この像は龍興寺址出土以前に青州で発見された像で、正光6年(525)賈智淵一族によって造立された三尊像。
正光6年銘三尊像
渦紋のある頭髪、微笑む口元、厚手の中国式服制で左右対称に張り出すところなど、北魏後期共通のスタイル。
光背も化仏や龍、外周部の飛天などが精緻に彫られ見応えがある。
永安3年(530)比丘恵輔造立の銘がある弥勒の一光三尊像。
永安3年銘弥勒三尊
上記2と同様北魏後期の様式を示すが、中尊の顔立ちが変わっている。
一見どこにでもいそうな田舎の老人風の顔つきで、思わず福井多田寺の薬師如来像を連想してしまう。
如来と脇侍の顔は摩耗しているが光背に特色をみせる三尊像。
仏三尊像
船形光背の上方左右に日、月を手に持つ天人風の人物があらわされている。
珍しい表現で仏像に中国の伝統モチーフが取り入れられた例の一つと考えられる。
青州龍興寺址出土の永安2年(529)銘の弥勒三尊像にも類似の例がみられるので、この時期、この地域での特徴的な造形を示すものか。
ここまでみてきたような一光三尊像は北魏滅亡後の東魏代になっても引き継がれ、中尊の足元左右に一対の龍と脇侍の台座に繋がる独特の蓮華表現が出てくることになるが、この辺りは青州のところで後述する。
F 次は北斉仏の展示コーナーである。
一転して独尊の立像が並ぶ。
頭部や足を欠失するものも多いが、ここまで見てきた像とは全くスタイルを異にする仏像群である。
展示はほぼ時代順に並んでいる筈だが、前の時代とは何の繋がりもないような像が続く。
これが青州龍興寺址で発見された「青州様」に代表される山東の北斉仏ということであろう。
如来は薄い衣の下から柔らかい体の線を表出し、しかも衣文はごく控えめで中には全く衣文線を表わさない像もみられる。
まさにインドグプタ期のマトゥラー仏、サールナート仏を見るような感。
一方菩薩はといえば、これも単独像で、豪華な宝飾をふんだんに使った瓔珞を身に着ける像も多く目をひかれる。
G展示室出口手前のところで懐かしい像に出会う。
7〜8年前にミホミュージアムで拝したことのある「宝冠に蝉の飾りをつけた菩薩像」である。当時より中国へ寄贈されるという話は聞いていたが、久々の再会である。
博興県出土と伝えられる菩薩像で、保存状態もよく冠につけられた蝉の飾りと後頭部の丸く大きな頭光が特徴。
菩薩立像
仏像に蝉が表現される例はきいたことがないがこれも一種の伝統的中国思想との融合ということか。
あらためて見直してみるが、腹前でX字状に交差する精緻な瓔珞や長身の立ち姿も優美で北魏後期の要素が端々に残るものの、おそらくは東魏に入ってからの造像であろう。
H一つ一つゆっくり見たかったが、閉館時間が迫っていることもあり駆け足のような見学となる。
見足りないのは同行の3人も同様で、明日時間をみてぜひ再訪したいとのことで期せずして意見が一致。
夕刻の時間帯でタクシーが全くつかまらないので路線バスでホテルへ戻る。
一旦止んでいた雨がこの頃から再度降り出す。