貞観の息吹き 
高見 徹

46.  正福寺 聖観音立像山口県山口市小郡下郷


 旧小郡町は、古くからの山陽道の宿場町で、鉄道の開設後は山陽本線小郡駅が開かれ、県都山口への乗換口として栄えた町である。しかし、2003年に小郡駅は新山口駅と改称し、また小郡町も2005年に山口市に合併して消滅した。

 小郡はまた、明治・大正・昭和初期にかけて活躍した自由律俳人、種田山頭火の故郷で、晩年は小郡の其中庵に居を構えるなど、山頭火の町として知られており、町中至る所に山頭火の句碑がある。

 正福寺は新山口駅から山口線で一駅の周防下郷駅のそばにあり、南北朝時代の長門・周防国の守護守護大名大内弘世が建立したと伝える。
 種田山頭火の死後、山頭火・江良碧松とともに「周防の三羽ガラス」と称された久保白船が山頭火の追悼会を行った場所で、境内には、山頭火の歌碑がある。
 「炎天をいたゞいて乞ひ歩く」

  本堂の東の観音堂に安置される聖観音立像は、もと旧小郡町山手の観福寺境内の観音堂に伝わった像である。観福寺は大内時代の名刹と伝えるが、廃寺に なってからは、跡地に建立された善福寺に移され、その後、嘉川の浄福寺(山口市)、川棚の妙青寺(下関市)、津市上の信光寺(山口市小郡)、山手の泉福寺 (山口市小郡)と転々した後、明治末年に現在の地に堂を建立し安置された。

 聖観音立像は、像高90cmに満たない小像で、やや短躯であるが、頭頂部から足の裏に造り出した足ほぞまでを一木で彫出している。高い宝髻と大振りな天冠台を持ち、面相はやや童顔である。
 両肩には耳の後ろから柔らかな曲線状に肩に懸かる幾筋もの垂髪を共木から彫り出している。
ま た、肩と腕に掛ける天衣は膝前で重なり一重のように見えるが生き生きとした曲線を描いている。右足をやや踏み出し、左足を遊足とする姿勢は自然で、裳裾は 肩幅よりも広くマントのように拡げて安定感を与えている。両足の間に裳の合わせ目を波状に表し、また膝下部には翻波式衣文を明瞭に表すなど、平安初期の様 式を伝える像である。

  流転の歴史を持つ像ではあるが、保存もよく、彩色もよく残されている。宝暦4年(1754)、明和7年(1770)、天明8 年(1788)、文化6年(1809)などの開帳古文書が残されていることから見ても、古来から秘仏として尊崇されていたことが分る。

 

 






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