される。

● 奈良・笠置寺磨崖仏をデジタル画復元(2010年10月2日)
 京都府笠置町の笠置寺で、本尊・弥勒磨崖仏が高精細のデジタル画像で復元され、た。
 磨崖仏は高さ約15m、最大幅は約12m。奈良時代の作とみられ、花こう岩に線で彫られた。元弘の変(1331)の戦火などで、現在では頭頂部など一部を除き、ほとんど姿が消えてしまっている。
 復元作業は、デジタルカメラで撮影した1億〜3億画素の写真約300枚を基に進めた。画質を調整し、かすかに残った肩や足元の蓮華座などの線刻を発見。「笠置曼荼羅図」(鎌倉時代、重文)に描かれた弥勒磨崖仏の絵なども参考に、不明な部分を再現した。
 笠置寺では復元画像を磨崖仏近くの正月堂に飾り、今秋以降に一般公開する予定。

● 奈良・東大寺総合文化センターが完成(2010年10月1日)
 奈良市東大寺の文化財を納める収蔵庫や展示室などを一体化した「東大寺総合文化センター」が完成し、9月30日、引き渡し式が行われた。
 同センターは南大門近くの旧東大寺学園跡地に建設され、鉄筋コンクリート一部鉄骨造りで、免震構造が導入され、地上3階、地下1階。約300席の金鐘(きんしょう)ホールは10月から利用を始める。
 展示室は来秋オープン予定で、法華堂に安置されていた日光・月光両菩薩立像(国宝)と弁才天・吉祥天両立像(同、重文)の4体などが移される。

● 長野・安曇野ちひろ美術館で観松院銅造菩薩半跏像を特別展示(2010年10月1日)
 長野県松川村の安曇野ちひろ美術館で、国内最古級の仏像とされる観松院銅造菩薩半跏像が展示される。
 菩薩半跏像は像高さ約30cm。宝冠をいただくアルカイックスマイルをたたえ、左足の上に右足を乗せて腰掛け、右手をほおのあたりに上げて思いにふける半跏思惟といわれる姿勢の弥勒菩薩像。
 6世紀に百済(朝鮮半島)または南朝(中国)でつくられ、渡来人によって日本にもたらされたと考えられている。
 県やJRなどによる「信州デスティネーション(目的地)キャンペーン」に合わせて企画されたもので、展示は12月19日まで。


● バーミヤン遺跡でブッダの顔発見(2010年9月27日)
 アフガニスタン中部の世界遺産バーミヤン遺跡で石窟内に6世紀中ごろのものとみられるブッダの顔の壁画が発見された。
 発見されたのは2001年に当時のタリバン政権が破壊した東西大仏のうち東大仏(像高38m)脇の天井部分で、風化によって一部が損傷しているが、当初の彩色が残されていた。
 壁画は、針金のような鋭い線が特徴の「鉄線描」という技法で描かれた立仏や座仏。ブッダの頭髪部分には、アフガン産の宝石ラピスラズリを使って彩色した群青色が残り、風化により朱色の輪郭が失われているものの、ブッダの穏やかな表情が確認できた。
 遺跡にあるブッダの壁画の大半は、偶像崇拝を禁じるイスラム教徒による9世紀以降の支配で顔を傷つけられたり破壊されて、ブッダの壁画が発見されるのは極めて珍しいが、天井は地上から高さ約20mにあるため、破壊を免れたとみられる。

● 長野・飯山市へ仁王像2体 長野の真竜寺から買い取り(2010年9月26日)
 長野市信更町安庭の真竜寺が所有する仁王像2体が飯山市に譲られることになった。
 仁王像は明治時代に同市にあり、御開帳に合わせて善光寺に置かれたこともある。「寺の町」として観光戦略を練る同市が、4年後に控える北陸新幹線飯山駅開業に合わせ、仁王像を観光やまちづくりに生かしたいと、同寺に買い取りを申し入れていた。
 仁王像は像高4.5m。明治時代に飯山市にあったが、明治24年(1891)善光寺の仁王門が焼失し、1918年に長野市田町の普済寺が引き取ったが、境内で雨ざらしになっていた。事情を知った真竜寺が1936年ごろ、仁王像を譲り受け、同寺本堂に置いたという。
 仁王像は2体ともシロアリ被害で足の部分が壊れており、来年3月末までに薫蒸するが、展示場所は今後検討するという。

● 奈良・法隆寺秘宝展、観音菩薩立像など展示(2010年9月25日) 
 奈良県斑鳩町の法隆寺大宝蔵殿で法隆寺秘宝展「仏像とその背景」が、開かれている。
 夢殿の救世観音像の奥に安置されていて普段は拝観できない観音菩薩立像(重文)など、66点が並ぶ。
 ほかに、鎌倉時代の絵画「孔雀明王像」(重文)や、2003年に亡くなった仏像彫刻家、西村公朝さんが2001年に制作した「勝鬘夫人像」と「維摩居士像」などもあり、現代までの仏教芸術の流れを知る手がかりにもなる。11月30日まで無休。

● 奈良・栄山寺の装飾画、剥落止め完了(2010年9月22日)
 奈良県五條市の栄山寺で、国宝の八角堂内に残り、劣化が激しかった奈良時代の装飾画(重文)の全面的な剥落止めが完了し公開される。
 八角堂内の柱や天井などに楽を奏する音声菩薩や架空の花を表した宝相華文、飛天など寺格の高さを示す極彩色の画が部分的に残り、華やかな天平文化を伝える貴重な絵画だが、千数百年が経過して劣化が進んでおり、6月から剥落止めの作業が行われていた。
 栄山寺は藤原不比等(ふひと)の子で南家の祖、武智麻呂(むちまろ)が創建したとされる古刹。八角堂は武智麻呂の子、仲麻呂の建立になる。
 今回平城遷都1300年を記念して公開される。八角堂の公開は9月25日から11月21日までで、本堂の薬師如来坐像(重文、室町時代)も開帳される。

● 熊本・相良三十三観音を一斉開帳(2010年9月21日)
 熊本県人吉球磨地方に点在する「相良三十三観音」の秋の一斉開帳が9月20日から26日まで行われた
 相良三十三観音は、一番から三十三番(二十二、二十四番は各2か所)までの35札所があり、春と秋の年2回、一斉開帳される。
 多良木町の28番札所・中山観音では、平安前期の作と見られる県内最古級の観音像が、同町の青蓮寺阿弥陀堂では、国指定重要文化財の阿弥陀三尊が特別公開された。

● 東京・古代壁画をリアルな質感で再現(2010年9月17日)
 東京都台東区上野公園の東京芸術大学古代遺跡などの壁画を、本物に極めて近い描写や質感で複写する方法を開発し、特許を取得した。
 従来、壁画の複製は専門家が手で描いて製作していたが、長い時間と製作費がかかる上に、壁画特有の「ざらつき感」や質感を表現するのが難しかった。
 開発された手法は、壁画特有の凹凸感などの質感を再現するため、現地の岩の粉を交ぜた顔料をシルクスクリーンの手法で和紙や布に刷り、その上に、デジタル技術でとらえた壁画のカラー画像を印刷、さらに、岩絵の具などで彩色を施すという。
 この手法なら従来は一〜二年はかかっていた模写作業が、一カ月程度に短縮される。
 北朝鮮にある世界遺産の「高句麗古墳群」壁画の複写の過程でこの手法を開発し、すでに、一部の壁画の複写を応用しているという。
 世界遺産や国宝などに指定され公開が難しい壁画を、複写ながらも本物により近い姿で一般の人が鑑賞でき、子どもたちへの美術教育に役立てられるようになるという。

● 東京・「美術院」看板民家で発見(2010年9月17日)
 仏像などの修理を手がける財団法人「美術院」(京都市)が戦前、奈良市に事務所を置いていた時の看板が、同市内の民家から見つかった。
 美術院は1898年、岡倉天心が東京に創設した「日本美術院」が前身。修理部門を担当した第二部の事務所が、奈良市水門町にあった東大寺塔頭・無量院(現存せず)の境内に置かれた。1914年に改称して「美術院」となり、門前に看板をかけた写真が残る。
 その後は寺院などで仏像修理が続けられ、1968年に現美術院が設置された。
 看板は、1946年に事務所が閉鎖されるまで使われたとみられ、その後、行方不明だったが先月、昭和初期に美術院の修理に携わった技術者、吉川増吉さん (故人)の親せき宅の押し入れから見つかった。長さ約1m、幅約23cm、厚さ1.7cmのヒノキ材で、書いた人物などは不明という。
 看板は、9月26日まで奈良国立博物館で開催されている特別展「仏像修理100年」に追加出陳される。

● 東京・東大寺法華堂本尊の光背が東博に到着(2010年9月16日)
 東京・上野公園の東京国立博物館で来月8日から始まる特別展「東大寺大仏―天平の至宝―」に出展される、奈良・東大寺の法華堂(三月堂)の本尊「不空羂索観音菩薩立像」(国宝・奈良時代)の光背が荷ほどきされ、縦約5m、横約4mの堂々たる姿を現した。
 光背は、堂外では初めての展示となる(菩薩立像は不出品)。

● 京都・永観堂で竜が宝珠を支える舎利容器、発見(2010年9月15日)
 京都市左京区の永観堂(禅林寺)で仏陀の遺骨とされる仏舎利を納める「密観宝珠舎利容器(みっかんほうじゅしゃりようき)」が、見つかった。
 容器は高さ約26cmで、舎利を入れた宝珠を真言宗などで使われる密教法具の五鈷杵(ごこしょ)で支えており、鎌倉時代から南北朝時代に作られたとみら れる。 2頭の竜をあしらった様式で、同様の舎利容器で竜が脇についている例はあまりなく、また表面の模様など、全体のつくりも繊細で、舎利容器の中では 希少な作例である。
 容器は来年3月26日から京都国立博物館で開かれる特別展「法然 生涯と美術」に出品される。

● 山梨・国重文「法然絵伝」を特別公開(2010年9月14日)
 山梨県立博物館は、6月に国重要文化財指定となった所蔵掛け軸「法然上人絵伝」(153cm×110cm)2幅を、9月18日から26日まで8日間に限定して特別公開する。
 法然は浄土宗開祖で親鸞の師。掛け軸には法然の生涯が描かれている初期の浄土真宗では法然や親鸞らの教えを説くために掛け軸に生涯を描いたといわれる。 描かれたのは鎌倉時代末期とみられ、現存する掛け軸形式の法然絵伝としては最古のひとつ。緻密に描写され、中世の景観や風俗が丁寧に描かれている。
 公開中は絵の中に描かれた物語を読み解けるよう細部を拡大した画像で絵解きを試みるという。

● 奈良・東大寺八角灯籠史上初、搬出(2010年9月11日)
 奈良市の東大寺大仏殿の前に立つ八角灯籠(国宝)が、東京国立博物館で開かれる特別展「東大寺大仏―天平の至宝―」に展示するための搬出作業が始まった。
 八角灯籠は高さ約4.6mの金銅製で、奈良時代に制作された。火袋に横笛などの楽器を奏でる音声菩薩(おんじょうぼさつ)のレリーフがあることなどで知られ、大仏殿の2回の焼失時にも被災を免れ、寺外に出るのは奈良時代以来初めて。
「東大寺展」は、10月8日から12月12日までの予定で、今月下旬に東京に移送される。展覧会後は修理作業があり、元に戻るのは来年3月下旬ごろの予定。

● 奈良・東大寺・東塔回廊の門跡確認(2010年9月9日)
 奈良市の東大寺で、塔を囲む回廊の四方にあったとされる門のうち、東、西、南の3か所の遺構が地中レーダー探査で初めて確認された。
回廊の存在は文献には記されていたが、門の位置は不明だった。
 東大寺には創建時(8世紀半ば)、大仏殿の南側に東西二つの七重塔があった。東塔は764年に完成し、高さ約100mとされる。しかし、1180年に平氏の焼き打ちに遭い、再建されたが、1362年に落雷で再び焼失。その後は再建されなかった。
 東大寺では、東塔の再建計画のため、塔跡を含む約100m四方で、電磁波を地中に発射して調査した所、東、西、南に面した回廊部のほぼ中間で、内外両側 に張り出した門の跡とみられる遺構を発見。北門跡は確認できなかったが、地表面に見える塔の基壇跡については、約24m四方と確認し、周囲に瓦とみられる 遺物があることもわかった。
 今冬にも再度、レーダー探査を行って、塔と回廊の基礎部分を特定すし、発掘調査を実施したうえで、再建計画を決める方針という。

● 奈良・遷都1300年祭秘仏特別開帳に圓照寺など4社寺追加(2010年9月9日)
 平城遷都1300年祭の主要事業「祈りの回廊〜奈良大和路 秘宝・秘仏特別開帳〜」の秋期(8〜12月)の公開(39社寺)で、新たに下記の4社寺が追加された。
圓照寺(奈良市) 本堂と奥御殿の2カ所の庭園を公開 11月15〜19日
談山神社(桜井市) 能面「摩多羅神」など社宝8点を公開 10月10日〜12月12日
長谷寺(同) 本尊の十一面観世音菩薩立像(重文、像高さ約10m)の
足元に触れられる 10月23日〜12月12日
高鴨神社(御所市)「絹本著色十六善神画像」など社宝5点を公開 11月3〜5日

● 奈良・16社寺で秘仏公開特別講話(2010年9月8日)
 平城遷都1300年祭の秘宝秘仏公開に関連する特別講話が10月2日から11月28日まで、県内16社寺である。
 各定員は50〜200人で、各締め切り日(必着)までに往復はがきでに申し込む。講話の日程や詳しい申し込み方法は、公式ホームページ(http://www.1300.jp)。

【秋期特別講話 10~11月実施(開催日順)】
10月 2日(土)
大安寺(奈良市)
「大安寺 天平の国際大学」河野良文貫主
 時間/14:00~15:30、募集人数/100名、応募〆切/9月15日(必着)
10月 8日(金)
榮山寺(五條市)
「榮山寺と藤原武智麻呂・仲麻呂」前坂尚志氏(市立五條文化博物館学芸員)
時間/13:30~15:00、募集人数/60名、応募〆切/9月20日(必着)
10月 9日(土)
帯解寺(奈良市)
「岩田帯(いわたおび)信仰と帯解寺」倉本堯慧住職
時間/14:00~15:30、募集人数/100名、応募〆切/9月20日(必着)
10月16日(土)
十輪院(奈良市)
「遣唐使の子 朝野魚養(あさのなかい)」橋本純信住職
時間/14:00~15:30、募集人数/60名、応募〆切/9月30日(必着)
10月22日(金)
正暦寺(奈良市)
「正暦寺 山寺からのメッセージ」大原弘信住職
 時間/15:00~16:00、募集人数/60名、応募〆切/10月5日(必着)10月23日(土)
壷阪寺(南法華寺)(高取町)
「壷阪寺の祈りの歴史」常盤勝範住職
時間/13:30~15:00、募集人数/200名、応募〆切/10月5日(必着)
10月30日(土)
橘寺(明日香村)
「聖徳太子と橘寺」中西 進氏(奈良県立万葉文化館館長)
時間/14:00~15:00、募集人数/100名、応募〆切/10月12日(必着)
10月31日(日)
新薬師寺(奈良市)
「ドラマチック新薬師寺~天平の古刹をつぶさに語る~」小倉つき子執事長
時間/14:00~16:00、募集人数/60名、応募〆切/10月12日(必着)
11月 3日(祝)
元興寺(奈良市)
「智光法師(ちこうほうし)と夢のはなし」辻村泰善住職
時間/14:00~15:30、募集人数/100名、応募〆切/10月15日(必着)
11月 6日(土)
笠置寺(笠置町)
「奈良、そして笠置へ-笠置寺を支えた南都の高僧達-」小林慶範住職
時間/14:00~15:30、募集人数/60名、応募〆切/10月15日(必着)
11月 7日(日)
南明寺(奈良市)
「信西入道と阪原南明寺(仮)」米田弘雅住職・磯水絵氏(二松学舎大學教授)
 時間/14:00~15:30、募集人数/60名、応募〆切/10月22日(必着)
11月 8日(月)
海住山寺(木津川市)
「貞慶上人」 西山 厚氏(奈良国立博物館学芸部長)
時間/14:00~15:30、募集人数/60名、応募〆切/10月22日(必着)
11月10日(水)
浄瑠璃寺(木津川市)
「九体阿弥陀如来と浄瑠璃寺」 佐伯快勝住職
 時間/14:00~15:30、募集人数/60名、応募〆切/10月22日(必着)
11月14日(日)
圓成寺(奈良市)
「運慶にであう」 山本 勉氏(清泉女子大学教授)
時間/14:00~15:30、募集人数/50名、応募〆切/10月27日(必着)
11月17日(水)
秋篠寺(奈良市)
「奈良の御仏は美しい」田中ひろみ氏(仏像イラストレーター・奈良市観光大使)
 時間/14:00~15:30、募集人数/60名、応募〆切/11月1日(必着)
11月28日(日)
葛城一言主神社(御所市)
「一言主大神と葛城の伝説」伊藤典久宮司
時間/14:00~15:00、募集人数/50名、応募〆切/11月8日(必着)


