埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第六十七回)


  第十六話 中国三大石窟を巡る人々をたどる本
〈その1〉敦煌石窟編

 【16−1】
 「スケールがはるかに違う!」「中国4千年の歴史という言葉は、伊達じゃない」
はじめて観る中国の石窟寺の巨大な石仏、おびただしい数の仏像たちを眼の前にして、率直にそう感じた。

 昨年(H18)、中国三大石窟のうちの二つ、雲崗石窟、龍門石窟を訪れることが出来た。
 北魏の皇帝の現身とも云われる雲崗第20洞の露座の大仏や、則天武后が自らのお化粧料を寄進して造った龍門奉先寺洞・大盧舎那佛など、写真では何度も見て、そんなものかと思っていたが、実物から受けるインパクトは、圧倒的であった。

  雲崗石窟20洞露座大仏        龍門石窟奉先寺洞大盧舎那佛    

 そして、その石仏の数の夥しさにもまた、圧倒されてしまう。
 これが、日本に在ったとしたら、その一つひとつが飛鳥、白鳳、天平佛の名品になるのだろうが、ここでは「沢山ある」という、この一言で言い表わされてしまうという感じだ。
 ところが、それらの石仏の首から上が無い像が、あまりに多い。
 古美術商などの手を経て、わが国や、欧米の仏教美術愛好家や博物館の所蔵になってしまい、こんなにまでも痛々しい有様になってしまったのかと思うと、本当に心が痛む。

 この「埃まみれの書棚から」のテーマ。
 次はどうしようか?と、困っていたところだったが、中国石窟寺へ訪れ、その美しさ・偉大さへの感動が残っている余勢をかって、ちょっと中国へ寄り道、敦煌石窟、雲崗石窟、龍門石窟の三大石窟寺をテーマにチャレンジすることにした。

 「三大石窟を巡る人々」と題して、それぞれの石窟寺の発見史や文化財の流出物語、訪れた研究者や文化人などを巡る話、それらをテーマにした本の話などを紹介してみたい。

 しかしながら、初めて「中国石窟の旅」へ出かけた勢いで書いてみようかという気になったテーマ。
 実のところ、この方面には余り詳しくも無く、書架のある本もたいしたことは無いので、深みのない話になるかも知れないが、何卒ご容赦。


1.敦煌石窟と敦煌文書

 「敦煌石窟」
 仏教美術に関心のある人は、一度は訪れたいと思う処だ。
 私も、いずれの日にか、敦煌の地を訪れ、あの素晴らしい壁画や仏像群を目の当たりにしたいものと、念じている。
 敦煌は、中国の西北、甘粛省の辺境にあり、シルクロードの分岐点として栄えたオアシス都市だ。
 漢や唐などは、この敦煌を軍事基地とし西域の異民族と対峙してきたが、折々、吐蕃が支配したり、西夏の手に落ちたりした。元の時代に至ると中国と西方を結ぶルートがシルクロードから南方の海の道へと移行し始め、この地の価値は下落し、寂れた町へとなっていったという。

 「敦煌」といわれると、どんなことが頭に浮かぶだろうか?
 ある人は、莫高窟に残された、北魏や唐時代の壁画や塑像などの仏教美術の遺産を頭に浮かべるだろう。
 またある人は、莫高窟蔵経洞から発見された膨大な経巻、書画がスタイン、ペリオ等によって持ち去られた、いわゆる「敦煌文書流出物語」を思い浮かべるかもしれない。

 

敦煌莫高窟

 私は、敦煌といわれると、まずは井上靖の小説「敦煌」が頭に浮かぶ。
 私が「敦煌」という処について、はじめて知ったのは、この小説を高校時代に読んだ時であった。ロマンに満ちたストーリーにぐいぐい惹き込まれ、息つく間もないほどに面白く、あっという間に読み終えた。
 そして、西域や敦煌の歴史や文化に大いなる興味を覚え、それらについて書かれた本を、いくつも読んだ記憶がある。
 この小説は昭和34年に書かれ、多くの人に読み親しまれた。

 昭和63年には佐藤浩市・西田敏行の主演で映画化され大ヒットした。
 この小説や映画で、敦煌のことや、夥しい経典などの敦煌文書が莫高窟の洞窟のなかに隠されていたという話を知り、中央アジアや敦煌の歴史・文化の魅力に惹き込まれていった人も数多いのではないだろうか。


