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特選情報
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●小浜市・福井県立若狭歴史博物館で松福寺・聖観音菩薩立像が特別公開(10/13〜11/18)  (2018年10月12日)


福井県小浜市の福井県立若狭歴史博物館で松福寺・聖観音菩薩立像が特別公開されます。

公開期間は2018年10月13日(土) ~ 2018年11月18日(日)です。
詳しくは、
若狭歴史博物館HP特別公開ページをご覧ください。

若狭歴史博物館では、若狭地域の仏像を広く紹介するため、定期的に仏像の特別公開が行われています。
今回は、松福寺(小浜市新小松原)の秘仏・木造聖観音菩薩立像(市指定文化財)が、期間限定で特別公開されます。

  
       
松福寺・聖観音菩薩立像(平安・市指定文化財)



若狭歴史博物館・特別公開ページ解説によると、
「像高は99.6cm、ヒノキの一木造で、内刳りは行われていません。
量感のある体つきや衣文の彫法は古さを感じさせますが、下ぶくれの顔に起伏の少ない目鼻立ちなどから、制作は平安時代後期(10世紀後半〜11世紀前半)と考えられます。
秘仏であり、御開帳時以外の公開は行われていませんが、今回、松福寺の御協力のもと特別に公開いたします。」
ということです。


この聖観音像、これまで公開されたことがあるのかよくわかりませんが、私は、その存在を初めて知りました。

「若狭小浜の文化財」(1968年初版・1995第10版〜小浜市刊)をみると、
「当寺は天文元年(1532)不睡法師の創建と伝える名刹で、当寺の本堂左側に連なる観音堂の本尊が、厳重な秘仏として伝世された聖観音菩薩である。
・・・・・・
若狭国守京極高次の守り本尊であったと伝えるが、この尊像が当寺に安置されるにいたった経緯はさだかでない。」
と記されています。

普段は、なかなか拝観が叶わない秘仏のようです。
一木彫成像の古式の技法を踏襲した、平安後期の地方的作風を漂わせる観音像のように見受けますが、なかなか見どころのある古仏のようです。






●醍醐寺の新出・水晶宝龕入り阿弥陀立像、快慶作か?霊宝館で初公開(10/15〜12/10)  (2018年9月22日)


京都市伏見区の醍醐寺では、2002年に新発見となった「水晶宝龕入り木造阿弥陀如来立像」を、醍醐寺霊宝館で、10/15〜12/10に初公開すると発表しました。(2018.9.13発表)

この水晶宝龕入り阿弥陀像は、仏師・快慶の作品である可能性が強いということです。

  
       
快慶作品の可能性が強いという「水晶宝龕入り木造阿弥陀如来立像」



新聞各紙は、 「水晶内に5センチの阿弥陀如来 京都・醍醐寺、快慶作か」 といった見出しで、この発表を報じました。


産経新聞WESTは、このように報じています。

「京都市伏見区の醍醐寺は13日、高さ約5.5センチの阿弥陀如来像を水晶に納めた『水晶宝龕入り木造阿弥陀如来立像』を初公開すると発表した。
同様の仏像は珍しく、鎌倉前期に仏師快慶が作った可能性があるという。
平成14年に同寺霊宝館で見つかっていた。
醍醐寺によると、仏像はハスの花のつぼみの形をした透明な水晶の中に入っている。
顔の作りや衣の着方などが、快慶作の他の仏像の特徴と似ている。
担当者は『水晶を通すことで、実際よりも一回り以上引き締まった姿に見えるよう計算して作られている』と説明している。
同館で10月15日〜12月10日に公開される。」
(2018.09.13付け産経新聞WEST)

この像は、16年も前の2002年に発見されていたそうですが、新発見仏像の話も、快慶作品の可能性が強いという話も、マスコミ報道はされていないようで、私も、今回初めて新聞記事で知りました。


詳しい資料等がないか確認してみましたところ、本年(2018年)2月に刊行された、

醍醐寺叢書 研究篇「醍醐寺の仏像 第1巻 如来」 (総本山醍醐寺監修/副島弘道編) 勉誠出版刊

に、本像の調査記録、解説が掲載されており、作者を示す銘記や記録はないものの、快慶作品の可能性が高いと考えられることが、詳しく記されていました。

本書解説によると、

この像は、2002年5月の調査時に霊宝館の南側に建つ倉庫内で発見されたのだそうです。
このような、透明な水晶と思われる蓮華に仏像を納めた本像のような例は、ほかにほとんど無いようです。

また、本像が、快慶作の可能性が強いとみられる事由については、

・快慶は、現存の後白河法皇追善の弥勒菩薩像(建久3年・1192)、不動明王坐像(建仁3年・1203)のほか、焔魔堂本尊像他諸像(現存せず)を造立するなど、醍醐寺との関係が深かったこと。
・本像の、柄衣を左胸で紐で吊り、縁を大きく裏返して左腕にかける特徴的な衣の着かたは、快慶作・奈良県西方寺阿弥陀如来立像など、少数の像にしか例がないこと。
・快慶作の立像は、裙の裾を通例の像のように正面では打ち合わせずに、左足後方で打ち合わせる特徴があるが、本像の裾の打合せの位置も左足後方であること。

などの諸点と、すぐれた表現および技法から、快慶作である可能性が高いとしています。

  
       
(左)醍醐寺・水晶宝龕入り木造阿弥陀如来立像       (右)快慶作〜奈良県 西方寺・阿弥陀如来像(重文)



そして、
「本像は具体的な造立年代は未詳であるが、鎌倉時代初めに仏師快慶によってつくられた可能性がきわめて高い、類例のない姿に荘厳された極小の阿弥陀如来像である。」
と、結論付けられています。


銘記等がありませんので、快慶作品であると断定することは、なかなか難しいのではないかと思われますが、類例のない「水晶宝龕入り阿弥陀如来像」を快慶が作ったのではないかというのは、大変に興味津々の話です。

写真でしか見ておりませんが、極小像としては、なかなかの造形力の仏像のようで、今後の議論、研究が愉しみです。






●小浜市・福井県立若狭歴史博物館で青蓮寺・観音菩薩立像が特別公開(9/11〜10/8)  (2018年9月10日)


福井県小浜市の県立若狭歴史博物館で、美浜町佐柿の青蓮寺・観音菩薩立像が特別公開されます。

公開期間は、2018年9月11日(火) 〜 2018年10月 8日(月)です。
詳しくは、
若狭歴史博物館HP特別公開ページをご覧ください。

青蓮寺・観音菩薩像は、像高53.4p、10世紀初めころの制作とされています。
かつてはあまり知られていなかった仏像で、平成24年(2012)に福井県指定文化財に指定された後、翌平成25年(2013)に国の重要文化財に指定され、注目を浴びました。

  
       
青蓮寺・観音菩薩像(重文・平安時代)



この仏像は、一見、檀像を思わせるような造形で、精緻な美しさが目を惹く像です。
しかしこの像は、素木ではなく、漆箔仕上げで、右腕部に乾漆を用いた形状修正があることや、蓮肉まで一木ではなく足ホゾで立たせていることなどから、純粋な檀像とは異にしています。

重文指定時の文化庁の解説では、

(右上膊天衣の旋転文は)醍醐寺薬師如来左脇侍像(国宝、延喜13年・913完成)よりも法華寺十一面観音像(国宝、9世紀前半)に近い。
こうした点より製作年代は醍醐寺像よりは降らず、9世紀末から10世紀初めころにおいて大過ないであろう。
彫り口の切れ味のよい美しさをみせる造形は承平4年(934)ころの作とみられる法性寺千手観音像(国宝)に繋がっていくととらえられる。
この時期の彫像の中で、できばえにおいてこれを代表する水準を示す一作として注目される。」
(月間文化財2013.6月号)

と述べられており、9C末〜10C初の優品像との評価がされています。


現在、福井県立若狭歴史博物館に寄託されていますが、通常は公開されていないようです。
私は、重文指定時に東京国立博物館に出展されたときと、若狭歴史博物館にて、本像を観たことがあります。

青蓮寺のある美方郡美浜町というのは、小浜と敦賀の中間、三方五湖の近くで、こうした処に美麗な都ぶりの檀像風観音像が残されているのに、今更ながらに、若狭の古代文化の奥深さを感じました。






●「大阪の歴史再発見」非公開文化財特別公開で「専念寺仏像群」が公開(9/1〜3)  (2018年8月10日)


「大阪の歴史再発見」非公開文化財の特別公開では、折々、大阪市内所在の古仏像が特別公開されていますが、今回は、東淀川区、専念寺の仏像群が特別公開となります。

特別公開期間は、2018年9月1日(土)〜9月3日(月)です。
詳しくは、大阪市HP・
『大阪の歴史再発見』非公開文化財「専念寺仏像群」の特別公開ページをご覧ください。

特別公開では、専念寺の十一面観音菩薩立像、阿弥陀如来坐像、大日如来坐像(いずれも平安時代・大阪市指定文化財)が公開されます。

私の注目は、十一面観音像です。
像高:180.1p、ヒノキ材の一木彫像です。
全体的には太造りのなかにも穏やかさが伺える造形表現で、平安中後期頃の制作のような印象を受けますが、造形構造の技法が古様であることが注目点です。
本体体躯と蓮肉までを一材から彫成するという古様な構造で、背面調査が行われていませんが内刳りも無いようです。

私も、5年ほど前に専念寺を訪ねて拝したことがありますが、膝下足元までの衣文表現の彫り口が結構深く抉られた翻波式衣文がとどめられていることが印象に残りました。

  
    
専念寺の十一面観音菩薩立像(平安時代・大阪市指定文化財)



