埃
まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第百十三回)
第二十話 仏像を科学する本、技法についての本
〈その4〉 仏像の素材と技法〜木で造られた仏像編〜
【20−7】
3.木彫仏の用材樹種について
さて、ここで木彫仏の用材に使われている樹種について、少しばかりふれてみたい。
「平安初期木彫誕生の謎」の章でふれたように、仏像用材の樹種は、飛鳥白鳳時代はクスノキ、平安初期はカヤにほとんど統一されており、木彫の用材にどの
木を使うかは、きわめて厳格に守られている。
古代においては、「何を造るのに、どの樹種を使うか」ということは、しっかり決められており、その時々の都合で間に合せるというようなことは、あり得な
かったようだ。
日本書紀(巻一神代上)の素盞鳴尊の説話の中には「ヒノキは宮殿に、スギとクスノキは舟に、マキは棺に使え」と、それぞれの用途を教えている。
遺された遺物をみても、そのとおりで、建築はヒノキが使われているし、古墳から出土する木棺はことごとくコウヤマキで造られている。また、大阪府域発掘
の古墳時代の舟はほとんどがクスノキ、登呂遺跡発掘の田舟はスギであることが判明している。
飛鳥時代の仏教美術をみても、同じことがいえる。
現存する木彫仏像は、広隆寺の宝冠弥勒菩薩像(アカマツ)を除いて、すべてクスノキである。
ところで、飛鳥時代の工人は、仏身以外の用材にも、こだわりが合ったのを御存知だろうか?
仏像の台座はヒノキだが、付属の蓮弁だけはクスノキで造られているのだ。
法隆寺金堂の釈迦三尊・薬師・阿弥陀像の木製台座や、玉虫厨子、伝橘夫人念持仏厨子は、本体はヒノキで造られているが、蓮弁(仰蓮弁・反花)は、わざわ
ざクスノキで造られている。
また、百済観音は仏身、蓮弁、頭光はクスノキで造られているが、頭光の支持柱と持物の水瓶は針葉樹材(ヒノキか)が用いられている。
明らかに、一つの規範によって樹種が使い分けられている。
「ものすごいこだわりだなあ!」と、びっくりしてしまう。
玉虫厨 玉虫厨子 反花 百済観音像 (本体ヒノキ・蓮弁クスノキ)
こうしてみると、木彫仏の仏身の用材にどの樹種を用いるかには、強い規範とこだわり、大きな意味があったことが見て取れるのである。
仏像の用材樹種について、我国で初めて科学的調査研究を体系的に行った研究者は、小原二郎だ。
小原二郎は、仏教彫刻史学者ではなく、木材工学、人間工学学者で農学博士、現在千葉大学名誉教授。
そして、昭和23年、広隆寺宝冠弥勒像の用材が「アカマツ」であることを発見した。
この発見により、この仏像の朝鮮半島作説が一気に有力になったことは、御存知のとおり。小原は、広隆寺弥勒像の用材調査をきっかけに、「古代における彫
刻用材の研究」を研究分野の一つとするようになった。
小原は十数年をかけて、飛鳥時代から室町時代までの木彫仏約750体の樹種を識別し、日本の木彫仏の用材の変遷の考察に大きな研究業績を残す。
このあたりのいきさつや、「研究の足跡」については、
【第18話 仏像を科学する本、技法についての本〈その1〉仏像を科学する】
で、詳しくふれているので、そちらをご覧いただきたい。
| クスノキ神木
(静岡県伊東葛見神社) |
飛鳥白鳳時代、仏像用材にクスノキが用いられた事由について、
小原二郎は次のように述べている。
「木彫の用材としてなぜクスノキ
が最初に使われたかという理由は、明らかではない。おそらくわが国に伝来した、北魏あるいは南梁などのかずかずの仏像の中に、南方産の香木で彫られた木彫
仏が含まれていたので、それに似た用材を求めてクスノキが選定されたのであろう。金銅仏をもたらした百済の工人たちが、檀木に似た用材を捜すとしたら、香
木の代表であるクスノキを選ぶのは、自然の成り行きであったろうと思う。」(「日本人と木の文化」)
また、金子啓明等の共同研究によれば、
「7世紀の木彫像の用材としてク
スノキが絶対視された背景には、彫刻の材としての有用性や、外国からの影響関係とは別に、仏教伝来以前から培われた、さまざまな民俗的、神話的問題を考慮
する必要がある。・・・・・・・・
