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ご 紹 介  2015年

ちょっと耳寄りな、新刊情報、講演会、シンポジウム、見学会等のご紹介です。




●大阪大学で国際シンポジウム「金銅仏の制作技法の謎にせまる」開催(12/12)(2015年11月14日)


大阪大学 豊中キャンパスで、国際シンポジウム「金銅仏の制作技法の謎にせまる」が開催されます。

このシンポジウムは、大阪大学総合学術博物館で開催されている企画展「金銅仏きらきらし―いにしえの技にせまる―」(2015年10月24日〜12月22日)にあわせ、科研費成果報告「5〜9世紀東アジアの金銅仏に関する日韓共同研究」の発表の一環として開催されるものです。
(企画展の内容等については、本HP・
展示会で紹介しています。)

開催日時は、2015年12月12日(土)10:00〜17:10 となっています。

詳しくは、大阪大学総合学術博物館HP・お知らせシンポジウムページをご覧ください。
事前の参加申し込みが必要ですので、ご注意ください。


シンポジウムのプログラムは、ご覧のとおりです。





仏像の制作技法や、金銅仏の鋳造技術などにご関心のある方にとっては、大変興味深いシンポジウムの内容です。
最新の研究成果や問題点などを聞くことができるのではないかと思います。
私は、今月、ソウルの韓国国立中央博物館へ出かけて、企画展「仏教彫刻展」を見てきたばかりで、展覧会にも展示されていた、韓国を代表する国宝・金銅半跏思惟像(国宝78号像)の制作技法についての講演があるのは興味津々です。

思い切って出かけてみたいと思っています。

              
.                                                       韓国を代表する国宝・金銅半跏思惟像(国宝78号像)





●川崎市・能満寺の聖観音・虚空蔵菩薩像の特別公開&現地講座開催(10/17)(2015年9月12日)



川崎市(教育委員会)では、平成27年度指定文化財等現地特別公開として「能満寺の文化財」を公開するとともに、現地講座を開催します。

この特別公開は、日頃、文化財保存上の理由から、常時公開されていない川崎市内の指定文化財を、所有者の理解・協力を得ながら公開するものです。
公開されるのは、川崎市高津区千年の能満寺の木造虚空蔵菩薩立像(南北朝時代・県指定文化財)、木造聖観世音菩薩立像(平安前中期・市指定文化財)です。
公開期間は、平成27年10月16日(金)〜18日(日) 午前10時〜午後3時です。

10月17日(土)には、神奈川県立歴史博物館館長・薄井和男氏による講座「能満寺の仏像」が開催されます。(午前10時〜12時)
なお、講座受講には事前申し込みが必要です。(9/24申し込み締切り・受講料1000円)

特別公開・現地講座の詳しい内容は、
川崎市教育委員会HP
「平成27年度指定文化財等現地特別公開「能満寺の文化財」ならびに関連講座のお知らせ」「関連チラシ」
をご覧ください。

能満寺・聖観音像は、川崎市域最古、10世紀の前半の平安木彫として知られています。
この像については、本HP・秘仏御開帳「川崎市・能満寺の聖観音立像が12年に一度のご開帳(4/12〜30)(2014年4月25日)」でご紹介しましたので、参考にしていただければと思います。

                 
.           虚空蔵菩薩立像(南北朝時代・県指定文化財)          聖観世音菩薩立像(平安前中期・市指定文化財)




●伊豆新聞に「伊豆の仏像修復記」毎週連載中(6/15〜)(2015年7月18日)


修善寺・実慶作大日如来坐像
伊豆新聞・日曜文化欄に、「伊豆の仏像修復記」と題する連載記事が掲載されています。

吉備文化財修復所代表・牧野隆夫氏の執筆で、牧野氏が伊豆の諸仏を修復した体験記、物語の連載です。
第1回(2015.6.15)は、「『實慶作』墨書くっきり〜境内の興奮」という表題で、修善寺・ご本尊の大日如来坐像の修理の際、「実慶作」の墨書が胎内(首の内側)から発見された時の体験記が掲載されています。

この連載を、ここでご紹介したのは、この記事がNET上で読むことが出来るからです。
これまで掲載された、第5回までのリンクを貼っておきますので、ご覧ください。

伊豆の仏像修復記〜第1回:「實慶作」墨書くっきり 境内の興奮
伊豆の仏像修復記〜第2回:出合い 国清寺仁王像にいざなわれ
伊豆の仏像修復記〜第3回:修禅寺初日 大量の資材運搬到着は夜に
伊豆の仏像修復記〜第4回:修禅寺指月殿ー釈迦如来像 観光の“切り札”に
伊豆の仏像修復記〜第5回:指月殿調査ー釈迦如来像 すさまじい傷みに絶句