「大阪市文化財調査報告書21・専念寺の仏像について」(2000年・大阪市教育委員会刊)には、
「専念寺像の顔は充実して定朝様に近いことを勘案すれば、専念寺像の制作時期は11世紀前半の第二四半期と推定することが出来る。 技法的には古式を示し、様式的には時代の特色を素直に反映した作風であり、市内に残る優れた平安彫刻の一つである。」
と解説されています。

私には、プレ定朝様の平安中期、古様な技法を留める像のように感じましたが如何でしょうか。

大阪市指定文化財HP・木造十一面観音菩薩立像(専念寺)ページにも、詳しい解説が掲載されていますのでご参照ください。

一度は拝してみたい、ちょっと興味深い平安古仏だと思います。


  
        
同時に公開される専念寺・阿弥陀如来像、大日如来像(共に平安時代・大阪市指定文化財)






●神奈川県立金沢文庫で関東最古級木彫「勝林寺・釈迦如来像」が初の特別公開(7/20〜9/17)  (2018年8月7日)


神奈川県横浜市金沢区の県立金沢文庫で、関東最古級木彫といわれる勝林寺・釈迦如来坐像が、期間限定で初の特別公開がされています。

  
        
東京都豊島区 勝林寺・釈迦如来像(平安前期・区指定文化財)



特別公開期間は、2018年7月20日(金)〜2018年9月17日(月・祝)です。
詳しくは、
県立金沢文庫HP特別公開紹介ページをご覧ください。

勝林寺は、東京都豊島区駒込にある臨済宗妙心寺派のお寺です。
勝林寺・釈迦如来像は、平安前期、9世紀に遡る関東最古級の木彫像とみられている像です。
お寺では、普段、公開されておらず、拝観が叶いませんので、あまり知られていない平安前期一木彫像ではないかと思います。
今回の金沢文庫での展示が、初公開になるものです。

像高50.5p、内刳りのない一木彫像です。
1993年に、豊島区の区指定文化財に指定されています。

金沢文庫の特別公開紹介ページには、次のように解説されています。

「勝林寺の本尊釈迦如来坐像は、平安時代前期(9世紀前半)に遡る関東最古級の木彫像である。
重厚な表情をみせる大きな頭部、力強い厚みのある体躯、膝前などの翻波式の深い衣文は、平安時代初期彫刻としての特徴と魅力を存分にうかがえる。
これは平安時代初期彫刻の名品として著名な国宝元興寺薬師如来立像を縮小し、坐像に改変したような姿ともいえる。
おおよそ製作環境も元興寺像と近く、本来は畿内に存在した奈良時代以来の官営工房の系譜と伝統を引き継ぐ工房で製作され、近世以前に勝林寺にもたらされて本尊とされたものとみられる。」

関東では、箱根神社・万巻上人像が平安木彫の最古の像(9C)といわれています。
勝林寺像は、元々、畿内制作の移入像とみられるものの、万巻像に並ぶ平安前期制作像ということです。

また、像容で注目されるのは、左足先まですっぽりと衲衣で包む形式です。
このスタイルは、唐の影響を受けた天平後期の形式を継承しているとみられています。
天平期〜平安前期の如来像では、唐招提寺・廬舎那仏像、京都和束町薬師寺・薬師如来像、蟹満寺・阿弥陀如来像、大阪獅子窟寺・薬師如来像が、すっぽりと衣で足先を包んだ像として知られています。
このスタイルを見ても、奈良様を継承する平安前期の古像であることが知られるのではないかと思います。

  
   
左足先まですっぽり衲衣で包む形式の如来像〜(左から)唐招提寺・廬舎那仏像、京都和束町薬師寺・薬師如来像、蟹満寺・阿弥陀如来像、大阪獅子窟寺・薬師如来像



今回の金沢文庫での初公開写真をみて、ちょっとびっくりしたのは、以前に写真で見た、勝林寺・釈迦如来像の写真と、見た目が随分と違ったことです。
以前の写真(「豊島区の仏像」2000年刊掲載写真)は、顔部、肉身部がべったりと漆箔で覆われていたのですが、今回の公開写真では、その部分が素地の古色に変わっています。
その分、ちょっと鈍さを感じた造形だったのが、シャープな厳しさが前面に出て、平安前期彫刻の魅力が大幅に増したように思います。
2016年度に、豊島区から保存修理事業の補助金が交付されていますので、この時に、修理修復が行われて、後世の漆箔がはがされたのではないかと思います。

  
        
(左)修理修復前の勝林寺・釈迦如来像〜肉身部が漆箔されている   (右)今回展示の像〜肉身部が素地古色となっている



この勝林寺・釈迦如来像、私は、未だに拝したことがありません。
「豊島区仏像彫刻調査報告書〜豊島区の仏像」(2000年刊)で、注目の9世紀像として詳しく紹介されており、一度、拝してみたい、懸案の仏像だったのですが、これまで拝観チャンスがありませんでした。

今回の、金沢文庫での初の特別公開は、見逃すことが出来ません。
じっくり、眼近に観ることが出来るのを、愉しみにしています。






●小浜市・福井県立若狭歴史博物館で、谷田部区・薬師如来像が特別公開(8/1〜9/2)  (2018年8月4日)


福井県小浜市の若狭歴史博物館で、小浜市谷田部区蔵の薬師如来坐像(平安後期・県指定文化財)が、期間限定で特別公開されています。

この薬師如来像が、博物館で一般公開されるのは、 「今回が初めて」 ということです。

特別公開期間は、2018年8月 1日(水)〜2018年9月 2日(日)です。
詳しくは、
若狭歴史博物館HP特別公開展示紹介ページをご覧ください。

この薬師如来像は、谷田部区蔵となっていますが、同地の若宮八幡神社の薬師堂本尊として祀られているものです。
平安後期(12C)の制作、像高142pの大型像で、正中前後の竪4材矧の寄木造、県指定文化財に指定されています。
いかにも平安後期、藤原風の薬師坐像です。

  
        
矢田部区蔵・薬師如来坐像(平安後期・県指定文化財)   と   薬師像が祀られる若宮八幡神社(薬師堂)



福井県史(資料編14・1989刊)によると
「像容全体の形には、肥瘠(ひせき)の感がなく、肉付きも中庸を得ていて、法量の割合に軽やかな感じを与える。
・・・・・・・・・
本像はローカル性豊かな地方作像であるが、その彫成の手法等から見て、平安時代後期のものとみられる。」
と、解説されています。
若狭小浜デジタル文化財HPにも、薬師像の解説ページがありますので、ご参照ください。

若狭歴史博物館では、若狭地域の仏像を広く紹介するため、定期的に特別公開の仏像展示が行われています。
今回公開された谷田部区・薬師如来像は、毎年秋に開催される「みほとけの里〜若狭の秘仏/文化財特別公開」の時にも公開されることもあるようですが、今回は博物館での展示ということで、じっくりと眼近に観ることが出来る機会ではないかと思います。






●長野・瑠璃光寺 薬師如来像、13世紀中頃「慶派」作か〜調査で判明(5/8)  (2018年5月19日)


長野市稲葉にある瑠璃光寺薬師堂の薬師如来坐像が、鎌倉時代の「慶派」によって13世紀中ごろに作られたとみられることが、長野市立博物館の調査で判明したということです。

本像は、像底が「上げ底式内刳り」で造られており、運慶一門の作風を連想させるものがありす。
X線調査によると、頭部には、銘文が書かれているとみられる四角形の影があったことも判明したとのことです。
慶派の仏像は、長野県内では数件しか確認されていません。

  
        
瑠璃光寺薬師堂・薬師如来坐像 と 「上げ底式内刳り」がされている同像の底部



産経新聞は、このニュースを

「瑠璃光寺薬師如来座像、13世紀中頃「慶派」作か 貴重な文化財、一般公開を検討」

という見出しで、以下のように報じています。

「同連絡会(注記:地元住民組織「千田連絡会」)は平成28年、「御前立」と呼ばれるこの座像の来歴が不明なため、「学術的なことを知りたい」と、同博物館に調査を依頼した。

調査の結果、座像は、端正な顔立ちで目が切れ長なうえ、衣のひだの波が穏やかなことが分かり、「慶派の可能性が高く、13世紀中頃に作られた可能性が高い」(同博物館)という。底面が削り込まれていたことも、慶派の特徴的な作風とみられる。
同時に実施したX線調査では、眉間近くにくぎのような円錐(えんすい)形の影と四角形の影が確認された。
四角形の影は札銘で座像の作者を記した銘文が入っていることも考えられるとしている。

県内で確認された慶派の仏像は、諏訪湖周辺の数例しかなく、同博物館の竹下多美研究員は「長野市にとって貴重な文化財だ」と指摘する。」
(2018.5.9付 産経新聞WEBニュース)

寺を管理・運営する地元住民組織は今後、一般公開を検討しているということです。






●CTスキャナ調査で、法華寺・文殊菩薩像(鎌倉)内部に大量納入品を確認(5/8)  (2018年5月13日)


奈良市法華寺町・法華寺の、鎌倉時代(13C)作の文殊菩薩坐像の内部に、舎利容器や巻物類など180点にも及ぶ大量の納入品が納められていることが、奈良国立博物館によるX線CTスキャナを用いた調査で明らかになりました。

奈良国立博物館は、2018年5月7日、その概要についてのプレスリリースを行いました。
法華寺・文殊菩薩像は、鎌倉時代の制作で、本堂内東端の脇の間に安置されている騎獅像です。
平成24年〜27年(2012〜2017)に実施された、ファイバースコープ、X線投下撮影などの調査で、大量の像内納入品が存在することは判明していましたが、本年2月、最新導入のCTスキャナ調査が実施され、納入品の形状や納入状況が、映像で明らかになったということです。
調査、判明内容の概要については、奈良国立博物館・
報道発表資料「文殊菩薩坐像(法華寺蔵)の特別公開について」をご覧ください。
納入品状況が判るCTスキャン画像が、いくつか掲載されています。

