埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第八十六回)

  第十八話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その1〉  仏像を科学する


 【17−5】

 【用材の年輪年代法による年代判定】

 平成13年(2001)2月、古代史研究者に衝撃が走った。

 法隆寺五重塔心柱の伐採年が、「年輪年代測定法」で594年と判明確定したのであった。
 これまで、五重塔が建造されたと考えられていた年代より、100年程も古い年代の心柱伐採年であったからだ。

 その日の毎日新聞は、このように報じている。

法 隆寺五重塔
 「世界最古の木造建築物で、世界遺産に登録されている奈良県斑鳩(いかるが)町、法隆寺の五重塔(国宝)の心柱(しんばしら)が、594年に伐採された ヒノキ材だったことが、年輪の幅のパターンから年代を測る「年輪年代法」で分かった。
 20 日発表した奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センターによると、法隆寺は7世紀初めに聖徳太子が創建したが、焼失し、現存する伽藍(がらん)は同世紀後半以 降に改めて建てられた、とする「法隆寺再建論」の見直しにつながる成果として、注目を集めそうだ。・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 日本書 紀によると、法隆寺は670年に炎上したとされ、1939年に現在の伽藍より古い「若草伽藍跡」が発掘されたことなどから再建説が有力になっていた。しか し、ヒノキ材の伐採直後に現在の五重塔が建立されていたとすれば、法隆寺創建の7世紀初めごろの建物となり、定説となっている再建説は見直されることにな る」


 法隆寺再建非再建論争は、建築史学・仏教美術史学の世界で、明治・大正・昭和の三代に亘って行われ、ヒートアップした世紀の大論争。
 それが昭和14年の石田茂作の若草伽藍の発掘調査で、現在の金堂、五重塔の「西院伽藍は天智以降の再建」で決着していただけに、その衝撃は大きかった。


 これほどの衝撃を与えた「年輪年代測定法」とは、どのような科学的判定方法なのであろうか。

 樹木の年輪は、一年毎の気象条件の変化を反映する結果、同じような気象条件で生育した樹木なら共通した年輪パターンとなる。
 「長期の暦年の確定した標準年輪パターン(暦年標準パターン)」を作成することが出来れば、調査対象となる古い木材の年輪パターンを照合することによ り、その木材の伐採年を判定することが出来る。
  「暦年標準パターン」を作成するには、伐採年が判っている現生木の年輪パターンを基準に、その年輪パターンと重なる古い材木の年輪パターンを重ね合わせる と、より一層古い年代の年輪パターンを作成することが出来る。この古い年輪パターンとの重ね合わせを、次々と連鎖していくと「長期の暦年標準パターン」が 出来るのである。
 現在、ヒノキは紀元前912年まで、スギは紀元前1313年までの「暦年標準パターン」が出来ており(H12刊・美術を科学する)、建築用材や木彫仏像 の年代推定や、真贋判定に応用され、威力を発揮している。

光 谷拓実

 この「年輪年代測定法」を、我国で確立したのは、奈良国立文化財研究所埋蔵文化財センターの光谷拓実であ る。
 年輪年代の研究は、欧米では1900年代の初めから幅広く行なわれていたが、我国では全く着手されていなかった。
 光谷は、坪井清足、田中琢、佐原眞の3人の考古学の先学から、「年輪年代測定をやらないか」と勧められ、昭和55年(1980年)にこの研究への取り組 みを開始する。
 全てが白紙という状況からスタートし、研究開始以来20年余、我国における古代の「暦年標準パターン」を作成確立したのであった。
  光谷は、平城宮跡などで出た木を次々に調査したほか、北海道から鹿児島・屋久島まで、各地の営林署や製材所を回って集めた輪切り材、古い建物の修理の際に 採取したサンプルなど、9000点以上の年輪を計測。年輪幅はどの地域でも同様に変動することを実証し、約3000年分に及ぶヒノキやスギの標準パターン をつくり上げたのであった。


暦年標準パターン作成のイメージ

 この年輪年代法は、用材の伐採年代をほぼ特定できるだけに、これまで考えられてきた年代観を大きく覆すこと になることもある。
 一方で、この研究を行ってきたのが光谷拓実ただ一人だけだった結果、光谷が−常識−を覆しても、