● 神奈川・大善寺で平泉の影響示す仏像発見(2010年9月4日)
  神奈川県横須賀市大善寺の伝毘沙門天立像が、平泉の国宝、中尊寺金色堂の増長天立像と共通する様式であることが確認された。
 鎌倉時代の歴史書「吾妻鏡」では、幕府を開いた頼朝が平泉の仏教文化を参考に寺院を建立したと伝えており、平安時代と鎌倉時代をつなぐ平泉の文化的役割 は文献上では知られていた。しかし、当時の伽藍(がらん)は失われており、平泉の影響を示す実際の仏像などの存在は、これまで一般には知られていなかっ た。
 動きある姿勢やメリハリある表情などは、鎌倉武士のために仏像を手がけた仏師、運慶に見られる力強く写実的な様式の先駆けと位置付けられるという。

● 長崎・一支国博物館で壱岐出土の重文石造弥勒如来坐像公開(2010年9月1日)
 一支国博物館(壱岐市芦辺町)で、特別企画展「ふるさと里帰り展」が開催され、壱岐で出土した石造弥勒如来坐像(重文)、弥勒如来埋納碑、三角状石製品、銅製香炉など計87点が展示されている。
 展示は9月20日まで。

● 三月堂・本尊の光背を東大寺展の出品(2010年9月1日)
 奈良市の東大寺で、東京国立博物館で10月8日から開催される特別展「東大寺大仏―天平の至宝―」に出展するため、法華堂(三月堂)の本尊・不空羂索
観音立像(奈良時代、国宝)の光背が搬出された。
 光背は仏の体から放たれる光を表現するため仏像の背後に据えられる装飾で、縦約5m、横約4m。金箔が施され、光の表現と透かし彫りの唐草を組み合わせたデザインが特徴的である。

● 滋賀・三井寺で光浄院客殿の障子イノシシ被害(2010年08月31日)
 滋賀県大津市園城寺町の園城寺(三井寺)にある国宝の光浄院客殿で、イノシシが腰高障子4枚をけ破り格子などを壊した。
 光浄院客殿は安土桃山時代の慶長6年(1601)建立とされ、1952年に国宝指定された。
障子は縦1.8m、幅0.9m。上半分の障子部分は格子が折れ、下半分の建具部分にはつめで引っかいた傷があった。また、障子の隣の壁には、イノシシが鼻を押し付けた跡があった。
 お盆で境内各地に果物が供えられた8月中旬ごろから、イノシシが数回目撃されていたという。
 同寺はイノシシが入りにくいよう縁側に木製の柵を設置した、中にある重文の障壁画やふすま絵に被害がなかった。

● 奈良・正倉院、100年ぶりの本格修理へ(2010年8月31日)
 奈良市東大寺の正倉院(国宝)が100年ぶりに本格修理される。
 正倉院は、聖武天皇ゆかりの宝物を納めるため、8世紀中頃に建立された。同庁によると、大正2年(1913)以来の大規模な修理で、4年かけて約3万 7000枚の屋根瓦をふき替え、瓦の重みで下がった軒先も補強する。初年度は、正倉院全体を覆う仮設の小屋を建て、瓦を取り外すという。修理の様子は一般 に公開される予定。

● アンコール遺跡、受難の仏像発見(2010年8月21日)
 世界文化遺産でもあるカンボジア・アンコール遺跡群のバンテアイ・クデイ寺院で発掘調査を続ける上智大学アンコール遺跡国際調査団13世紀ごろの石仏6体を土の中から発掘した。
 発掘されたのは、水神ナーガ(蛇)の上にブッダが座ったバイヨン様式と呼ばれる仏像の一部で、全長約60cm。寺院の周りをめぐる堀の北側の岸で、6体が並んで見つかった。いずれも寺院の祠堂を向いていた。
 調査団は2001年にも、同寺院で200体以上の破壊された仏像を発掘し、、同寺院を建立したジャヤバルマン7世が死去した1219年以降、全土で廃仏など仏教弾圧が行われたことを明らかにした。今回の仏像も同じ頃のもので、切断された仏像の一部とみられる。
 廃仏運動が盛んだったこの時期に仏像を崇拝する人によって安置された可能性があり、当時の宗教観を探る貴重な発見とみられる。

●    大阪・智識寺を模型でPR(2010年8月19日)
 東大寺の大仏・盧遮那仏坐像(るしゃなぶつざぞう)建立のきっかけになったとされ、7世紀後半に柏原市太平寺に建てられた寺院「智識寺」
 寺の構造や大きさを推定した模型(幅1.8m、奥行き2.7m)が、柏原市立歴史資料館(高井田)で、公開されている。
 智識寺は、「知識」と呼ばれる仏教の信者らによって建立。「続日本紀」には、聖武天皇や娘の孝謙天皇が智識寺を参拝し、まつられていた盧遮那仏を見たことが、東大寺建立につながったと記されている。
 現在、智識寺跡として残るのは東塔の礎石跡3か所のみであるが、府教委や市教委は2007年までに、東塔の礎石跡3か所を発掘調査し、基礎の直径から、 東塔の高さを約50mと推定した。さらに、智識寺建立と同時期の寺院の特徴から、敷地内に金堂と講堂、中門があったとみている。
 展示は9月5日まで。

●    京都・浄瑠璃寺三重塔に800年前の落書き(2010年8月19日)
 京都府木津川市の浄瑠璃寺で、三重塔(国宝)で、最下層の天井板の裏側に、帽子をかぶった人物の落書きがあることが分かった。
 三重塔は平安末期の1178年に平安京から移築された建物で、昨年11月から進めていた檜皮ぶきの屋根のふき替え工事で、天井板40枚をはがしたとこ ろ、裏に落書きがあるのを発見。天井板には鎌倉時代以降、数回にわたり模様が描かれており、最も古い場合は約800年前の落書きの可能性があるという。
 落書きは縦横約10cmで、先端に丸いものが付いたピエロのような帽子をかぶり、手に棒のようなものを持って笑っている人物が墨で描かれていた。
 
● 京都・平等院でLED照明を導入(2010年8月18日)
 京都府宇治市宇治の平等院は、所蔵品などを展示している鳳翔館の照明に、より自然で美しく見せる新開発の発光ダイオード(LED)を利用した照明を導入した。
 LEDの光は、省電力で明るさを確保でき、熱をあまり出さないことから、作品を傷めない利点がある。しかし、従来のLEDの光では、照らされたものが青っぽく見えるなど、本来の色合いと違って見えるのが課題となっていた。
 平等院から依頼を受けた東京都内の照明設計事務所が、赤や肌色も表現できる「演色性」を向上させたLEDをメーカーとともに開発。新しいLEDを同菩薩 像2体と、瓦やガラス製玉、銅製品など16点の常設展示品の照明に採用した。太陽光と同様に直進性のある光で、展示品の質感や、菩薩像のこまやかな表情を 引き出せるという。

● 佐賀・小城市で仏像展(2010年8月13日)
 佐賀県小城市立歴史資料館で、寄託された仏像など8点を紹介する企画展が開かれている。
 展示されているのは、平安時代から江戸時代にかけて作られた菩薩像などで、中でも県重要文化財の日光菩薩立像と月光菩薩像は2000年、晴気天山社(同 市小城町)の改築工事の際に発見された。制作は平安時代で、仏像の背面には仁治3年(1242)年に修理したとする銘文が記されている。

● 広島・おのみち歴史博物館で展示会(2010年8月13日)
 尾道市御調町の仏像や仏画を集めた特別展「知られざる尾道仏教美術 御調編」が、同市久保のおのみち歴史博物館で開かれている。9月12日まで。
 飛鳥―江戸時代の48点をそろえた。親鸞上人の生涯を描いた絵伝としては備後地方最古級の仏画(照源寺)や、同町植野の住民が守り続ける江戸期の地蔵菩 薩立像などを展示。市内最古の寺とされる本郷平廃寺跡(御調町丸門田)から出土した古代の瓦や仏像の頭部の一部なども並ぶ。

● 長野・善光寺、阿弥陀仏の調査終了(2010年8月12日)
 長野市善光寺で一昨年発見された阿弥陀如来立像の大規模な修復調査が終了し、7月から、善光寺史料館で公開されている。
 作風は鎌倉時代を代表する仏師・快慶の作品に酷似しているが、顔と胴体部分の彫り方が違う点などから、工房の弟子らが制作したものと見られている。
 今回の修復では、仏像全体に施されていた後世の漆箔が取り除かれ、木造の繊細な質感が現れた。

● 京都・醍醐寺、五重塔を毎月29日に開扉(2010年8月12日)
 京都市伏見区醍醐寺平安時代中期に建立された五重塔(国宝)を今月から、毎月29日に開扉する。
 五重塔(高さ38m)は、醍醐天皇を供養するため951年に完成した。初層には両界曼荼羅などが柱や壁に描かれている。
 開扉は醍醐天皇(885〜930)の月命日に合わせて実施するが、塔の開扉は1997年以来になる。
 開扉は、写経奉納をした人に限り、法要が営まれる午前10時30分と午後1時30分から約1時間。

 ● 奈良・当麻寺平安の落書き初公開へ(2010年8月12日)
 奈良県葛城市当麻寺で国宝当麻曼荼羅を納めた当麻曼荼羅厨子からに見つかりながら、寺内に収蔵されたままだった、男性の横顔が墨で落書きされた敷板が葛城市歴史博物館で初公開される。
 厨子は高さ約5m、最大幅約6.9mで国内最大級で、昭和33年の解体修理中、本体下の柱の敷板(長さ約40cm、幅約10cm)に男性2人の横顔が上下に落書きされているのが見つかった。
 厨子が制作された平安時代初期のものとみられ、落書きの男性は帽子をかぶり、唇が厚いのが特徴で、生き生きとした表情。板が取り外された跡がないことなどから、厨子の制作者が落書きした可能性が高いという。13〜16日に公開される。

● 三重・薬師堂全焼(2010年8月8日)
 三重県志摩市阿児町立神の芝居小屋を兼ねた仏堂「薬師堂」から出火し、木造平屋建て約126平方mの仏堂を全焼した。
堂内には県指定文化財2件があり、仏具の鰐口(わにぐち)(銅製)は焼けて変色して見つかり、耐火金庫に保管されていた大般若経600巻は扉を開け無事かどうかを確認する。

● 埼玉・成身院百体観音堂3仏市文化財に指定(2010年8月6日)
 本庄市教育委員会は、市内児玉町小平の成身院百体観音堂にある室町期造立の三仏(阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、薬師如来坐像)と、同児玉にある八幡神社のヤブツバキなど、計4件を市の文化財に指定した。
 三仏はいずれも像高約50cm。墨書によると、阿弥陀像と釈迦像は応永12年(1405)に下総国(現茨城県)で造立。2躯が成身院に移されてから、補うために寛正7年(1466)に小平で薬師像が作られている。

● バーミヤン遺跡を復興(2010年7月26日)
 アフガニスタン中部バーミヤンで、反政府武装勢力タリバーンに破壊された仏教遺跡の保存作業に、日本の研究者らが今年も取り組んでいる。破壊や盗難で傷みが激しい壁画などの崩落を防止し、観光など地域の復興につなげる。
 バーミヤンでは、タリバーン支配下の2001年3月に、がけに彫られた55mと38mの二つの大仏が爆破されたほか、両大仏周辺の石窟に描かれた壁画も破壊や盗難にあった。
 2003年以来10回目となる今回の訪問では、今月末までの日程で、石窟に描かれた壁画のうち、はげ落ちそうな部分を補強、修復する作業に取り組んでいる。石窟は少なくとも数百あるとされ、観光客に人気のあったところを優先的に作業を進めている。
 発掘された壁画や仏像を展示する博物館など文化施設を建設する構想もあり、今月中旬には日本大使館とアフガン情報文化省の関係者が現地を視察した。一方、大仏を破壊前の状態に復元する構想もドイツの保存チームから出ているが、日本としては現状維持を優先する考えという。

● 滋賀・永源寺で道場の庫裏全焼(2010年7月27日)
 滋賀県東近江市永源寺高野町の臨済宗永源寺派大本山の永源寺敷地内で修行道場の庫裏から出火し、庫裏が全焼した。
 木造2階建ての庫裏約400平方mを全焼したが、けが人はいなかった。
 文化財指定を受けている肖像や建造物への被害はなかった。

● 奈良・興福寺の正了知大将像、半世紀ぶりに東金堂へ(2010年7月27日)
 奈良市登大路町の興福寺で、木造の正了知(しょうりょうち)大将立像(像高167cm、14世紀)が約50年ぶりに境内の宝物展示施設・国宝館から本来の安置場所である東金堂に戻された。
  正了知大将は仏法の守護神で、人々の苦しみを取り去り、願いをかなえる存在とされる。聖武天皇が伯母・元正(げんしょう)太上天皇の病気全快を祈って 726年に東金堂を建てた際に造られ、本尊・薬師如来坐像(ざぞう)の背面に安置された。1356年の火災で焼失した後、造り直された。
 10月9日〜11月23日の「興福寺国宝特別公開2010」で公開される。

● 東大寺・法華堂の拝観再開(2010年7月31日)
 奈良・東大寺の法華堂(三月堂、国宝)が1日、2カ月半ぶりに公開を再開する。
拝 観できるのは、菩薩像2体や弁財天立像(像高約2.2m)など天平時代の国宝・重要文化財5体と、室町時代の重文2体。仏像を安置する須弥壇の耐震工事と 仏像修理のため5月中旬から拝観を中止していたが、工事に伴って法華堂の仏像全16体中、日光・月光両菩薩立像(像高約2.7m)など7体が南正面に並べ 直された。
 礼堂からしか拝観できないが、以前は正堂の中央にあり、拝観場所から離れていたが、約1mの距離で間近に拝めるようになった。
 新しい配置での公開は来秋ごろの予定。

● 鳥取・転法輪寺本堂、登録有形文化財に(2010年7月24日)
 鳥取県琴浦町別宮の転法輪寺本堂が国登録有形文化財に答申された。
 転法輪寺の本堂は幅5.4m、奥行き9mの入母屋造瓦ぶき。当初は空也上人がまつられたお堂が、後に転法輪寺の本堂になったと考えられるという。
 寺伝によると、寺は承和年間(834〜848年)に慈覚大師を開祖として開かれた。天禄2年(971)に空也上人が立ち寄り、翌年に入滅したとされる。

● 大分・天念寺で講堂の改修工事始まる(2010年7月24日)
 大分県豊後高田市長岩屋の天念寺で、老朽化のため傷みが激しくなっている講堂の大規模な改修工事が始まった。
 講堂は江戸時代に建てられたとされ、過去に何度か改修された記録が残る。今回の工事では、茅葺屋根や壁面を張り替えるほか、基礎部分を補強する。
 天念寺では、豊後高田市で毎年2月にある伝統の火祭り「修正鬼会」(国指定重要無形民俗文化財)が行われており、講堂はその舞台となっている。
 行事の時に見物客で埋まるスペースを一部増築し、出入り口も1カ所から3カ所に増やすなどの改修も実施する。
 改修作業は12月上旬まで一般公開され、足場から作業の様子などを見学できる。

● 奈良・伝香寺で年に一度着せ替え法要(2010年7月24日)
 奈良市小川町の伝香寺で23日、珍しい裸形の地蔵菩薩立像(重要文化財)に着せられた衣を年に一度取り換える「着せ替え法要」が営まれた。
 地蔵菩薩立像は鎌倉時代の作で、元は興福寺延寿院の本尊だったとされ、通称「はだか地蔵尊」と呼ばれる。普段は非公開だが、地蔵菩薩の縁日に当たるこの日は、本堂で衣を取り換える様子が公開された。

