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寺を離れた仏たちの話




燃やされる寸前だった奈良のシンボル〜興福寺五重塔〜


今日は、奈良行き。

新幹線を京都で近鉄に乗り換え30分程。前方に、緑濃き春日山、若草山や、金色の鴟尾が輝く大仏殿の大屋根が遠望できるようになると、心も浮き立ってくる。

 

大仏殿・若草山遠望


車窓には平城宮址の野原が広がり、
「青丹(あおに)よし ならの都は・・・・」
の古歌のとおり、鮮やかな朱色が映える復元朱雀門の傍を電車が通り過ぎると、まもなく奈良駅に到着。

駅から東大寺に向かう大通り、登大路を歩いて往くと、右手に見慣れた五重の塔が見えてくる。
興福寺の五重塔だ。

 

興福寺・五重塔


「ああ、奈良へやってきた!」

青空に突き抜けるように、堂々と立つ雄々しき姿を見上げると、いつもそんな気持ちになる。

この奈良のシンボルともいえる興福寺五重塔。
「危うく燃やされて、灰になってしまうところだった」
と聞くと、本当にびっくりしてしまう。
時は、明治初年のこと。
この五重塔は、なんとたった5円とか15円とかで売り払われた。

 

「興福寺五重塔が売りに出された話」の回顧新聞記事
昭和5年11月11日付「奈良新聞」


こともあろうに、買主は、金になる金具を採るために、塔を燃やそうとしたのだ。
さすがに類焼を恐れる近隣住民の猛反対にあい、沙汰止みになったということだ。

いわゆる、「廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)」の嵐が吹き荒れた頃の出来事であった。



吹き荒れる廃仏毀釈の嵐〜神仏分離令〜


明治元年3月、明治維新政府は神仏分離令を発布する。

これは、神道を国教化するために、渾然一体となっていることが多かった、神社と寺院の分離を図ろうとするものであった。
神仏分離令は、仏教を排斥しようとしたものではなかったが、これをきっかけに寺院、仏像、経巻などを破壊、破棄する「廃仏毀釈運動」が全国各地でおこり、その勢いはすざまじいものとなった。

天理市の内山永久寺をはじめ、跡形もなく破壊し尽くされた大寺も数多い。
あの有名な鎌倉大仏も、外人に潰しの値段で売ろうとされたという話もあるそうだ。



哀しい運命の仏たち〜興福寺の荒廃〜


春日大社と一体化していた興福寺も、その波紋が大きかった。

興福寺から僧の姿が消えてしまった。
皆、春日大社の神官になってしまったのだ。興福寺は無住となり、お堂の建物は、県庁や警察として利用される有様となった。

古い仏像もまた、倉の前に山積みされて焼き払われたり、売り払われたりした。

 

明治時代、興福寺に置かれていた破損仏の古写真


 

明治20年頃の興福寺中金堂内陣の古写真


運慶の名作で知られる国宝・無着、世親像の一体は、一時期、アメリカ人コレクター・ビゲローの持ち物となっていたし、快慶作の弥勒菩薩像は、岡倉天心の手を経て、ボストン美術館の所蔵となっている。
我国にあれば、国宝級間違いなしの名品である。

 

興福寺伝来でボストン美術館所蔵の快慶作・弥勒菩薩像


他にも、興福寺を離れ、今では博物館などの所蔵となっている仏像が、結構多くある。

有名な阿修羅像など多くの国宝仏を有し、観光客で賑わう興福寺に、そんな惨めな時があったことなど、今は知る人も少ない。

 

興福寺・阿修羅像(国宝・奈良時代)




路傍に捨てられた? 国宝仏


国宝、聖林寺・十一面観音像。

天平時代を代表する傑作として名高く、奈良観光のポスターや写真集などには、必ず採り上げられている仏像だ。

 

 

聖林寺・十一面観音像(国宝・奈良時代)


この仏像のある聖林寺は、桜井市のはずれの鄙びた小さなお寺で、訪れてみると、どうしてこんな立派な仏像が、この寺にあるのだろうかと、不思議に思ってしまう。

 

奈良県桜井市に在る聖林寺


和辻哲郎は、名著「古寺巡礼」に、この仏像が聖林寺に祀られるに至ったいきさつを、このように記している。

「もとこの像は三輪山(三輪大社)の神宮寺の本尊であって、明治維新の神仏分離の際に、古神道の権威におされて、路傍に放棄せられるという悲運に逢った。
・・・・・・
そこで幾日も幾日も、この気高い観音は、埃にまみれて雑草の中に横たわっていた。
ある日偶然に、聖林寺という小さい真宗寺の住職がそこを通りかかって、これは勿体ない、誰も拾い手がないのなら拙僧がお守りを致そう、といって自分の寺へ運んでいった、というのである」

実は、この話は作り話で、神仏分離に際し、三輪大社から聖林寺に預けられたというのが真実なのだが、こうした哀しい物語が、凛としたますらおぶりの観音像の気高さを、一層引き立たせ、天平の名品として、圧倒的な人気を博するようになったのかも知れない。



お寺の危機を救った仏たち〜法隆寺献納四十八体仏〜


上野の東京国立博物館の正門をくぐり左手に暫らく行くと、現代ギャラリーのような洒落た建物が見えてくる。

 

東京国立博物館にある法隆寺・献納宝物館


静かに開く自動ドアに導かれるように中へ入ると、薄暗く調光された展示室に、高さ50センチほどの金銅仏が林立している。

 

小金銅仏・四十八体仏が展示されている法隆寺宝物館展示室


法隆寺献納四十八体仏と呼ばれる、飛鳥白鳳時代の仏たちである。
この法隆寺宝物館には、明治11年に法隆寺から皇室に献納された宝物、三百余点が所蔵されている。

  

四十八体仏〜(左)丙寅銘・弥勒菩薩半跏像、(右)辛亥銘観音菩薩立像


聖徳太子ゆかりの寺、法隆寺も、明治初年には困窮の極みにあり、寺の財政維持と宝物流失を避けるために、伝来の宝物を皇室に献納することを決断した。
献納の報酬金として1万円が下賜され、このお金で、法隆寺は大きな危機を乗り越えることが出来た。

聖徳太子の時代から伝えられた小さな仏たちが、寺を離れることで法隆寺を救ったのであった。

 

法隆寺伽藍



これほど吹き荒れた廃仏毀釈の嵐も、明治の中頃になると、わが国古来の文化や美術品を見直し、守って行こうという機運の高まりと共におさまり、明治30年には今の文化財保護法の基となる古社寺保存法が公布される。
奈良や京都の古仏たちも、やっと安心して過ごせるようになった。


大変な災難にあった仏像達ではあるが、古仏たちは、千年を超える時間を生きるなかで、そんな出来事など何もなかったかのように、慈悲に満ちたまなざしで、私たちに心の安らぎや、美しさへの感動を与えてくれている。


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