貞観の息吹き 
高見 徹

61.  神宮堂 虚空蔵菩薩坐像福井県越前市大滝町


 越前市太滝町は、越前和紙の里として知られており、今でも多くの製紙工場が建ち並んでいる。
 4〜5世紀ごろには既にすぐれた紙を漉いていたことが正倉院の古文書にも記載されている。

  大滝神社は、推古天皇の時代に(6世紀)に大伴連大瀧により勧請され、その後、白山を開き越の大徳と称せられた泰澄大師が大峰山(大徳山)に登り、参籠・ 祈願の後、元正天皇の命を受けて、養老3年(719)に、岡太川上流に祀られていた紙漉きの祖神・岡太神社の本宮として、国常立尊・伊弉諾尊の二柱を主祭 神とし十一面観音を本地仏として、山上山下に社殿堂宇を建て、霊場を開いたと伝えられている。
 加賀の白山・福井の平泉寺に次ぐ修験道の霊場として、明治元年までは、正一位小白山大瀧六所権現児御前と称し、国内有数の大社であった。
 また、別当寺として大徳山大瀧寺を建立し、、その後天台系寺院大徳山大滝寺として栄え、近世には、越前奉書の産地である五箇郷を中心とする48ヶ村の総氏神として崇敬を集めた。大滝寺は、

 権現山山上の奥の院には、大瀧神社・岡太神社の二社殿が建ち、山麓の里宮は一社殿に二神社を祀る形式となっている。

 大滝神社の本殿及び拝殿は、屋根は檜皮葺とする。拝殿は正面1間、側面2間、向拝付入母屋造檜皮葺妻入の建物で、向拝は唐破風を付ける。本殿と拝殿の屋 根、唐破風の中心を微妙にずらし、神社本殿としては最も複雑な屋根形態を持つ建物で、正面から見えない部分まで随所に施された彫りものもすばらしく、建物 全体がひとつの彫刻のようによくまとまっている。世界の名建築100選にも選ばれている。
 普請関係文書によると、大工は永平寺お抱えの大久保勘左衛門等を永平寺の了解を得て招聘し、造らせたという。

 神宮堂は大滝町の町外れに建つ小堂であるが、かつては大滝寺と大滝児大権現に関わる堂のひとつで、中世の文書には虚空蔵堂と記されている。
 堂内に安置される虚空蔵菩薩坐像は、両膝の外に別木を矧付ける他は、両手足を含む頭体部をヒノキの一材から彫出した一木彫成の像で、右手に執る宝剣から遊離する天衣まで全て一木から彫出しており、内割りは施されていない。
 また、両腕に懸かる天衣を、膝前に廻す意匠も心憎い。
 上半身は張りのある厚い胸や衣文線など古い形式を踏襲しており、全体的なバランスは非常に整っている。下半身は、膝高や膝張り、材の制限のためかやや低く狭いものの、中央で造られたか中央仏師の仏師が当地で制作したものと思われる。
 また、面相は後世の厚い漆箔が施されており、像容を損ねているのが惜しまれる。
 制作は平安時代前半期と考えられる。



  







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