  
        
法華寺・文殊菩薩坐像(鎌倉時代) と CTスキャン画像〜舎利容器や巻物などの納入品の状況が判る



新聞各紙は、

「法華寺の菩薩像、内部に巻物や紙の束が180点」とか「納入品ぎっしり180個 - 法華寺・文殊菩薩坐像」

といった見出しで、このニュースを報じています。

読売新聞は、このニュースをこのように報じています。

「像は木造で高さ73センチ。
頭部に仏陀の舎利(遺骨)を納めたとされる舎利容器や巻物など約30点、胴部には約150点の巻物や紙の束などがあった。
取り出された形跡はなく、制作時に納められたとみられる。
こうした像内納入品は平安末期以降に多く見られ、他の例から紙の束には制作に関わった人々の名前などが書かれている可能性がある。
法華寺は奈良時代に光明皇后(701〜760年)が創建、鎌倉時代に高僧・叡尊(1201〜90年)が再建した。
同寺は当面、納入品を取り出す予定はないといい、樋口教香(きょうこう)住職は「大切に後世に伝えたい」と話している。
文殊菩薩坐像と内部の画像は8〜27日、同博物館・なら仏像館で特別公開されている。」
(2018.05.08読売オンラインニュース)

この新聞報道にもあるように、この法華寺・文殊菩薩像は、奈良国立博物館・なら仏像館で、期間限定で特別公開され、CTスキャン画像なども展示されるということです。

特別公開期間は、5月8日(火)〜5月27日(日)です。

近年は、従来のX線透過撮影による解析だけではなく、CTスキャン調査が折々に実施されるようになり、仏像の内部・胎内の状況や、納入物の形状などが、飛躍的に詳細かつ明確に確認されるようになってきました。
運慶作といわれる、光得寺大日如来像や真如苑・大日如来像のCTスキャン画像は、皆さん良くご覧になったことがあると思いますし、昨秋の運慶展に際しては、六波羅蜜寺・地蔵菩薩像や、興福寺・無著世親像、南円堂・四天王像のCTスキャン調査が行われ、納入物の状況や、内部構造などの詳細が判明しました。
また、興福寺・阿修羅像のCTスキャン調査の結果の、いくつかの驚きの新事実判明も記憶に新しいところです。

これからも、CT調査の実施によって、ビックリの新事実が続々判明しそうな気がします。






●半蔵門ミュージアムがオープン・運慶作大日如来像を展示(4/19)  (2018年4月21日)



真如苑(東京・立川市)所蔵の仏教美術を一般に公開することを目的とした文化施設「半蔵門ミュージアム」が4月19日、新たにオープンしました。

ミュージアムの概要や、利用案内については、
半蔵門ミュージアムHPをご覧ください。

皆さん大変よくご存知の、運慶作と推定されている真如苑蔵・大日如来像(重要文化財)が、展示されます。
そのほかの仏像としては、不動明王坐像(鎌倉時代・重要文化財)、ガンダーラ仏伝図浮彫などが展示されているようです。

今更ご紹介するまでもなく、真如苑蔵の大日如来像は、2006年に山本勉氏の調査等により運慶作品と推定されることが発見され、その後、個人の所蔵者が、この像をニューヨークでオークションに出品、12億8千万円という巨額で落札されて、世間の注目を集めた像です。

これまでも、折々、東京国立博物館などに出展されていましたが、これからは、半蔵門ミュージアムで、常時、観ることができるようになるようです。

  
        
(左)真如苑蔵・大日如来像(鎌倉・重文)〜推定運慶作            真如苑蔵・不動明王像(12〜13C・重文)     .



比較的小規模のミュージアムのようですが、入館無料で一般公開され、シアターも併設されています。
(現在は、「大日如来坐像と運慶 祈りと美、そしてかたち」を上映中)






●平成30年の新指定・国宝重要文化財が発表〜彫刻は13件(3/9)  (2018年3月17日)


平成30年の新指定、国宝・重要文化財について、文化審議会により答申され、新たに5件が国宝に、50件が重要文化財に指定されることとなりました。

彫刻では、三十三間堂・蓮華王院の千手観音像1001躯と、興福寺の四天王像(南円堂原所在・康慶作)の2件が、新国宝指定となりました。
重要文化財指定となったのは11件です。

新指定となる国宝・重要文化財のうち、仏像(彫刻)の一覧リストは、次の通りです。

 



詳しい答申内容は、文化庁HP・
文化審議会答申〜国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定について〜ならびに解説ページをご覧ください。
詳しい指定事由解説と写真図版が掲載されています。

「蓮華王院・千手観音像1001躯」の国宝指定は、指定事由解説によると、
「45年に及ぶ保存修理が終了したのを契機として国宝に指定する。」
ということです。
三十三間堂ご本尊の湛慶作・千手観音座像、風神雷神像、二十八部衆像(ともに鎌倉時代)は、すでに国宝に指定されています。
これで堂内の主要仏像は、全部、国宝に指定されたことになります。

  

蓮華王院三十三間堂・千手観音像



興福寺の四天王像の国宝指定は、
「やはり、国宝に指定されたのか。予想通りという処か。」
というのが、率直な感想です。
指定事由解説によると、
「この像は本来安置されていた南円堂に再び戻ることとなった。それを一つの契機としてこのたび,南円堂の仏像の中で唯一国宝となっていないこの像を国宝に指定する。」
ということです。
ご存知の通り、近年の研究により、この四天王像は、康慶作で南円堂原所在像であることが明らかにされていますが、この2月に仮金堂から原所在の南円堂に移されたことを機に、国宝指定されたようです。

  

興福寺南円堂・康慶作四天王像(2月までは仮講堂に安置)



重要文化財への新指定については、11件が幅広く指定されています。
なかでも、興味深く特筆される新指定重要文化財は、教王護国寺の四天王像の再指定です。

この四天王像は、東寺の食堂に千手観音像とともに安置され、(旧)国宝の指定を受けていましたが、昭和5年(1930)12月に、食堂が火災にあい、激しく焼損したため、国宝指定が解除されました。
(千手観音像の方は損傷程度が軽かったため、その後修復され、現在、重要文化財となって言います。)

平成6〜9年に、焼損状況のまま樹脂硬化の処置がなされて保存されていましたが、
「保存修理が行われて20年以上が経過し,現状が良好なことから今後の保存維持の見通しが立ったと判断し,重要文化財に指定する。」
ということです。
国の文化財指定の返り咲きという、大変珍しい事例となりました。
四天王像は、10世紀初頭の制作で、焼損状態の姿を見ても,なかなか立派で堂々たる像です。

  

東寺教王護国寺食堂・四天王像(現在の姿〜焼損後、修理保存)

  

東寺教王護国寺食堂・四天王像(昭和5年火災焼損前の撮影写真)



毎年、東京国立博物館で開催される「新指定国宝・重要文化財展」は、平成30年4月17日(火)から5月6日(日)となるようです。
出展仏像が決定しましたら、あらためて本HP「展示会」でお知らせいたします。






●安祥寺・五智如来像(京博寄託)が平成知新館名品ギャラリーに展示(1/2〜)  (2018年1月13日)


かつて京都国立博物館の仏像展示の顔ともいえる展示で知られていた安祥寺・五智如来像が、京都国立博物館・平成知新館の名品ギャラリーに1月から展示されることとなりました。

展示内容については、京都国立博物館HP・
名品ギャラリーページをご覧ください。

以前の京都国立博物館の旧平常展示館では、入ってすぐの正面に、安祥寺五智如来像が並んで展示され、「京博の顔」とでもいうべき存在であったことを覚えていらっしゃる方は、多いことと思います。
平成21年(2009)に旧平常展示館が建て替え工事に入ってからは、その姿を観ることが出来なくなっていました。

平成26年(2014)の平成知新館竣工後は、国宝になった大阪・金剛寺の大日如来像と不動明王像の二体の巨像が、彫刻展示室の正面にドーンと展示されていましたが、先般の「国宝展」を最後にお堂の修理を終えたお寺に戻りました。

これに替わって、修理を終えた安祥寺の五智如来像が、5体揃って彫刻展示室に展示されることとなりました。

安祥寺五智如来像は、山科安祥寺を開山した入唐僧・恵運(798-869)の造像で、いわゆる承和様式に連なる850年代の制作とされ、平安前期の彫刻史上、重要な位置を占める仏像です。
この仏像を再び見ることが出来るのは懐かしく、また嬉しいことです。

今後は、以前同様に京博の顔として、普段は彫刻室に展示されることでしょう。


  
        
かつての京都国立博物館・旧平常展示館に展示されていた頃の安祥寺・五智如来像(9C・重文)と、中尊像






●室生寺弥勒堂の釈迦如来坐像、弥勒菩薩立像が奈良博で展示中(10/3〜)  (2017年11月5日)


室生寺弥勒堂に安置されている、本尊・弥勒菩薩立像と客仏・釈迦如来坐像が、現在、奈良国立博物館の「なら仏像館」に展示されています。

室生寺弥勒堂は、2017年7月20日〜2019年3月末までの期間、全面改修工事を実施中ですが、その間、本尊・弥勒菩薩像と釈迦如来像は、奈良国立博物館に寄託されることとなっています。
現在「なら国宝館」に、寄託中の二像が展示されています。

2017年10月3日から展示中ですが、いつまで展示されるのかは未定のようです。
少なくとも、秋冬の展示期間(10/3〜1/8)は、間違いなく展示されると思います。
秋冬のなら仏像館展示仏像は、奈良博HP
「名品展・珠玉の仏たち〜出陳一覧」をご覧ください。

皆さんご存知のとおり、弥勒菩薩像(像高:94p)は、8〜9世紀制作の檀像様像で重要文化財、釈迦如来坐像(像高:106p)は、9世紀後半の優作で国宝に指定されています。
とりわけ、釈迦如来坐像は、土門拳をはじめ著名仏像写真家が、魅力的な写真を撮っており、大変人気の高い仏像ではないでしょうか。

  
    
室生寺・弥勒菩薩立像(8〜9C・重文)                              室生寺・釈迦如来坐像(9C・国宝)                    .



