上記の「百万塔の売却」の内容に、一部、誤りがありました。
百万塔の譲与についての信徒総代会において、
「信徒総代の一人である北畠冶房は、古美術商への譲渡を主張」
と記しましたが、これは誤りであったようです。
信徒総代会にて、古美術商の見積もり額と譲与についての発言をしたのは、
「北畠治房ではなくて、辰巳楢太郎という人物」
であることがわかりました。
辰巳楢太郎も、信徒総代の中の一人です。
この誤りを見つけた経緯について、少しだけ説明させていただきます。
百万塔の古美術商への譲与、見積額について発言した信徒総代が、北畠治房であると、思い込んでしまったのは、高田良信氏の2冊の著作に、次のように記されていたからでした。
「法隆寺では、・・・・・信徒総代会を開いて、百万塔の譲与をどういう方法で行うか協議している。
信徒総代の一人はあの北畠治房で、幕末維新の志士としての行動により、この時は男爵の爵位を受けていた。
関係の深い同宗(法相宗)の大本山興福寺から管主の大西良慶も出席していた。
以下、法隆寺の寺要日記によると、次のようなやりとりがある。
・・・・・・・・」
(「追跡!法隆寺の秘宝」高田良信・高田謹吾著・徳間書店1990年刊)
「11月8日、信徒総代会を開き、いよいよその方法の結論土出すことになり、北畠男爵をはじめとする信徒総代と、興福寺から大西良慶管主が出席して集会がもたれた。
信徒総代から、某美術商によれば屏風は5500円、百万塔は一基平均7円で譲与したいとの申し出の報告があった。
・・・・・・・・・」
(「法隆寺日記を開く」高田良信著・NHKブックス1986年刊)
このような記述を読んで、ご紹介した信徒総代の発言も、北畠治房本人からなされたものだと思い込んでしまいました。
ところが、実際の発言者は、北畠治房ではなく、別の信徒総代の一人、辰巳楢太郎であったことがわかりました。
高田良信氏執筆の
「法隆寺学入門・第38回」(聖徳宗教務部刊「聖徳」201号2009.7刊所載) という連載に、この時の話が、詳細に記されているのを見つけました。
記されている文章は、次のとおりです。
「『法隆寺日記』(明治四十年十一月八日) を紹介しておくこととしよう。
信徒総代会に付、北畠男爵、今村勤三、辰巳楢太郎、安田富太郎、佐伯安右衛門、并に佐伯喜一郎入来の事。
又興福寺大西菅主入来の事。
集会の太要左の如し。
太田氏不在欠席。
辰巳氏より前日来杉村辰三に交接の顛末を報告せらる。
曰く、杉村氏は塔壱基平均金七円替、扉風一双金五千五百円にて譲渡願たし。
・・・・・・・・・
大西興福管主曰く、愚考によれば従来百万塔の市価見るに、決して十円以内のものに非ず。
若十五円替ならば一手譲与亦可なるべし。
・・・・・・・・・・」
以上のとおり、辰巳楢太郎氏が発言したものであることがわかりました。
北畠治房がこの古美術商への譲渡話を主導し、総代会の発言は辰巳氏がおこなったという可能性もあるのではないかと思われます。
しかしながら、北畠治房自らの発言ではありませんでした。
訂正させていただきます。
なお、辰巳楢太郎氏というのは、当地の大地主で、明治末期ごろ貴族院議員まで勤めた人物、辰巳家住宅は県の登録有形文化財に指定されています。
【訂正追記日 2017.10.21】