光 谷拓実(左)大河内隆之

 「研究者は国内で1人しかいないので、測定結果が正しいかどうか、確かめられない」
 と、その成果を認めないとする声もくすぶっていたとも云う。
 2003年、大河内隆之が研究所に入所し、光谷とは別の試料で、ヒノキの暦年パターンをつくってみたが、でき上がったのは、やはり光谷と同じパターン だったということで、そんな声も消えつつあるという。


 この年輪年代法について、詳しく解説した本は次の本。

 「年輪年代法と文化財」三谷拓 実著 日本の美術421号 (H13) 至文堂刊 【98P】 1571円

 本書には、年輪年代法の考え方、歴史、方法等の総合解説のほか、考古学、古建築物、仏像をはじめとする古美術品への応用事例が、後半に解説されている。


 ところで、衝撃が走った「法隆寺五重塔心柱の伐採年は594年」という新事実は、1943〜54年の解体修理の際切り取って、京都大学木質科学研究所に 保存していた心柱の一部(10センチ幅の円盤標本)の調査で判明したものである。

五 重塔心柱
の修理(S24)

 この標本をX線撮影したところ辺材幅が3.6cmも残っており、最も外側の年輪が伐採時の樹皮直下のものと 判断、同じ暦年標準パターンを使って年代測定をしたところ、伐採年は594年と確定したのである。
 物議をかもしているうちに、次なる新たな新事実が判明。
 平成16年(2004)、同じく年輪年代法で、金堂天井板は667・668年、五重塔二層の雲肘木は673年、中門一層大斗は699年頃と判明した。

 即ち、現法隆寺再建説が覆ることは今のところないようだ。(鈴木嘉吉により別の並存説も出されているが・・・・・・)
 五重塔心柱伐採年のみが突出して古いのは、他寺心柱の転用とか、長期の貯木後使用したものであろうとの説が出されている。(直木孝次郎は転用説、鈴木嘉 吉、大橋和章は貯木説)

心柱の円盤標本

 また、松浦正昭はもともと相輪刹柱塔として建てられていたものを転用した、という新説を発表している。
 刹柱とは、層塔の屋根と軸部を取り去ったもので、柱頭に舎利を安置するもの。
そして、釈迦三尊を安置した「北堂」というものを想定し、北堂「刹柱」を転用したのが「五重塔心柱」と論じている。


 さて、仏像用材の年輪年代の測定についても、その取り組みが進められている。
 仏像の場合、白太と呼ばれる、樹皮に近い辺材部分が残されているケースが少ないので、なかなか難しいようだが、それでも多くのの用材の伐採年が判明して いる。

 年輪年代法を最初に適用し調査したのは、山口県指定文化財の岩崎寺阿弥陀如来坐像。
 昭和62年の調査で、残存最外年輪の暦年は1096年、削除された外側の年輪を加算すると、原木伐採年は12世紀以降とされた。
 このほかに、有名どころでは、東大寺南大門仁王像の年輪年代が、昭和63年から始まった大修理の際に測定され、吽形像は調査部材3材の伐採年が、 1201年、1199年、1196年と判明、阿形像は、調査部材全てが1199年と判明した。
 また、平成14年、鳥取・三仏寺投入堂本尊蔵王権現像は、年輪年代測定法で1165年に造ったことが証明され、胎内から発見された造立願文に記されてい る年代(1168年〜仁安3年)と、像の測定年代がほぼ一致していることが科学的に証明された。

 
東大寺南大門仁王像             仁王像用材の年輪年代測定


 年輪年代法による測定は、樹皮部分まで用材が残っておれば、正確な伐採年が判明するため、これからも建築、仏像などの解体修理の際に、予想外、想定外の 年代が判明し、従来の様式年代観に大きな波紋を及ぼす可能性も、多くあるのであろう。

 最近、古密教系の木彫仏が注目されている。

孝 恩寺跋難陀龍王像

 これらの木彫仏は、一般的には平安時代に入ってからの造像と考えられているが、一部には奈良時代まで制作年 が遡るものもあるのではないかという声もある。
井上正などは、これらの仏像の多くが「奈良時代の制作」ではないかと主張している。
 「播磨楊柳寺・楊柳観音、小浜羽賀寺・十一面観音、三重観菩提寺・十一面観音、箕面勝尾寺・千手観音、三重朝田寺・地蔵菩薩、大阪孝恩寺諸像」
 などの仏像を、年輪年代法で調査測定をすれば、どんな結果が出るのだろうか?
 もしも、調査可能になったならば・・・・・・・・・
 私は、その結果に本当に興味津々である。




            


       

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