特選情報2011
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● 大分・柞原八幡宮本殿など、国の重要文化財指定へ(2011年4月15日)
 国の文化審議会が、大分市八幡の柞原八幡宮の本殿などを国の重要文化財に指定することを答申した。
 答申されたのは、大火で全焼した後の2年(1752)〜明治3年(1870)年に再 建された本殿や楼門など10棟と絵図面など。楼門と申殿と本殿が一直線になるなど宇佐神宮(宇佐市)の様式を模範にしながら、江戸後期以降の大分や宮崎の 建造物にみられる特徴を持つ点が評価された。
 本殿の縁に脇社を設け、楼門には唐破風付の庇(ひさし)をつけられるなどが珍しく、県教委文化課は「古いモデルに近世的な形式が加わっている点など、重要な建築物」としている。

● 聖徳記念絵画館など8件答申(2011年4月15日)
 文化審議会境内 の建物配置や社殿の形式が特徴的な「柞原八幡宮」(大分市)や、明治神宮外苑の中心施設である「聖徳記念絵画館」(東京都新宿区)など8件の建造物を重要 文化財に指定し、愛知県豊田市の足助地区など3地区を重要伝統的建造物群保存地区に選定するように答申した。
 柞原八幡宮は、本殿が屋根を二つ前後に並べた八幡造りと呼ばれる珍しい形式。本殿周囲の楼門などの配置も独特で、九州地方の神社建築を理解する上で価値が高い。
 聖徳記念絵画館は1926年完成。日本の最初期の美術館建築で、当時の先駆的な技術が取り入れられている。
 豊田市の足助地区は、尾張や三河と南信濃をつなぐ物資の中継点として古くから発展。江戸時代以来の重厚な町家が多数残り、山間部の商家町の姿を伝える。 
 答申内容は次の通り

 【重要文化財の指定】
▽旧高橋家住宅主屋など7棟(岩手県奥州市)
▽聖徳記念絵画館1棟(東京都新宿区)
▽明治神宮宝物殿中倉など13棟(東京都渋谷区)
▽旧外川家住宅主屋など3棟(山梨県富士吉田市)
▽片倉館浴場など2棟(長野県諏訪市)
▽旧三井家下鴨別邸主屋など2棟(京都市)▽旧村山家住宅洋館など6棟(神戸市)
▽柞原八幡宮本殿など10棟(大分市)
 【重要文化財の指定の解除】
▽旧住友家俣野別邸1棟(横浜市)
 【重要伝統的建造物群保存地区の選定】
▽南会津町前沢伝統的建造物群保存地区(福島県南会津町)
▽豊田市足助伝統的建造物群保存地区(愛知県豊田市)
▽萩市佐々並市伝統的建造物群保存地区(山口県萩市)

● 熊本・本妙寺仁王門を国有形文化財へ答申(2011年4月9日)
 文化審議会は、熊本市花園の本妙寺仁王門を国の有形文化財(建造物)に登録するよう文部科学大臣に答申した。1920年建立の鉄筋コンクリート造りで、関東大震災(1923年)以前のコンクリート建築が現存するのは県内では珍しいという。
 仁王門は福岡県旧小倉市の実業家、小林徳一郎(1870〜1956年)が私財を投じ、自身の建築会社「小林組」の技術の粋を集めて建立した。8本の柱がある「八脚門」で、アーチ状の装飾屋根やライオン像が和洋折衷の独特な雰囲気を漂わせている。
 コンクリート建築は関東大震災以降に全国に広まったが、仁王門建立当時はまだ珍しかった。答申では、熊本市街の歴史的景観に寄与し、モダンな発想が建築学的にも優れていると評価された

● 静岡・岩水寺地蔵菩薩立像を国重文に答申(2011年4月7日)
 静岡県浜松市浜 北区岩水寺の地蔵菩薩立像国の指定重要文化財に指定されることになった。登録有形文化財には「旧順天堂田中歯科地蔵菩薩立像は鎌倉中期の作と見られる。像 高165.3cmさのヒノキの寄木造り。歯と足のつめは水晶で、等身大の裸像に絹の衣服を着せた、まれな造り。造形的に優れている点も評価された。

● 宮城・国宝瑞巌寺8日から参拝再開(2011年4月7日)




 東日本大震災で、庫裏の壁が一部崩れた宮城県松島町同町の国宝の瑞巌寺が、8日から参拝が再開された。

● 神奈川・円覚寺の袈裟 重要文化財に(2011年4月7日)
 文化審議会は、鎌倉市の円覚寺に伝わる袈裟の伝法衣(でんぽうえ)と円覚寺仏殿造営図(鎌倉市所有)を、国指定の重要文化財にすることを文部科学大臣に答申した。
 伝法衣は5領(枚)。中国の南宋(1127〜1279年)から元(1271〜1368年)の時代を表す絹織物。透かし紋のある顕紋紗(けんもんしゃ)の文様表現などはこの時代の特徴を示しており、染織史上は極めて重要という。
 円覚寺仏殿造営図は安土桃山時代に制作された精密な設計図。鎌倉五山である円覚寺の仏殿を再興するための建地割図(たてじわりず)(断面図)と指図(さしず)(平面図)からなる。裏書きにより元亀4(1573)年の作と確認できる。
 禅宗様の代表的な建築である中世五山仏殿の構造形式を細部まで伝えている唯一の図になっている。建築史、禅宗文化史で史料価値が高いという。

●    埼玉・林泉寺で聖観音菩薩像開帳(2011年4月12日)
 埼玉県越谷市増林の林泉寺で17日、年に一度の聖観音菩薩像(県文)御開帳が行われる。
 ご開帳は午前8時30分から始まり、午前10時30分から行われる写経・写仏会は参加費無料で昼食付き。

● 東日本大震災の文化財被害443件に(2011年4月3日)
 東日本大震災で損傷・倒壊したり、津波にのみ込まれたりして被害を受けた文化財は3日現在443件。行政が人命救助や復興などに追われ、被害の修復が進んでいないのが実情で、修復が不可 能なものも少なくない。
仙台藩・伊達家の菩提寺として知られる宮城県松島町の瑞巌寺では、庫裏の「しっくい壁」と呼ばれる白い壁には、地震で1〜2mのひび割れが無数にできており表面が大きくはがれ落ちている。
 しかし、石灰などを混ぜた特殊な塗り物で固められた壁の修復は、京都や奈良などの伝統技術を持つ左官業者にしかできず、修理の見通しすらたっていない。
 仙台市青葉区では、やはり国宝の大崎八幡宮の板壁や漆塗装、彫刻が破損した。
 茨城県では水戸藩の藩校だった「旧弘道館」で、徳川斉昭の和歌が彫られた「学生警鐘」と呼ばれる鐘楼が全壊するなどの被害が出ている。鹿嶋市の鹿島神宮本殿では表参道にある高さ約10mの石造り大鳥居が根元から折れて倒壊した。
 明治38年(1905)年に思想家・美術評論家の岡倉天心が北茨城市の断崖に建てた「茨城大学五浦美術文化研究所六角堂」は津波で土台だけ残し消失した。
 福島県いわき市では、白水阿弥陀堂でも扉まわりに軽い破損が見つかった。
 文科省が把握しているのは、国宝や重要文化財など主な文化財の被害のみ。それ以外の 文化財については、どれぐらいあるかも分からないのが実情だ。文科省では4月から被災地で、自治体レスキュー隊と協力して、文化財を探し、保護する「文化 財レスキュー事業」もスタートさせたが、実際にどれだけ保護できるか見通しはたっていない。

● 文化財レスキュー事業 実施へ(2011年4月2日)
 文化庁では東日本大震災で被害を受けた土器や仏像など、美術工芸品の実態を把握し、応急処置を施すための「文化財レスキュー事業」を始める。
 建物のほかに土器や仏像などの美術工芸品についても情報を集めているが、特に国が指 定するもの以外で被害の実態が把握できておらず、多くの文化財が津波で流された可能性もあるという。文化庁では、今後、時間がたつと被災した文化財の発見 や修復が難しくなるおそれがあるとして、被害の把握と、必要に応じて応急処置などを施す「文化財レスキュー事業」を始める。調査の対象は青森、岩手、宮 城、福島、茨城の5つの県で、まず来週にも宮城県に入って作業にかかる予定。