これら二像は、室生寺では、弥勒堂の外からの拝観となっていて眼近に拝することが出来ませんが、なら仏像館の展示では、ライティングされた中で、眼近にじっくり観ることが出来るとのことです。

現在、奈良仏像館では、このほかに、室生寺の十二神将像(鎌倉・重文)のうち辰・未神の二像、帝釈天坐像(9〜10C)、新発見の二天王像(9C)が展示されており、ちょっとしたミニ室生寺展のようになっているようです。






●福井越前「泰澄・白山信仰ゆかりの神仏」特別公開イベント開催 (10/21〜11/26)  (2017年10月21日)



福井県越前エリアでは、今年が、泰澄の白山開山から1300年の記念年となることから、泰澄・白山信仰に関連するイベントが開催されます。

「泰澄・白山信仰ゆかりの神仏」の諸社寺特別公開、各種バスツアーや、博物館の企画展など、興味深いイベントが盛りだくさんです。

具体的な開催プログラムは、福井県HP・
白山開山1300年「泰澄・白山信仰ゆかりの神仏」特別公開ページに、詳しく掲載されていますので、ご覧ください。


なかでも大変興味深いのは、

【「泰澄・白山信仰ゆかりの神仏」の諸社寺の神仏の特別公開】

です。

普段は拝することの難しい、越前の多くの古神仏が、期間中随時公開されます。
公開寺社の神仏像、公開期間はごらんのとおりです。

  



越前エリアのこれだけ沢山の古神仏が、一挙に特別公開されるというのは、今回が初めてのことではないかと思います。

詳しい公開内容、連絡先等は、HP掲載のこちらの【パンフレット】をご覧ください。


福井県の仏像については、小浜を中心とする「若狭地方の仏像」は、大変よく知られているとおりです。
羽賀寺、多田寺、明通寺、妙楽寺、加茂神社などなど、すぐに思い浮かばれることと思います。

同じ福井県でも、もう一つの「越前地方の仏像」については、知られていないのではないでしょうか?

白山信仰と共に造像された見どころある平安古仏等が、いろいろ残されているのですが、採り上げられることが少ないようです。
昨年(2016年)10〜11月に、福井市立郷土歴史博物館で、 特別展「福井の仏像〜白山を仰ぐ人々と仏たち〜」 が開催され、越前にのこる見どころある平安古仏の多くが一堂に会しました。
本展覧会開催で、愛好者の中で「越前の仏像」が、大いに注目されるようになったのではないかと思いますが、今回の「泰澄・白山信仰ゆかりの神仏」特別公開では、展覧会に出展されなかった見どころある神仏像が公開され、一見の価値あるものです。

私は、昨年「福井の仏像展」に合わせて、今回特別公開の仏像の中で、いくつかの越前の社寺の仏像を訪ねました。

そのなかで、とりわけ、印象深く、思い出深かった仏像は、
大谷寺・三所権現像、 朝日観音福通寺・聖観音像、 日野山十五社・大日阿弥陀二像、 樺八幡神社・諸像
でした。

  
        
.      大谷寺・三所権現像               朝日観音福通寺・聖観音像         日野山十五社・大日如来像


これらの社寺・仏像は、観仏日々帖「2016年・今年の観仏を振り返って〈その4〉」に、探訪記と仏像写真を掲載していますので、ご覧いただければと思います。

この機会に、「知られざる越前の仏像探訪」に出かけて観られるのは如何でしょうか。


この期間、関連の展覧会として、次のような特別展が、博物館各所で開催されています。

  



福井県立歴史博物館の特別展「泰澄〜白山信仰における意義を探る〜」には、平泉寺観音堂・聖観音像が出展されます。
比叡山横川中堂の聖観音像を思わせる、穏やかで気品漂う、平安後期の美しい仏像です。

  
       
                        平泉寺観音堂・聖観音像  


なお、若狭地方の「みほとけの里 若狭の秘仏/文化財特別公開」は、毎年恒例となっていますが、今年も、9月16日(土)〜11月26日(日)の期間、特別公開中です。
詳しくは、福井県HP・みほとけの里 若狭の秘仏/文化財特別公開ページをご覧ください。






●「大阪の歴史再発見」非公開文化財特別公開で「地蔵寺仏像群」が公開(10/8〜10)  (2017年9月23日)


地蔵寺
大阪市住吉区墨江の地蔵寺の仏像群が、特別公開されます。
仏像群中、本尊・地蔵菩薩像は、興味津々の平安古仏一木彫像のようです。

特別公開期間は、2017年10月8日(日)〜10月10日(火)です。
詳しくは、大阪市HP・『大阪の歴史再発見』 非公開文化財
「地蔵寺仏像群」の特別公開ページをご覧ください。

近年、大阪市教育委員会では「大阪市の歴史再発見」と題し、いろいろな文化財についての見学会、講演会が、精力的に開催されています。
昨年は、普段非公開の大阪市中央区の「三津寺仏像群」の古仏が特別公開され、話題を呼びました。
今年度も、いくつかの古寺の仏像の特別公開が「大阪の歴史再発見」事業で開催されています。

今回、公開される「地蔵寺仏像群」の地蔵菩薩立像は、注目すべき平安古仏であると思い、ご紹介させていただきました。
本像は、展覧会等で公開されたことは無いと思います。

この地蔵像、私も未見なのですが、写真で見ると、なかなか魅力的で興味深い平安古仏のように感じます。
10世紀末〜11世紀前半の制作とみられているようですが、彫り口も鋭いものもあり量感も豊かで、一見の価値がありそうです。

  
        
地蔵寺・地蔵菩薩像(平安時代・大阪市指定文化財)


この像は、大阪市文化財総合調査で調査確認され、平成11年度(1999)に大阪市指定文化財に指定されています。
詳しくは、大阪市指定文化財HP・木造地蔵菩薩立像(地蔵寺)ページをご覧ください。

ご関心のある方は、是非お出かけください。





●金沢西光寺で鳥取大山寺・小金銅仏観音像(重文)の兄弟仏発見(8/24)  (2017年9月2日)


金沢市暁町の西光寺が保管してきた小金銅仏観音像が、鳥取県大山町の大山寺所蔵の重要文化財「銅造十一面観音立像」と酷似することが判明しました。

帝塚山大(奈良市)の杉崎貴英准教授等の調査で判明したもので、杉崎氏によれば
「『兄弟仏』の可能性がある。まるで双子のようだ」
とのことのようです。

大山寺には、重要文化財の小金銅仏観音像が4躯残されていますが、西光寺像と兄弟仏かもしれないとされているのは、十一面観音像(像高28.7cm)で、白鳳期の制作とみられているものです。
この十一面観音像は、「文和元年(1352)に出土し、大山を御神体とする大神山神社の末社・下山神社の御神体とした」と伝えられる像です。

       
兄弟仏とみられる小金銅仏観音像〜(左)西光寺像、(右)大山寺像         大山寺・金銅「十一面観音像」(重文・白鳳時代)     .



兄弟仏像の発見を報じた「北陸中日新聞」記事は、「秘仏 重文の兄弟像か 金沢 西光寺で明治から保管」という見出しで、その来歴と発見経緯について、このように報じています。

西光寺金銅仏像の調査の様子
「もともとは富山県にあったもので、中條けん山住職(81)は
『祖母が明治25(1892)年に宮島村(現小矢部市)から嫁いできた際、実家から持ってきたと伝えられています』
と話す。
それ以外の来歴は、はっきりしないようだ。

立像が富山県に縁があることを知った富山考古学会が5月に調べ、その内容を親交のある杉崎氏に連絡したところ、外見が十一面観音立像に似ているという指摘を受けた。

杉崎氏は二十三日、西光寺を訪れ、3Dプリンターで製作した十一面観音立像と西光寺の立像とを比較した。
『巻きスカートの帯の先端が足よりも下に伸びているのも同じ。 腕の太さや胸飾りなど細かい違いはあるが、酷似している。
論文によれば、全国に兄弟仏は十数例あるとされるが、ここまで似ているのは珍しい』
と杉崎氏は驚きを隠せない様子だった。」

大変よく似た仏像や、一対の脇侍像が離れ離れになったりして、遠く離れたところに在るという例は、間々ありますが、今回の二つの金銅仏像も、もともとは同じところに在ったものなのでしょうか?


「兄弟仏」というのは、どのような場合にあてはまるのか、その定義が、勉強不足でよく判りません。
像容など酷似していれば、「兄弟仏」と呼ぶのでしょうか?
それとも「兄弟仏」とされるには、必要な要素、条件などがあるのでしょうか?





