埃まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第八十一回)
第十七話 中国三大石窟を巡る人々をたどる本 〈その2〉雲岡・龍門石窟編
【17−8】 【昭和・戦後の雲岡・龍門石窟についての本】
終戦となり、中国では国共内戦後、1949年(S24)に中華人民共和国が成立する。 日本から中国を訪問することは大変難しくなり、石窟寺院を訪問、調査することなどは無理という時期がずっと続くこととなる。 日本人にとっては、むしろ戦前、戦中のほうが、はるかに雲岡・龍門を訪問、調査しやすかったといえる。 そんな事情からか、戦後派の研究者の著作や戦後の探訪紀行は、しばらくの間、眼にすることはなく、1980年代(S55)になってようやく雲岡・龍門の論集や探訪紀行が出版されるようになる。
一方、中国国内では、1950年代に入って、偉大な文化遺産である雲岡・龍門の保護、修復対策が発表され、その後保護、修復が推進された。 現在では、両石窟寺共に世界文化遺産に認定され、一大観光地として大変な賑わいを見せている。 中国内での調査、研究も進み、我国でもその成果が翻訳出版されるようになった。 1980年から10年間に亘って出版された「中国石窟」全17巻(平凡社〜文物出版社共同出版)は、中国での調査研究成果の充実振りを示した、一大出版事業であった。 「雲岡石窟」は全2巻で雲岡石窟文物保管所編で、「龍門石窟」も全2巻で龍門文物保管所・北京大学考古系編で、それぞれ刊行された。
戦後の話に入る前に、 写真家、小川晴晹が雲岡石窟を撮影した写真などの出版について、ふれておきたい。 小川晴晹は、水野、長広が調査中の雲岡石窟を、1939年(S15)と1941年(S17)の二回に亘って訪れ、石窟・石仏の撮影を行った。 小川の生前、出版された写真集等は次の2冊。
「大同の石仏」 小川晴晹著 (S16) アルス刊 【105P】 1.2円
「大同雲岡の石窟」 小川晴晹著 (S19) 日光書院刊 【248P】 18円
S16年、小川は伊勢丹百貨店で「大同雲岡写真展」を開催、この展覧会が機縁となって出版社アルスから文化叢書の一冊として「大同の石仏」の小型写真本を出版する。 加えて、日光書院からは本格的解説を付した写真集「大同雲岡の石窟」を刊行することとなった。 解説文は小川自身が執筆することとなり、これに専念、S19年12月にようやく出版に漕ぎつけた。部数は1500部であったが、戦時下にこれだけの豪華本が出せるかという立派なもので、小川の石仏写真を堪能できる本である。 ところが、年明けに大空襲に遭いほとんどが途中の倉庫で焼けてしまう。現在では小部数しか残っていないそうだ。
| 露坐大仏前の小川晴晹 | 「雲岡の石窟」 小川晴晹著 (S53) 新潮社刊 【131P】 5500円
小川は1960年(S35)66歳で没する。小川の労作「大同雲岡の石窟」が、小部数しか残されていないことから、同書に掲載された小川晴晹の写真のリバイバル復刻版として再編集の上出版された本。
雲岡調査事業中に小川の写真撮影の来訪を受けた長広敏雄は、次のようなエピソードを語っている。
「小川氏は運のいい人だ。私たちの太陽光線方式の撮影方に便乗して、調査班の助手も使っていた。われわれのカメラマンの羽館君は若い頃に飛鳥園の小川氏の下で仕事をしていた経歴があるので、小川氏の我儘を黙認していた。私たち調査班には迷惑なことであった」(雲岡日記)
小川晴晹撮影・雲崗石仏
ここからは、戦後我国で出版された、雲岡・龍門石窟についての研究解説書、紀行書などで、書架にあるものを紹介することとしたい。
まずは、主だった研究書について、
「中国仏教図像の研究」 吉村怜著 (S58) 東方書店刊 【288P】 7000円 「天人誕生図の研究」 吉村怜著 (H11) 東方書店刊 【587P】 19000円
今では、北魏式から止利様式という構図が見直されるようになってきたが、飛鳥彫刻の「止利様式南朝起源論」を提唱した吉村の、中国彫刻、図像様式の研究論考本。 「中国仏教図像の研究」には、雲岡・龍門の図像様式の系譜の論考数編のほか、「止利様式南朝起源論」となる「南北朝仏像様式史論、止利仏像の源流」の2編が収録されている。 「天人誕生図の研究」は、これらの観点から発表された論考が集成されている。
「中国仏教美術と漢民族化」 八木春生著 (H18) 法蔵館刊 【390P】 16000円
著者は、「これまで賓陽中洞を中心とした北魏後期の仏教美術史観から離れ、北魏時代後期の中でもとくに、多様な変化が起きた520年代前後の仏教美術について、より一層理解を深めることか本書の目的である」と記している。 「雲岡石窟文様論」(法蔵館・H12)の著作もある。
