貞観の息吹き 
高見 徹

9. 孝恩寺 弥勒菩薩坐像(大阪府貝塚市木積) 

 

 孝恩寺は、慈眼山大悲院と号する浄土宗知恩院派の寺で、整備された境内に、観音堂と新しい庫裏および宝物館が建てられている。

 観音堂は、行基葺きの瓦屋根が美しい方五間の寄棟造の建物で、大阪府下で最古の木造建築物であり、鎌倉時代の代表的な建築様式を持つことから、国宝に指定されている。
 地元では釘無堂(くぎなしどう)と呼ばれており、組み物を使って組上げていることから通称されているものと考えられるが、これは寺院建築では一般的であり、この地では珍しい古い時代の貴重な建物であったために、そのように呼ばれてきたものであろう。
 この観音堂は、元は奈良時代に行基によって建立された畿内四十九院の一つと伝える観音寺にあったもので、江戸時代の「和泉名所図会」では木積観音(こつみかんのん)と呼ばれていたことがわかる。
 木積(こつみ)という地名は、行基が多数の寺院を建立するにあたって、山から切り出してきた材木の集積場であったことに由来する地名で、現在でも製材業も多く林業が盛んであるという。

 平安時代初頭までに七堂伽藍が揃っていたが、室町時代に山名氏、大内氏らの戦火に巻き込まれて大半の建物を焼失、また桃山時代には根来寺の傘下にあったために、天正13年(1585年)、豊臣秀吉の紀州攻めで観音堂以外のほぼ全ての建物を焼失した。
 観音寺は明治時代に廃寺となり、観音堂及び諸像は地域の人々に守られてきたが、その後、大正3年(1914)、孝恩寺に合併され、現在は孝恩寺観音堂と称される。

 観音堂には20体の仏像と板絵天部像が伝えられており、観音堂の横に建てられた宝物館に所蔵・展示されている(虚空蔵菩薩立像は大阪市立美術館に寄託中)。
 本寺に伝わる諸像は、全て平安時代の制作になるもので、後世の修理が多い持国天立像が市指定である他は、国の重要文化財に指定されている。
 特に、跋難陀竜王立像、難陀竜王立像など、平安初期に遡ると考えられる注目される像が多く、広い収蔵庫に並んだ姿は壮観である。
 一寺院にこれだけ多くの平安仏が纏まって安置されているのは珍しく、近隣の廃寺等から集められたものとされているが、孝恩寺様式とでも呼ぶべき独特の雰囲気を持った像が多く、また本来吉祥天や梵天・帝釈天などの天部像として造立されたと考えられる像が多いことから、この地方独特の信仰、文化的背景があったことが想像される。

 弥勒菩薩坐像と伝えられる像は、胸の前で両掌を見せて各第一・三指を捻ずる、いわゆる中品中生の印相を持ち、本来阿弥陀如来像として造立されたものと考えられる。跋難陀竜王立像、難陀竜王立像などが中央風の洗練された像であるのに比較し、かなりアクの強い特徴的な像である。
 頭・体部はカヤ材と思われる一材から両手首まで含めて彫出され、膝部および手先のみ別材としている。両手先は別木であるが、肉の厚い力強い表現は本像の様式と違和感なく、当初のものと考えられる。後頭部と背中に内刳を施し、それぞれ蓋板を当てる。
 面相は、個性的な像が多い貞観仏の中にあっても、一際異彩を放っている。頭上に置く螺髪は失うものの、頭髪部を深く帽子をかぶるように表わし、鋭い眼と尖らせた口唇で、まるで見る者を威嚇するかのような表情で迫ってくる。

 貞観仏の特徴の一つに塊状感があるが、本像の場合、それが極端に強調されており、体躯はいかり型の肩とハト胸のような肩と胸の寸法のまま、地付までーつの直方体のブロック状に刻まれている。衣文は、翻波式のような丁寧さはないが、皺の一つ一つを深くざっくりと力強く彫り出している。

 膝前部は幅・奥行きとも狭く、体部と比較してアンバランスなこと、また左足を表わさず左足裏もー部が欠けるなど、後世の補修とも考えられている。
 しかし、本像の窮屈そうな造形が、井上正氏が「古佛−彫像のイコノロジー」で述べられているように、霊威表現の一つだとすれば、当初からの造作であったのかも知れない。

弥勒菩薩坐像
(許可を得て、孝恩寺のホームページから転載致しました)
この写真画像の所有権は孝恩寺にあり、無断使用および転載を禁じます。


 孝恩寺の田中典彦御住職は佛教大学文学部人文学科の教授で、インド哲学、原始仏教思想の研究家である。3年間インド国立ヴィシュバ・バーラティ大学に留学し、ノーベル平和賞を受賞したマザー・テレサとも親交があった。

 人間もみな汚れた世界に住んでいるが、いったん自分の人生の花を咲かすときには、蓮の花のように、一点の汚れもない人生を生きよう

 生まれて以来外ばかり見て人のことはよく見える同じ眼で、「眼の玉をひっくり返して」自分を見つめ、自分の本当の気持ちを見つめ直そう。

 と、呼びかけている。

 大学で教鞭をとられる一方で、約400軒の檀家を持つ御住職として法事や法会で忙しい毎日を過ごしておられる。また、不信心な仏像拝観者にも快く接して下さる。

 



 


inserted by FC2 system