牧野隆夫氏

執筆の吉備文化財修復所代表・牧野隆夫氏は、東京芸術大学大学院美術研究科保存修復の出身で、吉備文化財修復所を開設するほか、東京学芸大学非常勤講師、東北古典彫刻修復研究所代表などを務める仁です。
これまで、伊豆の諸仏像をはじめ数多くの仏像修理を手掛けられています。


この後、どれくらい連載が続くのかわかりませんが、仏像修理の現場そのものからの、実際に修復に携わった体験記、実見記は、大変興味深いものです。
どんな話が語られていくのか連載が愉しみです。





●東京よみうりホールで奈良学文化講座「唐招提寺鑑真和上の光芒」開催(7/11)(2015年6月6日)


東京都千代田区有楽町のよみうりホールで第143回奈良学文化講座「唐招提寺鑑真和上の光芒〜その足跡と遺産」が開催されます。


開催日時は2015年7月11日(土) 13:00〜16:00となっています。
事前申し込み(申込締切り6/13)が必要で、参加費は1000円です。
詳しい開催要領は、
うましうるわし奈良HP奈良学文化講座ページをご覧ください。

講座内容は、以下のとおりです。

「鑑真和上像の造像−和上と弟子たちとの精神的なつながり」
講師:木下成通氏(公益財団法人美術院国宝修理所主任技師・前研究部長)

「鑑真和上の足跡−和上の“夢”を共有した弟子たち」
講師:蔵中しのぶ氏(大東文化大学教授)

本講座で、興味深いのは木下成通氏の鑑真和上像の造像についての講演です。
木下氏は、2013年6月に完成安置された「鑑真和上像の御身代わり模造」の制作に携わった美術院国宝修理所の主任技師・前研究部長です。

鑑真和上像の模造制作においては、単に原品の形を真似るというのではなく、制作当時の材料、顔料などをもちいて、構造や制作技術まで復元して造られました。
その模造制作過程で、数多くの新発見がありました。
その新発見や調査研究内容については、
観仏日々帖「鑑真和上坐像の御身代わり模像の制作を巡る話【その1】【その2】
に詳しくご紹介しましたので、ご覧いただければと思います。
木下氏は、模造制作プロセスで新たに判明した鑑真像の制作技法を見ると、鑑真和上像は、「唐和上東征伝」に伝えられるように、
「鑑真生前にその姿を弟子たちが写した肖像を制作した。」
と考えても良いのではないかという見方を示されています。

今回の木下氏の講演「鑑真和上像の造像−和上と弟子たちとの精神的なつながり」では、鑑真和上像の模造制作プロセスで得られた新事実、新知見や、この研究成果に基づく鑑真像制作事情についての木下氏の考え方が詳しく聴けるのではないかと思います。




●「目の眼」誌に青木淳氏執筆「ほっとけない仏たち」地方仏紀行新連載(2015年5月31日)


「ほっとけない仏たち」
新連載の目の眼7月号

骨董・古美術雑誌「目の眼」に、多摩美術大学教授・青木淳氏の執筆による、地方仏探訪紀行「ほっとけない仏たち」が新連載となります。
6月1日発行の7月号(1080円)から連載スタートとのことで、「目の眼」編集ご担当からご連絡を頂戴しました。

新連載は「ほっとけない仏たち」と題して、福島県の知られざる地方仏の紹介から始まり、今後、各地を訪ねる予定とのことです。

新連載にあたっては、冒頭に、
「近年、地方の仏像が注目を浴びています。
長い歳月、その地域で守られていた仏像を訪ねると、その土地に根差した文化との深いつながりが見えてきます。
仏像研究者・青木淳先生が、知られざる仏たちが残された土地を訪ね、忘れざる祈りのかたちをご紹介します。」
このように紹介されています。

第一回は、福島県大沼郡三島町にある、名入の観音堂の天部立像を訪ねます。
町指定文化財ですが、青木淳氏によると9〜10世紀の制作と考えられるようです。
名入の観音堂は、福島県西部、奥会津と呼ばれるところに在るそうですが、私は、この天部立像のことは、初めて知りました。
朽損していますが、なかなか古様で興味深い平安古仏のようです。

新連載「ほっとけない仏たち」の冒頭ページ
この後の号では、
2007年に重要文化財に指定された会津美里町の個人蔵・吉祥天立像、法用寺の仁王像、大蔵寺の破損仏
と、地方仏愛好者にはちょっと捨て置けない、福島県平安古仏探訪記が続く予定とのことです。


執筆の多摩美術大学教授・青木淳氏は、昨年11〜今年1月に多摩美術大学美術館で開催された
「祈りの道へ〜四国遍路と土佐のほとけ展」を企画運営された方です。
展覧会では、須崎市・笹野大日堂の大日如来像など、土佐の知られざる地方仏を愉しまれた方も多いのではないかと思います。

