埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第九十九回)

  第二十話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その3〉  仏像の素材と技法〜漆で造られた仏像編〜


 【20−1】

1.漆で造られた仏像〜乾漆仏〜

 「乾漆仏といえば天平彫刻、天平彫刻といえば乾漆仏」である。
 その名品というと、どんな仏像が思い浮かぶだろう?
 脱乾漆像の代表格といえば、東大寺三月堂の不空羂索観音像や梵天帝釈天像・四天王像、興福寺の阿修羅像をはじめとする八部衆・十大弟子像、唐招提寺の盧 舎那仏像・鑑真和上像、秋篠寺伎芸天あたりだろうか。

東大寺三月堂 梵天像      唐招提寺 盧遮那仏像      唐招提寺 鑑真和上像

 木心乾漆像でいえば、聖林寺十一面観音像を筆頭に、観音寺十一面観音像、唐招提寺千手観音・薬師如来像、西大寺塔本四仏像あたりが、誰もがよく知る仏像 になるのだろう。

唐招提寺 千手観音像 観音寺 十一面観音像 西大寺 塔本四仏像

 乾漆仏は、塑像とともに、天平時代を彩る華であった。
 ともに、漆・粘土という素材を盛り上げて、自由自在な造型表現が可能であり、表情豊かな面相、起伏にとんだ体躯、複雑に乱れた衣文や軽やかになびく天衣 などを作り出すには、またとない格好の材料であった。
 この技法は、伸びやかで、活き活きと今にも動き出すようといった写実表現を実現した。
 そして、さらにもう一歩進んで、精神性の深さや、内に秘めた苦しみや怒りといった微妙な内面性を、細やかに表現する域にまで達している。
 天平時代人が求めた、「古典的写実表現の理想美」といわれるようなものを、仏像の世界の中に具現化していくという時代の要請に、最もマッチした素材と技 法であったのであろう。


興福寺 阿修羅像
 興福寺の阿修羅像は、最も国民的に人気の高い仏像だ。
 昨年、NHKで「にっぽん 心の仏像100選」と題した特集番組が、延べ6時間に亘って放映された。 数多くの有名、無名の仏像が紹介されたが、視聴者 の人気の高かった仏像NO1は、やっぱりこの仏像、興福寺の阿修羅像であった。
 今年(H21)、東京国立博物館で開催された「阿修羅展」のフィーバーぶりや、大混雑の観覧者の多さは、その圧倒的人気を物語るものであった、。
 阿修羅は、「闘争を好む悪神が、仏法に帰依したという好戦的鬼神」であるが、眼前に立つ脱乾漆像の阿修羅を見ると、無垢な少年の純粋・真摯な心情と、三 面六臂という異形とが見事に釣り合い、違和感のない不思議な魅力を漂わせている。

興福寺 阿修羅像
 伸びやかな若樹のようなみずみずしさに、両眉をよせ寄せ唇を軽くかんで遠い遥かなるものを見つめるような面貌が、沁み入るようにもの哀しい。
 そこがまた、たまらない魅力で、多くのファンを獲得している。
 あの、「沁み入るような、もの哀しさ」は、脱乾漆という技法ならでは可能となるものではないだろうか。
脱乾漆像は、漆で張り合わせた麻布や、モデリング用の木屎漆の乾燥が進むとともに、「やせ」という縮みが生じる。
 阿修羅像の造形は、「やせ」による縮みが沈鬱で深い精神性を感じさせ、「みずみずしさと、もの哀しさ」を見事に同時に表出するという不思議な魅力に、大 いなる効果を生み出しているのではないだろうかと、私は思うのである。

