埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百八十八回)

   第二十九話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その6>奈良の仏像盗難ものがたり

(10/10)


【目次】


はじめに

1. 各地の主な仏像盗難事件

2. 奈良の仏像盗難事件あれこれ

(1) 法隆寺の仏像盗難

・パリで発見された金堂阿弥陀三尊の脇侍金銅仏
・法隆寺の仏像盗難事件をたどって
・法隆寺の仏像盗難についての本

(2) 新薬師寺・香薬師如来像の盗難

・失われた香薬師像を偲んで
・香薬師像盗難事件を振り返る
・その後の香薬師像あれこれ

(3) 東大寺・三月堂の宝冠化仏の盗難事件

・宝冠化仏盗難事件の発生
・宝冠化仏の発見・回収と犯人逮捕
・三月堂宝冠化仏盗難事件についての本

(4) 正倉院宝物の盗難事件

・正倉院の宝物盗難事件について書かれた本

(5) その他の奈良の仏像・文化財盗難事件をたどって



(5)その他の奈良の仏像・文化財盗難事件をたどって


そろそろ「奈良の仏像盗難ものがたり」の話も、終幕としたい。

最後に、明治維新以降、近代奈良の地で起こった様々な仏像や文化財の盗難事件を振り返ってみたい。
どのような盗難事件が起こっていたのだろうか?

明治以降の盗難事件を、本や資料からピックアップしてリストアップしてみた。

一覧表にまとめてみると、次のようになった。

「法隆寺の明治年間の宝物盗難事件」については、先に一覧表にしたので、このリストには記載しないようにした。






明治から昭和時代までの盗難事件は、主として「奈良の近代史年表」から、仏像・文化財盗難事件の記録をピックアップしてまとめた。


「奈良の近代史年表」中本宏明編 (S56) 私家本 【364P】



この本は、奈良で起こった政治経済文化などあらゆる出来事をリストアップした年表。

項目だけの羅列ではあるが、大変役に立つ資料になっている。

平成時代の盗難事件は、当神奈川仏教文化研究所「盗難文化財」の事件記録からピックアップした。


奈良の寺々では、このリスト記載の他にも、数多くの盗難事件が起きていたに違いないが、私があたってみた資料では、他にどの様な盗難事件があったのか判らなかった。

この一覧表も、ピックアップ漏れが多々あると思うが、
どの様な盗難事件がこの1世紀弱の間に起こっていたのかの概略をみるための参考になることと思う。


こうしてみると、結構な数の盗難事件が起きているが、これらの事件の詳しい中味や顛末については、よく判らなかった。
それぞれの発生時点の、奈良版の新聞記事などを丁寧に辿れば、どんな盗難事件であったのかを知ることが出来るのであろうが、そこまでする体力、気力は無かったので、了解いただきたい。

このうちの一、二について、知ることが出来たエピソードだけ紹介しておきたい。


昭和4年(1930)、興福寺の木造釈迦如来像が盗まれた話。

像高70pほどの木造の釈迦如来立像が光背、台座をのこして盗み取られた。

鎌倉時代初期の作で、玉眼が嵌入され、仏身は極彩色の截金が置かれた精美を極める仏像であったという。
平成は布にくるんで仏壇裏に置かれていたそうで、寺人は盗まれて初めてこの仏像が国宝(旧国宝)に指定されている像であることに気が付いたと云われている。
現在に至るまで、行方不明になっている。


昭和25年(1950)に、中宮寺の誕生釈迦像が盗まれた話。

この誕生仏は、金銅製の小仏で、飛鳥時代の制作と云われ、重要美術品に指定されていた像。

中宮寺誕生仏(平櫛田中作の木像)
3月17日未明に土蔵から盗み出された。
当時の門跡の一條尊昭尼は、「誕生仏への愛惜」という一文を文芸春秋(昭和26年2月)に寄せ、このように語っている。

