埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百八十七回)

   第二十九話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その6>奈良の仏像盗難ものがたり

(9/10)


【目次】


はじめに

1. 各地の主な仏像盗難事件

2. 奈良の仏像盗難事件あれこれ

(1) 法隆寺の仏像盗難

・パリで発見された金堂阿弥陀三尊の脇侍金銅仏
・法隆寺の仏像盗難事件をたどって
・法隆寺の仏像盗難についての本

(2) 新薬師寺・香薬師如来像の盗難

・失われた香薬師像を偲んで
・香薬師像盗難事件を振り返る
・その後の香薬師像あれこれ

(3) 東大寺・三月堂の宝冠化仏の盗難事件

・宝冠化仏盗難事件の発生
・宝冠化仏の発見・回収と犯人逮捕
・三月堂宝冠化仏盗難事件についての本

(4) 正倉院宝物の盗難事件

・正倉院の宝物盗難事件について書かれた本

(5) その他の奈良の仏像・文化財盗難事件をたどって



(4)正倉院宝物の盗難事件


ここまで、仏像盗難事件をテーマに話を進めてきた。

仏像の話ではないのだが、奈良の宝物盗難事件を振り返ると、やはり正倉院の宝物盗難事件を外すわけにはいかないだろう。
ついでに、少しばかりふれておくこととしたい。

厳重な勅封で守られてきた正倉院に、泥棒が入るなどということは、想像もしないことなのかもしれない。
しかし、どんなに厳重に守られていたとしても、宝物には盗難がつきものと云って良いのであろう。



正倉院



正倉院に泥棒が入ったという事件は、平安時代から江戸時代までに4回の記録が残されている。
奈良の古寺の盗難記録は、きっちり残されてはいないので、その実情がよく判らないのだが、勅封の正倉院の盗難事件は、その記録がしっかり残されているようだ。

明治維新以降については、勅封倉の厳重管理が一層徹底したのであろうか、正倉院に泥棒が入ったという記録は無い。
現在、正倉院に伝来したという宝物が、いくつか民間に残されているものがあるとも云われる。
これは明治初年の混乱期に、何らかの事由で正倉院からわずかに流出したのではないかと考えらているようで、泥棒が入って盗難にあったというものではないそうだ。


ここでは、平安時代から江戸時代までの、正倉院宝物盗難事件を、紹介することとしたい。

記録に残る4回の盗難事件を、一覧にまとめてみた。






4回の宝物盗難事件の、あらましをみてみたい。


まず、第1回目は、平安時代、長暦3年(1039)に起こった。

3月3日の節句の夜、泥棒は勅封蔵を焼き穿って、宝物を盗み出した。

犯人は、翌年5月18日に捕えられた。
犯人は、長久という僧侶のほか、菅野清延という人物らで、彼らは銀30両を所持していたという。

記録は簡単なもので、盗まれた宝物も、詳しい事情も分からないが、高床の下から、床板の一部を焼き穿って、そこから侵入したものと思われる。


第2回目は、鎌倉時代、寛喜2年(1230)10月27日、のことであった。

雨がひどく降っていた夜のことで、泥棒は、中門堂の後戸の階段を持ち出し、これを正倉院の縁側に立ち渡し、蔵の上に登って、中倉の扉の錠の根元を焼き切って門戸を開き、庫内に入って宝物を盗み去った。

盗んだのは、中倉に仮納中の北倉のもののうち、鏡8面、銅小壺1口、銅小仏3体であった。
盗難に遭った正倉院鏡

主犯は、後に判明するが、元東大寺僧の春蜜と顕識らであった。
犯人らは、白銅鏡を銀であると考えたのであろうか、これを小さく砕いて京都へ持っていき、売ろうとしたがあまりに安いので、大仏殿前の五百余所社の社殿に隠して、そしらぬ体でいた。

ところが、吉野山蔵王堂の前執行の下人が、顕識の挙動に不審をもち、正倉院宝庫破りの犯人らしいと言い出した。

興福寺の衆人が逮捕に向かったところ、顕識が抵抗し、興福寺の僧・延実、弘景の兄弟と斬り合いになった。
しかし、顕識は弘景に打ち伏せられて縛につき、共犯者が春蜜であること、贓品の隠し場所など一切のことを自供した。
春蜜は、東大寺の五師(5人の執事)の一人である、実遍殺害の下手人でもあった。
隠れていた春蜜もついに捕えられ、12月末、顕識とその弟と共に、佐保山で斬首、首は奈良坂にさらされた。


第3回目は、これも鎌倉時代の嘉暦3年(1328)4月に起こっている。

元東大寺羂索院雙倉にあった寺宝が納めてある綱封倉の宝物が盗難にあった。

犯人の人数、犯行の手口、盗まれた品物などは、明らかではない。

犯人について安倍友清が占った処、
「逃げた方角や、宝物発見の見込み」が示されたほか
「東大寺関係者が犯人に交じっているらしい」
といった、占いの結果であったということだが、それ以上のことはわかっていない。