● 奈良国立博物館で「仏像館」オープン(2010年7月18日)
 奈良市の奈良国立博物館は、本館(重要文化財)を改装し、仏像展示を専門にした「なら仏像館」としてオープンさせる。
 7月21日には改装記念の特別展「至宝の仏像」が開幕する。
 本館は、旧宮内省内匠(たくみ)寮の技師で、東京・迎賓館を手がけた片山東熊(とうくま)(1854〜1917年)が設計。レンガ造り石張りの洋館で、1895年に帝国奈良博物館として開館した。
 戦前は、各寺から寄託された仏像を展示。戦後、多くは寺に戻されたが、現在も、「薬師如来立像」(元興寺)や「誕生釈迦仏立像及潅仏盤」(東大寺)など国宝10件、重文120件を含む500件を保管している。
 西新館や東新館の完成で、本館は2000年から仏像などの展示専用施設になったが、今回、計100基以上のスポットライトを設け、仏像の表情が魅力的に見えるように工夫したという。

● 奈良・大慈仙町薬師如来坐像に制作年の銘文(2010年7月15日)
 奈良市大慈仙町公民館に安置されている薬師如来坐像の台座上面から、平安時代後期の作であることを示す銘文などが見つかった。
 薬師如来像は像高33.6cmのヒノキ材の一木割矧造で、穏やかな表情や浅い衣文の彫り、背中を丸めた姿勢など、1053年に建てられた平等院鳳凰堂(京都)の阿弥陀如来像に倣った定朝様の様式を持つ。
 台座を含め、多くの当初部材が残る点も貴重とされる。
 銘文は判読できない部分もあるが、制作時期の「天治元(1124)年8月7日」や仏像の大きさのほか、制作を命じたとみられる「僧」などの文字が読み取れ、仏像の由来が記されている可能性が高いという。
 

● 遣唐僧「円仁」の石版、中国で確認(2010年7月8日)
 中国河南省登封市の法王寺で、平安時代前期の天台宗の高僧、円仁(えんにん)(慈覚大師、794〜864年)とみられる名前が刻まれた石板が発見された。
 石板は、お堂の一つを囲む外壁にはめ込まれており、大きさは縦44cm、横62cm。道教を信仰する皇帝・武宗による仏教弾圧「会昌の廃仏」(845年)の際に、寺の宝だった仏舎利を守ろうと地中に埋めて隠したことが記された後に「円仁」の文字があった。
  当時の中国僧の名を記した文献に同じ名が見当たらないことや、円仁の旅行記「入唐求法巡礼行記」の記述から、847年まで中国に滞在しており、845年に 同寺周辺にいたとしても矛盾がないことから、円仁の可能性が高いとしている。文字の書体が円仁本人の他の文書と似ていることから、直筆の可能性もあるとい う。

● 奈良・海龍王寺で、法華寺の瓦を発掘(2010年7月8日)
 奈良市の海龍王寺の旧境内地で、隣接する法華寺で使われていたものと同じ数種類の瓦が見つかった。
 昨年5月、住宅建設に伴い、現在の海龍王寺境内の北東約22平方mを発掘調査したところ、多数の瓦が出土し、その中に、法華寺境内で見つかった同寺の前身の建物や光明皇后の没後に建てられた阿弥陀浄土院の瓦と同じ型が含まれていた。
 これは両寺が密接な関係にあり、一体となって造営されていた可能性を示しており、奈良時代から続く古刹の関係を考える上で貴重な発見という。
 海龍王寺は、奈良時代に活躍した藤原不比等の邸宅跡に建つ。平城遷都以前からあった前身寺院が不比等邸の東北隅に取り込まれ、「隅寺」と呼ばれていた。不比等邸は娘の光明皇后の宮となった後、総国分尼寺の法華寺になり、海龍王寺は別の寺院として残った。

● 奈良・興福寺の三重塔を開扉(2010年7月8日)
 奈良市の興福寺で7日、弁才天に子孫繁栄や五穀豊壌を祈る「弁才天供」の法要が営まれ、普段は非公開の三重塔(国宝)が開扉された。
 三重塔は、高さ約19m、鎌倉時代初頭の建築で、北円堂と並び同寺で最古の建物。内部にまつられた弁才天坐像(江戸時代)は、「窪弁才天」と呼ばれ、弘法大師が天川村から同寺に勧請した弁才天の形式を伝えているとされる。年に一度、この日だけ開扉される。

● 奈良・藤ノ木古墳出土の国宝馬具、輸送中に破損(2010年7月8日)
 福岡県太宰府市の九州国立博物館は、奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳から出土した国宝の馬具「鉄地金銅張鐘形杏葉(てつじこんどうばりつりがねがたぎょうよう)」(文化庁所蔵)が輸送中に破損したと発表した。
 破損した馬具は、出土した13個のうち輸送された3個の中の1個。馬の胸や尻に装着する革につり下げた鉄製の装飾品で、長さ17.7cm、最大幅13.4cm。2004年に国宝に指定された。
 馬具をテーマに13日開幕する特別展「馬アジアを駆けた二千年」展に出品される予定で、奈良県立橿原考古学研究所から九博に輸送されたが、開封したところ、鉄さびによる膨張で金具とつり革部分が一体化した頭頂部が欠けていたという。
 送前の点検で破損が見られなかったことから、輸送中の振動で亀裂が入り、剥離したと見られ、修復は可能という。
 破損した1個は展示を取りやめるが、無事だった他の2点は予定通り展示される。

● 愛知で円空仏 新たに2体発見(2010年6月29日)
 愛知県一宮市の寺から2体の円空仏が新たに見つかった。
 2体は、住職が一宮市立博物館に持ち込み、学芸員と円空学会理事長が円空の作品と確認した。
 新たに見つかったのは、薬師如来坐像(像高10.1cm)と、十一面観音菩薩坐像(像高7.8cm)。。
 薬師如来坐像は寛文期(1661〜1672年)の制作とみられる。彫りが丁寧で、無傷で保存状態も良好だった。
 十一面観音菩薩の坐像が見つかったのは、県内では初めて。十一面観音菩薩像の特徴を示す頭部の観音像や、頭上の頂上仏も見ることができる。制作時期は薬師如来像よりも遅いという。
 2体の円空仏は29日から同博物館の「円空展」で展示される。

● 京都・法勝寺九重塔跡
基礎現存塔の2倍以上(2010年6月24日)
 京都市左京区の法勝寺で、八角九重塔跡の発掘調査を行ったところ、基礎部分の面積が現存する塔の2倍以上あることが判った。
 今回、八角形とみられる基礎部分の南半分が出土し、五つの角が確認された。1辺は 12.5m〜14.5mで、面積は約850平方m。上部にあった基壇の面積もほぼ同じとみられる。地面を1.5m掘り下げてから粘土と河原石を埋め、突き固めて地盤を強化していた。
 基礎部の面積は、現存する東寺五重塔(同市南区 高さ55m)や興福寺五重塔(奈良市 高さ50m)の基壇の広さの2倍以上で、高さ81mと文献に記された塔にふさわしい規模と見られる。
 法勝寺は1077年に建立され、塔などは1342年に焼失した。今年2月の調査で基礎部分の一部が見つかっていた。
 また、塔の周囲では、九重塔を示すとみられる「九」の文字が書かれた鎌倉時代前期(12世紀末〜13世紀前半)の軒丸瓦(直径15cm)2点も出土した。

● 兵庫・姫路埋蔵文化財センターで重文鉄製大刀保管中折れる(2010年6月24日)
兵庫県姫路市四郷町坂元の宮山古墳で出土し、国の重要文化財に指定されている鉄製の十字形環頭大刀が、同市埋蔵文化財センターで保管中に破損していたことが分かった。
 十字形環頭大刀は全長69センチ。柄の部分は幅2センチ、長さ12センチで、先端に丸い輪と十文字の飾りがついている。
 出土当初から柄の付け根部分が折れていたが、今回折れていたのは飾りに近い部分。2001年に大刀をアクリル樹脂で保存処理した際に撮ったX線写真で亀裂などは確認されていないという。
姫路市教育委員会ではなぜ折れたのか顕微鏡などを使って詳しく調べるという。

● 天龍寺開祖夢窓疎石の袈裟見つかる(2010年6月24日)
 京都市右京区天龍寺南北朝時代の臨済宗の禅僧、夢窓疎石(むそうそせき)(1275〜1351)の袈裟が同寺で見つかった。
 袈裟は傷んでいて広げられないが、大きさは推定で縦1.4m、横3.5m。竜の模様があしらわれた紫色の織物と牡丹(ぼたん)唐草模様の金襴(きんらん)で作られている。
 収蔵庫で桐箱の中に納められていた袈裟5点のうち1点が、鹿王院(右京区)所蔵の疎石の肖像画に描かれた袈裟の模様と酷似しており、疎石が着ていたと判断した。
 高知市の吸江(ぎゅうこう)寺でも、疎石が弟子に授けたとされる袈裟が見つかっている。この袈裟は、京都国立博物館で10月9日に始まる特別展覧会で公開される。

● 奈良・興福寺三重塔特別開扉(2010年6月21日)
 奈良市の興福寺で「弁才天祭・三重塔特別開扉」が7月7日に開かれる。
  法相宗の大本山として知られる興福寺。南円堂の西側には、優美な三重塔が建っている。現在の塔は、鎌倉時代初期に再建された建物で、内部には、窪弁才天と 称される弘法大師が勧請したと伝えられる弁才天や薬師如来、釈迦如来、阿弥陀如来、弥勒如来をそれぞれ1000体ずつ極彩色で描いた板絵が納められてい る。 

法要は年に一度だけ営まれ、読経の後、内陣を拝観できる。


● 京都・平等院で国宝の雲中供養菩薩像の右手が行方不明(2010年6月20日)
    京都府宇治市の平等院鳳凰堂中堂にある国宝・雲中供養菩薩像52体のうち、東側壁面の「南24像」と呼ばれる仏像の右手が、1906年に補修された後、いつの間にかなくなっていたことが分かった。
 雲中供養菩薩像は鳳凰堂の創建に合わせ、平安時代の1053年に制作。いずれも高さ60cmチほどで、雲に乗り、本尊の阿弥陀如来坐像を取り囲むように四方の壁の上方にかかっている。
 1906年の補修は、現在の財団法人「美術院国宝修理所」(京都市)が実施。このほど同修理所で見つかった図解集によると、南24像は左腕から先の部分と右手が欠けていたため、死者の魂を浄土に運ぶ「蓮台」を両手で持つ姿にしたことが分かった。
 しかし同時期に補修した左手は残っていることから、人為的に外したのか、自然に落下したのかは不明という。

● 奈良・興福寺南大門跡
地鎮のつぼに魚の頭骨(2010年6月16日)
 奈良市の興福寺南大門跡で、創建時(8世紀前半)の鎮壇具(ちんだんぐ)を納めた須恵器のつぼから、カサゴの仲間の魚の骨の一部が見つかった。
 つぼは昨年の発掘調査で見つかり、その中から、和同開珎やガラス製の小玉とともに、最大約2cmの魚の骨やうろこが数百片出土した。体長16〜18cm程度のフサカサゴ科の魚の頭の骨や胸びれとみられ、頭部だけが納められたとみられる。
 古代寺院ではこれまで約20か所で、鎮壇具が出土しているが、金銀や水晶などの宝物がほとんどで、魚が確認されたのは初めて。
 正倉院文書には奈良時代の法華寺阿弥陀浄土院(奈良市)や石山寺(大津市)の地鎮に陰陽師がかかわったと記されているが、魚類が用いられた記録はない。
  専門家は、殺生を禁じる仏教で魚を供えることはあり得ず、「山の神にオコゼを供える」という鎌倉時代の陰陽道の文献や「山の神は醜く、醜いオコゼを供える と喜ぶ」という伝承があることから、仏教とは無関係で、天文や占いなどをつかさどる陰陽師(おんみょうじ)が地鎮の儀式を仕切っており、オコゼに似たカサ ゴを、寺の東にある御蓋(みかさ)山の神にささげたのではないかと指摘する。

● 奈良・東明寺薬師如来坐像などを公開(2010年6月15日)
  天武天皇の皇子、舎人(とねり)親王が創建したとされる大和郡山市矢田町の東明寺(とうみょうじ)で、本堂の特別開帳が始まった。普段は事前予約が必要だ が、平城遷都1300年を記念し、本尊の薬師如来坐像、毘沙門天立像、吉祥天立像(いずれも重文 平安時代)など貴重な仏像を常時公開する。6月30日ま で。
本尊の薬師如来坐像は平安時代の木造で、ウエストが細いことや、当初衣と肌が朱色、頭髪が群青に彩色されていたことなど珍しい特徴を持つ。
 同じ矢田丘陵にある矢田寺(大和郡山市矢田町)と松尾寺(同市山田町)でも6月30日まで特別開帳があり、矢田寺では本尊の地蔵菩薩立像(重文)、松尾寺では日本最大級の役行者像などを拝観できる。

● 奈良・宇陀市で薬師寺を全焼(2010年6月12日)
 奈良県宇陀市室生区砥取の薬師寺から出火、木造平屋の本堂と、隣接するほこら計約110平方mを全焼した。
出火当時、本堂はトタン屋根のふき替え工事中。電動カッターでトタン板を切断した際に出た火花が、屋根に敷かれた茅に燃え移ったという。
 堂内には、江戸時代中期の作とされる本尊薬師如来坐像や十二神将立像など仏像約15体が安置されていたが、いずれも焼けた。いずれも指定などは受けていない。
 薬師寺は現在は無住であるが、以前は女人高野で知られる室生寺(室生区)の末寺であり、十二神将像は元々、室生寺のものとの言い伝えもある。

● 滋賀・真野廃寺遺跡で白鳳時代の瓦窯出土(2010年6月10日)
 滋賀県大津市真野の真野廃寺遺跡から、白鳳時代(7世紀後半)の瓦窯が見つかった。
 道路建設に伴い、昨年12月から調査していたが、瓦窯(長さ7m超、内幅1.5m、高低差2m)を大量の瓦とともに確認した。元々あった古墳の傾斜面を利用して、土中をトンネル状に掘り進め、地上部に煙突を取り付けた「穴窯」と呼ばれる構造だった。
 出土した瓦は、模様や細工が施されておらず、寺院が老朽化した際の補修用に作っていたとみられる。
 調査ではさらに、6世紀の古墳2基を確認したほか、木棺跡や副葬品とみられる鉄器(刀状)、ガラス玉、須恵器も出土した。
 寺院の屋根瓦を生産したとみられ、古代の有力豪族が建てたとされる「真野廃寺」が近くにあったことを裏付ける資料として注目されるという。

● 奈良・東大寺法華堂の持国天像と増長天像65年ぶりに搬出(2010年6月9日)
 奈良市の東大寺法華堂で、仏像を安置する須弥壇の修理に伴い、四天王立像(国宝)のうち、持国天像と増長天像が搬出された。四天王立像が法華堂を出るのは第二次大戦中に疎開した時以来、約65年ぶり。
 二体の仏像はいずれも奈良時代の脱活乾漆造で、造高約3m。薄紙や白い布で包んで木の枠に入れられて、南西にある奈良国立博物館の文化財保存修理所に到着した。
法華堂には本尊・不空羂索観音像や金剛力士像など国宝と重文の16体が安置されており「天平仏の宝庫」とも称される。
  奈良国立博物館には合計8体を移す計画で、その後須弥壇は約3年かけて修理するという。8月1日からは堂内に残る日光・月光菩薩像、弁財天像、帝釈天像、 梵天像(国宝)、地蔵菩薩像、不動明王像(重文)の7体の拝観を再開するが、内陣には入れず礼堂からの拝観となる予定。
 毎年12月16日に公開される執金剛神像(国宝)は、現在の場所ではなく、堂内の別の場所での公開となる。
 2011年10以降は、日光・月光菩薩像、弁財天像、吉祥天像の塑像が、現在南大門付近に建設中の東大寺総合文化センターに移されるという。

● 京都の国宝・重文80件改修へ(2010年6月8日)
 京都府教委文化財保護課は、府内の国宝や重要文化財などの保存や修理、防災設備の改修などをする今年度の第1、2次国庫補助事業を発表した。
 補助事業は新規事業19件を含む計80件で、建造物は21件。醍醐寺(京都市伏見区)三宝院殿堂純浄観(重文)の屋根のふき替え、今日庵(上京区)の裏千家住宅(重文)の防火設備改修など。
 また、美術工芸品は28件。「青不動」の名で知られる平安時代の代表的な仏画の一つ、青蓮院(東山区)の「絹本著色不動明王二童子像」(国宝)の解体修理など。