 東大寺三月堂の不空羂索観音像は、天平随一の最高傑作だ。
 天平最盛期の像にふさわしく、どこを取ってみても、張りのある緊張感に満ち満ちている。
 面相は両頬をふっくらと表現し、切れ長の眼も深い英知を示している。八臂を備えた広く豊かな胸、たくましい腰の構え、衣文を透かして身体の抑揚が感じら れるようで、大丈夫の姿を彷彿とさせる、堂々たる造型だ。
 この巨像を見上げると、「沈鬱とした静謐感」「締りのある緊張感」で、我々の前に迫ってきて、「深い精神性のある優れた造型、芸術作品というのはこうい う像をいうのだ」と語りかけられているように感じてしまう。
 脱乾漆像は、ご存知のように、麻布を重ね合わせた中空の張りぼて、張子のような構造である。
 その分、どうしてもマイルドで軟らかな表現にならざるを得ないのであるが、この不空羂索観音像は、そうしたマイルドな乾漆の造型が、強くパーンと張りつ めた状態にあるようだ。
 ゴムマリにたとえれば、良質のゴムに空気がしっかり注入されて、張りと弾力にあふれている状態が、今もしっかり保たれているような感じを強く受けるので ある。
 これだけの巨像を、よくぞ張りのある緊張感を保って、破綻を起こさずに造り上げたものだと、その技量の見事さに賛嘆の声を上げてしまう。
 
東大寺三月像 不空羂索観音像
 同じ三月堂の梵天・帝釈天も、素人受けはしないかもしれないが、なかなかすばらしい。
 私も、この像のすばらしさになかなか気づかなかった。
 「天平彫刻」(小山書店版)という本の口絵の、安田靭彦の帝釈天の写生画を見たとき、はたとこの像の美しさにうたれた。
 心静かに、控えめながら堂々と立つ姿は、重厚で鷹揚だ。
 茫洋としたおおらかさ、強い抑揚はもたないが的確でしっかりした表現、穏やかな量感は、「静かなる迫力」を感じさせる。
 
安田靭彦画 三月堂帝釈天像       三月堂帝釈天像    
 脱乾漆像は、悪くすると、ボンヤリとか、鈍いとか、緩んだ、といったような表現になってしまう。大きな像になるほど、そうなりがちだが、まったくそれを 感じさせない。
 これまた、脱乾漆という技法ならではという造型表現が、うまく活かされた像であろう。

 乾漆という造型技法の表現上の特徴、特性について、高村光太郎はこのように語っている。
 「乾漆の制作には非常に長い日子を費やしたらしく、実に根気よく張り上げては形態を整え、刀や箆で押しつけては肉づけをしていったもののようである。
 このほうは塑土よりも弾力を持つ材料であり、一個所を押せば他の個所もそれに応じて動くような状態と想像されるので、結局どこもかも丸みを帯びざるを得 ないのである。
 したがって食い込むような鋭い堅い刻みこみは自然に起こらない。鑑真和上の彫刻の不可言の軟らかさと飄蕭とした風格はこの彫刻材料が確かにその一半の巧 を擔っている。
 すべて押し付けながら内からだんだん外へ盛り上げてゆく表現技法の賜である。
 これは断じて木彫の領域ではない。
 三月堂の不空羂索のような雄偉崇高な厳しい表現に当たっても、その眼の刻みには肉づけ風の含みが自然に行われて、・・・・・・・調和諧婉の美こそ実に天 平文化の理念とするところであった。」(高村光太郎〜天平彫刻の技法について〜「天平彫刻」小山書店刊所収)

 乾漆像の表現の特徴、特性を、見事に言い尽くしている。

 乾漆像には、脱乾漆像と木心乾漆像がある。
 言葉のとおり、脱乾漆像は中空の麻布の張子のような造型、木心乾漆像は木で形造られた仏像概形の上から麻布を貼り木屎漆を盛り上げて造型する。
 表面だけを見ると、どちらの技法も木屎漆の盛り上げで造型するので、外見はどちらも変わらない。
 ところが、脱乾漆像と木心乾漆像とでは、見た目の質感が微妙に違うように思われる。
 なんとなく柔らかでソフトな感じと、硬そうでカチンとした感じで、中空のゴムボールと芯の詰まった硬球とは、どこか質感が違ったように見えるのと同じよ うだ。
 
三月堂 不空羂索観音像の衣文     聖林寺 十一面観音像の衣文
〜脱乾漆像〜             〜木心乾漆像〜


唐招提寺 薬師如来像
 木心乾漆像の聖林寺十一面観音像、観音寺十一面観音像、唐招提寺千手観音・薬師如来像などを眺めていると、やはり、叩けばカーンカーンと音がするような 硬質感を、どこかしら感じるのであるが、いかがだろうか?

