埃まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第二十九回)

  第八話 近代法隆寺の歴史とその周辺をたどる本

《その3》昭和の法隆寺の出来事をたどって(1/6)

 【8−1】
 昭和の法隆寺の出来事や文化事業を振り返ってみると、
 三大出来事は、
 「若草伽藍の発掘」「金堂炎上・壁画焼失」「聖徳宗の開宗〜法相宗からの独立〜」
 三大文化事業は?
 「昭和の大修理」「金堂壁画の模写・再現」「昭和資材帳の編纂」
 私が挙げるとしたら、このようになるだろうか。

 法隆寺、昭和の60余年は、「近代法隆寺130年余の歴史」の丁度後半期にあたる。

 前半期、明治大正の三大出来事は、何だろうか。
 「秘仏・夢殿救世観音の開扉」「四十八体仏ほかの宝物献納」「百萬塔の売却」
 あたりになるのだろう。

 こうしてみると、明治の法隆寺が、廃仏毀釈の嵐を乗り越えて、寺の財政維持、宝物流失の危機という問題に立ち向かった時期だとしたら、昭和の法隆寺は、法隆寺の歴史的、文化的な意義が、広く認識・認知されるようになり、我が国の誇る文化遺産として、これを守っていこうという動きが、昭和の大戦を挟みながらも、着々と盛り上がり、実行されていった時期といってよいのだろう。

 

 



法隆寺 西院伽藍


1.昭和の大修理
 昭和8年、国の全面的支援による国家事業として、法隆寺の数多くの重要建築物の修理、即ち伽藍の大修理を開始することが決定した。
総工費150万円の巨費を投じ、工期10年の計画で、実施される大事業である。
これを「法隆寺昭和の大修理」と呼ぶ。

 法隆寺の建築は、結構荒廃・老朽化していたが、これまで国庫補助による諸堂の修理が、遅々として進まなかった。
 このままでは、百年かかっても修理は終わらないという状況だったが、それが、国家事業として一気に実現できることとなったのである。
 そこには、時の住職・佐伯定胤の思いを受けた、荻野仲三郎、黒板勝美、滝精一等著名学者や、聖徳太子奉賛会(細川護立会長)等の尽力があり、昭和8年に貴族院・衆議院議員20数名の法隆寺視察が実現するなどして、ついに国家事業としての実施決定に至ったという。

ハ 10ヶ年計画のこの事業であったが、指定建造物の全修理が終わったのは、なんと昭和60年6月末のことであった。
 結果として、実に50年の長きにわたる大事業となり、名実共に「昭和の大修理」となった。
 この間、国家事業として行われた第1期工事(昭和10〜30年)には、金堂、五重塔を始めとした21棟が、奈良県委託事業として行われた第2期工事(昭和31〜60年)には、東室、綱封蔵を始め16棟の修理が行われた。

 

 

 
  金堂組立風景          覆屋修復中の金堂五重塔

 昭和29年には「金堂落慶供養会」が、昭和60年には「昭和大修理完成法要」が、それぞれ厳修された。
 振り返るに、この「昭和の大修理」があったからこそ、法隆寺の伽藍堂塔を今の佇まいで見ることが出来るのであり、地道に、たゆまず粘り強く、この大事業に携わってきた先人達の努力や汗に、思いを致さずに入られない。

 昭和29年の「金堂落成供養会」の際には、こんな本が出されている

 「金堂落成供養会」 法隆寺・間中定泉発行 (S30) 

 この本は、金堂落成供養会の準備から供養会の有様、回顧などを書き綴ったもので、金堂落成の記念的記録本として作成、寄付者等関係者に配ったようだ。

 

 

    
金堂落慶供養会


 さて、昭和9年からの「昭和大修理」開始にあたり、文部省内に法隆寺国宝保存事業部・保存協議会が、現地には国宝保存工事事務所がそれぞれ設置された。
 初代事務所長は武田五一、技師長は服部勝吉。
 工事事務所には、今振り返ると名立たる建築史学者が、次々と技師などで参画している。
 浅野清、杉山信三、日名子元雄、太田博太郎、岸熊吉、大岡実、竹島卓一など、建築史の本でよく見かける名前を見つけることが出来る。多くの古代建築史研究の先学たちが、この法隆寺修理に携わり、また研究成果を挙げたのだと、今更ながら感じてしまう。

 昭和大修理にまつわる人と出来事を、ここで振り返ってみたい

 【宮大工・西岡常一】

 「法隆寺を建てたのは、誰でしょう」
 「はい、聖徳太子」
 「残念でした、法隆寺を建てたのは大工さん」
 子供の頃、こんな頓智で遊んだ記憶が皆あるだろう

 この法隆寺の大工さんが、学者や研究者の誰よりも、世に知られるようになり、有名になった。
 「法隆寺昭和の大修理」は知らなくても「法隆寺の宮大工、西岡常一」の名を知っている人は数多くいるだろう。

 西岡は、三代に亘る法隆寺宮大工棟梁として、長きに亘り、法隆寺昭和大修理に携わる。昭和大修理と共に生きた、宮大工といってよいのかも知れない。
 千数百年を経て、今なお健在な法隆寺の古代建築の技に心底惚れ込み、法隆寺をこよなく愛した。
 古代の建築技術を頑なに伝承し、チョウナ、ヤリガンナを用いるなど、古代工人の技能と魂を現代に受け継ぐことに、渾身の力を傾けた。
 その後も、法輪寺三重塔、薬師寺金堂、西塔の再建の棟梁として現場を指揮、飛鳥白鳳の古代建築の再現という大事業を成し遂げたのである。

