貞観の息吹き 
高見 徹

58.  保福寺 薬師如来坐像神奈川県南足柄市内山


 駿河国と相模国の国境の峠である足柄峠を通る道は、足柄路(矢倉沢往還)と呼ばれ、律令時代には東国と畿内を結ぶ主要道であり、江戸時代以降は箱根路が開かれるまで官道として機能していた。

 江戸時代になると雨降山とも呼ばれた大山への参詣者が急増したことから、大山街道とも呼ばれるようになり、現在は主に神奈川県内の旧道にて、その名が定着している。

 矢倉沢の地名は現在の神奈川県南足柄市の足柄峠付近に残っており、現在の大雄山駅付近の関本宿(坂本)を基点として、そこから松田から秦野を通って、箕輪(伊勢原市)に至る道と、大井から小総(おうさ 小田原市国府津)へぬけ箕輪で合流する道があった。

 神奈川県下に残された平安時代前期の仏像の多くが、この街道沿いに残されている。

 関本宿の北東、山北駅に程近い場所にある保福寺は、創建は応年元年(1368)で、一時荒廃し、大永元年(1521)に再興されたと伝える寺である。

 この寺にも、寺の創建年代を遡る、共に平安時代中期の制作になる本尊薬師如来坐像と観音堂の本尊十一面観音立像が伝えられている。
 観音堂の本尊十一面観音立像は、内刳を施さない一木造りの像で穏やかな面相を持ち、衣文の彫りも浅いが、両肩を張った太めの体躯は古様を留めている。

 本堂の本尊は薬師如来坐像は、カヤ材の一木造りで内刳は行わない。腹前で定印を結び、その上に薬師の持物である薬壺を載せ結跏趺坐する。
 このスタイルは、薬師如来の印相として一般的な右手施無畏・左手与願印を結ぶ作例に比べるとはるかに数は少ないが、県下でも鎌倉市覚園寺像(鎌倉時代)や川崎市妙楽寺像(室町時代)などが同様の印相である。
 顔をやや左に向け、膝張りや膝高も大きく、頭体部のバランスにも破綻が見られる他、螺髪は粗く、目鼻立ちも大振りで衣文などの彫技も荒っぽいなど地方作ではあるが、独特の表情や隗量的な表現に平安前期の独自性が感じられる。


 
薬師如来坐像

 
十一面観音立像






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