● 奈良・国重文へ 東大寺法華堂「木造天蓋」など3件答申(2011年3月30日)
 文化審議会は」東大寺法華堂の天蓋、僻案抄(へきあんしょう)東大寺聖教(しょうぎょう)の3件を重要文化財に指定するよう文部科学相に答申した。
 東大寺法華堂の木造天蓋天井で仏像を飾る天蓋で、中央と東西の3面ある。須弥壇の修 理に合わせ明治時代以来初めて取り外して調査したところ、東西が奈良時代、中央が鎌倉時代に作られたことが確認された。中央に大きな蓮華、八方に小さな蓮 華があり、中心に銅の鏡を取り付けている。花をかたどった天蓋としては国内最古という。
 答申された文化財はつぎの通り。
▽天蓋 東大寺法華堂(奈良市)奈良時代、鎌倉時代
▽僻案抄 天理大(天理市)鎌倉時代
▽東大寺聖教 東大寺(奈良市)奈良時代〜江戸時代

● 長崎・国重文に「高麗版大般若経 五百八十六帖」答申(2011年3月29日)
 文化審議会は、長崎県立対馬歴史民俗資料館(対馬市厳原町)に寄託されている「高麗(こうらい)版大般若経(だいはんにゃきょう) 五百八十六帖」を重要文化財(美術工芸品)に指定するよう文部科学相に答申した。

● 奈良・文殊菩薩群像(重文)を公開(2011年3月26日)
 奈良市桜井市の 安倍文殊院は本堂の改修を終え、本尊・木造騎獅文殊菩薩(きしもんじゅぼさつ)像(鎌倉時代)など5体の「文殊菩薩群像」(いずれも重文)を公開した。群 像背後の壁を二重にし、和紙を貼って「白壁」に改装。地震に備えて菩薩像の上の天蓋を外し、光背もピアノ線で固定した。各像は昨年9月から、彩色の補修な どを施していた。
 堂改修では、照明を従来の蛍光灯から、熱を出さない16基のLEDに替えた。

● 京都・勝持寺旧境内で全長32mの石垣発見(2011年03月25日)
 京都市西京区大原野南春日町の勝持寺旧境内の発掘調査で、15世紀後半に築かれた石垣長さ32mが見つかった。
 同時期の石垣の発見例としては国内最大級という。
 京都第二外環状道路建設に伴い、今の境内東側の約3300平方mを調べた。石垣は東西に連なり、20〜70cmの石が高さ2.8mに積み上げられていた。出土した土器などから、室町時代後期にあった子院(塔頭)が、土地を造成した際に築いたことが分かった。
 同寺の江戸初期の絵図には49の子院が記され、石垣はその一つ「阿弥陀(あみだ)坊」の位置にある。市埋文研は「築城技術に発展する寺の石垣構築の系譜を考える上で貴重」という。

● 滋賀・千手院千手観音像など4件を重文指定(2011年3月23日)
 文化審議会は、長浜市川道町の千手院千手観音立像など5件を重要文化財に指定するよう部科学相に答申した。
 千手観音立像は、千手院に本尊の御代仏(身代わりの仏)として伝わったとされ、一昨 年秋に、梵鐘調査のため湖北の各寺を調査していた県教委文化財保護課が、県教委が2009年10月、釣り鐘の調査で同寺を訪れ、初めて確認した。
地元で は知られていたが写真資料などはなく、その後の調査で、仏像美術史上屈指の作品とわかった。
 平安時代の作で、高さ181.8cm。針葉樹材の一木造。十一面四十二臀。法華寺 (奈良市)の国宝、十一面観音像や、広隆寺(京都市)の国宝、千手観音像と共通の様式を持った長浜市内の黒田観音寺、日吉神社、来現寺の各重文の観音像と も様式が同じで、均整の美しさ、衣文(衣のひだ紋様)の流麗で、鋭い彫りなど、平安前期の湖北地方の観音像彫刻の作風を典型的に示す作品という。制作時期 は9世紀とみられる。同じ様式の本尊の隣の厨子に納められているが、明治三十四年三月に重文に指定された本尊より制作年代が古いという。文化庁によると、 市、県指定ないままいきなりの重文指定は極めてめずらしいという。
答申された文化財は次の通り。
▽千手観音立像 (長浜市川道町 千手院)
▽山王曼荼羅舎利厨子 (大津市 聖衆来迎寺)
▽県西河原遺跡群出土木簡 64点(県所有)
▽県西河原遺跡群出土木簡」 31点(野洲市所有)
▽銅造菩薩立像 (愛荘町、仏心寺)(重文聖観音立像の胎内仏)

● 岡山・大賀島寺千手観音立像など3件を重文指定等へ(2011年3月23日)
  文化審議会は、岡山県瀬戸内市邑久町豊原大賀島寺所有の千手観音立像を重要文化財にJR伯備線方谷駅駅舎(高梁市)と洞松寺(矢掛町)の本堂などを国登録有形文化財(建造物)にするように答申した。
大賀島寺の千手観音立像は像高122.7cm。42本の腕や厳しい表情がシャープに彫 られ、平安時代初期(9世紀初め)の優れた彫像と評価された。33年ごとに開帳の“秘仏”だが、重文指定を記念し、4月26日〜5月8日に東京国立博物館 の特別展で公開される。同寺での次回開帳は2018年。
答申されたのは次の通り。
◇国重要文化財(彫刻)
▽大賀島寺千手観音立像瀬戸内市
◇登録有形文化財(建造物)
▽洞松寺本堂など9棟1基(矢掛町)
▽JR伯備線方谷駅駅舎(高梁市)

● 栃木・妙顕寺の本堂が倒壊(2011年3月23日)
 栃木原高根沢町上柏崎の妙顕寺本堂が東日本大震災で倒壊した。 建替え後わずか13年だった。
 1998年4月、老朽化したため、奈良の薬師寺金堂などの再建に副棟梁として携わっ た矢板市出身の宮大工、小川三夫氏が設立した寺社建築会社「鵤(いかるが)工舎」(奈良県)に建て替えを依頼し完成した。小川さんは法隆寺宮大工の故・西 岡常一棟梁のただ一人の内弟子で、数々の寺院の建築や改修に当たってきた。
 幸い本堂に人はおらずけが人はなかったが、敷地内にある約40基の墓石はなぎ倒され、本堂の中の仏像もほとんどが壊れた。本堂の真下には地割れが入り、隣接する自宅も至る所にひびが入り、住める状態ではないという。

● 石川・八日市地方遺跡の出土品 国の重要文化財指定に(2011年3月22日)
 文化審議会は、弥生時代中期の集落跡とされる「八日市地方(ようかいちじかた)遺跡」(小松市)の出土品1020点を、国の重要文化財(考古資料)に指定するよう高文部科学相に答申した。
 JR小松駅東側に広がる約15ヘクタールの集落遺跡。約2300〜2000年前、河 川、潟湖(せきこ)と日本海を中継する水上交通の要衝として発達。当時の北陸で拠点的な集落だったとみられる。出土品は土器や石器、木製品など多岐にわた り、大規模な集落の生活を知る貴重な資料として評価された。
 中でも木製品は、魚や鳥をかたどった祭祀具が多数出土。農耕や漁、食事、武器など生 活全般に及び、未完成のものも多く、製作工程がうかがえる全国的にも貴重な遺物だ。首飾りなど装身具に使う「管玉」の材料となる碧玉(凝灰岩の一種)も、 塊から細かく加工されたものまで出土し、製作の過程を示している。

●  国宝含む295件の文化財が被害(2011年3月21日)
 東北関東大震災で被害を受けた文化財は、国宝に指定されている宮城県の瑞巌寺や福島県の阿弥陀堂など4件を含む、あわせて295件に上っている。
 文化庁によると、今回の震災でこれまでに被害が確認された国宝は4件で、このうち宮 城県松島町の「瑞巌寺」では、しっくいの壁の一部が崩落したり亀裂が入った。また、仙台市の「大崎八幡宮」や福島県いわき市の「阿弥陀堂」、山梨県山梨市 の「清白寺仏殿」でも、壁や彫刻が壊れるなどの被害が確認された。さらに、特別名勝や重要文化財などに指定されているもののうち、▽宮城県の「松島」が津 波で甚大な被害を受けたほか、▽茨城県の「旧弘道館」や、▽東京都の「旧浜離宮庭園」、「江戸城跡」などでも石垣が崩落するなどしているという。さらに、 世界遺産に登録されている栃木県日光市の「東照宮」などでも石塔が倒れている。文化庁では、今後、現地に職員を派遣して被害状況を確認したり、文化財の修 復のための費用を補助することにしている。