●静嘉堂文庫・十二神将像から運慶没後、安貞2年(1228)の体内銘発見(7/17)  (2017年7月29日)


近年、運慶作品ではないかと話題になっていた、旧浄瑠璃寺伝来の静嘉堂文庫・十二神将像の1躯から、運慶没後5年にあたる安貞2年(1228)とみられる、墨書きが発見されました。

平成28年度に修理調査した「亥神像」の、ファイバースコープによる像内合成映像の解析によると、像内頭部に「あんてい二ね・・」と判読できる墨書が残されていたということです。

この十二神将像については、近年(2012)、「体内に運慶銘があるのを発見した」とする明治年間の新聞記事が存在することが明らかにされ、俄然、「運慶作品の新発見か?」と、大きな話題になっていたものです。

静嘉堂文庫美術館所蔵の7躯は、平成25年度から、順次、修理調査が行われ、「運慶銘」が発見されるのではないかと、期待が膨らんでいました。
27年度までに修理された5躯からは、体内墨書銘は発見されませんでしたが、28年度修理の最後の2躯の一つから、「安貞2年銘」が発見されたということです。

運慶の没年は、貞応2年(1223)とされていますので、この墨書を信用すると、この十二神将像は、運慶が没した5年後に、運慶工房によって制作されたという見方になろうかと思われます。

   
像内頭部から墨書が発見された浄瑠璃寺伝来静嘉堂文庫蔵・十二神将像「亥神像」と、発見墨書の略図(静嘉堂作成)



7月12日付け産経新聞は、体内墨書発見を、

「重文『木造十二神将立像』、運慶作じゃなかった?」

という見出しで、このように報じています。

鎌倉時代の仏師、運慶の作品ではないかと仏像ファンらの間で話題になっていた国の重要文化財「木造十二神将立像」(全12体)の1体から、運慶の没後5年に当たる安貞2年(1228)とみられる墨書きの文字が見つかり、運慶作品と確定できなかったことが分かった。

所蔵する静嘉堂文庫美術館(東京都世田谷区)は、
「墨書は運慶没後のものだったが、この像が安貞2年ごろに制作された可能性が高まり、学術的に大変有意義な発見」
としている。

美術館によると、十二神将立像は同館が7体、東京国立博物館(台東区)が5体を所蔵。
運慶が棟梁を務めた「慶派」の優れた作品として知られていたが、運慶が関与したかは不明だった。

転機は平成24年。
12体のうちいずれかの像の内部に「上坊別当執筆、大仏師運慶」との銘文があったことを報じる明治35年の新聞記事を発見したとの論文が発表された。
以来、専門家や仏像ファンの間で、運慶本人の作品かもしれないと話題になっていたという。

そうした中、美術館は平成25年度から順次、所蔵する7体の損傷の修理に着手。
銘文の手がかりがないか、像内部の空洞にファイバースコープを入れて撮影するなどの調査も行った。
このうち28年度に修理・調査した「亥神像」の内部画像を合成、解析した結果、像内の頭部に「あんてい二ね八月」「あんてい二ね九月十七口(日)」と判読できる墨書が確認された。

墨書が制作年を示しているかなどの確実な情報がなく、運慶の関与も依然として判明しないが、論文を発表した神奈川県立歴史博物館の学芸員、神野祐太さん(32)は、
「制作年代の特定に近づく資料の一つで、彫刻史的に意義がある発見」
と評価する。

一方で、神野さんは
「(運慶の)銘文が出ればいいなと思っていた」
と残念さもにじませた。
新聞記事の銘文は、大正時代に国宝に指定された木造不動明王立像などの運慶の銘と書式が似ているといい、神野さんは、
「明治時代の記事は実物を見ていないと書けないのではないか。銘文が残りの中に入っている可能性を捨てたくない」
と話している。


この浄瑠璃寺伝来の十二神将像が、運慶作品ではないかという説が急浮上したいきさつや、神野雄太氏の発表論文の概略については、本HP、
「運慶仏発見物語【その9−10】」
に、簡単にまとめて掲載したことがありますので、そちらをご覧ください。

また、静嘉堂文庫美術館HP・「お知らせ」に、「重要文化財「木造十二神将立像」の像内墨書について」と、墨書発見に至った調査内容の概略が、発表されています。
修理調査の内容、墨書の解析映像、発見部分像内略図などが、大変詳しく掲載されています。


東京国立博物館に分蔵されている5躯については、未だ、体内の調査が行われていませんので、確たることは言えませんが、浄瑠璃寺伝来の十二神将像は、「運慶没後の早い時期の工房作品」ということで、落ち着きそうな感じです。

なお、この秋、東京国立博物館で開催される「運慶展」(9/26〜11/26)には、静嘉堂美術館所蔵像、東博所蔵像、合わせて12躯が勢ぞろいして展示されるということです。





●佐賀市・東光寺で県内最大級平安仏発見(6/11)  (2017年6月18日)


佐賀市本庄町の東光寺で、厨子内に秘仏として守られていた薬師如来像が、平安後期の制作の約170pの一木造りの像であることが、判明しました。
黒く焼け焦げ、欠失部もあるなど、かなり焼損しているようですが、佐賀県内最大級の平安古仏の発見だということです。

この発見を報じた佐賀新聞には、このように記事が掲載されています。

厨子の窓から姿が見える、東光寺・薬師如来像
「佐賀市本庄町の東光寺で、約千年前の平安時代後期に制作されたとみられる黒く焼け焦げた薬師如来像が厨子に保存されていたことが分かった。
高さが169.5pあり、同時代の仏像としては佐賀県内では最大級の大きさとなる。
佐賀藩藩祖・鍋島直茂(1538〜1618年)も戦勝祈願をしたという寺で、直茂の娘たちによる厨子の再建から400年の節目を迎え、18代住職の三浦祥善(しょうぜん)さん(68)が開帳し見つかった。

薬師如来像はケヤキを彫ったとみられる一木造り。鑑定した県立博物館の竹下正博学芸員は
『焼け落ちた腕なども当時の人々の手で保存してあることから、霊験あらたかな仏像として大切にされていたことが分かる』
と話す。
竹下学芸員によると、薬師如来像は頭があまり大きくなく、体つきのバランスが良くて薄いのが平安時代の流行と一致する。
木が湿気などでゆがみひび割れることを防ぐため、頭と背中に長方形の穴を開けて内部をくりぬく方法も平安の技術という。
焼損前は180センチの高さだったとみられ、巨大な一木造りが後年に作られる例は少ない。

・・・・・・・・

厨子は高さ約2m、約幅1.5m、奥行き約1m。
竹下学芸員と檀家の井上敏幸佐賀大名誉教授が小窓を開けて入り調べた。
内部には薬師如来像のほか、室町時代末から江戸時代ごろの日光菩薩像、月光菩薩像、十二神将像も見つかった。
三浦住職は
『こんなに大きな仏像だったとは驚いた。厨子の窓はお盆すぎまで開けて、皆さんに見てもらいたい』
と話している。」

新聞掲載の写真しか、この薬師像の写真がありません。
かなり焼損摩耗していて、当初の像容をはっきりつかむことが難しそうですが、十分に内刳りが施された平安後期の一木造りの像であろうかと見受けられます。





●春日井市・退休寺の阿弥陀像から久安2年(1146)造立の墨書発見(5/17)  (2017年5月27日)


愛知県春日井市大泉寺町にある退休寺の本尊、阿弥陀如来坐像から像内墨書が発見され、造立年が、平安時代末期の久安2年(1146)であることが判明しました。

       
退休寺・阿弥陀如来坐像と胎内から発見された墨書銘〜一番左に久安2年の墨書がある



本像の発見について、中日新聞は「阿弥陀像1146年造立、平安期県内最古級 春日井・退休寺」という見出しで、次のように報じています。

「春日井市大泉寺町の退休寺(牛田元昭住職)の本尊・木造阿弥陀如来坐像が、久安2(1146)年に、尾張国府があった「中嶋郡」(現在の一宮市など)で作られたことが、像内で見つかった銘から分かった。

現存する平安期の在銘像としては県内最古級。銘が残る上、衣紋などに地域色があり、県内の仏教美術史研究の貴重な発見だ。
 像は割矧ぎ造り(一本の木で彫った後、割って内部をくり抜き、継ぎ戻す手法)で、高さ約82センチ。
昨年からの本堂改修に伴う修理の際、像内部に墨書の銘が見つかった。
造像年のほか造立地「尾張国中嶋郡北条鴾嶋郷」(現在の一宮市時之島付近)、発願者「僧永澄」「賀茂氏愛子」などの名を記している。

 調査した小野佳代・東海学園大准教授によると、「永澄」は「東大寺文書」に名が残る東大寺僧の可能性がある。「賀茂氏愛子」は不明だが、隣接する美濃国の賀茂一族との関連が考えられる。
 像は、当時の中央仏師による定朝様式の如来像と比べ、正面の衣の垂れ方(U字型)が浅く、足の下に衣を挟み込んでいる点などに特徴がある。
同じ特徴は犬山市の薬師寺の本尊・薬師如来像(国重要文化財、平安)にもみられ、『地域在住の仏師による独自のアレンジだったのではないか』(同准教授)という。
・・・・・・・・・」(2017.5.17付、中日新聞)

ちょっと独特の風貌をした、いかにも藤末鎌初という感じの阿弥陀坐像です。
銘記に、仏像造立地とある「尾張国中嶋郡」は、現在の稲沢市一円の地域で、このあたりには、平安後期から鎌倉時代ごろの仏像が数多く残されています。
仁安2年(1167)頃造立で玉眼嵌入像として知られる、七ツ寺・観音勢至坐像(重要文化財)も、元稲沢にあったお寺です。
稲沢地区は、仏像好きには、興味深い地域と云えるでしょう。
稲沢の仏像については、椙山女学園大学文化情報学部による
「地域文化・仏像バーチャルミュージアム」という動画HPが開設されており、大変参考になります。

なお、本像の墨書銘発見等等々、その詳細については、「東京国立博物館研究誌・MUSEUM667号」(2017年4月刊)に、
「資料紹介 愛知県春日井市・退休寺の久安2年銘阿弥陀如来坐像」
という詳しい論考が、山本勉氏・小野佳代氏の共同執筆で掲載されています。
ご関心のある方は、こちらをご覧になってください。





●平成29年の新指定・国宝重要文化財が発表〜彫刻は7件(3/10)(2017年3月18日)