● 奈良・当麻寺西塔は白鳳時代の創建(2010年6月8日)
 奈良県葛城市城市の当麻寺の東西両塔(国宝)のうち、西塔の創建が定説の平安時代より古く、寺の創建と同じ白鳳時代までさかのぼる可能性があることが分かった。
西塔の周囲計40平方mを発掘したところ、南東部から江戸時代に掘られたとみられる廃棄坑が検出。廃棄坑からは奈良〜江戸時代の瓦にまぎれ、寺が現在地に創建された、680年代の白鳳年間の軒丸瓦が含まれていた。
 今まで、建築様式などから東塔は750年ごろの奈良中期、西塔は平安前期に創建されたとされてきた。
また、調査地からは9〜10世紀の土器が埋められた柱穴約30基も見つかった。西塔を建設した際の足場跡と考えられ、現在の西塔が平安時代に再建されたことを裏付けた。
明治時代の建築史学の研究者、足立康氏は現在の西塔は再建されたものだとする再建説を唱えていた。


● 福井・文化財紹介HPの運用始める(2010年6月5日)
 福井県教育委員会文化課は、県内の文化財を紹介するホームページの運用を始めた。
 県のHP内に「福井の文化財」のタイトルで、国が指定、選定、選択、登録している県内の文化財と、県指定文化財の計597件を掲載した。今後は各市町が指定する文化財も紹介する予定。 
 掲載情報は、所在地・管理者・国宝、重要文化財などの種別・時代・指定・登録年月日・歴史や詳細などで、建造物や絵画、史跡など15の分野に区分けしたほか、地域別でも分類した。 http://info.pref.fukui.jp/bunka/bunkazai/index.html

● 広島・吉祥寺の聖観世音菩薩像開帳(2010年6月4日)
 広島県世羅町上津田の鳳林山吉祥寺の聖観世音菩薩像が6日、16年ぶりに開帳された。
 菩薩像は台座を含む高さが1.17m。頭部に金属製の王冠をかぶり、左手に一輪のハスの花を持つ。光背や台座などには金箔が施され、町重要文化財に指定されている。
 寺に伝わる史料によると、奈良市の興福寺吉祥院から戦火を避けるために1180年に移されたとされているが、作られた時期などは不明という。

● 山口・瑠璃光寺五重塔にムササビ被害(2010年6月1日)
 山口市の国宝瑠璃光寺五重塔で5層目の軒先に穴が開いたことがわかった。背後の山に生息するムササビが巣作りのため開けたとみられる。 屋根を重厚に見せる檜皮葺(ひわだぶき)の一部に、昨年末直径約20cm、奥行き約20cmの穴が開き、寺が檜皮でふさいだ。
 1998年にも1層目の格子扉にかじられたような被害が見つかっているが、効果的な対策はないという。

● 静岡・中野観音堂の千手観音像修復完了(2010年1月31日)
 静岡市葵区井川の中野観音堂の千手観音立像をはじめとする5体の仏像は、ひび割れや虫食いなどの傷みがひどく、平成21年度から3ヶ年の計画で修復することになった。
 今年度は、本尊である千手観音立像が修復された。千手観音立像は、脇手の一部がはずれて足先も朽ちてなくなっており、欠失部分については、必要と考えられる範囲で復元された。そのほか虫食いやひび割れ箇所について補修、木質の強化などを行なった。
 今後、他の4体も同様に修理される。
 (右写真は修復前)

● 京都・善峯寺重文の多宝塔などアライグマつめ跡(2010年5月30日)
 京都市西京区の善峯寺で、重要文化財の多宝塔など複数の建築物につめ跡などの傷があることが分かった。
 ここ数年境内周辺でアライグマが頻繁に目撃され、昨年ごろから建物の柱に複数の傷がつけられるようになったという。今年2月、には多宝塔の屋根に直径約20cmの穴を発見。屋根裏で動物のふんも見つかった。

● 地方仏フォーラム講演会のお知らせ
第一回地方仏フォーラム講演会
地域に遺された祈りのかたち
平成22年6月13日(日)
14:00〜17:00
東京国立博物館 平成館大講堂
講演
青木淳多摩美術大学造形表現学部准教授 運慶時代の地方仏
杉山二郎東京国立博物館名誉館員 国際仏教学大学院大学名誉教授大仏以降-その地方的展開
懇親会17:30〜(会場未定)
地方仏フォーラムは多摩美術大学造形表現学部青木淳准教授を中心として設立されたフォーラムで、設立を記念して、講師に青木淳・杉山二郎両氏を迎えて講演会を開催する。
申し込みはハガキまたはメールによる事前申込制(先着順)
定 員:380名(事前申込制)
聴講料:(税込) 一般1000円 学生500円
詳細は、地方仏フォーラム事務局http://chihoubutsu.com/へ
 
● 岡山・餘慶寺の千手観音立像に納入の米籾など公開(2010年5月27日)
 岡山・餘慶(よけい)寺の本尊・千手観音立像の胎内に納入されていた米籾など五穀や銅銭などの公開が県立博物館(岡山市北区後楽園)で始まった。
 瀬戸内市邑久町、餘慶(よけい)寺の本尊・木造千手観音立像の胎内に納入されていた米籾(もみ)など五穀や銅銭などの公開が、県立博物館(岡山市北区後楽園)で始まった。
 納入品は昨年、同像を解体修理中、頭部の中に和紙に包まれた状態で見つかった。仏像内で見つかった米についてDNA検査や発芽実験し、米の特徴を調べた。この結果、野生種の特性はなく栽培種であり、赤米の中でも選別されたものを栽培したものと見られるという。
 仏像にあった記述などから、米は寛永2年(1625)のものと推測される。また永楽通宝など銅銭33枚や護符など、他の納入品も公開、研究成果もパネルで展示している。
 公開は5月27日から6月27日まで。

● 神奈川・鎌倉市大町釈迦堂口遺跡など国の史跡に(2010年5月22日)
 国の文化審議会は、鎌倉市の「大町釈迦堂(しゃかどう)口遺跡」などを新たに国の史跡に指定するように答申した。
 大町釈迦堂口遺跡は、名越ケ谷と呼ばれる谷戸(やと)の一角にあり、丘陵部には中世鎌倉特有の横穴式墳墓「やぐら」が64基あり、丘陵部を掘削して造成された平場には建物跡も確認されている。トンネル状に山肌をくりぬいた釈迦堂口切通もある。
  鎌倉幕府初代執権・北条時政(1138〜1215)邸跡との説もあったが、2008年の市教育委員会の発掘調査で年代の違いが発覚。さらに、一般住居には ない柱の礎石や火葬跡なども確認された。やぐらの存在や、国の重要文化財にも指定されている「青磁の鉢」など高価な出土品からも、それなりの格式を持った 未知の廃寺跡の可能性が考えられるという。

 審議会の主な答申内容は次の通り。
 【特別名勝の新指定】
▽平城宮東院庭園(奈良市)
 【史跡の新指定】
▽小峰城跡(福島県白河市)
▽常陸国府跡(茨城県石岡市)
▽大町釈迦堂口遺跡(神奈川県鎌倉市)
▽長州藩下関前田台場跡(山口県下関市)
▽阿波遍路道=鶴林寺道、太龍寺道、いわや道(徳島県阿南市、勝浦町)
▽妙見山古墳(愛媛県今治市)
▽熊本藩川尻米蔵跡=外城蔵跡、船着場跡(熊本市)
▽小湊フワガネク遺跡(鹿児島県奄美市)
 【名勝の新指定】
▽和歌の浦(和歌山市)
▽円月島(和歌山県白浜町)
 【天然記念物の新指定】
▽大室山(静岡県伊東市)
▽多度のイヌナシ自生地(三重県桑名市)
▽ヤクシマカワゴロモ生育地(鹿児島県屋久島町)
 【登録記念物の新登録】
▽小川氏庭園(鳥取県倉吉市)
▽賀来飛霞標本(宮崎市)
 【重要文化的景観の新選定】
▽高島市針江・霜降の水辺景観(滋賀県高島市)
▽田染荘小崎の農村景観(大分県豊後高田市)

● 奈良・飛鳥京跡で柱穴が出土最大級建物跡か(2010年5月21日)
 奈良県明日香村の飛鳥京跡で、天皇が儀式などをした内郭の北に位置する「外郭」から、7世紀後半の大型建物跡とみられる柱穴が出土した。
  内郭の北約40mで、1.7m四方、深さ1.7mの柱穴が12基見つかった。柱跡は方位をそろえて並んでおり、少なくとも東西29.4m、南北15mの建 物跡と推定。規模は、内郭の南東で出土し、大極殿の可能性もある「エビノコ大殿」(東西29.7m、南北15.6m)と匹敵しており、飛鳥京内では最大級 の規模の建物と推定される。
 出土した柱穴は一部だけだが、天武天皇と持統天皇の居所だった飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)(672〜694年)の関連施設とみられ、規模や構造などから、天皇が居住した内裏(だいり)にかかわる建物の可能性があるという。

● 山梨・大善寺日光・月光菩薩像を修復(2010年5月21日)
 山梨県甲州市勝沼町勝沼の大善寺は2年間かけて、所蔵する重要文化財の日光・月光菩薩立像を修復する。
 両菩薩立像は像高約2.5m、ヒノキ材を使った寄せ木造り。鎌倉時代初期
 年月の経過とともに傷みが目立つようになったため、国などの補助金を使って修復することになった。指先などの欠損した部分を復元するほか、台座の補修などを行うという。

● 「ふるさと文化財の森」に甲州市のヒノキ林などを選定(2010年5月20日)
 文化庁は、甲州市塩山上萩原の雲峰寺の境内にあるヒノキ林などを、「ふるさと文化財の森」に選定した。
 国宝や重要文化財などの建造物の修復用資材を供給するほか、必要に応じて伝統技術伝承のための研修の場として利用される。
  雲峰寺の境内北側には7ヘクタールの土地に、直径30〜60センチの約400本のヒノキがある。ヒノキの皮は「ひわだ」と呼ばれ、寺社建築の屋根の材料と なる。県内でも同寺のほか、北口本宮冨士浅間神社(富士吉田市上吉田)や大善寺(甲州市勝沼町)でもひわだぶきが使われている。
 今回選ばれた主なものは次の通り。
三重県亀山市関町坂下 ヒノキ・スギ林 諸戸林業
神奈川県秦野市 ヒノキ・スギ林 諸戸林業
広島県福山市熊野町 水田「備後熊野い草圃(ほ)」

● 香川・白峯寺で義真の肖像画見つかる(2010年5月21日)
 香川県坂出市青海町の白峯寺で、僧侶の肖像画3点が見つかり、1点が天台宗総本山・比叡山延暦寺の初代座主(ざす)を務めた修禅(しゅうぜん)大師・義真(ぎしん)と確認された。
 義真は、相模国(神奈川県)出身で平安初期の僧。天台宗の開祖伝教大師・最澄に師事し、通訳として最澄の入唐に随行。帰国後は天台宗の発展に寄与し、初代座主となった。


  今回発見された肖像画は、縦195cm、横93.9cm。袈裟を身にまとい着座した義真が描かれ、全体を岩絵の具で着色。左上に「修禅大師」と記されてい る。絹の目や筆致などから、鎌倉時代に描かれたと見られる。残る2点の肖像画は、空海のめいの息子とされる天台宗第5代座主の智証(ちしょう)大師・円珍 と、中国天台宗の開祖天台大師・智ぎ(ちぎ)の可能性が高いことが確認された。
 義真を描いた絵画は全国で3点見つかっているが、いずれも紙に墨で描かれており、着色された義真の肖像画の発見は全国初という。
 肖像画はいずれも損傷が激しく、一般公開は行わない。

● 島根・出雲大社の境外社を文化財に指定(2010年5月18日)
 島根県は、出雲市大社町にある出雲大社境外(けいがい)社5社6棟を有形文化財(建造物)に指定した。
出雲地方に多い大社造りの歴史を考える上で重要な社殿群で、保護する価値が高いという。
 大社町杵築東の神魂伊能知奴志神社(かみむすびいのちぬしのかみのやしろ)など4社は本殿を、大社町杵築北の上宮(かみのみや)は本殿と拝殿。上宮を除き、切り妻造り妻入の大社造りの特徴を示す。
  出雲大社境内にある境内社に対して「境外社」と呼ばれ、出雲国風土記や延喜式にも記載があり、重要な神事が現在まで継承されてきた。5社のうち3社は、延 享遷宮(1744)の時に、境内社の古材を再利用して建てられたことが部材への書き込みなどから確認されており、建築史的にも重要という。
 他の社は次の通り。
▽大穴持御子玉江神社(おおなもちみこのたまえのかみのやしろ)
▽大穴持御子神社(おおなもちみこのかみのやしろ)
▽出雲井神社(いずもいのかみのやしろ)

● 山形・仏心寺の釈迦如来坐像など3像を県有形文化財指定(2010年5月18日)
山形県教委は、仏心寺(東根市沼沢)の釈迦如来坐像、護真寺(大江町三郷の阿弥陀如来坐像)、吉祥院(山形市千手堂)の天部形立像の3像を県有形文化財に指定した。
 仏心寺の木造釈迦如来坐像は、正徳5(1715)年に大仏師法橋善慶(ほっきょうぜんきょう)が制作。江戸時代前期に中国から伝えられた黄檗様という様式で作られた。寄木造り、像高277cm。
 護真寺の阿弥陀如来坐像は、平安時代後期の12世紀に作られ、一木造り。像高139.5cm。
 吉祥院の木造天部形立像も平安時代後期、12世紀後半の作で、像高95.5cm。


● 「文化財の敵」アライグマに発信器(2010年5月14日)
 京都市東山区の民間団体「関西野生生物研究所」が、全国で文化財や農作物に被害を及ぼしているアライグマについて京都府亀岡市で行動追跡調査を行う。
 京都府内では平等院(宇治市)や二条城(中京区)など世界遺産の柱などが爪跡で傷つく被害が相次いでおり、亀岡市では、九重塔(重文)がある宝林寺では2009年、母屋の柱にひっかき傷が見つかっている。
 近く2頭を捕獲し、獣医師が無線発信器を組み込んだ首輪を取り付けるとした。捕獲数は計10頭まで増やし、調査員が週に1、2回、受信機で追跡、巣や食物を得る場所などを調べるという。

● 奈良・キトラ古墳壁画「朱雀」を初の一般公開(2010年5月12日)
 文化庁は、奈良県明日香村のキトラ古墳の石室からはぎ取った四神の一つ「朱雀」の極彩色壁画を、平城遷都1300年祭に合わせ、奈良文化財研究所飛鳥資料館で特別展示する。「朱雀」を一般公開するのは初めて。
 朱雀(縦約15cm、横約40cm)は2007年に古墳の壁からはぎ取られ、同村の高松塚古墳壁画修理施設で保存してきた。
 公開は5月15日から6月13日までで、他の四神「青龍」「白虎」「玄武」も同時に公開する。

● 熊本・鞠智城跡出土の百済系菩薩立像レプリカを一般公開(2010年5月12日)
    熊本県山鹿、菊池市にまたがる国史跡・鞠智城跡から出土した百済系菩薩立像の往時の姿が復元され、県立装飾古墳館分館・温故創生館(山鹿市)でそのレプリカが一般公開されている。

 立像は2008年10月に発見された。像高12.7cmの銅造で、形状から7世紀後半の百済系と考えられ、665年に百済の亡命貴族の指導で大野城(福岡県)などが築城されたとする日本書紀の記述を補完する貴重な資料になっている。
 当初出土した状態を元にレプリカが作られたが、欠損部分があることなどから、欠損していた像右側の天衣と裳のひだ、捧持する円筒形の舎利容器、胸を飾る瓔珞を復元し鍍金した。

● 奈良・唐招提寺うちわまき:参加数制限(2010年5月8日)
 奈良市の唐招提寺は、毎年5月19日に開かれる恒例行事「うちわまき」の参加人数を制限すると発表した。
 うちわまきは、同寺中興の祖とされる鎌倉時代の僧、覚盛(かくじょう)の死後に法華寺の尼僧がハート形のうちわを供えたことが始まりとされ、覚盛の命日法要に合わせて開かれる。
 人数制限は、金堂の解体修理工事に伴う危険防止のため昨年まで実施していたが、今年以降も安全のために続けることにした。
 今年は午前10時から、金堂前で先着200人に参加証を配布し、午後3時から約300本をまく。同時に福引券も配り、1000人にうちわが当たるようにする。
 境内を埋める参拝客が、厄よけの御利益があるとされるうちわを奪い合う光景は見られなくなる。