「北魏仏教造像史の研究」 石松日奈子著 (H17) ブリュッケ刊 【459P】 9333円
本書は著者の博士論文を単行本出版したもの。 北魏の成立から滅亡に至るまでの、仏教造像とその作例について、詳細に論及した研究論考。 北魏の石窟仏像史について、最も詳しく論じた書。
「石窟寺院の研究」 斉藤忠著 (H11) 第一書房刊 【531P】 25000円
我国考古学界の最重鎮、斉藤忠がインド・中国・韓国・日本の石窟寺院について、その研究史と概要について詳述した本。 著者は「副題を設けることが許されるならば、私はそれを『二十世紀の考古学の一成果を語る』としたい」と述べている。 その言葉のとおり、前編は「石窟研究の学史的展開」、後編は「各国石窟寺の概観」によって構成され、「石窟研究の学史的展開」では、その発見、研究の歴史、研究者の著作などが丁寧に解説されている。 本稿を綴るにあたって、本書に助けられることが多かった。 誠に興味深く、充実した本。
長々と綴ってきた、「中国三大石窟を巡る人々をたどる本〈雲崗・龍門石窟編〉」も、そろそろ終幕。 最後に、戦後の雲岡・龍門石窟探訪記、紀行本など、気楽に楽しめる本をいくつか紹介したい。
「特集 雲岡解禁」 芸術新潮 S49年3月号 新潮社刊 600円
1973年9月、仏のポンピドー大統領が周恩来首相の案内によって、大同の雲岡石窟を訪れたというニュースは、中国美術に関心を持つ世界の人々を驚かせた。 文化大革命以来、この地を訪れた外人は皆無だったからである。 この特集は、この一大出来事に注目、小川晴晹の石窟写真をメインに、戦前の石窟調査や石窟調査概史などの解説を掲載している。 このとき以降、次第に雲岡、龍門などの探訪が可能となり、1972年(S47)日中国交正常化も相俟って、邦人の探訪・紀行者も増えてくることとなる。
「大同の古寺」 北川桃雄著 (S44) 中央公論美術出版社刊 【176P】 930円
美術史家・北川桃雄は、1956、60、65年の3度、中国を訪問する機会を得る。 その旅行記として「敦煌紀行」が出版されたが、本書は没後の出版となったもの。 雲岡・龍門については、「古都大同、雲岡の石窟、岩壁の祈りと美〜龍門の石窟群〜」と題した紀行が掲載されている。 北川らしい、学識と旅情あふれる美しい筆で綴られている。
「中国美術紀行」 宮川寅雄著 (S50) 講談社刊 【374P】 1500円
美術史家で評論家の宮川寅雄は、昭和41年文化大革命渦中の中国を訪問、以来10数回訪中し、中国美術の我国への紹介に尽力した。 その宮川の、論考、紀行、随筆など小篇を集めた本。 「雲岡石窟今昔記」と題する、雲岡発見、探訪、調査研究の歴史を語った小文が所載されている。
「雲岡石窟の旅」 NHK取材班著 (S54) 日本放送出版協会刊 【134P】 1500円
NHKは、世界で初めての外国取材班により雲岡石窟を紹介するテレビ番組「雲岡石窟〜黄土に刻まれた美の群像」を現地撮影、1979年(S54)1月に放映する。 本書は、その取材成果に基づくリポートとして刊行された。 豊富なカラー写真による石窟仏の紹介、解説で編集されている。
「中国美術の旅」 吉村怜・吉村さち子著 (S55) 美術出版社 【243P】 2800円
「止利様式南朝起源論」で著名な吉村怜が、夫妻で北京、大同、太原、洛陽、西安などの美術鑑賞旅行を行った紀行書。 雲岡、龍門石窟の探訪記も丁寧に記されている。
「龍門・鞏県石窟」 久野健・杉山二郎著 (S57) 六興出版刊 【210P】 5800円
龍門・鞏県両石窟の仏像写真が豊富に収録されている。 久野健の「龍門・鞏県の石窟仏と飛鳥・白鳳仏」と題した解説紀行文と、杉山二郎の「龍門石窟と鞏県石窟諸像における断片的考察」という論考を所載。 久野の解説は、肩の凝らない紀行文ではあるが、専門家ならではの学識で、飛鳥仏の源流は南朝にあり、と述べているのは興味深い。
「中国五大石窟の旅」 紀野一義著 (S61) 佼成出版社刊 【193P】 2000円
著者は仏教学者、宗教家で真如会主幹、仏教思想関係の著作多数。 1984年(S59)、「鎌倉高徳院 中国五代石窟の旅」に参加した旅行記。
馬か徒歩しか訪れる手段がなかった時代。
明治・大正の先人たちは、中国へ渡り、大変な困難と辛苦を乗り越えて、雲岡・龍門などの石窟寺を訪ねた。 一大決心の大探訪であったことは、想像に難くない。