「五寸九分の小さな金堂釈迦誕生仏一躯は、重要美術品のご指定を受けまして、爾来一層尊いお姿が全国の識者の間に愛情をもたれながら、皆様のお力添えによって金銅のみ光は一段と軟らかい光彩を放っておいでになったのでございます。
・・・・・・・・・・・
思えば千有余年の間端正な、おごそかな御顔には、悟りきった静かな微笑をたたえられ、私共がひたむきに愛惜を覚える御像なのでございます。」

この誕生仏は、現在も行方不明となっているが、昭和39年(1964)に中宮寺からの依頼によって、木造原形平櫛田中・鋳造香取正彦で再現した像が作られた。
現在は、この誕生仏が灌仏会のときには使われているそうだ。


最後に、最近話題となった、飛鳥・向源寺の盗難仏像発見の話。

3年前の平成22年(2010)、36年前に盗まれた仏像がオークションで発見され、大きな話題となった。

新聞各紙が大きく報道していたので、覚えておられる方も多いことと思う。

発見されたのは、奈良県明日香村の向原寺から1974年9月に盗まれた仏像であった。

向原寺
向源寺は、飛鳥時代の豊浦寺跡にあるに在る寺院。

この仏像は像高24.1cmの小金銅観音立像で、寺伝では江戸時代の明和9(1772)年に境内の「難波池」から頭部(4.1cm)のみが発見され、当時の京都の仏師により新たに体部が鋳造され、接合された像であった。
頭部は飛鳥時代後期(7世紀末〜8世紀初め)の制作と見られている。

    

発見された向源寺・観音菩薩像


この仏像を発見したのは、大阪府で仏教美術を研究する大学院生だった。
大学院生は、かつて向源寺を訪れた時に、この盗まれた仏像の写真を見る機会があったが、ある古美術オークション・カタログに最低落札価格・35万円で掲載されていた仏像が、向原寺で見た仏像写真にそっくりなのに気づいた。
早速、向源寺住職に連絡した処、盗まれた仏像に間違いないことが判った。
向源寺では、オークション会社を通じて現在の所有者からこの仏像を買い取り、なんと36年ぶりに、無事に元の寺に還ることになった。
平成22年(2010)9月に還仏法要が営まれ、向源寺の関係者は、盗難による破損被害もなく無事に戻ってきたことを喜んだということだ。



「奈良の仏像盗難ものがたり」も、この辺で、おしまいとすることとしたい。


最後に、「さまざまな仏像盗難」などを、全般的に採り上げた、参考となる本を紹介したい。


「日本仏像盗難史」 太田信隆著 大法輪22巻2号所収 (S55)


これは、単行本ではなく、「大法輪」という仏教雑誌に掲載された小文ではあるが、仏像盗難史をテーマとしてまとめられたものはこれしかないと思うので、紹介しておきたい。

6ページの原稿で、
「法隆寺、中宮寺、興福寺、新薬師寺、東大寺、その他の寺々」
という項立てで、平安・鎌倉時代から昭和に至るまでの、奈良の古寺を中心とした仏像盗難事件を紹介している。

「仏像盗難史」と題するほどには、過去の盗難事件を詳細に調査したものではなく、大事件を中心に簡単に紹介したものだが、仏像盗難史をテーマにしたものが他にないだけに、大変参考になるもの。


「日本史小百科〜彫刻〜」 久野健編 (S60) 近藤出版社刊 【335P】 2000円



日本の彫刻を理解するのに必要な事項100項目を選び、それぞれに参考図版を付して解説された仏像百科本というべき本。


アラカルトとして、「盗難の彫刻」と題する1ページが設けられている。


ここで、昭和に入ってからの仏像盗難事件の主だった数件が紹介されている。


「博物館の災害・事件史」 椎名仙卓著 (H22) 雄山閣刊 【263P】 3800円


表題のとおりの本で、明治以降の我が国博物館の自然災害、地震災害や盗難被害事件などを、詳細にまとめた本。

本稿で採り上げた仏像・宝物の盗難事件に関連する内容として、次のような項立てがある。
「正倉院の歴史にみられる盗難事件」
「新聞で追う帝室博物館の御物盗難事件」
「戦時の国宝事故・犯罪行為」

