【行 程】 2011年7月22日〜8月1日
7月22日(金) 羽田空港→北京空港→西安(泊) 黄河上流域 石窟の旅 行程図 【その3】
W.7月25日(月) 実質観光2日目のこの日は天水から西に向い、甘谷県で大像山石窟に、武山県で水簾洞石窟群に立ち寄る予定である。 途中、高速道路の車窓からは荒涼とした山の風景が延々と続き、どれも樹木がなく横に縞筋の入った麦積山と同じ石質の黄褐色の山々である。 約1時間で大像山石窟前に到着。 入口正面から左に山の稜線が伸び、遠く山上に小さくアーチ門状の洞窟のようなものが見える。 これが大像山石窟の大仏殿かと思いつつ拝観受付へ行くと、 「大仏は9月まで補修のため拝観不可」 との貼り紙がある。 聞けば敦煌から修理の専門家が来て補修工事中とのことで、代わりに麓の寺なら10元で拝観可という。 ここまで来てただ帰るのも残念につき麓の寺をいくつか見るが、寺といっても清代以降に仏教、儒教、道教を一緒に祀る寺院になったらしく全くといってよいほど見るべきものはない。
後で聞くとTさんという画家であったらしいが、身なりをみても変な人ではなさそうである。 半信半疑で後をついて階段を上り始める。 この日は天候も良く夏の日差しが強烈に照りつける中、大汗をかきながら歩くこと約1時間、ようやく山上の大仏殿門前に至る。 門は扉が閉められこれ以上進めないが、扉の隙間からTさんとガイドのDさんが中の人と交渉。 顔見知りがいたのか運よく中へ入ることができた。 そこはすぐ大仏の足元で、修理の足場にグリーンのネットがかけられているので全体像は分からないが、椅坐の足元から膝のあたりまで見上げる限り相当大きな大仏である。
ガイドの解説によると、この大仏は高さ23mの石胎泥塑椅坐像で、唐代盛唐期の作といわれるが後世、宋、明、清代の補修が入っているとのこと。 グリーンカバーの切れ目から顔の一部、遠くを眺めるような目つきと青く彩色された頭髪、口髭がみえるのでなんとなくイメージは感じられる。 全体が見えないのは残念であるが、なかなか重厚感のある堂々とした像のようである。 ガイドの説明では釈迦仏というので弥勒ではないかと質問すると、横にいた修理の担当者(?)が 「従来釈迦といわれていたが最近の調査で腕を直されていることがわかったので弥勒の可能性が強い」 との補足説明がある。 大仏殿の先に進むと崖面に石窟がいくつか並んでいるが、どれも閉鎖されており見ることはできない。 大仏殿周辺は切り立った崖の上にあるので眺望が素晴らしい。 眼下に田園風景と遠くの街並みが広がっている。 逆にいえば大仏は平地のどこからも見える位置に造られ、古来この地のシンボルとして信仰を集めてきたのであろう。 炎天下、汗を拭きながら山を下り、Tさんに感謝し大像山を後にする。 次に向う拉梢寺、水簾洞は武山の東北約50qの山中にあり、付近の景勝地を含めて水簾洞石窟群と呼ばれている。 麓の入山受付に立ち寄ると、周辺の石窟のうち千仏洞は見学できないが拉梢寺、水簾洞は見学可とのこと。 大像山のようなケースもあるのでまずは一安心。 ここから目指す石窟までは更に距離があるとのことにつき車に現地ガイドを乗せ、まず最初に拉梢寺へ向う。 途中川沿いの崖面上部に北魏期の仏菩薩が描かれたところに案内されるが、かなり風化が進んでおりよく見えないのが残念。 その先の駐車場で車を降り山中に入っていくが、この辺りは地面から天に突き出たような奇岩が立ち並ぶ峡谷になっている。 その岩山の一つの垂直に切り立った崖面に彩色が施された摩崖仏が見えてきた。 拉梢寺の峡谷 同 巨大なレリーフ 前面に回り込むと、何という大きさであろう、崖面いっぱいに彫られた巨大な三尊仏のレリーフで、いきなりそのスケールに圧倒される。 中央の釈迦坐像は高さなんと40m、その両脇に立つ菩薩像は50mの高さという。 釈迦は通肩に衣をつけ蓮台に結跏趺坐し手は禅定印を結ぶ。 両側の菩薩は手に蓮華を持ち各々中尊の方を向く立ち姿。 全体に剥落箇所も多いが、後世の手によるものか水色に塗られた頭部、茶褐色の衣など彩色が目立つ。 題記によると北周代559年に造られたとのことであるが、中尊や菩薩の親しみやすい、ややひょうきんな顔つきを見ているとそこまでの古さは感じない。 とはいえ、なかなか雄壮で独特の雰囲気が感じられる。 このレリーフは大きさだけでなく他にも見所が多い。 中尊の坐る蓮台の下には小龕があり、その左右及び下部に三層に分かれて獅子、鹿、象のレリーフが列状に刻まれている。 造形には素朴さが感じられ、北周造立当時のものであろうか。 下部の小龕と動物のレリ−フ 小龕内には塑像の三尊仏があるが、これは明らかに後世に付け加えられたもの。 三尊とも下半身が風化、損壊しているが、よく見ると中尊の胴体部より黒く焦げた木芯がぶら下がっている。 小龕の阿弥陀三尊像 ガイドの説明によると唐〜宋代の阿弥陀三尊で、芯木は焼けたのではなく当初から炭化木(焼木)が使われているという。 また、頭部がよく残っている向って左の菩薩は端正な顔つきで秀れた造形を示し評価が高いとのこと。 この他、崖上部、本尊の頭上にも彩色のよく残る壁画がある。かなり古い壁画と思われジックリ見たいところだが、ただあまりに高いところにあるのでよく見えないのが難点。 なかなかに見応えのあるレリーフであるが、上から下までの高さ60mとのことで、これほど巨大なレリーフは見たことがない。 こんな山中の絶壁によく造ったものだという驚きとともに、覆いもない露天の状態で今日までよく残されてきたものと感心する。 岩壁の上部がややオーバーハング状になっているので雨に直接あたることが少なく幸いしたかとも思うが、ぜひ今後も自然の風化、経年劣化から守ってほしいものである。 次に水簾洞の方に向う。 この日は朝から快晴であったが、この頃から怪しげな雲行きとなり現地ガイドは雨になるという。 山を上っていくと天然の洞窟のような穴が見え、その手前の岩壁に壁画が描かれている。 北周代の仏教壁画で、中央に高さ2〜3mの仏立像と左右に菩薩が立っている。
