貞観の息吹き 
高見 徹

31.  中野観音堂 千手観音立像静岡県静岡市葵区井川) 

 井川は静岡県の北部、大井川最上流の山間部に位置し、大井川鉄道井川線の終点井川駅のある、井川ダム湖畔の町である。
 住所は静岡駅と同じ葵区であるが、静岡駅からはバスで峠超えの道を2時間半、JR金谷駅からは大井川鉄道で約3時間かかる。途中の峠からは南アルプスが手に取るように眺められ、お茶畑やワサビ田などに囲まれた景勝の地である。

 中野観音堂は、井川の集落からやや山手に入ったところにある。
 現在の観音堂は昭和初年の建立になるが、堂内には観音像や懸仏、鰐口などが数多く伝えられているおり、鰐口に陰刻された銘に応永3年(1424)に中野観音堂に施入したとあることから、それ以前から中野観音堂として存在していたことがわかる。
 また、延宝3年(1675)および昭和6年の棟札などに、観音像は、南北朝統一(1392年)の頃、この地に奉持されたもので、6体の観音像があったことが記されている。

 現在厨子の中には5体の観音像が安置されているが、長い間風雨に晒されたらしく、朽損が激しく両手先足先などを失ったものも多い。また、後世に施された白土地が像容を損ねているのが惜しまれる。
 いずれも頭体部を一木から彫出した内刳を施さない一木造の像で、胸部や大腿部などの量感は豊かである。

  本尊として建立されたと考えられる千手観音立像は、腰部よりも巾の広い両肩と合掌手など四手を含めて一木から彫出し、その両側に38本の脇手を含めた肩部 を矧ぎ付けている。腹部、大腿部から脚部にかけては弧を描くように裳裾を絞っている。頭部は巾の広い天冠台に円筒状の宝冠を戴き、宝冠の周囲に後補の化仏 を植え付けている。裳裾や頭部の表現は他の像にも共通した造形である。
 膝前には二条の天衣を懸け。その正面には裳の折り返しや旋転文のような文様を表し、膝前の裳の合わせ面には裳の折り返しを波状に表現している。
 しかしながら、下半身の衣文は浅く、定型的になっており、平安初期の様式を伝えながらも制作は平安中期になることを示している。

  厨子には千手観音立像の他に、千手観音立像とほぼ同じ像高の観音立像とやや小ぶりの二体の観音立像、および菩薩立像一体がある。観音菩薩立像の内二体は後 補の化仏を付けるが、当初から十一面として制作されたがどうかは不明である。菩薩立像は合掌する姿を執るが、特に朽損が激しく、尊名も不明である。

 観音堂には、先に記した鰐口のほか、20面の懸仏が伝えられている。いずれも薄い銅板に千手観音や菩薩像を刻み出したもので、一部は別の銅板に打ち出した像を鏡板に取付けているものもある。いずれも室町時代の制作と考えられる。

 井川にはかつて、駿河の守護であった今川氏や武田氏が採掘したという笹山金山があり、武田氏はここで採掘した金を峠超えで甲斐国に送っており、当地は
武田氏の軍資金調達の重要な領地の一つであったとされる。
 その笹川金山の跡もほとんどが井川ダムの建設により、湖に沈んでしまったという。
 いまは、訪れる人も少ない風光明媚な自然の中に、この仏たちだけにかつての繁栄を物語っているのかも知れない。

 
千手観音立像

 
伝十一面観音立像           伝十一面観音立像



 


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