貞観の息吹き 
高見 徹

2. 金剛心寺 宝生如来立像(京都府宮津市) 

 金剛心寺は、平安時代の創建で、当初は宝光寿院と称して熊野権現を祀っていたと伝え る。鎌倉時代末期には奈良西大寺を開いた叡尊の高弟で真言律宗の教線の拡張に大いに貢献した忍性が中興し、鎌倉の極楽寺の末寺となった。

 その後、当地の出身で後宇多上皇の装束等を裁縫する御匣殿(みくしげどの)として仕え た千手姫が薙髪して願蓮と称してこの寺に入り、上皇の安泰を祈願したことから、応長元年(1311)、上皇から本尊愛染明王坐像を賜り、このときに金剛心 院の号を賜わり寺号を改めたと云われる。

 愛染明王坐像(重文 木造 彩色 切金 玉眼 鎌倉時代)は小像ながら肉付きのよい体 躯をもつ像で、秘仏として祀られている。衣文には精緻な切金や盛上文様を施すほか、繧繝彩色が施された蓮弁には火焔に包まれた三弁宝珠をあしらうなど、豪 華な装飾は、発願者の権力と地位を物語っている。

 収蔵庫に客仏として安置される如来立像は、丹後地方でも最古に属する像である。ヒノキ の一木から彫出した像高82.6cmの一木造の像で、両手先を後補とするため、尊名は明確ではないが、寺伝では宝生如来とされている。

 後頭部に楕円状の穴を穿ち、体部は背面から肩口から衲衣の下端まで大きく内到を施こ し、蓋板を当てる。頭部の螺髪を失い、右裳裾先を欠くものの全体的に保存はよく、小像ながら量感をもち凌ぎ立つ翻波式衣文や旋転文もよく残されている。特 に、足元から裳裾にかけて後に流れるように表わされる衣文は、流動感を与えており、貞観彫刻の典型を見るようである。

 豊満な面相や肩幅の広い堂々たる像容、隆起させた両腿の間に表されたY字形の衣文や内 刳の形式など、像高は異なるが、奈良・元興寺の薬師如来立像に近い様式をもっている。

 この地に本像のような平安時代初期の中央風の像が残された経緯は明らではないが、本尊 愛染明王坐像の造像経緯や忍性が中興に係わった点からも、古くからこの地の豪族の後盾があったものと考えられる。

 金剛心寺のある日置郷地区は丹後国衙の在庁官人であった日置氏の本拠地であり、同じ日 置にある禅海寺は日置氏の菩提寺と伝えられている。

 日置氏はもと鎌倉幕府御家人を称し、鎌倉時代よりこの地に住し、禅海寺の近くに現在も 城山と呼ばれる地仁居城を構えて一帯を支配したというが、禅海寺には平安時代後期の定朝様式を伝える阿弥陀三尊を伝えていることや、当地は、丹後国府や国 分寺にも近いことから、古くから中央とも近い関係にあったものと考えられる。

 本寺には、この他寺宝として、制札六枚、金剛懸仏三面、忍性伝承遺品等がある。制札に は六波羅探題・足利尊氏禁制があって貴重とされる。又、境内には石像地蔵菩薩像(高石地蔵)、本堂の墓地裏には忍性の墓と伝えられる五輪塔があり、収蔵庫 の傍らには中世板碑群がある。

 

 



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