埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百四十九回)

   第二十六話 近代奈良と古寺・古文化をめぐる話 思いつくまま

〈その3>明治の文化財保存・保護と、その先駆者

〜町田久成・蜷川式胤

(2/7)


【目次】


はじめに

1.明治の古美術・古社寺の保護、保存の歴史をたどって

2.古器旧物保存方の布告と、壬申検査(宝物調査)

・古器旧物保存方の布告
・壬申検査
・正倉院の開封調査

3.博覧会・展覧会の開催と博物館の創設

・博覧会の季節〜博物館は勧業か、文化財か?
・奈良博覧会と正倉院宝物、法隆寺宝物

4.町田久成と蜷川式胤という人

・町田久成
・蜷川式胤

5.日本美術「発見」の時代〜フェノロサ、岡倉天心の活躍

・古美術展覧会(観古美術会)の開催と、日本美術への回帰の盛上り
・フェノロサと岡倉天心

6.古社寺の宝物調査への取り組み

・日本美術の発見
・臨時全国宝物取調局による調査と、宝物の等級化

7.古社寺の維持・保存、再興への取り組み

・古社寺保存金の交付開始
・古社寺再興、保存運動

8.古社寺保存法の制定と、文化財の保存・修復

・文化財保護制度の礎、古社寺保存法
・奈良の古建築、古仏像の修理修復〜関野貞と新納忠之介〜

9.その後の文化財保護行政

・古社寺宝物の継続調査
・その後の、文化財保護に関する法律の制定




2.古器旧物保存方の布告と、壬申検査(宝物調査)


【古器旧物保存方の布告】

明治4年(1872)、明治政府、太政官は、古器古物保存方(法)を発布する。

発布内容は、

古器古物の歴史資料としての重要性を説き、昨今の西洋崇拝「厭旧競新」の流幣によりこれらが軽視棄却「遺失毀壊」されている。
こうしたことから、各地に遺存する「歴世蔵貯の古器旧物類」を保護するために、細大漏らさず調査して「品目と所蔵者名」を記したリストを「その官庁より差し出すべき事」

というものである。
この発布、文化財保護法の始まりとも云える。

この古器古物保存方発布を建言したのが、町田久成と蜷川式胤であった。
その建言内容は、

明治維新以来、古器旧物が散逸したり破壊されたりして失われるものがあり、保護することが急務であるので、以下の策を進めるべきこと。

@ 古器旧物の収蔵施設として、集古館(博物館)を建設すること。

A 集古館の建設が、財政上の理由で直ちに行われない場合は、応急の処置として、速やかに各地方に古器旧物の保護方を布告すること。

B 選任者を任命して、これらの器物を模写してこれを集成すること。


というものであった。

町田久成(明治5年・34歳)
この時、町田久成は弱冠34歳、大学(今の文部省)大丞、薩摩藩士出身で洋行帰りのチャキチャキ。
蜷川式胤は、37歳。京都東寺の公人筆頭家の生まれで、古来の制度の識者であることから政府に出仕して外務大録。

二人は、明治維新後の古物排斥、廃仏毀釈といった惨状を憂い、古器古物の保存と集古館の建設を目指して建言した。
この建言が容れられて、「古器古物保存方」が発布されたのであった。



【壬申検査】

そして翌年、明治5年(1872)、関西を中心とした古社寺や旧家の宝物調査が実施される。

世にいう、「壬申検査」である。

これもまた、町田、蜷川の進言により実施に至ったものだ。
この調査出張の方針「巡行ノ者ノ出張心得方」として、つぎのような項目が示されている。

@ 宝物の登録を行う。必要に応じ封印し散逸を防ぐ。

A 宝物の現地保存を行う。複数あれば、博物館に移し保存と展示に供する。必要に応じ模造品も作成。

B 個人所有品の調査と先買いも可能とする。

C 正倉院の臨時公開を行う。

D 東京のほか、京都・大阪に博物館、奈良には古物館を建設の基礎を固める。

E 各地の博物館と東京の博物館の列品を有無相通ずるようにしたい。


そこには、町田久成の並々ならぬ文化財保護への思いと、博物館に必要な資料収集に向けての、強い意志が読み取れる。

そして、驚嘆すべき事は、この方針には、その後明治年間に実施された文化財保護行政施策のほとんどの事柄が予告されるように、凝縮して述べられていることだ。
さまざまな古社寺宝物調査、主要都市への博物館建設、仏像、美術工芸品の模造制作等々である。
古物排斥の風潮が支配し、美術工芸品が殖産興業のための手段としてしか見られていなかった時代である。
洋行して、大英博物館・ルーブル美術館などで見聞を広めていたであろうとはいうもの、町田久成という人物の、文化財保存への高邁な精神と鋭い先見性を、そこに見た思いがする。


壬申検査(宝物調査)は、どのように行われたのだろうか?