ここには民俗的、神話的な神と、外来の仏とがクスノキを介して初めて結合する、初発的な神仏習合のあり方を認めることができるのであり、古代のクスノキは
神仏習合の精神的支柱にふさわしい材として尊重されたものと思われる」(ミュージアム555号「日本古代における木彫像の樹種と用材観〜7・8世紀を中心
に」)
と、主張している。
そして、8〜9世紀には、仏像用材として、カヤが選択されるようになる。
小原二郎は、これらの仏像の樹種のほとんどをヒノキと判定していた。
新研究により、その定説が大きく覆されることになりセンセーションを巻き起こしたことや、カヤが用いられた事由については、「平安初期木彫誕生の謎」の
章で詳しく述べたとおりである。
結論だけを繰り返すと、
*天平15年(743)書写の
「十一面神呪心経義疏」の解釈に則り、わが国ではカヤが「栢木」として用いられた。
*一方、木を介して神と仏が交流するという民俗的、神話的伝統から一木彫が生まれ、神像が生まれた。
というのが、現在の有力説である。
ここで、仏像用材の樹種についての本を、紹介しておくこととしたい。
小原二郎の著作2冊については、前章で紹介したとおり。
巻末に、調査仏像682体の樹種調査結果一覧表が掲載されている。
「木の文化
と科学」 伊東隆夫編 (H20) 海青社刊 【218P】 1800円
H17~20に開催された、シンポジウム「木の文化と科学」の講演内容を再編集した本。
「仏像の木」という章が設けられ、金子啓明「日本の木彫像の樹種と用材観」、メヒティル・メイツ「中国由来の仏像彫刻の用材」、江里康慧「御衣木につい
て」、根立研介「日本の木彫像の造像技法」という解説が収録されている。
「特
別展 仏像〜一木にこめられた祈り〜」 (H18) 東京国立博物館刊 【284P】
〜
藤井智之「木彫像の樹種〜木彫用材の科学的分析〜」 所収〜
仏像の用材に用いられた各樹種について、その特色、立木の姿の写真、材の板目・木口面の写真、電子顕微鏡による組織写真、国内分布地域図などが収録され
ており、わかりやすくヴィジュアルに理解できる。
さて、飛鳥時代から平安時代にいたる個別の代表的仏像の用材樹種は、どうなっているのだろうか。
小原二郎の調査研究と、最近の金子啓明等の共同研究による調査結果から、ピックアップして比較した表を作って見ると、次のようになっている。
先にも述べたように、小原が「ヒノキ」とした一木彫仏像の多くが、金子啓明等の共同研究では「カヤ」と認定されている。
これらの調査結果を見ていると、本当に興味深い。
そして、仏像の用材樹種の選択についての基本的な考え方には、次のようなことが言える。
| 唐招提寺如来頭部 (乾漆心木ヒノキ材) |
*木彫仏の主用材についてみる
と、
飛鳥・白鳳⇒奈良・平安初〜中期⇒藤原・鎌倉という時代推移に対応して、
樹種選択は、クスノキ⇒カヤ⇒ヒノキという変遷をした。
*奈良時代の塑像、乾漆像などの心木や、乾漆併用の木彫部には、主としてヒノキが使われている。
*一方、都から離れた東国では、早くからカヤ・ヒノキなどの針葉樹ではなく、広葉樹のケヤキやカツラが用いられた。
勝常寺、黒石寺像や鉈彫りの諸像がケヤキ、カツラであることが、それを物語っている。それは、ヒノキとカヤの分布北限が、それぞれ関東、東北南部地方で
あることに関係があるのであろう。
勝常寺 薬師如来像(ケヤキ材) 黒石寺 薬師如来像(カツラ材)
用材の樹種が与える質感や材の持つ特質と、仏像彫刻を眼にして受ける印象、仏像の様式推移といったことに頭を巡らせていると、なかなか面白い。
樹種による特質、質感は、「クスノキが金属的な硬質感、カヤが緻密な重量感、ヒノキが繊細な柔和感」を与える材質といわれている。
そのことは、それぞれの時代に、「樹種の特性を十分に熟知した上で用材を選択した」とも見ることができるが、「樹種の選択が、様式の成立にも密接な関係
を持ち、影響を与えた」とも思える。
ずいぶん長きに亘って、「平安初期木彫の誕生の謎、仏像の用材の選択と推移」というテーマについて綴ってきたが、このテーマは、調べれば調べるほどに、
