埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百八十一回)

   第二十九話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その6>奈良の仏像盗難ものがたり

(3/10)


【目次】


はじめに

1. 各地の主な仏像盗難事件

2. 奈良の仏像盗難事件あれこれ

(1) 法隆寺の仏像盗難

・パリで発見された金堂阿弥陀三尊の脇侍金銅仏
・法隆寺の仏像盗難事件をたどって
・法隆寺の仏像盗難についての本

(2) 新薬師寺・香薬師如来像の盗難

・失われた香薬師像を偲んで
・香薬師像盗難事件を振り返る
・その後の香薬師像あれこれ

(3) 東大寺・三月堂の宝冠化仏の盗難事件

・宝冠化仏盗難事件の発生
・宝冠化仏の発見・回収と犯人逮捕
・三月堂宝冠化仏盗難事件についての本

(4) 正倉院宝物の盗難事件

・正倉院の宝物盗難事件について書かれた本

(5) その他の奈良の仏像・文化財盗難事件をたどって



【法隆寺の仏像盗難事件をたどって】


法隆寺に関する記録をたどると、仏像の盗難は、明治以降になってからではなく、平安時代の昔から発生していたようだ。

記録に残る、平安・鎌倉時代の盗難事件を、いくつかを紹介してみよう。


第一は、承徳年間(1097〜8)の話

承徳年間に、金堂に泥棒が侵入して尊像を盗み去ったので、その後西壇(西の間)の本尊を欠いていたが、寛喜3年(1231)に範圓僧正がこれを嘆いて、新たに鋳造し西壇に安置した、 という記録が残されている。
この鋳造された仏像が、ここまで採り上げてきた話題の「康勝作・阿弥陀三尊像」なのである。

ただ、承徳年間に西の間本尊像が盗難に遭ったというこの記録は、新造の阿弥陀三尊像が旧仏の再興像であるという話にするための「創り話」であると考えられている。
西の間の本尊は鎌倉時代まで造立されることなく、康勝作・阿弥陀三尊像をもって漸く造立されたと現在では考えられている。

ただ、この記録を見れば、当寺から盗賊が仏像を盗み出すという事件が、現実に発生していたことが伺える。


第二は、建暦元年(1211)の話。

9月の夜、有名な玉虫厨子の本尊が盗難に遭った。
「金堂に盗人入る。金銅仏三躯を盗る。推古天皇の御本尊なり」(綱所日記)
との記録がある。
玉虫の厨子のなかの安置仏は、その後いろいろ替わったが、現在では観音菩薩像が安置されている。


第三は、承久元年(1219)の話。

2月6日夜に金堂に盗賊が入り、多数の仏像を盗み取った。
盗賊の張本人は富河慶順と云い、共犯者も捕えられ首をはねられた。
「金堂に盗賊の入ること7度目なり、即ち承久元年は7度目にあたるなり」(古今目録抄)
との記録がある。

このように、鎌倉時代でも、法隆寺の仏像盗難事件は折々発生しており、近代に至るまでも、結構な盗難被害があったのではないかと思われる。


さて、近代、明治時代に至ってからの法隆寺の仏像盗難事件はどうだろうか。

ご存じのとおり、明治維新後、廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた。
この大混乱期に、奈良の古寺でも数多くの宝物が流出した。

明治末年頃の法隆寺・茶店から西院伽藍をのぞむ
法隆寺でも宝物の流出はあったが、法隆寺自体のものよりは塔頭所蔵のものが多かったようだ。

法隆寺では、宝物を散逸させずに、経済的な危機、困難を乗り越えようと、明治11年(1878)に皇室に所蔵宝物332件を献納し、御下賜金を得た。
「法隆寺献納宝物」と呼ばれていることは、良く知られているとおりだ。

この明治の厳しい時代に、法隆寺の防犯管理に十分な手が回らなかったことは容易に想像でき、明治年間にたびたび宝物、仏像の盗難に遭っている。


記録をピックアップすると、次のとおりだ。





ご覧のとおり、随分数多くの盗難被害にあっている。

寺宝を保管するための倉である綱封蔵と、多くの仏像が安置されている金堂が集中的に狙われているのがわかる。
法隆寺でも、盗難被害に遭わぬような防犯管理には心を尽くしていたようだ。

明治14年(1881)には、

明治29年頃の法隆寺綱封蔵(多くの宝物を納める)
「資金不足で門番も置けないので、当分の間は金堂の扉を閉めておきたい。」

という願い書きが県令宛てに提出されたりしている。

明治44年(1911)の盗難事件の後には、諸堂の戸締りを厳重にするよう鍵を新調したり、警備の届かない諸堂の仏像を金堂に移すと共に、伽藍監守規定を定め、夜間専務の不寝番の設定、警備員の増員、事務所の宿直、鍵の管理の徹底を行っている。
再び不祥事が起こらぬように、一山挙げて取り組んだ様子がうかがえる。


とはいうものの、当時の宝物の防犯管理は、昨今と較べるとびっくりするほど鷹揚なものであったようだ。

小説家・里見クは、明治41年(1908)に法隆寺を訪れた時の様子を、随筆「若き日の旅」でこのように綴っている。


「五重ノ塔の地階、も可笑しいが、つまり一番下に、一尺足らずの塑像がたくさん置いたッぱなしで、『手を觸る可らず』の禁札さえ出していなかった。
慾心からでなくとも、蒐集癖で、つい持っていきたくなる人もありさうなものを、思えば暢気な話だった。
われわれは、平気でそれを把りあげ、空洞かどうか、ひっくり返して見たりしてから、なんのこともなくまたもとの場所に据ゑて帰ってきたが、今からでは、惜しいことをした、と思へないこともない・・・・。」


