埃まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第三十五回)

  第九話 地方佛〜その魅力にふれる本〜

《その1》心惹かれる地方佛の世界(1/3)

【9-1】

 「♪♪知らない町を、歩いてみたい。  どこか遠くへ、行きたい♪♪・・・」
 日曜の朝、テレビをつけると、森山良子の澄んだ声で「遠くへ行きたい」のメロディが聞こえてくる。
 この番組、もう何十年続いているのだろうか?
 森山良子が、カレッジフォークで一世を風靡していた僕の学生時代、この歌をうたっていたのは、ジェリー藤尾だった。

 汽車で出かけた、鄙びた海辺の田舎町。静かで美しき自然。海の恵み、山の恵み。この地に生まれ、この地に暮らす人達。土地に息づく伝統の慣わしや祭り。心温まる人情とのふれあい。そして時間がゆっくりと流れていく。

 この番組、どうしても見たいというわけではないけれど、何故か気持ちがなごみ、ほっとするようで、ついつい見てしまう。
 都会に住み、雑踏のなかで暮らし、仕事に追われる人にとって、一流のレストラン、ホテル、イベントでは、得ることの出来ない心惹かれる魅力であろうことは、間違いない。

 

 話は、34年前、昭和46年に遡る。

 その夏、同好会の友とともに、東北、黒石寺薬師如来を拝観に出かけた。
 大阪から新幹線、上野からは夜行列車の乗って、「みちのくの古寺古佛」探訪に向かったのだった。
 私の、初めての地方佛への旅であった。
 水沢駅から一日数本しかないバス、夕刻、黒石に到着。
 その晩は「堂守の渡辺熊治さん」の家に皆泊めていただいた。「熊んつぁん」と呼ばれる八十歳近い熊治老は、みちのくの古老そのものという風貌。ご家族に、夕飯の面倒まで見てもらい、心温まる、大変なお世話になった。
 「熊んつぁん」が「○×△・・・・・・・」と大きな声で話し掛ける。生粋の東北なまり?何を言ってるのか、サッパリ判らない。ドギマギしてると、若いお嫁さんが「お爺さんが、お風呂に入れ、と言ってるんですよ」と教えてくれた。

 翌朝、「熊んつぁん」に伴われ、朝陽ふりそそぐなか、薬師如来像を拝した。
 貞観4年(862)の銘のある、平安初期佛。
 荒々しき螺髪、目尻の強烈に吊りあがった厳しい眼、その魁偉な異貌を眼の前に拝した、強烈なインパクトと感動は、今もこの眼に焼きつき忘れられない。
 この黒石は、坂上田村麿が築いた胆沢城から程近い地。
 蝦夷に対する威嚇、移民に対する叱咤鼓舞という、9世紀の緊張した開拓社会を想い起こさせるに、充分な凄みを肌に感じた。
 そして、千年以上の長きに亘り、雪深い厳しき風土の中、この仏像をこの土地で守ってきた人々。
 呪術的とか魔力的とかというパワーを感じさせるこの像を前に、
 「生きている仏像」「風土と共に生きる仏像」「仏像・風土・人間」
などという言葉が、心の中を駆け巡った。

 「熊んつぁん」の家に泊まり、朝陽の中で「黒石寺薬師如来」を拝したこと。
 これが、私を地方佛巡りの世界へいざなった、記念碑的出会いであった。

 

黒石寺               薬師如来坐像

 それから、随分、沢山の地方佛を巡り拝した。
 素朴で、古拙で、バランスが崩れたものも多く、洗練されているとは言いがたい。
 しかし、地方の平安佛には、中央佛には無い心惹かれる不思議な魅力、引力のようなものがある

 博物館などに出品されていると、それほどの出来でもなく、そのまま通り過ぎてしまう地方佛も、田舎の寂れたお堂で、土地の人々に愛され守られたなかで拝すると、魂がこもり、キリリと輝いて見えてくる。
 やはり、地方佛は、その地まで出かけ安置されているお堂で、その姿を拝するにしくはない。
 歩く程に、長き石段を登る程に、やっとたどりついたお堂で拝する仏像との出会いは、感動を呼び覚ます。
 これが、地方佛の本当の魅力なのかも知れない。

 そして、博物館で観た地方佛にも、もういちど、その故郷で会うために、汽車に乗り、バスに乗り継ぎ、その仏像が住むその土地へ、出かけていくことになるのである。

 

