貞観の息吹き 
高見 徹

33.  置恩寺 十一面観音立像(奈良県葛城市寺口) 


 葛城山は、大和では金峰山とともに本朝七高山の一つに数えられる整地であり、修験道の開祖とされる役の行者(小角)の修業道場であった。
また、葛城山一帯は古くから渡来系の葛城氏が大きな勢力を誇っていた地域でもある。

  智恩寺は、葛城山の山裾にあって一帯を見渡すように建っている。寺伝では行基が創建したと伝えるが、奈良時代末〜平安時代始めに置始(おきそめ)氏の氏寺 として建立された。中世には布施氏の氏寺となり、「布施寺」と称して隆盛期には背後に続く葛城山系の山々に向っていくつものお寺が建つ巨大な山岳寺院で あったという。寺口という地名も置恩寺の入り口にあることからついたとされる。
 室町時代、元亀年間(1570〜73)に布施左京進行盛の二塚城落城の時に兵火にかかって、本堂を残して焼失した。

 現在は本堂と庫裏、収蔵庫を兼ねた観音堂が建つのみで、長い間無住となっており、境内に集会所が設けられ、地域の人々によって守られている。
 本堂脇に収蔵庫が設けられ、十一面観音像を始めいくつかの像が安置されている。

 十一面観音立像は、眉のわん曲が大きく、鼻筋が細く、微笑をたたえた優しい顔立ちをもつ像である。
  左足に体重をかけ、右足を開き膝を軽く曲げて遊足とする。顔と上半身、下半身をそれぞれくの字に曲げる姿勢は、三屈法と呼ばれ、古代インドに伝わる女神像 の美しさを伝えているとされるが、この像も非常に洗練されたすらりとした姿を持ち、いかにも女性的な美しさを持っている。
 全体的に平安初期の塊量的な表現は姿を潜めるが、下半身特に腹前から膝前にかけての衣文は深く、翻波式衣文の名残りを残しているなど古様である。

 当麻寺を中心とする西和地域にはややもすると泥臭い造形の像が多いが、その中にあって異色ともいえる像である。
 これも奈良地方でも中央との関連が深かった葛城氏の本拠地であった事が大きく影響しているのであろう。
 庫裏の南にある石灯籠は、置始(おきぞめ)行国=布施行国が文亀2年(1502)に造立したものである。

 寺の前からは大和三山をはじめ、奈良盆地が一望のもとに眺められる。

  


  



 


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