埃 まみれの書棚から〜古寺、古佛の本〜(第九十六回)

  第十九話 仏像を科学する本、技法についての本
  〈その2〉  仏像の素材と技法〜金属・土で造られた仏像編〜


 【19−8】

4.土で造られた仏像

塑像の技法

 天平時代の塑像の写実表現は、見事と言うほかにない。
 和辻哲郎などの先人は、三月堂日光月光菩薩像や戒壇院四天王像、新薬師寺十二神将を眼前に拝したとき、そこにギリシャローマの古典彫刻の美しさと同じも のを見つけた。
 写実的古典彫刻の美しさが、ここに凝縮されていると感じたに違いない。


三月堂 日光菩薩像
 古代仏像の美しさを、抒情的に謳いあげる美術史学者「寺尾勇」の著書から、これら塑像についての叙述を見てみよう。
 三月堂月光菩薩は、
「ギリシャの「清平」の理想が海を越え、見事に東方の静寂の美として泥の中に結晶し、恍惚の中に確実なものが、柔らかさのなかに厳しいものが形として現れ ている」
 戒壇院広目天像は、

戒壇院 広目天像
「西北隅の広目天は美しい腰の動きと筆を手にして、眉をよせとどまることなき眼光は遠く遥かなるものをいつまでも見つめる「永遠の目」で凝視している」
 法隆寺五重塔塑像群は、
「こ れらの塑像群は、唐代石窟彫刻の影響を受け、造型は優秀で、塔創建当初の像と見られている。・・・・・東面の維摩や文殊の、その起伏の繊細さ、衣褶のなだ らかさに比べて、北面の比丘像が過剰誇張に流れて欠点が露骨であるというふうである。・・・・・この比丘像はその断腸の想いのすべての悲しみを泣き叫び続 けているのかもしれない」
 寺尾勇は、このように塑像の仏像の特性や美しさを表現している。

 塑像ほど、きめ細やかな写実表現、感情表現に適した技法はないと思う。微妙なヘラ使いによる肉付けで、喜び、悲しみ、怒り、悩みなどを心の襞まで表現し つくすことが出来るようだ。
 この細やかで微妙な造型表現は、柔らかな塑土からでこそ生み出されるもので、他の技法では、なかなか難しい。

 かつて、これら天平塑像の「木彫模造」を見たことがある。
 平成17年に東京国立博物館で開催された「模写・模造と日本美術展」で、竹内久一作の三月堂・執金剛神像、月光菩薩像、戒壇院・広目天像が展示されてい た。
 いずれも、真物と見まがうほどのすばらしき出来で、その精巧さに目を奪われた。
 「天平塑像の造形美とその精神までもそのまま木彫に写し取ったもの」と、解説は語っていたが、像の前でジーと目を凝らして見つめていると、
 「やはり、塑像と木彫は違う。あのデリケートでかすかな抑揚を示す表現は、あの竹内久一といえども、木彫では無理か?・・・やはり塑像でない と・・・・」
 と、感じたのであった。


 塑像という言葉は、明治になってから用いられるようになった新語で、古文書等には塑像のことを、「攝(しょう)」または「捻」という語が用いられてい る。また土像、泥像と記しているときもある。
 因みに、乾漆像は「塞(そく)」と呼ばれた。
 土を材料とした彫刻は、縄文時代の土偶や古墳時代の埴輪など、古い時代から作られているが、唐代の塑像技術は7世紀後半頃わが国に伝えられ、天平時代に 入ると、さまざまな塑像が数多く造られた。
 材料の塑土が安価で求めやすいものであったこと、造像も比較的簡単で大量生産に適し、天平時代の盛んな造仏需要にこたえるのに好都合であったことなど が、多くの優れた天平塑像を生み出すこととなったものといわれている。

 塑像の技法といっても、誰もが容易に想像がつくように、それほど難しいものではない。
 ひと言でいえば、心木に素材の粘土を盛り付けて造型する像である。
 心木には、粘土がよく付着し脱落しないように荒縄などを巻きつける。盛り上げた粘土が多すぎた場合はこれをヘラにて削り、逆に足りなければ粘土を盛り付 ける。
 この自由自在さがある故、その表現は実に写実的にできるが、重量があって火や水にはもろいという欠点がある。

塑 像の製作工程の再現(天平彫刻の技法より転載)


3. 荒土を食いつかせる        2. 藁縄を巻く         1. 心棒をたてる


6. 仕上げ土で形を仕上げ、    5. 中土でおおよその形まで    4. 腕や足の心棒を入れて
 彩色を施す            完成させる           中土で形を造ってゆく

 まずは、塑土についてみてみよう。

 青丹(あをに)よし 奈良の都は咲く花の 薫(にほ)うがごとく いま盛りなり

 よく知られた万葉集の古歌だが、この「あをによし」という奈良にかかる枕詞の意味は、青と丹(赤)、即ち青い瓦と朱の柱がある美しい奈良の都というふう に、俗説では言われている。
 しかし、正しい解釈からいうと、「あをにの、に=丹」は、土の意味で青丹とは文字どおり青い丹土を意味する。
 「青い色の貴重な粘土が出る奈良の都」ということなのだそうである。

 この青色の土は、三月堂日光月光像をはじめとする諸像、新薬師寺十二神将像、法隆寺食堂諸像などに使われ、天平塑像の名作には「あをによし」の枕詞のと おり、青い土が多く使われているのである。


塑像の荒土・中土・仕上土
 数多くの国宝塑像の修理・修復に携わった辻本干也によると、天平塑像には、黄色い土と青い土の二種類が使われているそうだ。
 黄色の土は法隆寺の塔本塑像、金堂壁画の壁土などに使われている。
 これらの塑土は、法隆寺周辺から採れる二種類の土が選ばれているようで、黄色の土は、法隆寺裏山(梵天山)付近の白みを帯びた砂岩混じりの土、青い土 は、法隆寺裏山山麓下付近にある風化した変成岩の細砂だそうだ。

 塑像には、荒土、中土、仕上土の三種類の土が用いられており、荒土から順に積層していく。
 荒土は、小石混じりの自然の粘土に藁苆(わらすさ)を混ぜたもの。中土は、粘土に混じった山土に多量の籾殻を苆として混ぜたもの。仕上土は、砂分の多い 粒子の細かい土に麻紙をほぐした繊維(紙苆)を混ぜ、水溶きを加えて練り上げたものである。
 この仕上土で造型された表面を、ヘラをつかって細かく変形させて精密に造型する。

 こうして出来上がった像は、塑土が完全に乾いたところで、全面に白土を下地として塗り、その上に彩色を施したり、金箔を押して仕上げをする。
 ほとんどの塑像は、今は彩色が剥落して、塑土の生地のままになっているが、出来たときは極彩色の彩色豊かな像であった。


       

inserted by FC2 system