ここも露天の壁画であるため風化が進み彩色も薄くなっている。 中尊は威厳のある顔立ちで、茶褐色の衣を通肩につけ、衣には田相文が描かれている。 ただ彩色は頭部の塗り方を見ても宋代に描き直されたように見える。その先の洞窟の内部は道教のお堂があるだけで、見所といえばこの壁画ぐらいである。 この辺りは雨季には雨水が珠玉の簾の如く見えるので水簾洞と呼ばれているらしいが、この頃からガイドの予想通り雨がポツポツ落ちてきた。 慌てて山を下るが駐車場の車に乗るか乗らないかというところで滝のような雨になる。 当地に相応しい簾のような雨と都合よく理解。時刻は午後5時頃。まさに間一髪であった。 本日の見学はこれで終了し、この日の宿「温泉酒店」へ向う。 雨の中を約1時間、武山県の人里離れた山間の温泉施設前に到着する。 Kさんの説明によれば、ここは政府招待所の一つ、温泉療養院の保養施設で中国では珍しい本物の温泉が出るところとのこと。 招待所というと我々日本人は北朝鮮の強制収容施設をつい連想してしまうが、中国では全く違う意味で使われているようである。 山中にいくつか建物が点在し、我々4人は別々の棟に分かれて案内される。私が案内されたのは三号楼で、入口の詰所のようなところから若い女性が出てきて2階の部屋の鍵を開けてくれる。 荷物を置いて鍵を受け取ろうとすると、鍵はくれず入口で預かっているという。 ガイドの通訳によると、女性達(服務員)が常時待機しているので開ける必要がある場合は随時依頼して開けてもらうルールとのこと。 ドアを閉める時はオートロック機能が付いているので心配ないようだが、ある意味VIPの如き対応でやや面くらう感。 そうこうやり取りしているところへ、その女性と同じ制服を着た若い女性が4〜5人、部屋前へ集まってきてニコニコしながら物珍しげに見るので何かと思えば、どうやら彼らにとって私は“初めて見る日本人”であったようで、聞いてまたビックリ! オーバーにいえば幕末〜明治頃日本にきた西洋人もかくや、と思われる不思議な感覚である。 ここの部屋はスペースは充分広いがエアコンがない。 温泉の筈が湯舟がないどころか湯も出ない。 別棟にある温泉場へ出かけると有料でかつシャワーのみ。 バスタオルもなく何とも変なシステムで落ち着かないが、施設の女性達は一様に親切で好感が持てる。 X.7月26日(火) 朝、フロントからパスポートのコピーが必要とのことで再度パスポートを提出。 ホテルにコピー機がない(故障?)ので管轄する街の公安(警察)まで行ってくるというので待っていたが、予定の出発時間になっても戻ってこない。 暫くして戻ってきたかと思えば公安の人も同行しているようである。 めったに外国人の来ない地域と聞かされたところでもありこんな田舎で拘束されてもと一瞬緊張するが、聞けば「公安でもコピー機が故障し修理に時間を要しお待たせした」との説明で、事情説明のため公安の人も同道してきたとのことで一同一安心。 このため出発が1時間半近く遅れることになったが、この日は石窟の見学予定もなく蘭州までの移動がメインであり多少の調整は可能か。 武山から蘭州までは高速が繋がっているので時間的にはかなりのショートカットになる。 周辺の景色は相変らず黄土高原の横縞模様の山々、段々畑が続いている。 昼過ぎ蘭州市内に入り、高速を出たところで蘭州名物牛肉麺の店に入る。 適当に入ったごく普通の店であったがここの牛肉麺は実に美味かった。 鉢いっぱいのつゆに自家製の麺が入っている。 つゆは熱く香辛料が利いた微妙な深みのある味で、麺も素朴ながら適度にコシがある。牛肉のそれらしき姿(?)は見当たらないが、つゆの中の小さい粒のようなものがそれかと汗だくになって最後までいただく。 一杯4.5元(約60円)の実に値打ちのあるラーメンであった。 蘭州は甘粛省の省都というだけあってかなりの大都市である。 黄河が市中を横切る東西に長い街で総人口は300万人を超えるという。 黄河にかかる中山橋付近は代表的観光ポイントで見物客も数多い。黄河の川幅はこの辺りで200m位であろうか。 イメージしていたほど広い感じはないが、水量はかなり多く川幅いっぱいに濁った水が流れている。 全く予定外のことであったが、今回の旅行でガイドとチャーター車を手配してくれた現地旅行社から値上げ要請があり、この後夕刻まで先方の事務所で再交渉。 彼らには契約を守るという概念がないかのようである。 勿論交渉は中国語につきいつもながらKさんにおんぶにだっこである。 これに時間を要したので甘粛省博物館の見学はギブアップ。 明日の炳霊寺見学を楽しみに早めに床に就く。
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