これらは、昭和3年に発刊された「博物館研究」という雑誌に掲載された盗難事件をピックアップして、紹介解説した内容となっている。
「正倉院の盗難事件」「新薬師寺香薬師盗難事件」「三月堂宝冠化仏盗難事件」については、かなり詳しく記されており、当時の新聞記事の一部も紹介されている。
また、その他、各地で発生した盗難事件も紹介解説されており、参考になることが多い。


「奈良百年」 松村英男編 (S43) 毎日新聞社刊 【331P】 500円


明治百年を迎えるに先立ち、毎日新聞奈良版に「明治百年奈良県の歩み」と題されて2年間に亘って連載された記事をまとめて出版されたもの。

新聞連載記事でもあり、毎回ひと区切りで、バラエティにとんだテーマでまとめられていると共に、わかりやすい読み物仕立てになっている。
奈良百年のさまざまなエピソードを、愉しい読み物で知ることが出来る、お薦め本。

「仏像盗難事件」という項立てがあり、三月堂宝冠化仏盗難事件、新薬師寺香薬師像盗難事件の概略、顛末が3ページにまとめられている。



長々と、いろいろな仏像盗難事件のいきさつや顛末を書き綴ってきたが、此の種のテーマは、体系的に整理された資料等がなかなか無いので、脈絡のない散漫なものになってしまった。

詳しく紹介できた話もあれば、盗難の経緯などがほとんど判らないものもあった。

また、明治以降発生した仏像盗難事件を、出来るだけピックアップして整理してみようとしたが、これがなかなか難物で、少々いい加減でつまみぐいのようなものになってしまった。

「こんな仏像の災難、こんな盗難事件が、過去に起こっていたのだ。」

「こんな顛末や苦労で、仏像が発見され、元のお寺に戻ることが出来たのだ。」

という話のいくつかふれていただき、ご参考になればと思う次第である。

いずれにせよ、仏像や文化財を盗み出すなどという犯罪が、根絶されることを願うばかりである。





 
参  考
  第 二十九話近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま
〈その6〉奈良の仏像盗難ものがたり

〜関連本リスト〜

書名
著者名
出版社
発行年
定価(円)
若き日の旅 里見ク
甲鳥書林
S15

日本仏教曼荼羅
ベルナール・フランク
藤原書店
H14
4800円
日本の開国〜エミール・ギメ あるフランス人の見た明治〜
尾本圭子
フランシス・マクワン
創元社
H8
1400円
法隆寺の謎
高田良信
小学館
H10
2000円
法隆寺日記を開く
高田良信
日本放送協会
S61
750円
平城山を越えた女
内田康夫
講談社
H2
1300円
東大寺法華堂の研究
村上昭房編
吉川弘文館
S59
12000円
誰も知らない東大寺
筒井寛秀
小学館
H18
1800円
続 行雲流水〜田万清臣追想録
田万清臣追想録刊行委員会編
私家本
S56

霧の中の声
(「宝冠」を収録)
島村利正
新潮社
S57
1300円
正倉院夜話〜宝物は語る〜
和田軍一
日本経済新聞社
S42
260円
正倉院案内
和田軍一
吉川弘文館
H8
2800円
正倉院物語
中川登史宏
向陽書房
S57
1900円
正倉院の謎〜激動の歴史に揺れた宝物
由水常雄
中公文庫
S62
420円
正倉院の謎
由水常雄
魁星出版
H19
3600円
奈良の近代史年表
中本宏明編
私家本
S56

日本仏像盗難史
(大法輪22巻2号所収)
太田信隆

S55

日本史小百科〜彫刻〜
久野健編
近藤出版社
S60
2000円
博物館の災害・事件史
椎名仙卓
雄山閣
H22
3800円
奈良百年
松村英男編
毎日新聞社
S43
500円



 


       

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