● 福島・会津美里町の仏像ガイドを発行(2010年5月7日)
 福島県会津美里町教育委員会はこのほど、町内に残る仏像を紹介する冊子「会津美里町の仏像ガイド」を発行した。
 主に国や県、町から指定を受けている重要文化財を中心に掲載。
 表紙は、法幢寺に保管されている国指定重要文化財の「銅造阿弥陀如来及び両脇待立像」が飾っている。
 A5判サイズで39ページ。1冊500円。

● 京都・京博文化財保存修理所30周年シンポ(2010年5月7日)
 京都国立博物館(京都市東山区)文化財保存修理所設立30周年を記念し、京都テルサホール(南区)で5月26日午後1時から、歩みを紹介するシンポジウム「美を伝える」が開かれる。
 平等院の神居文彰住職と同館学芸部保存修理指導室の村上隆室長が講演し、修理所内の工房の代表者や研究者が文化財修理について報告する。
 参加希望者は日本コンベンションサービス関西支社内のシンポジウム事務局に10日必着ではがきかファクスで申し込む  

● 静岡・袋井市指定文化財に西楽寺不動明王立像(2010年5月5日)
 静岡県袋井市教育委員会は袋井市春岡の西楽寺が所蔵している不動明王立像を市文化財に指定した。
 像は鋳物製で背後の炎部分を含めた高さは約1.9m。台座の印刻から京都の鋳物師(いもじ)、常味(じょうまい)が宝永7年(1710)に製作したものと判明している。
 常味は近畿地方を中心に約200点の彫刻作品を残しているが、東日本で確認されたものは少なく、金銅仏の不動明王像は珍しいという。


● 京都・平等院扉絵彩色戻る(2010年04月27日)
 宇治市の平等院鳳凰堂(国宝)の扉絵が、日本画家の馬場良治さん考案の修復技術で鮮やかさを取り戻した。
 扉絵には、阿弥陀如来が臨終する人を迎える様子を表現した「九品来迎図」が描かれている。正面中央扉一対を除く扉絵8面は1966〜71年に復元模写されたが、顔料ははがれ落ちそうになり、汚れも表面に染み付いた状態になっていた。
 馬場さんは従前のにかわや合成樹脂での修復ではなく、魚の浮袋や古い牛皮のにかわなどを材料に独自開発した溶液を使い2007年10月〜2008年8月に扉絵8面を修復。はく落個所は彩色を補った。
 溶液を薄い和紙の上からはく落しそうな部分に塗るとすぐに接着でき、バクテリアの働きで染みや汚れも分解された。合成樹脂と違い、何回も修復作業を行えるのが特徴で、はく落止めと汚れの除去が同時に行えることに加え、文化財への負担を抑える画期的な技術という。

● 仏像展「奈良の古寺と仏像」開催(2010年4月24日)
 仏像展「奈良の古寺と仏像」が、新潟県長岡市の県立近代美術館に会場を移して始まった。
 国指定重要文化財の仏像など62点が展示され、開催期間は4月24日から当初予定より1週間短い6月6日まで。5月25日からは国宝の中宮寺の菩薩半跏像も登場する。
 同展を巡っては、当初新潟市美術館で開催予定であったが、同美術館の展示物からカビやクモが発生し、文化庁は「国宝などの展示には不適格」と判断、会場変更を余儀なくされた。
近代美術館では像のひび割れやさび防止のために湿度を調整し、期間中は24時間態勢で警備する。

● 静岡・遠江国分寺七重塔跡の土層断面標本公開(2010年4月23日)
 静岡県磐田市見付中泉の国指定特別史跡・遠江国分寺七重塔跡の土層断面標本を磐田市埋蔵文化財センター(同市見付)で一般公開する 
 遠江国分寺跡は、2006年度から発掘調査を実施。2009年度の調査では、七重塔や僧坊の土台部分である基壇が木で囲う木装基壇であることが判明した。
 古代寺院の基壇は、土台の土を幾層にも固め、それを石や瓦で囲うのが一般的であるが、遠江国分寺では、金堂や講堂でも木装基壇が確認されおり、主要な建物すべてに木装基壇が採用されていたことが分かる貴重な遺構だとして、標本を作製した。
 標本は、縦248cm、横138cm、厚さ29cmの大きさ。幅10cm弱の木装基壇の板の痕跡や、厚さ2mにも及ぶ土台部分の構造などがよく分かり、木装基壇の構築方法など当時の土木技術の高さを知ることができる。
 公開は4月24〜30日まで、標本のほか塔跡から出土した塔本塑像の頭部や墨書土器なども合わせて公開する。

● 熊本・鞠智城跡から出土の菩薩像復元(2010年4月22日)
 熊本県山鹿市菊鹿町の鞠智(きくち)城跡で2008年に出土した百済系菩薩立像の往時の姿を再現した復元像が完成した。
 菩薩像は青銅製で像高約13cm。顔の表情や胸元に持物をささげ持つ表現などから、7世紀後半の百済で造られた可能性が指摘されている。百済の亡命貴族が築城にかかわったとの推定を補強する貴重な発見となった。
 同館は出土後の現状を模したレプリカを常設展示しているが、欠損や表面の付着物などが多いため、当初の姿の復元像を作ることにした。
 復元像は青銅製の原寸大で、欠損した衣や首飾りなどを復元、何の表現か不明だった持物は、他の作例などから舎利容器と推定し、表面に金箔を張って再現した。
 復元像は4体制作され、4月24日から歴史公園鞠智城・温故創生館で常設展示される他、奈良県で4月24〜30日に開かれる「平城遷都1300年祭」会場でも展示される。



● 福井・明通寺で三重塔修理始まる(2010年4月22日)
 福井県小浜市門前の明通寺で、国宝・三重塔修理工事が始まった。
  明通寺は806年に創建。現存する本堂は1258年に、三重塔は1270年に再建され、国宝に指定されている。約30年の間隔で屋根の檜皮のふき替え工事 をしているが、1986年に三重塔を修理したときは半分しかふき替えていなかった。檜皮を完全にふき替えるのは53年ぶり。11月ごろには新しくなった姿 でお目見えする。
 今月25日から三重塔修理完了まで、通常は一般公開していない釈迦三尊像などの仏像を特別公開し、修理工事の様子を見学(要予約)できる。
  また、今秋からは本堂の修理にも取り掛かり、12年3月ごろに完了する。

● 広島・県重要文化財に大聖院十一面観音立像などを指定(2010年4月21日)
 広島県教育委員会は、廿日市市宮島町の大聖院が所有する十一面観音立像と、世羅町賀茂の善法寺が所有する丸小山経塚出土品を県重要文化財に指定した。
 十一面観音立像は像高193.8cmで、南北朝時代(14世紀)の作品とみられる。明治時代の神仏分離まで厳島社本地堂に祭られていた。
 善法寺の出土品は、銅製の経筒(高さ10.1cm、直径4.5cm)と厨子(高さ9cm、幅3.5cm)に入った十一面観音立像(像高6.9cm)からなる一式。1535年の作品で経筒に入った仏像は西日本では珍しく、県内では初の出土という。

● 平等院鳳凰堂創建時をCG再現(2010年4月17日)
 京都府宇治市平等院鳳凰堂内の須弥壇や柱などをコンピューターグラフィックス(CG)によって創建時(1053年)の極彩色で再現した。
 本尊の阿弥陀如来坐像を安置する須弥壇には創建当初、仏教の想像上の花・宝相華を表現した螺鈿が施されており、当時、貴重だった青色の鉱石ラピスラズリの断片が見つかっているが、現在は脱落・退色している。
 立体的なCGでは、須弥壇と周囲の小壁に断片的に残っている模様を描き写し、過去の修理の際の資料などを参考に文様を再現し、須弥壇が螺鈿や金粉で飾られ、周囲の壁も天空を表す青で着色された。
 また、柱と梁は顔料を特定し、当時の彩色画を復元、壁面の背景色は空に見立てた群青だったと推測し、極楽浄土を表すためにハスの花びらを散らし、雅楽器が空中を舞う様子を描いたという。
 CGは、 境内のミュージアム鳳翔館で行われる春季特別展「信としての荘厳−よみがえる華麗なる平安美の世界−」で、4月17日から8月6日まで一般公開される。

● 島根・金屋子神社が全壊(2010年4月16日)
 島根県奥出雲町上阿井の国の重要文化財に指定されている桜井家住宅の建造物のうち、金屋子(かなやご)神社が倒木の直撃で全壊した。
 金屋子神社は1747年の建立で、枯死したカシ(直径約1.5m)が、強風にあおられて倒れ直撃したと見られる。
 桜井家は、近世のたたら製鉄の中心地だった出雲の鉄山業を取り仕切った「鉄師頭取」の住宅で、2003年に主屋や土蔵など9棟が重文に指定された。

● 重要文化財に「杉本家住宅」など 新たに8件指定(2010年4月16日)
  文化審議会、京都市内に残る伝統的な町家建築「杉本家住宅」と有明海干拓地に築かれた総延長5.2kmの堤防と樋門(ひもん)「旧玉名(たまな)干拓施設」など8件を新たに重要文化財に指定するよう、文部科学相に答申した。

 重文などを答申されたのは以下の通り。
【重要文化財】
▽旧木下家住宅1棟(福井県勝山市)
▽旧賓日館本館など3棟(三重県伊勢市)
▽清流亭主屋(おもや)など3棟と土地(京都市)
▽杉本家住宅主屋など4棟と土地(京都市)
▽名草神社本殿など2棟(兵庫県養父(やぶ)市)
▽琴ノ浦温山荘主屋など3棟(和歌山県海南市)
▽旧西村家住宅1棟と土地(和歌山県新宮市)
▽旧玉名干拓施設末広開潮受(すえひろびらきしおうけ)堤防など7カ所(熊本県玉名市)
【重要伝統的建造物群保存地区】
▽桜川(さくらがわ)市真壁(まかべ)伝統的建造物群保存地区(茨城県桜川市)

● 奈良県有形文化財に大和高田市弥勒仏坐像など6件指定(2010年4月15日)
 奈良県教育委員会は大和高田市弥勒仏坐像など6件を県有形文化財に指定する。
 新たに指定されたのは、次の通り。
▽来迎寺本堂(奈良市来迎寺町)
▽弥勒仏坐像(ざぞう)(大和高田市土庫2)
▽紙本著色六道絵(しほんちゃくしょくりくどうえ)(天理市柳本町)
▽東大寺戒壇院所用厨房(ちゅうぼう)用具(奈良市雑司町)
▽上田家文書(吉野町山口)
▽談山神社嘉吉祭の神饌(しんせん)−百味御食(ひゃくみのおんじき)−(桜井市多武峰)

● 奈良・高松塚古墳壁画来月修理作業室を公開(2010年4月9日)
 奈良県明日香村平田の国宝高松塚古墳壁画仮設修理施設の修理作業室が、5月8日から16日(13日は除く)まで、一般公開される。
 春と秋の年2回公開されており、見学用通路から窓ガラス越しに四神や女子群像などの極彩色壁画を見ることができる。
 見学時間は指定制で、往復はがきかインターネットで事前に申し込む。定員は1日約500人で多数の場合は抽選。

● 奈良・当麻寺中之坊十一面観音像修復完了(2010年4月6日)
 奈良県葛城市当麻、当麻寺中之坊の本尊・十一面観音像が百数十年ぶりの本格修復を終え、中之坊に安置された。
 十一面観音像は像高85cmヒノキの一木造り。当麻曼荼羅を蓮糸で織り上げ、極楽に昇天したという伝説の中将姫を仏道に導いた「導き観音」として知られる。これまでに傷んだ部分の補修などが数回行われており、光背などは創建当時とは違う姿になっていたという。
 修復に伴い光背や台座も新調、造像当時の平安時代の様式に取り換えた。4月16日に完成記念法会が開かれ、6月16日まで一般公開される。

● 兵庫・円教寺で開祖性空上人の遺骨見つかる(2010年4月5日)
 兵庫県姫路市書写山円教寺の開祖で、1007年に亡くなったと伝わる性空上人の遺骨とみられる骨が同寺で見つかった。
 昨年6月、性空を祭る「開山堂」の床下から石櫃が見つかった。中には「性空御真骨」とふたに書かれた一辺約15cmの木箱があり、絹織物で包まれた陶器のつぼ(直径、高さ各10cm)が入っていた。
 つぼの中には背骨などとみられる数cm前後の骨が複数確認されたという。
また木箱の下の敷き板には、開山堂が再建された「寛文十三年(1673)五月」に納めた、と記された板も見つかった。周辺には経文を書いた小石「経石」や「五輪塔」と呼ばれる供養塔も並べられるなど、厳重に祭られていた。
 2008年にも、「性空上人坐像」の頭部に遺骨らしきものを納めたつぼが入っているのが確認されている。
 木箱や五輪塔は、4月10日から5月9日まで同寺で公開する。

● 京都・蟹満寺の釈迦如来坐像    修理完了(2010年4月2日)
 京都府木津川市山城町綺田の蟹満寺で、本尊の国宝・銅造釈迦如来坐像の修理がこのほど終わり、約2年ぶりに建て替えられた本堂に戻った。
 釈迦如来坐像は像高2.4mで、白鳳時代(7世紀中ごろ〜8世紀初め)の作。老朽化した本堂の建て替えに合わせ、寺の駐車場に仮設工房を設け、2007年秋から修理や調査を行ってきた。
 裳裾のひび割れなどを補修し、金銅製の台座も新調した。
 新築された本堂は、以前より一回り広くなり、今昔物語集などに登場する「蟹満寺縁起」の本尊・厄除聖観世音菩薩坐像も観音堂から移し、安置される。
 4月3日に本堂の落慶法要が営まれる。

● 東大寺七重の東塔再建に向け発掘調査(2010年4月2日)
 奈良市東大寺(奈良市)は2日、過去2回焼失した七重の東塔を再建するために、塔跡の発掘調査を近く始めると発表した。
  東大寺では、東塔は天平宝字8年(764)に創建され、大仏殿を挟んで西塔と並び立っていたが、西塔は平安時代中期に焼け、東塔は1180年の南都焼き打 ちで焼失。鎌倉時代の1227年に再建されたが、1362年に落雷で再び焼失したという。両塔は高さ約100mの巨大な七重塔だったとされ、現在はいずれ も基壇の跡だけが残っている。
 最終的な規模や構造はその結果を踏まえて決めるが、七重塔を復興させる方針という。

● 静岡・建穂観音堂 阿弥陀如来坐像など3体を文化財指定(2010年3月30日)
 静岡市教育委員会は、静岡市葵区の建穂観音堂に納められている平安後期から鎌倉時代にかけての仏像3体を新たに市有形文化財に指定した。
 指定されたのは、髻を結い上げた宝冠阿弥陀如来坐像の貴重な古例、阿弥陀如来坐像と、その随侍の1体とみられる伝大日如来坐像(いずれも平安後期)、鎌倉時代の典型技法を示す伝阿弥陀如来坐像の3体。
 建穂観音堂は明治初期に廃寺となった県内屈指の古寺建穂寺を建穂町内会が管理してきた。50体以上の仏像が安置され、うち2体は県の有形文化財に指定されている。
 今回指定された仏像のうち木造阿弥陀如来坐像、木造伝大日如来坐像の2体は、4月3日から5月9日まで、清水区のフェルケール博物館で開かれる特別展「建穂寺の仏像」で一般公開される。

● 広島・県重文に大聖院十一面観音立像など2件答申(2010年3月27日)
 広島県文化財保護審議会は、廿日市市宮島町大聖院の十一面観音立像と、世羅町賀茂、善法寺の丸小山経塚出土品の2件を、県重要文化財に指定するよう、県教委に答申した。
 十一面観音立像は、南北朝時代(14世紀)の作で、像高193.8cmの寄木造。かつて厳島神社の本地堂にまつられていたが、明治時代の神仏分離により、大聖院に移され、今は大聖院観音堂の本尊として安置されている。


● 宮城・県重文に大崎市の千手観音坐像など3件の指定を答申(2010年03月27日)
 宮城県県文化財保護審議会は、大崎市田尻の寺浦共有地組合が所有する千手観音坐像および両脇侍立像の3躯を県の有形文化財、東松島市の月観の松、亘理町の称名寺のスダジイを県の天然記念物に指定するよう県教委に答申した。


 大崎市田尻の小松観音堂の千手観音坐像は、カツラ材の寄木造で像高96cm。平安時代末期の作品とされる。毘沙門天立像(像高78cm)・不動明王立像(像高70cm)はともにカツラ材の一木造。鎌倉時代前半のものとされる。