検査は、明治5年(1872)5月から5か月間にわたって行われる。

メンバーには、町田、蜷川等のほかに各方面から色々な人が参加している。
その中には、絵師として高橋由一、柏木貨一郎、写真師として横山松三郎などの名前を見ることができる。
高橋由一は、重要文化財となっている「鮭」の絵で有名な日本最初の洋画家。
横山松三郎は、明治初期の写真家。
この壬申検査の時撮影した数百枚の写真は、重要文化財に指定されている。

また、壬申検査宝物図集81冊(重要文化財)も現存しており、古器古物の詳細模写、拓本が膨大に残されている。



 
壬申検査宝物図集・全81冊と古鏡の拓本



壬申検査宝物目録


一行は、東海道を西に向かい、尾張、伊勢、志摩、山城、大和、河内、摂津、近江の社寺などを調査した。
主だったところでは、東大寺、法隆寺、東寺などの古寺のほか、正倉院、桂離宮、京都御所などの宝物を調査している。

蜷川式胤は、この時の調査の詳細な調査日記を残しており、宝物調査のありさまを、手に取る様に知ることができる。
この調査日記は「奈良の筋道」と題されるもので、平成17年(2005)に全文が活字化されて出版された。



蜷川式胤「奈良の筋道」 米崎清美編著 (H17) 中央公論美術出版社刊 【473P】 13000円

「奈良の筋道」は、調査記録兼旅日記のような記述で、大冊ではあるけれど綴られている出来事や感想などを読んでいると結構面白い。
廃仏毀釈の渦中にあった寺院の惨憺たる衰微荒廃の有様も記録されており興味深いが、美しい芸妓、舞妓を呼んだとか、その名前まで記してあって、人間味と親しみを感じてしまう。
また、横山松三郎撮影の当時の奈良の古寺の有様などの貴重な写真も、豊富に掲載されている。


 
奈良の筋道・原本                   奈良の筋道・刊行本内容


 
奈良の筋道・掲載写真(横山松三郎撮影)     東大寺・南大門と大仏殿


 
奈良の筋道・掲載写真(横山松三郎撮影)     東大寺大仏・法隆寺講堂



【正倉院の開封調査】

この調査行での、最大の眼目は、正倉院の開封調査であった。

壬申検査時の正倉院(横山松三郎撮影) 
8月10日、同行の宮内少丞、世古延世が勅使となり、開封される。
正倉院の宝庫が、勅命を以って学術研究のために開扉されたのは、この時を以って嚆矢とする。

一行は、宝物の素晴らしさに興奮し、蜷川は「一統驚き騒ぎて、市場ノ如シ」と語っている。
18日に、閉封されるまで9日間調査が行われ、古器の写真撮影、模写、採拓が行われた。

宝物の取扱いは、今では考えられないような大胆なものであったようだ。

蜷川の「奈良の筋道」によると、
町田は、琵琶を執ってみて奏でてみたという話だし、あの名高い黄熟香(蘭奢待)や紅枕香の試し聞きもしたようだ。
「黄熟香 一名蘭奢待 少々粉ヲ火ニ入れて候処・・・・」
「紅枕香の粉少々火ニ入ル 黄熟香よりハルカ悪シ・・・」
などと記している。

      
正倉院宝物・琵琶(横山松三郎撮影)              正倉院宝物・紅麝香(横山松三郎撮影)


超目玉の正倉院宝物調査は、期待に違わぬ充実し、心躍るものであったらしく、
「此度検査ニ人員毎朝出懸ル処ハ、芝居ヲ見ニ行ク心ちニテ、休日モ無ク、又早朝より楽しミテ行、・・・・・・・」
と、その熱中の有様を語っている。

町田は、正倉院宝物を、将来開設を期している「博物館」の展示品目とする構想を持っていたようで、そのためにも入念な調査を行ったようだ。


このように行われた壬申検査(宝物調査)であったが、その調査品目を見て、ちょっと驚くのは、仏像の調査記録がほとんどと云って良いほど無いことだ。
東大寺でも戒壇院、三月堂などを調査しているが、古経類等が記録されているだけだ。
大仏以外、仏像はほとんど記載されていない。
明治初年の段階では、仏像彫刻は、まだ信仰の礼拝対象として見られていたのであろうか。
文書、経巻、武具、楽器、衣服などのいわゆる美術工芸品が、宝物としての古器古物の対象であったようだ。


この検査は単に物品を調査するだけでなく、古器古物保存方発布の主旨を徹底し通達することも目的としていた。
しかし現実には、その効果を十分挙げ得たかというと、大いに疑問符がつけられてしまう。

この検査の頃の奈良県令は、廃仏知事と呼ばれた四条隆平。
「古器古物保存方」などどこ吹く風とでもいうように、古社寺の仏像などの破壊が、堂々と大手を振って行われていた。
検査の年、明治5年には興福寺は廃寺になっているし、翌々年には内山永久寺が廃寺となっており、廃仏毀釈の嵐は加速している。

そういう意味では、この発布と検査は、宝物の散逸や海外流出を阻止する効力は少なかった。
唯、所蔵者たちに国権による古物保護の始まりを告知し、宝物に対する認識を改めさせるといった意義はあったといえるのだろう。


 


       

inserted by FC2 system