● 熊本・本妙寺仁王門が国の登録有形文化財へ (2011年3月21日 )
 熊本市本妙寺の仁王門が、国の有形文化財に答申された。
 仁王門は、本妙寺の参道入り口に立つ幅13m奥行き6.4m高さ15mの鉄筋コンクリート造りの門で、1920年に建立されました。
 鉄筋コンクリートは、1924年の関東大震災以降に全国的に普及し、それ以前のもので現存するものは数少なく、技術の高さをうかがい知ることができる。
 8本の柱からなる門で、切妻屋根の前後に丸みを帯びた装飾軒唐破風をつけるなど日本の伝統様式を受け継ぎながらも、洋風の写実的なライオン像を飾っていることや、軒唐破風をアーチ状にするなど独創的、かつ西洋の雰囲気が漂っている。
 熊本市街地の歴史的景観に寄与していること、時代を反映したモダンで自由な発想が随所に見られ、建築学的にも優れていることなどが評価された。

● 京都・東寺創建から移動せず築地塀調査で確認(2011年03月19日)
 京都市南区の東寺(教王護国寺)の境内を囲う築地塀(ついじべい)のうち、大宮通に並行している寺の東側の築地塀が、平安京の造営当初と同じ場所に建っていることが分かった。
 東寺は延暦15年(796)の創建以来、位置が変わっていないとされてきた。今回の調査で、東側の塀は、平安京遷都から現在まで位置に変化がないことが確認できたという。
 市埋文研は、東の築地塀のうち約1600mで東西方向に8本の調査用溝を掘った。塀の直下に、平安前期から江戸時代まで、版築(はんちく)と呼ばれる土をつき固めた層が幾重にも確認された。各時代で塀を造り替える際、同じ場所を守って塀を作ったとみられる。

● 長野・常楽寺御開帳、無期限延期(2011年3月20日)
 長野県上田市別所温泉の常楽寺は、4月29日〜5月3日に予定していた50年ぶりの北向観音御開帳を無期延期すると決めた。御開帳では、座主の晋山(しんざん)式のほか稚児行列、善光寺大本願・大勧進や浅草寺による法要などを予定していた。
 東日本大震災で多くの命が失われた状況に鑑み、延期の結論に至った。

● 愛知・名大豊田講堂など8件を重文に答申(2011年3月19日)
 文化審議会は有形文化財(建造物)に名古屋市千種区の名古屋大豊田講堂など8件を登録するよう文部科学相に答申した。
答申されたのは次の通り。
▽名古屋大豊田講堂(名古屋市千種区)
▽カトリック主税町教会(同市東区)の信者会館や司祭館など3件
▽石原家住宅(同市北区)
▽旧石原家住宅(岡崎市六供町)の主屋など3件

● 茨城・国、県文化財38件にも被害(2011年3月19日)
 東日本大震災により県内の国指定文化財16件、県指定22件が一部破損などの被害を受けていたことが分かった。
 国指定は建造物、史跡など、県指定は彫刻、建造物、史跡などが被災した。
 国指定では、小山市の史跡、祇園城跡(小山市所有)、同じく宇都宮市の飛山城跡(宇都宮市)でがけが一部崩落した。また宇都宮市の重要文化財、旧篠原家住宅(宇都宮市)はしっくいがはく落したりひび割れる被害があった。
 県指定では、益子町の木造阿弥陀三尊像(地蔵院)が倒れて頭部、腕を破損したほか、真岡市の銅燈籠(大前神社)、茂木町の細川家墓所(能持院)の石塔が倒れ一部損壊した。また矢板市の天然記念物、山田地区のチョウゲンボウ繁殖地(個人)で巣が落下した。
 このほか市町指定文化財などでも計68件の被災報告があった。

● 三重・誓元寺の光雲殿と寂照寺の金毘羅堂など7件を重文に答申(2011年3月19日)
 文化審議会は、誓元寺(四日市市赤堀2)の光雲殿と寂照寺(伊勢市中之町)の金毘羅堂など7件を有形文化財登録するよう答申した。
答申文化財は次の通り。
▽佐藤家文書(津市垂水)
▽誓元寺(四日市市赤堀2)の光雲殿
▽寂照寺(伊勢市中之町)の金毘羅堂
▽森家住宅主屋(亀山市野村町)

● 大阪・金剛寺大日如来坐像など2件を重文に選定(2011年3月19日)
 文化審議会は、金剛寺(河内長野市)の木造大日如来坐像と、近世建築史研究上価値が高いとされる大工頭中井家関係資料の2件を重要文化財に答申した。
  大日如来坐像は重要文化財多宝塔の本尊仏で高さは80cm。多宝塔建立が1178年、修造が1191年のため、このころ作られたとされる。光背に三十七尊 化仏を取り付ける姿は、高野山大伝法院本尊を写したものとみられ、31体の化仏が残って保存状態も良いという。柔らかな衣文線など洗練された藤原様式を基 調としつつ、随所に鎌倉時代の新様式の技法が見られる貴重な作品という。

● 静岡・岩水寺地蔵菩薩立像など3件を重要文化財に答申(2011年3月19日)
 文化審議会は岩水寺(浜松市浜北区根堅)の地蔵菩薩立像など3件を重要文化財答申する。
  地蔵菩薩立像は鎌倉中期の制作とされ、檜の寄木造りで像高165.3cm。目に水晶を入れる「玉眼」がはめられ、裸形に実物の衣をまとわせる、いわゆる裸 形着装像(らぎょうちゃくそうぞう)。唇をわずかに開いて水晶製の歯を見せ、足の爪も水晶で作られている。形式的な希少さに加え、造形の上でも非常に優れ ているとされている。
 地蔵菩薩立像は岩水寺の客殿(地蔵堂)に秘仏として安置されており、日ごろは公開していない仏像だが、4の「桜まつり」や、7月1〜3日の浜松市制100周年に合わせて客殿の扉を開く予定だという。
答申文化財は下記の通り。
▽地蔵菩薩立像 岩水寺(浜松市浜北区根堅)
▽旧順天堂田中歯科診療所兼主屋(しゅおく)(富士市吉原3丁目)
▽旧木村家住宅主屋(河津町峰)

● 京都・安祥寺の木造十一面観音立像など重文4件 文化審が答申(2011年3月18日)

 国の文化審議会は、近代美人画の第一人者上村松園の日本画「母子」など美術工芸品43件を重要文化財に、美術工芸品と建造物計194件を登録有形文化財に指定するよう木義明文部科学相に答申した。「母子」は、すでに重文に指定されている「序の舞」と並ぶ松園の代表作。
 京都では安祥寺(京都市山科区)蔵の木造十一面観音立像など重文4件と登録有形文化財15件、滋賀では重文4件、登録有形文化財15件が盛り込まれた。
  木造十一面観音立像は、像高252cm、カヤの一木造で、京都大の学術調査で衣文などの作風や技法から奈良時代後期の仏像とみられることが分かった。同時 代の木彫像としては国内最大級。安祥寺の創建(848年)よりも以前の仏像で、来歴は不明。額より上は後に造られたとみられるが、数少ない奈良時代の大型 木彫仏として貴重という。

● 東北地方仏像被害(2011年3月18日)
 5 月に岩手・宮城方面の仏像をめぐる計画をしていたことから、訪問予定であったお寺に電話で被害状況を確認した所、天台寺・黒石寺・成島毘沙門堂・立花毘沙 門堂・藤里毘沙門堂・二十五菩薩堂はいずれも被害は無いとのことでした。しかし、栗原市双林寺は重文の被害は無いものの、他の建物の天井が落ち、仏像が倒 れたとのことでした。
 現状は人命救助、ライフライン等の整備が優先でですが、一段落した所で文化財の調査も必要になると思います。

