貞観の息吹き 
高見 徹

65.  国分寺 阿弥陀如来坐像岐阜県高山市総和町


  岐阜県高山市は、合掌造りの集落で知られる世界遺産の岐阜県白川郷と富山県五箇所村の観光拠点として賑わう。
  飛騨国分寺は、岐阜県の最北端にあたる飛騨地方、高山市の町中に建つ寺である。

 天平13年(741)に聖武天皇による国分寺建立の詔によって、天平勝宝9年(757)頃、行基によって建立されたと伝える。
 弘仁10年(819)に火災で焼失し、855年斉衡2年(855)ころ再建されたという。
 その後、室町時代の天正13年(1585)に豊臣秀吉の命を受けた金森長近が姉小路頼綱の松倉城を攻めた際の兵火で焼失するが、天正年中に金森氏が千光寺(現大野郡丹生川村)の玄海を中興として再興した。

 本堂(薬師堂)はこの時の建築で国指定重要文化財に指定されている。
 昭和29年(1954)国分寺境内で本堂の基壇の一部が発掘調査され、現本堂とほぼ同じ位置から礎石群及び奈良時代の瓦類が出土した。軸線はやや西に振れ、桁行7間、梁間4間の建物と推定されており、礎石に火を受けた痕跡が確認されている。

  昭和63年(1988)には、高山駅を隔てた岡本町の辻ヶ森で、飛騨国分尼寺跡の発掘調査が行われ、礎石の位置から桁行正面7間、梁間奥行き4間の壮大な 金堂が確認され、その中央に鎮壇具を埋納した土抗や鬼瓦などが出土した。その規模は国分寺と同規模で、床面敷石の様子から正面一間分が吹きはなしの構造 で、現存する興福寺東金堂や唐招提寺金堂と同構造であることが分かった。全国の国分寺金堂で、この吹きはなしという構造例は知られおらず、この点からも都 と飛騨の交流が盛んであったことを伺わせる。   
 薬師堂の西に巨大な塔の心柱の礎石(心礎)が残されており、上面に円柱座と舎利孔が彫られている。この礎石を含め奈良時代の七重塔の塔跡として、飛騨国分寺塔跡として国の史跡に指定されている。
 また、境内には、推定樹齢1200年、幹周10m、高さ37mの大イチョウがあり、国の天然記念物に指定されている。

 薬師堂には、本尊薬師如来坐像及び、もとは飛騨国分尼寺の本尊であったと伝える観音菩薩立像が安置されている。ともに一木造ながら彫りの浅い優美な像で、堂々たる姿は平安時代中期の中央風の様式を示している。
 本尊の向かって左に安置される阿弥陀如来坐像は、面相はやや地方的な長閑な顔立ちを持つが、量感を持った肩や胸、衲衣の衣文を深く明瞭に彫り出す点は、 本尊や聖観音像よりも先行する様式を示している。特に腹前や膝前に見られる翻波式衣文は深く丁寧で、貞観彫刻に通ずる特徴を持っている。また、丁寧に彫り 出された切り付けの螺髪を帽子状に表し、肉髻と地髪を段差なく連続的に表す表現も貞観彫刻によく見られる特徴である。
 当初施されていたと考えられる漆箔もほとんど剥落し、両手先は後補のものに代わっている他は、全体的に大きな損傷もなく、当初の形を良く残している。


 
   薬師如来坐像            聖観音立像

 
阿弥陀如来坐像                膝前衣文  

 






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