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二つの弥勒菩薩を拝む話




現代人の「こころの仏像」〜美しい二つの弥勒菩薩像〜


昨年(注:2007年)、NHKで「にっぽん 心の仏像100選」と題した特集番組が、延べ6時間に亘って放映された。
数多くの有名、無名の仏像が紹介されたが、視聴者の人気の高かった仏像ベスト3は、やっぱりこの仏像、興福寺の阿修羅像と二つの弥勒菩薩像であった。

  

広隆寺宝冠弥勒菩薩像(左)、中宮寺弥勒菩薩像(右)



広隆寺宝冠弥勒菩薩像と中宮寺弥勒菩薩像。

郵便切手の図柄にもなっている、この二つの弥勒菩薩像は「心に残る美しい仏さま」として親しまる、日本を代表する国宝仏像である。

      

郵便切手にもなっている二つの弥勒菩薩像


その「清楚な姿、優美な微笑み、慈愛に満ちた表情」が、多くの人の心を惹きつけてやまない。
そして、広隆寺弥勒像の木の地肌そのままの姿や、中宮寺弥勒像の黒光りのする漆黒一色の姿の、モノトーンの飾らぬ素朴さが、日本人の美意識にフィットしているのだろう。

わたしたちは、この二つの弥勒菩薩像に、「侘び寂び」や「幽玄」を愛する日本美の原型を見るような気がするのである。



哲学的な瞑想美が人々を魅了する〜国宝・広隆寺宝冠弥勒菩薩像〜


京都・京福電鉄の嵐山行きに乗り、「太秦駅」で降りると、大通りに面して周囲を圧するように建つ広隆寺の南大門が、眼前に迫ってくる。

 

広隆寺・南大門


「太秦」を「うずまさ」と、すんなり読めたら京都通の第一歩はクリアー。
この地が渡来系豪族・秦(はた)氏の拠点であったことからこの地名になったようだが、広隆寺も飛鳥時代に秦河勝により創建されたと伝えられる古刹である。

南大門を入ると、門前を行き交う車の騒音も耳に入らなくなり、松林に囲まれた寺域を歩くと、子供たちで賑わう「東映太秦映画村」に隣接しているとは思いもつかない。
霊宝館の奥には、国宝・宝冠弥勒菩薩像の右足を左膝の上に乗せて思索する半跏思惟の姿が見える。
薄暗いなか浮き立つように調光され、その美しさを一層引立たせている。

 

国宝・広隆寺宝冠弥勒菩薩像


シャープに鼻筋の通った瞑想の表情と共に、木の素地の肌をそのままにした「飾らぬ美しさ」が、多くの人々の心を魅了してやまない。
現代人の悩みや苦しみを吸い取ってくれるような哲学的な美しさを感じる人も多い。

その昔(昭和35年)、京大生がこの弥勒菩薩像に接吻をしようとして、その指を折ってしまうという大事件を起こしたのも、あまりの美しさに魅入られた故とも言われた。

  

哲学的美しさともいわれる瞑想の表情と、弥勒菩薩の指




金色に輝いていた弥勒菩薩像〜実は朝鮮半島作〜


この弥勒菩薩像の前に立ち、その姿をじっと眺めていると、プロポーションが何処かしらアンバランスなのに気が付く。
胸の辺りが扁平、細身で華奢、下半身と上半身とがうまく釣り合っていないのである。

実は、この像が造られた時には、顔から胸にかけて、乾漆というペースト状のものが塗られて、盛り上げられていた。だから、お顔も身体も、もっとふっくらとして、豊かなボリュームがある仏像であった。
そして全身に金箔が置かれ、金色に燦然と輝いていた。

  

当初は乾漆のモデリングされていたと思われる胸の辺りが扁平、細身な弥勒像と、
造立当初のふっくらした顔、金箔仕上に復元制作された弥勒像頭部(西村公朝氏制作)


更に、びっくりするのは、この弥勒菩薩像は、朝鮮半島で造られたと云われていることである。
我国の飛鳥時代の木彫仏像は、全てクスノキで造られている。
唯一この像が例外で、アカマツで造られていることなどから、朝鮮半島で造られた像が、日本に渡来したのではないかと云われている。
この弥勒菩薩像は、飛鳥時代当時、朝鮮渡来の異国の仏として崇められ、今よりふっくらとした朝鮮風の顔立ち、ボリューム豊かな姿態で、全身まばゆいばかりの金色に輝いて安置されていたのである。

 