● 京都・法然に大師号「法爾大師」贈る 宮内庁(2011年3月16日)
 京都市東山区の浄土宗総本山・知恩院は、宮内庁から宗祖法然に対して「法爾大師(ほうにだいし)」の号が贈られたと発表した。法然の大師号は八つ目。
 大師号は高僧に対する尊称。法然には、元禄10年(1697)に「圓光(えんこう)大師」が贈られ、500年忌の宝永8年(1711)以降、50年に一度、大師号が贈られている。
 宮内庁によると、大師号は寺院からの「願い出」により同庁長官名で伝達する。直近では1972年、黄檗宗大本山・万福寺(宇治市)を開いた隠元隆g(いんげんりゅうき)に対し「華光(かこう)大師」の号を贈った。

● 宮城・国宝「瑞巌寺」の壁、4〜5カ所にひび(2011年3月14日)
 文部科学省は、東日本大震災のため、国宝の瑞巌寺(宮城県松島町)庫裏の壁にひび割れができたほか、重要文化財17件、史跡5件が破損するなど、文化財に被害が出ていると発表した。
 被害は同日午後1時現在で、今後も確認件数は増えることが予想される。

● 東京・江戸東京博物館の五百羅漢展が延期 (2011年3月14日)
 15日から江戸東京博物館で開催を予定していた「五百羅漢―増上寺秘蔵の仏画」展(日本経済新聞社など主催)は東日本巨大地震に伴う設備の点検のため、開幕を延期することになった。新たな開幕日は改めて決める。14日に予定していた開会式・内覧会は中止する。

●    山梨・県立考古博物館で重文土器破損(2011年3月13日)
 東日本大震災で山梨県立考古博物館で所蔵する重要文化財の縄文土器1点が破損したことが分かった。
同館は土器を固定する台を設けて展示を続ける。
 笛吹・一の沢遺跡出土の深鉢形土器と呼ばれる縄文時代中期の土器。展示室のガラスケース内で隣の土器と接触し、一部が欠けた。
 土器は口縁部に付いた取っ手が特徴で、四つあった取っ手のうち一つが完全な形で残っている。この土器を含む同遺跡の出土品176点が1999年に国の重文に指定された。
 このほか、展示中の縄文土器3点、収蔵庫の土器10点以上が破損した。   

● 茨城・岡倉天心ゆかりの文化財「六角堂」が津波で消失(2011年3月12日)
 岡倉天心ゆかりの登録有形文化財「茨城大学五浦美術文化研究所六角堂」(茨城県北茨城市)が津波によって消失した。
 六角堂は天心率いる日本美術院が北茨城に拠点を移す際、1905年、思索の場所として天心が自ら設計した。
 ほ かに、仙台市の重要文化財「東照宮」で、国の重要文化財の唐門が傾き、本殿の脇障子が1枚落下。鳥居の一部も欠け、境内に34ある灯籠のうち半数近くが倒 れれ、石垣が崩れた。茨城県常陸太田市の史跡「水戸徳川家墓所」では、墓碑が倒壊するなどの被害が出た。

 徳川家康を祭った東照宮(青葉区)でもとい う。
 重 要伝統的建造物群保存地区の茨城県桜川市の真壁地区では石蔵や土蔵が倒壊。重文の旧小原家住宅、伊藤家住宅(ともに岩手県花巻市)、諸戸家住宅(三重県桑 名市)、旧富岡製糸場(群馬県富岡市)などでも土壁にひびが入ったり、ガラスが割れたりする被害があったという。重要文化財の法華経寺法華堂(千葉県市川 市)は天蓋(てんがい)が脱落するなどした。同じく重要文化財の旧江戸城田安門、清水門(東京都千代田区)は土壁にひびが入ったが、いずれも軽微という。
 文化庁は、今回の地震で12日午後6時までに把握できた文化財の被災状況をまとめたところ、被害があったのは、9都県で国の重要文化財4件、史跡1件を含む計21件の文化財被害が確認された。

● 福島・和算関係資料など4件県指定文化財に答申(2011年03月11日)
 福島県文化財保護審議会は、算術教育で大きな役割を担った三春藩士、佐久間庸軒(ようけん)の和算関係資料など4件を指定するよう県教委に答申した。
 このうち重要文化財指定の答申を受けたのは、和算関係資料と、喜多方市の松野千光寺経塚で発掘された筒や小刀など資料群の2件。重要有形民俗文化財は旧伊南村(南会津町)の商家に伝わる歌舞伎衣装と道具で、芸能史上高い価値があるとされた。
 答申されたのは下記の通り。
重要文化財指定
▽和算関係資料
▽筒や小刀など資料喜多方市の松野千光寺経塚
重要有形民俗文化財
▽歌舞伎衣装と道具(南会津町)
重要無形民俗文化財
▽二本松の提灯(ちょうちん)祭り

● 佐賀・幸津天満神社など3件県文化財に答申(2011年3月10日)
 幸津天満神社の木造神像2体など3件を県文化財に答申した。
木 造神像は、男神像は像高55.7cm、女神像42.8cmで仏の姿で、11〜12世紀の制作と推定される。材質はカヤとみられ、ともに貴人(地位の高い 人)の姿をしているのが特徴。素朴で技工や装飾を重視しない作りが、当時の神像彫刻の特色と合っており、県内の神道文化の水準の高さを示す資料と評価され ている。吉野ヶ里銅鐸など
 答申文化財は下記の通り。
▽幸津天満神社の木造神像2体
▽吉野ヶ里遺跡(神埼市と吉野ヶ里町)の銅鐸
▽久里双水古墳の出土品。
中国・後漢代の盤龍鏡1点(直径12cm)、碧玉(へきぎょく)製管玉2点(長さ0.7〜0.9cm)、鉄製刀子(とうす)(同7cm)1点。

● 福井・上野の盆踊り、結城秀康像など8件県文化財に指定(2011年3月11日‎)
 県教委は10日、初代福井藩主の結城秀康(1574−1607)を描いた肖像画で最古の「紙本著色結城秀康像」(越前市)や、江戸初期に始まったと伝えられる「上野の盆踊り」(南越前町)など計8件を文化財に指定することを決めた。
 指定文化財は次の通り。
▽紙本著色結城秀康像」(越前市)
▽上野の盆踊り(南越前町)
▽鴟尾(飛鳥時代、王子保窯跡群出土)
▽本荘春日神社本殿(1699年建造、あわら市)
▽倉見屋萩野家住宅(主屋は1811年建造、若狭町)
▽木造僧形座像(平安時代前期、福井市)
▽太刀銘藤島(南北朝時代、福井市)
▽照臨寺のセンダン(樹齢約300年、鯖江市)

● 静岡・県有形文化財に浄感寺壁画など指定(2011年3月11日)
 静岡県教委は、浄感寺本堂(松崎町松崎)の天井画「雲龍図」と壁画「飛天図」を県有形文化財に指定した。
 ともに幕末の1946年ごろ描かれ、今の松崎町で生まれた職人、入江長八の代表作。漆喰(しっくい)による建築装飾の技を磨いた長八が、菩提寺(ぼだいじ)だった浄感寺の再建にあたって腕を振るったとされる。


● 兵庫・香美町大乗寺など3点県重要文化財に指定(2011年3月8日)
 兵庫県教委は大乗寺(香美町香住区)の客殿2棟など、3点を県の重要文化財に指定する。
  大乗寺は奈良時代の開山と伝えられる古寺で、江戸時代の画家・円山応挙一派が描いた障壁画(国指定重要文化財)で知られる。今回は1794年に建立された 客殿と庫裏、1855年建立の山門が指定対象になった大乗寺は奈良時代の僧・行基の開山と伝えられる。国の重要文化財に指定された障壁画で飾られた客殿な どは、近世後期の上質な建物として知られる。 
 指定された文化財は下記の通り。
▽大乗寺(香美町香住区)の客殿2棟
▽堀家住宅(たつの市龍野町)の主屋や内蔵など34棟
▽「市之郷(いちのごう)遺跡」(姫路市市之郷)出土の土器など44点

