埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百九十四回)

   第三十話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その7>奈良の宿あれこれ

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【目次】

はじめに

1. 奈良の宿「日吉館」

(1) 日吉館の思い出
(2) 単行本「奈良の宿・日吉館」
(3) 日吉館の歴史と、ゆかりの人々
・日吉館、その生い立ち
・日吉館を愛し、育てた会津八一
・日吉館のオバサン・田村きよのさんと、夫・寅造さん
・日吉館を愛した学者、文化人たち
・日吉館を愛した若者たち
・日吉館の廃業と、その後
(4)日吉館について書かれた本

2.奈良随一の老舗料亭旅館「菊水楼」

(1)菊水楼の思い出
(2)明治時代の奈良の名旅館
(3)菊水楼の歴史と現在
(4)菊水楼、対山楼について書かれた本

3.奈良の迎賓館「奈良ホテル」

(1)随筆・小説のなかの「奈良ホテル」
(2)奈良ホテルを訪れた賓客
(3)奈良ホテルの歴史をたどる
(4)奈良ホテルについて書かれた本




(4)日吉館について書かれた本


最後に、日吉館のことについて書かれた本をご紹介しておきます。


日吉館の歴史と、田村きよのさんについては、最初に紹介した、

太田博太郎編 「奈良の宿・日吉館」 (S55) 講談社刊 




この一冊を読めば、他の本を読まなくても何でも判ります。
「日吉館・完全丸判り本」と云って良いと思います。


この本以外は、奈良について書かれた本の中の一章で、日吉館についてふれられているというものがほとんどですが、ご紹介しておきます。


まずは、「会津八一と日吉館」について書かれた本を3冊です。


「南都逍遥」 安藤更生著 (S45) 中央公論美術出版社刊 【208P】 1200円


会津八一門下の美術史学者・安藤更生氏が、昭和45年(1970)、70歳で没後、奈良に関係する小論や随筆をまとめて出版されたのが本書。

「奈良雑記」と題する章があり、この中に「奈良の旅籠屋」という項が設けられ、6ページにわたり日吉館についての思い出が語られています。

本文中にご紹介したように、会津八一が日吉館に泊るようになったいきさつや、会津が初代の田村松太郎、ツネオ夫妻と懇意になり、日吉館の看板を揮毫した話などが、活写されています。

安藤自身が日吉館に初めて泊ったのは、会津八一が泊りはじめた一年後の大正11年(1922)のことです。
22歳の時ですが、その時のことも本書の中で、このように綴っています。
安藤更生氏の描いた日吉館スケッチ



「私が初めて日吉館へ泊ったのは、宿帳によると、大正11年4月1日・・・・・
【美牧 燦之介  22年 画工】
となっている。

当時、私は生家を飛び出した時なので、追手を怖れて変名にしたのだが、それにしても派手ななにしたものだと、今は苦笑している。」


この本は、日吉館のことだけでなく、美術史学者が綴った奈良随筆として大変面白く、いろいろなエピソードや、昔話を知ることが出来ます。
一読をお薦めします。



「自註鹿鳴集」 会津八一著 (S40) 中央公論美術出版社刊 【250P】 1200円


会津八一が、自身の歌集「鹿鳴集」に自ら註釈、解説を加えて出版したのが本書。

初版は昭和28年(1953)、新潮社から刊行されていますが、会津の最後の著作となったものです。
歌の後に、言葉の意味の解説や歴史、その歌を詠んだ心情や背景などが、会津自身の手で解説されています。

本文で紹介しましたが、「南京新唱」収録の歌の冒頭に、「奈良のやどりにて」と標題が付され、会津が日吉館に泊るようになった話が、註釈に記されています。

また「南京餘唱」には、このほかに日吉館にて詠んだ次の二つの歌が収録されています。

「奈良のやどりにて」
かすがの の よ を さむみ か も さをしか の まち の ちまた を なき わたり ゆく

「またある日」
あまごもる なら の やどり に おそひ きて さけ くみ かはす ふるき とも かな

この「自註鹿鳴集」は、その後、中公文庫からも刊行されています。



「真珠の小箱B奈良の秋」 角川書店編 (S55) 角川書店刊 【245P】 950円


長年に亘って、毎週、毎日放送でTV放映されていた奈良紹介番組「真珠の小箱」で特集されたものからピックアップされ、全4巻に編集して刊行された本です。

この中に、「奈良の会津八一」(語り〜宮川寅雄)という一篇が収録されています。
宮川氏は、会津八一門下の美術史家です。

会津八一がはじめて奈良を訪ねてから、奈良の歌を詠んだり、奈良美術研究に没頭したころの思い出を、懐かしく語っており、会津が贔屓にした日吉館の話も出てきます。
昭和5年に田村きよのさんが日吉館に嫁いできたころの思い出も語られているのは先に記したとおりです。



次に、フィクションの中に描かれた日吉館の本を2冊。


「あおによし」(上・下) 北村篤子著 (S47・48) 日本放送出版協会刊 【281・277P】各500円

日吉館のおばさん、田村きよのさんをモデルにした連続テレビドラマの、ノベライズ本です。

このTVドラマは、昭和47年、月曜夜8時からNHKの連続ドラマで、1年余にわたって放映されました。
音無美紀子さんがヒロインを演じ、一風変わった奈良の旅館の女主人として、明るく懸命に生き抜く半生を描いた物語です。




本の帯にはこのようなコピーが付されています。

「昭和の初めから40年頃までの古都奈良を舞台に、奈良とそこに住む人々をこよなく愛した一人の女の半生を、明るくヒューマンなタッチで、人情味豊かに描き、おおらかな大和ごころをうたい上げる。」

