貞観の息吹き 
高見 徹

26.  東観音寺 二天立像愛知県豊橋市小松原町) 


 東観音寺はかつて海岸に近い場所にあったが、宝永四年(1707年)の津波により倒壊し、現在の所に移ったという。隣接して幼稚園を経営し、手入れの行き届いた開放的な境内に山門、本堂、多宝塔が点在する。
 寺伝によれば、奈良時代に熊野参詣中に神託を受けて当地を訪れた行基が、白馬に乗った馬頭太朗という優婆塞に出会い、天平5年(733)に白馬が化した木に彫った馬頭観音像を本尊として創建したという。
 鎌倉時代には三河の守護安達盛長(あだちもりなが)の保護を受け発展した。      
 当地は、古くから交通の要地所として知られており、旅や海上交通の神である、馬頭観音の信仰が各地に見られる。

 当寺も本尊馬頭観音の他、馬頭観音御正体(懸仏・重文)を有している。  
  金銅馬頭観音懸仏は、直径34.3cmの円形の光背に約27cmの半肉彫の三面六臂の馬頭観音坐像を浮き出させた、造形的にも優れたもので、表面に陰刻さ れた文永8年(1271)の銘があり、三河の地頭で鎌倉幕府の執権北条時宗の妻の父であり、有力御家人あった安達泰盛によって寄進されたと伝えられる。

 山門奥の収蔵庫に、馬頭観音懸仏のほか、阿弥陀如来坐像、二天像、円空仏などが安置されている。
 収蔵庫の正面の金箔の発色が美しい定朝様式の阿弥陀如来坐像が安置されており、両脇に脇侍のように小振りな二天像が安置されている。

 二天像は兜・甲冑を纏い、武器を持っていたと思われる片手をふりかざして威嚇し、それぞれ口を阿吽に表わしている。像高約1mの小像で、細部の彫りを省略した人形的な像ではあるが、怒りの面相や動勢の表現も的確である。
  全身に丸鑿の痕を残す粗彫り状態の像で、面相だけが平滑に仕上げられている。関東地方に見られるような鉈彫(なたぼり)像と比較すると、鑿痕が余りにも荒々しいが、 鑿痕の一番深く削られた部切を仕上げ面とすると、像としては痩せ過ぎてしまうことや、顔の表情や姿勢が粗彫りの表現と違和感なく感じられることから、鉈 彫の系譜につながる像としてもよいと思われる。

 ここから20km東の渥美半島の中程に位置する長興寺には、同じく鉈彫の聖観音像が伝わるが、平安時代後期の作であり、様式上からも二天像と直接的な影響はないものと思われる。
  本寺は、かつては天台宗であったと伝えているが、平安前期迄遡る遺品は本像しかなく、本来当寺に伝わったものかどうかは定かではないが、三遠地方の静岡側 に点在する摩訶耶寺や鉄舟寺の干手観音像などの平安初期彫彫刻に代表される、当地方の仏教文化の拡がりの中で考えるべき像であろう。


 渥美半島から、遠州灘海岸沿いは、メロンの名産地らしく、大がかりなビニールハウスや集荷市場、直売所などが点在している。

  

阿形像               吽形像



 


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