● 香川・法然寺阿弥陀如来坐像など3体の仏像を有形文化財に答申(2011年3月7日)
 香川県香川文化財保護審議会は、香川県高松市仏生山町の法然寺が所蔵する阿弥陀如来坐像な3体の仏像を県指定有形文化財に指定し、漆芸作家の石原雅員氏を彫漆の県指定無形文化財保持者に追加認定するよう県教委に答申した。
  仏像は法然寺の三仏堂に安置されている阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒菩薩坐像で、3体まとめて1件の文化財とする。いずれも寄木造りで像高は約 120〜140センチ。台座裏面の銘文から江戸時代前期の寛文13(1673)年に制作したものであることが判明した。

 仏像彫刻の最盛期だった鎌倉 時代に比べて江戸時代は優れた作品が少ないとされる中、鎌倉時代の作風を意識した質の高い造形表現が特長。県指定有形文化財の仏像は37件あるが江戸時代 のものは初めて。
 指定されたのは下記の通り。

県指定無形文化財保持者
▽阿弥陀如来坐像、釈迦如来坐像、弥勒菩薩坐像法然寺高松市仏生山町
県指定無形文化財保持者
▽石原雅員氏彫漆

● 東京・武蔵国分寺跡で僧寺金堂跡発掘(2011年03月4日)
 国分寺市西元町の武蔵国分寺跡で、僧寺金堂跡が発掘された。
 歴史公園の建設のため僧寺の金堂・鐘楼跡が調査され、本尊を安置する金堂は、幅36m、奥行き16mで、全国に六十数カ所ある国分寺で最大級の規模であ ることがわかった。屋根からしたたり落ちる雨を受ける石が建物の外周の基礎から離れた位置にあることから、屋根の大きさが推定でき、また、土台は黒い土と 黄色い土を交互に何層にもつき固めて作られてるなど、当時の武蔵国分寺の様子を実感できるという。
 この地域は歴史公園として整備することが決まっており、今月末から埋め戻され、埋め戻された跡はもう見ることができない。

● 財団法人美術院常務理事の小野寺久幸さん死去(2011年3月2日)
 東大寺南大門の仁王像(国宝)など、数々の仏像修理を手がけた財団法人美術院常務理事の小野寺久幸(おのでら・ひさゆき)さんが1日、肝不全のため亡くなった。81歳だった。
 小野寺さんは、宮城県生まれ。1955年、美術院国宝修理所に入所。1975年から2000年まで所長を務め、東京芸術大大学院客員教授などを歴任した。
 東大寺南大門の仁王像の解体修理(1988〜1993年)を指揮し、1993年、東大寺から江戸時代・享保年間以来の「大仏師」称号を受けた。また、1996年に紫綬褒章を、2003年に旭日小綬章を受章した。

● 奈良・薬師寺東塔1階を初公開(2011年3月2日)
 奈良・薬師寺で東塔(奈良時代、国宝)の初層(1階)の特別公開が始まった。一般の人が内部に立ち入って拝観できるのは創建以来、初めて。天井に描かれた空想上の花「宝相華(ほうそうげ)」や創建時から塔を支えてきた柱を見ることができる。
 東塔は今春から約8年間の修理に入る予定で、現状での拝観は今回が見納めとなる。
  公開は2月1日〜21日まで。

● 奈良・平城宮・京跡発掘速報展(2011年3月2日)
 平城宮・京跡の2009、2010度の発掘調査で出土した瓦や木簡などを展示する春期企画展「掘って見つけたモノと解ったこと-発掘速報展2009・2010-」が、奈良市の平城宮跡資料館(奈良市二条町)で開かれている。
 中からカサゴの一種の魚の骨が見つかって話題になった興福寺南大門跡出土の鎮壇具のつぼや、トイレットペーパー代わりの細長い板「籌木(ちゅうぎ)」と ともに平城宮跡で見つかった1300年前のうんちなど、珍しい遺物も盛りだくさん。発掘現場の風景が大型スクリーンに次々に映し出される。
 速報展は2月19(土)から5月8日(日)まで。

● 京都・平等院鳳凰堂で創建時の天井板を発見(2011年2月26日)
 京都府宇治市の平等院で、一部失われていた鳳凰堂の創建時(1052年)の天井板が1枚見つかった。
 天井板は長さ約2.5m、幅約30cm、厚さ約4cmで、表面に仏の世界の理想の花「宝相華(ほうそうげ)」が赤、緑、青系統の3色で描かれた彩色の跡 が残り、鳳凰堂の天井の文様と一致。天井では格子状の木枠で隠れる部分に、菩薩の顔と右足の絵(縦6cm、横4cm)が、朱色の顔料で描かれていた。天井 の文様を手掛けた絵仏師が、何らかの理由で試し描きをしたとみられる。
 天井板は奈良教育大の大山明彦准教授2009年、京都市の古美術商で購入したもので、調査の結果、宝相華と同じ緑、赤、青の顔料がわずかに残っていたこ となどから鳳凰堂の天井板とわかり、平等院に寄贈した。明治35(1902)年から5年間行われた明治修理の際に流出した可能性があるという。
 現在の鳳凰堂の天井には創建当時の板のほか、後世の修理で取り換えられたとみられる文様のない板が4、5枚使われており、明治時代には修理経費を捻出するため、古材を売却した事例もあるという。板は7月10日まで境内のミュージアム鳳翔館で展示される。

● 奈良・中宮寺跡で宝幢遺構の?柱穴発見(2011年2月25日)
 奈良県斑鳩町法隆寺東2丁目の史跡中宮寺跡で、南門推定地の南側から宝幢(ほうどう)遺構とみられる7世紀代の柱穴が見つかった。
宝幢遺構は、儀式のときに荘厳のために飾った旗竿(ざお)と支柱の跡で、創建時の華やかな儀式をしのばせる。東限の塀跡も見つかり、東西の寺域が確定した。

● 和歌山・牛馬童子の頭部接合再修復を断念(2011年2月24日)
 世界遺産・熊野古道のシンボルで、何者かに切断された後、昨年8月に発見された石像「箸折(はしおり)峠の牛馬童子」(田辺市中辺路町)の頭部(幅7cm、高さ9cm)について、田辺市教委は胴体と接合する再修復は断念し、現状のまま保管すると発表した。
 牛馬童子像は、2008年頭部が切断され、持ち去られた。市教委は複製を胴体と接合したが、昨年8月、頭部の実物が約12km離れた同市鮎川のバス停のベンチに置かれているのが見つかった。
 牛馬童子像(高さ約50cm)は平安時代に熊野参詣した花山法皇をモチーフに、1890年頃に作成された市指定文化財。牛馬にまたがった童子の姿が愛らしく、熊野古道の人気スポットになっている。
 市教委は取り扱いについて、県教委はすでに複製された頭部が取り付けられており、再修復作業は、石像全体の傷みを増すと判断。頭部は展示会などで公開して、世界遺産保全のシンボルにしていくという。

● 電通文化財を高精細動画アプリを公開(2011年2月24日)
 電通、大極殿や正倉院、桂離宮など、貴重な文化財の細部や記録をHD映像で鑑賞できるアプリ「歴史カメラ」を公開した。
 朝日放送が関西地域を中心に収録してきた文化財のハイビジョン動画を順次配信するもので、コンテンツは、5、6本をひとまとまりとして、数回に分けてシ リーズとして公開される予定だが、動画1本のみの購入や、無料サンプルの視聴も可能となっている。4月中旬までの毎週木曜日に新しいコンテンツの公開を予 定しているという。
 

動画の鑑賞は、まずアプリをiPadにインストールし、アプリ上から鑑賞したいシリーズを選択することで購入手続きに進み、動画がダウンロードされ る仕組みとなっている。ファイル容量が大きいため、アプリと動画のダウンロードはWifi接続時のみに限られる。 