当時、高視聴率を稼いだ人気番組でした。

田村きよのさんの半生記のドラマのようですが、あくまで、それをたたき台にしたフィクションで、日吉館ときよのさんのことについては、事実と違う処が数々あります。
小説では、ヒロインの生まれが吉野の山奥の十津川とされており、多くの人がきよのさんの出身をそのように誤解していたのは、本文で書いた通りです。

ストーリーは、ヒロインをめぐる人間模様、人情話が中心で、日吉館を愛する学者や文化人、奈良美術についての話は、あまり登場しません。

ただ、このTVドラマと本書の発刊で、「日吉館と田村きよのさん」のことが、益々世に知られることになったのは事実でしょう。



「平城山を越えた女」 内田康夫著 (H2) 講談社刊 【317P】 1300円

この本は、前話「奈良の仏像盗難ものがたり」で、香薬師盗難事件を題材にしたミステリーとして紹介した本です。


冒頭にふれたように、このミステリーに、日吉館が登場します。
主人公・浅見光彦は、「日吉館が消える(廃業する)」という特集記事の取材に行って、事件に巻き込まれます。
ミステリーの第2章は、「奈良の宿日吉館」という項立てで、日吉館についての描写やエピソードが、ストーリーのなかに折々登場します。

この本は、平成2年(1190)に発刊されていますが、この頃は、日吉館が一度看板を下ろして、ボランティアの支援で営業していた頃です。

文中にも、

「名物おばさんは何度も廃業を決意したのだそうだ。
しかし日吉館を愛する人々の希望は、日吉館の灯を消させなかった。
旅館としてではなく、学究の徒の集う場所として、寝泊りができる集会所のような形態で、実質的には従来通りの営業を続けているというわけである。」

と書かれています。

このミステリーでは、昭和18年に新薬師寺から香薬師を盗み出した学徒5人組は、その時、日吉館に泊っていたという設定になっています。



最後に、日吉館、田村きよのさん、夫・寅造さんについて書かれた随想をご紹介します。


「奈良・日吉館の客たち」 (S38) 芸術新潮S38・7月号所収 【7P】 200円

月刊美術雑誌「芸術新潮」に「奈良・日吉館の客たち」と題した特別読物が掲載されています。

学者、文士、文化人が集まる名物旅館・日吉館の紹介文とも云える内容になっています。
会津八一をはじめとする日吉館を愛した学者や文化人たちの顔ぶれや、日吉館の歴史などがコンパクトにまとめられています。

  


日吉館を支えるオバサン・田村きよのさんの話、仏像梱包の名人・寅造さんの話も、しっかりと語られています。

日吉館の魅力と歴史が、コンパクトにわかりやすくエピソードを交えてまとめられており、昭和30年代までの日吉館のことを知るには、一番の読み物です。



「大和寸感」 青山茂著 (H17) 青垣出版刊 【316P】 2100円


奈良通で、奈良文化をテーマにした多くの著作で知られる、青山茂氏の奈良を題材にした随筆集。
月刊誌「奈良県観光」に「大和寸感」と題して連載された随筆をまとめて単行本化された本です。

日吉館については、3篇が収録されており、題目は次のとおりです。

・日吉館を支えて50年〜田村きよのさんの古稀
・旅舎「日吉館」の幕引き〜田村きよのさんの悲しい決断
・十四年ぶりの上京〜田村きよのさんに吉川英治文化賞

日吉館が、看板を下ろし廃業するときの様子など、田村きよのさん古稀以降のエピソードが愛惜の念を込めて、語られています。



「仏像梱包の日本一〜田村寅造」 大野力 (S42) 自然22巻11号所収 中央公論社刊


表題のとおり、仏像梱包の名人・田村寅造さんを紹介した5ページの読み物です。
「価値ある執念」と題する連載の第5回に採り上げられています。

こうした専門誌に採り上げられるほどに、寅造さんの仏像梱包の腕が、本物であったということなのだと思います。
筆者・大野氏が寅造さん宅を訪問し、寅造さんの好きな酒を一杯酌み交わしながらインタビュー、思い出話を聞きながら、寅造さんの人生と名人技を振り返る形で綴られています。

寅造さんの梱包の技やエピソード、日吉館の話などが愉しく語られています。



「奈良閑話」 喜多野徳俊著 (H1) 近代文芸社刊 【225P】 1500円



奈良在住の医者で郷土史家の喜多野徳俊による、奈良古文化についての随筆集。



「日吉館」という項立てがあり、2ページの小文ですが、
日吉館の廃業に際して、日吉館の歴史をたどり、学者、文化人が愛した「奈良の宿・日吉館」を振り返る、随想文が綴られています。




「奈良の平日〜誰も知らない深いまち」 浅野詠子著 (H13) 講談社刊 【246P】 1500円


著者は元奈良新聞記者のフリージャーナリスト。
本の題名通り、奈良の町のあれこれ、知られざる話が、愉しく語られています。

「思い出の日吉館」という項立てがあり、日吉館の思い出と、建物の取り壊しのいきさつなどが語られています。

本書によれば、
空き家のままになっていた日吉館を、平成12年(2000)ごろ、当時の奈良市長が、
「市営のゲストハウスのように、活用できないものか。」
と、日吉館の隣にある飛鳥園の小川光三氏に相談していたそうです。
日吉館は借家の営業であったので、小川氏は大家さんにその意向を伝えましたが、難しかったということです。

そうこうしているうちに、建物が朽ちかけ通行人の多いところで放置しておくこともできなかったということで、取り壊すことになったと書かれています。



次回からは、奈良随一と言われた老舗料亭旅館「菊水楼」の歴史をたどる話です。


 


       

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