平成29年の新指定、国宝・重要文化財について、文化審議会により答申され、新たに7件が国宝に、37件が重要文化財に指定されることとなりました。

彫刻では、深大寺・釈迦如来倚像、法華寺・維摩居士坐像、天野山金剛寺・大日如来坐像、不動降三世明王坐像の3件が、新国宝指定となりました。
重要文化財指定となったのは4件です。

新指定となる国宝・重要文化財のうち、仏像(彫刻)の一覧リストは、次の通りです。


       


詳しい答申内容は、文化庁HP・
文化審議会答申〜国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定について〜ならびに解説ページをご覧ください。
詳しい指定事由解説と写真図版が掲載されています。

今回は、なんと仏像彫刻が一気に3件も国宝指定となり、ビックリしました。

深大寺釈迦如来像の国宝指定は、なるほどと納得という感じがしました。
その清明な造形は、白鳳彫刻の白眉といって良いものだと思います。

法華寺・維摩像と、金剛寺の大日如来、不動降三世明王像が国宝指定となったのは、私にはちょっと意外な感じがありましたが、文化庁の国宝指定解説で述べられているように、その造像由来や宗教的意義の重要性も含めて、国宝指定となったのだと思います。


       
深大寺釈迦如来像                      法華寺・維摩坐像


 
天野山金剛寺〜大日如来、不動明王・降三世明王像


重要文化財に指定された4件は、そのうち廬山寺・阿弥陀三尊像の他の3件は、近年新たに調査等で見出された、平安後期の仏像、神像だということです。
私も、蘆山寺の仏像以外は、その存在を全く知りませんでした。
各地の仏像は調べつくされているようで、まだまだ見知らぬ良き仏像が、何処かに眠っているようです。





●発見された新薬師寺・香薬師像の右手、奈良博で公開展示(12/27〜)(2016年12月29日)


行方不明になっている新薬師寺・香薬師像
長らく行方不明になっており、今年、発見が報じられた、新薬師寺・香薬師像の右手が、奈良国立博物館で公開展示されることになりました。

新薬師寺・香薬師像は、「白鳳の傑作美仏」といわれますが、昭和18年(1942)の三度目の盗難以来、行方不明となっています。
その時同時に盗難にあったと思われていた、香薬師像の右手先が、実は盗難から免れ、その後寺外に出て、長らく別に保管されていることが発見されました。
この発見物語については、先に「観仏日々帖」でご紹介した通りです。
発見に至ったいきさつ、ドキュメントについては、
「観仏日々帖:新刊案内〜「香薬師像の右手〜失われたみほとけの行方」貴田正子著」
を、ご覧ください。

劇的な発見物語の結果、新薬師寺に返還された、香薬師像の右手先ですが、
このたび、12月27日から、奈良国立博物館に寄託され、奈良仏像館で展示されることになりました。
公開展示の詳しい内容については、奈良国立博物館・プレスリリース「仏手(新薬師寺所蔵)の公開について」をご覧ください。
奈良博プレスリリースの解説には、次のように、述べられています。

「香薬師」の名で知られる白鳳彫刻の名品、新薬師寺・銅造薬師如来立像(重要文化財)の、右手首先と思われる。
・・・・・・・・
爪先に向かって細まりつつ繊細な反りを示す指、金属とは思えないやわらかさを感じさせる掌など、小品とはいえ、その造形は魅力に満ちている。
全体から受ける印象にくわえ、手相や関節の表現にいたるまで、法隆寺・銅造観音菩薩立像(夢違観音・国宝)の右手に酷似し、両像が同じ作者の手になることを示している。

今回の公開が、像本体の再発見のための一助となることを願ってやまない。」

       
奈良博に展示されることになった、発見された香薬師像・右手先と、法隆寺・夢違観音


白鳳時代を代表する美仏、名品といわれる、新薬師寺・香薬師像。
「右手先だけ」とはいうものの、是非一度は、眼近に観てみたいものです。




●薬師寺東塔、年輪年代測定で平城京新築で決着(12/19)(2016年12月29日)


現在解体修理が進行中の薬師寺・東塔ですが、奈良文化財研究所が年輪年代測定を行った中間結果が発表されました。

       
薬師寺東塔と、719年以降に伐採されたことが判明した心柱


測定結果によると、平城遷都(710)以降に伐採された用材を用いて建築された可能性が高いことが明らかになりました。
新聞各紙は、「移建説否定」「新築?移築?論争決着へ」などという見出しで、報じています。

朝日新聞、2016.12.20付け記事は、このように報じています。

「『凍れる音楽』と称される奈良・薬師寺の東塔(国宝、高さ約34メートル)が、奈良時代の730年ごろに建てられたことが分かった。
・・・・・・・
東塔では、2009年から約110年ぶりの解体修理が進行中。
奈文研は取り外された初層(1階)の天井板2点に対し年輪年代測定を実施し、伐採年が729年と730年と判明。
塔中央の心柱についても測定し、最も外側の年輪が719年を示し、720年代に伐採された可能性が高まった。
伐採年が710年の平城遷都前の飛鳥時代までさかのぼる結果は、確認されていない。
・・・・・・・」

       
朝日新聞・12.26付記事


薬師寺伽藍の藤原京薬師寺からの移建、非移建論争は、かつては火花を散らした大論争でしたが、近年では、「非移建、平城京新築」が、一般的な定説になっていたと思います。
今回の年輪年代測定の結果は、近年の定説を実証、裏付けた、科学的研究の結果と云えるのでしょう。

薬師寺・金堂三尊の、「本薬師寺からの移坐、平城京での新造論争」の方は、未だに決着を観ていないようです。
この大問題の決着がつくときは、いつの日か、来るのでしょうか?




●鳥取地震で大山寺の重文・小金銅仏の首が折損(10/21)(2016年10月29日)


10月21日、鳥取中部で震度6の地震が発生しましたが、伯耆富士・大仙の山腹にある大山寺の、宝物館・霊宝閣に保管されている、重要文化財の銅造・観音菩薩立像(像高36.9cm)が、地震で後ろに倒れ、頚に部分が折れた状態で見つかりました。

新聞各紙は、次のように報じています。

〜地震で国重文仏像倒れ首折れる…「身代わりに」〜

「鳥取県大山町の大山寺にある宝物館『霊宝閣』で展示されている国重要文化財『銅造観世音 菩薩立像』(高さ36.9センチ)が地震後、首の部分が折れた状態で倒れているのが見つかった。
同町では震度4を記録。
同館にある他の重文の仏像3体は無事だった。
破損した仏像は、10〜12世紀に中国でつくられたとされる。
同館を管理する大山寺の支院・円流院の大館宏雄住職(56)は
『倒れているのを見たときは非常にショックだった。観音様が身代わりになって、寺を守ってくれたのかもしれない』
と話していた。
・・・・・・・・」(2016.10.22 読売新聞オンライン)

この観音菩薩像は、顔立ちや太造りの体貌、宝冠をはじめとする華やかな装身具をつける特色から、宋時代(北宋あるいは遼)制作の請来仏とされています。
大山寺では、「できるだけ早く修復したい」と考えているということです。

       
地震で頚が折損した観音菩薩立像(左)と大山寺・観音菩薩立像〜宋時代・重要文化財(右)





●新発見の滋賀・高尾地蔵堂の毘沙門天像、奈良博・募金で修理実現(2016年7月9日)


滋賀県甲賀市の高尾地蔵堂の安置されていた毘沙門天像(平安後期・12C)が、奈良博の文化財保存への募金を活用して、保存修理が実現し、奈良国立博物館において初公開されました。

この毘沙門天像は、甲賀市の無人のお堂・高尾地蔵堂に祀られていたものですが、岩田茂樹・奈良博上席研究員らが2010年、甲賀市史の編集に伴う事前調査をした際に、発見されたということです。
発見時には表面が分厚い後補の彩色で覆われていましたが、様式などから12世紀の仏像と確認され、着衣の繊細な表現などから、円派や院派に属する仏師の作品と推測されています。

盗難の恐れもあることから、2013年に奈良博に寄託されましたが、昨年から1年かけて、美術院国宝修理所の手で解体修理が行われました。
江戸時代以降に塗られたとみられる極彩色が除去され、当初の顔などを彩っていた淡紅色を復活するなと、面目を一新しました。

修復された毘沙門天像は、奈良仏像館において6/28〜9/19に展示されます。
本像の詳しい修理解説等は、奈良博HP・
プレスリリース展示解説ページをご覧ください。

    
修復前、後世の極彩色に塗られた、高尾地蔵堂・毘沙門天像(左)と修復完成後の毘沙門天像(右)



ところで、この仏像の修復費用は、全額、同博物館の募金箱に託された浄財で賄われました。
修復費用は、約400万円ということです。

奈良国立博物館に設置されている
文化財の保存修復への募金箱

奈良国立博物館では、平成24年(2012)から、文化財の修理修復のための募金箱を館内に設置して、来館者からの浄財を募ってきています。
奈良博HP・「募金、文化財修理保存基金へのお礼」(2016.01.14)によると、

「募金は、平成24年4月より開始し、皆様のご厚志、ご支援により24年度分が2,703,218円でございました。
これは、25年度に当館所蔵の重要文化財「絹本著色安東円恵(あんどうえんえ)像」の修理費用の一部として活用させていただきました。
・・・・・・・
 また、平成25・26年度分につきましては、併せて5,157,540円でございました。
そして25年度からの文化財修理保存基金への寄附金につきましては、併せて27,003円で、総額5,184,543円ございました。
これは本年度に、当館に永くご寄託いただいている「木造毘沙門天立像」の修理費用として活用させていただき、平成28年度中には修理完成後のお披露目展示をさせていただきます。」

ということです。

恥ずかしながら、奈良博に文化財修理修復への「募金箱」が設置されていたことに、このニュースに接するまで、私は気が付いていませんでした。
大変、良き趣旨の募金であるとともに、また、募金箱だけなのに年間250万円以上集まっているということに少々驚きました。
今度、奈良博に行った時には、わずかばかりでも募金をせねばと思った次第です。




●イタリア・ローマで文化庁主催「日本仏像展」を開催(7/29〜9/4)(2016年7月2日)


イタリア・ローマで、日本の傑作仏像が多数展示される「日本仏像展」が開催されます。
平成28年(2016)が、日伊外交関係開設150周年にあたることから、文化交流事業の一環として文化庁主催で開催されるということです。

飛鳥時代から鎌倉時代までの、傑作仏像21件(35点)が展示されます。 元興寺・薬師如来立像(国宝・平安時代)、深大寺・釈迦如来倚像(重文・白鳳時代)、秋篠寺・梵天立像(重文・奈良時代)、雪蹊寺・毘沙門天立像(重文・鎌倉時代)など、よく知られた名作仏像が出品されるということです。

        
元興寺・薬師如来立像              深大寺・釈迦如来倚像            雪蹊寺・毘沙門天立像


平成28年7月から9月にかけて,イタリア・ローマ市のクイリナーレ宮美術館において開催されるということですが、古代彫刻の本家本元ともいえるローマの地で、この「日本仏像展」は、どのような注目を浴びるのでしょうか?

