貞観の息吹き 
高見 徹

1. 正印寺 薬師如来坐像(京都府宮津市) 

 当寺は、寛政2年(1790)の棟札により、延宝年間(1673〜1680)、宮津藩主・永井尚長の家老が宇治興聖寺8世の梅峰竺信禅師(1633〜1707)を開山として開かれたことが知られる。

 薬師堂に安置される薬師如来坐像は当地きっての古像である。像高85.5cm、右手を屈臂し、左手は膝上に置いて薬壺をとる通形の薬師如来像である。頭体の躯幹部をカヤの一本から彫出し、膝前横二材、右肘先、左前膊に別木を当てている。内刳は施さない典型的な一木造である。膝前の衣文や端部の処理が、大振りで不自然であるが、膝前、両肘先は全て後補のものにかわっている。

 また、このほか面部の大半に彫り直しが見られ、各所に補材が施されているが、時代の特徴を損じる程ではない。胸は厚く量感をもち、左肩には翻波式衣文が残されているなど、全体的にも平安初期の雰囲気をよく伝えている。

 ただ、中央の同時期のものと比較すると緊張感に欠ける。素朴さや、ややそっくりかえった姿勢は、山梨の大善寺の薬師如来を彷佛とさせる。

 本像は、境内の薬師堂に安置されている。制作年代は正印寺建立を遡ることから、他から移された像と考えられるが、当寺に伝わった経緯は明らかではない。宮村の奥に薬師谷という地名が残っていることや、山号の東光山は、東方瑠璃光から採られていると考えられることから、薬師如来と深い関連があったものと考えられる。また、薬師如来の垂迹と信じられた牛頭天王を祀る祇園社(八坂神社)は今もその近くに鎮座しており、付近一帯が薬師信仰の土地であったことが考えられることから、この地にあった薬師信仰の別寺から移されたものと考えられる。今でも眼病治癒の祈願が絶えない。

 

 京都府の北端に位置する丹後地方は鎌倉時代には舞鶴・松尾寺や金剛院に快慶銘のある仏像が伝わるほか、近年由良・如意寺で無位時代の快慶の地蔵菩薩坐像が確認されるなど直接的な中央の影響を受けているが、平安時代初期まで遡る遺品は少なく、この時代には、丹波や若狭から間接的に文化が伝幡したと孝えられる。

 この意味で丹波の達身寺や若狭の多田寺等の諸像との係わりが注目される。達身寺や若狭の諸像の様式が地方性なのか独自性なのかは議論が分かれる所であるが、同じく宮津市の金剛心寺の如来立像が正統な貞観様式を伝えるのに比較して正印寺薬師は地方化と見るべきであろう。

 宮津地方の平安時代の一木造の彫像としては、成相寺の二体の聖観音立像、戒岩寺の文殊菩薩坐像などが知られており、共に地方化と同時に和様化が顕著になってゆくが、正印寺薬師は、和様化を示す前の先駆的な像として貴重である。

 本像は秘仏であり、毎年4月8日に開帳される。

 


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