貞観の息吹き 
高見 徹

17.  勝光寺 十一面観音立像(京 都市下京区中堂寺) 


 勝光寺は、見延17世、日新上人によって妙 慶寺として創建された、日蓮宗京都21ヶ本山の一つである。
 天文法難(1536)により焼失したが、寛永8年(1631)壇越勝光 院殿日勇尼の外護を受けて再興し、壇越の法号から勝光寺と改めたという。

 本寺の左脇室に客仏として安置されている十一面観音立像は、頭頂部から蓮肉まで含めて一木 から彫出された、像高140cm足らずの檀像様の像である。
 大振りの目鼻立ちや唇を突き出したような威圧するような面相は、観音像と言うには余りにも厳しい表情である。

 やや短躯な 体躯は十分な量感を持ち、圧倒的な存在感を有している。衣文も深く鋭い。特に、膝前から裳裾にかけて表わされる衣文は力強く、平安初期彫刻の雰囲気を色濃く漂わせている。重心を左足に かけ右足を遊足とするが、右足は足先から膝を極端に右側に開いて腰を大きく捻っており、その姿はインドの女神ヤクシーを思わせる。
 いつの時期か風 雨にさらされたことがあるらしく、像の表面はやや荒れ、彩色もほとんど残されていないが、凌ぎ立ったノミの冴えは全く失われていない。また、右手首や左上膊、腕 から両脇に垂れる天衣、膝前に掛かる天衣の一部などが後補となっている以外は、ほとんどが当初のままと思われる。

 本像は、背面に書かれた墨書から、明治9年に他寺との合併によっ て当寺に移されたことが分かるが、それ以前の伝来については明らかでない。

 本像は、昭和19年に石仏の研究家であった川勝政太郎氏によって発見さ れ、その後昭和59年に、井上正氏が日本美術工芸に9世紀の遺品として発表したが、未だ文化財に指定されていない。

 本寺の所在する中堂寺という地名は、平安時代に延暦寺の横川中堂 の別院として本尊を横川中堂から迎えて創建されたと伝える中堂寺に由来するもので、中堂寺はかつては広大な寺領を持つ大寺であったらしく、現在も多くの寺院や塔頭 が立ち並ぶ寺町となっている。

 本像の様に典型的な貞観様式を持つ像が当寺に伝わった理由は明らか ではないが、あるいは 本像もその一堂に伝えられ、鎌倉時代に至ってその一堂が日蓮宗に改宗された際に本寺に移されたものとも考えられる。

 



 


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