● 奈良・法隆寺若草伽藍から新たに壁画片発見(2011年02月24日)
 奈良県斑鳩町の法隆寺で平成16年に出土した遺物から、7世紀前半の図柄や色彩などが残る壁画片が新たに確認された。
 平成16年に行われた法隆寺若草伽藍跡西方の発掘調査で壁画片約200点が出土。今回、その後の整理作業で新たに約800点が確認された。大きさは最大で4〜5cm、最小1mm程度。うち模様を描いたとみられる破片が約350点あった。
 火災による高熱で焼かれて表面の色が変質しているが、紺色や赤色の顔料が確認でき、線状の模様から仏教世界を描いた寺院壁画とみられる。
 同壁画は平成16年の調査で一緒に見つかった瓦などから7世紀前半と推定。同18年には約20メートル離れた場所でも約270点の壁画片が見つかっている。
 法隆寺は天智9年(670)に火災で焼失し、現在の伽藍は7世紀末ごろの再建とする見方が強まっており、若草伽藍の壁画は最古とされていた現法隆寺の金堂壁画を半世紀以上さかのぼった。
 壁画片は、24日から開催される斑鳩文化財センター(同町法隆寺西1丁目)の冬季企画展で初公開される。
 斑鳩町法隆寺山内の法隆寺で創建時の若草伽藍(がらん)=7世紀初め=を飾ったとみられる焼けた壁画片多数が、同町教育委員会の調査で新たに確認された。聖徳太子建立の同寺の火災を示す資料で、総数は1000点に近く、日本最古の寺院壁画の実態解明が期待される。

● 三重・県指定文化財に広禅寺輪蔵、大五輪の五輪塔を答申(2011年2月19日)
 三重県文化財保護審議会、伊賀市上野徳居町の広禅寺に江戸時代に設置されたとされる「広禅寺輪蔵(りんぞう)」と、南北朝時代から室町時代に建てられたとされる伊勢市楠部町の「大五輪(おおごり)の五輪塔」の2件を新たに県指定文化財にするよう県教委に答申した。
 輪蔵は一切経を収納する回転書架で、広禅寺輪蔵は県内最古の事例とされる。書架を支える柱に極彩色の文様が描かれるなど珍しい特徴を持つとされる。
 五輪塔は高さ約3.4mで、中世の五輪塔としては県内最大とされる。保存状況も良好で、南北朝時代末から室町時代初期の五輪塔の形態的特徴をよく表すものとして評価された。

● 奈良・東大寺の虚空蔵菩薩坐像修理(2011年2月19日)
 奈良市東大寺の大仏殿で、大仏の西隣の脇侍、虚空蔵菩薩坐像(江戸時代、像高さ7.1mがすっぽりと覆い屋に囲まれた。
 1 日に始まった修理のためで、金箔が落ちないようにする剥落止めや、ほこり落としなどが行われている。大仏は毎年8月に「お身ぬぐい」でほこりが落とされる が、同坐像は金箔が落ちやすいため、掃除を控えていた。3月中ごろに覆い屋が外され、きれいになった姿を拝観できるという。
   
● 群馬・善念寺阿弥陀如来像など県文化財指定へ(2011年2月17日)
 群馬県文化財保護審議会は、善念寺阿弥陀如来立像(高崎市)及び安中市学習の森ふるさと学習館所蔵の「小野直文書」2件を県指定文化財にするよう県教育委員会に答申した。
 答申された「小野直文書」は、安中藩士の小野富三郎が残した文書2884点と絵図等80点。江戸時代末期から明治時代中期にかけた安中地域の行政や社会の様子が記述されている。
 阿弥陀如来立像は像高95.5cmで、鎌倉時代初期に制作されたとみられる仏像。造形的にも優れ、像内から明暦元年(1655)の修理文書が発見された。

● 愛知・曼陀羅寺の観音・勢至菩薩像から胎内仏(2011年2月17日)
 愛知県江南市前飛保町の曼陀羅寺が所蔵する観音菩薩像と勢至菩薩像の中からそれぞれ、16世紀(室町時代初期)の作とみられる胎内仏が見つかった。
 2体とも台座部分が傾くなど傷みがひどく、2009年10月に美術院国宝修理所(京都市)にて修理を行った際、胎内に仏があるのが見つかった。2体は内側が丁寧に彫られ、胸部が膨らんでいることから、胎内仏を収める目的で制作されたのではないかとみられている。
 胎内仏はいずれもヒノキで、寄木造だった。
 観音菩薩像の胎内仏は像高55.4cm、勢至菩薩像の胎内仏は像高54.9cm、2体とも年代はほぼ同じだが作者は違うという。

● 奈良・薬師寺で修理の仏像が平安仏であることが判明 (2011年2月14日)
 奈良市薬師寺が所蔵する江戸中期とされていた十一面観音像の表面を覆っていた和紙を修理のためはがしたところ、平安中期に作られたとみられる聖観音菩薩像が見つかった。
 彩色のために仏像の表面を和紙で覆う手法は江戸時代に流行したとされるが、和紙の下から異なる古仏が見つかるのは珍しいという。
 聖観音像は像高53cm、ヒノキの一木造りだが、江戸時代に頭部を切断して十一面観音に改め、全身に和紙を張って黒っぽく着色したらしい。
 頭に宝冠の一部とみられる加工痕も見つかり、当初は聖観音像だったことが分かった。作風から平安時代中期の制作という。
 境内の収蔵庫にあった破損仏で、右腕や両足先は後世に取り替えられていた。
 財団法人美術院が平成20年から約2年間かけて復元修理。腰を左にひねった造形の特徴から平安中期の作見られるが、太い腕などに同前期の特徴もあり、混在した作風が失われないよう配慮したという。
 聖観音菩薩像は復元され、2月26日〜3月6日、東京・五反田の薬師寺東京別院で開かれる「薬師寺の文化財保護展」で公開される。

 

● 文化財に被害 合成樹脂原因か(2011年2月18日)
 東京の上野東照宮の建物に描かれた絵や、奈良の元興寺の板絵など、各地の貴重な文化財に、絵の表面がはがれるなどの被害が相次いでいることが分かった。
 絵の修復に長年使われた合成樹脂「ポリビニルアルコール」が原因とみられ、被害は京都や奈良を中心にすでに数十件の文化財で確認されており、今後、国宝や重要文化財を含む数百件に上るのではないかという。
  ポリビニルアルコールは、文化財の修復現場で、古い絵の表面がはがれるのを防ぐために、昭和20年代から広く使われていが、数十年たつと劣化し、修復に 使っていた文化財の被害が各地で相次いで報告されている。このうち建物が重要文化財に指定されている東京の上野東照宮では、壁などに描かれた絵の一部がは がれたり、見えにくくなったりする被害が出ており、奈良の元興寺のに指定されている板絵智光曼荼羅(いたえちこうまんだら)(重要文化財)も、絵が白くか すんで見えにくくなっている。
 今のところ修復する技術は確立されておらず、東京文化財研究所では大阪市立工業研究所の協力を得て合成樹脂を分解して取り除く研究を進めている。

● 京都・馬場南遺跡で塔跡出土(2011年2月16日)
 京都府木津川市の馬場南遺跡で、新たに奈良時代の塔跡が見つかった。同遺跡ではすでに仏堂(本堂)跡や礼堂(らいどう)(礼拝堂)跡が確認されており、今回の発見で寺の主要な建物跡がそろい、全体像が明らかになった。
 馬場南遺跡は、「続日本紀」などの正史に登場しない幻の古代寺院「神雄寺」跡とされ、天神山の山裾に仏堂や礼堂、川状の池が配置され、水源の山を信仰していたと考えられている。
  塔跡は本堂跡の西約40mから出土。調査では建物の四方を支える四天柱の北側2本と、中心の心柱の礎石計三つが見つかった。残る二つの据え付け穴もあり、 四方が扉の層塔とみられる。きちんとした基壇がなく地面に直接礎石を埋める特殊な構造で、塔の下部は一辺約1.8mと屋外木造塔では国内最小の規模で、遺 構の規模から高さ約10mの三重塔があったとみられている。
 三重塔などの層塔は通常、心柱の周囲に四天柱、さらに外側に側柱があるが、塔跡には側柱の痕跡がなかった。心柱と四天柱のみの構造は国内に例がないという。
 心柱を囲む位置から壁土も見つかり、塔の内部には塑像などが置かれていたとみられ、和同開珎も出土した。


●    滋賀・甲賀市文化財に八坂神社の男神坐像など7件指定(2011年2月4日)
 甲賀市教委は市指定有形文化財として、八坂神社(水口町)の男神坐像(10体)など7件を指定した。
 男神坐像は、本殿内部に祭神として納められている平安時代の神像群で、牛頭(ごず)天王像(像高71.5cm)と、その子「八王子神」8体(同50cm)が全てそろっており貴重という。八坂神社境内の天神社に安置されている男神坐像(同42cm)と合わせて指定された。