● 興福寺が阿修羅像画像ダウンロード販売(2010年3月25日)
 奈良市興福寺は、国宝・八部衆立像のうち、阿修羅像と緊那羅像の画像を収めたソフトのダウンロード販売を始めた。携帯電話iPhone用で、ほかの6体も順次販売する。
  端末機のタッチパネルに触れると、画像を360度回転させて好きな角度から見ることができ、上半身の拡大表示もできる。多川俊映貫首の法話音声と、八部衆 立像が展示されている同寺国宝館の拝観料が半額になるクーポンを収録。4月1日からは同寺で、阿修羅をデザインした両端末機のケースも販売する。

● 奈良市指定文化財西大寺・大黒天坐像など2件(2010年3月25日)
 奈良市教委は、西大寺(同市西大寺芝町)大黒堂に安置されている大黒天坐像と月ケ瀬(同市月ケ瀬桃香野)のウメの古木を新たに市指定文化財に指定した
  大黒天坐像は、像高64.2cmの寄木造りで室町時代の制作。頭部内と像底に墨書があり、1504年に海龍王寺地蔵院の僧侶・仙算が制作。助手である木寄 番匠に宿院仏師・七郎太郎が参加したことが記されている。2人で制作したことが記された仏像の中では最も古いもので、室町時代の造仏活動を知るうえで、歴 史的価値が高いという。

● 高松塚古墳文化庁検討会が報告(2010年3月25日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳の国宝壁画が劣化した原因を調査してきた文化庁の検討会は、人の出入りによる石室内の温度上昇や、カビ除去のための薬剤など、人為的ミスを主とした複合要因によるものとする報告書をまとめ文化庁長官に提出した。
 報告書では、発掘後劣化が急速に進んだ原因について、壁画の下地の漆喰を強化するためのアクリル樹脂がカビの温床になり、カビ除去作業で使った筆と薬剤が退色を招いた可能性を指摘した。
  また、石室と保存施設をつなぐ取合い部の天井の土が崩落していることがわかっていながら2001年まで放置したことや、保存施設の温度調節機能が1976 年の稼働開始時から不具合があったが改善されなかったことなどを指摘した。また、カビの大量発生は、想定より保存施設の温度が高かったことや、人の出入り などによる複合的な原因と指摘。対策も後手に回るなど「負の連鎖」を招いたとしている。
 さらに、文化庁の管理体制についても、保存施設が完成して本格的に壁画の修理が行われた1976年以降、外部の専門家による調査会が開かれず、作業が現場任せとなったとしてチェック体制の問題点を挙げ、地元自治体を含む官・民・学の連携を重視する必要があると提言した。

● キトラの四神「朱雀」5月から一般公開(2010年3月25日)
 文化庁は、奈良県明日香村のキトラ古墳の石室南壁からはぎ取った四)神「朱雀」(縦15cm、横40cm)の保存処理が一段落したことから最新の写真を公開した。
 現在、村内の修理施設で保管中で、2007年2月のはぎ取り当時より白っぽくなり、絵が見えにくくなっているが、カビの繁殖を防ぐため湿度を55%に保っており、表面の泥が乾いたのが原因で、保存状態は良好という。
 朱雀は、他の四神像と一緒に5月15日〜6月13日には同村奥山の奈良文化財研究所飛鳥資料館で、ほかの四神とともに一般公開される。


● 伊能忠敬が測量した地図など、国宝に(2010年3月19日)
  文化審議会は、江戸時代に全国を測量した伊能忠敬の地図や象限儀(しょうげんぎ)、文書などの資料(千葉県香取市・伊能忠敬記念館)と、富山県高岡市に あった東大寺領庄園の土地開発状況を詳細に記した越中国射水郡鳴戸村墾田図(奈良国立博物館)を国宝に、大阪市藤田美術館所蔵の快慶作地蔵菩薩立像などを 重要文化財に指定するよう答申した。
 文化審議会の主な答申内容は次の通り。
【国宝】
古文書の部 ▽越中国射水郡鳴戸村墾田図=麻布(奈良国立博物館、奈良市)
歴史資料の部 ▽伊能忠敬関係資料(伊能忠敬記念館、千葉県香取市)

【重要文化財】
絵画の部
▽紙本墨画淡彩哦松図(文化庁)
▽絹本著色聖徳太子絵伝(東京国立博物館、東京都台東区)
▽紙本著色浅間山図=亜欧堂田善筆(東京国立博物館、東京都台東区)
▽絹本著色洞窟の頼朝=前田青邨筆(大倉集古館、東京都港区)
▽絹本著色法然上人絵伝(山梨県立博物館、山梨県笛吹市)
▽絹本著色釈迦三尊十八羅漢図(一蓮寺、甲府市)
▽絹本著色賢聖障子=狩野孝信筆(仁和寺、京都市)

彫刻の部
▽木造伽藍神像(建長寺、神奈川県鎌倉市)
▽木造菩薩座像(常楽寺、岐阜県関市)
▽木造能狂言面(春日神社、岐阜県関市)
▽木造地蔵菩薩立像(金剛証寺、三重県伊勢市)
▽木造釈迦如来及両脇侍像、木造十六羅漢坐像(知恩院、京都市)
▽木造地蔵菩薩立像=快慶作(藤田美術館、大阪市)
▽銅造如来立像(光明寺、奈良県五條市)
▽木造菩薩坐像(養花院、高知県仁淀川町)
▽両脇侍像(豊楽寺 大豊町寺内)
▽二天王立像(豊楽寺 大豊町寺内)
▽(名称変更)薬師如来坐像 旧名称釈迦如来坐像(豊楽寺 大豊町寺内)
工芸品の部 
▽鼠志野草花文鉢(文化庁)
▽比良山蒔絵硯箱(東京国立博物館、東京都台東区)
▽黒綸子地波鴛鴦文様小袖(東京国立博物館、東京都台東区)
▽奈良三彩壺(九州国立博物館、福岡県太宰府市)

書跡・典籍の部
▽是則集(大阪青山歴史文学博物館、兵庫県川西市)
▽春日懐紙=紙背春日本万葉集(国文学研究資料館、東京都立川市)
▽高麗版貞元新訳華厳経疏巻第十(大東急記念文庫、東京都世田谷区)
▽斎宮女御集=唐紙(徳川美術館、名古屋市)
▽宝要抄(武田科学振興財団、大阪市)

古文書の部
▽平城宮跡内膳司推定地出土木簡(奈良文化財研究所、奈良市)
▽加賀郡☆(片の右に傍のツクリ)示札(石川県埋蔵文化財センター、金沢市)
▽氏経卿神事記(神宮文庫、三重県伊勢市)
▽氏経卿引付(神宮文庫、三重県伊勢市)

 考古資料の部
▽岩手県平泉遺跡群=柳之御所遺跡=出土品(岩手県立博物館、盛岡市)▽岩手県平泉遺跡群出土品(平泉文化遺産センター、岩手県平泉町)
▽石川県御経塚遺跡出土品(野々市町ふるさと歴史館、石川県野々市町)▽島根県出雲大社境内遺跡=旧本殿跡=出土品(出雲大社、島根県出雲市)
▽武装石人(岩戸山歴史資料館、福岡県八女市)
▽大分県吹上遺跡出土品(大分県日田市)

歴史資料の部
▽映画フィルム「史劇楠公訣別」(東京国立近代美術館フィルムセンター、東京都中央区)
▽群馬県行政文書(群馬県立文書館、前橋市)
▽八瀬童子関係資料(八瀬童子会、京都市)
▽日明貿易船旗、高洲家文書(個人)

● 新潟・仏像展の市内開催断念で市長3割減給(2010年3月19日)
 新潟市の篠田市長は、新潟市議会で「奈良の古寺と仏像」展の新潟市開催を断念し、県立近代美術館(長岡市)での開催を決めた経緯などを説明した。また、自ら30%減給1カ月、副市長についても10%減給1カ月の処分とする意向を表明した。

● 新潟・仏像展、新潟県立近代美術館(長岡市)で開催(2010年3月17日)
 新潟市美術館で4月に開催する予定だった「奈良の古寺と仏像」展をめぐり、文化庁が「国宝の展示を許可しない」との方針を打ち出していた問題で、新潟市は会場を新潟県立近代美術館(長岡市)に変更して開催することで文化庁の了解を得た。
 同美術館は、文化庁の許可がなくても国宝や重要文化財が展示できる公開承認施設に指定されており、過去に国宝の展示実績もあることから、同庁も会場の変更には支障がないと判断した。
 新潟市によると、前売りチケットが3月12日現在ですでに3500枚販売されているが、販売済みの券は近代美術館でも使えるようにし、同館での観覧を望まない人には払い戻すという。

● 滋賀・三井寺で秘仏如意輪観音坐像を開帳(2010年3月17日)
 滋賀県大津市園城寺町の三井寺は、3月17日から4月18日まで、秘仏如意輪観音坐像(重文)開帳している。
 如意輪観音坐像は平安時代(10世紀ごろ)の作で、像高91.6cmの寄木造。2008年に近畿2府4県と岐阜に点在する霊場「西国三十三所」を巡礼した花山法皇の千年忌に合わせ、各寺院が秘仏を公開する「結縁開帳」の一環。次に開帳されるのは2043年の予定。

● 静岡・智満寺慈恵大師坐像を県有形文化財に指定(2010年3月16日)
 静岡県教育委員会は、島田市千葉の千葉山智満寺所蔵の慈恵大師坐像を県の有形文化財に指定した。
  智満寺の慈恵大師坐像は、像高83.3cmの寄木造で、写実性などの特徴から鎌倉時代後期の作とされている。両まゆをつなげ表情の険しさを印象づけ、目の 周りを深く彫り込んだ造りも、慈恵大師の特徴を伝えていると評価された。鎌倉時代の肖像彫刻は県内では極めて希少という。
 智満寺は5月31日までの土日祝日、慈恵大師坐像を納めた本堂を一般公開している。

● 京都・法勝寺跡九重塔基礎確認(2010年3月12日)
 京都市左京区の市動物園敷地内で、平安時代後期の1077年に白河天皇が建立した法勝(ほっしょう)寺の八角九重塔の基礎部分とみられる跡などが見つかった。
 基礎部分は、地下2mの位置に通常の基礎工事で使われる石より大きい直径約70cmの石や粘土で、基壇下の地盤を強化したとみられる跡が見つかり、痕跡から基礎の1辺は12.5mとわかった。
 平安後期には、東寺五重塔(京都市、現在の高さ55m)や、東大寺大仏殿(奈良市、同47m)があったが、室町時代の文献には高さ27丈(81m)とあり、当時国内では最高層の建造物だったとされる。
 室町時代に法勝寺が失われて以後も基壇部分だけが地上に残り、戦前は動物園の休憩所になっていたが、戦後、進駐軍によって地表部が削られ、その後正確な位置が特定できていなかった。
 京都市は4月以降に本格的な発掘調査を行う。

● 京都府指定等文化財に舞鶴市満願寺の十一面観音坐像など指定(2010年3月12日)
 京都府教委は、舞鶴市満願寺の十一面観音坐像など計11件を、新たに府指定等文化財とすることを決めた。
 十一面観音坐像は建保6年(1218)、大仏師僧寿賢が造立、作者や年代が判明する鎌倉前期の観音坐像として貴重。不動明王、毘沙門天像は三尊形式を整え、ほぼ同時期の制作とみられる。

 指定・登録・選定されたのは次の通り。
【有形文化財・建造物】
東山区の建仁寺法堂(はっとう)法堂、浴室、大鐘楼など9棟。
斎(いつき)神社本殿(綾部市)
【同・美術工芸品】
絹本著色弥勒下生変相図(左京区、妙満寺)
▽絹本著色虚堂智愚(きどうちぐ)像(北区、瑞峯院)
▽木造十一面観音坐像、木造不動明王・毘沙門天立像(舞鶴市、満願寺)
▽亀山藩史料(亀岡市)
▽赤坂今井墳墓出土品(京丹後市)
【無形民俗文化財】
東一口(ひがしいもあらい)の双盤念仏(久御山町、安養寺双盤念仏保存会)
【名勝】楽々荘庭園(亀岡市、個人)
【文化的景観】
▽宮津市上世屋の山村と里山(宮津市)
▽向日市西ノ岡の竹の径(みち)・竹林景観(向日市)

● 滋賀・大津市文化財に若王寺大日如来坐像など指定(2010年3月10日)
 滋賀県大津市教委は、昨年6月に像内部から文書が見つかった若王寺(にゃくおうじ)(大石中)本尊の木造大日如来坐像と、1992年に上仰木遺跡(仰木)から発掘された土器類7点を、市指定文化財にすることを決めた。
 大日如来坐像は像高91cm。像内に承暦四年(1080)などの墨書銘があり、平安時代後期の同年に造られた可能性が高い。年号の墨書がある仏像としては、県内では5番目に古いという。
 上仰木遺跡の出土品は、大津市歴史博物館(御陵町)で4月25日まで展示される。

● 新潟市美術館問題
 新潟市美術館で4月24日から6月13日に開催予定の「奈良の古寺と仏像展」に対し、文化庁が同館の管理態勢に問題があるとして国宝と重要文化財の展示を認めないとしている問題について、現在までの経緯を纏めた。

○ 新潟市美術館仏像展予定通りの開催求める(2010年3月13日)
  新潟市美術館で開催予定の「奈良の古寺と仏像」展をめぐり、文化庁が同館の管理態勢に問題があるとして国宝と重要文化財の展示を認めないとしている問題 で、篠田昭市長は管理・運営マニュアルの改定作業を行い、12日、文化庁で合田隆史次長に会い、強化した管理マニュアルなども提出した。また、3月末に更 迭予定だった北川フラム館長を同日付で解任し、篠田市長が6月13日の同展閉幕まで自ら館長を務める管理強化策を示し国宝展示に理解を求めたが、文化庁側 は即断を避け、結論は先送りし、実務レベルでの協議を重ねる方針を示した。
 文化庁は、再発防止策を作ったにもかかわらず、同じような問題が発生したことから、管理態勢に強い懸念を抱き、体制を見直すには、最低1年間は必要としている。
 しかし、新潟市はすでに前売り券の販売を始めていることから、4月からの開催を目指す方針を変えておらず、両者の主張は平行線をたどったままだ。

○ 新潟市美術館展示中止し殺虫急ぐ(2010年3月10日)
 新潟市美術館で行われる予定の「奈良の古寺と仏像」展について、文化庁が管理態勢の不備を指摘視して、国宝などの展示は許可しないとしている問題で、新潟市は14日以降の美術館の展示をすべて中止し、全館清掃、殺虫作業に入ることを決めた。
 市美術館は昨年11月には、十日町市出土の国宝・火焔(かえん)型土器の展示を実現しただけに、篠田市長は「仏像展実現に全力を尽くす」としている。

○ 文化庁が新潟市美術館での国宝展示認めず(2010年3月10日)
 新潟市美術館で4月24日から6月13日に開催予定の「奈良の古寺と仏像展」で公開予定の国宝や重要文化財15点について、クモが見つかるなど美術館の管理体制に問題があるとして、文化庁が展示を認めない方針を市に伝えていた。
 市美術館では、昨年7月に展示品にカビが発生し、今年2月には展示室でクモが確認されるなど、管理体制の甘さが指摘されていた。
  市文化政策課によると、同展では平城遷都1300年を記念し、仏像など43点の展示を計画。文化庁の許可が必要なのは、中宮寺・国宝菩薩半跏像や法隆寺・ 観音菩薩立像、東大寺・弥勒菩薩立像など重要文化財13点で、同展の目玉となっている。すでに前売り券の販売を始めているが、許可されなければ中止の可能 性もあるという。
 
○ 新潟市美術館で東文研が再調査せずに国宝の貸し出し書類を発行(2010年3月9日)
 新潟市美術館(北川フラム館長)の企画展示室内でかびに続き、虫が発生した問題で、新潟市美術館の環境調査をした東京文化財研究所(東文研)が、国宝などの展示に必要な書類を虫が確認される前に発行していたことが分かった。
 書類は展示の「お墨付き」になるが、東文研は「担当の学芸員との信頼関係は確立されている」として、改めて環境調査をせず書類は有効との考えを示している。
 東文研に新潟市美から虫が発生したという連絡があったのは2月26日。酸化エチレン系の薬剤で企画展示室の全3室を殺虫濃度での燻蒸をするよう指示したが、9日現在実施されていない。

