貞観の息吹き 
高見 徹

23.  宮古薬師堂 薬師如来坐像(奈良県磯城郡田原本町宮古) 



 宮古地区は古くから灌漑用のため池が多く散在し、農耕が盛んに行なわれてきた。特に宮古池は明治時代に大規模に開拓され、当地の生浩や農業に大きく寄与してきた。現在も池の一角に立派な公民館が建てられ春ともなれば池の周りに植えられた桜が満開の花を咲かせる。

 宮古薬師堂は、宮古池から集落を入った所にある地区の集会所を兼ねた民家のような建物である。
  当地の東1kmに延喜式神名帳の記載のあるいわゆる式内社、鏡作神社があり、宮古池付近にもその末社で同じく式内社、鏡作伊多神社があり、この地は、青銅 鏡の制作を司っていた鏡作部が住みついた土地である。当地方の地誌である「三箇院家抄」に、鏡作神社の西に常楽寺があったと伝えており、付近には寺垣内、 寺西、寺東、大門などの地名が残り、明治初年まで広大な境内を有していたといわれている。寺東では古くから泥塔が出土する事で知られており、かつて隆盛を 誇った寺院であったことがうかがわれる。

 現在堂の一隅に薬師如来坐像を始め、頭部・手足を失った天部像や十二神将像、厨子に入った吉祥天像などが所狭しと並べられているが、これらは、常楽寺に安置されていた諸像が伝えられたものと思われる。
 薬師如来坐像は、ほぼ等身大の像であるが、全身に後世の厚い漆が施されており、黒光りして一見新しい像のように見える。
 頭部は奥行があり、胸も厚い。膝の張りも広く、膝高も厚みがあり、また衣文も大振りで深く、特に左肩から肘にかけて表わされた衣文は、平安初期様式を余すところなく伝えている。現在は羅髪を失っており、膝前の衣の一部を補修しているが、保存状態は非常に良い。
 昭和45年の修理の際にこの像を台から降ろしたという管理の方に伺ったところ、数人掛かりで担いだといい、内刳もない一木造の像と見られる。
 天理市の合場町に伝わる薬師如来像に近い様式を持つが、大振りな目鼻立ちや、膝の前面を垂直に立上げるところなどより古様を示しており、9世紀の制作になることを感じさせる。

 天理付近には、廃寺となって、地元の人々に護られて祀られている平安初期に遡る仏像が多く見られ、その土地に移り住んだ豪族の盛衰によって運命を共にしたのであろうが、かつては奈良の中心に並ぶ多くの寺院や尊像たちが派を競っていたのであろう。

 



 


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