 まずは、井上靖の小説「敦煌」のストーリーを振り返ることから、「敦煌物語」を始めることとしよう。

 「趙行徳が進士の試験を受けるために、郷里湖南の田舎から都開封へ上がって来たのは、仁宗の天聖4年(西紀1026年)の春のことであった。」

 小説「敦煌」は、この書き出しではじまる。

 あらすじをまとめてみると、次のような物語だ。
 主人公・趙行徳は、科挙の最終試験の口頭試問を待つ間に夢魔に襲われ、西夏対策を問われる夢を見るが、目覚めたときには試験はすでに終わってしまっている。
科挙を諦め、あてどの無くなった主人公は、西夏という未知の国への関心をそそられ西域に入る。
 そこで西夏軍に捕らえられ、漢民族だけで編成された外人部隊に編入されるが、朱王礼という武骨な隊長に目をかけられ、重用されていく。
 趙行徳は、甘州攻略の際、ウイグル族の王族の娘を愛しかくまう事となるが、その後に西夏王・李元昊の側室となった彼女が、城壁からと投身自殺したことを契機として、彼女を愛していた朱王礼とともに、西夏に背くことになる。
 これを知った李元昊は、大軍を率いて、彼らを打ち滅ぼそうとする。敗戦を重ね、遂に沙州(敦煌)に追い詰められた彼らは、この地で最後の抵抗を試みるが、朱王礼は戦死してしまう。
 壊滅を待つばかりの城内が大混乱の様相を呈するなか、趙行徳は宝物を隠す場所として千仏洞の存在を教えられる。
 ところが、とある寺で寺僧たちが貴重な経巻を守ろうと難渋している光景に感動し、万巻の経典が灰になることを惜しんだ彼は、自らの最期を覚悟するなか密かに街を脱出し、宝物の代わりに膨大な経典を千仏洞の石窟に隠すのだった。
 時に景祐2年(1035)。

 程なく、趙行徳も世を去り、この経典たちは、その存在を誰にも気付かれること無く、長い長い眠りにつくこととなる。
 そして現代に至り、一人の道士によって、この千仏洞の夥しい経典類が、たまたま再発見される。
 井上靖は、そのときの有様をこのように綴っている。

 「1900年代の初め、王圓籙という道士がここにやって来て、砂に埋もれた石窟群を発見し、窟の一つに住んでここの清掃に当たった。西夏がこの地に侵入した時からいつか850年の歳月が流れていた。
 王道士は背の低い極めて風采の上がらぬ男で、無教養としか思われぬ人物であった。
  ある日窟の一つから砂や埃を掻き出している時、彼はたまたま甬道北側の壁面の一ヶ所がふくれ上がって壊れそうになっているのを発見した。彼は突き出た分だ けを削り取るようなつもりで棒で壁土を掻いていたが、その部分だけ他の壁面とは異なった音がすることに気付いた。彼はそこに何かあるような気がした。王道 士は丸太棒を持って来ると、その一端を壁面に当てて、力任せに押してみた。二、三度押しても手ごたえがなかったが、何度目かに力を入れた瞬間、壁土が割れ て思いがけずそこに穴が空いた。・・・・・・・・・・そして王道士はそこに意外なものを発見した。内部はぎっしりと詰め込まれた経巻類の堆積であった。」



 この後、敦煌を訪れたスタイン、ペリオ等が、王道士からこれら貴重な経典類を買い取り、国外に持ち去ることとなる。
 いわゆる敦煌文書流出の顛末について記され、そして、

 「それらが、東洋学のみに留まらず、世界文化上のあらゆる分野の研究を改変する宝物であることが判明するまでは、尚幾許かの年月を必要としたのであった。」


 というフレーズで小説「敦煌」は、終わる。

 井上靖は、壮大な歴史ロマン小説をとおして、数万点にものぼる膨大な経巻類が敦煌石窟の小窟(蔵経洞)に隠されるまでの運命的ストーリーを、著者自身の推論なども入れ、感動的に語っている。

 この「敦煌文書」といわれる、おびただしい経巻や書画類は、学術的にも美術史的にも世界を驚嘆させる貴重なものばかりであったのである。
 それにしても、何故、これらの経典類が莫高窟の小窟(蔵経洞)に封じ込められたのだろうか?
 なんとも不思議な謎だ。

 いくつかの説が唱えられているが、古くから云われてきたのは、ペリオが最初に主張した、
 「西夏王朝が、1036年頃に敦煌へ侵入する直前に、敦煌の仏教徒が西夏の襲撃に備えて、大事な文書類を小さな洞窟に閉じ込めた」
 というものである。
 井上靖の小説「敦煌」で用いたストーリーも、この説をベースにしている。
 「この収蔵作業は、蔵経洞の収蔵状況と収蔵文書の年代・範囲とから見ても、短期間にそそくさと行われたものではない」
 とも言われており、史実は小説どおりとは行かないようだ。

 一方、全く反対の観点の説もいわれている。
 「西夏王朝は、仏教を厚く尊信しており、莫高窟の造営にも力を注いでいた。その西夏が、仏教寺院を迫害したり、経典類を焼き払ったりする訳がない。
実は、西夏王朝がイスラム教勢力(カラハン王朝)の侵攻から経典類を守るために、敦煌の仏教僧などに命じ洞窟に封じ込めたのだ。」
 と、いうものだ。

 それとは別に、侵攻・攻撃から守るために洞窟に封じ込めたのではなく、「格納・廃棄されたのだという説」も有力だ。
発見された敦煌文書が、端本や破損したものも多く、さらには僧侶のノート類の集積など、当時の人々にとって貴重品であったとは思えないものが多いからである。
そうしたことから、
 「普段必要のない古文書類が日ごろからここに収められていたが、最後に不必要な文書も全部ここに格納された後、後日の再使用も考慮して一旦密封されたのだろう。」
 とも考えられているそうだ。

 いずれの説が正しいのか、よくわからないが、想像を逞しくすればするほど、「敦煌」のロマンとミステリーの夢が広がっていくようで、興味は尽きない。
  

 


       

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