貞観の息吹き 
高見 徹

13.  長興寺 聖観音立像愛知県田原市) 


 長興寺は
永平寺を本山とする曹洞宗の古刹で、渥美半島の中程に位置する田原市の東端に位置し、半島を統一を達成 し、田原城を築いた戸田氏の菩提寺でもあった。
 長興寺の裏山から田原市の背後を包むように連なる中西山、藤尾山、衣笠山、滝頭山、蔵王山などは「たはらアルプス」と呼ばれ、細長い渥美半島にあって自然の要塞を 形づくると共に、平安朝末期ごろには、三重県熊野の一族が移住して山岳信仰の中心地でもあったという。
 山門から続く参道と回廊を備えた伽藍配置は風格を感じさせる。

  聖観音立像は、山門脇の収蔵庫に安置されている。像の表面に鑿痕を横に細かく表したいわゆる鉈彫像で、頭体部から足先や両腕の裏側まで丁寧にノミ痕が刻ま れている。背面は正面とは異なり、やや荒く不規則な鑿痕を残している。他の鉈彫像と同様彩色は施さず、眉や唇にのみ色を置いている。
  像高140cm足らずの直立した穏やかな像で、衣文や下半身の表現もおとなしく、鉈目も装飾的な要素が強くなっている。
 平安時代初 期に東国で誕生し、東国の好みに合った荒々しさの表現として関東一円に多くの優れた像を残す鉈彫の様式は、東北地方に迄大きな影響与えた。しかし、中部・ 西国には数例が散見されるもののほとんど遺例がなく、本像が実質的には最西限の例であるとされている。
  しかし、初めて口紅をつけた少女が恥じらっているような本像の姿からは、神奈川・宝城坊薬師三尊像に見られるような厳しさは全く感じられない。関東に始 まったナタ彫彫刻がこの地方まで伝えられている事は興味深いが、この最西限の例である本像では、もはや装飾の一手段としてしか捉えられなかったのであろう か。
 様式的には混在しながらも、その精神性を持って一つの時代を形造った貞観時代の彫像が藤原時代の和様化の流れの中に取り込まれ る過程を本像に見ることが出来る。

 本像の尊名は聖観音であるが、印相は、第二・四指を内側に折り曲 げて合掌する、いわゆる馬頭印(馬口印)である。手先は後補の可能性もあるが、意味なくこのような印相にすることは考えられないため、あるいは馬頭観音の 信仰との関連があったのかも知れない。

  三遠地方は古来より交通の要所として知られており、特に当地は海運が盛んで、長興寺の背後の「たはらアルプス」は遠州灘沖の船舶の目安とされるなど、旅や 海上交通の神である馬頭観音の信仰が各地に見られる。渥美半島の付け根に位置し同じく鉈彫の二天像を有する東観音寺も本尊馬頭観音像のほか鎌倉時代の制作 になる馬頭観音御正体(懸仏)を有している。

   




 


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