○ 新潟市美術館管理体制を問題視し館長を更迭(2010年3月8日)
 新潟市美術館で展示作品にかびが発生したり、企画展示室でクモや昆虫が確認されたりするトラブルが相次いだ問題で、篠田昭市長は北川フラム館長を更迭すると発表した。
  篠田市長は、同美術館で4月24日から開かれる企画展「奈良の古寺と仏像」を前に、「仏像展を確実に成功させるため、非常勤の北川館長は3月31日の任期 満了をもって職を解き、新年度から常勤館長を置くことにした」として、同館のこれまでの管理体制を問題視したことを示唆した。
 北川氏はアートディレクターとして国内外の美術展、芸術祭のプロデュースを数多く手がけ、同市でも2009年7〜12月に開かれた「水と土の芸術祭」のディレクターを務めた。2007年4月から館長を務めていた。

○ 美術館展示品にクモ(2010年3月4日‎)
 新潟市美術館で開催中の企画展「新潟への旅」で企画展示室に展示した「エコ電動カート」からクモや甲虫類の昆虫が発生したことが解った。
 2 月16〜26日に同室内でクモ30匹、その他の虫4匹が確認されたという。クモは職員らで駆除し、電動カートは屋外展示に切りかえ、収蔵品への影響はない としている。このトラブルは先月26日に北川氏に報告されたものの、クモは文化財を損傷する害虫には指定されていないため、市には報告されなかった。

○ 新潟市美術館、土アートでカビ発生(2009年7月30日)
 新潟市美術館(新潟市中央区西大畑町、北川フラム館長)で行われている「水と土の芸術祭」に展示中の土製作品にカビが発生している可能性が高いことが分かった。
 問題となったのは、左官職人でもある久住有生さんの作品「土の一瞬」。わらを混ぜた土を塗った高さ2m、幅9m、厚さ60cmの土壁状だ。乾燥して土がひび割れていく過程も見どころという。
 展示中に最大で直径9mmの白いカビ状のものが20カ所以上確認された。展示室は、日中は湿度55%に保たれているが、空調を止めていた夜間は、梅雨の影響もあって約80%まで上がっていたという。
 美術専門家は「水分を含んだ作品を美術館内に持ち込むのは非常識」と指摘。館内で制作された巨大な作品だけに運び出すのも難しく、対応に苦慮している。

● 広島・浄土寺方丈と茶室 今月完成(2010年3月4日)
 尾道市東久保町、浄土寺で天皇の使者などの接待に使われた「方丈」と茶室「露滴庵(ろてきあん)」の2棟が今月、完成する。
 浄土寺では、2008年1月から庫裏・客殿や山門など建造物6棟(いずれも重文)を改修する「平成の大修理」を進めている、
 方丈は、寄せ棟造りの本瓦ぶきで、元禄3年(1690)に尾道の豪商、橋本家が建てたが、木材が雨漏りで腐る全体的にゆがみが生じていたため、建物を半解体。瓦や床板も、元の部材を最大限利用して直した。
 方丈では、本尊の釈迦如来坐像を建物内に戻す「還座(げんざ)式」が3月24日から営まれる。する。

● 広島・   磨崖和霊石地蔵 補修へ(2010年3月1日)
 広島県三原市鷺浦町の佐木島にある県重文「磨崖和霊石地蔵(まがいわれいしじぞう)」(高さ約1メートル)の表層部で風化が激しくなり、補修のための準備作業が行われた。
 和霊石地蔵は、向田港桟橋近くの波打ち際にある花こう岩(高さ約2.7m、幅約4.6m)に彫り込まれた坐像。1300年に仏師念心が作ったとされる。
 満潮時には岩の半分が海中に沈むため、海水の塩分が原因で表層部がはがれ落ち、地蔵の表情や刻まれた文字が読み取りにくくなっているため、補修することになった。

● 福島・願成寺本堂・旧阿弥陀堂・山門など県重文に(2010年03月02日)
 福島県文化財保護審議会は、喜多方市の「願成寺本堂・旧阿弥陀堂・山門」など3件を重要文化財に、いわき市の「絹谷の獅子舞」など2件を重要無形民俗文化財に、下郷町の「八幡のケヤキ」1件を天然記念物に、それぞれ指定するよう県教委に答申した。

● 滋賀・休館中の琵琶湖文化館に寺社から寄託相次ぐ(2010年2月25日)
 滋賀県大津市県立琵琶湖文化館に寺社などから文化財の寄託が相次いでいる。
 琵琶湖文化館は、財政難を理由に2008年4月から休館中だが、国宝18点をはじめ、重要文化財も187点を含む5057点を収蔵しており、収蔵数は全国6位。
 休館後も2009年12月には、金剛輪寺がお経や古文書など2624点を寄託するなど、2010年1月末には7695点に増加した。
 仏像などの盗難が頻発する中、社寺の管理者の高齢化が進むなどの背景もあるが、自前の収蔵庫を持つ石山寺も文化館のニーズを示すことで滋賀の文化財の県外流出を防ぎたいという主旨で昨年末、国宝1点と重文1点を寄託した。
 滋賀県では県内に歴史博物館は不可欠で、代替地を含め2年後までには方針を出したいと話している。

● 大分県文化財に、竹田市山田地区阿弥陀三尊像など7件指定(2010年2月24日)
大分県は、竹田市山田地区阿弥陀三尊像など有形文化財6件と史跡1件を文化財に指定した。
指定文化財は次の通り。
 ◇有形文化財(彫刻)
 阿弥陀如来坐像(彫刻)
 竹田市の笹尾自治会山田地区所有。像高85.8cm。平安時代、京都の仏師工房で制作されたと見られ、和様彫刻の伝統を伝えた仏像として優れている。
 観音菩薩立像(彫刻)
 同地区所有。像高98.7cm。平安時代後期に阿弥陀如来坐像の脇侍仏として制作された。坐像と共通する作風を持つ。
 柞原八幡宮(建造物)
 本殿や宝殿、八王子社など10棟。南から楼門と回廊、拝殿、申殿(もうしでん)、本殿を一直線に並べた建物の配置など宇佐神宮との共通点が多く、文化財として価値が高い。
 旧大原家住宅(建造物)
 飯塚遺跡出土品(考古資料)
 惣町大帳及び市令録(歴史資料)
 ◇史跡
 相原山首遺跡

● 京都・浄瑠璃寺で三重塔初重壁画をパネルで展示(2010年2月24日)
 京都府木津川市加茂町の浄瑠璃寺で、三重塔(国宝)の内部にある三重塔初重壁画(平安時代、重文)の一部が同寺内でパネル展示されている。
  塔は今年度から屋根のふき替えに際して、初層内部の天井部分などの修理をする。内部の壁画は剥落も激しく、工事による損傷も予測されるため、デジタル高精 細画像として撮影。その写真使って、原寸大のパネルを作成した。パネルは西面壁画と北面壁画の一部で、普段は見ることのできない十六羅漢像や樹木や僧侶が 上を見上げている様子が描かれており、柱には八方天も描かれている。また、本堂内には、塔の天井に使われ宝相華紋の彩色が施されている小組と折り上げの実 物も展示している。
4月4日まで。

●    中国河北省で1000年前の石仏が出土(2010年2月23日)
 中国河北省衡水市故城県鄭口鎮周辛荘村で、1000年以上前に作られたとみられる釈迦牟尼の石像・石板が出土した。
 唐代(618−907年)の作風で、精緻で華麗な彫刻がみられる。
 上段中央に釈迦牟尼が刻まれ、周囲には仏弟子や信者、天蓋部分には諸天などがえがかれている。釈迦牟尼の下方には獅子が描かれ。その下には琵琶(びわ)、排簫(パン・フルート)、笙の奏楽の様子が描かれている。

● 東大寺法華堂須弥壇修理(2010年2月22日)
 奈良市の国宝・東大寺法華堂で地震対策などで須弥壇が初めて本格修理される。
 大仏殿東側にある法華堂は「三月堂」とも呼ばれ、大仏殿創建以前に建てられた東大寺最古の建物。
 内陣には本尊・不空羂索観音像や金剛力士像、四天王像などの乾漆像や、日光・月光両菩薩像や執金剛神像などの塑像など16体が安置されており、内12体が天平美術を代表する国宝、4体は重文指定を受けている。
 板張りの須弥壇は鎌倉時代の作とされ、シロアリの被害などで傷みが激しく、床下にジャッキを入れて補強している状態。地震対策が課題となり、3年計画で須弥壇と仏像の修理を行うことになった。
 国宝・重文の全仏像は一時的に移動。5月18日〜7月31日は法華堂の拝観は停止される。日光・月光両菩薩像など塑像(そぞう)4体は2011年10月以降、建設中の寺総合文化センターに半永久的に移す予定。

● 香川・円光寺の不動明王坐像、平安中期の作と判明(2009年11月26日)
 香川県東かがわ市水主の円光寺に安置されている不動明王坐像が、平安時代中期(10世紀後半)に作られたことが分かった。
 像は像高53cm、カヤ材の一木造。両眼を見開き、唇をかみしめるなどの表情が平安時代の前期〜中期(9〜10世紀)の弘法大師様と呼ばれる形式と一致。さらに広く分厚い膝やがっちりとした体格、輪郭の太い耳などから10世紀後半の作と特定できるという。


 像は表面が後世に塗り替えられているほか、左耳前の弁髪が欠けていたり、右手の剣も後から付けられているが、全体的に保存状態は良く、制作当時の姿をとどめている。


  また、像底に「大水主社護摩堂本尊」との文字が書かれており、かつて水主神社(同市水主)の護摩堂に安置されていたとみられることも判明。その後、明治 時代の神仏分離で中村・北山(水主)地区の大師庵に安置されたと考えられ、庵の老朽化で2007年からは円光寺に移されている。
 この時代の不動明王像の作例は全国的にも珍しく、四国でも最古級と見られる。

● 静岡・楠木遺跡から大量の瓦片発掘(2010年2月20日)
 静岡県浜松市北区三ケ日町の楠木(くすき)遺跡から、古代寺院に使われていたとみられる瓦片の発掘が相次いでいる。
 瓦の文様などから、約1300年前の白鳳期から奈良時代にかけての寺院に使われた瓦とみられ、発掘された瓦片は約400kg以上にも達しており、建てられていた廃寺がかなりの規模だったことを裏付けるとみている。
 これまで古代廃寺からの瓦片出土は、数点ほどが確認される例がほとんどで、今回の大量発掘は、県内でも珍しいという。

● 京都・南禅寺所蔵高麗初雕大蔵経をデジタル化(2010年2月20日)
 日韓の研究者らが行っていた南禅寺所蔵の「高麗初雕大蔵経(こうらいしょちょうだいぞうきょう)」のデジタル化作業が終了した。
 大蔵経は仏教の経・律・論および、その注釈書などを纏めたもので、一切経とも呼ばれ仏教経典の集大成とされる。
  大蔵経は10世紀末に宋から高麗に伝来し、初版である初雕本の制作は1011年に開始された。しかし、朝鮮半島では元の襲来などで、多くが焼失したり、離 散したりした。一方、日本では室町時代、大蔵経の収集が始まり、1614年、徳川家康が南禅寺に約1800巻を集約させた。
 また、昭和9年(1934)日本で編纂された大正新脩大蔵経は、より広範囲に中国・日本撰述の典籍も含めたもので、既にデーターベース化されて公開されている。http://21dzk.l.u-tokyo.ac.jp/SAT/

● 奈良・中宮寺跡心柱立てる櫓の柱穴発見(2010年2月19日)
 聖徳太子が建立したとされる奈良県斑鳩町の中宮寺跡(国史跡)で、創建当初(7世紀前半)にあった塔の心柱を建てるために組んだやぐらとみられる柱穴2基が見つかった。
 櫓の柱穴は深さ80cmで、現在の中宮寺の東約400mにある塔の基壇跡から2か所見つかった。
 塔の基壇跡では1963、84年度の調査で、心礎を据えた穴の東側に幅約3mのスロープが見つかっており、心柱をスロープに横たえて、西側に組んだ櫓を利用して立てたことが判明した。
  今回発見された櫓の柱穴は基壇中央の地中に置かれた心礎(東西約1.75m、南北約1.35m)から西へ約50cmずれて南北に約5mの等距離にあった。 櫓は4本柱で組まれ、頂部に滑車のようなものを設置し、西側から綱を引いて心柱を建てたと考えられることから、今回発見された柱穴の西側にもさらに2か所 あったとみられる。
 また、塔は三重で、心柱とやぐらの高さは約20mと考えられるという。
 古代寺院で心柱の立て方が確認されるのは初めてで、古代に高い塔を建立した作業工程を解明するうえで貴重な成果となりそうだ。

● 奈良県斑鳩文化財センターがオープン(2010年2月16日)
 奈良県斑鳩町の藤ノ木古墳(6世紀後半、国史跡)のガイダンス施設、斑鳩文化財センターが3月20日、オープンする。
 藤ノ木古墳は法隆寺の西350mにあり、直径約50m、高さ約9mの円墳。被葬者はわかっていない。
  保存のため1985年に調査を始めたところ、全国でも珍しい未盗掘の古墳で、横穴式石室から、動物意匠が透かし彫りされた鞍や杏葉(ぎょうよう)などの馬 具、きらびやかな冠や太刀など副葬品約3万点が出土。細工技術やデザインに優れ保存状態も極めて良好で、2004年に国宝に指定された。
 出土品は県立橿原考古学研究所(橿原市)が保管していたが、ガイダンス施設「斑鳩文化財センター」が完成し出土品のレプリカや実物大の石棺を常設展示されることになった。
オープン記念の「里帰り展」が3月28日まであり、金銅製の馬具(国宝)など20種約30点が展示される。

● 神奈川・鎌倉市有形文化財に観音菩薩図、菩薩立像指定(2010年2月16日)
 鎌倉市教育委員会は、新たな市有形文化財として、市所有の絵画絹本著色観音菩薩図と、大船観音寺所有の菩薩立像を指定した。
 観音菩薩図は、縦約1m横約50cm。室町時代に鎌倉地方で制作されたとみられ、鎌倉における禅宗と観音信仰とのかかわりを示す資料として貴重と評価された。保管する鎌倉国宝館の平常展(2010年4月8〜25日)で展示、公開の予定。
 菩薩立像は、像高80cmの一木造りで、同寺境内の慈光堂の本尊。胴を細く絞って腰を強く張り出す特色を持つ一方で、穏やかな彫りであることから、市内には数少ない平安時代後期の制作とみられる。 菩薩立像は秘仏で、開帳は正月三が日と文化の日のみ。

● 観光大仏客呼べず倒壊の危険も(2010年2月12日)
 全国各地でバブル期を中心に観光客を呼び込むために競うように建てられた「観光大仏」の多くが、経営的に成り立たずにうち捨てられ、厄介モノになっている。
  兵庫県淡路島北東部の海岸沿いに、1982年に建てられた、高さ100m(台座部分が20m)の「世界平和大観音像」は、当初は観光バスが列をなし、1日 数千人が訪れたというが、2006年に施設は閉鎖。雑草が生い茂るなかで、表面のモルタルがはがれた仏像があわれな姿をさらしている。所有者が亡くなり、 だれが管理者なのかさえも、わからない状態という。
 また、大手タクシーグループの創業者が1987年に建立し、当時日本一の大仏として有名に なった福井県勝山市の「越前大仏」も、次第に客足は遠のき、2002年に臨済宗妙心寺派が施設を引き取り、末寺として管理しているが、門前に軒を連ねた土 産物屋や飲食店も、大半がシャッターを下ろしたままだ。
 石川県加賀市のJR加賀温泉駅を見下ろす丘の上にある金色の「加賀大観音」は、スーパー 経営者が1988年に建てたが、スーパーが1997年に経営破綻し、約4年前に大阪市の医療用器械販売会社が買い取り織田無道氏を住職に迎えたが、現在は 従業員も解雇され、織田氏も行方不明という。

● 福井・加多志波神社で追儺面が1年ぶりに開帳(2010年2月12日)
 福井県鯖江市川島町の加多志波(かたしは)神社で2月11日、「お面さま」と呼び親しまれている、木造追儺(ついな)面(重文)が1年ぶりに開帳された。
 追儺とは、節分に豆まきをして鬼を追い払う行事で、お面は父鬼、子鬼、母鬼の3つで、父面と子面は鎌倉時代後期の作とされる。雨ごいのご神体としてあがめられてきたという。