「若き日の旅」 里見ク著 (S15) 甲鳥書林刊 【224P】 2円




法隆寺塔本塑像


今では想像もつかないような情景で、これでは盗難事件がたびたび起こっても仕方がないのかなとも思ってしまう。
当時の拝観となると、そのような管理が当たり前であったに違いない。

昭和14年には、このようなたびたびの宝物盗難事件の防止と、貴重な宝物類の将来への保存を願って、宝蔵殿二棟の新築が実現している。



【法隆寺の仏像盗難についての本】


ここで、ギメ美術館での法隆寺金堂阿弥陀三尊脇侍・勢至菩薩像発見について書かれた本、近代法隆寺の仏像盗難などについて書かれた本を、紹介しておこう。


「日本仏教曼荼羅」 ベルナール・フランク著 仏蘭久淳子訳 (H14) 藤原書店刊 【414P】 4800円


ギメ美術館所蔵の小金銅仏が、法隆寺金堂西の間・阿弥陀三尊像の脇侍勢至菩薩像であることを発見した、ベルナール・フランク氏の論文集。

ベルナール・フランク氏は、1927年パリ生まれ。
東洋・日本学の権威で、コレージュ・ド・フランスの初代日本学講座の教授を務めた仁。
本書は、フランク氏の逝去(1996年)後に、妻の仏蘭久淳子氏の翻訳により、日本語出版が果たされたもの。

本書に、
「法隆寺金堂の勢至菩薩について〜西の間阿弥陀三尊造立の背景を考える」
と題する論考(1993年・東京での講演録)が収録されている。

ベルナール・フランク
この文中に、フランク氏がギメ美術館の収蔵庫で、この小金銅仏像を発見した有様が、生き生きとした語り口で綴られている。
この像がどのようにして発見され、もともと法隆寺金堂・阿弥陀三尊脇侍の勢至菩薩像であることが、如何にして明らかにされたかを、知ることが出来る。

フランク氏は、発見に至った顛末、経緯などを説明した後に、像の来歴について、このように語っている。

「この仏像がいつの時代、どの様にして金堂から姿を消したのか、如何なる状況のもとに中国の仏像としてギメの手に渡ったのか〜恐らく1876年にギメが日本に滞在したときのことであったと思われますが〜、現在の研究段階ではすべて不明であります。」


「日本の開国〜エミール・ギメ あるフランス人の見た明治〜」 尾本圭子、フランシス・マクワン著 (H8) 創元社刊 【198P】 1400円

エミール・ギメが、挿絵画家として雇ったフェリックス・レガメーと共に、明治9年(1876)に日本を訪れた時の有様や、当時の日本の文化・風俗の状況が豊富な図版と共にまとめられている。
ギメという人物と、宗教博物館創立に至る話なども併せて収録されている。
エミール・ギメの明治9年の日本探訪について知るには、格好の本。

本書には、「法隆寺勢至菩薩の発見」という項立てが設けられている。
これは、1994年9月9日の日本経済新聞に、「流浪の菩薩、仏縁で里帰り」と題するベルナール・フランクの記事が掲載されたものを転載したもの。
法隆寺金堂・勢至菩薩発見とこれが西の間阿弥陀三尊の脇侍であることが判明するいきさつが、コンパクトに纏められている。

    
.                            レガメー画・京都建仁寺の祭壇


「法隆寺の謎」 高田良信著 (H10) 小学館刊 【271P】 2000円

元法隆寺管長の高田良信氏は、「法隆寺の謎や秘話」について数多くの本を著しているが、そのなかの一冊。
色々なエピソード、こぼれ話などが、盛りだくさんにやさしく語られている。


「ギメ美術館で見つかった『勢至菩薩像』について」

という一項が設けられている。

高田氏は、ここで、明治の廃仏棄釈のときと雖も、

「(法隆寺が)金堂に付属する阿弥陀三尊の脇侍をわざわざ選んで譲渡するはずはない。」

と、売却の可能性を否定し、

「(ギメ美術館の)この像が、(金堂・阿弥陀三尊脇侍の)勢至菩薩像だとすれば、それは必然的に江戸時代末のころに金堂から盗まれたものとなるのではないだろうか。
私が江戸時代に盗難にあったと推測する大きな理由は、もし、江戸時代以前に盗難にあったものだとすれば、盗賊などの手によって鋳潰され、明治初期まで伝来する可能性がきわめて少ないと考えたからである。」

と述べている。


「法隆寺日記を開く」 高田良信著 (S61) 日本放送協会刊 【215P】 750円


近代法隆寺の歴史を振り返る話で、毎度登場するおなじみの本。

「廃仏毀釈から100年」という副題が付けられ、克明に記された明治初年以来の法隆寺日記をひもときながら、近代法隆寺の歴史をたどった本。

「宝物の盗難」という項が設けられ、「法隆寺日記」に記録された、明治時代に発生した法隆寺宝物盗難事件が、時系列でピックアップされている。
本文中に掲載した「法隆寺の明治年間の宝物盗難事件」は、本書記載のものを一覧表に整理したもの。



 


       

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