貞観の息吹き 
高見 徹

56.  梵釈寺 阿弥陀如来坐像滋賀県東近江市蒲生岡本町


 梵釈寺は、記録の上では、延暦5年(786年)に桓武天皇が長岡京の無事完成と曽祖父天智天皇の冥福を祈るために、近江国志賀郡の旧大津宮(現在の滋賀県大津市)付近に創建したとされる。
 当初は四天王を祀ったことから四天王寺とも称されたが、延暦14年(795)に梵釈寺と改名されて本格的な寺院建設が始まった。
 桓武天皇が大寺の待遇を与え、嵯峨天皇が弘仁6年(815)に近江に行幸した際に当寺を訪れ、その後も宇多天皇が度々訪問したことなどが伝えられている。
 後に最澄ゆかりの天台宗の寺院となり、12世紀には園城寺の末寺となるが、延暦寺と園城寺の対立が激化すると、長寛元年(1163)の延暦寺の攻撃によって炎上し、以後は衰退の一途を辿り、鎌倉時代末期には廃寺となったとされている。

 東近江市の梵釈寺 は、当初の建立地からはやや離れているが、近くの寺の鐘楼にこの寺が桓武天皇によって建てられたとする記録があることから、古代の梵釈寺が当地に再興され た寺であると考えられている。その後享保13年(1728)に黄檗宗大本山である萬福寺の末寺となり、安永5年(1776)には鐘楼が建立されている。境 内には鎌倉時代末期の嘉暦3年(1328)銘の石塔がある。

  本尊阿弥陀如来坐像は、像高116cm、ヒノキの一木造で内刳も施されていない。頭上に髪を高く結い上げた宝髻と精緻な天冠台を持ち、現在は失われている が、本来は頭上に宝冠を戴く像である。近年まで菩薩坐像として伝えられてきたが、調査の結果、天台宗の基本的な修行の1つである常行三昧を修する常行三昧 堂の本尊形式、いわゆる宝冠阿弥陀如来像であることがわかった。

 本像は、全身に後世の漆が塗られていることから、表情や彫りがぼやけているところが多いが、量感ある体躯や高い膝高に古様が見られる。平安時代も早い頃の制作と見られる。
 宝冠阿弥陀如来像は、仁寿元年(851)、慈覚大師円仁が唐からはじめて比叡山に伝え、東塔常行三昧堂に安置したとされる像であるが、現存する作例としては鎌倉時代の像が多く、本像は、その最古の例と考えられる。

 本寺に伝わる阿弥陀如来坐像は、寺の再興時期よりも古い、平安時代中期以前の造像であり、しかも延暦寺常行三昧堂に関連深い宝冠阿弥陀如来坐像であることから、兵火によって多くの諸尊を失った延暦寺の歴史の一端を埋める像である。


 






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