貞観の息吹き 
高見 徹

38.  平勝寺 聖観音坐像(愛知県豊田市綾渡町)


  足助町は、巴川と足助川の分岐点に位置し、尾張から三河から岡崎−足助−飯田−塩尻を経て信濃国に塩を運ぶ塩の道である飯田街道(三州街道)の中継点で あった。川舟輸送により運ばれてきた塩や海産物などの生活物資は荷車や人・馬の背により足助から信州方面に運ばれていくなど、交通・政治・経済の要衝の地 として栄えた。
 足助町には古い街並みが残されており、足助氏が居住した足助城や足助八幡宮、紅葉で知られる香嵐渓があり、秋の紅葉の季節には多くの人で賑わう。
  平勝寺は、足助町の街から東方5kmの山中にある古刹で、旧足助町に属していたが、足助町が2005年に豊田市に編入された際、字名をとって綾渡町となっ た。寺伝によれば、聖徳太子の創建になり、檀独山大悲密院と称したが、その後醍醐天皇の第三皇子である平勝親王が戦勝祈願のためこの寺を訪れたことから、 平勝寺と改称したという。
 
豊かな水田の山裾に広い境内を持つが、付近には大門、奥の堂、経嶺、口論部、読み寺などの地名も残されており、かつては多くの伽藍を有したことが偲ばれる。

  聖観音坐像は本堂の背後の一段高いところに建つ収蔵庫に安置されており、60年に一度の秘仏として護られてきた。頭体部をヒノキの一木から彫り出した像高 151.5cmの大きな像で、背面を割り剥いで内刳りを施している。胎内の前面に墨書があり、平治元年(1159)の制作であることがわかる。髪や目、唇 に彩色を施す他は素木仕上げである。
 正面観は丸く穏やかな面相とやや撫で肩の体部など、藤原盛期の特徴を有している。
 しかし側面に廻ると像容は一変する。頭部の奥行きがあり、厚い胸板やがっしりとした肩の肉付きが圧倒するような姿を見せる。
 特に背中の張り出しが異常に大きく、頭部が前のめりに付けられているような印象を受ける。
膝前の衣文は大きく深く彫られており、右膝に乗せた左足裏の肉付きも高く豊かで力強い。但し、膝前部の彫りはやや粗い鑿痕を残しており、後補の手が入っているのかもしれない。

 いずれにしろ、穏やかで平面的な正面観の背後に力強く繊細な造形を秘めた魅力的な像である。

 



 平勝寺のある綾渡では、お盆の行事として古くから伝わる夜念仏と手踊り(盆踊)が行われている。
か つては、三河の山間部から岐阜県にかけて広く行われ、足助地区でも多くの村で行われていたが、今も伝わるのはこの綾渡の里だけという。その年に亡くなった 人の家を回る夜念仏は、現在は平勝寺で施餓鬼供養・観音供養と併せて行われるようになったが、手踊り(盆踊)は楽器を一切使わず、音頭とりの唄に合わせ下 駄の拍子だけで踊るという。
 平勝寺の観音像や、この地に伝わる独特の風習を眺めるにつけ、営々と築かれてきた歴史の積み重ねを感じずにはいられない。





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