● 高松市文化財に観興寺阿弥陀如来立像(2010年2月11日)
 高松市文化財保護審議会は、同市室町の観興寺所蔵の阿弥陀如来立像を市の有形文化財に指定するよう、市教委に答申した。
 同阿弥陀如来立像は平安時代末期の12世紀の作。像高99.2cm。穏やかな面相部の表情や丸みを帯びたなで肩、流れるように浅い衣文線など、平安末期に流行した定朝様の特徴を色濃く残している。 


 像高約3尺の立像は平安末期の浄土教の隆盛とともに全国に造られ、香川県内では三豊市の威徳院(県指定)、丸亀市の安養寺(市指定)などがある。

● 京都市文化財に春日神社宝蔵も 新たに9件答申(2010年2月9日)
 京都市文化財保護審議会は、春日神社宝蔵(右京区)など計9件を市文化財として指定するよう答申した。
 答申を受けた文化財は次の通り。
◇有形文化財
【建造物】▽春日神社宝蔵1棟(同神社)
【美術工芸品】
 ▽祗園会(ぎおんえ)保昌山(ほうしょうやま)前懸(まえかけ)胴懸下絵(円山応挙筆)3隻(下京区・保昌山保存会)
 ▽大般若経599巻(左京区・久多自治振興会)
 ▽小倉町別当町遺跡出土・無文銀銭1枚(京都市)
 ▽平安宮内酒殿(うちのさかどの)跡出土「内酒殿」木簡1点(同)
 ▽平安京出土・人形代(ひとかたしろ)2躯(く)(同)
 ▽平安宮出土・和歌墨書土器1点(同)
 ◇記念物
【史跡】▽小野瓦窯(がよう)跡(左京区、崇道神社)
【名勝】▽角屋(すみや)の庭(玄関庭・東坪庭・中坪庭・西坪庭・座敷庭)(下京区・角屋保存会)

● 奈良・薬師寺東塔内陣を公開(2010年2月9日)
 奈良市の薬師寺で平城遷都1300年記念事業として、東塔(国宝)の内陣が4月8日から10月31日まで公開される。
 東塔は現在解体修理中の調査が行われているが、本格的な解体修理に入ると、2018年度まで塔の拝観ができなくなる。このため、1300年祭に合わせ、調査完了後、解体修理が始まるまでの間内陣を公開することにした。
 3月までに一度覆い屋が外され、11月に再び覆い屋がかけられる。

● 長野県県宝に開善寺の清拙正澄坐像など2件諮問へ(2010年2月9日)
 長野県県教委は飯田市の清拙正澄坐像(もくぞうせいせつしょうちょうざぞうと松本市の「桜ケ丘古墳出土品」(計64点)の2件を県宝に指定するよう、県文化財保護審議会に諮問することを決めた。

 清拙正澄坐像は14世紀後半の南北朝時代の作とされ、ヒノキの寄せ木造りで、表面は布を張った上に胡粉を塗り、彩色を施してある。

● 東大寺二月堂全焼時の様子、詳細に(2010年2月6日)
 奈良市東大寺の修二会(しゅにえ)の練行衆(れんぎょうしゅう)の日記「両堂記」(重要文化財)が、奈良国立博物館の特別陳列「お水取り」で初公開される。2月6日から3月14日まで。
 お水取りは今年で1259回目だが、二月堂は寛文7年(1667)の旧暦2月13日夜、法要が終わった後に火事で全焼した。
  両堂記には「燃え残る火煙をかき分けると、大観音にはがれきが一つも当たっていなかった。人々が集まってきて奇瑞に感涙する。秘仏であるので急ぎすだれで 覆い隠した」「行法を(隣接する)法華堂でするべきだが、道具がないので宿所でひそかに行った」などと全焼した時の様子が詳細に記されている。

● 薬師寺東塔、垂木腐食など(2010年2月2日)
 来春の解体修理に向けて事前調査が進む奈良市の国宝・薬師寺東塔(高さ約34m)で、塔の上部が初めて報道陣に公開された。
 屋根の裏板を支える垂木が腐食するなどの傷みが確認された。
 垂木の多くに風雨や虫食いによる穴やえぐれがあった。塔上部の銅製の相輪(長さ約10m)に、装飾物の風鐸(ふうたく)を取り付けるため約80か所に開けられた穴は、風鐸が揺れる際の重みのため、多くが変形していた。
 一方、朱の顔料が残っている部分もあり、建立当時の姿をうかがわせた。

● 高松塚古墳壁画「複数要因で劣化」文化庁検討会が報告書素案(2010年2月2日)
 奈良県明日香村の高松塚古墳(7世紀末〜8世紀初め)の国宝壁画の劣化原因を調査している文化庁の検討会は、保存管理上の問題でなど複数の要因が劣化を引き起こし、それをチェックする体制が欠けていたとする報告書の素案をまとめた。
 素案では、昭和と平成の2回、カビの大発生を引き起こしたことことに対し、昭和のカビ大発生(1980〜84年)は、石室内の温度上昇や、修理作業で使った樹脂や薬剤の選択、石室内への立ち入りなどが複合して起こったとした。
  また、石室解体へと進む契機となった平成のカビ大発生(2001〜02年)は、石室と保存施設をつなぐ「取り合い部」で起きた崩落を止める工事で、カビ対 策が不十分だったことが引き金となり、更に、カビ処理に伴う人の出入りが増えたことが、さらにカビを発生させた可能性を指摘した。
 文化庁では3月末までに報告書をまとめるという。

● 奈良・薬師寺東塔上層部に昭和以降落書き(2010年2月2日)
 10年間かけた本格的な解体修理が予定されている奈良市西の京の薬師寺の東塔(国宝、高さ約34m)の上層部で、昭和以降にいたずらで書かれたとみられる落書きが見つかった。
 落書きがあったのは最上層の屋根の上に立つ銅製の「相輪」。約10mの相輪の、下から約1mの位置に、相合い傘と人名や、岡山県にある大学名が引っかき傷のような線で書かれていた。
 上層部に行くには寺の許可がいるため、県教委は「どういう手段で書いたのか、分からない」と頭をひねっている。
 このほか屋根を支えるヒノキ材に空洞ができるなど大きな損傷も多数見つかった。

● 薬師寺天井の彩色は保存良好(2010年1月26日)
 来年から、1世紀ぶりに今秋から解体修理に入る奈良・薬師寺の東塔(国宝)で、塔内に描かれた彩色文様の調査が始まった。
  東塔は高さ34m。初層(1階)の天井やその周囲に格子状や長方形の板計370枚に、朱や青、緑などの極彩色で描かれた宝相華文と呼ばれる想像上の草花の 彩色文様がある。1964年に、当時の東京国立文化財研究所が彩色の剥落防止措置を施した。これまでの調査では、顔料が粉状になったり剥落しかけたりして いる部分が見つかった。
 解体修理の期間は10年間で、東塔には現在、事前調査のため仮設の足場を組んでいるが、3月下旬にいったん外して元の塔の姿を見られるようにするという。

● 新薬師寺金堂に新説(2010年1月25日)
 8世紀の大規模な金堂跡や乾漆像の破片が出土した奈良教育大(奈良市)構内の新薬師寺旧境内について、専門家が意見を交わすシンポジウムが開かれた。
  奈良教育大の山岸公基准教授は、「続日本紀」や「正倉院文書」の記述から、金堂内には7体の薬師如来像、それぞれの脇に日光・月光両菩薩像計14体が安置 されていたと紹介。さらに十二神将像と四天王像があり、少なくとも計37体の仏像があったのでは、との考えを示した。薬師如来像は坐像で像高約 210cm、両菩薩は約280cmとみられるという。
また、材質は調査で見つかった乾漆片から乾漆像で、両菩薩は塑像とみられるという。
  奈良文化財研究所の清水重敦景観研究室長は、発掘調査で分かった柱跡などから金堂の復元案を示した。金堂の建物は幅約60m、奥行き約16m、高さ約 13.2mと想定し、横幅が広く、屋根が低い、非常に異例な建物で、金堂正面には幅50.8mの階段が設けられたとし、安置された仏像と関係する儀式のた めに作られたのではないか、との考えを示した。

● 佐賀・肥前国庁跡資料館で瓦塔を展示(2010年1月23日)
 肥前国庁跡資料館(佐賀市大和町)で上和泉遺跡出土瓦塔(がとう)が、展示されている。
 瓦塔は木造建造物を粘土で模倣した仏塔で、奈良・平安時代、墓の近くに建てたり本物の木塔の代わりにしたなどと考えられている。
 展示した瓦塔は、8世紀後半から9世紀に作られたもので、1993年度に同市久保泉町の上和泉遺跡で塔の下から一段目の部分が出土した。大きさは高さ約38cm、幅約35cmで、九州で唯一、塔の底部がほぼ完全な形で残っている。

● 奈良・喜光寺で南大門落慶(2010年1月22日)
 奈良市菅原町の法相宗別格本山・喜光寺で、再建中の南大門がほぼ完成し、2階建ての丹塗りと土壁が約450年ぶりによみがえった。
 同寺は、奈良時代の高僧・行基が721年に建立。当初の伽藍は火災で焼失し、本堂は室町時代に再建された。詳細な記録は残っていないが、南大門も16世紀半ばに焼失したとされ、2008年から再建工事が進められていた。
 南大門は、幅、高さとも約12m、奥行き約9mのヒノキ製で、2階は写経された経典の納経蔵。両脇に据えられた仁王像は、5月1、2日行われる落慶法要で披露される。

● 奈良・興福寺の国宝館を全面改修(2010年1月16日)
 奈良市興福寺は創建1300年を記念して、国宝館を全面改修する。
 1959年の開館以来初めての事業で、ガラスケース越しにしか見られない現在の公開方法を見直し、照明を多方向からあててより身近に鑑賞できるようにする。改装後の展示数は、国宝45点(現在26点)、重要文化財19点(7点)となる。と現在の約2倍に増やす。
 1月18日から2月末まで休館、3月1日に再オープンする。

● 滋賀・石山寺、国宝と重文を琵琶湖文化館に寄託(2010年1月21日)
 滋賀県草津市の石山寺で、至宝二点が、滋賀県立琵琶湖文化館(大津市)に寄託された。
  寄託されたのは、歴代の座主しか見られないとされる淳祐内供筆聖教(しゅんゆうないくひつしょうぎょう)」(国宝、平安時代)と、県内最古の作品である絹 本著色(けんぽんちゃくしょく)仏涅槃(ねはん)図(重文、鎌倉時代)で、2008年4月から休館している琵琶湖文化館を支援する一環。
 県立琵 琶湖文化館では、休館を受け、寄託されていた金銅種子華鬘(けまん)重文2点が国に返還されるなど、文化財の県外流出も懸念された。しかし、仏像盗難の増 加などもあり、昨年12月25日現在、7695点(国宝18点、重文197点)が寄託され、昨年3月末より約2600点増えている。
 至宝を文化館に預けることで、他の文化財所有者にも安心して預け続けてもらい、また、調査研究や展示などで館の活動を活性化させたいという。

● 神奈川・鎌倉市で菩薩立像など2件を市有形文化財に指定(2010年1月20日)
 鎌倉市教育委員会は、絹本著色 観音菩薩図と菩薩立像の2件を、新たに市有形文化財に指定することを了承した。
 絹本著色 観音菩薩図は、正面を向いて岩に座る観音菩薩図で、室町時代の制作とされる。寸法は縦約100cm、横約50cm。市所有。
 菩薩立像は、左手で花瓶を握り、右手は下に伸ばして台座に立つ木像で、制作年代は平安時代。像高約80cm。大船観音寺(鎌倉市岡本)所有。

● 福井・ニソの杜を民俗文化財に(2010年1月16日)
 国の文化審議会は、福井県おおい町の「大島半島のニソの杜(もり)の習俗」を「記録作成等の措置を講ずべき無形の民俗文化財」に選ぶよう、文化庁へ答申した。
  ニソの杜は大島半島を開拓した24家の先祖を祭っているとされる場所で、半島内に32カ所ある。1軒で杜1カ所を祭ったり、数軒で1カ所または複数カ所を まつるなど管理方法は様々だが、住民らは11月22、23日に家族や集落でニソの杜に祭られたほこらに供え物をする 。 ニソの杜は、祭日以外は近寄って はならないとか、一人でお参りしてはならない場所とされ、木を切ることも禁じられていた。近年は社会構造の変化などで32カ所のうち、10カ所ほどで祭祀 が行われるだけになっているという。

● 新薬師寺跡で乾漆像の破片出土(2010年1月16日)
 奈良市高畑町の奈良教育大構内で、創建当初の仏像の破片が見つかった。
 仏像の破片は、2008年秋に発見された「七仏薬師堂」の基壇跡の南約50mの地点から出土し、縦3cm、横4cm、厚さ1.5cmの木糞(こくそ)漆と呼ばれる素材で、衣のひだとみられる。
 新薬師寺は、光明皇后が聖武天皇の病気平癒を祈って建てられた寺で、創建当初に乾漆像があったことを示す貴重な発見。乾漆像は高価であることから、本尊の薬師如来像の一部の可能性もあるという。
 出土品は、1月23日、24日に奈良教育大学教育資料館で展示される。

● 大分・熊野磨崖仏で菌類の除去(2010年1月12日)
 大分県豊後高田市田染平野の熊野磨崖仏(重文)で、顔や胴体部分に付いていた菌類を落とし、元の姿が蘇った。
熊野磨崖仏は、巨岩壁に国内最大級の磨崖仏の大日如来像(像高7m)と不動明王像(像高8m45cm)が刻まれている。
 約10年前から2体の顔や胸、腹部に黄色いシミのようなものが目立ち始め、2005〜8年に調査したところ、黄色いシミのようなものは「地衣類」と呼ばれる菌類の仲間で、このままでは表面の風化が進むことが判明。昨年8月から殺菌照射や再着生防止などの修理を施した。
 熊野磨崖仏は1976〜79年に表面を樹脂で補強する作業を行ったが、生物類の除去は初めてという。
 

● 奈良・茶臼山古墳国内最長のガラス製管玉も出土(2010年1月7日)
 国内最多の銅鏡が出土した奈良県桜井市の国史跡、桜井茶臼山古墳で、当時としては国内最長の長さ8cmのガラス製管玉(くだたま)が見つかった。
 管玉は薄緑色の鉛バリウムガラス製で長さ約8cm、直径約7mm。これまでは吉野ケ里遺跡(佐賀県)で出土した68cmの管玉が最大だった。
  当時は中国から輸入したガラス製品を溶かし、心棒に巻き付ける手法で作るのが一般的だった。国内では高温で加工する技術がなかったため、ガラスに気泡を多 く含んでいるケースが大半だが、今回見つかった管玉には気泡がほとんどなかった。高温で鋳造した上質の中国製ガラス棒の両端から穴を開けたとみられる。

● 奈良・茶臼山古墳国内最多81面分の銅鏡の破片出土(2010年1月7日)
 奈良県桜井市の桜井茶臼山古墳(3世紀末〜4世紀初め)から銅鏡の破片が大量に見つかり、少なくとも13種、81枚の銅鏡が埋葬されていたことがわかった。
  茶臼山古墳では、2009年に石室がある墳丘頂上部の土中から鏡片331点を発掘。大半が1〜2cmの細片で、度重なる盗掘で割られたらしい。
  破片のうち180点はまだ分類できておらず、鏡の総数はさらに増える可能性があるという。古墳出土の鏡ではこれまで最多だった平原(ひらばる)1号墓(福 岡県前原市)の40面を大幅大幅に上回り国内最多。邪馬台国の女王・卑弥呼が中国・魏から鏡などを贈られた「正始元年」(240)の年号入りの鏡と同じ鋳 型で作られた三角縁神獣鏡の破片も確認された。奈良県では初の出土で、権威の象徴とされる銅鏡を大量に持っていたことから、大王の政治力の強大さや、邪馬 台国と初期大和政権の関係などを考える一級の史料となりそうだ。
 遺物は奈良県立橿原考古学研究所附属博物館(奈良県橿原市)で開催される速報展『再発掘 桜井茶臼山古墳の成果』で一般公開される。

● 平城遷都1300年祭開幕(2010年1月1日)
 奈良県内で今年1年間にわたり催される「平城遷都1300年祭」が新年とともに開幕した。
  オープニングイベントは、12月31日深夜から1月1日未明にかけて、東は青龍会場の室生寺(宇陀市)、西は白虎会場の信貴山朝護孫子寺(平群町)、南は 朱雀会場の金峯山寺(吉野町)、北は玄武会場の奈良公園(奈良市)でそれぞれ行われた。今後1年をかけて主会場の平城宮跡(奈良市)で復元された大極殿完 成式典など、県内各地で約1500のイベントが催される。



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