貞観の息吹き 
高見 徹

57.  飯道寺 十一面観音観音立像滋賀県甲賀市水口町三大寺


 滋賀県甲賀市の信楽町・水口町・甲西町にまたがって聳える飯道山(はんどうさん、標高664m)は、金勝山(こんぜさん)・太神山(たいしんさん)ともに修験道を修める信仰の山で、
また紫香楽宮の造営や奈良東大寺大仏殿の修復に際して、用材を供給する「杣山(そまやま)」としても重要視されていた。
 山頂に鎮座する
飯道神社は奈良時代の創建を伝えており、修験道の重要な霊場であり、山岳仏教の道場としての色彩をも帯びていた。

 飯道寺は、もともと飯道山近くにあった飯道神社の神宮寺で、役行者ゆかりの山岳信仰の寺でもあり、平安期には修験道の一大聖地として隆盛を誇っていた。
 現在も、飯道神社から25分ほど下った二の峰山頂に、
坊跡の石垣が山中に累々と残されており、最盛期には20か所あまりの坊院が建ち並んでいたことを裏付けている。

  鎌倉時代後期以降には熊野三山との関係が深まり、室町時代以降は修験道寺院として高野山と並ぶ当山派の先達寺院であったと伝わる。特に梅本院・岩本院のふ たつの坊は、諸国の当山派山伏を支配し、これら二院から大峯山入峰を果たした諸国の山伏に発行した補任状は、北は陸奥国から南は日向国まで日本全国に及ん でいる。
 明治時代を迎え、神仏分離がなされると廃寺となったが、後に水口村(後に水口町)の本覚院が飯道寺の法燈を継いだ。その際、村内の廃寺となっていた常福寺の本尊を受けついだという。

 本堂には修験山伏が使用したという笈(おい)と斧(おの)が残されている。
 現在、収蔵庫には、阿弥陀如来坐像、十一面観音立像、地蔵菩薩立像が安置されている。
 飯道寺伝来の像であれば、修験道の本尊として厳しい表情の像が残されていたものと考えられるが、これらはいずれも旧常福寺伝来像であり穏やかな像容を持つ。
 その中でも、十一面観音立像は、左足に重心をかけ、右足を遊足として半歩踏み出す、動きのある姿に表されている。下半身の衣文の彫りはやや淺いが、裳や天衣など全体に入念で的確な彫法を見せている。頭部の天冠台と宝髻は比較的低いが大振りの化仏がバランスを取っている。
 面相も穏やかであるが、横顔に一瞬見られる厳しさが印象的である。

 飯道寺は、今年から兼務の住職が着任されたが、普段は地域の方々がお守りをされている。この辺りの多くの寺も同様であるが、篤志家の方々によって現在まで伝えられてきたことに感謝せざるを得ない。


 








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