 「♪♪・・あーあー、日本のどこかに、私を待ってる人がいる♪♪・・」
 ディスカバージャパンのテーマを、山口百恵が唄っていたのを、ふと思い出す。

 そして、
 「日本のどこかのお堂にひっそりと佇む、私を待っている、素晴らしき平安佛に出会いに」
 また、飽きもせず、懲りもせず、観佛探訪へと旅立ってしまう。

 

1.私に、地方佛との出会いをくれた本

 「生きている仏像たち〜日本彫刻風土論〜」 丸山尚一著 (S45) 読売新聞社刊 

 この本が、神戸・六甲のN書店の書棚に並んでいるのを見つけたのは、昭和46年の春頃、大学3年の時だったと思う。
 どんな本なんだろうか?・・・・手に取りページを開いてみた。
 「北上川流域の古代彫刻、信濃の古寺と仏たち、出雲様式と山陰の仏像・・・・・・」という目次が眼に入る。
 「ふーん、こんな地方にも、観るべき良い仏像が結構あるのかなー?」と思い、850円也を払って、手に入れた。

 これが、私の「地方佛の本」との最初の出会いであった。
 読み進むほどに、グイグイと惹き込まれ、一気に読破してしまった。
 序章の標題は、「仏像・風土・人間」とあり、こんな事が書いてあった。

 「その土地に根を下ろし、その土壌に育った寺々や彫像たちが、時代様式の流れとは別に、その土地らしい造形と雰囲気をかもし出していることは確かであろう。・・・・・
 土の臭いの、最も強いと思われる東北地方を、まず選んだ。辺鄙な山寺を好んで歩いた。かつて、中央の寺々を歩いたときとは全然違った感激を、ぼくは東北の仏像に見たのである。岩手の黒石寺の薬師如来であり、成島毘沙門堂の兜跋毘沙門天、吉祥天像である。それ以来、ぼくは仏像につかれたように東北の寺々を歩き廻った。・・・・・その地方の仏像たちを見ているうちに、(東北の地方的な土俗的な特徴といったような)いかにも東北人の気質に合った数々の仏像たちに出会っていることに気づいてきたのである。・・・・・
 その後、山陽から四国にかけての木彫群を見て歩いたときに、東北の渋い仏像ばかり見慣れてきた眼には、この木彫たちが、いかにも瀬戸内的な明るさを持っているように映じて、驚いた。それは、いわゆる地中海的な明るさというとでもいえるような明るい造形に、ぼくには思えたのだ。広島からかなり山側に入った古保利薬師堂の、薬師如来、吉祥天、千手観音などの優れた木彫像を見た時の感動は、今でも忘れられないが、この木彫たちが、あのマイヨールの豊潤な彫刻を、ふと頭に描かせたのだから不思議である。」

 実に、新鮮な感動であった。
 仏像と風土、そしてその地に生きる人々。


成島毘沙門堂 毘沙門天像

 
古保利薬師堂 薬師如来坐像             聖観音立像     

 大学に入ってから、奈良・京都の中央佛は、かなりのエネルギーと時間をかけて、見て廻ったつもりであったし、仏教彫刻史についての本も、それなりに読んではきたが、この本を読んでみて、「地方佛の魅力に直接ふれてみたい、風土と共に生きる仏像に、出会ってみたい」と、素直に思った。
 丸山尚一がたどった地方佛探訪の道程を、ぼくもまた、たどってみてみよう。

 そしてその夏、同好のメンバーと、東北、みちのく地方佛探訪、黒石寺・薬師如来観佛の旅へと出かけたのであった。

 それから、数多くの地方佛を観て廻るようになればなるほど、同じく本書の序章に記された、このような文章に、「なるほど、そのとおりだ、同感!たしかに地方佛の魅力とは、そういうものかもしれない」という思いを抱くようになった。