わざわざ、ローマでこの「日本仏像展」をご覧になろうという方は、いらっしゃらないと思いますが、日本の仏像が、多数、ヨーロッパで展観されるというめずらしいニュースですので、お知らせしました。

詳しくは、文化庁HP・
文化庁主催海外展「日本仏像展」の開催ページをご覧ください。
出展される仏像リストは、「日本仏像展出品作品一覧」をご覧ください。




●改修休館中の奈良博「なら仏像館」がリニューアルオープン(4/29〜)(2016年4月22日)


奈良博「なら仏像館」〜片山東熊設計・奈良帝国博物館本館(重文)
2014年9月から改修のため休館していた、奈良国立博物館「なら仏像館」は、改修が完了し、約1年半ぶりにリニューアルオープンすることとなりました。
オープン日は、2016年4月29日(金・祝)です。

ご存じのとおり、奈良博「なら仏像館」は、明治28年(1895)に開館した奈良帝国博物館・本館の建物です。
片山東熊の設計による明治期洋風建築の代表例として、国の重要文化財に指定されています。
この名建築を次代に伝えつつ、陳列館として良好な室内環境、展示環境のもとに活用していくため、改修が実施されたものです。

奈良へ出かけると、まずは「なら仏像館」にて、名品仏像を鑑賞するのが通例となっておられる仏像愛好の方も多いものと思われ、今回のリニューアルオープンを心待ちにされていたのではないでしょうか。
従来以上に、良き展示環境、明るい照明の下で、仏像鑑賞できるものと、私も楽しみにしています。


リニューアルオープンに際した、名品展「珠玉の仏たち」に展示される、主な仏像などについては、報道発表資料
「なら仏像館リニューアルオープンについて」をご覧ください。
また、全出陳目録については、奈良博HP出陳一覧をご参照ください。
展示期間は、2016年4月29日(金・祝)〜6月26日(日)となっています。

出陳仏像は、それぞれ見どころのある仏像が105件も出展されますので、ご紹介のしようもありませんが、国宝仏像としては、奈良博・薬師如来坐像、元興寺・薬師如来立像、長谷寺・法華説相図板、薬師寺・八幡三神坐像が展示されます。

        
元興寺・薬師如来立像                 奈良博・薬師如来坐像            薬師寺・八幡三神像のうち神功皇后像


私の注目像は、室生寺・二天王像(無指定)です。

この二天王像は、昨年(2015)7月に、室生寺仁王門の2階内部から見つかった新発見仏像です。
昨年8月から、奈良博に仏像が移され、調査等が行われていました。

奈良博の解説文には、このように記されています。

「もとは四天王像を構成したうちの2躯が残されたものであり、伝持国天は本来増長天、伝増長天は広目天像であったのではないかと考える。
2躯とも腕を除いた像の中心部を針葉樹(カヤか)の一材から彫成して内刳しない堅固な構造である。
太造りで量感に富んだ塊量的な体系が印象的で、造立年代も9世紀末頃を中心に考えることが出来、今後注目を集める作例といえよう。」

    
室生寺仁王門から発見された二天王像(平安時代・9世紀末頃)〜(左)伝増長天像、(右)伝持国天像


是非とも、一度は観てみたい、平安前期の一木彫像ではないでしょうか。

この室生寺・二天像の発見については、以前に、特選情報「奈良・室生寺で、平安時代の四天王像2体発見」にて紹介させていただいておりますので、ご覧ください。




●東京・上野に「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」オープン(3/21)(2016年3月26日)


3/21にオープンした「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」
東京都台東区上野に、長浜市の都内における情報発信の新しい拠点「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」がオープンすることになりました。

所在地は、上野公園に隣接した上野の森ファーストビル1F(台東区上野2丁目14番27号)で、2016年3月21日にオープンしました。

長浜市のプレスリリースには、次のような解説主旨コメントがされています。

「琵琶湖の北東に位置する長浜市は、古くから観音信仰が篤く、人々の手によって守り継がれてきた観音像が、今も数多く点在する “観音の里”です。
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」は、そんな長浜市独自の歴史や文化を広く発信するため、“東京にある、長浜の観音堂”をコンセプトに、地方自治体の施設としては国内初の、「観音」がテーマの情報発信拠点として新設されます。

長浜産の檜材で造られた館内中央の「観音堂」には、長浜からお出ましいただく観音像1体を2か月交代で展示。
モノトーンの静謐な空間で、日常から離れ、ゆっくりと観音像と向き合うことができます。また、ギャラリースペースでは、長浜市の観音像についての史料や映像、市の観光情報などを展示します。」

開館時間など詳しくは、
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」HPを、ご覧ください。
湖北の仏像の公開情報などの最新ニュースを知ったり、映像を愉しむことが出来るのではないかと思います。

2ヶ月交代で、観音像が1体展示されるということですが、初回の展示は、竹生島宝厳寺の聖観音立像(平安後期・無指定)が展示されます。
無指定ですが、平安後期、いかにも藤原風の優美な仏像です。

東京国立博物館など上野へ行かれた時には、是非一度訪ねてみたいものです。


なお、関連情報ですが、7月からは、東京藝術大学で「観音の里の祈りとくらし展U」の開催も予定されています。
開催期間は、2016年7月5日(火)〜8月7日(日)です。

出展予定リストを見ると、黒田観音寺・伝千手観音像(平安前中期)、来現寺・聖観音像(平安前期)をはじめ、見どころある湖北の仏像が多数展示されるようです。
大注目は、黒田観音寺・伝千手観音像の出展で、この像はお堂を出て堂外に展示されるのは初めてのことではないかと思います。
お堂では、側面、後ろ側から拝することが出来ませんので、初の出展が大いに愉しみです。

展覧会の概要や、出展予定仏像については、「びわ湖長浜・観音の里」HP展覧会ページ出陳リストをご覧ください。

       
「びわ湖長浜 KANNON HOUSE」に2か月間展示される竹生島宝厳寺・聖観音立像        「観音の里の祈りとくらし展U」ポスター(黒田観音寺・観音像)





●ミホミュージアム地蔵像・胎内発見の「重源・快慶の名が遺る文書」が重文追加指定(3/12)(2016年3月26日)


地蔵像胎内に納入された印仏
重源や快慶と思われる僧侶も結縁名に名をを連ねている

ミホミュージアムの重要文化財・地蔵菩薩像(鎌倉時代)の体内から発見された「印仏などの像内納入品」が重要文化財に追加指定されることになりました。

胎内から発見された菩薩印仏に、建久8年(1197)の文字が見つかり、紙背には、重源、快慶の仏号が書き残されていたことから、大注目となっているものです。

この地蔵菩薩像(像高52.5p)は、13世紀後半の制作とみられる像で、1972年に重要文化財の指定を受けています。
1994年にミホミュージアム所蔵となりましたが、2014年の修理の際に、胎内から菩薩の印を押した紙や札が見つかったものです。
そこには、東大寺を鎌倉時代に再興した重源、仏師快慶、そして奈良の新薬師寺との関係をうかがわせる記述が含まれていました。
納入印仏に残される年紀、建久8年(1197)と、地蔵像の13C後半という制作年代が合わないことから、2代目像の可能性もあるとのことです。

2016.3.22付・京都新聞は、

「謎の仏像内から重源・快慶の名 滋賀、発見に関係者興奮」

という見出しで、地蔵像の重要文化財追加指定と、胎内納入品発見情報について、このように報じています。

「鎌倉時代の作とだけ伝わっていたMIHO MUSEUM(滋賀県甲賀市)所蔵の木造地蔵菩薩立像(重要文化財)の正体が明らかになってきた。
1年半前の修理で、胎内から菩薩の印を押した紙や札が見つかった。
東大寺を鎌倉時代に再興した重源(ちょうげん)と当代随一の仏師快慶、奈良の新薬師寺との関係をうかがわせる記述が含まれ、国も重文の追加指定に踏み切った。意外な「発見」に県内の文化財関係者は興奮している。
・・・・・・・・・・・・・・・
像の表面の虫食いや塗りが剥げ落ちるなど傷みが目立ち台座が不安定だったため、2014年から国の補助を受け保存修理に取りかかった。
動いても中から音はなく、ずっと空洞と思われていたが、開けてびっくり。朽ちた紙や札がびっしり詰まっていた。
貴重なものとみて国は史料の読み込み調査をした。
この結果、地蔵菩薩の姿をはんこで押し並べた「印仏(いんぶつ)」の紙に建久8(1197)年の文字が見つかり、像の制作時期と合わないことからこの像は2代目の可能性が出てきた。
紙の裏には像を造る際に協力した僧侶らの名簿(結縁交名(けちえんきょうみょう))が記され、重源を指す「南無阿弥陀仏」や快慶を意味するという「アン(梵字)弥陀仏」の仏号が見つかった。
・・・・・・・・・・・・
印仏の紙の間に供養札も挟まれており、「新薬師寺」の文字があった。地蔵菩薩立像との関連は不明だが、古川主査は「この像はもともと奈良にあった可能性が高い」と推論する。
印仏や供養札を含む一連の納入品は、11日に重文の追加指定答申を受けた。
同ミュージアムの片山寛明学芸部長は
「中に文書が入っているとは夢にも思わなかった。
作者まで分かれば良かったが、逆にまた謎が出てきて興味深い」
とロマンを感じている。」