考えれば考えるほどに、面白く、奥深く、興味深い。
「大陸文化の伝来・受容、日本の木の文化と霊木信仰、仏像彫刻の表現の特質・魅力と用材樹種、仏像様式の変遷推移」など、諸々の要素が関連し合い融合
し、今、仏像を拝し、その美しさや魅力に引き込まれる我々に、木彫仏たちが無言で訴えかけて来ている、という思いに駆られる。
そう思えば思うほどに、「木の文化と木彫仏の魅力」というテーマに惹かれてしまうのである。
了
参 考
第
二十話 仏像を科学する技法についての本
〈その4〉仏像の素材と技法〜木で造られた仏像編〜
〜関連本リスト〜
書名
|
著者名
|
出版社
|
発行年
|
定価(円)
|
日
本人と木の文化 |
小原二郎 |
朝日新聞社 |
S59 |
940 |
木
の文化 |
小原二郎 |
鹿島研究所出版会 |
S47 |
780 |
浄
土への憧れ |
佐藤昭夫構成 |
平凡社 |
S58 |
1800 |
奇
想の系譜 |
辻惟雄 文庫版 |
美術出版社 ちくま学芸文庫 |
S45 H16 |
1365 |
本
朝巨木伝〜日本人と大きな木のものがたり |
牧野和春 |
工作社 |
H2 |
2200 |
巨
樹と日本人〜異形の魅力を尋ねて |
牧野和春 |
中公新書 |
H10 |
700 |
桜
伝奇〜日本人の心と桜の老巨木めぐり |
牧野和春 |
工作社 |
H6 |
2800 |
唐
招提寺論叢森遵「唐招提寺様木彫像に就いて」所収 |
|
桑名文星堂 |
S19 |
8.55 |
平
安初期彫刻史の研究「大仏以後〜平安初期彫刻の一考察〜」所収 |
久野健 |
吉川弘文館 |
S49 |
43000 |
日
本仏像彫刻史の研究
「平安初期木彫の誕生」所収 |
久
野健 |
吉
川弘文館 |
S59 |
20000 |
仏
像
「貞観木彫誕生の秘密」所収 |
久
野健 |
学
生社 |
S36 |
480 |
日
本古代における木彫像の樹種と用材観〜7・8世紀を中心にI・II(MUSEUM555・583) |
金
子啓明、岩佐光晴、能代修一、藤井智之、共同研究 |
東
京国立博物館 |
H10
〜15 |
2700 |
特
別展
仏像〜一木にこめられた祈り〜 |
|
東
京国立博物館 |
H18 |
|
平
安前期の彫刻〜一木彫の展開(日本の美術457号) |
岩
佐光晴 |
至
文堂 |
H16 |
1571 |
古
佛〜彫像のイコノロジー〜 |
井
上正 |
法
蔵館 |
S61 |
7800 |
7−9
世紀の美術 |
井
上正 |
岩
波書店 |
H3 |
1900 |
出
現!謎の仏像
〜美術史の革命・知られざる古代仏登場〜(芸術新潮H3年1月号) |
|
新
潮社 |
H3 |
1300 |
謎
の仏像を訪ねる旅
〜出現!謎の仏像第2弾〜(芸術新潮H3年2月号) |
|
新
潮社 |
H3 |
1300 |
悔
過の芸術
「8世紀後半における木彫発生の背景」所収 |
中
野玄三 |
法
蔵館 |
S57 |
1800 |
平
安初期彫刻の謎〜天平の終焉と新時代の仏師たち〜 |
松
村史郎 |
河
出書房新社 |
S63 |
1800 |
日
本彫刻史論集
「木彫の成立」所収 |
西
川新次 |
中
央公論美術出版 |
H3 |
28000 |
日
本彫刻史の視座
「平安彫刻の成立〜木彫の成立」所収 |
紺
野敏文 |
中
央公論美術出版 |
H16 |
36000 |
平
安彫刻史の研究
「平安前期彫刻の検討」所収 |
清
水善三 |
中
央公論美術出版 |
H8 |
30900 |
奈
良古美術断章
「日本彫刻史における反古典様式としての弘仁様式の成立と展開」所収 |
町
田甲一 |
有
信堂 |
S48 |
5800 |
日
本古代と唐風美術
「仮称『唐招提寺派』木彫仏群への一つの試み」所収 |
斉
藤孝 |
創
元社 |
S53 |
3600 |
寧
楽美術の争点
稲木吉一「木彫の出現と唐招提寺」所収 |
大
橋一章編 |
グ
ラフ社 |
S59 |
1800 |
木
の文化と科学 |
伊
東隆夫編 |
海
青社 |
H20 |
1800 |
|