埃まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第三十六回)

  第九話 地方佛〜その魅力にふれる本〜

《その1》心惹かれる地方佛の世界(2/3)

【9-2】

2.久野 健 と 丸山 尚一〜地方佛の先人〜

 地方佛について書かれた本も、最近は随分増えたけれども、なんと言っても仏教彫刻史研究者では久野健、美術評論・随筆家では丸山尚一の著作が圧倒的に多い。
 ほかにも、地方佛研究、探訪に取り組んだ人々もいるのだろうが、この二人が、地方佛の世界を、広く世に紹介した「先人」といってもよいのではないかと思う。

 

【久野 健】

 久野健の、地方佛について採り上げた著作を列挙すると、こんなにもある。

「関東彫刻の研究」(S39) 「続日本の彫刻」(S40)
「東北古代彫刻史の研究」(S46)「古美術ガイド 仏像」(S49)
「平安初期彫刻史の研究」(S49) 「仏像の旅」(S50)
「鉈彫」(S51) 「関東古寺の仏像」(S51)「仏像風土記」(S54)
「仏像鑑賞の旅」(S56) 「秘められた百寺百仏の旅」(S59)
「日本仏像名宝辞典」(S59) 「仏像巡礼事典」(S61)
「日曜関東古寺めぐり」(H5)「仏像集成 全8巻」(S60〜H9)

 「久野健」という名前は、仏像彫刻史に多少なりとも興味がある人なら、知らない人はいないだろう。
 大正9年生まれ、昭和19年東京大学美術史学科卒、以来、東京国立文化財研究所に永年籍を置き、東京大学講師等歴任、退官後、仏教美術研究所長。
 戦後の仏教彫刻史研究の大重鎮と云うべき研究者で、地方佛のみならず、彫刻史研究の著作は数多い。
 X線による金銅仏・乾漆佛の内部構造の研究、その研究成果をふまえた、平安初期木彫が私度僧などによる造像に発するという「木彫民間発生説」、あるいはまた願成就院・浄楽寺の諸像が、「運慶作であることの発見」などで、余りに名高い。

 久野は、戦後すぐ全国の古社寺をまわり始めたと、自著に記しているが、そのありさまなどについて次のように綴っている。

「山道をたどりつつ、ついに訪れたその仏像が、期待どおりこころゆさぶるような古仏だった時、私たちは、ああ、苦労してきてよかったとしみじみと思う。・・・・・・

地方の山の上の寺の坊さんや村人たちの人情は、昔とそう変っていない。本当に古寺の静けさを味わえるのは、こうした不便なところにある寺々である」(百寺百仏の旅)

「その頃(昭和30年頃)は、まだ関東の仏像の調査が進んであらず、どこの寺に一木造の仏像が残っているかを調べるのは、容易なことではない。・・・・日曜ごとに関東の古寺を訪ね歩いたが、・・・・この仕事は10年ほどかかり、ほぼ関東全域に一木造の古代彫刻が120体ほどあることをつきとめた。その間新しいナタ彫像もみつかり、ナタ彫り像は12体を占め、関東の古代木彫の1割がナタ彫りであることもわかってきた。」(日曜関東古寺めぐり)

 久野健が、日本全国の仏像を探訪踏破し、その調査結果を研究書、辞典・全集として公刊した功績には、大きいものがあると思う。
 また、久野は旅行記、随筆の書き手としても、なかなかの名文家で、古社寺・仏像探訪旅行記などは、活き活きとその有様が描かれ、読み物としても大変面白く愉しめる。
 「仏像の旅」「仏像風土記」「日曜関東古寺めぐり」などは、私も、面白い旅行記や随筆を読むように、あっという間に読破してしまった。
 是非一読をお薦め。

 

 

【丸山 尚一】

 地方佛めぐりの本といえば、やはり丸山尚一の本が「定番」というのが、誰もの一致した処だろう。

 著書掲載の著者紹介によれば、次のような略歴が記してある。
 大正13年東京・本郷弓町に生まれる。早稲田大学文学部卒、出版社勤務を経て、美術評論家。木を素材とした平安木彫佛に最も日本的フォルムを感じ、それぞれの土地の匂いのする木彫仏を、その風景風土のなかに追い続け、全国を巡る。平成14年没、78歳。

 丸山の地方仏についての処女出版は、昭和45年刊行の「生きている仏像たち〜日本彫刻風土論〜」である。
 ぼくは、偶々、丸山がはじめて地方仏とその風土について論じた著作を、手にしたこととなる。
 この本が、良き評判と読者の支持を得たのであろう。

 その後、次に記すように、続々と丸山の地方仏紀行本が出版され、「地方仏といえば丸山尚一」と称せられるようになる。

 「地方仏」(S49) 「円空風土記」(S49) 「秘仏の旅 上・下」(S58)
 「旅の仏たち 1〜4」(S62) 「十一面観音の旅」(H4)
 「続十一面観音の旅」(H6)「新円空風土記」(H6) 
 「地方の佛たち」(H7) 「地方の佛たち 近江・若狭・越前編」(H8)
 「地方の佛たち 近畿編」(H9) 「東日本 わが心の木彫仏」(H10)
 「地方仏を歩く 1〜4」(H16)

 丸山の著作は、彫刻史や様式、制作年代などを論ずるというものではなく、それぞれの地方佛の持つ美や魅力や、その「ほとけや古寺」を守る人々を紀行風に綴るもの。
 地方の平安仏に限りなき愛情をもって語られている。
 よくぞ、これだけ沢山の地方仏を訪ねたものと感心せざるを得ない。
 文中、何年も秘仏開扉の日を待って訪れたとか、秘仏が開帳されるという知らせを聞き、兎にも角にも、駆けつけ拝観したとの記述も、一再ではない。

 地方の古寺を訪ね、ご住職や管理されている方と、丸山尚一のことが話題になると、
 「そう、何度か丸山先生がみえましたよ。奥様とご一緒にこられましたねー。」
 との思い出話になることが多い。
 丸山も自著の中で、このように綴っている。

「写真撮影に協力くださった寺々の好意も忘れることは出来ない。・・・・・・
重い三脚は、妻がいつも持ってくれた。暗いお堂での撮影は、一人ではなかなかむつかしい。はじめは、妻の方が寺歩きに熱心で、あるいは、ぼくの方が引きずられたかたちだったかもしれない。」

 なかなか羨ましくもあるが、丸山の文章には、夫婦でのライフワークという、穏やかな愛情が込められているような、気がせぬでもない。

 丸山のこれらの著作、地方仏愛好者には、全国各地の隠れた地方佛を知り、探訪の標とすることが出来、まことに重宝である。

 

 

 


      

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