第4回目は、江戸時代の初期、慶長15年(1610)7月に起こった。

この時、奈良が台風に見舞われ、大仏殿の仮の上屋が大風で倒れてしまった。
正倉院床下

当時、大仏殿は、永禄10年(1567)、三好・松永の合戦の兵火で焼失し、復興されないまま仮の上屋がかかっていたのだった。
早速、散乱した材木の取り片付けがはじまり、塔頭の福蔵院、北林院、中証院の三人が指揮をした。
こともあろうに、この三人は、涼をとる格好で正倉院宝庫の下に集まり、宝庫を破って宝物を盗る相談をはじめ、北倉の床板を切って宝物を奪ったのであった。

不思議なことに、宝庫が切破られたことすら、長い間わからずにいた。
やっと1年半も経った慶長17年(1612)3月下旬になって、塔頭の上生院、無量寿院、清涼院3人が、「内々不思議な売り物が方々から出ている」といううわさを耳にする。
宝庫を調べた処、はじめて北倉が破られていることが判って、表沙汰になった。

南都奉行に訴え出、東大寺僧侶全員を集めた現場検証の結果、福蔵院等3人と僧・学順が捕えられた。
その後、京都所司代が嫌疑の者と買い手を対決させると、すべてを白状するに至った。
犯人は猿沢の池のほとりに籠詰にされ、さらし者とされた。
翌年(慶長18年)、中証院が牢死、慶長19年2月、残りの3人は奈良坂で磔に処せられて、事件は落着した。

今回の犯行は、長暦3年、寛喜2年の犯行が金銀などの地金を狙ったものと異なり、骨董品としての価値を狙ったものであった。
茶の湯の盛行がもたらした、「名物もの」尊重という時代の流れが、こうした犯行に及ばせたものであろう。
この慶長の盗難では、佐波理の皿や碗などが持ち出されて売却されたと云われるが、正確にはよく判らない。
また、どれだけの宝物が回収されたのかを示す資料も無く、不明のままとなっている。


以上が、記録に残る4度の正倉院盗難事件のあらましだ。


やはり勅封の正倉院の宝物の泥棒に入るというのは、いずれの時代でも、大それた犯行と見做されたようだ。
犯人は、鎌倉時代は斬首、江戸時代は磔刑に処せられている。



【正倉院の宝物盗難事件について書かれた本】


正倉院の宝物盗難事件は、記録に残る知られた話なので、正倉院の歴史について書かれた本には、間々ふれられている。

ここでは、正倉院宝物盗難事件について、判りやすくまとめられている3冊の本を、紹介しておきたい。


「正倉院夜話〜宝物は語る〜」 和田軍一著 (S42) 日本経済新聞社刊 【196P】 260円


「正倉院案内」 和田軍一著 (H8) 吉川弘文館刊 【254P】 2800円

著者・和田軍一は、昭和23年(1948)から15年間にわたって正倉院事務所長を務め、退任後は、正倉院学の権威として活躍した人。

この和田が、正倉院の入門書・案内書として書き下ろしたのが、昭和42年に刊行された「正倉院夜話」。
名著とされたが、絶版で入手し難くなったため、再版増補されたのが、平成8年刊の「正倉院案内」。
正倉院の概説が、和田の言葉で判りやすく語られている。

「盗難事件」という項が設けられ、記録に残る4度の盗難事件が、4ページという短い文章ながら、判りやすくコンパクトにまとめられて記されている。

    




「正倉院物語」 中川登史宏著 (S57) 向陽書房刊 【173P】 1900円


著者は、毎日新聞奈良支局文化担当記者であった人で、昭和55年から毎日新聞奈良版に「正倉院物語」と題して連載されたものを、単行本化したのがこの本。
正倉院の宝物や出来事に関する、こぼれ話、エピソードが、一話ずつコンパクトに語られている。

宝物盗難事件に関する話としては、「鏡どろぼう」「北倉の宝物を狙え」「鏡と盗掘団」という表題で、三篇が綴られている。

4度の盗難事件のうち、詳しい記録が残っている、「鎌倉時代、寛喜2年の盗難」「江戸時代、慶長15年の盗難」の二つの事件について、そのいきさつ顛末に至るまで、詳しく記されている。



「正倉院の謎〜激動の歴史に揺れた宝物」 由水常雄著 (S62) 中公文庫 【282P】 420円

「正倉院の謎」 由水常雄著 (H19) 魁星出版刊 【279P】 3600円

著者・由水常雄氏は、ガラス工芸史、東西美術交渉史などの研究で知られた人だが、正倉院宝物についての本も、いくつか出版している。
古代から近代に至るまでの、正倉院宝物の出庫・入庫の歴史と、その事由などを追求し論じられたテーマの本が多い。

本書は、正倉院草創時の奈良時代の宝物(武器や薬などを含む)の出庫入庫の謎から、時々の権力者の開封、明治年間の開封と宝物の流出など、正倉院宝物の時代時代の出入りについて詳細に追って、その事由と謎に迫ろうとした内容となっている。
ミステリータッチで、誠に興味深く面白く読める本。

本書の元版は、昭和52年(1977)徳間書店刊であるが、昭和62年に中公文庫で文庫化された。
その後、増補改訂されたのが、平成19年(2007)刊の魁星出版版となっている。

本書に、「正倉院に泥棒が入る」という一章が設けられ、宝物盗難事件について詳しく述べられている。
ノンフィクション・ドキュメンタリーを読むような語り口で活き活きと記されており、誠に面白い。

    




 


       

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