今では、空路あっという間に、その石窟寺の地に立つことが出来る。 賑やかな人並み、土産物売りが行き交う中で、ペットボトル片手に石仏たちを眺めていると、観光気分そのもの。 昔の苦労話など知る由もない。
少しばかり「その昔」を振り返り、先人たちの苦労や足跡に、はるかなる思いを致しながら、この「中国石窟を巡る人々」を終えることとしたい。
了
参 考 第
十七話 中国三大石窟を巡る人々をたどる本 〈その2〉雲崗・龍門石窟編
〜関連本リスト〜 書名 | 著者名 | 出版社 | 発行年 | 定価(円) |
東洋建築の研究 上・下 | 伊東忠太 | 龍吟社 | S18 | 100 |
建築学者 伊東忠太 |
岸田日出刀 | 乾元社 | S20 | 5.5 |
伊東忠太を知っていますか |
鈴木博之編 |
王国社 | H15 | 2200 |
支那の建築と芸術 |
関野貞 | 岩波書店 |
S13 | 6.5 |
関野貞 アジア踏査 |
藤井恵介他編 | 東京大学出版会 |
H17 | 6500 |
「雲岡石窟と天龍山石窟の発見アジア遊学45号「特集・山西省」所収 |
勝木言一郎 | 勉誠出版 |
H14 | 1800 |
岡倉天心アルバム |
茨城大学五浦美術文化研究所監修 | 中央公論美術出版社 |
H12 | 3800 |
支那美術史 彫塑編 | 大村西崖 | 仏書刊行会 |
T4 | 50 |
支那仏教遺物 |
松本文三郎 | 大鐙閣 | T8 | 3.2 |
大乗佛教藝術史之研究 |
小野玄妙 | 金尾文淵堂 |
S2 | 5 |
極東の三大芸術 | 小野玄妙 | 丙午出版社 | T13 | 2.5 | 大同雲岡の大仏蹟図録 | 五十嵐牧太 | 私家版 | S58 | | 大同石佛寺 |
木下杢太郎 | 座右宝刊行会 | S13 | 3.8 |
木下杢太郎画集 第一巻仏像編 |
木下杢太郎 | 用美社 |
S60 | 20000 |
アメリカが見た東アジア美術 |
ウォレン・I・コーエン著 川嶌一穂訳 | スカイドア |
H10 | 3300 |
売りに出た首 |
木下杢太郎 | 角川書店 |
S24 | 330 |
山中定次郎傳 | 故山中定次郎傳編纂会 | | S14 | 非売品 |
雲岡日記〜大戦中の仏教石窟調査〜 |
長広敏雄 | 日本放送協会 |
S63 | 750 |
龍門石窟の研究 | 水野清一、長広敏雄著 |
座右宝刊行会 |
同朋社 | S16 復刻版S55 |
雲岡石窟とその時代 | 水野清一 |
創元社 |
S27 | 220 |
雲岡石佛群 | 水野清一 |
朝日新聞社 |
S19 | 23.5 |
東亜考古学の発達 |
水野清一 | 大八州出版 | S23 | 100 |
中国の彫刻 石仏・金銅仏 | 水野清一 | 日本経済新聞社 | S35 | 7000 |
中国の仏教美術 | 水野清一 | 平凡社 | S43 | 2200 |
水野清一博士追憶集 | | 水野清一博士追憶集刊行会 | S48 | 非売品 |
大同石仏芸術論 | 長広敏雄 | 高桐書院 |
S21 | 20 |
飛天の芸術 | 長広敏雄 | 朝日新聞社 | S24 | 450 |
雲岡と龍門 |
長広敏雄 | 中央公論美術出版社 | S39 | 470 |
長広敏雄 中国美術論集 | 長広敏雄 | 講談社 | S59 | 15800 |
大同の石仏 | 小川晴晹 | アルス |
S16 | 1.2 |
大同雲岡の石窟 | 小川晴晹 | 日光書院 |
S19 | 18 |
雲岡の石窟 | 小川晴晹 |
新潮社 |
S53 | 5500 |
中国仏教図像の研究 | 吉村怜 | 東方書店 | S58 | 7000 |
天人誕生図の研究 | 吉村怜 | 東方書店 | H11 | 19000 | 中国仏教美術と漢民族化 | 八木春生 | 法蔵館 | H18 | 16000 | 北魏仏教造像史の研究 | 石松日奈子 | ブリュッケ | H17 | 9333 | 石窟寺院の研究 | 斉藤忠 | 第一書房 | H11 | 25000 | 「特集 雲岡解禁」芸術新潮 49年3月号 | | 新潮社 | S49 | 600 |
大同の古寺 | 北川桃雄 | 中央公論美術出版社 |
S44 | 930 |
中国美術紀行 | 宮川寅雄 | 講談社 | S50 | 1500 | 雲岡石窟の旅 | NHK取材班 | 日本放送出協会 | S54 | 1500 | 中国美術の旅 | 吉村怜・吉村さち子 | 美術出版社 | S55 | 2800 | 龍門・鞏県石窟 | 久野健・杉山二郎 | 六興出版 | S57 | 5800 | 中国五大石窟の旅 | 紀野一義 | 佼成出版社 | S61 | 2000 |
|