 指定は以下の通り。
【新規】
▽牛頭(ごず)天王像(像高71.5cm)八王子神8体及び男神坐像 八坂神社(水口町)
▽石造宝篋印塔(土山町)
▽不動一尊種子板碑(同)
▽六角形石燈籠(信楽町)
▽矢川神社文書(甲南町)
▽北脇遺跡出土銅印(水口町)
【追加】東海道水口宿文書(水口町)

● 奈良・薬師寺の大般若経が奈良時代の写経と判明(2011年2月1日)
    奈良市の薬師寺で約30年前まで法要で普通に使っていた大般若経の一部47巻が奈良時代の写経と分かった。
 鎌倉時代の興福寺の僧永恩が、奈良―平安時代初期の数種類の大般若経の写経をひとまとめにした「永恩経」と呼ばれる経典の一部。これまで約40巻しか知られていなかった。
 4京都国立博物館は今回見つかったものとは別の永恩経2巻を所蔵しており、重要文化財に指定されている。
 当初は巻物だったとみられるが、縦25.6cm、横9.3cmの折り本の形に改装されていた。江戸時代に作成された厚紙の表紙が付けられており、このころに改装したとみられる。
 薬師寺では毎月、折り本状にした大般若経を蛇腹のように開閉する大般若経転読法要で、1982年まで使用していたが、1985年に新たな全600巻大般若経のと交換していた。
 大般若経47巻は、2月26日から薬師寺東京別院(東京都品川区)で開かれる「薬師寺の文化財保護展」で初公開される。

● 神奈川・日向薬師宝城坊本堂350年ぶり解体修理(2011年1月27日)
 神奈川県伊勢原市日向の日向薬師宝城坊本堂(重文)の解体修理工事が行われている。
 日向薬師は、霊亀2(716)年、僧行基により開創。本尊の薬師如来像・日光・月光菩薩像3体(重文)は10世紀の作で、現存する鉈彫り像の最古の例といわれている。このほか、薬師如来坐像、阿弥陀如来坐像、四天王立像(いずれも重文)などがある。
 宝城坊本堂は、寄せ棟造り、茅葺きで間口22.7m、奥行き21m、棟高17.7m、床面積429平方m。江戸時代初期の万治3(1660)年に建てられたもので、江戸時代の社寺建築としては規模が大きいという。
 しかし、建物全体の傷みが進行したため350年ぶりの解体修理となった。
 屋根は約20年前に葺き替えられたが、柱や軒、床などは傷みがひどくなっている。本堂内の直径約60cmの柱38本のうち数本に空洞化が見られるほか、床も数カ所で落ちている。軒先がへこみ、本堂正面を除く3方面では17本の木製電柱が軒を支える。
 このほか、本堂正面の庇は左下がりになり、化粧垂木が波打っているほか、屋根には雑草が生えている。本堂裏の屋根は、茅葺きの茅が抜け、トタン板で覆っている。
 工事は建物すべてを解体して、使用できる部材、傷みのある部分を切り取り新しい材料と接合する部材、新しい部材、と仕分けして組み立て直す。この間、建立当時に建築や修理を担当した大工などの記録や地鎮祭などの資料が発見される可能性があるという。
 事業期間は2016年まで。

● 埼玉・文化史研究家が「埼玉の仏像巡礼」を出版(2011年1月26日) 
 さいたま市西区の文化史研究家・青木忠雄さん45年にわたって研究を続けた県内の仏像約100体を紹介する「埼玉の仏像巡礼」を出版した。
 開帳に合わせ、県内各地の寺院に足を運んだ45年の成果を2部構成でまとめた。
 1部では、桂木寺伝釈迦如来坐像など4件にスポットを当てた論考編。2部には、調査の経過や、造立された頃の時代背景などが纏められている。
 出版は幹書房。

● 滋賀・金銅十一面像懸仏を特別公開(2011年1月22日)
 長浜● 和歌山・不動院で不動明王像を新調(2011年1月29日)
 和歌山県田辺市中辺路町小皆の不動院で、昨年秋に盗まれた不動明王像の代わりに新しく設置された不動明王像の開眼供養が営まれた。
 不動院には本尊である不動明王像のほか、坐像など数体が安置されていたが、昨年11月末、お堂正面の扉が破壊され、真ちゅう製の不動明王像だけが盗まれていた。犯人は現在も見つかっていない。

● 埼玉・文化史研究家が「埼玉の仏像巡礼」を出版(2011年1月26日) 
 さいたま市西区の文化史研究家・青木忠雄さん45年にわたって研究を続けた県内の仏像約100体を紹介する「埼玉の仏像巡礼」を出版した。
 開帳に合わせ、県内各地の寺院に足を運んだ45年の成果を2部構成でまとめた。
 1部では、桂木寺伝釈迦如来坐像など4件にスポットを当てた論考編。2部には、調査の経過や、造立された頃の時代背景などが纏められている。
 出版は幹書房。市の高月観音の里歴史民俗資料館は、南北朝時代につくられた壁掛けの装飾品「金銅十一面観音三尊像懸仏」を特別公開している。
 懸仏は礼拝の対象として社寺の壁面や長押などに懸ける。今回の資料は直径55.3cm、厚さ3.7cmで、板の表に鋳造の十一面観音を中央に置き、左に不動明王、右に毘沙門天の2尊を配置する。台座や透かし彫りの光背、細部の飾りは精巧で保存状態も良い。
 裏面の墨書には1368年に生まれた子どもの無病息災や家門の繁栄、五穀豊穣(ほうじょう)、天下泰平を願い、長浜市木之本町の石道寺に奉納されたことが記されている。
 民家で漬物おけのふたに使われていたのを、地元の郷土史愛好者が見つけて譲り受け、近年まで大切に保管してきたという。
 公開は1月30日まで。

● 京都・仁和寺観音堂初の解体修理へ(2011年1月20日)
 京都市右京区仁和寺が、主要建築物の一つで国の重要文化財に指定されている「観音堂」を、江戸時代初期の創建以来初めて解体修理する方針を固めた。
 観音堂は幅約9m、奥行き約9mで、寛永18年(1641)〜正保元年(1644)に建てられた入り母屋造り、本瓦葺きの建築物。
 昭和48年に国から重文指定を受けた。千手観音菩薩が本尊で、不動明王や降三世明王なども安置され、壁面や柱などには諸仏や高僧が極彩色で描かれている。現在も真言密教の最も重要な儀式「伝法灌頂(かんじょう)」が営まれ、修行僧の日々の勤行にも使われている。
 仁和寺では近年、全体に建築物の傷みが目立ち始めた。中でも創建から未修理の観音堂は瓦の破損、木材の虫食いのほか、階段の一部が外れたり、全体的に床がゆがんだりするなど傷みが激しく、同寺は根本的に修理する必要があると判断したという。

● 千葉・妙楽寺で大日如来坐像2月6日に特別公開(2011年1月19日)
 千葉県睦沢町の妙楽寺で2月6日に大日如来坐像が特別公開される。
 大日如来坐像は平安時代の作で、像高279cmと木造仏像では県内最大、東日本でも有数の大きさ。年1回、この日だけの一般公開される。
 妙楽寺は嘉祥年代(850年ごろ)の創建とされ、中世には密教の一大拠点だったといわれる。大日如来の左右には、県指定文化財の不動明王と毘沙門天が脇侍として控える。特別公開の日だけは格子戸を取り払い、本堂内の諸仏を見学できるようにしている。
 本堂では午前10時、11時半、午後2時の計3回、大護摩法要がある。

● 奈良・なら奈良館が3月で閉鎖(2011年1月19日)
 奈良市東向中町の観光案内施設「なら奈良館」について、奈良市が、3月末での閉鎖を検討していることがわかった。
 市は「現状のままでの4月以降の存続は難しい。週内にも最終的な判断を決めたい」と話している。
 同館は2001年、その前年に閉館した近鉄の「奈良歴史教室」を引き継ぐ形で、奈良近鉄ビル4、5階にオープンした。新薬師寺の「十二神将立像」や東大 寺・大仏殿の「大仏の左手」「柱の穴くぐり」の模型などを展示。修学旅行生や観光客ら年間約4万人の来場があり、学識経験者らを講師に招き、セミナーも開 いてきた。「なら・観光ボランティアガイドの会」が指定管理者になっている。
 しかし、2009年度の事業仕分けで、年間のコストに対する批判や「目の前に本物があるのに、模型で見る意味が分からない」などの意見が出て、「不要」と判定された。この結果を受け、市は指定管理者の期限が切れる3月末までに結論を出す方針だった。