 そうして、西岡常一は、飛鳥の心と叡智を現代に蘇えらせた名匠として評価され、世に知られるようになる。

 昭和49年吉川英治文化賞を受賞、昭和56年には大工で初めての日本建築学界賞に輝き、あわせて勲四等瑞宝章を受ける。昭和60年には、東宮御所で皇太子夫妻に「木のいのち木のこころ」という題目で、なんと【宮大工の棟梁】が、ご進講をするまでに至った。
 平成4年には、文化功労者に選ばれた。
 宮大工西岡にまつわる本も、よく知られる「法隆寺を支えた木」を始め多く出版され、
 その中で語られる西岡家家訓の一節
 「堂を建てず伽藍をたてよ 塔組みは木組み 木組みは木の性組み 木の性組みは人組み 人組みは人の心組・・・・・・」
 などは、マネジメント指南への示唆として、持て囃されたりもした。


 宮大工西岡常一を世に紹介した最初の本は、青山茂との対談集

 「斑鳩の匠 宮大工三代」 西岡常一・青山茂共著 (S52) 徳間書店刊 

 本書は、奈良通の青山茂が、西岡との対談形式により、木に生きた宮大工の半生を紹介する、という本。流石、青山という話の引き出しぶりで、修理再建についてのエピソード、興味深い構造技法の話や、西岡の苦労、信条などを楽しく知ることが出来る。

  


 「法隆寺金堂の解体修理」の章では、
 これまでの学説では、当初の金堂の屋根は、玉虫厨子と同じ錏葺き(シコロブキ)と考えられていたのを、西岡が、入母屋葺きであることを内部の造作構造から発見・実証した話や、修理後の金堂大屋根に鴟尾を載せるか鬼瓦かで、一年越しの大論争になった話などが興味深く語られている。
 鴟尾・鬼瓦論争は、結局白黒つかず、新たな復元鴟尾を制作したものの、暫定的に従来同様の鬼瓦を載せることで決着した。西岡は金堂棟木の両端が下へ折れ込んで曲がっていることから、重たい鴟尾が載せられていたのは間違いないと述べている。

 「法輪寺三重塔の再建」の章では、
 昭和19年落雷焼失した塔の再建が、昭和40年代に実現することになった際、その工法について建築史学者・竹島卓一と大論争となり、果ては竹島が、毎日新聞夕刊に「法輪寺三重塔設計と施工 秘術に抑えられた将来計画」と題する自説と西岡批判を掲載、西岡は「木のいのち」と題し、その反論を掲載するに至った話が語られている。
 西岡は、全部ヒノキの純粋木造の飛鳥建築技術の継承を主張し、竹島は、補強のための鉄骨材の大幅な導入による設計図を描いた所以であった。

 「建築用材と工具」の章での、
 ヒノキ、スギ、クスノキ、コウヤマキ、ケヤキなどの木のそれぞれの、建築材としての特性を語った話や、古代のヤリガンナ(現代に伝わる台ガンナが使われるのは室町から)を、正倉院宝物に残された小型ヤリガンナから復元したり、その使い方を北野天神縁起絵巻など古絵巻の場面から推測し習熟した話などは興味が尽きない。

 

 

  
  ヤリガンナ         チョーナ

 必読必携を、お薦めする。

 西岡の自伝、評伝的本は次の2冊

 「飛天の夢 古寺再興」 長尾三郎著 (H2) 朝日新聞社刊 

 「古寺再興 現代の名工・西岡常一棟梁」と改題し講談社文庫で再刊
 ノンフィクション作家の書き下ろし評伝。物語風に、なかなか引き込まれるように読ませる。

 「宮大工棟梁・西岡常一〜口伝の重み」 西岡常一著・西岡常一棟梁の遺徳を語り継ぐ会監修 (H17) 日本経済新聞社刊

 日経新聞連載の「私の履歴書」に、関係者の座談会、聞き書きを加えて単行本化されたもの。

 両書によると、
 西岡常一は、明治41年二代楢光の長男として生まれた。
 西岡家は、代々法隆寺西里に住まいし、法隆寺大工の流れを受け、明治になって棟梁家になった。初代棟梁常吉は、法隆寺諸堂の修理に力を尽くした。常吉は、二代楢光が婿養子であったこともあってか、孫の常一に宮大工の技と秘伝を伝えるべく、幼い頃から徹底的に大工職について仕込み、常一の「太子信仰と匠道」形成に大きな影響を与えた。
 法隆寺昭和大修理は、初代常一が没した翌年の昭和9年に始まり、父楢光と共に修理に携わる。同年結婚し東院礼堂修理で初の棟梁となる、時に27歳。
 戦後は、焼災金堂の修復、福山明王院解体修理、法輪寺三重塔再建、薬師寺金堂再建、西塔再建と、次々と大事業を成し遂げ、まさに斑鳩の匠、現代の名工の名声を得るに至った。
 平成7年、86歳で没。

 この他、宮大工西岡常一に関する本には次のようなものがある。

 「法隆寺を支えた木」 西岡常一・小原二郎著 (S53) NHKブックス

この本が、一番良く知られ、読まれたと思う。

 「木に学べ 法隆寺・薬師寺の美」 西岡常一著 (H2) 小学館ライブラリー

 元版はS63年刊。
 西岡の木・道具・人間などについての語りを、雑誌連載したのを単行本化したもの。経験に裏打ちされた西岡の仕事感、信条などが良く語られている。

 「蘇る薬師寺西塔」 (S56) 草思社刊 

 薬師寺西塔の再建事業をふりかえっての西岡常一、高田好胤、青山茂の鼎談集

 「木のいのち木のこころ」(天・地・人) 各西岡常一・小川三夫・塩野米松著 (H4〜5) 草思社刊

 西岡棟梁とその唯一の内弟子・小川三夫、そして小川が創立し主宰する工人集団「斑鳩工舎」について語られた三部作。


  

 


 


      

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