近江湖南仏像旅行道中記
  (平成21年8月27日〜30日)

朝田 純一 

第一日目

 〜行程〜

8月27日(木) :JR近江八幡駅集合 → 願成就寺(近江八幡市)→ 石馬寺(東近江市)
         → 梵釈寺(東近江市)→ 長寿寺(湖南市東寺) 近江八幡泊

8月28日(金) :東方寺(栗東市) → 橘堂(草津市)→ 金勝寺(栗東市)
         → 金胎寺(栗東市)→ 栗東歴史博物館(栗東市)
          → 常楽寺(湖南市西寺) 水口泊

8月29日(土) :櫟野寺(甲賀市甲賀町) → 大岡寺(甲賀市甲賀町)→ 正福寺(湖南市)
         → 願成寺(甲賀市)→ 西栄寺(甲賀市) 水口泊

8月30日(日) :阿弥陀寺(甲賀市) → 飯道寺(甲賀市)→ 少菩提寺址(湖南市)
         → 善水寺(湖南市)→ JR米原駅解散


【プロローグ】

 今日から3泊4日、寧楽会での近江古寺古仏探訪。
 何とか休みをやりくりして、しばらくぶりのご一緒。
 川尻会長はじめ、おなじみのメンバーと、古寺を訪れ、美味い酒を飲り、仏像談義に華を咲かすことが出来るかと思うと、まことに愉しみ。
 そんな思いで早起きして、新横浜から新幹線に乗り込んだ。

 今回訪れる近江湖南の地、これまで何度も仏像探訪に訪れたが、訪れる都度、つくづく思う。
 「近江は、仏像の宝庫だ。私の好きな平安古仏の宝庫だ。」

 近江(滋賀県)には、国宝・重要文化財の仏像が約400件もある。
 奈良・京都に次いで全国第3位、平安仏がその7割を占めるという。
 それも、レベルの高い優れた仏像ばかり。
 県市町村指定仏像も、ほぼ同数あるが、他の地方なら当然に重要文化財指定というような仏像がゴロゴロあるのだ。
 近江の古佛たちは、文化財指定ではずいぶん割を喰っているじゃないか?
 そう思うほどに、裾野が広く、層も厚い。
 今度はどんな魅力ある仏像に、出会うことが出来るのだろうか?
 期待も高まってくる。


 新幹線の中で、この旅行中にもう一度読もうと思った、2冊の本を取り出してみた。
 「近江古寺風土記」という本と、「仏像のある風景」という本。
 ともに、かつて滋賀県庁文化財保護課に勤務し、長らく成城大学の美術史の教授であった田中日佐夫が書いた本。




 「近江古寺風土記」のページをめくっていくと、こんなことが書かれている。

「現在の美術史は、作品を制作された年代によって限定し、これを各時代に配列しながら連結することを常としている。しかしこのような(近江の)村の仏さまは、決して作られた時期に限定される文化財ではないのだ。つくられた時期から現在まで生きつづけている生命体なのだ。」

「ここで私は、近江という地域がもっている潜在的エネルギーがいかに大きかったかということを、近江にのこる仏教寺院や古き社や小堂の歴史の中にさぐってみたかったのである。私は近江がわが国の中央に位置する大国であったことを強調する。」

「この『近江興地誌略』を通読して、特に寺院の縁起、伝記のたぐいに注意するとき、その内容に一つの顕著な傾向をみることに私は気がついたのである。
それは、ある範囲に限られた地域ごとに、同一人物による開基伝説が伝えられる寺院がみられる、ということなのである。」

「ま ず、野洲郡の一部を含んで、蒲生野を中心にした広い地域において聖徳太子の開基伝説を持つ寺院群がひろがり、その北に行基伝説を中間地帯のようにして、伊 吹山を中心にして三修上人の開基伝説、その北方、伊香郡の己高山を中心にして泰澄伝説、さらに南に戻って栗太郡の南から甲賀の山岳一帯には良弁を中心とし た開基伝説。そして比叡、比良の山並みと、その対岸守山市周辺に伝教大師とその門流の開基を伝える寺院群をみるのである。
そこには明らかに群として考えたほうが良い、ある種の地域的まとまりをみることができるし、時代は合致しないけれども、そういう古い建立縁起をもつ寺院、または寺院群の地域には古い文化遺産が今に伝わっていることを指摘できるのである。」