● 奈良・奈良国立博物館で文化財保存修理所を特別公開(2011年1月18日) 
 奈良市の奈良国立博物館は2月9日、文化財保存修理所を特別公開する。 同館研究員が文化財修理の工程を解説し、文化財保存修理所も見学できる。
 特別公開は午前10時、午後1時、同3時の計3回で各1時間程度。参加無料。
 申し込みは往復はがきで。

● 山形・山梨県有形文化財に身延山「久遠寺相輪塔」を指定(2011年1月18日)
 山形県の新たな有形文化財に、身延町の身延山霊域にある仏塔「久遠寺相輪塔(そうりんとう)」が指定された。
 久遠寺相輪塔は高さ1.14m、一辺が5.1mの石積みの基壇上に礎石を基盤として造られ、礎石から塔頂部までは7.45mの高さがある。久遠寺支院の「大光坊」(身延町上の山)境内にあり、塔身に確認できる銘文から天明元(1781)年に造立されたことが分かる。
 塔身10カ所にある銘文には、造立の経緯や修復などに関わった人の名前や曼陀羅(まんだら)がかかれ、 笠塔婆(かさとうば)に五輪塔をのせた構造が他の全国9カ所の相輪塔と異なる特徴といい、希少価値の高い建造物として指定された。


● 京都・平等院鳳凰堂の明治修理を振り返る企画展(2011年1月16日)
 京都府宇治市の平等院で、国宝・鳳凰堂が明治時代に修理された過程を記した古文書や当時の写真など30点を展示する冬季企画展「INOVATION革新―文化財保護意識の芽生えと莵道(うじ)の魅力再発見―」が始まった。
 鳳凰堂では1902年から約5年間にわたり、柱の取りかえや瓦のふき替えなど「明治修理」が行われた。傷んだ部分にその都度手を加えた修理と違い、初めて文化財の保護を目的にしたものだったという。10円玉に描かれている鳳凰堂はこの修理後のものだ。
 企画展では、明治修理後の鳳凰堂を模して作られた銀製の置物(幅50cm、奥行き40cm)や、当時の絵はがき、明治修理の経緯を示す古文書などを展示。また、明治時代の宇治川や茶摘みの様子など宇治の景観を描いた「宇治名勝詩歌書画帖」も公開されている。
 公開は1月15日から3月18日まで。

● 奈良・薬師寺で伽藍の中心部に池の跡発見(2011年1月13日)
 奈良市西ノ京町の薬師寺で、伽藍の中心部に広がっていた池の跡が見つかった。
 東回廊から外側に向かって幅1〜2mの溝状に発掘したところ、池の西岸とみられる落ち込みや水草などの堆積を確認。池は調査区を超えて広がっており、東西18m以上になるという。
 回廊は金堂や講堂を囲んで設けられており、池の端から東回廊までは約20mで、中心伽藍のすぐ近くまで池が広がっていたことが明らかになった。岸辺では廃棄された瓦の堆積も見つかった。
 薬師寺は皇后の病気回復を願って天武天皇が建立したが、天延元年(973)の火災と享禄元年(1528)の兵火で東塔(国宝)を除いて建物が焼失。荒廃した伽藍を昭和40年代から写経勧進で復興し、金堂や講堂、西塔が次々と再建された。
 池の後は水田で、復興前の境内は旧金堂の北側にも小さな池があり、建物近くまで水田だったという。

● 奈良・興福寺の法相柱再興へ(2011年01月12日)
 奈良市の興福寺は、300年ぶりの再建工事が進む中金堂の柱1本に、同寺の宗派である法相宗の高僧の肖像を描くことを決めた。
 祖師とされるインド、中国、日本の僧が候補で、画家を近く正式決定して図案を練ることにしている。奈良時代の中金堂にも描かれていた祖師像を復興し、1300年前の創建から法相宗専一の寺院である立場を鮮明にさせる狙いだ。
 肖像を描く柱は、仏像が安置される須弥壇を囲む14本のうち、正面西側の1本。図像の候補には、法相教学を体系づけたインドの兄弟僧の無著と世親、イン ドから経典を持ち帰った中国僧の玄奘(三蔵法師)とその弟子の慈恩大師、遣唐留学僧として法相教学を日本に伝えた奈良時代の 玄ム、鎌倉時代の学僧・貞慶 ら計13人が挙がっている。
 肖像の柱は「法相柱」と呼ばれ、平安時代の「造興福寺記」(1048年)に「金堂の西側1番目の柱」と記されている。

● 奈良・安倍文殊院維摩居士像に仏師「宗印」示す墨書(2011年1月9日)
 奈良県桜井市阿部の安倍文殊院の本尊、文殊菩薩像(重文)の周囲に安置される4体のうち、維摩居士像(像高約2m)から、「宗印(そういん)」という制作者を示す墨書が見つかった。
 文殊菩薩像と、脇の善財童子像、優填王像、須菩提像は鎌倉時代の仏師、快慶の作で重文に指定されているが、維摩居士像は1563年の火災で焼失し、その後再建されたが制作者は不明で、これまで指定されていなかった。
 2009年秋に始まった文殊菩薩像の修理に伴う文化庁の調査で、維摩居士像の頭部の内側を撮影したところ、「慶長十二 丁未 卯月廿八日 宗印作之」「南都大仏師宗印作之」などの墨書が見つかった。
 宗印は「下御門(しもみかど)仏師」と呼ばれる仏師の1人で、豊臣秀吉が京都・方広寺に作った大仏や、金峯山寺(吉野町)の本尊・金剛蔵王権現立像(重文)の作者とされる。墨書から「住吉明神像」として造られたことも分かり、国の重要文化財に追加指定された。
 安倍文殊院は、収蔵庫の老朽化に伴い、今月から改装工事が行われ、工事に先立ち、1月11日ごろに文殊菩薩の周囲に安置される4体のうち、善財童子像と 須菩提像を修理のため奈良国立博物館(奈良市)に移す。改修工事は3月下旬ごろまでに完成予定だが、工事中も拝観はできる。

● 石川・明泉寺の千手観音立像修復(2011年1月8日)
 石川県穴水町明千寺の明泉寺で、能登半島地震で被災し手や台座などが破損した千手観音立像の修復を行う。
 明泉寺縁起によると、同寺は白雉3(652)年に創建された。千手観音立像は、観音堂の本尊で、町指定文化財。像高153cm、蓮華座に乗った一木造りの立像で、平安時代初期の作とされ、木造仏としては県内で最も古い。
 町教委によると像が披露されるのは7年に1度だけで、次回は平成25(2013)年7月に、ご開帳 法要が予定されている。修復は1年掛かりとなる見通し。

● 愛知・甚目寺で仁王像から福島正則奉納の墨書発見(2011年1月4日)
 愛知県あま市甚目寺観音の古刹甚目寺の仁王像に、同市ゆかりの戦国武将福島正則の奉納を示す墨書のあることが分かった。
 仁王像は阿形(像高約3.5m)と吽形(同約3.6m)(共に県文)で、寄木造り。2008年に始まった解体修理で、2体の腹部の裏側に墨書が見つかっ た。阿形には安土桃山時代の慶長2(1597)年の年号、仏師2人などの氏名とともに「奉造立甚目寺仁王大檀那(だんな)藤原朝臣福嶋左衛門大夫正則敬 白」「寺中安全之助也」とあり、福島正則が奉納したことが判明。吽形もほぼ同内容だった。正則はあま市の旧美和町の辺りで生まれ、文禄4(1595)年か ら5年間、清須城主として一帯を治めていた。県指定文化財の同像はこれまで約400年さかのぼる鎌倉時代の作とみられていた。
 阿形は2009年秋に修理が完了し南大門に戻された。吽形は作業が続いており、2011年中に名古屋市博物館での公開を検討する。



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