 「地方の仏師や、造像僧たちが、木に素朴な生命を感じて、真剣に一木に取り組んで長い時間をかけて彫り上げたものには、多少とも粗野であり、個々の稚拙さはあるにしても、血のかよった迫力を感じる。粗野な稚拙さは、かえって大胆な表現を生み、素朴な強さでわれわれに訴える。これが地方作の良さであり、魅力でもあろう。・・・・・・・
 いずれにしろ、平安期の木彫佛ほど、日本彫刻の地方性を語り、地域差を内蔵しているものはないのである。・・・・・・・・・
 『貞観佛』という言葉がある。・・・・・地方の寺々を歩いているときに、『あの寺のは貞観佛ですよ』という、村人の誇らしげに語る言葉をよく耳にする。・・・・疲れながら寺々を廻っている時、この言葉を聞くと、どんなにうれしく思うだろう。血が走る思いだ。こんな興奮が、ぼくを不便な山寺へひきつけるのだ。ただ、そういっても、厳密な意味での貞観彫刻に出会うことは、まれである。地方人のいう『貞観佛』には、たんに素朴な一木彫りの像を指している場合が少なくないからだ。・・・・・・
 こうした『貞観佛』にこそ、地方的な特色が豊かであり、日本の仏像のはだかの姿を見ることが出来るように思うのだ。」

 各地の地方佛を見て廻る時、いつも、この本がかばんの中に入っていた。
 折々、持ち歩き、読み返すうちに、ボロボロになり、今手元にある「生きている仏像たち」は、2冊目の本。
 私には、思い出の本である。

 

 この本の他に、学生時代、地方佛探訪のガイドとなった本は、次の2冊だった。
 昭和40年代の当時、単行本で内容のしっかりした、全国の地方佛ガイドは、これしかなかったのではないかと思う。

 「日本古寺巡礼」(上・下)佐藤昭夫・永井信一・水野敬三郎共著(S40)社会思想社教養文庫 

 本書は、同社刊「大和古寺巡礼」「京都古寺巡礼」の姉妹編として出版されたもので、奈良京都をのぞいた東北から九州に至るまでの地方の250余ケ寺の古寺古佛について、仏像彫刻を中心に紀行風に解説したもので、主だった地方佛は、殆んど網羅されている。
 執筆陣も、仏教彫刻史学者中心で、ハンディな文庫本ながら、仏像解説書としてのレベルも高水準。
 著者あとがきに、このように記されている。

「われわれの願いは、そうした地味な『観光バスの行かない』どころか、定期バスさえ満足に走っていないような社寺にある魅力とでもいうものを紹介したかったのであり、・・・・・・そうした社寺にひかれて旅する人びとのために、いくらかでもお役に立てば幸いである。」

 

 「続 日本の彫刻 東北―九州」久野健著・田枝幹宏写真(S40)美術出版社刊

 本書は、中央仏の名品の大型写真集である「日本の彫刻」の続編として、地方所在の仏像優品の写真集として刊行された。
 写真は、田枝幹宏。昭和20年代から、地方佛の魅力に惹かれ、独自に撮影を続けてきたもの。地方佛の魅力を見事に引き出した芸術写真で、最近撮影したのかと見紛うほどに素晴らしい。
 さらに、各地方ごとに、久野健執筆の、地方彫刻全般の解説文、掲載仏像解説、参考文献単行本・論文が、しっかり丁寧な内容で付されている。

 この3冊、「生きている仏像たち」「日本古寺巡礼」「続日本の彫刻」が、当時の我々にとって、地方佛探訪旅行を計画する時の、三種の神器のようなものだった。
 「さあ、今度は○○地方の仏像を観に行こうか」となると、この3冊を首っ引きで、探訪する古寺古佛をピックアップ、掲載写真を見ながら、「この仏像はどうしても観たい、ここは出来れば行こう」と旅のプランを立てた。関係資料にあたるのも、所載の参考文献リストなどが頼りだった。

 今でも、あの頃が懐かしく思い出される。
 振り返れば、学生だった私に、地方佛の不思議な魅力を教えてくれ、さまざまな地方佛との出会いに誘ってくれた、「忘れ難き3冊の本」となったのであった。

 この文を綴るので、それぞれ書棚から取り出し、本当に暫らくぶりに読み返してみた。
 しっかりとしたレベルの解説で、また読み物としても面白く読め、40年も前に出版されたなどとは全く思えない。
 いずれも、当時、まだ訪れたり、研究したりする人の多くなかった、地方佛の魅力の世界に、没入したり挑んだりした人々の、思い入れや熱気のようなものが伝わってくる本。
 現在でも、その輝きを全く失っていないような気がする。

 ノスタルジーなのかも知れないが、地方佛の世界に魅力を感じる人は、是非とも一度、この3冊を手にとって見て欲しい。
 そうしたら、きっと、地方佛の持つ魅力の世界へ、もっともっと惹き込まれていくに違いない。

 


      

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