埃
まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百八十二回)
第二十九話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま
〈その6>奈良の仏像盗難ものがたり
(4/10)
【目次】
はじめに
1. 各地の主な仏像盗難事件
2. 奈良の仏像盗難事件あれこれ
(1) 法隆寺の仏像盗難
・パリで発見された金堂阿弥陀三尊の脇侍金銅仏
・法隆寺の仏像盗難事件をたどって
・法隆寺の仏像盗難についての本
(2) 新薬師寺・香薬師如来像の盗難
・失われた香薬師像を偲んで
・香薬師像盗難事件を振り返る
・その後の香薬師像あれこれ
(3) 東大寺・三月堂の宝冠化仏の盗難事件
・宝冠化仏盗難事件の発生
・宝冠化仏の発見・回収と犯人逮捕
・三月堂宝冠化仏盗難事件についての本
(4) 正倉院宝物の盗難事件
・正倉院の宝物盗難事件について書かれた本
(5) その他の奈良の仏像・文化財盗難事件をたどって
(2) 新薬師寺・香薬師如来像の盗難
新薬師寺の香薬師像。
|
新薬師寺・本堂
|
像高73pの金銅仏、白鳳時代の名作として名高い仏像であった。
昭和18年(1943)3月26日の未明、この香薬師像が盗まれた。
明治時代、2回の盗難に遭っており、これが三度目であった。
過去2回の盗難のときは、香薬師像は戻ってきたのだが、今度の盗難はそのようにはならなかった。
香薬師像の行方は杳として知れず、今日に至っている。
【失われた香薬師像を偲んで】
この香薬師像、多くの人々から愛された仏像であった。
ほのかな微笑を浮かべる童児のような表情や、薄い衣の下のやわらかな肉身の起伏の清楚な表現は、観る人の心を惹きつけ魅惑せずにはいられなかった。
白鳳時代の超一級作品であるのは誰もが認めるところで、今在れば「国宝」に指定されていることは間違いのない名品。
それ故に今も猶、その美しさに惹かれ「憧れの仏像」となっている方も、結構おられるのではないかと思う。
この香薬師像、行方知れずになって今年(2013)でもう70年になる。
盗難に遭った年に、15歳で実物を拝したとしても、今では85歳になっているわけで、当時、香薬師堂に祀られていた「金銅・香薬師如来像」をその目で拝したことがある人は、もう数少なくなってしまっているのだろうと思う。
今では、残された写真で、その姿を偲ぶしかない。
盗難以前に、撮影された香薬師像の写真を、ここで紹介しておきたい。
一つは、工藤精華が「日本精華」に掲載した写真。
工藤精華撮影 新薬師寺・香薬師像(日本精華所収)
もうひとつは、飛鳥園・小川晴暘が撮影した写真。
小川晴暘撮影 新薬師寺・香薬師像
とりわけ、小川晴暘の撮影写真は、この香薬師像の清楚でほのかな美しさを、存分に引き出している。
この写真を見せられると「香薬師像」の魅力に惹きつけられざるを得ない。
さて、この香薬師像の来歴について、ちょっとふれておきたい。
|
香薬師像が胎内仏に収められていたと伝える
木造薬師如来坐像
|
記録上は、この香薬師像は、江戸時代の「新薬師寺縁起」によってはじめてその存在が知られる。
それ以前の伝来は全く不明だ。
本尊の大きな薬師如来坐像の胎内に経巻と共におさめられていたが、その後、腹中から取り出されて本堂内に秘仏として祀られてきたと伝えられている。
研究者によっては、香薬師像は、新薬師寺の前身で光明皇后発願の「香山寺」に、本尊として祀られたものではないかとする説もある。
春日山中奥山の香山寺に、光明皇后が自らの念持仏であるこの美麗な香薬師像を、本尊として寄進したなどという空想を巡らせると、ますます香薬師像がロマンに満ちた仏さまに思えてくる。
我々が、その姿をもう眼にすることのできない香薬師像。
実物を拝した人たちは、その感動をどのように綴っているだろうか?
まずは、定番の名著、和辻哲郎著「古寺巡礼」。
大正7年(1918)、和辻29歳の時に奈良の古寺を訪れた時の紀行随筆。
「香薬師は白鳳の傑作である。
曾て盗難に逢い、足首を切断せられたが、全体の印象を損なうほどではない。
・・・・・・・・
御燈明の光に斜下から照らされた香薬師像は実際何とも云えぬ結構なものである。
|
小川晴暘撮影 新薬師寺・香薬師像
|
ほのかに微笑の浮んでいる御顔、胴体に密着している衣文のやわらかなうねり。
どこにもわざとらしい技巧がなく、素朴なおのずからにして生まれたような感じがある。
がそれでいてどこにも隙間がない。
実に恐ろしい単純化である。
顔の肉づけなどでも、幼雅と見えるほどで簡単であるが、そのくせ非常に細やかな、深い感じをあらわしている。
試みに顔に当たる光を動かしてさまざまな方向から照らして見るがよい。
あの簡単な肉づけから、思いも掛けぬ複雑な濃淡が現われてくるであろう。
こうゆう仕事ができるのは、よほどの巨腕である。」
次は、亀井勝一郎著「大和古寺風物誌」
昭和18年(1943)、亀井36歳の時の出版。
「現存する香薬師如来の古撲で麗しいみ姿には、拝する人いずれも非常な親しみを感ずるに相違ない。
高さわづかに二尺四寸金銅立像の胎内仏である。
ゆったりと弧をひいた眉、細長く水平に切れた半眼の眼差、微笑していないが微笑しているようにみえる豊頬、その優しい典雅な尊貌は無比である。
両肩から足もとまでゆるやかに垂れた衣の襞の単純な曲線も限りなく美しい。
・・・・・・・・・・
若し類似を求めるならば、関東随一の白鳳仏といはるる深大寺(東京府下)の釈迦如来坐像に近いであろう。
深大寺は私の家からさほど遠くないので、時折拝観することがあるが、ちょうど兄妹佛のような感じをうける。
香薬師が兄佛で、釈迦如来は妹佛である。」
深大寺釈・迦如来倚像
奈良を愛した美術史家で歌人の会津八一は、香薬師像を、このように詠んでいる。
香薬師を拝して
みほとけ の うつらまなこ に いにしへ の やまとくにばら かすみて あるらし
ちかづきて あふぎ みれども みほとけ の みそなはす とも あらぬ さびしさ
|
新薬師寺境内の会津八一歌碑
|
盗難に遭う一年前の昭和17年には、新薬師寺境内に、
「ちかづきて あふぎ みれども・・・・・」
と詠んだ、会津八一自筆の歌碑が建てられた。
中央公論社の元社長、嶋中雄作が建立したものだ。
香薬師が昭和18年に盗難に遭って、大きな衝撃を受けた会津は、その悲しみと再会を願う気持ちを、次のように詠んだ。
みほとけ は いまさず なりて ふる あめ に わが いしぶみ の ぬれ つつ か あらむ
いでまして ふたたび かへり いませり し みてら の かど に われ たちまたむ
紹介した歌のなかの、
「・・・・・わが いしぶみ の ぬれ つつ か あらむ」
の「いしぶみ」は、この歌碑のことを詠っているものだ。
このように綴られた文章を読んでいると、いかに香薬師像が美しく魅力ある仏像であったかが、手に取るように偲ばれる。
香薬師の盗難、行方知れずは、古美術、仏像を愛好するものにとっては、誠に残念な出来事で、昭和の大きな損失といわざるを得ない。
|