広隆寺弥勒菩薩像と瓜二つと云われる、
韓国国立中央博物館蔵・半跏思惟金銅仏像(国宝83号)



もし、この弥勒菩薩像が当初のお姿のまま残されていたとするならば、現代人の心に残る美しい仏像として、多くの共感や支持を得たであろうかと思うと、複雑な気持ちになる。



清純な乙女の微笑が心を奪う〜国宝・中宮寺弥勒菩薩像〜


もう一つの国宝・弥勒菩薩像のある中宮寺は、奈良法隆寺の側にある尼寺だ。

 

弥勒菩薩像が祀られる中宮寺・新本堂


聖徳太子が、母・間人(はしひと)皇后の菩提を弔うために創建したと伝えられる。
法隆寺を訪れて、東院の夢殿のほうへ歩くと、その先にあるのが中宮寺。
法隆寺のついでに訪れ、この飛鳥時代の弥勒菩薩像を拝し、心を奪われた人も数多いだろう。

漆黒一色の肌身で、おだやかでやさしい微笑みを浮かべる姿は、清純無垢な乙女を彷彿させ、まさに尼僧たちが思慕を寄せるにふさわしい、清楚で美しい仏像だ。

 

中宮寺・弥勒菩薩像


亀井勝一郎は名著「大和古寺風物誌」に、この像の漆黒の造形美、日本美を讃えて、このように記している。

「あの黒いつやは、実に不思議である。またこのつやが、微妙な肉付け微細な凹凸を実に鋭敏に生かしている。
・・・・・・・・・
あの頬の優しい美しさも、その頬に指先をつけた手のふるいつきたいような形のよさも、腕から肩の清らかな柔味も、あのつやを除いては考えられない。
・・・・・・・
その甘美な、牧歌的な、哀愁の泌みとおった心持が、もし当時日本人の心情を反映するならば、この像はまた日本的特質の表現である。
物の哀れとしめやかな愛情とを核心とする日本人の芸術は、既にここにその最もすぐれた最も明らかな代表者を持っているといえよう。」

  

やさしい微笑みを浮かべ清楚な美しさの中宮寺弥勒像




派手な極彩色に塗られていた弥勒菩薩像


この弥勒菩薩像が、もともとは極彩色で金色の装飾で飾られた、「ど派手な仏像」だったといわれると、皆、思わず驚きの声をあげてしまう。

造られた当初は、身体は肌色、頭は群青、衣は緑青と朱に載金で彩られ、金色燦然とした胸飾りや宝冠が付けられていた。
彩色痕や装飾釘跡でそれが判るそうだ。
飛鳥の昔には、金色絢爛豪華に荘厳された仏堂の中心に、派手な極彩色に彩られた弥勒菩薩像が安置され、その威光を放っていたに違いない。

その姿を想像すると、およそ「清純な乙女の姿」のイメージには縁遠い。


私たちが、今、訪れる古寺や古仏の多くは、造られた当時の金色や彩色が、時代を経て剥げ落ちたり、古色を帯びている。
その色調や姿を見て、わたしたちは美しいと感じる。

人々を魅了する二つの弥勒菩薩像。
一方、これほど、造られた当時の姿とのイメージギャップの大きな像もあまりないに違いない。


しかし、そんな難しいことは気にしないで、素直に今の時代の私たちの感性で、その美しさに感動できれば、それが一番なのだろう。



【追 記】

広隆寺宝冠弥勒菩薩像の制作地について、この文中では

「我国の飛鳥時代の木彫仏像は、全てクスノキで造られている。
唯一この像が例外で、アカマツで造られていることなどから、朝鮮半島で造られた像が、日本に渡来したのではないかと云われている。」

と記しましたが、
ご存じのとおり、その制作地については、現在も議論があります。

・飛鳥時代唯一のアカマツ材像であり、朝鮮半島にはクスノキがほとんど自生しないことから、朝鮮半島作とする考え方。
・弥勒像の背板と綬帯がクスノキ材であり、当初材の可能性も高いことから、彫刻用材(アカマツ)は朝鮮半島からもたらされ、日本でクスノキ材を追補して彫刻されたとする考え方。
・アカマツは日本にも自生することから、飛鳥時代唯一の赤松材であるからという事由で、制作地や用材採取地を論ずるのは慎重にすべきという考え方。

以上のような、様々な見方があるようですが、従来有力とされている考え方で、紹介させていただきました。
ご了解いただきますよう、よろしくお願いいたします。


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