貞観の息吹き 
高見 徹

28.  桂木寺 伝釈迦如来坐像埼玉県入間郡毛呂山町) 


 埼玉県の西部、JR八高線沿いの西武蔵の辺りは、かつて高麗郡が置かれ、その名の通り、高句麗から多くの帰化人が移住し文化を伝えた地域である。
 また、付近には高山不動、子ノ権現などの修験道の道場・霊場が開かれ、高山不動の別当常楽院・軍荼利明王像や修験者の部落と伝える越生(おごせ)の如意(ねおい)観音堂・如意輪観音半跏像などの古様な尊像が残されるなど、やや特異な形態の仏教文化を伝えている。

 越生の南に接する毛呂山町の北西に位置する桂木山は、古くからの霊場として信仰を集めており、ふもとに位置する桂木寺は、太田道灌の菩提寺として知られる越生の龍穏寺の開山、無極禅師が在した寺と伝える古刹である。

 本寺の本尊として伝わる伝釈迦如来坐像も平安時代前半の制作と見られる像である。

 頭体部を膝部を含めてカヤの一木から彫り出した像で、像底と背中、後頭部から内刳りを行っている。
 大振りの螺髪や高い肉髻、眼尻を吊り上げた厳しい面相などに平安時代初期に繋がる様式が伺える。
 また幅広の肩や量感のある胸や膝前を垂直に立ち上げるところも同時代の特色である。
 衣の折返しや膝中央部の衣文の表現にも工夫が見られるが、やや浅く形式的になっていることや、全体の表現もやや大人しくなってきていることから、制作年代はやや降るものと考えられる。
 また、全体に窮屈そうに見える姿勢やや狭い膝幅は、全体を一木から彫り出そうとした木の制限からくるものかもしれない。

 関東地方では、天平時代から平安初期の像として、茨城県仏性寺(栗山観音堂)如来坐像、神奈川県箱根神社万巻上人像、弘明寺十一面観音立像などが知られているが、これらの像に次ぐ古像と考えられる。

  本像は、桂木寺の本尊であるが、桂木山の中腹にある桂木観音には、やはり平安時代前期の千手観音坐像や四天王像と思われる天部像が残されている。千手観音 座像はほとんどの脇手を含め後補の箇所が多く、天部像も朽損して残欠となっているが、盛期は、多くの堂宇と仏像を有する大寺であったことが想像できる。

 なお、伝釈迦如来座像は、現在、毛呂山町歴史資料館に寄託されており、定期的に展示公開されている。

 



 


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