〈その6−9〉
【2017年10月11日〜10月20日】
〔四川省 古仏探訪の旅〜旅程地図〕
【目 次】
T.はじめに
U.古仏探訪の日々
10/11(水) : 成田⇒上海⇒広元
10/12(木) : 広元 皇澤寺 千仏崖 (広元造像概観)
10/13(金) : 広元→巴中 南龕・西龕 (巴中造像概観)
10/14(土) : 巴中→中 中大仏 中故城
10/15(日) : 中→綿陽 碧水寺 綿陽博物館
10/16(月) : 綿陽→梓潼臥龍山千仏崖→綿陽
10/17(火) : 綿陽→成都 四川博物院
10/18(水) : 成都→蒲江飛仙閣・龍湾→成都
10/19(木) : 成都 四川大学博物館 成都市博物館
10/20(金) : 成都⇒成田
V.四川の仏教造像について
1.ロケーションと文化の伝播ルート
2.造像の変遷について
W.旅行を終えて
B.北朝の仏像
・北朝仏は地域別に展示されていた。まずは河北省から。
1.[臨県:太和19年(495)釈迦坐像]
太和19年釈迦坐像
2012年 城 (ぎょうじょう)周辺の北呉庄村から大量の仏像が発掘されたが、その中の1体で北魏太和19年(495)銘を持つ劉伯陽造釈迦坐像。
中尊釈迦は、大きめの肉髻に渦状の巻き髪、大きい耳、着衣は偏袒右肩で右肩から腕の先の方まで衣がかかるところや胸前の襞の畳み方など、見るからに雲岡風の像である。
なお、この495年は雲岡では後期で龍門石窟古陽洞造営が始まる頃に当たる。
2.[臨県:武定4年(546)釈迦諸尊像]
武定4年(546)釈迦諸尊像
同じく北呉庄村から出土した東魏代の作例。
大きな光背に1仏2弟子2菩薩2力士の7尊像と飛天2体が高浮彫であらわされ目を惹かれる。
中尊は通肩の着衣で胸を大きく空け、台座前に裳懸坐をあらわす。
菩薩や弟子も皆にこやかな表情が印象的。
正面下部に「比丘僧道智」という文字とともに僧の姿が線刻されているので、これが供養者本人か。
・河北省で特徴的な像に「白玉」と称される白大理石像がある。
材質は柔らかで彫りやすく透かし彫りや曲線の美しさをあらわすのが特徴で、形状としては、左右から双樹が上に伸び枝が絡み合いアーチ状に光背を形成するものが多い。
場所的には主に、北斉の都、(ぎょう)周辺(臨県)からのものと、省中西部の曲陽から出土したものが知られている。
以下、北斉代の白玉像から2体。
3.[臨県:交脚弥勒諸尊像]
交脚弥勒諸尊像
城遺址から出土した像で、残念ながら光背上部は破損。
中尊交脚弥勒菩薩の左右に2菩薩4弟子(剃髪、螺髻各2体)が並ぶ7尊像。
この像はガラス展示されているので背面もよく見える。
中尊頭光の裏は二仏並坐像。
須弥壇下には格子の中に鳥神、象神などの神王像が彫り出され、北響堂山石窟でも同様に須弥壇下に神王像があらわされていたことを思い出す。
臨 県と北響堂山はほぼ同一エリアであり、地域的、時代的に近親関係があっても何ら不思議ではない。
4.[曲陽:天統3年(567)双思惟菩薩像]
天統3年(567)双思惟菩薩像
こちらは省中西部の曲陽修徳寺址より出土した白玉像(邸含妃造双思惟菩薩像)。
中央に半跏思惟像が左右対称形に並ぶ。
半跏思惟像は(多分に)弥勒信仰が背景にある像と思われるが、2体が中尊として並ぶ形式は珍しい。
河北ではこの頃、双弥勒、双観音など二躯を並べる造像が流行するようであり、一方、先に見た南朝でも梁代後期には中尊が多様化する傾向にあり、これとの関連も注目される。
上記の交脚弥勒諸尊像・双思惟菩薩像の背面
上記白玉の2作例を比較してみれば、像の大きさもそうだが出来栄えには城周辺の作例に一日の長があり、いわば河北の中央作と地方作との関係か。
・次は山東省の仏像。
山東省といえば青州龍興寺址出土の特異な造像群がよく知られ、この展覧会でも数多くの展示で存在感を示しているが、3年前に現地で見た印象が強くここでは省略。
目についた像を簡単に記述。
5.[青州:法界人中像]
青州:法界人中像
偏袒右肩に薄い衣を着けるが袈裟の表面に様々な図像を表わす特異な像。
陰刻線で区画内に山岳、建物、人物などが描かれるが判読が難しい。
この種の像は一般に華厳経の教主「盧舎那仏」を表現したものといわれ龍興寺址からは他にもう1体類似の彩色像が出土している。
袈裟の表面に法界をあらわす像は西域から中原にかけて数点の作例がみられるが、山東の像はそれらとはやや異質な感も受ける。
6.[諸城:菩薩立像]
諸城:菩薩立像
北斉〜隋代の菩薩像で、華麗な瓔珞や天衣が体全体に巡る。
彫られた紋様は細かく丁寧で一種幾何学的な感じも受ける。
山東省独特の美しい菩薩像である。
