埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百十六回)

  第二十二話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その5〉  仏像の素材と技法〜木で造られた仏像編(続編)〜


 【22−2】木彫技法の基礎知識

 【寄木造り】

 寄木造りの代表作の仏像といえば、宇治平等院の定朝作・阿弥陀如来像。
 「天下コレヲモッテ仏ノ本様トナス」とまで言われた定朝仏であるが、その唯一の現存仏像だ。

  
【平等院阿弥陀如来坐像】      構造木寄せ図(西川)       内部構造写真   

 その、構造はどのようになっているのだろうか?
 模式図を見るとわかるように、頭躰部は40センチ四方の角柱4材を束ねて木取りされている。両膝は横2材を並べて矧ぎつけている。
 まさに、典型的な寄木造りの構造となっている。

 一木造か寄木造りかは、どこで区別されるのであろうか。
 主要な頭躰部の木取りが、一本の材木から彫成されていれば「一木造り」、二つ以上の材木を寄せ合わせて造られていれば「寄木造り」と呼ぶ。
 寄木造りは、一つの像をいくつかのブロックに分け、その一つ一つを別材から木取りし、積み木を並べるようにして組むので、さほど大きな材木を使わなくても、巨像を造り易くなる。
 また、干割れの原因となる木心部を除いて木取りすることも簡単で、内刳りも角材の広い矧ぎ面から十分に刳ることが出来る。
 平等院阿弥陀如来像の躰部の肉厚は4〜5センチ程しかない薄さである。
 寄木造りは、巨材を用いないで大きな仏像を制作出来、工房で多くの仏師が分業制作することを可能とし、また内刳りによる軽量化により移動も容易になるという、多くの利点を有する。
 技法としては、「一木造り」より明らかに進歩した技法といえる。



【六波羅蜜寺 薬師如来坐像】

 この技法は、10世紀後半ごろから始まったものと考えられ、京都・六波羅蜜寺の薬師如来坐像が寄木造りの造像例として、最も古い現存作例といわれている。
 11世紀中半(1053)作の平等院阿弥陀像の構造と比べると、随分シンプルな構造となっている。
 寄木造りの発展推移の展開については、後程ふれることとしたい。

 材を寄せ合わせて造ると、どのような寄せ方でも「寄木造り」と呼ぶかというと、そういうわけではない。
 不規則な材を自由に寄せた中宮寺弥勒菩薩のようなケースや、頭躰部の大きな背刳りの穴を別材で矧いだりしたようなケースは「寄木造り」とは呼ばない。
 難しく表現すると、
 「頭躰部が2材以上の別木で寄せ合わされ、その別木が同等の重要性を持つ2材以上の材を計画的に寄せ合わせて造られた像」
 を、寄木造りと呼ぶのである。
  余談ではあるが、その昔は「寄木造りは、頭部と躰部が別材で造られている」と定義されていたそうである。S29~30に平等院阿弥陀如来像の解体修理が行 なわれたとき、頭躰部を通した4材で木組みがされていることが明らかになり、「寄木造り」の定義が正されることになったのだそうだ。

 寄木造りの仏像を造る場合、まず、角材の木組みを行い、像の輪郭を材に墨入れをする。
 これをいったんばらばらに解いて彫刻にあたるので、荒彫りのあたりまでは、同時に何人かの工人で分業で進めることが可能となる。

  
寄木造りの製作工程(模作) 【木組み】⇒【墨入れ】【荒彫り】【仕上げ】のプロセスが良く判る

 同時に数多くの造像を行なう場合は、材の調達も楽であり、合理的に工程を進めることが出来る。
 寄木造りは、丈六以上の巨像や数多くの仏像を同時に制作するとき、大変有効な技法となるが、一方、きちっとした法則に則り、像の出来上がりイメージを正確に把握し、合理的な木取りを行なうなど、綿密な計画性が要求される。
 その工程を正確にこなすことが出来る優秀な仏師を抱える大工房も必要となる。
 従って、このような寄木造りの仏像は、当時の都を中心とする正統派の作例に多く見られ、地方作の仏像は、12世紀に入っても木寄せの簡単なものや割り矧ぎを用いたものが多くなっている。


【平等院鳳凰堂内部】
ヒノキの繊細・柔軟さがもたらす、
柔らかで軽やかな金色の世界

 寄木造りの仏像は、その技法構造からくるものであろうか、一木彫の重厚さや彫技の鋭さとは対極に、プロポーションが美しく整い、表面の仕上げも肌理細やかで、穏やかで典雅な姿を示している場合が多い。

 その造形表現を見ていると、寄木造りという新技法は、「分業化による短期制作・大量生産を可能にした」という面もあるが、
 「ヒノキという材の繊細・柔軟な特質を活かして、軽やかで、自由な曲線・曲面の表現を可能にした」こと、即ち、「柔らかで軽やかな金色の世界」という新たな質感と美しさの創造という面に、大きな意味があるのではないかと感じるのである。

【割り首・差し首】


割り首【浄楽寺阿弥陀如来像】

 割り首とは、像の首の付け根に丸ノミを入れて、一旦割り離し頭部と躰部を別々に造形していく技法。
 内刳りの技法が発展する過程で生まれた技法で、

*顔面の造作がしやすくなる。
*分業を可能にする。
*体幹部の干割れが像の顔に繋がっていかない。

 等の利点がある。
 藤原時代から始まり鎌倉時代以降になると、ごく一般的技法となる。
 差し首とは、首から上を別材で造り、差し込む構造とする技法。時代が下って江戸時代になると多用されるが、たまに古い時代の像でも見かける場合もある。

 著名な藤原仏では、平等院阿弥陀如来像が頭部後半部割り首、日野法界寺阿弥陀如来像が頭部前半部割り首となっており、日野法界寺薬師如来立像は当時では珍しい差し首となっている。
 

 


       

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