貞観の息吹き 
高見 徹

19.  満願寺 薬師如来坐像(兵庫県川西市満願寺) 


 満願寺は、神亀年間(724〜28)聖武天皇の勅願により、諸国に満願寺を建立した勝道上人が、摂津の国の満願寺として建立したと伝えている。平安時代には現在の川西市多田に館を構えた源氏の祖、清和源氏の多田満仲が帰依したことから、源氏一門の崇敬を集めた。

 正面の石段を上がると、二棟の宝形造の堂の間をつないだような珍しい形の仁王門から長い参道が続き、広い境内は、緑に包まれている。
 本堂からー段下った観音堂には、平安中期の千手観音立像が安置される。本像は、毎月18日に開扉される秘仏であるが、平安時代前半まで遡る像として注目される。

 こ の他、本堂・毘沙門堂にも多くの平安時代の像が伝わっている。中でも、本堂の隅に安置される薬師如来坐像は、木のブロックを積み重ね、ざっくりと削り出し たような異様な像である。頭部は、太い鼻をまん中に大きく彫り出し、細い目と小さな口を申しわけ程度に刻んでいる。体部はほとんど首を表わさず、膝前は上 面に足裏を前面に荒い衣文を彫り出しただけの奥行の狭い一材を無造作に当てる。
 太造りの身体に巻きつけるように表わされた衣文は流麗というには程遠く、不揃いな平行線が大胆に刻まれている。
 本像の細部を見れば見る程稚拙な表現が目立ち、手慣れた仏師が彫ったものとは思えないが、その存在感は、十分な精神性を有している。
 この像を貞観仏というにはかなり抵抗があるが、貞観仏の起源の一つが修験者や私度僧などの造像にあるとするならば、本像はまさに貞観仏の源流といえるのかも知れない。

 本堂と隣あった毘沙門堂の脇檀に安置される童形の二体の地蔵菩薩立像は、一見素人作風の像であるが、この内、長身の方の像は不揃いの衣文線など、薬師像に近い衣文の表現をもっている。

 満 願寺は現在はすぐ側まで住宅街が迫るが、日光開山の祖 勝道上人の開創という言い伝えから見ても修験道の関連があったものと考えられる。また本尊の厨子の四方に四天王像としてまつられる天部像のうち三体が、足 元に地天女を踏む兜跋毘沙門天であることからも、特異な信仰形態を有していたことが伺える。
 薬師如来坐像もまたこのような信仰の背景の中で造顕されてきた像と考えられ、このような像が今日まで伝えられてきたことは興味深い。

 



 


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