貞観の息吹き 
高見 徹

54.  大岡寺 薬師如来坐像滋賀県甲賀市甲賀町隠岐


 隠岐はかつては、源頼朝の挙兵を助け、近江守護となった佐々木秀義及び五男佐々木五郎隠岐判官義清が居城とした隠岐城があった場所で、現在は大岡寺の境内に土塁跡らしき土盛など名残りを残している。
 大岡寺は元弘元年(1331)に佐々木清三が先祖の出身地である隠岐の国(島根県)より、代々の守本尊である勝軍地蔵を境内に祀ったことから始まったとされる。もと清三寺と称したが、室町時代に寺号を大岡寺にあらためた。
 大岡寺から一段下がったところに椿神社がある。境内にある薬師堂に安置される薬師如来坐像は、椿神社の別当寺椿福寺の本地仏として伝わった像である。明治初年の神仏分離によって大岡寺の所有となったが、現在も椿神社の総代が薬師堂の行事を司っている。

 薬師如来坐像は、頭体部及び両脚部のほとんどを含めてヒノキ又はカヤの一材から彫成し、内刳は全く施さない一木造の像である。
 顔や胸部に後世の補修と思われる金箔を残しており、本来漆箔像であったと思われるが、肉身部体部はほとんど剥落して、木肌を現している。
 頭部や体部、二の腕は、他に例を見ないほど厚く量感を持っている。膝部は高く重厚であり、腹部から脚部にかけての側面観は重厚そのものである。腹前や左腕に掛かる衣文の彫りは大振りで深く、翻波式衣文を交えて自由に刻まれている。

  通常一木造の坐像の場合、頭体部のみを一本の木から彫りだし、膝前は別木を寄せることが多いが、この像は膝の幅まで含むような、胴回りの寸法より遙かに大 きな材木を使用したことになり、作者の一木造に対する拘りが感じられる。全体的な塊量性を十二分に感じさせる像である。
 これら体部の量感に比較すると、やや右の傾いた面相はやや平面的で平安時代初期の像に見られる森厳さには欠ける面が見られる。
 いずれにしろ、平安時代の古像の多い湖南地域でも際だって古い形式を伝える像として注目される。

 大岡寺の本堂には、右の脇壇に厨子に安置された十一面観音立像と地蔵菩薩立像が祀られている。この地蔵菩薩立像は、佐々木清三が隠岐より移したと言い伝えられている像である。共に小像ながらが、衣文線も浅く、優美でまとまりの良い像である。

 薬師如来坐像も聖観音像立像も大岡寺の開創以前の像であり、この地も琵琶湖を渡れば比叡山に近く、天台仏教の影響下で造られた像が伝わったものと思われる。

 

 


 
 我々が収蔵庫に入って拝観していると、我々に混じって薬師如来像を食い入るように眺めている一人の外国人がいることに気が付いた。
  総代の方に伺うと、岡山の学校に勤めるイギリス人の先生で、数ヶ月前に手紙で拝観依頼があったそうだ。一人では開扉出来ないが、丁度我々の団体が来るか ら、どうしてもというのならその時に来るようにと返事を出したところ、来年本国に帰るのでその前に是非とも拝観したいと、我々の拝観の日時に合わせて、岡 山からわざわざ来られたとのこと。
 彼は写真を撮ることもなく、あちこちからただひたすら眺めている。
 出来れば一日中でも眺めていたいという彼を残して我々は一時間程度で次のお寺に移動した。

 確かに、魅力的で見飽きることのない像ではあるが、日本人でもほとんどの人が知らないようなこの像をどうやって知り、どこに魅力を感じたのだろうか。
 一時間程度で、写真を撮り退却する我々は、目の前のものを
無心で感じるという本来的なものの見方をあるいは忘れかけているのかも知れないと感じた次第であった。






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