    
ミホミュージアム・地蔵菩薩像(鎌倉時代・重要文化財)





●平成28年新指定・国宝重要文化財答申〜彫刻は11件(3/12)(2016年3月20日)


文部大臣、文化庁長官の諮問機関である文化審議会は、2016年3月11日、4件の国宝指定と、46件の重要文化財指定の答申を行いました。

彫刻(仏像)では、西大寺・木造叡尊坐像、像内納入品(鎌倉時代)が、国宝に指定されることになりました。
重文指定となったのは、10件(仏像8件、伎楽面1件、獅子頭1件)です。

新指定となる国宝・重要文化財のうち、仏像(彫刻)の一覧リストは、次の通りです。




詳しい答申内容は、文化庁HP・
文化審議会答申〜国宝・重要文化財(美術工芸品)の指定について〜解説ページをご覧ください。
詳しい指定事由解説と写真図版が掲載されています。

今回の美術工芸品の「国宝指定」は4件で、絵画、彫刻、工芸、書籍典籍がそれぞれ1件ずつとなりました。
岩佐又兵衛の傑作として知られる舟木本・洛中洛外図(東京国立博物館)も、国宝指定となりました。

彫刻で国宝となった、「西大寺・木造叡尊坐像、像内納入品(鎌倉時代・善春作)」の答申事由説明は、次の通りです。
新国宝〜西大寺・木造叡尊坐像
(2008.9.10)


「弘安3年(1280),真言律宗の宗祖である叡尊が80歳の時に,弟子達が造らせた肖像彫刻である。
作者である善春は興福寺所属の工房の仏師で,父善慶を継いで叡尊関係の造像を手掛けた。
その造形には当代の写実表現の追求の成果とともに,南都における古代以来の伝統の蓄積をうかがうことができ,鎌倉肖像彫刻の傑作と評価される。
納入品は叡尊伝の基本史料である『自誓受戒記』など種類の豊富さ,情報量の多さにおいて日本の像内納入品の遺例中,代表的な品である。」

西大寺・叡尊像は、西大寺の叡尊をはじめとする真言律宗関係の事績で知られる「善派・善春」の制作です。
鎌倉時代彫像は運慶・快慶作品を中心に、多数の国宝指定像がありますが、慶派以外の作品で国宝指定されたのは、この西大寺叡尊像が初めてということになるのではないでしょうか?
(京都蓮華王院千体観音像は、慶派・院派・円派の合作で、鎌倉高徳院大仏を慶派の原型作品だとして、ということですが・・・・・、また、善派も慶派の一傍流の可能性もあるとは言われてもいますが)

ただ、今回の国宝指定は、そういうことよりも、指定事由にあるように、鎌倉肖像彫刻の傑作であるということによるものなのでしょう。
また、多数の納入品により、戒律の復興に努め西大寺を再興した、「叡尊80歳時の寿像」であるという造像由来が明らかであることも、有力事由であろうかと思われます。
なお、この納入品は、1955年、小林剛氏を中心とする奈良国立文化財研究所の西大寺仏教美術総合調査の際に、発見されたものです。


重要文化財には、10件の彫刻が新指定となりました。

私の注目像は、浄山寺・地蔵菩薩像、法住寺・不動明王像、清泰寺・菩薩像(2躯)です。

浄山寺・地蔵菩薩像は、
長年秘仏であったこともあり、全く知られていなかった仏像なのですが、東日本大震災での破損修理の際、平安前期の制作ではないかと注目され、昨年、無指定から県指定文化財となり、本年重要文化財へとスピード出世した像です。
9世紀前半の制作に遡る可能性が考えられており、埼玉県最古の木彫像となりました。
私は、先月(2月)にこの地蔵像を拝観してきました。
いずれ、「観仏日々帖」の探訪記にて、ご紹介したいと思っています。

         
浄山寺・地蔵菩薩像(平安前期)



法住寺・不動明王像は、
高野山の麓にある天野社(丹生都比売神社)の護摩所本尊として伝来した像で、14世紀初め頃の作と見られています。
石川県珠洲市の法住寺には、明治24年(1891)以降に、移坐されたと伝えられます。
此の像の注目は、東寺西院の絶対秘仏・国宝不動明王像(9世紀)の模像とみられることです。
高野山金剛峰寺(奥の院護摩堂)には、同じく東寺西院・不動明王像を模した、玉歯をはめる特殊な技法の不動明王像(重文)が遺されています。
本像は、この奥の院護摩堂像の精密な模刻像かとみられていますが、近年、注目を浴びている像です。
珠洲市指定文化財から、一気に重要文化財となりました。

    
法住寺・不動明王像            金剛峰寺奥の院護摩堂・不動明王像            東寺西院・不動明王像



清泰寺・菩薩像(2躯)は、
小像ですが平安前期の制作とみられている像です。
私は、以前から大変気になっており、一度は拝したい平安古仏だったのですが、なかなか枚方市まで訪れる機会がなく、未見となっていたものです。
答申には、次のように解説されています。
「九世紀前半ないし半ば頃の製作とみられる。 面貌や身体構成は奈良国立博物館薬師如来像(国宝)に通じ,同系の作者の手になると推定される。平安前期彫像の優品である。」
本像も、枚方市指定文化財から、一気に重要文化財となりました。
「新指定国宝・重要文化財展」で、間近に実見できるのが楽しみです。

    
.                   清泰寺・菩薩像(平安前期)                 奈良国立博物館・薬師如来像(平安前期・国宝)



今回の新指定、国宝重要文化財は、毎年恒例で、東京国立博物館で開催される「新指定国宝・重要文化財展」で、展示される予定です。
開催期間は、2016年年4月19日(金)〜5月7日(土)のようですが、詳細がはっきりしましたら、本HP「展示会」で、紹介させていただきます。




●仙台市・十八夜観世音堂の東北最古?菩薩像が、県指定文化財に(1/27)(2016年2月6日)


奈良時代末期の制作か?と注目されている、仙台市太白区の十八夜観世音堂の菩薩立像が、県指定文化財に指定されることになりました。
宮城県教育委員会は、1月26日、宮城県文化財保護審議会の答申により、本像を県指定文化財に指定すると発表しました。

               
十八夜観世音堂・菩薩立像(奈良末〜平安初期・県指定文化財)


十八夜観世音堂の菩薩立像は、近年、新たに確認された一木彫像です。
奈良時代末期〜平安初期の制作とみられ、東北地方最古の木彫像として、大注目を浴びている仏像ですので、ご紹介させていただきました。

菩薩像新発見を報じる河北新報
(2008.9.10)

この一木彫像が、研究者の実査によって発見されたのは、2007年のことでした。
像高138.5センチ、内刳り無しで、腹部が細い腰高のプロポーションや、頭部の球形の髻などが特徴です。
その造形表現、構造から、奈良末期の制作ではないかとみられるようになり、新聞紙上でも「奈良時代・東北最古の仏像発見」と大きく採り上げられたりしました。
本像の伝来は、文書では江戸時代までしか遡れませんが、伝承等を総合すると、古代陸奥国府に付属する山寺の仏像ではないかとみられています。

もう一つ、驚かされたのは、その後の科学調査で、本像の用材が「カヤ材」であることが特定されたことでした。
東北地方の古代一木彫像で、カヤ材で造られているのは、唯一、この菩薩像だけだと思います。
カヤの木は、福島県以南にしか自生していない樹木だからで、当地の古代木彫の多くは、ケヤキ材で造られています。
造立当初から当地に伝わった像だとすると、都で制作されたのか、わざわざカヤ材を持ち込んで制作したことになります。

いずれにせよ、
・東北最古と思われる、奈良末〜平安初期の一木彫像が新発見された
・初期一木彫の典型用材であるカヤ材を用いた仏像が、古代陸奥の地に遺されていた
ということで、大注目を浴びている木彫像です。

この仏像は、2008年に世田谷美術館で開催された「平泉〜みちのくの浄土展」をはじめ、地元開催のいくつかの展覧会に出展されていますので、ご覧になった方も多くいらっしゃるのではないかと思います。

2007年の発見後、2011年に仙台市指定文化財となりましたが、今般、県指定文化財となりました。
今後も、この菩薩像の研究が進められていくことが期待されます。




●鎌倉大仏、半世紀ぶり大規模修理へ〜約2ヶ月間(2016年1月8日)



神奈川県鎌倉市の鎌倉大仏(国宝銅造阿弥陀如来坐像)の全面補修が、2016年1月13日〜3月10日に行われます。

補修期間中は拝観できなくなります。

大規模補修は「昭和の大修理」以来、半世紀ぶりとなるそうです。
屋外にある露座仏のため、近年、潮風や酸性雨、鳥のフンで表面がさびるなど劣化が進み、文化財保存の国庫補助事業として補修することになりました。
作業を担当する東京文化財研究所では、周囲に広がる恐れのあるさびを超音波で削るとともに、昭和の大修理で設置した免震装置の効果を調べ、新たな地震対策の必要性を検討する予定とのことです。




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