・陝西省から西安地区の仏像を2体。
7.[西安:如来立像]
北周 如来立像
北周期の典型的な如来像。
低めの肉髻、大きめの頭部にズングリした体つき、厚めの衣で腹を突き出すように立つ。
右手は施無畏印で左手は衣端を持つガンダーラ風スタイル。
8.[西安:菩薩胸像]
西安:菩薩胸像
礼泉寺址出土といわれる菩薩の上半身。
状態は良好で、胸から上だけで高さは92pもある大きな像。
豪華な冠と華麗な瓔珞が目を惹く隋代の美仏。
(2)「万仏寺遺址発掘造像群 展示コーナー」
・万仏寺は成都市中心部の西北エリアに位置し、後漢代の創建と伝えられるが詳しい寺歴は不明。
19C末(清代)から20C半ばにかけて遺址より多くの仏像が発掘され、そのほとんどは四川博物院が所蔵。
仏像は紅砂岩製が多く、南朝梁代〜唐代の作例を中心に展示されている。
・まず、「梵天東土展」でも出されていた背塀式の一光多尊像から順にみていく。
1.[梁:普通4年(523)釈迦諸尊像]
普通4年(523)釈迦諸尊像
康勝造像銘。
一仏4菩薩4弟子2天王の構成で前列下段に6人の小人物が並ぶ。
向って右端の天王像は右手で宝塔を掲げるが、その像容は法隆寺金堂四天王像の多聞天を連想させる。
2.「梁:中大同3年(548)観音菩薩諸尊像」
中大同3年観音菩薩諸尊像
□愛秦造像銘(□は文字不明)。
観音菩薩を中尊に4菩薩4弟子2力士、最下部に手に楽器を持つ8体の伎楽天、両側面に2天王などが立つ。
力士は象に乗り、前列には獅子と獅子使いのような小人物もみられ珍しい。
主尊観音は大きな宝冠、X字状瓔珞をつけ、左右に衣端・天衣を張り出し、やや腹を突き出して立つ。
隣りの脇侍菩薩は両手で丸い鉢か球のようなものを持つが、その形状から何か判断するのは難しい。
この背塀式仏龕は光背の上部破損はあるものの状態は良好。
梁代も末期の作だが、彫りの精緻さとともに脇侍菩薩や力士などにも動勢をあらわし、造像の成熟化が感じられる。
3.[梁:二菩薩立像造像碑]
梁:二菩薩立像造像碑
高さ120p。
上部や表面の破損はあるが、縦長の造像碑で中央に2菩薩が並んで立つ珍しい像。
残りのよい向って左の菩薩でみてみると、胴長の体つきで、膝下ですぼまるような裳を着け右足を遊脚に立つ。
下段では中央の壺より2本の大きい茎が伸び菩薩の蓮華に繋がる満瓶表現形式があらわされている。
背面に、上に西方浄土図、下に山岳での諸場面(観音救済?)がレリーフされているところをみれば、双観音像碑かと思われ梁代も末期近くの造像であろう。
・梁代の単独像では他にも通肩の如来立像や胴長の如来坐像などの展示があるが、残念ながら頭部を欠くものが多い。
単独像が並ぶ中に「北朝」と表示された像があった。
万仏寺址から北朝像が発掘!とは驚きであったが、四川省は南北朝後期、西魏、北周に占領されているのでこの時期の造像かと得心。
4.[北周:天和2年(567)菩薩坐像]
天和2年(567)菩薩坐像
胸から下が残存。北周武帝による廃仏以前の貴重な菩薩倚坐像だが、銘がなければ判断は難しい。
5.[北周?:菩薩立像]
北周?:菩薩立像
頭部と膝から下を欠く。
裸の上半身に豪華な瓔珞をつけ腰を捻って立つ。
右手で水nを持つので観音像か。
像の前に「北朝」の表示があるが、南朝の伝統のもとに造られた像であろうか。
・唐代の像では、力感あふれる金剛力士像や菩薩像に優品が多い。
6.[唐:観音像頭部]
唐:観音像頭部
頭部だけで高さ41cm。
髻を高く結い上げ華麗な三面頭飾をつける。
面相は面長で目は吊り上げ気味。
慈悲の相というよりキリッとした端正な顔つきの像。
7.[唐:菩薩倚坐像]
唐 菩薩倚坐像
瓔珞を細かく刻む美しい像。
体部の表現は上記4の菩薩に似るが、顔は優しく人間的な表情が感じられ時代は少し下げて考えたいところ。
・さすがに見所多く、閉館の6時まで3時間近い見学であった。
最後はやや疲れ気味で、常設の「万仏寺出土仏像」展示は充分集中しきれぬままタイムオーバーとなりやや心残り。
帰国前日の19日に時間をとって再度チャレンジしようと意見が一致する。
Cホテルは、Kさんが四川博物院に近い徒歩圏内のところに目星をつけておいてくれ予約もとれたので移動が楽である。
夕食はホテルの近くに「ビール50本まで1元(17円)!」との貼紙のある店があったので、(そんなに飲めないが)そこに落ち着くこととする。
時間は6時半頃、成都は夕刻もけっこう明るい。
四川料理と雪花ビールを堪能。
やや飲み過ぎたが、お蔭で夜は熟睡。
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