貞観の息吹き 
高見 徹

49.  長楽寺 毘沙門天立像鳥取県日野郡日野町下榎


 日野町は出雲往来と日野往来が交差する交通と物流の要衝として栄えた宿場町であり、奥出雲地方と並んで「たたら製鉄」の一大産地としても栄えた。
 東の高台に位置する旧根雨公会堂(現日野町歴史民族資料館)は、たたら製鉄の鉄山経営で財を成した近藤家の寄贈により建てられたものである。
 また、日野町の中心部、根雨宿(ねうしゅく)には本陣の門など当時を偲ばせる風景が見られる。
 長楽寺は、根雨から日野川沿いに2km程遡った所にある。
 養和元年(1181)に平清盛の次男宗盛が建立し、平家滅亡後、長谷部信連により再建されたと伝えられる。
 かつては西方の鵜の池(うのいけ)湖畔にあり、山下の村々を荘園として十二坊を有する巨刹であったが、度重なる兵火により堂宇を焼失し、慶長年間現在地に移り郡中の祈願所となった。
 寺から山道を1kmほど登ると、創建当時の場所という鵜の池に出る。中国山地の秀峰が連なり日野川が流れる山懐に広がる景勝地として、秋は紅葉の名所、夏はキャンプの人々で賑わう。

 収蔵庫の中には、藤原時代の制作になる本尊薬師如来三尊像及び、毘沙門天立像、不動明王立像の他、鎌倉時代の十二神将像が揃い、往時の隆盛を物語っている。
 薬師三尊像は、浅く流れるような衣文を持ち、やや伏し目がちの円満の面相を見せるなど、正統の藤原様式を伝えている。
 毘沙門天立像、不動明王立像は共に太造りの堂々たる像であるが、特に毘沙門天立像は造形的にも優れた像である。
  丸々としたはち切れんばかりの体躯や面相を持ち、左手に載せた宝塔を高く掲げ邪鬼の上に立つ姿は、動きは少ないものの十分な迫力を持っている。兜を深く被 り、胸甲、腰甲をつけるが、細部の彫刻技法は冴え、獅噛や帯の結び目まで精巧に彫刻されている、また、所々に文様、色彩がかなりはっきり残っており、制作 当初の仕上がりは如何に素晴らしかったかを想像させる。平安時代後期の作と考えられるが、中央の諸仏と比較しても劣らない傑作といえる。

  平成12年(2000)にこの地方に起こった鳥取県西部地震は、阪神淡路大震災に匹敵するエネルギーの大地震であり、日野町根雨と境港市東本町で震度6強 を記録したにも関わらず、震源地が山間部であったこともあって、奇跡的にも死者は1人も出なかった。しかし、住宅の倒壊、損壊など物理的な被害は甚大で、 長楽寺は何とか倒壊を免れたものの、下榎地区のほとんどの民家が倒壊したという。


 

 






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