紀行文は、気さくな語り口で、知られざる地方仏を訪ねる話が綴られており、これからの連載が益々楽しみです。


掲載誌、「目の眼」は、昭和52年(1977)に創刊された、老舗の骨董古美術雑誌で、ご存じの方も多いことと思います。
現在は、白洲正子氏の孫にあたる白洲信也氏が編集長を務められています。
この連載を機会に、購読されてみてはいかがでしょうか。




●奈良まほろば館で深イイ奈良講座「聖林寺と十一面観音菩薩像」7/20開催(2015年5月31日)


東京都中央区日本橋室町の奈良まほろば館で、まほろばソムリエの深イイ奈良講座「聖林寺と十一面観音菩薩像」と題する講演会が開かれます。

聖林寺・十一面観音立像
開催日時は、2015年7月20日(月・祝)11時00分〜(1時間半程度)となっています。
事前申し込みが必要で、受講料(資料代)は500円です。
詳しい開催要領は
奈良まほろば館HP講座案内をご覧ください。

この講演内容は、聖林寺十一面観音が大御輪寺から移された経緯やそれを担った人々などについて、新たなる解明事実などを交えながら、詳しく解説される内容だと思います。

開催案内には
「聖林寺に祀られる十一面観音菩薩像が、三輪の大御輪寺から移されたことはよく知られています。
廃仏毀釈の嵐のなかの出来事でした。
この十一面観音像の造仏のいわれ、聖林寺に移された経緯やそれを担った人々、この像に光をあてたフェノロサや和辻哲郎の関わりなどを楽しく語り、深く解明します。」
とコメントされています。

講師は、談山神社氏子総代、NPO法人奈良まほろばソムリエの会・会員の雜賀耕三郎氏です。

雜賀氏は、最近、産経新聞奈良版掲載の「なら再発見」という連載に、大変興味深い記事を執筆されています。
それは、明治初年、廃仏毀釈により大御輪寺から聖林寺に移された十一面観音像は、聖林寺に移される前、桜井市の米田家にしばらくの間預けられており、その後、聖林寺に移って行ったという知られざる秘話です。
詳しくは、「なら再発見・第85回」2014年7月19日掲載をご参照ください。

近代の聖林寺十一面観音の歴史に精通、研究されている雜賀氏の講演では、興味深い話、知られざる秘話など、興味津々の話が聞けるのではないかと思います。

是非出かけてみたいと思っています。




●シンポジウム「仏像と木の交流〜古代一木彫像の樹種をめぐって」(5/16)開催(2015年3月7日)



東京都世田谷区の成城学園で、成城大学公開シンポジウム「仏像と木の交流〜古代一木彫像の樹種をめぐって」が開催されます。

このシンポジウムは、成城学園創立100周年を記念したイベントの一環として開催されるものです。
開催日時は、2017年5月16日(土)13:30 〜17:00となっています。
司会・パネリストの方々は次のとおりです。





シンポジウムには誰でも参加可能のようですが、事前の申し込みが必要になっています。
シンポジウムの概要、申込み要領については、
成城学園百周年記念サイトシンポジウムページをご覧ください。

シンポジウム開催趣旨には、次のように記されています。

「奈良時代後半から平安時代初めにかけて、頭や体の中心部のみならず手や足先なども含めて一つの木材から造り出そうとする一木彫像が造立されるようになると、それ以降の日本の仏像のほとんどは木で造られていくようになります。
つまり、一木彫像の成立は日本人に仏像用材としての木を明確に認識させた画期的な出来事であったといえます。
そして、一木彫像に使用された木の選択は決して任意に行われたのではなく、ある一定の認識(用材観)に基づいていたといえるのです。
本シンポジウムでは、一木彫像成立の問題を中心として、日本人の木に対する認識がどのように形成され、展開していったのかを考えていきます。」

ご存じのとおり、今回のシンポジウムコーディネーター・パネリストの方々は、20年近く前になりますが、「日本古代における木彫像の樹種と用材観」という共同研究において、奈良末・平安初期一木彫の用材樹種のほとんどが「カヤ」であることを明らかにした研究者です。
それまでは、唐招提寺講堂木彫群をはじめとした、これらの一木彫の多くは「ヒノキ」とされていましたので、驚きの新事実でした。
その後も、本テーマの研究が継続して進められており、「カヤ」材が用いられた事由などについて、用材観の宗教的意味、意義などに、大変興味深いホットな議論が展開されています。

今回のシンポジウムは、2012〜5年度・科学研究費基盤研究「東アジアにおける木彫像の樹種と用材観に関する調査研究」に基づく研究報告ということのようですので、こうした古代一木彫像の樹種、用材観をめぐる最新の研究成果、問題点などの議論を、聞くことが出来るのではないかと思います。
この分野に関心のある方には、逃すことのできないシンポジウムではないかと思います。

私も、是非、出かけてみるつもりです。






【過去の ご 紹 介 情報】


2001〜14年

 

 

 

 
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