 なるほど!
 「開基伝説にまつわる仏教文化圏」というものが厳然と存在するのか?
 この文化圏を、田中日佐夫は「○○のテリトリー」と呼んでいる。
 「良弁のテリトリー」という風に。
 近江の地では、その小さなエリアに、開基伝説の名僧などが数多く密集するように存在する。
 それぞれの文化圏(テリトリー)が折り重なるように、肩をひしめき合っているのだ。
 それは、近江という地が、古代、肥沃の地、良材を得る杣山(そまやま)として如何に豊かな地であったのか、都(奈良・京都)の後背の地として如何に重要な意味を持つ地であったのかを、物語っているといえるのだろう。
 天智天皇が近江京を営み、聖武天皇が紫香楽宮の造営を企図したのも、むべなるかなと納得してしまう。

 こんな思いに頭を巡らせながら、今回の湖南仏像旅行の行き先を考えてみる。

 湖南方面の地は、近江のなかでも、開基伝説テリトリーの密集地だ。
 聖徳太子、良弁、最澄の仏教文化圏テリトリーが錯綜しているし、役の小角(えんのおづぬ)にはじまる修験の文化の地でもある。
 探訪予定の願成就寺、石馬寺は聖徳太子のテリトリー、金勝寺、長寿寺、常楽寺などは良弁のテリトリー、櫟野寺、阿弥陀寺などは最澄のテリトリーだ。

 「うーん、これは面白くなってきたぞ!」
 これまでの湖南の仏像めぐりでは、仏像の制作時代や出来の良し悪しなどばかりを見てきた。
 それはそれで、大変良かったのだけれども、今日からの仏像めぐりでは、
 「開基伝説と遺された古寺・仏像たち、その造型」
 そんなことに、思いを致しながら、巡ってみたいという気持ちが高まってきた。

 この「近江古寺風土記」という本。
 昭和48年に出版された古い本で、ずいぶん前に読んでいると思うのだけれども、その内容や論旨については、ほとんど頭に残っていなかった。
 今日、新幹線の車中で、読み返してみると、「大変新鮮で、古寺古仏への魅力あるアプローチで近江を語った本だ」と、感心してしまった。

 そういえば、その昔、杉山二郎著の「大仏建立」を読んだとき、
 「奈良の都への水運の要である木津川の要衝の地に、海住山寺が建立されたとか、東大寺の讃岐の荘園であった地に、天平〜平安期の見事な木彫像・正花寺菩薩立像が今も遺されている」
 といったことが書かれており、経済や交通(陸水運)の要地・要衝と、古寺・古仏の仏教文化との係わり合いの面白さに、大いなる興味をそそられたことを、思い出してきた。

 また、井上正の研究「平安古仏の造立時期を、開基伝承の草創期まで遡らせて考える試み」のことを思い起こしてしまう。
 井上は、
 「それらの古寺に遺された平安時代とされる木彫仏のいくつかは、開基伝承の奈良時代まで遡らせて考えるべきである。それらの仏像は、霊木化現の考え方により造られたものが多い」
 
と主張している。
 この井上の考えも、田中日佐夫の「開基伝承の仏教文化圏(テリトリー)の考え方」の延長線上にあるのだろうか?

 そんなことを考えながら、「近江古寺風土記」「仏像のある風景」を読みふけっているうちに車中の時間はあっという間に過ぎ行く。
 そろそろ今日の待ち合わせの駅、近江八幡駅に近づいてきた。

 近江湖南仏像の旅は、私にとっては

 「聖徳太子、良弁、最澄のテリトリーと古寺古仏を考える」

 というテーマの旅にしてみたい。
 そんなことを考えながら、近江八幡駅に降り立ったのでありました。

 近江八幡駅の改札口、待ち合わせは午前11時、川尻会長以下の元気な顔が勢ぞろい。
 今回は、総勢14名の旅。
 早速マイクロバスへ乗り込んで、いざ出発。
第一日目

 


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