 そして、乾漆という技法は、木心乾漆よりも、脱乾漆のほうが、その特性をより良く表現できているのではないかと、私は感じる。
 「ソフトでマイルドな造型表現や静謐な精神性を表現をするには、脱乾漆がよく似合う」とでもいえるであろうか。
 脱乾漆像も、興福寺十大弟子像や秋篠寺技芸天像などは、ボンヤリしたとか、鈍いといった表現の甘さ、拙さを感じさせるところもあるが、それがまた抒情性 や哀しみをひとしお感じさせることもあり、一つの魅力となっている。
 
興福寺 十大弟子須菩提像       秋篠寺 伎芸天像   


観心寺 如意輪観音像
 これに対して、天平時代の木心乾漆像は、木彫の木地と目の細かい木屎漆(抹香漆)との馴染みが、微妙にミスマッチで、心木の硬質と、乾漆の軟質とがベス トに折り合っているとはいえないような気がするのである。
 硬いゴルフボールの表面に、軟質のペーストが厚く塗ってあるような感触がするのである。

 モデリングに用いられた乾漆、即ち木屎漆は、天平時代にはキメの細かい抹香漆が、平安時代には目の粗い木屑漆が用いられている。
 目の粗い乾漆(木屑漆)でモデリングした、平安初期の観心寺如意輪観音像のような木心乾漆系の像のほうが、むしろ木地とうまく馴染んで、自然な肌触り感 や豊満さが出て、木心乾漆ならではの魅力を造り出していると、密かに感じている。

 この目に映る質感の微妙な差について、寺尾勇が面白い記述をしている。
 あの聖林寺の十一面観音像についてである。

聖林寺 十一面観音像
 「この像の素材は上半身が脱乾漆像のために、その部分は張子のような構造で中空である。
 住職倉本春尚師が、師の坊につれられて、子供の時はじめてこの像に接したときは『単なる張りぼて』であるとしか思われなかったという話は、ことの真実を 直感として語っている。
 脱乾漆は一般にのびのびとした巨像をつくるのには何より好条件であるが、しかし逆にちぢみからくる狂いと痩せがこの像をほろびの運命へと導く。薄くつく れるのでこの欠点を逆に考えれば、軽さと軟らかさと可憐さと親しみの微妙な味わいを与えるから妙である。
 この像の作者は、上部は脱乾漆、下部は木心乾漆、両方の特質を巧みに併せて活用している。・・・・・・・・
 やや重たげのふっくらとした上瞼、そのはれぼったさが不思議に人をひきつける。」(寺尾勇著「古寺再見〜ほろびの美〜」所収)

 現代人が、脱乾漆像を鑑賞したときに感じる魅力の謎について、真実をついているのではないだろうか。


聖林寺 十一面観音像内部構造模式図
 実は、聖林寺十一面観音像は、X線透視調査などの調査研究の結果、半身脱乾漆像というのではなく、全身すべてが一木式木心乾漆像であることが判明してい る。
 ただし、上半身部だけは、しっかりと内刳りが施され、木部は薄く中空の構造となっている。下半身部は内刳りがなく、芯まで木部となっている。
 この違いを、寺尾勇は、上半身部が「張りぼてのように感じる」と記したのであろう。
 我々の眼の「質感」というのは、何んとも微妙なフィーリングまで見分けるものだと、今更ながらに感じた次第である。

 ここまで綴ってきた、乾漆像の特性と魅力についての私の感想は、造られてから千余年を経て、彩色、金箔もはがれ、枯れて古色を帯びた像から受けるフィー リングの話である。
 制作された当時の、金色、極彩色に彩られたばかりの仏像たちの姿を見れば、決してこのような印象、感想はありえなかったに違いない。


        

inserted by FC2 system